Contract
はしがき
秘密保持契約は、昨今の企業活動において、日常的に目にする最も一般的な契約類型の一つである。秘密保持契約は、それに続く取引契約、事業提携契約、共同開発契約等の本来の取引のいわば前座であり、秘密保持契約自体が紛争の対象となることは想定されにくい。そのためか、企業によっては、法務審査の対象とせずに、営業等の現場の審査に任せる例もあるようである。しかしながら、秘密保持契約書の条項は、案外バリエーションが豊富であり、その表現の意味を理解していないと、秘密管理に抜け漏れが生じるおそれがあり、思わぬ怪我を負うことにもなりかねない。
本書は、秘密保持契約書の様々な条項例を参考に、その意味を深く掘り下げた。条項の意味の理解には、他の条項例を参考にするのが有益である。そこで、本書では、実務で使用されている条項、ウェブ上で公開されている大学等の秘密保持契約の条項等を参考例で掲げたほか、経済産業省が公表した「秘密情報の保護ハンドブック」の参考資料1 第4
「業務提携の検討における秘密保持契約書の例」(2016年 2 月8 日)を対 比的な利用のために本文及び巻末に引用・掲載させていただいた。これ によって、秘密保持契約の典型的な条項であっても、表現方法によって、意味、適用範囲などの相違が生じることが理解しやすくなる。巻末には、基本的な秘密保持契約書のほか、状況に応じてアレンジを加えた詳細な 秘密保持契約書のひな形を掲載した。本書をお読みいただき、普段目に している秘密保持契約書の条項の趣旨と表現方法により生じる微妙な意 味の相違にあらためて気付いていただければ幸いである。
また、本書は、秘密保持契約の一類型ともいえる、企業内における秘 密保持誓約書も逐条的に解説を加え、また、企業内での秘密保持に関連 して、不正競争防止法の営業秘密の保護に関する条文を一部取り上げた。巻末には、採用時・退職時の誓約書のひな形も掲載している。そこでは
具体的な裁判例を掲げたが、案外どこでも起こり得る事例であり、企業の秘密管理の意識を高めていくための参考になる。
本書は、企業において秘密保持契約書の審査を行う立場の方から弁護士、司法書士、行政書士等の法律実務家まで、秘密保持契約書の審査に携わる方々を直接の対象としているが、秘密保持契約書の条項の解釈を通じて、一般的な契約条項の解釈方法が理解できるように周辺の知識を所々に盛り込んだ。したがって、およそ契約書審査に関係する仕事に携わる方々に、広くお役に立てるのではないかと自負している。
本書では、各所に四角囲みで参考となる裁判例を掲載したが、事例の紹介に留めたものもあり、また、判決文は任意の箇所を引用し、適宜要約し、下線を引くなどして、原文と異なるニュアンスが生じている可能性があることをご容赦願いたい。
最後に、本書執筆にお世話になった学陽書房のxxxxxx、校正担当者のxxxxxに深く感謝する次第である。
本書は、当事務所編の『実践 !! 契約書審査』シリーズの4 作目であり、このような多くの執筆の機会を与えてくださった学陽書房の皆様に厚く お礼を申し上げる。
2019年11月
出澤総合法律事務所
代表弁護士 xx xx
実践 !! 秘密保持契約書審査の実務
もくじ
はしがき 3
凡例 10
第1章 最初におさえる秘密保持契約の基本
1
秘密保持契約の目的とは 14
1 そもそも「秘密保持契約」とは? 14
2 立場に応じた仕組み作りが大事 16
3 秘密保持契約書作成時の視点 16
4 秘密の実効的な管理 17
2
取引基本契約書との競合 19
1 取引基本契約書と秘密保持契約書の関係 19
3
2 従前の秘密保持契約と並列させる場合の条項例 20
開示者・受領者が複数の場合 21
1 開示者・受領者が複数になる場合の契約条項の記載例 21
2 代理締結したい場合の条項例 23
第2章 秘密保持契約の条項ごとの留意点
1
契約の目的( 1 条) 28
1 契約の目的の必要性 29
2 目的の記載例 29
3 片務契約と双方契約 30
2
秘密情報の定義( 2 条 1 項) 31
1 開示を受けた情報 32
2 定義規定を設ける際のポイント 32
3 秘密情報の記載・記録媒体について 36
4 契約内容・売主が提示する価格表について 37
5 xxx上の守秘義務と参考裁判例 38
6 経済産業省の参考条項との比較 39
3
秘密情報の例外( 2 条 2 項) 42
1 適用除外条項の意義 43
2 適用除外条項のポイント 43
4
秘密の管理( 3 条) 49
1 「管理」の要点 50
2 注意義務のレベルに応じた修正例 52
3 受領者の開示対象者 53
4 秘密の管理に関する事故時の対応 53
5 複製等に関する定め 53
6 管理方法の指定 54
7 公的機関から開示を求められたときの取扱い 54
8 その他条件を追加する場合 57
5
事故時の対応( 3 条 4 項) 59
1 事故時の対応を想定した条項 59
2 第三者からの損害賠償等の請求に備えた修正例 61
6
秘密情報の返還( 4 条) 63
1 秘密情報の返還・廃棄 63
2 秘密情報の特定 65
3 経済産業省の条項例についての検討 67
4 ひな形 1 における構文の解説 68
7
義務の不存在( 5 条) 69
1 開示義務の不存在の合意 70
2 ライセンス許諾の不存在の合意 70
3 取引開始義務の不存在の合意 71
8
秘密期間( 6 条) 72
1 秘密保持契約終了後の秘密の取扱い 73
2 秘密保持期間の設定 74
3 財産的情報の保護の継続 75
4 契約の始期・満了を定める場合の条項例 75
5 契約の更新を定める場合の条項例 76
9
権利義務の譲渡承継の禁止( 7 条) 77
1 譲渡禁止特約の意義 77
2 新民法における債権譲渡禁止特約 78
3 包括承継の場合にも対応するための修正例 79
10
仲裁( 8 条) 81
1 準拠法・紛争解決手段・管轄 81
2 紛争解決手段の設定の要否 82
3 紛争解決のシミュレーション 82
4 紛争解決手段を明確化する修正例 85
第3章 その他の注意すべき条項
1
開示情報の正確性の保証 88
1 正確性の保証の意義 88
2 対応の方向性を示す修正例 89
3 秘密情報のオリジナリティを保証する修正例 90
2
監査条項 92
1 監査の手段を定め、実現性を高める修正例 92
2 事故発生時に監査を求めるための修正例 94
3 秘密情報の不正使用の疑いに対応する修正例 95
3
知的財産権処理条項 96
1 知的財産情報の開示と秘密保持契約のポイント 96
2 開示に伴うリスクをカバーする修正例 97
3 発明・考案・意匠又はノウハウの法的位置付け 99
4 残存期間の設定も検討する 99
4
差止請求権・原状回復請求権・損害賠償請求権 100
1 差止請求権 100
2 原状回復請求権 101
3 損害賠償請求権 101
5
残留情報 103
1 残留情報(residuals)とは 103
2 開示者側の対策としての修正例 104
6
個人情報 105
1 秘密情報に個人情報が含まれる場合の条項例 105
2 主な開示情報が個人情報である場合の条項例 106
7
反社会的勢力排除条項 109
1 反社会的勢力排除条項の根拠 110
2 解除に遡及効を持たせたい場合の修正例 111
3 相手方と既に取引関係が成立している場合の条項例 112
8
契約解除 113
1 一般的な解除条項において遡及効を避ける方法 114
2 残存条項の効力 115
9
その他の条項 118
1 ソフトウェアの提供に関連する条項例 118
2 トライアル用のソフトウェア等についての検討結果に
関連する条項例 120
3 海外への情報輸出管理に関連する条項例 121
4 競業制限のための条項例 122
10
データの取扱い 123
1 秘密情報の対象となるデータ 123
2 管理・返還に伴うデータの特定についての留意点 124
第4章 企業内の秘密保持
1
秘密保持誓約書 128
1 秘密保持「契約書」と「誓約書」 128
2 採用時の秘密保持誓約書の条項 129
3 退職時の秘密保持誓約書の条項 138
4 誓約書徴求のタイミングと徴求できなかった場合の対応 139
2
不正競争防止法による営業秘密の保護 141
1 民事上の請求が可能となる行為 142
2 刑事罰の対象となる行為 147
巻末資料 (ひな形)
ひな形 1 秘密保持契約書(基本形) 154
ひな形 2 秘密保持契約書(詳細な形) 158
ひな形 3 経済産業省・参考条項 165
ひな形 4 採用時誓約書 168
ひな形 5 退職時誓約書 171
8 秘密期間(6条)
P O I N T
秘密保持契約が終了したら、契約期間中に開示した秘密情報はどうなるのか必ずしも明確ではない。
秘密保持契約終了時には、開示した秘密情報は、受領者において当該情報にアクセスした者の頭の中にだけしか残存しないようにするのが原則。
秘密保持期間は、秘密の陳腐化・管理面の不都合等が生じるなど、あまり長すぎると不合理になることがある。
秘密保持期間が終了しても、開示者が財産的情報を留保していることを明確にする。
秘密保持契約の効果は、合意により遡及させることができる。秘密保持契約は、更新の定めを置くこともある。
第6 条 (秘密期間)
1 .本契約の期間は__年__月__日から 2 年間とする。
2 .秘密情報は、本契約の終了時からさらに 5 年間本契約により秘密として保護されるものとする。ただし、この期間を超える場合であっても、当該秘密情報は、開示者の財産として留まるものとし、また、不正競争防止法その他の法律により保護されることを妨げない。
ひな形 1(156ページ)6 条
1
秘密保持契約終了後の秘密の取扱い
秘密保持契約が終了したら秘密情報の取扱いはどうなるのか。秘密保持契約には、通常、契約終了後も秘密保持義務は一定期間存続する旨の定めが置かれる。それでは、このような存続条項が置かれていないときは、開示された秘密情報の取扱いはどうなるのか。大きく2 つの考え方があると考えられる。
A説:契約期間中に開示された以上は、契約終了後も当該秘密情報には契約の定める秘密保持義務が引き続き適用される。
B説:契約終了により、秘密保持義務は終了し、契約期間中に無断開示等の契約違反があった場合にのみ、当該秘密情報に契約条項が適用される。
秘密保持契約が終了したからといって、契約期間中に開示された秘密情報の秘密性が解除されるというのは、当事者の合意的意思に反する。秘密保持契約終了後も開示した情報の秘密性が継続していると認められる場合には、少なくともxxx上の守秘義務は継続すると考えるのが妥当とは考えるが、その要件は不明確であり、紛争が生じた際の当事者の協議の基準を設定しておくのが望ましいことはいうまでもない。
ところで、秘密保持契約が終了したら、開示された秘密情報はどこに存在することになるのか。本来、受領者のもとには残存させるべきではない。契約終了時には秘密情報は返還又は廃棄されるべき旨の条項を定めておくべきである。それにもかかわらず、秘密情報が受領者のもとに客観的認識可能なまま残っていれば、秘密保持期間の問題ではなく、返還義務違反という問題となる。そうすると、受領者のもとには何も残らないということになりそうだが、情報に接した者の頭には、秘密情報の記憶が残存する。これは消しようもない。時の経過によって、利用不可
能ないし利用の意味が失われるまで待つしかない。これが、契約終了後の秘密保持期間の意味である。
また、秘密情報にかかる「情報」は誰のものという観点を押さえておく必要がある。守秘義務が消滅すれば、相手方から受領した(元)秘密情報は、自由に使用してよいのかというとそうはならない。秘密情報は財産的情報であることが多いからである。
2
秘密保持期間の設定
秘密情報に接した者の頭に残ることから、開示予定の秘密情報の重要度、陳腐化の見込期間などを考慮して、契約終了後の秘密保持期間を設定する。秘密保持期間をどのように設定するかは、次の裁判例が参考になる。
大阪地判平20.8.28裁判所 HP
「秘密保持に関する条項が本件開発委託契約終了後も5 年間その効力 を維持するとする趣旨は、本件開発委託契約が終了してもこれまでの開発業務の遂行に当たり蓄積された種々のノウハウ等の営業秘密に関して契約終了後も相互にその秘密を保持すべき義務を一定期間存続させ、もって上記営業秘密の保有者の利益を保護することにあると解される。」
「その営業秘密に係るノウハウ等が陳腐化し、一定期間経過後は有用性や非公知性が失われる場合が多いと考えられるから、あまりに長期間に わたり当事者に秘密保持義務を負わせるのも合理性に欠けるものというべき・・・」( 5 年間は合理的とした。)
秘密(媒体を含む)の返還・廃棄をきちんと行っていれば、秘密情報は接した者の頭の中に残るだけである。管理コストが増大するので、いたずらに長期とすることは現実的でない。開示する秘密の重要性、性質によって設定することになる。その際、記憶に残留した秘密情報が陳腐
化ないし利用不能になる程度に記憶の消滅が期待できる程度の期間、秘密保持期間を継続させるのは合理的であり、上記5 年が有効とする裁判例があることも参考になる。
3
財産的情報の保護の継続
開示情報は、開示者の財産的情報であることを明示し、無断使用を牽制するために、秘密保持期間が経過したからといって、自由な利用を認めるのが当事者の意思ではないことを明示する。重要な技術的情報を開示する場合には、このような条項を設けておくと安全である。
4
契約の始期・満了を定める場合の条項例
ひな形1 は、始期を「本契約の期間は 年 月 日から」とした。これは、契約締結日と契約の効力発生日が一致しない場合を想定している。遡って「〇年〇月〇日から」とすることも可能である。秘密保持契約の締結に先行して、秘密情報の開示がされるということは、決して珍しいことではない。その場合、遡及的に一定の時期から契約の効力を及ぼす合意をすることで差し支えない。これにより、秘密保持契約締結前の開示情報の取扱いを合意で定めたことになる。
それでは、当事者が期間満了に気づかず、相互に秘密情報の授受をしていた場合は、どのような法律関係になるであろうか。通常は、黙示の期間延長の合意があったものとして、又は、従前の秘密保持契約の条項に従うとする黙示の合意があったとして、そのまま秘密保持契約に従うことになろう。
しかし、それでは、終期が不明となる。気づいたときには、何らかの書面の手当てが必要となる。覚書を作成し、その中で、次のように効力の始期・終期を明確にしておけばよい。
当事者間の〇年〇月〇日付秘密保持契約の効力は、(遡って同契約記載の契約満了日の翌日である)〇年□月□日から△年△月△日までの期間とする。
5
契約の更新を定める場合の条項例
参考までに、始期を本契約締結時とし、更新の定めのある条項例を掲げる。このような方法も一般的である。
本契約の有効期限は、本契約の締結日から起算し、満○年間とする。期間満了後の○ヵ月前までに甲又は乙のいずれからも相手方に対する書面の通知がなければ、本契約は同一条件でさらに○年間継続するものとし、以後も同様とする。
ひな形 3(167ページ)5 条
なお、上記条項例は、「期間満了後の○ヵ月前まで」とあるが、「(満了)後」では、起算点が不明瞭である。ここでは満了直後すなわち満了日が経過した時(日)のことをいうのであろうが、契約書では、「満了日」「満了日の翌日」のように起算点を明確にするのが通例である。