改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想 -契約法規範の変容の一斑-
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想 -契約法規範の変容の一斑-
メ デー | 言語: Japanese 出版者: 明治大学法律研究所公開日: 2019-03-27 キーワード (Ja):キーワード (En):作成者: 長坂, 純メールアドレス: 所属: |
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法律論叢第 91 巻第 2・3 合併号(2018.12)
【論 説】
改正民法における「契約の尊重
(favor contractus)」思想
―― 契約法規範の変容の一斑 ――
長 坂 純
目 次
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 「契約の尊重」思想の展開
一 「契約の尊重」思想の定義と射程二 契約法の国際的潮流
三 「契約の尊重」思想の展開
Ⅲ 日本法における「契約の尊重」思想一 現行民法における契約法規範
二 改正民法(契約債権法)の基本原則三 「契約の尊重」思想の対象領域
Ⅳ 「契約の尊重」思想の意義・機能
一 契約責任法における「契約の尊重」思想の展開二 「契約の尊重」思想の意義・機能
Ⅴ 結 び
Ⅰ 問題の所在
契約は、「その契約上の債権債務関係(以下では、「契約関係」と称する)が発生しなくなったとき」(例、賃貸借契約の期間の満了、解約申入れなど)には当然に終了する。また、「その契約上の債務の履行が完了したとき」にも終了する。ただし、この場面では、「主たる債務が履行されたとき」(例、売買目的物の引渡し、代金の支払いなど)の他、「従たる債務が履行されたとき」(例、売買目的物の据え付
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け・組立、用法説明など)や「その契約に関連するその他の義務が消滅したとき」
(付随的義務・保護義務の履行)など、段階的な局面として捉えられる(1) 。さらに、なされた履行が契約内容に適合しなかったり、不履行に基づき契約が解除されたような場合には、原状回復義務や損害賠償債務なども発生するが、この債権債務
関係と当初の契約関係との関連性も問題となる。このように、「契約の終了」概念や終了へ向けたプロセスは、一義的には定まらない(2) 。
他方で、ある契約の終了原因が発生した場合に、契約関係の解消・清算という方向へ向かうのではなく、当初予定していた契約関係ないし契約利益を可能な限り維持・確保する方向での法的処理も考えられる。このような志向は、一般に「契約の尊重(favor contractus)」と称され、後述するように、近時の国際取引法規律の
検討を通じて注目されてきた思想である(3) 。「契約の尊重」の思想からは、例え
ば、契約の成立に関して申込みと承諾の完全な一致は要件とされず、原始的不能も契約の無効原因とはならず、契約の解除に関しては、可能な限り本来的な履行請求権(催告)を義務づけて契約関係を維持し、解除権の発生には「重大な不履行(重大な契約違反)」という厳格な要件が課される。また、いわゆる事情変更やハードシップ(履行困難)が生じた場合の再交渉義務や契約改定権の承認、不完全な履行
に対する債権者による追完請求権や債務者の追完権(治癒権)の付与等の契約法規範が導かれる(4) 。このように、「契約の尊重」は、契約の不成立・無効・解除など
(1) 契約上の債務(義務)構造の詳細は、拙著『契約責任の構造と射程―完全性利益侵害の帰責構造を中心に―』(勁草書房、2010)13 頁以下参照。
(2) 中田教授は、契約終了のプロセスを①「その契約から債権債務がもはや発生しなくなっ
たとき」、②「その契約から発生した債権債務が当然に消滅するとき」、③「その契約の履行が完了したとき」(さらにⓐ「その契約から発生した第 1 次的な債務がすべて履行されたとき」、ⓑ「その契約から発生した第 2 次的な債務がすべて履行されたとき」、ⓒ「その契約に関連する義務がすべて消滅したとき」に細分)に類型化する(中田裕康『契約法』
(有斐閣、2017)181-182 頁参照)。
(3) 円谷峻「ファヴォール・コントラクトス(契約の尊重)」『好美古稀・現代契約法の展開』
(経済法令研究会、2000)3 頁以下、森田修「『契約の尊重(favor contractus)』について
―債権法改正作業の文脈化のために―」『遠藤喜寿・実務法学における現代的諸問題』(ぎょうせい、2007)199 頁以下、曽野裕夫「Favor contractus のヴァリエーション―CISG と債権法改正論議の比較を通じて―」松久=藤原他編『藤岡古稀・民法学における古典と革新』
(成文堂、2011)255 頁以下など参照。
(4) 曽野裕夫「民法改正の動向(3)アメリカ・国際的法統一」内田=大村編『民法の争点』
(有斐閣、2007)36 頁参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
を制限し、可能な限り契約を成立・維持させ、当事者間において設定された契約規範に優位を与える考え方である。
「契約の尊重」思想は、国際取引における今日的な潮流であるといえるが、それはあくまで国際取引・商人間取引を前提とするものであり、それと関係しない消費者取引・動産取引など国内の契約一般には妥当しないとも評し得る(5) 。しか
し、後述するように、わが国の現行民法やこれまでの判例・学説の展開においても、「契約の尊重」思想に沿う規律や理論動向が認められる。また、今回の改正民法にあっても、国際的な契約法規範を導入した規定も散見される。
このような傾向は、契約法規範の今日的な帰結の 1 つであるとも目されるが、こ
れまでの契約の成立・終了ルールや債務不履行ルールに修正を加えるものとして、伝統的な契約法規範の変容として捉えることができるようにも思われる。そこで、以下では、「契約の尊重」思想に関する国際取引規範における展開(Ⅱ)とわが国における理論動向(Ⅲ)を踏まえ、同思想の意義・機能を検討したい(Ⅳ)。
Ⅱ 「契約の尊重」思想の展開
一 「契約の尊重」思想の定義と射程
「契約の尊重」とは、当事者が契約の維持を志向するなら、たとえ障害があってもなるべく契約を維持、存続させていこうとする考え方である(6) 。この思想は、ユニドロワ国際商事契約原則(UNIDROIT Principles of International Commercial Contracts : 以下では PICC と略称)の起草と改定において中心的な役割を担ってきたボネルの所説を通して注目され、日本にも既に紹介されている(7) 。ボネルは、 PICC の基本思想として、「契約の自由」、「慣習の尊重」、「国際取引における信義
(5) 三枝健治「UCC 第二編改正作業における『契約の尊重(favor contractus)』」早稲田法学 84 巻 3 号(2009)240 頁以下参照。
(6) 円谷・前掲注(3)3-4 頁参照。
(7) 円谷・前掲注 (3)3 頁以下、森田・前掲注 (3)199 頁以下、曽野・前掲注 (3)255 頁以下、内田貴『契約の時代』(岩波書店、2000)260 頁以下参照。また、本稿は、Michael Joachim Bonell, An International Restatement of Contract Law, 3rd. ed, 2005, p. 102-126.によった。
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誠実と公正取引の尊重」、「不正に対する警戒」と並んで「契約の尊重」を挙げる。ボネルによれば、「契約の尊重」とは、可能な限り契約を維持し、その存在や有 効性が疑問視されたり、履行期前に解消されるような局面を制限することであるとする。それは、契約の成立・履行の過程で不測の事態が生じた場合、通常は、市場に代替の財・サービスを探すよりも、もともとの取引を維持する方が両当事者の利
益になる、ということがこの思想の背景にある理由である(8) 。
そして、「契約の尊重」は、(a) 拘束的契約の尊重(Favouring binding agreements)、
(b) 契約の効力の尊重(Favouring contract validity)、(c) 履行困難における取引維持の尊重(Favouring keeping the bargain alive despite hardship)、(d) 契約違反における取引維持の尊重(Favouring keeping the bargain alive despite breach)に類型化される(9) 。(a)(b) は、契約の成立及び有効性に関わる「契約の尊重」であり、(c)(d) は契約責任に関わるものが含まれている。
二 契約法の国際的潮流
PICC における「契約の尊重」思想は、国際物品売買契約に関する国際連合条約(United Nations Convention on Contracts for the International Sale of Goods : 以下では CISG と略称)を承継したものであり(10) 、さらに、ヨーロッパ契約法原則(Principles of European Contract Law : 以下では PECL と略称)に代表される契約法の国際的調和に向けられた傾向として紹介されている(11) 。そ
こでは、契約の成立及び有効性に関する局面と契約責任に関わる局面に分けて説かれている。その特徴的な規律は、以下の通りである。
1 契約の成立・有効性に関する「契約の尊重」
一般には、契約は、申込みと承諾が主観的にも客観的にも合致した場合にのみ成立すると解されてきた。このようなルールからは、申込みと承諾の内容が完全に一致しなければ契約は成立しないはずである(mirror image rule)。これに対し、申
(8) Bonell, supra note 7, at 102.
(9) Bonell, supra note 7, at 103-126.
(10) 曽野・前掲注 (3)258 頁参照。
(11) 各規律の起草過程及び特質に関しては、円谷・前掲注 (3)25 頁注 (1) 参照。また、Bertram Keller, Favor Contractus Reading the CISG in Favor of the Contract, in : Sharing International Commercial Law across National Boundaries, 2008, p. 247-266.
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込みに対する承諾としてなされた応答が、付加的な条項や申込みと異なる条項を含む場合であっても、申込みの内容を実質的に変更するものでないときは、申込者が異議を述べない限り承諾となり、その変更を加えた内容で契約の成立が認定される
(PICC 2.1.11 条 (2)、CISG 19 条 (2)、PECL 2:208 条 (2))。また、当事者が契約
を締結する意思を有するならば、ある条項の内容を将来の交渉による合意または第三者の決定に委ねたとしても契約の成立は妨げられない(PICC 2.1.14 条 (1)。なお、PECL 6:104 条)。
さらに、原始的不能による契約の無効という制度が排除されることも近時の契約法の特徴である。原始的不能と後発的不能の峻別を否定し、両者を同等に扱うことにより契約の有効性が維持される(PICC 3.1.3 条、CISG 79 条、PECL 4:102条)。
2 契約責任に関する「契約の尊重」
「契約の尊重」という見地からは、解除は不履行に対する最終的な救済手段となる。契約法の国際的調和へ向けられた諸提案は、一方で、解除権行使の中核的要件を
「重大な不履行(fundamental nonperformance)」(PICC 7.3.1 条、PECL 9:301
条 (1))ないしは「重大な契約違反(fundamental breach of contract)」(CISG 25 条、49 条 (1)(a)、64 条 (1)(a))に求めつつ、他方で解除の前提としての履行の猶予期間を設けている(PICC 7.1.5 条、CISG 49 条 (1)(b)、64 条 (1)(b)、PECL 8:106 条)。解除権の行使を重大な不履行(契約違反)が存する場合に限定し、かつ催告解除制度を堅持することにより、両当事者間の契約関係の発展的な維持が図られる。
また、契約の不適合が顕在化した場合、買主には追完請求権が認められるが(CISG 46 条 (2)(3))、売主にも追完権(治癒権)が認められ、解除に優先する(PICC 7.1.4条、CISG 48 条、PECL 8:104 条)。売主も、契約を維持させた上で契約不適合を治癒し反対債権を得ることについての利益を有するが、買主との間の利益調整が問題となる。
事情変更・ハードシップの原則も「契約の尊重」思想に関わるものとして提案されている。すなわち、当事者の履行費用が増大したことにより、または当事者が受領する履行の価値が減少したことにより契約の均衡に重大な変更がもたらされた場合、その効果を解除に限定せず、当事者に対し、変更した事情に当初契約
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の内容を適応させるための再交渉を義務づけるとともに司法的契約改定権を認める(PICC 6.2.2 条、6.2.3 条、PECL 6:111 条)。事情変更・ハードシップにおいては、当事者間に当初の契約関係を自律的に変更・再構成させる形での「契約の尊重」思想が機能する。
三 「契約の尊重」思想の展開
「契約の尊重」思想が、国際的な契約法規律において正当化される理由として、
①契約当事者の利益調整は、当事者外在的な規範によってではなく、当事者が自ら設定した契約規範に準拠して行うべきであるという判断、②ノーマルな商取引においては、商人は多少の誤差を抱えながらも契約関係を形成し、取引を推し進めているという現実認識が存在すること、③契約の履行がある程度行われた段階で、契約を不成立としたり解除する際のコストを生じさせるべきではないという国際取
引に特有の事情、が指摘される(12) 。そして、契約の成立・有効性に関する「契約
の尊重」の場面では、「契約の尊重」と「契約は守られなければならない(pacta sunt servanda)」という原則(以下では「パクタ原則」と略称)との間にズレが生じるが、当事者の合意の有無・内容から切り離して契約の成立・効力を広く認めた上で、紛争解決を志向することになる(13) 。
また、契約責任に関する「契約の尊重」思想に依拠する規律としては、上述したように、解除原因の限定(「重大な不履行(契約違反)」)、催告解除制度の堅持、追完請求権・追完権(治癒権)の承認、事情変更に基づく再交渉義務・契約改定権の導入が挙げられる。ここでは、当初当事者間で合意された契約関係を維持するだけではなく、新しい状況下で当事者に紛争解決へ向けた自律的な交渉が求められる。したがって、この局面においても、当初の契約意思(合意)から乖離した契約規範
(12) 曽野・前掲注 (3)265-266 頁、三枝・前掲注 (5)240-241 頁。
(13) 森田・前掲注 (3)201-202 頁。曽野教授は、契約目的が実質的に達成できることをどのように重視するかによってパクタ原則と「契約の尊重」の調整弁の締め具合が変わるとして、パクタ原則は当事者が締結した「当初契約」の尊重を求めるのに対し、「契約の尊重」は「契約目的」の実現・尊重を求めるものであるとする(曽野・前掲注 (3)267-268 頁)。また、円谷教授は、最終的な合意が成立しないという評価がされる場合であっても、未決定な事項がある場合でも、当事者の意思を考慮して、それが中間的合意または予備的合意として理解できるかを検討すべきであるとする(円谷・前掲注 (3)16-17 頁)。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
が設定されることになる(14) 。
「契約の尊重」思想は、既にローマ法において契約の有効性に関する契約解釈の規律として認められていたようである(15) 。また、上述した国際的な契約法規律(16) の登場以前にも、契約法における判例及び学説等を通じた展開過程において承認されていた(17) 。そして、後述するように、わが国の改正民法においても「契
(14) なお、森田(修)教授は、催告解除制度において「契約の尊重」思想の制度的表現が認められ、履行請求権に契約法規範の中核(履行請求権の第一義姓)が求められるべきであるとする(森田・前掲注 (3)203 頁以下、同『契約責任の法学的構造』(有斐閣、2006)442頁以下)。
(15) ローマ法は、社会生活の全領域を強行法または任意法により細部まで構成するものでは
なかったが、契約当事者の規律プラン(Regelungsplan)が可能な限り維持されており、契約において曖昧な事項に関しては、信義誠実に従って判断され、また、当事者間の交渉を促進させる傾向にあったとされる(Betram Lomfeld, Die Gru¨ nde des Vertrages, 2015, S. 297f.)。
(16) なお、「契約の尊重」思想は、ヨーロッパ私法に関するモデル準則である「共通参照枠草案
(Draft Common Frame of Reference (2009): DCFR)」(Ⅱ.―4:208 条(変更を加えた承諾)、Ⅱ.―7:102 条(原始的不能及び財産処分の権利または権限の不存在)、Ⅲ.―1:110条(事情変更を理由とする裁判所による変更または解消)、Ⅲ.―3:103 条(履行のための付加期間を定める通知)、Ⅲ.―3:201 条 3:205 条(債務者による不適合履行の追完)、
Ⅲ.―3:502 条(重大な不履行に基づく解除)など。窪田=潮見=中田他(監訳)『ヨーロッパ私法の原則・定義・モデル準則 共通参照枠草案(DCFR)』(法律文化社、2013)参照)、契約法の統一へ向けた提案である「共通欧州売買法提案(Proposal for a Common European Sales Law (2011): CESL)」(38 条(変更された承諾)、88 条(免責された不履行)、89 条(事情変更)、109 条(売主による治癒)、110 条(売主の債務に関する履行の請求)、111 条(修補と取換えに関する消費者の選択)、134 条(重大な不履行による解除)など。内田=石川他(訳)『共通欧州売買法(草案) 共通欧州売買法に関する欧州議会および欧州理事会規則のための提案(別冊 NBL140 号)』(商事法務、2012)、山田到史子
「共通ヨーロッパ売買法提案(Proposal for a Common European Sales Law)の概要
―1980 年国際動産売買契約に関する国連条約との比較において」法と政治 63 巻 1 号(2012) 71 頁以下参照)にもみられる。
また、2002 年施行のドイツ債務法現代化法(BGB)(311a 条(契約締結の際の給付妨害)、313 条(行為基礎の障害)、323 条(不給付または債務の本旨に従ってなされなかった給付による解除)、439 条(第 2 次履行)など)、及び 2016 年改正のフランス債務法
(1195 条(事情変更)、1224 条(重大な不履行による解除)など。フランス債務法と PECLの「契約の尊重」思想との関係に関しては、Claude Witz, Franzo¨sisches Schuldrecht und Principles of European Contract Law : Gemeinsamkeiten und Unterschiede,
ZEup 2004, S. 506f. 参照)にも規定が置かれている。
(17) 円谷・前掲注 (3)4 頁(Friedrich Kessler / Edith Fine, CULPA IN CONTRAHENDO, BARGAINING IN GOOD FAITH, AND FREEDOM OF CONTRACT : COMPARATIVE STUDY, 77 Harvard Law Review 401, 1964. を素材としてあげる)。
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約の尊重」を体現する制度が設けられた(18) 。
Ⅲ 日本法における「契約の尊重」思想
一 現行民法における契約法規範
1 民法規定
現行民法において、表面的・部分的ではあっても、当初の契約関係の尊重・維持を指向する契約法規定が散見できる。例えば、523 条は、承諾期間の定めのある申込みにおいて、遅延した承諾の効力を否定せずに新たな申込みとみなす。同様に、 528 条は、申込みに変更を加えた承諾に関して、新たな申込みとしての効力を維持する。いずれも、遅延した承諾または申込みに変更を加えた内容での契約の成立を直接に認定するものではないが、契約の成立を指向するものとして「契約の尊重」思想に通じる規定だといえよう。
541 条は、履行遅滞等の解除に関し、解除権者に本来的な履行請求権(催告)を課して契約関係を維持しており、また、契約期間満了後における従前の契約関係更新の推定規定(619 条、629 条)もみられる。さらに、請負人の瑕疵担保責任に関しては、既に「契約の尊重」思想を具体化する規定が置かれている。注文者による瑕疵修補請求を通して契約関係の存続を図り(634 条 1 項)、建物その他の土地の工作物につき、その瑕疵を理由とする解除を否定する(635 条)(19) 。
なお、法律行為法の代理制度にも、無権代理に関してその効力を否定せずに、一
また、アメリカ統一商事法典(Uniform Commercial Code : UCC)第 2 編(売買)の改正作業における「契約の尊重」に関しては、三枝・前掲注 (5)191 頁以下参照(なお、解除原因の限定化(重大な不履行)は放棄され、売主の追完権が部分的に実現するに留まったとする)。
(18) 円谷教授は、民事的な契約を論じるにあたっても「契約の尊重」を論じる意義があり、重
要なことは、その契約の趣旨に従ってどの程度契約を尊重することが信義に適っているかであるとする(円谷・前掲注 (3)6 頁)。
(19) ただし、建替費用相当額の損害賠償が認められる場合には(大阪地判昭 59・12・26 判
タ 548 号 181 頁、東京地判平 3・12・25 判時 1434 号 90 頁、札幌地裁小樽支判平 12・ 2・8 判タ 1089 号 180 頁、長崎地裁大村支判平 12・12・22 判他 1109 号 66 頁、最三小判平 14・9・24 判時 1801 号 77 頁など)、同条の存在意義が問題となり得る。なお、請負人の瑕疵担保責任の法的性質に関しては、拙著・前掲注 (1)367 頁以下参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
定の要件の下で有権代理に転換する表見代理法理(109 条・110 条・112 条)や追認による有権代理化(113 条 1 項)など、「契約の尊重」思想に関わるとも思われる規定がある。
2 学説・判例における契約法理
いわゆる「契約締結上の過失責任」論において、契約交渉段階における契約関係類似の法律関係を認定し、債務不履行ルールによる処理を志向する場合には、契約成立における「契約の尊重」思想に親和的であるといえる(20) 。今回の民法改正に向けた中間試案においても、契約交渉の不当破棄や契約締結過程における情報提供義務違反による損害賠償責任に関する規律が予定されたが(21) 、改正法には採用されなかった。
また、いわゆる「契約終了後の過失責任」(契約義務の余後効)論においては、契約終了後の競業避止義務、守秘義務、説明義務違反等が問題とされる。これらの場面では、当初の契約関係の継続・変容、あるいは、それとは異なる新たな債務関係の成立可能性が議論されるが(22) 、ここでも契約関係の「延長」が焦点となり、
「契約の尊重」思想が問われることになる。
契約解除に関しては、法定解除(541 条以下)につき、債務不履行責任の一効果とみるのか、あるいは、債権者の契約関係(契約の拘束力)からの解放手段とみるべきかが、債務者の帰責事由の要否を問題とする形で議論されてきた。そして、解除権の発生要件として「契約目的の達成不能」や「重大な不履行(契約違反)」に関連づける見解も表明され、「契約の尊重」思想を前提とする議論がある。その成果は、後述するように、改正民法の規定に反映されている。
また、不完全履行論及び売主の瑕疵担保責任論において、追完請求権(完全履行請求権)に関して瑕疵修補請求権(さらに代物請求権)の認否をめぐり議論されてきた(23) 。瑕疵担保責任につき債務不履行責任説(契約責任説)に立つ見解は、瑕疵修補請求権を不完全履行責任に対する救済手段として認め、法定責任説では特定
(20) 「契約締結上の過失責任」をめぐる議論状況に関しては、潮見佳男『新債権総論Ⅰ』(信山社、2017)118 頁以下参照。
(21) 商事法務編『民法(債権関係)の改正に関する中間試案(概要付き)(別冊 NBL143 号)』
(商事法務、2013)120-121 頁参照。
(22) 蓮田哲也「契約責任の時間的延長に関する一考察(1)―契約余後効論を素材にして―」白鴎法学 24 巻 3 号(2018)133 頁以下参照。
(23) 売主瑕疵担保責任をめぐる議論状況に関しては、拙著・前掲注 (1)335 頁以下参照。
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物ドグマにより否定されることになるが、黙示の特約・商慣習、さらには当事者の合理的意思解釈という構成で例外的に認める見解(24) もある。追完請求権に関しては、本来的な履行請求権との関係も問題となるが(25) 、後述するように、改正法は、売主の契約不適合責任に関する一効果として規定を設け(改正 562 条)、「契約の尊重」思想が具体化された。
さらに、事情変更の原則に関して当事者の再交渉義務や契約改定権など、「契約の尊重」思想を前提とした議論がなされ、今回の民法改正論議においても、事情変更の原則規定を設けることの当否が論点とされた(26) 。また、賃貸借契約をはじめとする継続的契約における、解除権の発生要件としてのいわゆる「信頼関係の破
壊」の有無に関する判例法理も「契約の尊重」思想を具現するものである。
二 改正民法(契約債権法)の基本原則
1 「合意原則」の提唱
⑴ 契約内容の確定(「合意原則」)
今回の改正においては、改正の目的・理念・原則などの大局的な観点に関して、広く共通の理解を得ることを出発点とするものであったとは言い難い(27) 。しかし、改正民法は、「債権」という抽象的概念を維持した上で、契約から生じた債権
(契約債権)を中心とする債権法の構築を目指した(28) 。
(24) 下森定「不完全履行と瑕疵担保責任―不代替的特定物売買における瑕疵修補請求権を中心に―」星野=森嶌編『加藤古稀・現代社会と民法学の動向 下』(有斐閣、1992)338 頁。
(25) 山本豊「契約責任論の新展開(その 3)―追完請求権と追完権」法学教室 345 号(2009)
112-113 頁。
(26) 中村肇「事情変更の原則規定案における問題点―効果論を中心にして―」円谷編著『社会の変容と民法典』(誠文堂、2010)329 頁以下(「契約の尊重」に関しては 342-345 頁)。
(27) 前述したCISG がわが国の契約法の現代化を考える上でのモデルになったとの評価に関
しても賛否がある。その意義を評価する見解(中田邦博「契約法の国際化と日本法」ジュリスト 1414 号(2011)114 頁以下)がある一方で、CISG は国内契約法を調和させるために発案されたものではなく(アメリカでは、国際取引のための CISG と国内取引のための州契約法が共存する)、それに依った民法改正を疑問視する見解(角紀代恵「債権法改正の必要性を問う―『契約ルールの世界的・地域的統一化』への批判を中心に」法律時報 82 巻 2 号(2010)74 頁以下、ジェラルド・マクリン(渡辺修一郎訳)「ウィーン売買条約等の国際取引法は、国内民法の改正に影響を与えるべきなのか」法律時報 84 巻 5 号(2012) 124 頁以下)も有力であった。
なお、民法(債権法)改正の経緯に関しては、拙著・前掲注 (1)421 頁以下参照。
(28) 民法(債権法)改正検討委員会編『債権法改正の基本方針(別冊 NBL126 号)』(商事法
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
契約の効力を債権法の中心概念に据えるときには、「契約内容の確定」ルールが問題となる。そこで、契約内容に関する基本原則とされたのが「合意原則」であり、これは「契約の当事者は、互いに合意したことに拘束される」という積極的側面と、「契約の当事者は、本法その他の法律の定めに基づく場合を除き、互いに合意していないときには拘束されない」という消極的側面を有している。このように、合意したことは守らなければならないけれども、合意していないことは特別な理由がない限り守る必要はないというのが、市民社会の根本原則であることを認めるならば、それを法体系の基本思想・基本原理として周知・徹底すべきであること
が主張された(29) 。
つまり、改正民法は、契約締結当時の「当事者の合意」に依拠して「契約内容の確定」を行い、そこから当事者間の権利義務関係(=契約規範)を定立することを原則とする。
⑵ 「合意原則」の射程
もっとも、「合意原則」に関しては、契約規範の定立に際し合意をどこまで優先させるべきか(信義則を媒介とした権利義務関係の創設を認めないのか)、また、合意は明示的な場合にのみ認められるのか(客観的な状況や法典の規定等は参酌されないのか)などが議論された(30) 。例えば、「原始的不能の給付を目的とする契約」の効力については(改正民法 412 条の 2 に関しては後述)、「合意原則」からは、契約締結に際し両当事者が契約の対象や給付の可能性についてどのような評価を下し、どのようなリスク負担を想定したのかが出発点となり、原始的不能の処理
を当事者の意思ないし評価に基づくリスク配分に依らしめるという思考様式としてあらわれる(31) 。これに対し、契約交渉過程の義務については、「合意原則」から正当化することは困難であり、契約成立後の義務も、特に雇用契約上の安全配慮義務その他の保護義務の存立認定に関しては、信義則が合意内容を補完する形で機能することになる(32) 。
務、2009)12 頁。
(29) 内田=大村他「特別座談会 債権法の改正に向けて(上)―民法改正委員会の議論の状況」ジュリスト 1307 号(2006)119-121 頁(山本敬三発言)。
(30) 内田=大村他・前掲注 (29)125-127 頁(鎌田薫・山本敬三発言)。
(31) 内田=大村他・前掲注 (29)121-122 頁(潮見佳男発言)。
(32) 内田=大村他・前掲注 (29)123-124 頁参照(潮見佳男発言。もっとも、履行過程での当事者の態度や配慮されるべき権利・利益に関して、当事者が締結した契約の具体的内容
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
また、契約債権法において「合意原則」が強調されること(合意重視)に対する懸念は、当初から実務家を中心に指摘されていた。例えば、債務不履行による損害賠償の免責事由に関して、交渉力の強い当事者(大企業)により過度な免責条項が押し入りされる事態を招きかねないとの批判である(33) 。
そうすると、「合意原則」とは、いわば裸の合意を意味するものではなく、契約の解釈という操作を通して明らかにされる合意が規準となり、問題に応じて合意以外の事実や規範の要素をも適切に取り込むことを予定する概念として理解される(34) 。これまでも、一般に、契約内容の確定は当事者の自律的な合意の確定(自
律的決定)のみならず、信義則等による他律的規範による補充(他律的決定)という 2 つの作業からなされるものとして理解されており(二元的構成)、この点は、民法改正論議においても異論はなかったようである(35) 。したがって、ここでの議
論は、自律的決定と他律的決定のいずれに重点を置いて契約法規範を捉えるべきか、という問題に帰着する。
2 「合意原則」と「契約の尊重」思想
⑴ 「合意原則」と契約責任規範(「契約の拘束力」)
契約法規範、とりわけ契約責任規範も「合意原則」から位置づけられている。「契約の尊重」思想が機能する具体的な場面の多くは契約責任領域に関わるが、ここでは、契約責任規範の存立根拠に関する理論動向を整理しておきたい。
から判断されるという意味では「合意原則」が機能する)。
(33) 大阪弁護士会『実務家からみた民法改正―「債権法改正の基本方針」に対する意見書(別冊 NBL131 号)』(商事法務、2009)92 頁以下、佐瀬=良永他編『〔現行法との対照表付〕民法(債権法)改正の論点―改正提案のポイントと実務家の視点』(ぎょうせい、2010)123頁以下など。
(34) 中田裕康「民法(債権法)改正と契約の自由」法の支配 156 号(2010)38-39 頁、同「債
権法における合意の意義」新世代法政策学研究 8 号(2010)1 頁以下参照。なお、前掲注 (30) 参照。
また、加藤教授は、契約当事者の意思表示のみならず、信義則も内包した誠意契約的解釈を前提にすると、すべてが契約合意から導かれる単層的な契約ないし債権構造という理解が生まれるとする(原始的不能、不完全履行、付随義務、安全配慮義務等の概念を立てる必要はなく、履行強制も、それに馴染むか馴染みにくいかという債務の程度の差があるにすぎない)(加藤雅信『新民法大系Ⅲ 債権総論』(有斐閣、2005)62-67 頁。なお、同『新民法大系Ⅰ 民法総則(第 2 版)』(有斐閣、2005)264 頁以下(「三層的法律
行為論」)も参照)。
(35) 内田=大村他・前掲注 (29)126-127 頁、「シンポジウム 契約責任論の再構築」私法 69 号
(2007)19-21 頁の山本敬三発言参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
伝統的理論は、契約責任を債権・債務の問題としてきた(36) 。すなわち、契約によって債権・債務が発生するとした上で、契約責任を「債務の不履行」と構成し、それを遅滞・不能・不完全履行に三分する理論を立ててきた。そして、債権は、特定の人に特定の行為をなさしめる権利として理解され、その意味で履行請求権は債権の本来的効果であり、債権から直接に帰責事由(過失)を要せずに基礎づけられる権利とされる。これに対し、損害賠償責任は債権そのものの内容を構成しないから、別の根拠として過失責任の原則(過失責任主義)を根拠に導かれるものとして
理解されてきた(37) 。契約解除も損害賠償と同じく、過失責任に基礎づけられた責
任として捉えられる。
そのような中、改正民法は、契約責任の問題を債権・債務の発生原因である契約に接合させて構成し、債務不履行による損害賠償も「契約の拘束力」(「契約は守られなければならない」(パクタ原則))から導き、伝統的な過失責任主義を放棄する。つまり、債務者が責任を負う理由は、契約により約束した債務の履行を
しないという「契約の拘束力」に求められ、行動の自由の保障を基礎に据えた伝統的な過失責任主義を根拠とするものではないとされる(38) 。このような理解は、 1990 年代半ば以降の新たな契約責任論(以下では、「新理論」と称しておく)の主張(39) に基づくものであり、損害賠償も解除も「契約の拘束力」から導かれ、履行
請求権についてもこれらに並ぶものとして捉える考え方が説かれている。新理論は、前述した近時の国際的な契約法の潮流(CISG、PICC、PECL など)を背景とする理解であり、契約で引き受けた債務が履行されなければ賠償責任は免れないのを原則とし、それが契約の想定外のリスクが原因となって生じた場合には例外として免責が認められる(40) 。
(36) 山本敬三「契約の拘束力と契約責任論の展開」ジュリスト 1318 号(2006)87-91 頁参照。
(37) なお、伝統的理解からは、損害賠償請求権は本来的債権とは同一性を有しない別個の債
権として位置づけられるはずであるが、一般的には、その同一性を肯定してきた(本来的債権の「損害賠償請求権への転化」とも称される)。
(38) 潮見佳男「債権法改正と債務不履行の『帰責事由』」法曹時報 68 巻 3 号(2016)5 頁、8頁、山本敬三「契約責任法の改正―民法改正案の概要とその趣旨」同 68 巻 5 号(2016)11頁。
(39) 山本・前掲注 (36)91 頁以下、潮見佳男「総論―契約責任論の現状と課題」ジュリスト 1318
号(2006)81 頁以下、同「債務不履行の救済手段」法律のひろば 62 巻 10 号(2009)10
頁以下など。
(40) 改正民法 415 条の規定構造に関しては、拙稿「ドイツ給付障害法における損害賠償の帰責
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
「契約の拘束力」を契約責任の基礎に据えるときには、契約内容をどのように確定するかが問題となる。そして、それは契約締結時の当事者の合意に依拠して確定されるべきであるとすると、「合意原則」に接合する。もっとも、ここでも当事者の自律的な合意の確定と他律的な規範による補充という 2 つの作業により、契約リ
スクの配分のあり方が決定される(41) 。
また、このような理解は、契約という行為の性質及び典型契約制度の意義をどのように考えるべきなのかという問題にも関わる。すなわち、契約という行為は、当該契約制度を構成する諸ルールによって内容が規定された「制度的行為」であり、契約内容は、当事者の自律的な合意の確定と、契約制度を構成する他律的な規範の
適用が一体となって明らかになるとの主張である(42) 。これは、典型契約の意義・
機能を積極的に評価する見解であり、今日の有力説でもある(43) 。このように、「合意」及び「契約」の理解は、典型契約制度の評価にも関わることになる(44) 。
⑵ 「契約の尊重」思想の位置づけ
債権法改正の問題群を抽象化すれば、「契約の尊重」問題に集約されるといわれるが(45) 、「合意原則」、「契約の拘束力」の意味と、その「契約の尊重」思想との関係については必ずしも明らかだとはいえない。
「合意原則」は、「契約自由の原則」を当然の前提とするものであり、改正法が、近代民法の大原則を明示的に宣言することによって(改正 521 条)、その実質化へ
構造(1()2()3・完)―改正日本民法 415 条の構造把握へ向けた理論的示唆―」本誌 90 巻 2・ 3 合併号(2017)277 頁以下、同 90 巻 6 号(2018)131 頁以下、同 91 巻 1 号(2018)
225 頁以下参照。
(41) 山本・前掲注 (36)99 頁以下、吉田克己「民法改正と民法の基本原理―民法(債権法)改正検討委員会『債権法改正の基本方針』をめぐって―」法律時報 82 巻 10 号(2010)10 頁以下参照(吉田教授は、新理論を「〈債権パラダイム〉を踏まえた〈債務不履行パラダイム〉から〈契約パラダイム〉を前提とする〈契約責任パラダイム〉へのシフト」と表現する)。
(42) 前掲注 (35) 私法 15-16 頁(山本敬三発言)、山本・前掲注 (36)101-102 頁。
(43) 拙稿「典型契約・冒頭規定の強行法性」椿編著『民法における強行法・任意法』(日本評論社、2015)227 頁以下参照。
(44) 「合意」は当事者が設定した規範に関する問題とみるのか、あるいは、典型契約規範に関
する問題とみるのか、また、「契約」は純然たる当事者の合意とみるのか、あるいは、一定のカテゴリ―にある類型的存在とみるのか、という問題が浮上する。なお、石川博康
「コメント 合意原則と典型契約制度の原理的関係について」ジュリスト 1307 号(2006) 129 頁、同『「契約の本性」の法理論』(有斐閣、2010)505 頁以下参照。
(45) 森田・前掲注 (3)199 頁。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
の配慮がなされている点に現代的意義が認められると評価される(46) 。また、上述したように、契約責任の根拠原則とされる「契約の拘束力」は、「合意は守られなければならない」というパクタ原則を具現するものであり、「合意原則」にも接合する(47) 。もっとも、合意重視の度合ないし他律的規範との関係については議論が
ある。
そして、「契約の尊重」は、「契約の拘束力」から導かれる考え方であると説かれている(48) 。すなわち、「契約の尊重」というのは、契約責任の問題を債務の発生原因である契約に接合して構成し、履行請求権と債務不履行による損害賠償、さら
に解除も「契約の拘束力」から導かれるとする考え方である。具体的には、履行請求権は、その発生も範囲も契約の拘束力が認められる射程により決まり、損害賠償も、その根拠は契約の拘束力に求められ、債権者がその契約によって得ることができた利益が賠償される。また、解除も、契約により予定された利益の取得が望めなくなった場合には契約の拘束力を認める意味がなくなることに基づく。
確かに、「契約の尊重」は、責任規範の根拠原則である「契約の拘束力」を具現する考え方であるとはいえるであろうが、それだけでは思想の内容は明らかとはならないように思われる。「契約の尊重」は、契約法全体に通有の原理であるとはいい難く、個別の領域(契約法規律)において機能する思想であるといえる。また、
「契約の尊重」思想は、契約関係の維持・確保という法的処理を指向するものであるとしても、それは一義的に定まるものではなく、対象となる個々の法理の趣旨及びそこでの具体的な状況に即応した処理を要するものである。しかも、当初契約意思に厳格に拘束されるものでもなく、債権者・債務者間での利益調整に配慮した契約規範に優位を付与する点でも多義的な思想だといえよう。
そこで、以下では、個別の契約法理を取り上げる中で、改めて「契約の尊重」思想の意義・機能について検討したい。
(46) 吉田・前掲注 (41)10-11 頁、また、中田・前掲注 (34)「債権法における合意の意義」6 頁参照。
(47) 当事者の合意(意思)を尊重する正当化根拠は「契約自由の原則」・「私的自治の原則」に
求められ、「契約の拘束力」と関連づけられて議論される。そして、「契約の拘束力」の根拠規範としてパクタ原則が説かれる(星野英一「現代における契約」同『民法論集 第 3巻』(有斐閣、1972〔初出 1966〕)20 頁以下参照)。
(48) 山本・前掲注(38)3-4 頁。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
三 「契約の尊重」思想の対象領域
はじめに述べたように、国際的な契約法規律において、契約の成立・有効性及び契約責任に関して「契約の尊重」思想が機能する諸場面が明らかにされている。以下では、わが国の改正民法において同様の法的処理が予想できる具体的な規定を取り上げたい。
1 改正民法 412 条の 2 第 2 項(原始的不能)
改正 412 条の 2 第 2 項は、原始的不能に関するルールとして、伝統的な通説とは異なり、「契約に基づく債務の履行がその契約の締結時に不能であったことが、その効力の妨げにはならない」との考え方を提示する。そして、その代表的な法的効果として、「契約に基づく債務の履行がその契約の成立のときに不能であったことは、その債務の履行が不能であることによって生じた損害の賠償を請求するこ
とを妨げないこと」を明記する(49) 。債務不履行を理由とする損害賠償(改正 415
条)、いわゆる履行利益の賠償を条文上表記した(50) 。この場合、債務者の帰責事由を要件とするが、それは「不能を生じさせたこと」についての帰責事由ではなく、「不能な契約を締結させたこと」についての帰責事由が問題となる(51) 。
伝統的通説は、ドイツ民法(BGB)の影響を受けて、原始的に不能な給付を目的とする契約は無効であるが(旧 BGB306 条)、契約締結上の過失責任、すなわち過失によって無効な契約を締結した者は、相手方がその契約を有効なものと誤信したことによって被る損害を賠償(信頼利益賠償)する責任がある(旧 BGB307 条)と解してきた(52) 。しかし、2002 年施行のドイツ債務法現代化法は、原始的に不能な給付を目的とする契約は有効であり、しかも給付に代わる損害賠償(Schadensersatz statt der Leisrung)義務を負うとする規定(BGB311a 条)を設けた。
契約が有効であるとすると、原始的不能による損害賠償の帰責根拠をどのように考えるかが問題となる。従来の見解と同じように契約締結上の過失によるものなのか、あるいは、契約が有効となるから給付義務に違反したことによるものなの
(49) 法制審民法(債権関係)部会資料 83-2「民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案(案)補足説明」35 頁。
(50) 潮見佳男『民法(債権関係)改正法の概要』(きんざい、2017)62 頁。
(51) 中田=大村他『講義 債権法改正』(商事法務、2017)63 頁、66 頁(道垣内弘人執筆)。
(52) 我妻榮『債権各論 上巻』(岩波書店、1954)38 頁以下、80 頁以下参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
か、BGB は論理的な整合性を保てるのかなど議論がある(53) 。同様に、わが国の改正 412 条の 2 第 2 項に関しても、損害賠償責任の帰責根拠は明確ではなく、原始的不能と後発的不能を一元化する場合には、わが国における債務不履行の帰責根拠を根本から変更する「時限爆弾」ではないか、との痛烈な批判もある(54) 。
これまでの伝統的な理解では、契約内容が確定された場合でも、その実現が不可能である場合には、その契約は無効であるとされる。つまり、契約が成立すべき時点において、既に契約内容が不能であるならば(原始的不能)、その契約ははじめから不能である、という意味である。これに対し、契約が成立した時点以降において、契約の履行が不能となった場合には(後発的不能)、契約は無効となることはない。その履行不能が債務者の責めに帰すべき事由によるものであるか否かにより、債務不履行としての履行不能、または危険負担の問題として処理してきた。
そこで、改正法は、前述したように、原始的に不能な給付を目的とする契約も有効であるとする国際的な契約法統合の動向にも合致している。契約の成立・有効性に関する「契約の尊重」場面である。改正法が、契約の有効要件である「契約内容が可能なこと」に関して、原始的不能と後発的不能の峻別を排除したことは、契約の有効性判断を当事者の意思(合意)に委ねるものであり、「合意原則」から根拠づけることができる。また、その事後的処理は債務不履行ルールに依拠しており、契約当事者によるリスク配分を尊重する「契約の拘束力」原則にも整合する。なお、改正法における損害賠償責任の帰責根拠に関しては、今後、法律行為法・責任法において議論されることになろう。
2 改正民法 541 条・542 条(契約の解除)
⑴ 解除法理の変革
伝統的通説(55) は、契約の法定解除を損害賠償と同じ債務不履行の効果として位置づけ、債権者が契約を解除するためには、債務者の帰責事由の存在が要件となるものと解してきた。現行 415 条に損害賠償、同 543 条に解除の要件としての債務者の帰責事由が明記され、それは過失責任主義を意味するものと解されてきた。そし
(53) 田中教雄「原始的不能による損害賠償について―ドイツ民法三一一 a 条の立法過程を手がかりにして―」法政研究 72 巻 3 号(2006)301 頁以下、特に 322 頁以下参照。
(54) 角紀代恵「債権法改正案について―原始的不能概念の廃棄を中心に―」金井=土田他編『舟
田古稀・経済法の現代的課題』(有斐閣、2017)131-133 頁。
(55) 我妻・前掲注 (52)151 頁以下参照。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
て、現行規定は、債務不履行の態様に応じた条文を設け、催告及び催告期間を要件 とする解除(現行 541 条)と無催告での解除(現行 542 条、543 条)を定めている。これに対し、改正法は、契約の解除は不履行につき帰責性を有する債務者に対す る制裁ではなく、債務の履行を得られなかった債権者を契約の拘束力から解放するための手段であるとして、近時の有力説を採用する(56) 。そして、後述するように、債務者の帰責事由の有無に代えて、債務不履行の「軽微」性と「契約目的の達
成」の有無が解除の可否を決定づける。
改正法は、「催告による解除」(改正 541 条)と「催告によらない解除」(改正 542条)の 2 箇条のみを設け、後者では、さらに債務の全部の解除と一部解除に細分して規定する。改正 541 条本文は現行 541 条と同じであるが、そのただし書では、催告期間経過時点での不履行の「軽微」性が解除権の発生を阻却する旨を定める。また、改正 542 条は、無催告解除が認められる新たな類型として、債務者による明確な履行拒絶がある場合(1 項 2 号)と、債務の一部の履行不能または一部の履行拒絶により、残存する部分だけでは債権者が契約をした目的を達成できない場合
(1 項 3 号)を定める。さらに、改正 542 条 2 項 2 号は、債務の一部の履行拒絶による当該部分の解除について定める。そして、改正 542 条 1 項 5 号が、債権者が
「契約をした目的を達するのに足りる履行がされる見込みがないこと」が同条に通底する解除原因であることを定めている。
⑵ 解除権の発生要件
改正法は、催告期間の経過時における「軽微」でない債務不履行(改正 541 条。履行不能、履行拒絶を含む)と、債権者が契約目的を達することができないこと
(改正 542 条)が、解除権の発生要件となる。
債務の不履行が「軽微」でないこと(改正 541 条)とは、債務の不履行による解除が認められるためには、いわゆる「付随的義務」の不履行では足りず、「要素たる債務」の不履行が必要であるとの判例法理(最三小判昭 36・11・21 民集 15巻 10 号 2507 頁、最二小判昭 43・2・23 民集 22 巻 2 号 281 頁等)を明文化する
(56) なお、解除制度の改正に関しては懐疑的な見解も表明されていた。北居教授は、現行法上の解除制度の根本的な構造改革を迫る積極的な不都合はなく、現行 541 条を包括的な債務不履行解除に関する原則規定と理解する解釈理論の確立を前提とした上で、現行解除制度に若干の修正を試みる方向が妥当であるとした(北居功「債務不履行に基づく解除権の要件」円谷編著『民法改正案の検討 第 1 巻』(成文堂、2013)65-66 頁))。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
ものである。そして、契約をした目的を達することができる場合であっても、債務の不履行が軽微であるとはいえないときは催告解除できると説明されている(57) 。つまり、債務の不履行が軽微でない場合というのは、債務不履行が契約目的の達成を不可能にする程度に至る場合を含み、それ以上に広い要件となる。
しかし、このような考え方に対しては批判もある。まず、従来の判例は、催告・無催告解除を問わず、契約目的の達成を不可能とする(ないしは契約目的の達成に重大な影響を与える)ような債務不履行(「要素たる債務」の不履行)があったことが共通の要件とされてきたが、改正法の考え方は判例法理を変更するものであ
り、民法改正の趣旨に沿うものではないと批判される(58) 。また、例えば、債務者
が催告に応答しない場合には軽微性の規準で解除の可否が判断されるのに対して、債務者が明確な履行拒絶をした場合には契約目的の達成不能との規準で解除の可否が判断されることになり、体系的に一貫性を欠くのではないかという疑問も表明される(59) 。したがって、債務不履行の「軽微」性は、契約目的の達成可能性との関係で考えられるべきであるとの見解も出てくる(60) 。
そこで、催告解除(改正 541 条)と無催告解除(改正 542 条)の関係が問題となるが、それは解除制度そのものの理解にも関わる。一方で、改正法は、催告解除と無催告解除の異なる正当化根拠に基づく二元的な制度を採用したと解する方向が
(57) 法制審民法(債権関係)部会資料 79-3「民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案の原案(その 1)補足説明」13-14 頁、筒井健夫=村松秀樹『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務、2018)236 頁注 (2)。
なお、解除権の発生要件に関する法制審での審議及び改正論議の詳細に関しては、杉本好央「民法改正案における法定解除制度の諸相―客観的要件論を中心に―」龍谷法学 49巻 4 号(2017)363 頁以下、森田修「解除と危険負担:要件論を中心に(その 2)」法学教室 453 号(2018)78 頁以下参照。
(58) 渡辺達徳「民法改正案における契約解除規定の要件に関する覚書―新五四一条及び新五四二
条の検討を中心として―」法学新報 123 巻 5・6 号(2016)916 頁、田中洋「要素たる債務と付随的義務」法学教室 454 号(2018)36 頁以下など。
(59) 潮見・前掲注 (20)559 頁注 (13)。なお、田中・前掲注 (58)38-39 頁参照。
(60) 道垣内・前掲注 (51)83 頁、田中・前掲注 (58)39 頁、松井和彦「付随的な義務の不履行と契約の解除」法律時報 90 巻 7 号(2018)106 頁など。なお、潮見教授は、不履行が「軽微」か否かは、債務者の追完・追履行に要するコストと、相当期間経過後の本旨に従った履行を受けられないことによる債権者の不利益を比較衡量したとき、履行の追完・追履行に過分の費用を要するため、契約の拘束から離脱することに向けられた債権者の解除の主張が過大なものと評価されるかどうかから判断するのが適切であるとする(潮見・前掲注 (50)240-241 頁)。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
考えられる(61) 。催告解除は「軽微」でない債務不履行を要件とするのに対し、無催告解除は契約目的の達成を不可能にする債務不履行をもって正当化される。しかし、このような理解に対しては、上述したような批判説も有力であり、なぜ両者において債権者が契約の拘束力から解放される要件が異なるかは判然としない。そこで、もう一方で、催告解除における不履行の「軽微」性の判断は契約目的の達成の可否が重要な考慮要素であるとして、解除制度を一元化して捉える方向も考えられる。そして、ここでは両者に共通の理論的基礎として、前述した国際取引法規
律にみられた「重大な不履行(契約違反)」概念を立てる見解(62) がある。
⑶ 契約の解除と「契約の尊重」思想
今日、解除は、契約の拘束力から債権者を解放する手段であること自体については、ほぼ異論はみられない。それは、債務不履行により債権者にとっては合理的にみてもはや契約を維持することの利益ないし期待を失っている事態であるからである。このような観点からは、契約関係を当事者の意思(当事者が設定した規範)を起点に構築しようとの思想が浮き彫りとなる。したがって、債務不履行があることにより、直ちに契約の拘束力からの解放(離脱)を債権者に認めるのは相当では
ない(63) 。また、解除権の発生要件を考えるに際しては、債務者の事情にも配慮す
べきことも指摘される(64) 。
このような理解において、「契約の尊重」思想との接点が認められるように思わ
(61) 田中・前掲注 (58)39 頁、横山美夏「契約の解除」法律時報 86 巻 12 号(2014)33-34 頁参照。
(62) 潮見・前掲注 (20)556-557 頁、同・前掲注 (50)241 頁、渡辺・前掲注 (58)917 頁。これに
対し、「重大な不履行」という概念は抽象的・規範的であり、具体的な判断指針として明確性を欠くとの危惧も表明されている(北居・前掲注 (56)84 頁、鹿野菜穂子「契約解除と危険負担―解除の要件論を中心に―」円谷編著『社会の変容と民法典』(成文堂、2010) 356 頁)。
(63) 潮見教授は、契約の有効性を否定する理由がないにもかかわらず、自己決定に基づき契
約の拘束力が生じた状態から契約当事者を解放するには、それなりの理由(重大な契約違反(不履行))が必要であるとする(潮見・前掲注 (20)556 頁)。
(64) 鹿野教授は、解除の要件は、当事者の利益の比較衡量に基づくものであり、不履行の被害
を受けた債権者の利益が損害賠償または代金減額などの手段によって十分に保護されるときには契約の解除は避けられるべきという考慮が基礎に存するとする。また、CISG、 PICC、PECL においては、「重大な不履行(契約違反)」の判断に際し、不履行の結果に対する債務者側の予見可能性を考慮に入れていることを指摘する(鹿野・前掲注 (62)351頁以下)。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
れる。そこで、催告解除(改正 541 条)と無催告解除(改正 542 条)とで「契約の尊重」はどのように理解できるであろうか。上述の理解からは、解除制度は、一方で、債務不履行という事態から債権者を直ちに解放すべきとの要請と、他方で、債務不履行があったからといって直ちに契約の拘束力からの解放を認めるべきではないとの要請の、二律背反的な要素を具有しているといえるであろう(65) 。無催告
解除においては、契約からの債権者の離脱が正当化されない限り、当初契約関係は維持されることになる。これに対し、催告解除においては、「契約の尊重」は当初契約関係の維持に尽きるものではなく、催告後の当事者の具体的な行為評価という形であらわれることになる。
3 改正民法 562 条(買主の追完請求権)
⑴ 瑕疵担保責任と瑕疵修補請求権
改正 562 条は、引き渡された売買目的物の種類、品質、数量が契約内容に適合しない場合に、買主に追完請求権を認める。前述したように、国際的な契約法規律においても、買主の追完請求権及び売主の追完権(治癒権)に関する規定がみられる。
わが国においては、追完請求権に関しては瑕疵担保責任(現行 570 条)に対す
る救済手段の 1 つとなる瑕疵修補請求権の認否をめぐり議論されてきた問題である(66) 。周知の通り、法定責任説は、売主の給付義務は特定物の瑕疵あるがままの
状態での給付に尽きること(特定物ドグマ)を主張して、瑕疵担保責任を売買の有償性と買主の信頼を保護するために売主に課される法定の無過失責任であると解してきた。そして、基本的には、特定物ドグマにより瑕疵なき給付義務を認めない法定責任説では、買主の瑕疵修補請求権は認められない。ただし、前述したように、法定責任説においても(特定物ドグマを克服する見解は勿論のこと)、特約や信義則に基づく修補請求権を認める。また、判例(最二小判昭 36・12・15 民集 15 巻 11 号 2852 頁)は、種類物売買の買主は、受領したとしても、瑕疵の存在を認識した上でこれを履行として認容し、売主に対し瑕疵担保責任を問うなどの事情
がない限り、債務不履行責任を追及できるとしており、修補請求権も可能である。
(65) 森田(修)教授は、このような解除制度の実態を「解除制度そのものに対するアンビヴァレンツ」と「催告解除の多義性」という表現で論じる(森田修「解除と危険負担:要件論を中心に(その 3)」法学教室 454 号(2018)97 頁)。
(66) 売主瑕疵担保責任の議論状況に関しては、拙著・前掲注 (1)335 頁以下参照。なお、改正
民法の「契約不適合責任」の法的性質に関しては別稿を予定している。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
これに対し、債務不履行責任説(契約責任説)は、物の性状についての観念も合意内容となり得るとの理解から、瑕疵なき給付義務構成、完全履行義務ないし履行利益賠償を導く。債務不履行責任説では、修補請求は、瑕疵担保責任の内容というよりも契約に基づく履行請求権と本質を同じくするものとして承認されてきた(67) 。
これまでの瑕疵担保責任論は、担保責任(=無過失責任)と債務不履行責任(=過失責任)とを対峙させて理解することを出発点として展開されてきたといえる。とりわけ、売主の過失の有無とそれに対応した賠償範囲の確定が問題とされてきた。そのような中で、改正民法が定めた「契約不適合責任」は、債務不履行責任へ統合・一元化させたものであり(債務不履行責任説の採用)、現行法の「担保責任」
を解体させた結果であるとされる(68) 。改正法が、これまでの裁判実務の動向を遮
断することになるのか、あるいは、それとの連続性を有するのかは興味ある観点である。また、前述したように、改正法は、債務不履行責任(改正 415 条)に関し、伝統的な過失責任主義を廃除し、「契約の拘束力」から基礎づける(69) 。そうすると、現行法において対立してきた法定責任説と債務不履行責任説は、互いに接近ないしは融合された形で収斂されたとの評価もできる。
⑵ 改正 562 条の構造
改正 562 条は、目的物の種類、品質、数量に関する契約不適合に対し、買主に修補、代替物の引渡しまたは不足分の引渡しによる履行の追完請求権を認める。したがって、現行 570 条と同 565 条の適用場面をカバーするものといえる(70) 。ただし、不適合は「隠れた」ものであることを要せず、また「引き渡された目的物」について判断される。そして、改正 562 条及び 565 条からは、売主には、物の種類・品質・数量に関して契約内容に適合した目的物を引き渡す義務、及び契約内容に適
(67) 森田(宏)教授は、売主の瑕疵なき物の給付義務の不履行に基づく損害賠償の方法の1つとして、金銭賠償に代えて一定の行為義務を売主に課すという「現実賠償」として構成する(森田宏樹『契約責任の帰責構造』(有斐閣、2002)244 頁以下)。また、今回の民法改正へ向けた改正検討委員会試案では、履行請求権は具体化された追完請求権となり、修補請求権は、追履行請求権・代物請求権とともに追完請求権の一形式として捉えられ
た(民法(債権法)改正検討委員会編『詳解・債権法改正の基本方針Ⅱ―契約および債権一般(1)』(商事法務、2009)198 頁以下)。
(68) 潮見・前掲注 (50)259 頁。なお、中田・前掲注 (2)313 頁以下参照。
(69) なお、筆者は、債務不履行責任(損害賠償責任)において過失責任主義を完全に廃除することはできないと考える(私見の詳細は、前掲注 (40) 参照)。
(70) 中田・前掲注 (2)316 頁以下参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
合した権利を移転する義務が課されることを前提としており(71) 、このことからも債務不履行責任性の承認と上述の債務不履行責任説の採用が認められる(72) 。
また、買主の追完請求権には一定の制約が設けられた。1 つは、買主に対し追完方法の第 1 次的な選択の利益を尊重しつつも、売主には、買主に不相当な負担を課すものでなければ、買主の請求と異なる方法による履行の追完を認める(改正 562
条 1 項ただし書)。売主の追完権(治癒権)の承認にも通じる規定である。もう 1つは、不適合が買主の帰責事由に起因する場合には、追完請求権の行使は認められない(同 2 項)。
改正 562 条をめぐり最も議論されるのは、追完請求権と本来的な履行請求権と
の関係である。すなわち、追完請求権は、履行請求権の一態様なのか、あるいは、不完全な履行に対する救済手段なのかという問題である。法制審においては、当初、追完請求権は債権関係一般に認められる権利であることを総則レベルで規定す
ることも検討されたが、履行請求権の一態様か不完全履行に対する救済手段かという追完請求権の二義性については、最後まで解消されずに改正に至った(73) 。なお、売買以外の契約類型については、追完請求権の具体的規定は置かれていないが、改正 559 条の限度で売買の規定が総則的な性格を有している。
追完請求権は、履行請求権と同様、契約当初の当事者意思によって基礎づけられ、また、債務者の帰責事由も要件とはされず、限界事由(追完不能)に関しても特別な規定は設けられずに履行請求権と同様の規律(改正 412 条の 2 第 1 項(履行不能))による。したがって、一応、両者の共通性が認められるといえよう。ただし、
(71) 法制審民法(債権関係)部会資料 75A「民法(債権関係)の改正に関する要綱案のたたき台(9)」10-11 頁。
(72) 潮見・前掲注 (50)258 頁。
(73) 潮見・前掲注 (20)332 頁、同「追完請求権に関する法制審議会民法(債権関係)部会審議の回顧」高=野村他編『星野追悼・日本民法学の新たな時代』(有斐閣、2015)671 頁以下
(民法の規範全体の理論的・体系的一貫性を確保するならば、追完請求権を不完全履行(債務不履行)に対する救済手段として捉え、売買の追完請求権の規律を一般的準則とみた上で追完請求権の限界事由(追完不能)が探求されるべきであるとする(同 712-713 頁))。
他に、追完請求権と履行請求権との関係について検討するものとして、山本・前掲注
(25)112-113 頁、田中洋「売買における買主の追完請求権の基礎づけと内容確定(一)
(二()三・完)―ドイツにおける売買法の現代化を手がかりとして―」神戸法学雑誌 60 巻 1 号
(2010)1 頁以下、同 2 号(2010)1 頁以下、同 3・4 号(2011)1 頁以下、原田剛「改正民法における『追完請求権』論序説」法学新報 124 巻 11・12 号(2018)1 頁以下など参照。
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追完請求権は、不完全履行を前提にしていかなる追完がなされるべきかという、追完による履行の実現という過程に位置づけられ、本来的履行請求権にはない特別な規律も置かれているとの特徴も指摘される(74) 。また、追完請求権の限界事由に関して、修補に過分の費用を要することになる債務者の負担と関連づける考え方も提示され(75) 、当事者間の利益調整が考慮されるべき場面としての特徴も認められる。
⑶ 追完請求権と「契約の尊重」思想
上述したように、改正法において、契約不適合責任は債務不履行責任の一態様として位置づけられたことにより、追完請求権は、債務不履行に対する救済手段としての性質を有することを否定できないであろう。そして、目的物の品質・性能等は当事者の合意の内容によって定まるということになると、それはその契約で当事者
はどのような義務を負うのかが問題となり、義務の確定が本質であるということになる(76) 。したがって、追完請求権は、契約内容の確定を通して明らかになるものと考えると、その確定原則としての「合意原則」がここでも妥当する。
「契約の尊重」思想の観点からは、第 1 に、追完請求権は、当初契約意思により基礎づけられるものとして本来的履行請求権との同質性を肯定できるものの、契約当初の契約関係自体の存続を図るものではなく、不完全ながら一応履行された後の適切な是正方法を用意するものとして、履行実態に対応した柔軟な処理が予定される点に特徴が認められる。第 2 に、買主による追完方法の選択が第 1 次的だとしても、例外的に売主による選択も認められ(改正 562 条 1 項ただし書)、また、追完請求権の限界事由(追完不能)の確定に際し、売主(債務者)の利益状況も考慮さ
(74) 中村肇「改正民法における売買の追完規定の検討―『契約の尊重』と『契約規範』の多層的構造という観点から―」『伊藤傘寿・現代私法規律の構造』(第一法規、2017)157 頁以下
(さらに、本来的履行請求権とは異なる規律(買主の帰責事由による追完請求権の阻却規定(改正 562 条 2 項)、独自の期間制限(改正 566 条)、追完方法の選択など)が置かれている点も指摘する)。
(75) 田畑嘉洋「ドイツにおける買主の追完請求権と売主の追完拒絶権の関係について」九大
法学 109 号(2014)1 頁以下(債権者が履行により得る利益を、債権者が自己の反対給付を行うことにより債務者から給付を得る利益と解して、限界事由を等価性障害の問題として処理する可能性を指摘する(同 44-45 頁))、山田孝紀「比例原則を基礎とする給付拒絶の根拠―ドイツにおける判例・学説の検討―」法と政治 67 巻 4 号(2017)185 頁以下(債権者の利益に対して給付に伴う債務者の負担が過大な場合を、比例原則(法律上の権利行使が他者に対して著しく不均衡な負担を課すことになってはならない)を基礎に捉えた信義則を根拠とする給付拒絶権の問題として理解する可能性に言及する)。
(76) 中田=大村他・前掲注 (51)276-277 頁(中田裕康執筆)。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
れるなど、追完請求権の内容は一義的に定まるものではないという特徴もある。この点で、当事者間で設定された契約規範が尊重されるという方向性が認められ、前述した催告解除における追完の局面との関連性も出てくる(77) 。
Ⅳ 「契約の尊重」思想の意義・機能
一 契約責任法における「契約の尊重」思想の展開
1 改正法規定における「契約の尊重」
本稿で検討対象としてあげた改正民法の規律は、「契約の成立・有効性に関する場面」(改正 412 条の 2 第 2 項(原始的不能))と「契約責任に関する場面」(改正 541 条・542 条(契約の解除)、同 562 条(追完請求権))である。ボネルが主張した、「契約の効力の尊重」と「契約違反における取引維持の尊重」の諸場面に対応するものである。そして、原始的不能(改正 412 条の 2 第 2 項)の代表的効果も債務不履行を理由とする損害賠償を認めることにあるとみると、改正法は、主に契約責任規範において「契約の尊重」に配慮しているとみることもできる。以下では、上述の諸場面での「契約の尊重」思想の機能について整理しておく。
第 1 は、原始的不能に関する規定である。改正 412 条の 2 第 2 項は、前述した
ように、伝統的な理解を廃除して、原始的に不能な給付を目的とする契約も有効であるとの、近時の国際的な契約法規律を導入する規定である。契約の成立・有効性に関しては、当事者の意思(合意)に委ねるものであり、「合意原則」を根拠とする。同条は、契約成立に関わる当事者意思の調整を指向するような場合(例えば、申込みに対して付加的条項を加えた承諾)とは異なり、当該契約からの実質的な効力の発生が期待できない場合において契約関係の存立を認めるものであり、当事者間の自律的決定を尊重するいわば究極的な場面であるといえる。そして、事後的処
(77) 中村教授は、追完請求権と「契約の尊重」という観点からは、①解除や代金減額といった契約の解消に向かう救済手段に対して買主の追完請求が優先すること、②売主の追完利益の保障が十分に図られていること、③債務不履行後の新たな状況において当初の契約を調整していく機会を当事者に与えることを可能とする制度になっていることが確認される必要があるとする(中村・前掲注 (74)173-174 頁)。
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理を債務不履行ルールによる契約責任規範に求めており、「契約の拘束力」原則にも接合する。このように、原始的不能規律において、「契約の尊重」は、「合意原則」と「契約の拘束力」原則との関連性を有する場面で認められる考え方であるといえる。なお、後述するように、債務不履行による損害賠償責任の根拠を「契約の拘束力」に求めることに関しては議論がある。
第 2 は、契約の解除と「契約の尊重」思想である。解除は、債務者の帰責事由を
要件とせず、債権者を契約関係(契約の拘束力)から解放する手段であるとの理解から構成される。そして、前述したように、催告解除(改正 541 条)においては催告期間経過時点での不履行の「軽微」性が、また、無催告解除(改正 542 条)においては「契約目的の達成」の有無が解除権の成否を決定づける。もっとも、この両者の関係理解は、解除制度自体の構造把握にも関わってくる。当事者間で設定した契約規範である契約関係からの離脱を意味するものであり、解除権の発生は当事者間の関係評価から正当化されなければならない。したがって、当事者の合意(当初契約意思)に基づいて(「合意原則」)、解除が認められるべき不履行(給付実態)の評価に際しては当事者間の利益調整も判断要素となりうる(78) 。このように、当
事者間で設定された契約規範に立脚する立場からは、債務不履行という事態から直ちに解除権が発生するのではなく契約関係を維持することが出発点となり、ここに
「契約の尊重」思想が認められる。ただし、「契約の尊重」は、無催告解除では当初契約関係を維持し、催告解除では催告後の当事者の行態評価を通した形であらわれる。
第 3 は、買主の追完請求権(改正 562 条)である。前述したように、追完請求権
と本来的な履行請求権との異同問題に関しては、解消されないままで改正に至っ
(78) 解除権の発生に際する当事者間の利益調整の必要性に関しては、鹿野・前掲注 (64) 参照。なお、改正 541 条が催告期間経過時点での債務不履行の「軽微」性の判断要素とする
「契約」の趣旨と「取引上の社会通念」という契約外在的な規準との関係については議論がある(大村敦志「民法(債権法)改正の『契約・契約法』観」民商法雑誌 153 巻 1 号
(2017)67-69 頁、森田修「履行請求権:契約責任の体系との関係で(その 2)」法学教室 442 号(2017)83 頁、伊藤進「私法規律の構造 4―改正契約債権法の基本的規律構造(5)―」本誌 90 巻 6 号(2018)1 頁以下参照)。また、「取引上の社会通念」という不確定な概念を用いることは、裁判官の恣意的判断を助長するおそれがあるとして批判する見解(加賀山茂「民法改正案における『社会通念』概念の不要性」明治学院大学法科大学院ローレビュー 24 号(2016)1 頁以下)もある。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
た。しかし、契約不適合責任は債務不履行責任として性質決定されたことにより、追完請求権の不履行に対する救済手段としての性質を否定することはできないように思われる。また、売主には「瑕疵なき給付義務」が課されるが、それは目的物の種類・品質等に関する当事者の合意により確定されるものであり、契約内容の確定原則としての「合意原則」を基礎とする。そして、「契約の尊重」の観点からは、追完請求権は、不完全な履行に対する事後的な是正手段として、給付実態に応じた処理が予定される点で、当初契約関係の維持を原則とする本来的な履行請求権と相違する。また、追完方法の選択及び追完請求権の限界事由(追完不能)の確定に際
しては、売主(債務者)との利害調整も考慮され(79) 、債務不履行後の新たな状況
に対応した規範設定を可能にする(80) 。この点で、催告解除において追完請求が可能な場合にも、同様の処理が考えられる。
2 「契約の尊重」思想の問題性
前述したように、契約の効力を債権法の中心概念に据えるとき、契約内容の確定ルールが問題となる。改正法は、契約締結当時の当事者の合意(意思)に基づいて契約内容を確定することを原則とする(「合意原則」)。もっとも、ここでいう「合意」は、事実としての(裸の)合意のみを意味するものではなく、契約の解釈を通しての規範的評価により明らかにされる合意である。上述した、原始的不能規律における契約の有効性判断、契約解除権の発生要件としての契約関係の評価規準、また、買主による追完請求権の発生根拠たる「契約不適合」の認定判断においても、
「合意原則」に基づく契約内容の確定が起点となる。
そして、これらの諸場面は、いずれも契約責任に関わる規律として位置づけることができる。原始的不能規律の代表的効果は、履行不能による損害賠償請求の認定であり、契約解除及び追完請求権は債務不履行に対する法的処理に関する問題である。前述したように、契約責任の根拠原則は「契約の拘束力」(=「パクタ原則」)に求められるが、そこでも契約内容の確定が前提となり「合意原則」にも接合することになる。そのため、「契約の尊重」思想は、契約責任規範が「契約の拘束力」原則から導かれることの言い換えであり、「合意原則」とも一体化させて位置づけ
(79) なお、前掲注 (75) 参照。
(80) 中村・前掲注 (77) 参照。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
る傾向もみられる(81) 。
しかし、前述したように、「契約の尊重」思想は、個別の契約法規律において認められ、契約法全体の通有の原理であるとは言い難い。また、これまでの検討から明らかなように、「契約の尊重」は、契約関係の維持・確保を指向する考え方ではあるが、それは、当初契約関係の維持に特化されるものでは決してない。改正法の諸規律にみられるように、当初契約関係の変更や再構成に関わる処理も指向され、しかも、当初契約意思に厳格に拘束されるものでもなく(この点で、「パクタ原則」との
ズレも指摘される(82) )、当事者間での利益調整に配慮した規範の定立も考えられ
る点でも多義的な思想だといえる。したがって、「契約の尊重」思想は、「契約の拘 束力」原則を具現する考え方だとみるだけでは、その内容は明らかとはならない。さらに、契約責任規範の根拠原則であるとされる「契約の拘束力」原則自体も必 ずしも明確な概念であるとはいえない。新理論は、契約責任規範の中核となる債務不履行による損害賠償も「契約の拘束力」から導かれる(過失責任主義の放棄)と主張する。損害賠償責任の根拠を「契約の拘束力」に求めるという限りでは一定の理解は得られるであろうが、損害賠償責任の正当化根拠をすべて当初の契約に求め
ることができるかは疑問である(83) 。
以上からは、「契約の尊重」思想の意義・機能は、契約債権法の基本原則たる「合意原則」、及びそこでの契約責任規範の根拠原則である「契約の拘束力」との関係を把握することから明らかにされるべきであろう。
(81) 山本・前掲注 (38)3 頁以下参照。
(82) 森田・前掲注 (3)201-202 頁、同「〈民法典〉という問題の性格―債務法改正作業の『文脈化』のために」ジュリスト 1319 号(2006)40-41 頁。なお、前掲注 (13) 参照。
(83) 本来的債権の内容は、債務者が契約により約束した特定の行為(給付)をすること(=契
約の拘束力)であるが、債務者が約束した行為をしなかった場合に認められる責任は、本来的債権の内容を前提とすることはできない(その範囲を超える)ことから、伝統的理論では、その帰責根拠として「帰責事由(過失)」を要すると理解してきたといえる。この点をどのように評価するかは、改正法においても重要な検討課題である(拙稿・前掲注
(40) 特に「3・完」230 頁以下参照)。また、中田・前掲注 (34)「債権法における合意の意義」21-22 頁も参照。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
二 「契約の尊重」思想の意義・機能
1 契約債権法の基本原則と「契約の尊重」
これまでの検討から明らかなように、改正民法は、契約締結時の「当事者の合意」(当初契約意思)に依拠して「契約内容の確定」を行い、そこから当事者間の権利義務関係(契約規範)を定立する「合意原則」を立てる。改正委員は、あくまで事実としての当初契約意思に基礎を置くものとして「合意原則」を捉えてお
り(84) 、そこから契約責任規範を含む契約法規範を演繹する体系化原理であるとす
る。しかし、前述したように、規範設定の出発点となる当事者意思は、契約解釈を介した規範的概念として捉えられる。
そして、契約責任は、そのような契約をしたこと自体に求められ、それにもかかわらず当事者が契約で約束したことを履行しないことが要件(「責めに帰すべき事由」)となる。債務者が責任を免れることがあるとしても、それはそこまで契約で約束したとはいえないからであると説かれる(85) 。このような契約責任規範の根拠
原則は「契約の拘束力」と称され、それは「契約は守られなければならない」との
「パクタ原則」と同義だとされている。そして、「契約の拘束力」を契約責任の基礎に捉えるときには、契約内容の確定を前提とするから、それは当初契約意思に依拠して確定されるとする「合意原則」にも接合していく。この点で、「契約の拘束力」原則は「合意原則」と同義に解する傾向も出てこよう。しかし、既にみたように、契約責任が問題とされる場面、すなわち「契約の拘束力」が機能する場面は、必ずしも当初契約意思に拘束される場面であるとはいえない。催告解除や追完請求権が問題となる場面においてみられるように、債務不履行後の当事者間の交渉を通して、契約関係は維持しつつも契約内容を変容させて紛争解決を図るプロセスとしてあらわれる。契約関係は当初契約意思による拘束を離れて維持され、そこで当事者が設定した規範を尊重するという方向性が顕著となる。したがって、「契約の拘束力」とは、「合意原則」に解消されるとは必ずしもいえず、むしろ「当事者間で設定された契約規範は尊重される」という原則として捉え直されるべきである。
このような中で、「契約の尊重」思想はどのように位置づけられるのであろうか。
(84) 内田他・前掲注 (29)120-121 頁、125-127 頁(山本敬三発言)参照。
(85) 山本・前掲注 (36)92 頁。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
先にみた「契約の尊重」が図られる諸規律においては、当事者の合意を優先し、当初契約関係を可能な限り維持し、また、当初の契約がうまくいかなくても可能な限り当事者間の交渉により紛争解決を図るべき場面として特徴づけられる。つまり、
「契約の尊重」とは、当初契約意思のみならず、当事者間の新たな合意形成をも規準として契約関係を維持するプロセスだといえる(86) 。この点で、当事者間で設定された規範を尊重すべきであるとの「契約の拘束力」原則との共通性が認められる。そして、契約責任が問題となる場面にあっては、「契約の尊重」思想は、「契約の拘
束力」原則に解消されていくものと思われる。このように考えると、「契約の尊重」思想とは、「契約の拘束力」の機能領域を限界づける概念として位置づけられる。 2 「契約の尊重」思想の射程
一般に、「契約の尊重」思想は、契約の成立段階と成立後に分けて論じられる。前者は契約の成立・有効性維持という局面であるが、国際的な契約法規律においては、何らかの法的障害により契約の成立やその有効性が否定されることを回避するために「契約の尊重」思想が機能する(87) 。これに対し、契約成立後は主に契約責
任規範における「契約の尊重」が問題とされている。例えば、契約解除の制限に関しては、不履行が存しても、それが「契約目的の達成不能」に当たらなければ解除は認められず、あるいは、催告を通して契約関係の修復が図られ、この点で追完請求権とも共通する。つまり、当初契約関係の維持、またはそれを変容させた形での関係が維持される局面として、契約当事者間で設定される規範が尊重される。
そこで、このように機能する「契約の尊重」思想はどのように限界づけられるのか。これは、「契約の終了」をどのように概念規定するのか、という問題にも関わるように思われる。はじめに述べたように、「その契約上の債権債務関係が発生しなくなったとき」や「その契約上の債務の履行が完了したとき」とは、一応、契約目的が達成された事態であるとみられる。つまり、契約が厳格に遵守され、当事者が設定した契約規範(債権債務関係)が全うされた事態として捉えられる。これに対
(86) 森田(修)教授は、「契約の尊重」とは、契約責任の内容が当初契約意思によって規定しつくされるというのではなく、ただ契約的な枠組みが一旦与えられた以上は、当事者関
係を規律する義務群に「契約の尊重」という指向性を付与することで、契約法の体系化を図るという構想として捉える(森田・前掲注 (82)40 頁)。
(87) 曽野教授は、この局面では、「契約の尊重」思想はパクタ原則と契約の自由をより実質化・
実効化するものだとする(曽野・前掲注 (3)267 頁)。
改正民法における「契約の尊重(favor contractus)」思想(長坂)
し、債務不履行や履行が契約内容に適合しないために契約が解除されたような場合は、債権者にとっては合理的にみてもはや契約を維持することの利益ないし期待を失っている事態である。換言すれば、当事者が設定した契約規範がもはや機能しない局面として捉えられるであろう。したがって、「契約の終了」とは、「当事者間で設定された契約規範は尊重される」との「契約の拘束力」原則が機能しない事態として位置づけられるように思われる。もっとも、契約の終了後も一定の債権債務関係(例えば、契約目的物の返還債務、未払代金債務、解除による原状回復義務、債務不履行による損害賠償債務など)はなお残存し得ることになり、その契約関係との関連性をどのように考えるかは問題となる。「契約の終了」は、一連のプロセス
において生じる個別の問題に応じて論じるときには、一義的には定まらない(88) 。
Ⅴ 結 び
本稿は、近時、契約法規範を特徴づける概念として注目される「契約の尊重」思想の正当化根拠を探った。改正民法(契約債権法)の体系化原理である「合意原則」、契約責任規範の根拠原則とされる「契約の拘束力」との関係から「契約の尊重」思想の意義・機能を検討した。
私見によれば、「契約の尊重」は、当初契約意思により内容が確定された(「合意原則」)契約関係を維持し、あるいは、当初契約関係を変容させた形で契約目的の達成へ向かうプロセスとして捉えられる。そして、それは当事者が設定した契約規範を根拠に契約責任を構成する「契約の拘束力」原則にも接合する。しがって、
「契約の尊重」思想とは、「契約の拘束力」の機能領域を限界づける法的概念として位置づけられる。したがって、「契約の終了」も、当事者が設定した契約規範の目的達成の有無に関連づけて概念規定されることになる。
しかし、なお解明されるべき課題は残る。「契約の尊重」は、「契約の自由」や
「パクタ原則」といった近代契約法の大原則と並ぶ原理として位置づけられていく
(88) なお、伊藤進「私法規律の構造 3―「債権契約の終わり方」の規律(一()二()三()四()五・完)―」本誌 87 巻 2・3 号(2014)53 頁以下、同 6 号(2015)1 頁以下、同 88 巻 1 号(2015) 1 頁以下、同 6 号(2016)1 頁以下、同 89 巻 1 号(2016)47 頁以下参照(契約の「終了原因」、「終了態様」、「終了効果」の諸観点から体系的な考察を加えている)。
法律論叢 91 巻 2・3 合併号
のか、あるいは、あくまでこれらの大原則の補完・制約原理として機能するに留まるのかという問題がある。また、そもそも「契約」とは、締結当時の当事者間の
「合意」から想定されるものか、あるいは、契約の締結から履行過程、契約の終了というプロセスとして想定される概念なのかという問題もある。これらは、いずれも重要な検討課題であるが、改正民法を踏まえた理論的深化が図られる中で解明されていく問題なのかも知れない。
(明治大学法学部教授)