Das Studium vom Vertrag zugunsten Dritter
第三者のためにする契約
Das Studium vom Vertrag zugunsten Dritter
xx xx子
Xxxxxx Xxxxxxxxx
1.本稿の目的
現在私は「『身体』にはいかなる権利が成立するのか」1)という問題を研究の主眼としている。かかる研究を進める上で、私の現在の興味は以下の五つの視点にまとめることができる。すなわち①生命侵害に基づく損害賠償に関する議論の中から「損害賠償請求権の相続性」という論点に焦点を当て、人の死亡と当該損害賠償請求権の消滅との関係を明らかにすること、②相続の一般的効力を規定した民法第896条但し書に該当する権利が人役権を内容とすることから2)、当該但し書に該当するとされる「第三者を受給者とする生命保険金契約や終身定期金契約」などのいわゆる「第三者のためにする契約」と人役権(具体的にいえば、人役権たる「用益権」)の関係を明らかにすること3)、
③アメリカ法において「身体」の一形態である遺体が”trust”の概念によって保護されることから、このような保護が図られるようになった理由を歴史的考察を通じて明らかにすること、④フランス法において「身体」はいかなる概念によって保護されているかを明らかにすること、⑤わが国における人々の「身体」観とはいかなる影響の下に育成されているのかについて明らかにすること4)、⑥これら検討を通じて大陸法とxx法両者の概念を融合させ、臓器や細胞等の医療利用をめぐるドナー、ドナーの家族(あるいは遺族)、医療従事者間を規律するための法理論を確立すること、である。
以上の問題意識に基づき、本稿では「第三者のためにする契約」を取り上げ、「第三者のためにする契約」に対する研究が現在、いかなる方向に進んでいるのかをまとめることにしたい。その上で、私が目下進めている比較法研究の視点やその状況について報告する。
2.「第三者のためにする契約」の論理的難点と研究の方向性
「第三者のためにする契約」とは、契約当事者ではない第三者に直接に権利を取得させることを内容とする契約である。このような契約は、合意の効力がその当事者のみに及ぶという契約の相対効の原則に反し、わが国においては契約における一種の例外とし
1) この場合にいう「身体」とは、その構成要素である各部位、例えば臓器や細胞等を広く含めて指し示す言葉として用いる。
2) これまでの研究において、わが国の民法第896条但し書が人役権を内容とする、という仮説を導くに至っている。
3) 本文において後述するように、「第三者のためにする契約」においてはかつて第三者の権利取得の根拠が大きな論争となった。この点につき、私はかかる議論がxxx不十分であると考えている(本文後記5参照)。
4) かかる「身体」観を明らかにする必要性を認識した理由は、わが国で臓器移植法の改正が進められる際に「日本人の身体観」を根拠として同法改正に反対する立場があるからである。この点については別途論考をまとめる予定である。
て広く認められている。かかる認識はフランスやドイツにおいても同様であり、各国の影響を受けて「第三者のためにする契約」の概念を継受したわが国では、同概念に関する議論はさほど活発ではない。そればかりか、従来より第三者の権利取得の根拠を解釈論の立場から説明すること自体を放棄してきた。その昔「第三者のためにする契約」について体系的な論考を著したxxxxx博士やxxx博士、xxxx博士もまた、この点に関する困難さを十分に認識した上で、かかる解釈論の立場に趣きを置いた分析をあえて退けてきたように思われる。それに代わり、わが国における「第三者のためにする契約」に対する研究は具体的な判例研究、特に当該契約が成立しうるための要件に向けられた研究に焦点が向けられるようになった5)。このような動向は現在も引き継がれ、わが国では「第三者のためにする契約」が成立するための要件を比較法の見地から分析する手法が主流のようである6)。
3.「第三者のためにする契約」に対する欧米諸国の視点
前述した契約の相対効の原則は、無論「第三者のためにする契約」の有効性を否定する概念となるはずのものであったが、時代の流れに伴う商取引の活発化、権利義務関係の複雑化は当該原則を維持することの不合理さを露呈した。そのためローマ法原則の例外に対する許容は、ユスティニアヌス帝時代に形成され始めたが、当該原則そのもの自体は破棄されることもなく欧米諸国に影響を与え続けた。そして「第三者のためにする契約」が一つの契約として広く容認されるようになった端緒はxxxxxx(Xxxx Xxxxxxx, 1583~1645)の理論に由来するといわれる。「第三者のためにする契約」における要約者・諾約者・第三者(受益者)の関係についてxxxxxxの考え方は次のようにまとめることができる。すなわち要約者と諾約者との間で締結された合意により、第三者は当該合意の効果に対する権利を取得する。第三者による承諾によって初めて要約者と諾約者間で締結された合意の効果が第三者に及び、第三者の承諾の存在によって要約者と諾約者間でなされた合意は撤回され得ないものとなる。
このようなグロティウスの理論は「第三者の権利をいかに把握すべきか」という論争の端緒を与えた。1804年に制定されたフランス民法典はその第1119条および第
1165条によって契約の相対効の原則を採用しながら、第1121条において当該原則の例外を規定した7)。その後、ドイツにおいても「第三者のためにする契約」を原則
5) 殊にxxx博士は以下のように指摘した上、種々の具体的事例がいかなる要件を以って「第三者のためにする契約」を構成するのか、について検証している。
「従来わが国においてこの問題について公にされた文献は多くこの種の契約の定型の構成に努力の焦点 を向けてゐるのであって、かかる契約に属し、又は近似する諸種の形態を吟味することには可なり冷淡であったと見られ得るが故に、この点に関して比較的多くの努力を注いでみたいといふ願いである」xxx「第三者契約(1)」民商4巻2号252頁以下。
6) このような研究手法は、諸外国における判例分析をベースに進められることから、その意味において前掲注5)で示したxxx博士の研究手法と繋がる流れといえる。
7) フランス民法第1119条、第1165条、第1121条は以下の通りである。
「人は自己の名において、原則自己のためにのみ契約できる」(第1119条)。
「契約の効力は当事者のみに及ぶ」(第1165条)。
「何人も、それが彼自身のためにする契約の条件となり、または他人への贈与の条件となるとき、第三者
として承認すべきであるという論争が生じ、第三者の権利帰属を説明するための諸々の学説が提唱された8)。かかる論争はフランスに波及し、フランスにおいてもドイツと同様に「第三者のためにする契約」を広く承認するべきであるという論争が生じた。その結果、1896年に制定されたドイツ民法典はその第328条において「第三者のためにする契約」の効力に関する条文が創設された9)。また、フランスではフランス民法第
1121条に示された例外の内容を解釈論によって拡張する作業が行われるに至ったとされる10)。
イギリス法では契約の相対効の原則がコモン・ロー上「約因は受約者から提出されなければならない」、「直接の契約関係」というルールを新たに生み出し11)、「第三者のためにする契約」を否定する概念に支配されている。しかし、これら概念がイギリス法の根底を支配しているといっても、それは契約の相対効という学理上の帰結に対する維持、温存という意味しか持たない。なぜなら、イギリス法ではフランスやドイツと同様に「第三者のためにする契約」が社会にもたらす有効性およびその需要自体を認識しているからである。そのため、多大な判例の蓄積に共通して維持されてきたxx的概念そのものを変更するのではなく、個別具体的な事例ごとに判断してそれらを例外として処理しようとする。ゆえに、それら例外をなす個別具体的な事例に対する判断がさらに蓄積され、一つの「例外法理」という枠組みの中で新たな法理論を構築していく。この点、「第三者のためにする契約」もまた同じ傾向にあり、イギリス法は契約の相対効という概念を維持、温存した上で様々な例外法理によって個別の事例を解決してきた。そして現在では、
1999年に成立した「1999年契約法(第三者の権利法)」によって第三者の権利は当事者が締結した契約上のものである旨が認められた12)。
他方、アメリカ法は19世紀半ば頃にイギリス法から「約因は受約者から提出されな
の利益のために契約することができる」(第1121条)。
8) 承諾説、代理説、直接取得説と呼ばれるが、その具体的内容はここでは割愛する。
9) ドイツにおける「第三者のためにする契約」に関連する条文は以下の通りである(xxxx「第三者のためにする契約の法系別比較研究」比較13号47頁参照)。
「契約は第三者が給付請求権を直接に取得する効果を伴って第三者への給付を目的としうる。特別の定めなき限り、第三者が権利を取得しうるか否か、第三者の権利が当然に生じるか否か、契約当事者が第三者の同意なくその権利を消滅させ若くは変更しうるか否かは、諸般の事情、特に契約の目的に従つて決定される」
(第328条)。
「第三者が契約から取得した権利を契約当事者に対して放棄したときは、権利は取得されざりしものとみなす」(第333条)。
「契約から生ずる抗弁は、受益者に対しても対抗しうる」(第334条)。
「要約者は、反対の意思表示なき限り、第三者が独立に権利を行使しうる時に於ても尚第三者への履行を請求しうる」(第335条)。
10) xxxx「第三者のためにする契約法理の現代的意義(1)―xx法との比較を中心として―」法協第
115巻第10号1482頁以下。
11) xxxx「前掲論文」1509頁、1517頁。なお、「直接の契約関係」とは契約当事者でない者は契約を強制できない、というルールである。これは、イギリス法がフランス法の「合意は、契約当事者以外に、その効力を及ぼすことはない」という原則を受けて作り出したルールとされる(xxxx「前掲論文」
1517頁)。
12) xxxx「英国における『第三者のためにする契約』―1999年契約(第三者の権利)法と判例の分析―」名城法学第56巻第3号25頁以下。
ければならない」、「直接の契約関係」というルールを継受したとされる。これらルールを受け継いだアメリカ法の下では、「第三者のためにする契約」を原則として否定する判例、学説の狭間で第三者の権利を承認しようとする工夫がなされた。そして現在では、第三者の権利は当事者が締結した契約上のものである旨がリステイトメントという形で明言されている。
4.法系の違いから見る動向の異同
本来「第三者のためにする契約」を否定するための基礎概念を知らなかったxxxxの慣行の下では、「何人も他人のために約することを得ず」というもローマ法原則の継受によって大きな矛盾にさらされることになった。ゆえに18世紀に行われたドイツ民法典の立法作業では、学説による努力によって「第三者のためにする契約」の効果を第三者が直接に権利として取得する旨の明文化が図られた。わが国の民法もまた、このようなドイツ法の影響を強く受け、条文に明記する形式を採用している。これに対し、フランス法では既に述べたようにドイツ法と同様に学説による議論を経た上で第1121条という例外規定を創設し、かつ解釈論によってその例外の幅を拡張する方法が採られた。
以上の流れを概観するとき、大陸法とxx法という法体系の差異はあるものの、ドイツ法、日本法、イギリス法、アメリカ法は共通して第三者の権利が当該契約の効力として直接に導かれる旨の明文化を図る道を選んだことになる。そして、これらの国々では第三者が権利を取得するか否かを判断するための要件、すなわち権利発生の要件とは何かという点の具体的な検討に焦点が集まっている。そのため、イギリス法やアメリカ法の下では「第三者のためにする契約」にいう契約当事者の意思、つまり当該契約の当事者が第三者に権利を与える意図を以って合意を形成したといえるか否かが重要な要件とされる。さらに、当該契約の受約者が第三者に対して行う権利取得の申し入れを第三者が信頼したか否か、つまり、当該申し入れが第三者にとって十分に信頼し得るものであるか否かもまた重要な要件となる。このようにイギリス法とアメリカ法の下では、「第三者のためにする契約」を締結した契約当事者の「意図」や第三者による「信頼」の程度を判断するためにはいかなる要素を判断材料とすべきかが大きな問題と解されている。しかし、かかる状況はドイツ法もまた同様である。既に述べたように、ドイツ民法典 はその第328条において第三者の権利発生と当該権利の取得を「諸般の事情」によっ
13) xxxx「前掲論文」1532頁以下。
て判断することを原則する。そのため、この「諸般の事情」という要件をいかに判断するか、言い換えれば、いかなる要素を当該要件に含めるかが重要となる。この点において、契約当事者間でなされた合意(両者の意思)や当該合意内容をめぐる第三者とのあり方が問題とされる。さらに、「第三者のためにする契約」をめぐる契約法理論と不法行為法理論の交錯もまたイギリス法、アメリカ法、ドイツ法に共通した問題と指摘されている14)。
このように「第三者のためにする契約」をめぐる諸外国の動向は、契約の相対効という原則を超えて第三者が権利を取得するための要件をいかに理論化すべきか、という点に大きな関心を寄せている。
5.諸外国の動向から見る分析手法上の弱点
さて、ここまで「第三者のためにする契約」をめぐる諸外国の動向を確認してきた。その結果、諸外国は契約の相対効という原則を超えて契約の相対効という原則を超えて第三者が権利を取得するための要件をいかに理論化すべきか、という点に大きな関心を寄せていると指摘した。このような世界の状況を鑑みるとき、私は自らの研究との関係において諸外国で今や主流となりつつあるこの分析手法、すなわち第三者が権利を取得するための要件をいかに理論化すべきか、という分析手法に現段階で腐心することに懐疑的である。なぜなら、かかる作業は「第三者のためにする契約」における第三者の権利発生の根拠を十分に検証した後になされる必要があると考えるからである。以下、私がこのように考える理由を説明する。
先にイギリスにおいて「1999年契約法(第三者の権利法)」が成立したと述べた。同法の成立は、これまで述べてきた諸外国の動向に沿うものであり、積極的な活用が期待されていた。そのような期待にかかわらず、同法の適用を回避しようとする社会現象が存在しているというのである。その主な要因は第三者が権利を取得するための要件が明確でないこと、同法の適用によらずとも既存の法理(信託や代理、債権譲渡などにおける従来の様々な例外法理)によって対処できることにある15)。このようなイギリスの現状は、第三者が権利を取得するための要件を定立することの難しさ、既存の法理との区別の曖昧さを物語っている。そして、かかる難点は前述したアメリカ法においても同様に指摘し得る。イギリス法やアメリカ法において展開されている第三者が権利を取得するための要件をいかに理論化すべきか、という議論をそのままわが国に移植しようとすれば、大陸法特有の理論法学に混乱をもたらす危険がある。また、ドイツ民法のように第三者の権利発生と当該権利の取得を「諸般の事情」によって判断する場合、何ら前提となる解釈のないまま「諸般の事情」に該当する要素を判断することはできない。その前提となる解釈として、かつて学説は第三者の権利取得の根拠を議論したはずである。したがって、これら諸学説が真に説得力を有するものであるなら、第三者の権利取得に
14) xxxx「前掲論文」1483頁。xxxx「前掲論文」で紹介される判例分析やxxxxx「債権および請求権の概念についての一考察(1)ならびに(2)―第三者のためにする契約における要約者および第三者の権利をてがかりとして―」法学論叢(京都大学)第119巻2号52頁以下、同第120巻第2号
79頁以下で展開される分析の視点からもこの点は明らかである。
15) xxxx「前掲論文」25頁以下、xxxx「前掲論文」1509頁以下。
必要な要素はおのずと定式化あるいは類型化することができることになる。
以上のような観点に立つとき、従来行われてきた第三者の権利取得の根拠に関する議論は果たして十分であったと言えるのだろうか。「第三者のためにする契約」をめぐる諸外国の動向を通じ、かかる点にますます大きな疑問を持つとともに、当該契約の性質それ自体に対してより深い興味を抱くのである。このように、本研究はいささか時代の流れとは逆行するかのような視点が基礎となっている。しかし、たとえかかる視点が現代の流れと逆行するものであっても、終局的にはxxx博士やxxxx博士の求めた「『第三者のためにする契約』と近似する諸制度の区別化を検討し、当該契約の意義や第三者の権利取得の要件を明確にする」という帰結と合流するものである(後記6参照)。
6.本研究の状況
私は「第三者のためにする契約」が一つの契約として成立するまでの歴史に沿った、より論理的な解釈の可能性見出そうとしている。かかる可能性に基づき、再び第三者の権利取得の根拠に焦点を当て、これをイギリス法、アメリカ法、ドイツ法、フランス法に共通する要素、すなわちローマ法に立ち返って検証を進めている。これが「第三者のためにする契約」を研究の題材に掲げる理由である。そして、この「第三者のためにする契約」に対する歴史的視点に沿った研究は、アメリカ法やイギリス法において「第三者のためにする契約」に類似する諸制度とされる信託や代理と当該契約との区別を究明する作業なくして進めることはできない。殊に「第三者のためにする契約」と代理との区分を知らなかったローマ法の影響を色濃く受けたフランス法を起点として代理(委任を含むことにならざるを得ない)を分析し、これをアメリカ法やイギリス法におけるそれと比較、検証することは不可欠である。以上の理由から、「第三者のためにする契約」と代理との関係を検証しているというのが現在の状況である。
(xxxx・xxx 本研究科博士後期課程)