そこで、ユダヤ教の間に、ごく一部ですが、我々で神殿を再建して、それでメシアの到来を待ち望むという人々がいます。ユダヤ教の主流では、メシアご自身が神殿を再建され るので、自分たちで再建しようとは思いません。けれども、彼らはこう信じます。「イスラエルに帰還するのも、メシアが来てからだと、ラビたちは教えてきた。しかし、我々 の努力で帰還して、それからメシアが来ることが分かったではないか。同じように、私たちが積極的に神殿再建に関わってこそ、メシアの到来を早めるのだ。」という考えです...
ダニエル書9章27節 「第七十週目の契約」
1A 次に来る君主
1B 小さな角
2B 白い馬 黙示6:1-2
2A 堅い契約
1B 神殿の外庭 黙示11:1-2
1C 異邦人の時代
2C ユダヤ人の願い
3C 平和の使者
2B 荒らす忌まわしい者 マタイ24:15
1C 不法の人 Ⅱテサロニケ2:4
2C 山への逃避 黙示12:13-16
3A 定められた破滅
1B ハルマゲドン 黙示16:12-16
2B 主xxxの再臨 イザヤ63:1-6
本文
ダニエル書 9 章を開いてください。前回、xxxx書の後半部分、神の定められた七十週について見てきました。今晩は、9 章 27 節を見て、それから聖書の他の箇所にある、同じ出来事を描いている箇所も合わせて見ていきたいと思います。「9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」
1A 次に来る君主
私たちは前回、エルサレムの都と聖所について、神が七十週を定めておられたことを見ました。xxxxが悔い改めの祈りを献げた時に、xxが確かに回復します。しかし、七週と六十二週の後、来るべき君主が来るのに、その油注がれた者が断たれて、何も残らないということが起こります。家の建てた者たちが見捨てた石が、要の石となったという、詩篇 118 篇にあることばがその通りになったのです。時が満ちたのに、その時を見極めることができず、ユダヤ人たちがこの方をローマの十字架に引き渡してしまったのです。
もちろん、このことは神の予知、また予定の中に入っていました。神が、ご自分の独り子を、罪のための供え物とされたのです。けれども、ユダヤ人にとって、来るべき君、油注がれた方が断たれたのです。そこで、七週と六十二週の後、そのまま七十週目が来るのではなく、都エルサレムと神
の民ユダヤ人に対する贖いの計画は、一時、中断しました。
1B 小さな角
9 章 26 節には続けて、こう書いてあります。「9:26b 次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。」次に来る君主とあります。来るべき君主が断たれた後に、次に来る君主がいます。この君主こそが、忌まわしい憎むべき者であり、世界に荒廃をもたす人物です。
彼は、ダニエル書 7 章によれば、第四の獣から出ます。「小さな角」と呼ばれていました。十本の角があり、その間から出てきた角です。第四の角は、ネブカドネツァルの見た夢においては、十本の足の指がある、鉄と粘土が混じった状態から出てきます。つまり、古代ローマの特徴を持ちながら、世界が十の連合体のようになっているようなところから出てきます。しかし、彼が現れる前に、その民が、「都と聖所を破壊する」ということなのです。つまり、粘土と鉄が混じった足ではなく、その上にある脚のほうに脚(あし)、鉄の部分です。ローマが、エルサレムを破壊し、その神殿を破壊 します。
前回お話ししたように、それをイエス様が預言されました。弟子たちが、オリーブ山から見える神殿がいかに荘厳であるか感嘆していましたが、イエス様は、「マルコ 12:2 ここで、どの石も崩さ
れずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」と言われました。これがxx 70 年、総督xxxxx率いるローマ軍が行いました。xxx様が、これは、xxxの時、救いの時を悟らず、ご自身が拒んだことによって、降りかかることのなのだとして、涙を流しながらエルサレムを見て、語られたことでした。そして、終わりまで洪水が続き、戦いの終わりまで荒廃が定められているとありますが、洪水は軍隊のこと。イエス様は、ローマによる破壊から始まる、エルサレムの荒廃を、「異邦人の時」と呼ばれました。「ルカ 21:24 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
そして、それが今に至るまで続いているのです。しかし、xxxから大きく様相は異なっています。エルサレムは、ローマ、ビザンチン、イスラム、十字軍、再びイスラム、マムルーク、オスマン、そして英国委任統治と、異邦人の支配が続きましたが、1948 年にイスラエルが建国し、67 年にエルサレムがイスラエルの主権下に入りました。けれども、次が大事です。67 年、確かにエルサレム旧市街を含むエルサレムの全てを、イスラエルはヨルダンから奪取しましたが、肝心の神殿の敷地については、イスラム教当局の管理下のままに置いたのです。この現状を、「ステータス・クゥオ」と呼びますが、オスマン時代からの状況を少しでも変えるものなら、大きな争いが起こって、死傷者が出てもおかしくないという状況なのです。ですから、異邦人の時は終わったとも言えるし、厳密には終わっていないとも言える、非常に微妙な時なのだと言えます。
2B 白い馬 黙示6:1-2
その中で、次に来る君主が現れます。次に来る君主について、神のご計画において、どのような意味を持つのでしょうか?一つに、それは悪魔のあがきといえます。悪魔が自分の裁かれるのが近づいているのを知って、あがくのです。黙示録 12 章 12 節にこう書いています。「黙 12:12 それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」そしてもう一つは、キリストの福音を拒む者たちが、悪魔の惑わしのままに捨て置かれるという、神の裁きを現しています。「Ⅱテサ 2:9-
12 不法の者は、xxxの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救うxxを愛をもって受け入れなかったからです。11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。12 それは、xxを信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。」キリストの福音を受け入れなかったので、xxxの偽りを信じるしかなくなっていくのです。
そこで、次に現れる君主について、黙示録 6 章は、「白い馬」から始まる災いを教えています。黙示録は、七つの教会に対する主xxx様のことばを伝えた後に、4 章から「この後必ず起こることを、あなたに示そう。(1 節)」という天の声がし、xxxが引き上げられます。そこに神の永遠の御座があり、四つの生き物と二十四人の長老が絶え間なく神を礼拝しています。けれども、5 章で、神の右手にある巻き物を解く資格のある人がいませんでした。それは、世界を贖い土地権利書ですが、世界を贖うことのできる権利が与えられている人がいなかったのです。xxxがむせび泣いている時に、長老の一人が来て、「5:5 泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、xxxの根がxxしたので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」といいます。屠られた姿で出てきた子羊がいました。この方が、ご自分のいのちを対価として、世界を贖われたのです。そして、天において一斉に子羊に対する賛美が響き渡りました。
6 章から、この巻き物を子羊が一つずつ封印を解く場面が始まります。封印が解かれるということは、神がこの世界をご自分とキリストのものにするということです。所有権を行使されるということです。悪魔、この地を不法占拠しているのが今ですが、そこに災いを下されます。ちょうど、出エジプト記で、イスラエルの民をわがものにして虐げているファラオのエジプトに、災いが一つ一つ下って行ったのと同じです。第一の封印が解かれたところを読みましょう。「6:2 私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、xxの上にさらにxxを得るために出て行った。」白い馬は、19 章に現れ、それは諸国の軍隊に戦われる主イエスご自身が乗っておられるところで現れます。では、ここはキリストご自身か?というとそうではなく、第二の封印、第三の封印、第四の封印と解かれていくと、戦争、インフレ、疫病、そして殉教という災いが起こるのです。つまり、この白い馬は、キリストのようであって、平和ではなく災いをもたらしている人物、反キリストなのです。
xxxが、xxxxの預言などを思いながらでしょう、テサロニケの人々に、偽の平和と安全が次のように警告しています。「Ⅰテサ 5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。」しばしば世間でもてはやされている指導者は、偽りが多いことを思います。例えば、アメリカのオバマ大統領は、ノーベル平和賞を獲得しました。けれども、彼こそが、対テロ戦争を陸軍による実践ではなく、ドローン戦に大幅に変えた人物です。ドローン戦ですと、命中率が減って、民間人が巻き添えになる確率がぐっと増えますから、死傷者も一気に増えたのです。マスコミには、そうしたことは表に出ず、かえって米軍が現地を撤退するという良い場面が出てきますから、彼は平和の使者であるかのように見えました。少なくとも日本の報道はそんな感じでしたね。これから、ますますこういう時代になっていきます。平和を約束しながら、災いが増える時代です。
2A 堅い契約
そして、xxxxに対するxxxxxを通してのxxは、都エルサレムと聖所に対するものです。この来るべき君主が、聖所に対して何をするかを預言しているのが、9 章 27 節です。「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。」とxxxxxは言っています。いけにえとささげ物をやめさせる、といっていますが、これが聖所に関わる契約であることは確かです。そして、この契約をもってして、最後の一週、七年間が始まるということです。
1B 神殿の外庭 黙示11:1-2
しかし、今、そのことが実現するのが不可能のように見えます。世界の人々が、エルサレムというと対立や紛争のイメージがともなうでしょう。それは、同じ場所、同じ敷地を巡って、そこが自分たちのものだとする宗教が二つあるからです。一つはユダヤ教、もう一つはイスラム教です。
神殿の丘は、xxxxが建てて、xxxxによって破壊された後に、帰還民によって再建されて、ヘロデ大王が大体的な改築をしました。そこを選ばれたのは神ご自身であり、神殿の丘は間違いなく、ユダヤ人たちが礼拝する場所です。xx後 70 年に神殿が破壊されて以後、神殿の丘の西壁の一部で、その破壊されたことを嘆き、xxxが来られてそこを建て直されることを祈り始めまし た。それを「嘆きの壁」としばしば呼ばれます。今は、ユダヤ教徒が大勢集まって、そこで熱心に祈 りが献げられています。
1C 異邦人の時代
しかし、第七世紀にイスラム教が、アラビア半島で勃興します。そして、エルサレムも 638 年にイスラムの勢力下にはいりました。そして、692 年に岩のドームを完成させます。そこで、xxxxxが、そこにある岩から昇天したという伝承になっています。しかし、その岩はモリヤ山の一部なのですが、ユダヤ教においては、そこがアブラハムがイサクを全焼のいけにえとして献げたところであり、xxxがこの岩のところで祭壇を築き、神殿を建てるところだと示されたところとしています。
xxxxが神殿を建てる時はそこを至聖所にして、また再建の神殿も、ヘロデが大改築をした時も、そこが至聖所だったとしています。
ユダヤ人にとって、神殿のない礼拝は、あくまでも一時的なものです。動物のいけにえが献げられず、律法の朗読を中心とする会堂で礼拝を献げているのですが、聖書は明確に贖いは血によるものであることが書かれています。私たちキリスト者はそのことをそのまま信じて、神の御子キリストご自身が血を流されたことによって、動物でも取り除くことのできなかった罪を取り除かれたと信じています。だから、建物の神殿は必要とせず、聖霊が私たちの内に住まわれることによって、私たちが神殿になっています。けれども、ユダヤ人は、xxxが神殿を建て、それで動物のいけにえが再開して、それで贖いがなされると信じています。
そこで、ユダヤ教の間に、ごく一部ですが、我々で神殿を再建して、それでxxxの到来を待ち望むという人々がいます。ユダヤ教の主流では、メシアご自身が神殿を再建されるので、自分たちで再建しようとは思いません。けれども、彼らはこう信じます。「イスラエルに帰還するのも、xxxが来てからだと、ラビたちは教えてきた。しかし、我々の努力で帰還して、それからxxxが来ることが分かったではないか。同じように、私たちが積極的に神殿再建に関わってこそ、xxxの到来を早めるのだ。」という考えです。このような人々が、エルサレム旧市街のユダヤ人地区に、「神殿研究所(The Temple Institute)」というものを造りました。彼らは、新たな神殿再建のために必要なものを造っています。燭台メノラがあります。臨在のパンの机、香壇もあります。大祭司の装束もあります。私も、五回行ったことがありますが、毎回、何か新しいものが加えられています。そこで映像も見ましたが、岩のドームの上に第三神殿が輝かしく建っている幻で終わるものです。1
神殿の丘に入ることは、誤って至聖所を踏んでしまうかもしれないとし、そこには入ろうとしません。また、けれどもこのグループの人たちは、積極的に神殿の丘に入り、祈りを献げようとします。それをする度に、やめさせようとするのがイスラエル治安警察です。ムスリムとの間で衝突が起こるからです。死傷者まで出てきてしまいます。ちょっと、祈りの姿勢に入るものなら、警察が止めに入り、捕まえてしまいました。ところが、つい最近、9 月頃から状況が変わりました。イスラエルの治安当局とイスラム教の当局の合意で、祈る許可が与えられたのです!2
しかし、それでも、もし岩のドームを取り除けて、神殿を建てようとするものなら、世界中のイスラム教徒が許さないでしょう。ジハードをしてくるでしょう。この状況を打破することができた人が、仮に出て来るなら、その人は天才的な平和の使者、xxxx平和賞をいくつとっても足りないぐらいでしょう。そして、これを成し遂げるのが、ここの、次に来る君主なのです。
1 xxxxx://xxxxx.xx/X0X_xxxXxXX
2 xxxxx://xxxxx.xx/x0xxXxXXXXX
そこで、このような奇跡的なことを成し遂げる鍵となる、解決法が黙示録 11 章に示唆されています。「黙 11:1-2 それから、杖のような測り竿が私に与えられて、こう告げられた。「立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい。2 神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。」この神殿は、二人の証人が出て来て、基本、火を噴いて預言をす る、つまり、堕落した神殿だとして叱責を受けるような状況です。「11:8 その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ、そこで彼らの主も十字架にかけられたのである。」とあります。罪を許 してしまっている都だったのです。神殿にもその影響があり、妥協の産物になっています。
それは、xxxに対して神殿の敷地を測りなさい、けれども、「神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。」と言っているのです。神殿の外庭は、そのままイスラム教のままにしておく余地がここに残されているのです。
そこで、神殿の位置についての謎があります。先ほど、岩のドームの中が、かつての至聖所であったとお話ししました。けれども、岩のドームの東にあるはずの、外庭の東の門がありません。もう少し北のほうに、黄金門があって、そこがかつての東の門だと言われています。神殿の至聖所から
まっすぐに東になければならない門がなく、もっと北のところに東門があるということはどういうこtでしょうか?その東門からまっすぐに西には、「霊のドーム」とか「板のドーム」とか呼ばれるものがあります。その小さなドームには、モリヤ山の裸岩が見えます。そこが至聖所だったのではないか?という説があるのです。(上の図の赤字の部分)
もし、ここ霊のドームが至聖所であれば、外庭はそのまま岩のドームがあるままにすることができます。こういった妥協の産物になりうるわけです。次がその想像図です。
2C ユダヤ人の願い
ここに「多くの者と」堅い契約を結ぶ、とあるところに注目してください。ユダヤ人の中の多くの者が、彼と堅い契約を結び、神殿再建とその後の犠牲のいけにえを開始させます。なぜ、彼らがこの人物を受け入れてしまうのか?イエス様が、警告をしておられました。「ヨハ 5:43 わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません。もしほかの人がその人自身の名で来れば、あなたがたはその人を受け入れます。」イエス様は、父の名で来られました。つまり、ご自分が神と一つであるとして来られました。ユダヤ人はこれを拒みました。むしろ、それは冒瀆であると考えました。そのために、自分の名ではなく父の名で来られた、謙遜なイエス様とは違って、自分の名で来るものを、来るべき君主として受け入れてしまうのです。
これまでも、ユダヤ教の人々がメシアだとしてたてまつった人々は、ラビであったり、人でした。聖書には、xxxは神の御子であり、神であることがはっきり書かれています。キリストが支配する神の国を預言した詩篇 2 篇で、「主は私に言われた、「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。(7 節)」とあります。またxxxは、ダビデの末としてキリストが世界を支配することを預言しましたが、「ひとりの男の子が私たちに与えられる。その主権はその方にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、xxの君」と呼ばれる。」とあります(イザヤ 9:6)。このように、この方はいと高き方の子なのです。大祭司カヤパでさえ、「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」と尋問しました(マルコ 14:61)。しかし今の彼らは、「モーセのような預言者だということは、xxxは人だから、キリストも人間なのだ。」とします。そこで、「では、どうやったらメシアだと分かるのか?」と尋ねると、「神殿建築を導く人」だというのです。ですから、彼をメシアとしてあがめ、神殿を再建するという契約を結ぶ、ということがありうるのです。
3C 平和の使者
しかし、ギリシアの王、xxxxxxx・xxxxxxのことを思い出してください。彼は非常に狡猾な人間で、初めに平和を約束し、権力を得てからその契約を破棄し、一気に荒らす忌まわしいことを行うのです。その様子は、xxxx書 8 章を学びましたが、11 章でも詳しく出てきます。聖所の基を覆すようなことを行いました。彼が、反キリストの行う型となっていて、平和を約束しながら、突如としての破滅をもたらすのです。先ほど引用した、テサロニケ第一 5 章の、平和だ、安全だと言っている時に、突如としての破滅が来るという箇所があります。そして、平和を約束している間も、黙示録 6 章のように、実は争いが起こっている。飢饉が起こっている。けれども、人々はそれに気づいてさえいない、ということがあります。偽の平和の使者なのです。
2B 荒らす忌まわしい者 マタイ24:15
そして、「半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。」とあります。一週は七年という期間です。半週の間、というのは、後半の三年半のことです。七年間の半ばに、いけにえとささげ物をやめさせる、という暴挙を行ないます。
そのことを、悟りなさいという命令付きで、説明してくださったのがイエス様です。「マタ 24:15 それゆえ、預言者xxxxによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──」聖なる所に、荒らす忌まわしいものが立つのです。大祭司が一年に一度しか、しかも血を携えてしか入ることのできないその至聖所に、彼は立つのです。
1C 不法の人 Ⅱテサロニケ2:4
そして、xxxはテサロニケ第二 2 章 4 節で、「2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座るこ とになります。」ということになります。自分を神とするのです。黙示録 13 章には、獣の像が作られ、それを拝むように世界中の人々が強要されます。そして、その像が物を言うようになります。この ような恐ろしいことが起こります。
2C 山への逃避 黙示12:13-16
この時に、ユダヤ人たちは彼が偽物だったことに気づきます。その正体を知った時は、ちょうど津波が押し寄せてくる時のような感じで、一目散に逃げなさいとxxx様は命じておられます。「マタ 24:16-21 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。17 屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。18 畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。19 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。20 あなたがたの逃
げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」大きな苦難について、xxxx書にも書かれていますが、xxxx書には、xxxにとっての苦難として、次のように書いてあります。「30:7 わざわいだ。実にその日は大いなる日、比べようもない日。それはヤコブには苦難の時。だが、彼はそこから救われる。」かつてない恐ろしい苦難の日ですが、最後には救われます。イエス様も、選ばれた者たちのために、その日数が少なくされると言われました(マタ 24:22)。
ところで、xxx様は、「ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」と言われています。しかし、ユダヤそのものが、xxです。他はどこに行っても、ユダヤよりは低地になってしまいます。しかし、右の地図で見ると分かるように、エルサレムのあるユダヤのxxから、山というところは、死海の南東にある、今のヨルダンのペトラの地域です。ここは、かつてのエドムの地であり、今のペトラは、かつてエドムの首都ボツラのあったところでした。このエドムの地は、山々はいわゆる、はげ山です。木々のないところです。荒涼としたx々が続きます。そしてペトラは、山々に囲まれて、中に入っていくには、シークと呼ばれる、1.2 ㌔もある岩と岩に挟まれた小道を取らなければいけません。だから、そこは自然の要害に
なっていて、洪水のような軍隊がやって来ても、守られるのです。
預言者xxは、こう預言しました。「2:12 ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。」ここの「囲いの中」は、ボツラと書かれています。ですから、ボツラの羊のように、残りの者たちを一つに集める、と書いているのです。そして主は彼らを救われます。
そのことを念頭において、黙示録 12 章 13-16 節を読んでみましょう。イスラエルを表す女が、竜、
古い蛇、すなわちサタンから逃げている幻です。「黙 12:13-16 竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。14 しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。15 すると蛇はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。16 しかし、地は女を助け、その口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干 した。」荒野であり、山であるところ、それがペトラです。そして、一時と二時と半時、すなわち三年半です。そして、大水で流そうとしているとありますが、これは洪水のような軍隊です。けれども、自然の要害が彼らを守ります。
3A 定められた破滅
そして、「そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」とあります。ここに希望、ここにxxがあります。
1B ハルマゲドン 黙示16:12-16
反キリストが、山に逃げた残された民を滅ぼすべく、軍を率います。一方で、世界から、特に東方から多くの王たちが、イズレエルxxにあるメギドに集結します。ハルマゲドンです。(黙示 16:12-16)
2B 主xxxの再臨 イザヤ63:1-6
しかし、主は、天から降りて来られて、まずはシナイ方面から現れます。ハバクク 3 章に、「神はテマンから、聖なる方はパランの山から来られる。その威光は天をおおい、その賛美は地に満ちている。」とあります(3 節)。そして、その栄光はエドムの地、ボツラに向かいます。隠れている民を滅ぼそうとやってきている、反キリスト率いる軍隊に対して戦われます。「イザ 34:6 【主】の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊とやぎの血、雄羊の腎臓の脂肪で。【主】がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大虐殺をされるからだ。」
そして、主の戦いはエルサレムに移ります。エルサレムは、ハルマゲドンで集まって来た世界の軍隊たちが攻めに来ています。わずかに残っていたエルサレムの住民も、これで全滅の危機です。しかし、主が一気に滅ぼされるのです。主は、ボツラから、動かれていく姿をxxxは預言し、こう言っています。「イザ 63:1-6 「エドムから来るこの方はだれだろう。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る。」「わたしはxxをもって語り、救いをもたらす大いなる者。」2 「なぜ、あなたの装いは赤く、衣はぶどう踏みをする者のようなのですか。」3 「わたしはひとりでぶどう踏みをした。諸国の民のうちで、事をともにする者はだれもいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。彼らの血の滴りはわたしの衣にはねかかり、わたしの装いをすっかり汚してしまった。4 復讐の日がわたしの心のうちにあり、わたしの贖いの年が来たからだ。5 見回しても、助ける者はだれもなく、支える者がだれもいない ことに?然とした。それで、わたしの腕がわたしの救いとなり、わたしの憤り、それがわたしの支えとなった。6 わたしは怒って諸国の民を踏みつけ、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血の滴りを地に流れさせた。」」
そして、この戦いの中で、反キリストはキリストご自身の口から出る剣で殺され、生きたままゲヘナに投げ込まれるのです。「黙 19:19-20 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。」このようにして、「定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる」ということが成就します。
そして、キリストが地上に戻って来られて、大異変が起こり、天と地はxxし、エルサレムも地殻変動が起こって、そこに神殿が建てられます。エゼキエル 40 章にxxされている、xx王国における神殿です。そして、神の御子、神ご自身が、王として、また祭司として、世界を統べ治められるのです。その時には聖所は回復して、永遠の義が打ち立てられます。七十週の完成です。こうして私たちには希望があります。苦難があっても、それでも主が正しく裁かれ、xxしてくださる希望です。