Contract
平成16年4月23日判決言渡
平成14年(ワ)第5455号,平成15年(ワ)第2441号 賃金等請求事件主 文
1 被告は,原告Aに対し,203万7530円及び内金25万6160円に対する平成15年1月25日から同年2月28日まで年5分の,同年3月1日から支払済みまで年14.6パーセントの,内金25万6160円に対する同年2月25日から同月28日まで年5分の,同年3月1日から支払済みまで年14.6パーセントの,内金152万5210円に対する同年3月29日から支払済みまで年5分の各割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,81万5815円及び内金2万9200円に対する平成15年1月25日から,内金2万9200円に対する同年2月25日から,内金
2万9200円に対する同年3月25日から,内金72万8215円に対する同年
5月1日から,それぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は,被告の負担とする。
4 この判決は,仮に執行することができる。事実及び理由
第1 請求主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は,被告に雇用されていた原告らが,被告から,一方的に賃金及び退職金の減額を受けたとして,減額前の額との差額及び弁済期の翌日からの遅延損害金を請求するものである。
2 争いのない事実
(1) 当事者
ア 被告は,名古屋ボストン美術館の運営等海外との芸術文化交流に関する事業その他文化の振興に関する事業を行うことにより,愛知県内における国際的芸術文化交流の進展及び地方文化の振興に寄与することを目的として,平成7年11月27日に設立許可を受けて成立した財団法人であり,基本財産4億円及び安定化基金3
0億円に加え,企業による寄付金44億円(後年度分も含む。)を運用財産としている。
被告には,平成15年1月1日現在で,理事13名,評議員36名のほか,事務局に館長及び16名の職員が在籍している。理事及び評議員は全員が無報酬で就任しており,上記16名の職員のうち原告ら5名のみが,被告が雇用している職員であり,被告の就業規則及び就業規則に基づく賃金規程の適用を受ける対象者である。残り11名の職員は,うち4名が人材派遣会社から派遣されている職員であり,残り7名は,被告の理事が所属している企業等の職員としての身分を有し,同企業等がその職員の人件費を負担している。
イ(ア) 原告Aは,被告の成立時から被告に勤務し,学芸部長,管理役を歴任し,平成15年2月28日をもって被告を退職したものであり,退職時56歳であっ た。
(イ) 原告Bは,平成8年6月1日から被告の試用職員として学芸部に勤務し,同年9月1日から被告の試用職員を解かれ学芸部学芸員として勤務してきたが,平成
15年3月31日をもって被告を退職したものであり,退職時34歳であった。
(2) 被告における平成14年末までの賃金規程(以下「旧賃金規程」という。)と原告らの賃金額
ア 被告の職員の賃金は,就業規則第49条に基づく旧賃金規程によって定められており,旧賃金規程第5条により,当月の1日から末日までの分を毎月24日に支払うこととされていた。
イ(ア) 原告Aの月額賃金は,平成14年10月時点で,通勤手当を除くと,本給
47万5600円,役職手当5万7560円,住宅手当5000円,研修手当1万
3000円の合計55万1160円であった。
(イ) 原告Bの月額賃金は,平成14年10月時点で,通勤手当を除くと,本給2
5万1200円,住宅手当5000円,研修手当1万3000円の合計26万92
00円であった。
(3) 旧賃金規程による原告らの退職金額
ア 被告の職員の退職金は,旧賃金規程によって定められていた。
イ(ア) 旧賃金規程第21条,第22条(3),第24条,第25条に基づいて計算すれば,原告Aが平成15年2月28日に退職したことによる退職金額は,算定基礎
額28万5360円(本給47万5600円×60パーセント)に退職手当支給月数7.64(勤続年数7年)を乗じた218万0151円となり,退職1か月後の同年3月28日までに支給されることになっていた。
(イ) 旧賃金規程第21条,第22条(2),第24条,第25条に基づいて計算すれば,原告Bが平成15年3月31日に退職したことによる退職金額は,算定基礎額
15万0720円(本給25万1200円×60パーセント)に退職手当支給月数
6.83(勤続年数6年10月)を乗じた102万9418円となり,退職1か月後の同年4月30日までに支給されることになっていた。
(4) 新賃金規程の制定と原告らの賃金額
ア 被告は,平成14年11月27日,旧賃金規程を平成15年1月1日から変更することを内容とする「賃金規程(案)」及び「退職金規程(案)」を提示して,原告ら各職員に個別に説明した。
これに対し,原告らは,承諾書を提出しなかった。
イ(ア) 被告が原告Aに提示した書面では,被告は,平成15年1月以降の原告Aの月額賃金について,本給を47万5600円から24万円に減額し,役職手当を
5万7560円から3万円に減額し,住宅手当,研修手当を廃止し,資格手当50
00円を新設して,合計額を55万1160円から27万5000円に減額するとしていた。
(イ) 被告が原告Bに提示した書面では,被告は,平成15年1月以降の原告Bの月額賃金について,本給を25万1200円から21万円に減額し,住宅手当,研修手当を廃止し,役職手当5000円,資格手当5000円を新設して,合計額を
26万9200円から22万円に減額するとしていた。
ウ 被告は,上記「賃金規程(案)」及び「退職金規程(案)」を統合した賃金規程(以下「新賃金規程」という。)を定め,平成14年12月中旬,原告らにこれを交付した。
旧賃金規程と新賃金規程の変更箇所は,別紙「賃金規程の変更事項にかかる新旧対照表」記載のとおりであり,新賃金規程には,特則として,一定の償却ルールに従って,月額2万円の調整手当を支給するとの定めがあった。
被告は,平成15年1月1日から新賃金規程を適用した。
エ(ア) 原告Aが平成15年1月以降受け取った賃金月額は,通勤手当を除くと,本給24万円,役職手当3万円,資格手当5000円,調整手当2万円の合計29万5000円であった。
(イ) 原告Bが平成15年1月以降受け取った賃金月額は,通勤手当を除くと,本給21万円,役職手当5000円,資格手当5000円,調整手当2万円の合計2
4万円であった。
(5) 新賃金規程による原告らの退職金額
ア 平成15年3月28日,被告は,原告Aに対し,新賃金規程に基づいて計算した退職金として65万4941円を支払った。
イ 平成15年4月30日,被告は,原告Bに対し,新賃金規程に基づいて計算した退職金として30万1203円を支払った。
3 争点
本件の争点は,旧賃金規程を新賃金規程に変更したこと(以下「本件改定」とい う。)により原告らの賃金及び退職金の額が減額になったかという点にあり,この関係で,①本件改定は手続的に有効か,②本件改定の必要性,合理性が認められるか,という点が争点となり,また,③本件改定が無効の場合の未払賃金の額も争点となる。
(1) 争点①(本件改定は手続的に有効か)についてア 被告の主張
(ア) 被告の賃金規程は,育児休業規程及び旅費規程と同様に,被告との間で労働契約を締結した者に対し適用される被告の就業規則の一部を構成するものであり,就業規則に基づき,就業規則とは別に定められている。
(イ) 被告の理事長は,被告の寄附行為第18条第2項により,被告を代表し,被告の業務を総理すると定められている。一方,被告の理事会は,寄附行為第23条により,寄附行為に別に定めるもののほか,被告の業務に関する重要な事項を議決すると定められている。そして,寄附行為第37条第5項により,被告の事務局の組織及び運営に関し必要な事項は,理事会の議決を経て,理事長が別に定めると定められている。
(ウ) 被告理事会は,就業規則の制定及び改定については,寄附行為第37条第5
項に定める事項に該当するとして,理事会の議決を経た上で,被告理事長が就業規則を制定した。
しかしながら,就業規則の一部を構成するが,就業規則とは別に定められている賃金規程,旅費規程及び育児休業規程の制定並びに改定については,被告理事会は,寄附行為第37条第5項に定める事項に該当しないとして,これまで,被告理事会の議決を経ずに,被告理事長が制定若しくは改定し,後日,制定又は改定された上記各規程を被告理事会に報告していた。
(エ) 被告は,本件改定をするに当たり,賃金規程の適用を受ける原告ら被告の職員全員に対し,平成14年11月27日に,その改定案を配布し,各職員ごとに個別にその改定案について説明をして,その意見を聴いた上で,被告理事長が,本件改定をして,平成14年12月中旬に,原告ら上記職員全員に新賃金規程を配布して,これを周知させ,平成15年1月1日から,新賃金規程を原告ら上記職員全員に適用した。そして,平成15年3月14日に開催された被告理事会で,本件改定の報告がなされた。
(オ) よって,本件改定の手続は正当,有効なものであり,本件改定は,就業規則の変更であるから,後記のとおりその変更に合理性が認められる以上,原告らに当然適用されるものである。
イ 原告らの主張
(ア) 本件改定に至る事実経過
a 平成14年7月にCが被告の理事長に就任し,同年11月1日には学芸部を廃止する組織改編を原告らの反対意見を押し切って強行した。
原告Aは,被告が組織改編を強行する姿勢を貫いたため,平成14年10月8日付けで,平成15年2月末をもって被告を退職するとの退職届を提出した。
b 平成14年11月27日,原告らは,被告のD事務局長に1人1人呼び出され,賃金及び退職金を減額する旨を告げられた。
減額を告げるに当たり,D事務局長は,被告が賃金及び退職金削減の根拠とするシュミレーションを原告らに対して示すなどの方法によって,賃金及び退職金の引下げの必要性を具体的に説明することはなかった。 D事務局長からは,原告Aに対しては,賃金規程案と退職金規程案が示されたのみであり,原告Bに対しては「給料を下げます。経営が苦しいので痛み分けしてほしい。」という一言と減額内容を示した書面が示されたのみであった。
原告らは,その席上,D事務局長から,賃金及び退職金の減額への同意を求めら れ,承諾書への署名捺印を求められた。原告らは,それぞれその場で,当該変更は一方的に大幅な減額を強いられるものであると抗議し,承諾書への暑名捺印を拒否し,退室した。
c 翌11月28日にも,原告らは再びD事務局長にそれぞれ呼び出され,再び承諾書への署名捺印を求められた。原告らが再度拒否すると,承諾書に印鑑を押さなければ解雇する旨告げられた。
d 原告ら学芸員の承諾が全くないまま,平成15年1月1日から被告が改定した新賃金規程が適用され,新賃金規程にのっとった賃金及び退職金が支払われた。 ただし,平成15年1月以降,原告らに正式な説明がないまま「調整手当」なる手当が設けられ,平成14年11月に原告らが説明を受けた賃金額に調整手当2万円が上積みされた金額が支払われた。
e 平成15年3月14日開催の被告の第16回理事会において,報告事項(5)として本件改定が報告された。
(イ) 就業規則の変更手続が行われなかったこと
a 被告の就業規則第6章「賃金及び退職金」において,「職員の賃金及び退職金に関しては,別に定める賃金規程による。」(第49条)と定められている。一 方,就業規則第68条(細則)においては,「この規則の実施に関して必要な事項は,理事長が別に定める。」とされている。このように,被告の就業規則におい て,賃金及び退職金は,その他の細則とは規定上区別され,賃金規程の内容は就業規則と一体化するという規定になっているのであり,細則のように理事長に権限が委任されているわけではない。以上のように,原告らの賃金及び退職金を定める賃金規程は,就業規則の一部をなすものである。
b 前述のとおり,被告が本件改定により原告らの賃金及び退職金を切り下げるに当たり,原告らの同意はなかった。もっとも,原告ら個別の労働者の同意がない場合であっても,就業規則が労働契約の内容を構成し,賃金及び退職金を減額する就業規則が原告らにも適用されるという事態はあり得るところである。
ところが,被告は,本件改定に当たり,就業規則変更の手続をとらなかった。
被告において就業規則を変更するためには,手続要件として理事会の議決が必要である。実際,平成11年4月1日に就業規則が一部変更されるに当たっては,事前に同年3月26日に開催された第8回理事会において議決を経た上で変更が行われた。
ところが,原告らの賃金及び退職金を削減した本件改定は,平成14年度の年度途中で突然行われたものであり,就業規則の変更としての理事会決議は行われなかった。
したがって,新賃金規程は被告自身が定めた就業規則変更の手続を履践せずに改定されたものであって,改定手続に瑕疵があり,無効である。
(ウ) 労働基準法90条1項の意見聴取も履践されなかったこと
また,本件改定に当たっては,労働基準法90条の手続も経ておらず,その点においても改定手続に瑕疵がある。
すなわち,就業規則変更については,労働基準法90条において労働者の過半数を代表する者の意見を聴くことが手続的要件として定められている。労働者の過半数が就業規則変更について十分に意見を述べ,使用者側がそれを十分に聴いたことが就業規則変更の効力要件となり,この意見聴取手続を欠いた就業規則の変更は無効となる。
被告は,平成14年11月27日及び同月28日に,当時産休により休業していた
1名を除き,学芸員全員を個別に事務局長室へ呼び出した。しかしながら,事務局長室ではD事務局長から一方的に新賃金規程についての承諾を求められたのみであり,各学芸員は意見を十分に述べる機会を与えられず,意見を述べる前提として賃金規程をなぜ改定する必要があるかにつきシュミレーションなどを示されての十分な説明もなされなかった。また,D事務局長の態度もただ承諾を迫るか,あるいは同年11月28日には承諾しなければ解雇するとの脅迫的文言まで持ち出して原告らに新賃金規程への同意を迫るものであって,原告らの意見を「聴く」という姿勢とはほど遠いものであった。
以上のように,被告において,就業規則変更に際し,労働基準法90条1項の意見聴取手続は履践されておらず,新賃金規程は無効である。
(エ) 新賃金規程が「賃金の決定,計算」について定めていないこと
仮に,新賃金規程が上記のような手続的要件をすべて履践しているものであるとしても,新賃金規程は労働基準法89条2号の賃金に関する事項をきちんと定めたと評価することができない内容であり,原告らの減額後の賃金額の根拠規定とはなり得ない。
労働基準法89条2号では,就業規則においては「賃金の決定,計算及び支払の方法」を定めなければならないとされており,これはいかなる場合であっても必ず記載しなければならない絶対的記載事項である。そして,「賃金の決定,計算及び支払の方法」とは,賃金べース又は賃金額そのもののことではなく,学歴,職歴,年齢等の賃金決定の要素あるいは賃金体系等賃金の決定及び計算の方法並びに月給 制,日給制,出来高払制等の支払の方法をいうとされている。
この点,旧賃金規程では「職員の本給は,月額とし,学歴,職歴,経験,技能,年齢,及び他の職員との均衡を勘案して,別表1の職員本給表の号級により支給す る。」(15条1項)とされ,賃金決定の要素及び賃金体系が示された規定内容となっていた。
ところが,被告が原告らの減額後の賃金の根拠とする新賃金規程では「職員の本給は,月額とし,他の職員との均衡を勘案して支給する。」(12条)としか規定されなくなった。この新賃金規程では,どの点において原告らの賃金の均衡を勘案するのか全く不明であって,労働基準法が要請する賃金決定の要素が示されておら ず,職員本給表が削除されてしまったため,賃金体系等の賃金決定あるいは計算の方法も全く示されていない。つまるところ,新賃金規程では,使用者たる被告が何の基準もなく自由に原告らの賃金を決定できる仕組みが記載されているにすぎないのである。このような規定は,労働基準法89条2号の要請に反し,賃金について何ら定めをしていないに等しいのであって,そもそも就業規則(の一部をなす賃金規程)としての体裁すら満たしていない。
したがって,本件改定が仮に賃金規程を変更するに当たって必要とされる手続的要件を満たしているとしても,新賃金規程は賃金額を定めた実体ある規定ではないから,原告らについて賃金及び退職金減額の根拠とはならない。
(オ) 以上のように,本件改定は就業規則変更の手続を履践したものではない。
そして,労働者の賃金及び退職金を減額するためには,減額について労働契約上の根拠が必要であるところ,就業規則の変更がないのに減額が有効となるためには,原告らの個別の同意が最低限必要である。しかしながら,原告A及び原告Bが,新賃金規程による賃金及び退職金の減額に一切同意を与えていないことは明らかである。
したがって,本件改定の必要性及び合理性につき,被告の経営実態に照らして詳細に検討するまでもなく,被告の抗弁は成り立たない。
(2) 争点②(本件改定の必要性,合理性が認められるか)についてア 被告の主張
(ア) 被告の特殊性
a 被告は,争いのない事実にあるとおりの目的で設立された財団法人であり,一般の営利法人とは全く異なった存在である。
b 被告は,名古屋市及び愛知県が被告の基本財産に充てるために各1億円の寄付をして,上記合計2億円を含めた4億円を基本財産とし,名古屋市及び愛知県が被告の経営安定化基金に使途を限定した各15億円の提供をして,上記合計30億円を経営安定化基金とし,さらに,愛知県に事業所を有する被告を支援する企業(以下「支援企業」という。)が寄付した44億円(後年度寄付分も含む。)を運用財産としている。
c 被告を運営していくための被告の主たる収入源は,これまで支援企業の被告に対する寄付がその過半数を占めており,次の重要な収入源が,経営安定化基金による運用利息及び配当収入並びに名古屋ボストン美術館の展覧会の入場料等の事業収入であった。
また,被告には,平成15年1月1日現在で,支援企業を主たる出身母体とする理事13名及び評議員36名,並びに事務局に館長及び16名の職員が在籍していたが,理事及び評議員は,全員が無報酬で就任しており,上記16名の職員のうち7名は,支援企業等から出向を受け,被告が設立された当初から支援企業等が上記出向職員の人件費を負担してきた。
よって,被告は,支援企業の被告に対する支援への依存度が極めて高く,上記支援は,被告が今後存続していくために必要不可欠であった。
d 被告の主たる事業は,名古屋ボストン美術館を運営することであり,被告とアメリカ合衆国ボストン美術館(以下「米国ボストン美術館」という。)との間の基本契約(以下「本件基本契約」という。)に基づき,「ボストン美術館」の名称を名称の一部として使用して,名古屋ボストン美術館において,常設展,企画展の展覧会を開催し,米国ボストン美術館から提供された美術品を上記展覧会において展示する等の活動をすることであった。
よって,被告が今後存続していくためには,米国ボストン美術館の協力を得ることが必要不可欠であった。
(イ) 本件基本契約の内容
本件基本契約の内容は,おおむね以下のとおりであり,被告が本件基本契約に基づいて米国ボストン美術館に対して負っていた債務は,被告にとって負担が非常に重く,被告の経営を圧迫する要因の1つとなっていた。
a 契約期間
本件基本契約は,名古屋ボストン美術館の開館から20年目の応答日に満了する。ただし,本件基本契約の満了日の遅くとも3年前までに,本件基本契約の延長の有無について協議する。
b 解約
名古屋ボストン美術館の開館から5年目,10年目,15年目のそれぞれ最も直前に終了する企画展の終了日をそれぞれ効力発生日として,本件基本契約の当事者 は,上記効力発生日の遅くとも3年前までに,他方当事者に対し書面による通知をすることにより,上記効力発生日に,本件基本契約を終了させることができる。 c 展覧会
(a) 企画展
米国ボストン美術館は,名古屋ボストン美術館に対し,名古屋ボストン美術館の開館から20年間,毎年少なくとも2回,企画展を提供する。
(b) 常設展
米国ボストン美術館は,名古屋ボストン美術館に対し,名古屋ボストン美術館が開館からそれぞれ5年間ずつ継続する期間の常設展を4回(合計20年間)提供す る。
d 展覧会に関連する条項 (a) 展覧会の配分
米国ボストン美術館の10の各学芸部門から少なくとも1回の展覧会が開催されるものとする。また,同一の部門から2回を越える展覧会が5年以内に提供されることがないものとする。
(b) テーマの選定
名古屋ボストン美術館及び米国ボストン美術館は,それぞれ展覧会のテーマを提案する権利を有するものとする。
(c) 美術品の選定
名古屋ボストン美術館及び米国ボストン美術館は,それぞれ名古屋ボストン美術館の展覧会に出展する美術品を提案する権利を有するものとする。
e 寄付金
被告は,米国ボストン美術館に対し,以下のとおり寄付をする。
(a) 本件基本契約の締結時に100万アメリカドル(以下,単に「ドル」と表記する。)
(b) 平成8年12月及び本件基本契約期間中毎年12月に各100万ドル
(c) 名古屋ボストン美術館の開館時又は平成10年5月31日のいずれか早期に
500万ドル
(d) 名古屋ボストン美術館の開館後10年目及び15年目の各開館記念日に各5
00万ドル
(e) 各企画展及び各常設展ごとに各18万ドル f インフレ条項
上記eの寄付金のうち(b),(d),(e)に定める各寄付金は,いずれも平成7年1
2月以降にアメリカ労働省が公表するボストン市の消費者物価指数(又はその他両者が合意する指数)による物価上昇を反映するため調整されるものとする(なお,平成14年の時点で,上記消費者物価指数は,基準年に対し,20パーセント以上上昇していた。)。
g クーリエ(修復担当者)の費用負担
被告は,名古屋ボストン美術館における展示のために米国ボストン美術館が派遣するクーリエの以下の費用を負担する。
(a) クーリエの1人1日当たりの日当2万5000円 (b) クーリエの航空運賃
なお,航空運賃は,ビジネスクラスによるものとする(クーリエ1人当たり各40万円程度)
h 各展覧会開催のための美術品の修復費,運搬費,補修費及びクーリエ派遣に要する費用は,米国ボストン美術館が被告に対して事前に示した見積額を超過して も,すべて被告が負担する。
(ウ) 被告の経営危機
a 被告の決算年度は,毎年4月1日から翌年の3月31日までであったが,被告は,平成12度末である平成13年3月31日の時点で,その経営が危機的状況にあった。
すなわち,被告は,平成7年に設立された時点で,後年度の寄付分も含めて運用財産44億円をもってスタートしたが,毎決算ごとに赤字を重ねており,平成12年度は,約4億2810万円(1万円未満切り捨て。以下同様)の赤字となってお り,平成12年度末の時点での次期繰越金は,上記44億円からわずか7億613
5万円にまで減少していた。
b 被告は,平成13年3月26日に,第12回理事会を開催し,次期平成13年度の予算を審議したが,同予算案において,平成13年度も約4億5387万円の赤字を見込み(被告設立以来の累積損失は約41億円),平成13年度末の被告の次期繰越金が2億4272万円にまで減少する見込みであった。
なお,実際は,平成13年度末においては,後述する23億9536万円の追加寄付がなかった場合には,被告は,6億6522万円の赤字となっており,その場合の次期繰越金は,9613万円にすぎなかった。
よって,平成13年度末からの追加寄付がなされなかった場合には,被告は,平成
14年度の早期に,資金が枯渇し,名古屋ボストン美術館を運営できなくなっていた可能性が非常に高かった。
(エ) 経営危機に至った原因
名古屋ボストン美術館が経営危機に至った直接的原因は,以下のとおり,大きく4
つあった。
第1には,名古屋ボストン美術館の入場者数が設立当初の計画に対して大幅に少なかったことにより,事業収入を計画どおり達成できなかったことにあった。すなわち,名古屋ボストン美術館の企画展・常設展の合計入場者数(重複入場を含む。)は,平成11年度は111万人であったものが,平成12年度には27万6000人,平成13年度には30万5000人にまで減少してしまっていた。その結果,当初計画比で見た場合に,事業収入はマイナス5億円となっていた。
第2には,名古屋ボストン美術館がその事業収入に対応しない多額の経費支出を続けてきたことであった。すなわち,名古屋ボストン美術館は,開館以来4年間で1回の常設展と8回の企画展を行い,15億円の赤字を発生させてしまった。例え ば,平成13年度の場合,被告の事業収入が1億7879万4000円であったのに対し,支出の大部分を占める美術館事業費が8億7310万6000円にもなっていた。その結果,当初計画比6億円強の支払超過となっていた。そして,平成1
3年度の事業収支のような状況が開館以来継続した結果,当初計画比で11億円の事業収支の悪化(後述の運用収支分を除く。)となって,被告は,多額の損失を累積させることになった。
第3には,低金利の影響により,経営安定化基金による運用収入が予定額に達しなかったことにあった。その結果,当初計画比で見た場合,マイナス5億円となってしまった。
第4には,本件基本契約に基づく被告の負担額が非常に大きかったことであった。ただし,上記負担は,被告の設立当初から予定したものであり,上記負担を前提として,被告は設立されたものであった。
(オ) 本件基本契約の継続
名古屋ボストン美術館は,平成11年4月17日に開館した。本件基本契約によれば,被告は,平成11年4月17日から5年目である平成16年4月17日の最も直前に終了する企画展の終了日に,本件基本契約を終了させることができ,その場合には,その終了日から遅くとも3年前である平成13年4月ころまでに書面による通知をする必要があった。
ところで,被告は,当時,前記のとおり,平成14年度の早期に資金が枯渇するような経営危機の状況下にあり,被告が本件基本契約の継続を決断することは,その場合の被告の存続の方策を決定することも含めて,極めて重大な経営問題であっ た。
そして,被告は,平成13年3月26日の第12回理事会において,本件基本契約を平成16年に更新させて平成20年度末まで存続させる旨の決議をした。
被告理事会が上記決議をしたのは,本件基本契約を継続しない場合には,愛知県,名古屋市,名古屋商工会議所など関係諸団体のほか,支援企業,来館者等の期待を裏切ることになるほか,名古屋ボストン美術館が存在する名古屋市xx地区の開発プロジェクトへの影響や,愛知万博前の名古屋ボストン美術館の閉館による影響など多方面に多大の影響を与えることを懸念したためであった。
上記決議に当たっては,出席理事から,被告として一層の集客努力を行うこと,日本人の好みにあった展覧会を開催すること,常設展の在り方を検討すること等の被告の自助努力の必要性が強く指摘された。また,本件基本契約を平成20年度末まで継続させることは,被告が少なくとも平成20年度末まで存続することを前提としていたが,被告の厳しい経営危機の状況の下においては,被告の存続のために被告に対して今後総額33億円程度の追加寄付が必要であること,上記追加寄付の募集を平成14年度より開始したいこと及び寄付募集の概要を別途理事会に諮る旨の説明がなされた。
(カ) 追加寄付募集
被告は,上記の理事会決議により本件基本契約を少なくとも平成20年度末まで存続させる旨の決定をしたことから,同決定に基づき,平成13年11月に,平成2
0年度末まで本件基本契約が存続する場合の被告の収支の状況を明らかにし,被告に対する追加寄付の必要額を確定するために,シュミレーションをした(以下「旧シュミレーション」という。)。
被告は,前記のとおりの被告の危機的経営状況及び経営危機に至った原因を踏ま え,今後の被告の経営努力を加味して,旧シュミレーションを行った。例えば,平成13年度から平成20年度までの入場者数を,当初計画の年平均31万8000人から27万9000人に下方修正をした。また,運用利回りを毎年5パーセントから平成13,14年度を年1パーセント,平成15年度を年2パーセント,平成
16年度を年3パーセントに下方修正した。また,経費を,支出合計べースで平成
11,12年度の平均額に対し,平成13年度から平成20年度までを平均年2億円あてを削減する旨の下方修正をした。経費の削減については,被告が少なくともこの程度の経営努力を行わなければ,追加寄付について支援企業の理解が得られないとの判断があった。
当初計画より下方修正をした計画を基に旧シュミレーションを行った結果,平成2
0年度までの被告の累計資金不足額が31億4196万1000円である旨算出された。旧シュミレーションの結果は,第12回理事会で事務局が説明した約33億円の追加寄付額の必要性を裏付けるものであった。そこで,被告は,この旧シュミレーションの結果を基に,支援企業に対する追加寄付要請額を33億円とする旨の目標設定をした。また,平成13年度末には,被告の資金繰りが極度に悪化することが予測されていたので,被告事務局内で,寄付開始時期を平成13年度末に繰り上げる旨決定し,同年度末から支援企業に対する働き掛けを始めた。そして,平成
14年3月22日の第14回理事会において,33億円の寄付金を募集する旨の決議をした。
(キ) 支援企業の寄付応募条件
a 被告の主要支援企業であり,被告が追加寄付募集額33億円のうち28億円の寄付の応募を求めている中部電力株式会社,東海旅客鉄道株式会社,トヨタ自動車株式会社,名古屋鉄道株式会社,株式会社UFJ銀行の5社は,被告の上記寄付募集に対し,支援企業の置かれた困難な経営環境を踏まえた上で,平成14年2月2
2日に,その実務者会議により,以下の条件をもって応募する旨の申入れをした。 (a) 被告に対する寄付を含む資金協力は,今後いかなる事情が生じようとも,今回限りとする。
(b) 被告は,上記(a)の資金協力をもって,経費節減及び経営の刷新を含む更なる経営努力を行い,平成20年度末の契約期間が終了するまで,責任をもって,名古屋ボストン美術館の営業を継続させる。
(c) 平成20年度末の本件基本契約の期間終了後の取扱いについては,米国ボストン美術館に対する解約の意思表示をなし得る平成18年3月までに最良の方策を検討する。
被告は,追加寄付の募集に当たって上記5社の支援を仰ぐことが絶対に必要であったことから,上記5社に対し,平成14年3月8日に,上記条件を応諾する旨回答するとともに,支援企業に対し,上記条件の下に寄付を募集することにした。
b 名古屋経済は,被告が上記追加寄付募集活動を開始した当時,どん底の状況にあり,被告の追加寄付募集の働き掛けに対し,上記5社以外の支援企業の反応も極めて厳しいものであった。支援企業は,被告に対して,寄付に応募するに当たり,その経営状態の厳しさを訴えるとともに,上記aの(b)に記載の条件のとおりに被告が自助努力をすることを強く求めた。
(ク) 再度のシュミレーションと被告の自助努力の必要性
a 支援企業の被告に対する追加寄付は,今回の寄付の応募をもって終了するために,被告は,支援企業に対して,今回の追加寄付額をもって少なくとも平成20年度末まで自力で存続する債務を負うことになった。そこで,被告は,自力再生のために被告の経営を抜本的に見直す前提として,平成14年7月から,旧シュミレーションの再度の見直しを実施した。そして,上記見直しの結果,旧シュミレーションは,その前提とした条件設定が非常に甘く,低金利の継続による運用収支の低 迷,不景気の影響等による名古屋ボストン美術館の入場者数の落ち込み,円安傾向の懸念等の要因から,被告には,平成20年度末までに,更に約10億円の資金不足の発生が懸念される結果が明らかになった。すなわち,上記33億円の追加の寄付金が被告に入金されたとしても,被告は,平成20年度末までには,約10億円の資金不足が発生し,平成20年度以前の年度において,被告の資金が完全に枯渇し,名古屋ボストン美術館の営業を継続することが不可能となる事態が発生することが明らかになった。
b 上記平成14年7月からのシュミレーション(以下「新シュミレーション」という。)の結果を踏まえて,少なくとも平成20年度末まで被告を存続させ,支援企業に対する責任を果たし,支援企業の支援を維持していくためには,被告は,更なる自助努力をする必要があった。
上記自助努力は,第1には,名古屋ボストン美術館の入場者数を確保することであり,第2には,被告の経費を大幅に削減する等の経営合理化をすることであり,第
3には,被告にとって負担の重い本件基本契約を改定することであった。
(ケ) 米国ボストン美術館との本件基本契約改定についての交渉
被告は,平成14年9月から,米国ボストン美術館との間で,本件基本契約の改定についての交渉を開始し,被告の経営改善について被告に可能な自助努力をした。上記交渉により,米国ボストン美術館は,被告の置かれた厳しい経営危機を初めて理解し,活発な話合いがなされた。その話合いの中で,米国ボストン美術館から,被告は米国ボストン美術館の支援を受けているのであるから,コスト削減のために被告の学芸員を1名にして他の学芸員を解雇すべきではないかとの厳しい意見も出された。
米国ボストン美術館との交渉の結果,米国ボストン美術館は,譲歩をして,本件基本契約のうち以下の部分が改定された。
a 第2回以降の常設展を取りやめる(この取りやめの結果,常設展1回当たり1
8万ドルの米国ボストン美術館に対する寄付金及び年間約7000万円の経費の各削減が見込めることになった。)。
b 米国ボストン美術館が名古屋ボストン美術館に派遣するクーリエの費用のうち被告が負担する日当を,1人1日当たり2万円に引き下げる。
c 被告は,クーリエの航空運賃のうち,エコノミークラスの運賃相当額のみを負担する。
d 各展覧会開催のための美術品の修復費,運搬費,補修費,クーリエ派遣に要する費用が,米国ボストン美術館が被告に対し事前に示した見積額の110パーセントを超えるときは,米国ボストン美術館は,被告とその対応策を協議しなければならない。
e 名古屋ボストン美術館の夏期の展覧会場の温度設定を摂氏24度から26度に引き上げることを承認する(この承認の結果,光熱費が削減される。)。
f 名古屋ボストン美術館の今後の企画展は,日本人に関心の高い,費用のかからないものにする。
そして,米国ボストン美術館が譲歩した以外の本件基本契約の改定の問題は,次回以降の交渉に持ち越された。しかしながら,米国ボストン美術館は,被告の窮状については,理解を示し,被告に対し,新たな協力の申出をしてきた。例えば,米国ボストン美術館の紹介により,フィデリディ財団を被告の理事に招へいし,平成1
5年度前期の「ボストンに愛された印象派」展において,フィデリディ財団が50万ドルを特別協賛することになった。また,常設展終了後の展示場の活用につい て,被告が経費負担をしないことを前提とする協力の申出があった。
(コ) 被告の自助努力を阻む要因
被告が経営不振に陥り,自助努力により被告の経営を改善することがこれまでできなかったのは,被告の組織機構の在り方が大きく影響していた。
すなわち,被告の組織機構は,展覧会を企画して資金を使用するライン(館長・学芸部長ライン)と資金を集めて管理をするライン(事務局長ライン)とにしゅん別されていた。そのために,館長・学芸部長ラインと事務局長ラインとの間の連携とけん制機能が全く欠如し,被告の主要事業である展覧会の開催事業について,学芸部に権限が集中し,学芸部は,ほとんどノーチェックで企画立案し,事務局長は,展覧会が決定した時点で支払の決裁書に押捺するのが実態であった。
具体的には,展覧会の計画は,学芸部により,開催の2年以上前に計画が開始さ れ,まず,米国ボストン美術館と相談をして,テーマを選定し,学芸員の中から担当者を決めた。それから実施の約半年前までに,企画内容の点検や翻訳,出展作品の調整,日本向け企画書の策定等を行い,その後実施の2か月ほど前までに,会場構成,図録の最終案を固め,最終準備,開催へ至った。その結果,展覧会のテーマや展示構成等が担当学芸員の専管事項となり,結果的に,企画内容の変更が無理な時期までほとんどの情報が学芸部に集中することになって,企画が決裁に上げられた時点では,変更することが極めて困難であった。さらに,展覧会の企画が担当学芸部員のみに任される形となり,学術的・専門的になりすぎ,一般の人の関心を引くことができなかった。その結果,入場者数の伸び悩みや,「xxが高い美術館」というイメージに結びつくことになった。また,学芸員の資質にバラツキがあり,担当学芸員の力量等によって,仕事の納期も遅れがちであった。さらに,展覧会が近づくと,学芸員に権限を集中させすぎた結果,担当学芸員の疲労が目立つことになった。対外広報についても,企画段階から学芸部に業務と情報が集中しており,情報が学芸部の外に流れず,学芸部に意見を言っても取り上げられることもなく,特に担当学芸員の繁忙時には,担当学芸員は,機動的で効果的な活動ができなかった。
次に,展覧会開催のための費用について,学芸部は,コスト意識が極めて薄く,被告の経営状態や資金不足についてほとんど関心を払わず,事業コストの削減に無関心のまま事業を進めた。事務局長及び他の部は,いずれも組織上,学芸部のこのような事業遂行に対してチェック機能を果たすことができなかった。その結果,予測入場者数に対応しないコスト高な展覧会企画が立案されることになった。展示設備でより高級なものの提案があると,それにひかれた学芸員は,コストに考慮をすることなく容易にその提案を採択していた。また,学術的価値を追及する余り,展覧会経費や図録の情報量を広報・営業面でコントロールする機能が乏しく,売れる見込みを考慮しない分厚いカタログを作成するなどの傾向があった。会場設営については,入札により請負業者を選定すべきであったが,実際は,相見積りすらとらずに,特定の親密な業者に会場の設営を請け負わせていた。業界でも請負価額が高いと評判であったKとの間で,4年間に9回も会場設営のための請負契約を締結しており,その請負金額は,ほとんど見積書のとおりであり,被告は,Kに対して,請負代金として合計4億円以上も支払うことになった。
(サ) 組織機構改革
被告は,平成14年11月1日に,被告の自助努力を阻む上記要因を取り除き,被告の経営の合理化を目的として,被告の組織機構を改革した。
上記組織機構改革の結果,館長のライン下にあった学芸部を廃し,企画部,広報 部,総務部の3部体制とし,これをすべて事務局長のライン下に置いた。従来の展覧会を企画して資金を使う「館長・学芸部長ライン」と資金を集めて支払管理をする「事務局長ライン」とがしゅん別された組織を,展覧会企画から支払管理までを事務局長に集中する組織にした。具体的には,館長をラインから外し,学芸員を企画部と広報部に分散配置し,相互に点検,けん制し,高度化・効率化の提案ができる組織にした。また,渉外役を任命し,継続的に寄付金募集,法人賛助会員募集等の業務に専念できる体制とした。
上記組織機構改革は,これまで述べた学芸部に権限が集中した弊害を取り除き,学芸員を各部に配して,学芸員以外の目を交えて一般の人々にも分かりやすい展覧会を企画をし,併せて,経費支出の分野について専門外の学芸員の責任と労働の軽減を図ることを目的としたものであった。
そして,上記組織機構改革により,それぞれの立場の者が各人の専門的知識を生かしながら協力して,観覧者の視点に近づけた展覧会の企画立案をし,名古屋ボストン美術館の入場者数の増大を図り,併せて経費支出を抑制してこれを実施していくことができる体制になった。
なお,原告らは,学芸部の廃止は美術館の自殺行為であると批判をするが,原告らの上記の批判は,全くの的外れである。学芸部を廃止しても学芸員の数はそのまま維持されている。企画部と広報部とに学芸員を分散配置することにより,学芸員に過度に集中した業務を分散したものにすぎない。また,従前の学芸員の職務の中 で,対外的色彩が強い図録の作成,教育普及等,学芸員にとって過大な負担となっていた業務を広報部へ移管し,業務の一貫性と継続性を確保できる体制にしたものである。さらに,学芸員は,展覧会開催時期に,米国ボストン美術館からのクーリエや館長等の来訪のスケジュール調整等の業務までを担当し,その職務で忙殺されていたが,上記職務を総務部対応とすることにより,過大な負担を削減したものである。学芸員を上記のとおり処遇することは,名古屋ボストン美術館の学芸員数,全体の職員数,米国ボストン美術館が名古屋ボストン美術館の知識的バックボーンであることの特殊性などから,名古屋ボストン美術館に相ふさわしい最適の組織体制であるというべきである。
(シ) 原告らの職務内容の変更
上記の組織機構改革に伴い,原告A以外の学芸員は,企画部か広報部に配属された。また,原告Aは,事務局長付部長としての管理役に任ぜられた。
上記改革の結果,原告Aの職務内容は,大きく変わった。原告Aは,上記改革前 は,学芸部長として,xxな学芸部の職務を,その責任者として担当していた。しかしながら,上記改革後は,管理役となって,ラインの部長としての管理責任がなくなり,責任・繁忙の程度は,それ以前に比べ格段に軽くなり,残業等も非常に少なくなった。その結果,原告Aは,部長待遇であるが,管理職としての総合職から一般職に近い状態にまで労働が軽減されることになった。
(ス) 本件改定の必要性
被告は,愛知県に事業所を有する支援企業から寄付を受け,支援企業から職員の出向を受け入れ,出向職員の人件費を支援企業が負担するなど,愛知県の経済界の支
援により支えられ,存続してきた。よって,被告を再建させるには,再建に向けての被告の自助努力について支援企業の理解を得ることが絶対に必要であるが,支援企業は,前記追加寄付に当たって,被告がコストの削減に真剣に取り組むことを条件としていたのであるから,被告の自助努力としては,そのコスト削減が大きな柱となる。
民間企業は,近年,不況の進行により,賃金の切下げを含めたコスト削減を強力に押し進めて,生き残りを図ってきた。その事情は,支援企業についても同様であ る。
ところが,被告の職員の給与は,賃金規程により毎年自動的に昇給する仕組みとなっていたので,その給与水準が被告の支援企業の平均給与水準より高額となって,アンバランスを生じていた。かかる状況においては,被告は,支援企業の理解を得ることはできない。よって,被告のコスト削減のための自助努力としては,人件費を例外とすることができない。そして,被告の職員の整理解雇をせずに人件費を削減するためには,賃金規程を見直して,被告の職員の賃金を適正なものにすることが絶対に必要であった。
(セ) 本件改定に当たって採り入れた考え方
被告は,本件改定に当たって,役職定年制の考え方と退職金の在職年数による削減率の考え方を採り入れた。
まず,役職定年制の基本的考え方は,経営危機にあるなかで雇用を確保するため に,賃金体系を柔軟化し,世代間の移行による組織の活性化を図るものといえる。被告は,このような考え方をベースとして,旧賃金規程の年功序列型の賃金体系を廃止した。資本金5億円以上かつ従業員1000人以上の60歳定年を採用している企業で役職定年制を導入している企業は54.2パーセントにも及んでいた。役職定年制は社会の大勢になっていると思われる。
また,退職金規程の在職年数による削減率の考え方は,その企業の相応の業務レベルヘ達するのには時間が必要であり,職員が早期退職をする場合に企業に対する貢献度を低く評価し,一定期間以上長期に在職した職員の企業に対する貢献度を高く評価する考え方によるものである。
(ソ) 本件改定の個別的理由
被告が本件改定を行った個別的理由は,以下のとおりである。 a 本給
賃金規程の対象となる被告の職員は,学芸員の資格を有する5名のみであり,ま た,被告は,学芸員を学卒時ではなく,途中採用していたので,旧賃金規程の「学歴・職歴・経験・技能・年齢」の記載は実態に合っていないので削除した。また,賃金規程が適用される対象者が少ないことから,職員ごとに個別具体的事情を勘案して本給を定めることとし,旧賃金規程の職員本給表を削除し,新たな職員本給表を作成しなかった。
被告の賃金は,支援企業の賃金水準に比べて高額であり,これを適正な金額に見直さなければ被告の再建について支援企業の理解を得ることは困難である。また,現在の日本の経済状況は,企業が存続し,雇用を確保していくには,旧賃金規程のような安易な昇給制度を維持することが困難となっており,昇給制度を廃止する企業が続出している。被告は,このような考え方から,本給及び昇給制度を見直すこととし,本件改定を行った。
なお,旧賃金規程において退職金の算定基準日を満56歳誕生日の前日と定めており,56歳誕生日以前と以後の給与との間に差額があると見るのが自然であり,5
6歳以降の本給の規定について当初から脱漏があったと思われる。被告の賃金規程のモデルとなったと見られる名古屋商工会議所の労働協約には,56歳以降の役職定年制と本給の削減が記載されている。
美術館の仕事は,特に展覧会の開催の前後は,作業時間帯が不規則で相当にハードな業務である。その意味から55歳を超えた職員を管理職から外し,あるいは仕事の軽減を図ることが必要である。それで,55歳を超えた職員について,仕事の軽減をすることを前提として,本件改定を行った。
b 諸手当
役職手当は,役職に対応する職務に対して支払われるものである。旧賃金規定のように本給により役職手当に属人的差異が出るのは合理的根拠もなく,xx性を欠 く。よって,役職手当を本給と連動させないために,定額制にした。
xx手当については,手当の趣旨や目的が不明確であったので,廃止した。
住宅手当については,職員の転勤がない被告においては,住居は自ら確保すべきも
のであり,職員の転勤がない企業に比べてその確保が容易であることや,所帯主でない職員にも支給することは制度の趣旨に反することから,廃止した。
新設した資格手当は,学芸員有資格者のモラールアップのために特に政策的に策定した。
賃金規程の変更に伴う激変緩和措置として「賃金規程特則」を制定し,月額2万円の調整手当を支払うことにした。
c 退職金
退職金の支給基準及び算定方法の変更により,職員の退職金額は,旧賃金規定によるよりも新賃金規定による方が減額になることにした。減額させたのは,本給について賃金規程を改定したのと同様に,日本の置かれている経済情勢及び被告の厳しい経営危機に基づくものである。
自己都合の退職と被告都合の退職とを区分したのは,自己都合の退職のような被告が予定していない退職の場合は,被告に欠員が生じ,被告の業務が停滞するなど被告にとって不利益が発生するからである。なお,「愛知のモデル賃金(平成14年度版)」でも明らかなように,ほとんどの企業は,自己都合の退職による企業の不利益を考慮して,自己都合の退職と企業都合による退職とでは,退職金の支給金額を区分している。
(タ) 原告らに対する支給額
本件改定に伴う原告らに対する具体的支給金額は,別紙「本件改定に伴う原告らの賃金比較表」及び「本件改定に伴う原告らの退職金比較表」のとおりであり,本件改定による支給金額の具体的な算定方法は,以下のとおりである。
a 本給
原告Aの本給は,平成14年度版「愛知のモデル賃金」を参考にして,他の職員の賃金との均衡xxx標準賃金を40万円と算定し,原告Aの年齢が55歳を超えていたことから,標準賃金の60パーセントである24万円とした。
原告Bの本給は,21万円とした。 b 諸手当
原告Aの諸手当としては,原告Aが学芸員としての資格を有していたので資格手当を5000円,部長としての役職手当を3万円,調整手当を2万円支給することにした。
原告Bの諸手当としては,資格手当を5000円,係長としての役職手当を500
0円,調整手当を2万円支給することにした。 c 退職金
原告Aの退職に伴う退職金は,自己都合退職による削減率が適用されたために65万4941円となった。
原告Bの退職に伴う退職金も,自己都合退職による削減率が適用されたために30万1203円となった。
(チ) 原告Aに対する早期退職の打診
被告は,原告Aに対して,原告Aが平成15年2月末日をもって退職する旨の意向を示していたところから,本件改定が決定された後に,本件改定の効力が及ばない平成14年12月末日をもって退職してはどうかと打診をした。
原告Aは,被告の上記打診を断って,旧賃金規程が適用される機会を放棄した。なお,原告Aは,上記打診当時,原告Aでなければなし得ないような被告の業務を担当していたわけではなく,被告の上記打診を断る業務上の理由は全くなかった。原告Aが主張する展覧会の撤収作業は,米国ボストン美術館が派遣した学芸員が指示して行うものであり,原告Aが立ち会う必要は全くなかった。
(ツ) 以上に述べた事情が存在するところから明らかにように,本件改定には,高度の必要性があり,また,高度の合理性があった。
イ 原告らの主張
(ア) 被告の財政危機の原因 a 設立の際の見通しの甘さ
被告の財政危機は,そもそも設立時から胚胎していたものである。すなわち,名古屋ボストン美術館の設立の話は,日本がいまだバブル景気に沸いていた平成2年ころ持ち込まれたもので,当時の名古屋商工会議所会頭で東海銀行会長のEが設立準備委員会の委員長となり,「東海地方の文化向上に貢献する」「歴史的な事業」として,採算を全く考えず,平成3年11月に米国ボストン美術館との間で覚書を調印したものである。開館に批判的な一部経済界の批判にも耳を傾けずにEが独断専行して,平成7年に調印した米国ボストン美術館との本件基本契約は,20年間で
6000万ドルにも及ぶ寄付金を拠出するもので,展示の内容についても米国ボストン美術館が決定権を持つほか,被告にとって制約が多く,不利で不平等なものであった。
名古屋ボストン美術館開館の平成11年4月には,既にバブルは終えんし,東海銀行を初めとする名古屋の財界も財力の余裕は少なくなり,米国ボストン美術館との本件基本契約に基づく寄付金の支払の継続が困難になることは容易に見通せる状況であった。それでも,Xは,最終的には銀行が面倒をみるという計画で,開館にこぎ着けたのであった。
b 名古屋ボストン美術館の特殊性
もともと美術館は入場料等の事業収入だけで採算がとれるものでなく,国ないし地方自治体や設立母体の資金援助なくして存続できないことは自明のことである。 名古屋ボストン美術館では,それに加えて,所蔵品を自己所有せず,展示品は米国ボストン美術館から借り受けるほかなく,米国ボストン美術館との間の厳しい契約条項が足かせとなっていた。
さらに,被告の職員のうち,プロパーは学芸員のみで,総務・事務部門は,支援企業からの出向(数年で在籍企業に戻ることが通常)で賄う組織体制であった。学芸部以外の職員は,在籍する企業から賃金を得ており,企業の意思を反映する立場にある。しかも,美術や美術館運営に格別関心を持つ者が選ばれたわけでもなく,数年で在籍企業に復帰する前提で出向している。その点で,学芸員とその他の職員で意識の落差が大きいことも事実である。
c 開館後の社会経済状況
被告は,もともと寄付金の運用益を収入の柱の1つとしていたところ,バブル崩壊後に落ち込んだ金利は現在に至るまで低減を続けており,財団設立時の予測は大きく崩れた。
このことについては,平成12年3月27日の第10回理事会において,被告のF理事が,被告の財政の厳しさの要因として「財団設立時に予想していた金利の推移が当初予測では平成7年度の1パーセントより毎年1パーセントずつ上昇し,平成
11年度以降は5パーセントに改善すると見ていたのが低金利状況が長期化し,資金運用収入の大幅な減少によることが大きい」と指摘しているところであり,設立時の見通しが甘かったことは明らかである。
また,バブル崩壊後に,各地の美術館が閉館の憂き目に遭っているように,美術館の経営が困難な社会情勢になってきたことも間違いない。
d 学芸部に財政危機の責任を転嫁することの誤り
被告の財政危機の原因のほとんどは,上述したところによるものである。ところ が,被告は,財政危機の原因を学芸部,とりわけ原告Aにあるかのように責任転嫁しようとしている。
被告は,展覧会の企画を学芸部のみで企画立案した結果,一般の人の関心を引くことができず,そのために所期の入場者数を確保できなかったと批判し,また,学芸部は,入場者予想人数に対応しない極めてコストのかかる企画立案をし,会場設営につき,相見積りもとらず,毎回特定の業者にのみ請け負わせ,言いなりの高額な代金支払を継続したと非難する。
しかしながら,展覧会の企画は学芸部が自由にできるものではなく,米国ボストン美術館との契約の拘束の下にある。被告も認めるとおり,米国ボストン美術館の1
0学芸部門から少なくとも1回の企画展を開催し,同一部門から2回を超える展覧会は5年以内には提供されないのであり,一般の日本人には関心の薄い部門の企画もローテーションとしてやらざるを得ないのである。また,入場者予想は学芸部の意見など全く聞かずに事務方において作成されるものであり,これを達成できなかったことを学芸部の責めに帰することは不当である。
次に,コストの問題についても,展示品の保護や展示条件について米国ボストン美術館の厳しい条件をクリアするには,一般的な展示に比して高額になることはやむを得ない面があった。しかし,学芸部としてもコスト削減できるところには意を用いてきたし,展示方法が規格化・標準化されるにつれ,コスト高とはいえない状況になりつつあった。もちろん,業者との契約や被告の支出は原告Aないし学芸部独断でなし得るものでもない。被告のこのような責任転嫁の主張は,経営の責任を負う者がだれであるのかを見誤った議論である。
(イ) 本件改定の「必要性」と「合理性」 a 被告の「経営危機」
原告らに賃金等の削減の提示がなされたのは,平成14年11月のことである。被
告の主張するように,平成13年当時に被告は厳しい経営状況にあったかもしれない。しかしながら,平成14年2月ころから,被告は,資金枯渇の事態を回避するために,平成14年度から実施する予定の33億円の追加寄付の募集を理事会決定に先立って繰上実施することにして,平成13年度末ころから,理事企業を初めとする支援企業に対する働き掛けを始めたところ,平成13年度の収入合計は26億
3700万円で,予算比20億4500万円の増加となり,寄付金が21億660
0万円増加して,支出面では支出合計は9億0700万円となり,予算比1億39
00万円下回り,収支差額は17億3000万円と,予算比21億8400万円の大幅な増加となり,次期繰越収支差額は24億9100万円となったのである。 被告が働き掛けを始めてわずか1か月程度で,既に21億円以上の追加寄付金が集まっており,一息ついていたのである。したがって,被告が本件改定を提案した平成14年11月当時に,経営危機にあったかのようにいうのは,全くの誤りであ る。
b 被告支出における学芸員賃金の占める割合
本件改定によって経営改善に及ぼされる効果は,極めて限定的なものである。被告の年間支出の10億円前後の中で,5名の学芸員の賃金総額を約3000万円とみても3パーセント程度にすぎず,被告は,他の大多数の企業のように人件費の高騰化によって,財政がひっ迫するという構造にはなっていないのである。
本件改定の理由について,被告は,最近の一般的な給与動向を反映させ,基準内賃金の対象の見直し,各種手当水準の見直し等をしたものというが,経営危機との関連は全く述べていないのである。年度途中で一方的に賃金を削減する必要が生じていたとは到底いえない。
この点で,本件改定に必要性・緊急性があったと認められないのは明白である。 c モデル賃金等他の企業との比較
被告の広報部長であるGは,学芸員の賃金自体が高いので,自助努力としてのコスト削減をする必要があったとし,本件改定について,モデル賃金に合わせ,役職定年制の考え方を採り入れていった旨証言する。
しかしながら,被告提出の乙28の3枚目「中高年齢者(60歳未満)の賃金処遇および役職定年制の実態」の調査資料によれば,役職定年制を実施しているのは製造業で従業員数が300人以上の中堅以上の企業に多く,サービス業で取り入れているところはわずか(21社中5社)である。
また,被告設立前の平成6年モデル賃金と平成14年のモデル賃金のどの部分を比較検討すれば,賃金減額が合理的に説明できるのか,被告は全く答えていないし,答えることができないのである。
そもそも,原告ら学芸員の専門職としての賃金水準を検討するのに,モデル賃金のどの部分を参考とするかとか,他の美術館や博物館の学芸員の賃金と比較検討することもなく,また,支援企業の賃金水準に較べて高額であると言いつつその比較資料も出さないで,根拠もなく「賃金自体が高い」と断定することは明白な誤りである。
要するに,被告はモデル賃金をまともに検討したわけではなく,世間のリストラの風潮に乗って,また,追加寄付を募る支援企業に自助努力のポーズを見せるため に,学芸員に犠牲を強いる賃金減額を強行したものである。
なお,コスト削減に聖域なしと主張する被告が,なぜか,旅費規程を改定して,出張の際の理事長の宿泊費を,国内宿泊料は1万5000円(役員)から3万円(理事長)に,国外宿泊料は250ドル(役員)から500ドル(理事長)に倍増させていることも矛盾である。
d シュミレーション評価のし意性
被告は,平成14年夏にやり直した新シュミレーションの結果,前年追加寄付を求めた際に検討した旧シュミレーションも甘く,30億円以上の追加寄付が得られたとしても,このままでは平成20年度まで運営することが困難になったとして,このことを本件改定の理由の1つとして挙げている。
被告は,設立当時から何度もこのような中長期収支予測のシュミレーションを,原告Aや学芸員の意見など全く聞かずに入場者数や展覧会支出を予測・算出して事務方のみで作成していたが,今までは見通しが甘すぎて,的中したことはなかった。ところで,上記平成14年の新シュミレーションによれば,平成13年度から平成
20年度までの8年間で,入場者数の低下等で事業収入が6億円減となり,また運用金利の低下で3億6000万円減と見込んでいるものの,一方で,フィデリティ財団等からの特別協賛等で賛助金収入は3億8800万円の増加となり,加えて,
常設展廃止に伴う経費減を5億2000万円と見込んでおり,これだけで収支はほぼ均衡するといえる。なお,この新シュミレーションは人件費を年間2000万円削減するプランであり,このうち1000万円以上は館長の報酬・賃金であるか ら,学芸員の賃金の削減が寄与する率は高が知れていることは明らかである。
要するに,平成14年になした新シュミレーションの結果も,収支を総合すれば,平成20年度までの財団運営に一応の見通しが立ち得たもので,被告のいう経営危機が現在した事情にはなく,本件改定の必要性・合理性が認められないことは明らかである。
e 原告らの不利益の重大性
本件改定の通告は,原告ら学芸員と何らの事前協議もなく,平成14年11月27日になされた。被告のD事務局長は学芸員1人ずつを呼び出し,新しい賃金額も分からない白紙の承諾書に署名・押印するよう迫ったのである。これを原告らが拒否すると,D事務局長は解雇の脅しすらかけてきた。
しかも,そのとき被告が提示した原告Aについての月額賃金は,従前の55万11
60円から27万5000円と半減以下にし,退職金はおよそ3分の1にするというものであった。原告Bについても,本給26万9000円を22万円にするという18パーセント以上の賃金カットの提案であった。この時点では調整手当2万円の支給はその提案すらなかった。
被告の広報部長であるGは,原告Aの削減率が大きいのは,役職定年制導入によるところが大きく,役職定年制は社会の大勢になっている旨証言するが,そもそも役職定年制は定年延長に伴う人事の停滞を防止するためというのが基本的考え方であるが,本件改定は定年延長という労働者に利益なことと引き換えに役職定年制を導入するというものではない。まして,事前の協議もなく,突然,賃金半減をのむよう強要するのは無法というほかなく,被告の賃金削減強行が道理も無視した無茶なものであったことは明白である。
(ウ) C理事長の「改革」
被告では,平成14年6月にC理事長が理事長に就任した。H前理事長は,被告の追加寄付のめどをつけ,開館から10年間は名古屋ボストン美術館を存続させる見通しをつけて,C理事長に引き継いだのである。
赤字経営の被告を預かる立場でC理事長が,建て直しのため従前の路線と違った経営方針を採ること自体は自由であろう。
しかし,C理事長は,公共性のある財団法人の理事長であって,どこかの零細企業のワンマン経営者が法を無視して独断専行するのと同様な行為をしてはならないのである。ところが,C理事長は前館長のIや原告ら学芸部の意見を何ら聴くこともなく,理事会に諮ることもなく,学芸部の解体や常設展の廃止を決定した。本件改定も,C理事長の目指す組織改編・リストラ計画の一環としてなされたものであ る。
いったい,それほど短兵急を要するほど,被告は切迫していたといえるのか。理事長就任間もないC理事長としては,館長や学芸部など専門職の意見も十分に聴取した上で自らの考える改革の道筋をつけるべきであり,その時間的余裕はあったはずである。それなのに,C理事長は独断で,専ら経営の観点だけで名古屋ボストン美術館の組織改編を目指した。C理事長は美術館における学芸員の必要性・重要性を顧慮することなく,原告Aを管理役という閑職に追いやり,原告Bとともに退職に追い込み,被告における学芸員の経験・蓄積をゼロに等しいものにしてしまった。それは大きな誤りであり,その誤りを認めず矛盾を拡大させているのが,被告の現状である。
(エ) 以上述べたとおり,本件改定は,合理性・必要性に欠けることが明白であり,実質的にも無効である。
(3) 争点③(本件改定が無効の場合の未払賃金等の額)についてア 原告らの主張
(ア) 原告Aの旧賃金規程による通勤手当を除いた月額賃金は合計55万1160円であり,新賃金規程に基づいて現に支払われた賃金は29万5000円であるから,その差額の25万6160円が1か月当たりの未払賃金である。
また,原告Aの旧賃金規程による退職金額は218万0151円であり,新賃金規程に基づいて現に支払われた退職金額は65万4941円であるから,その差額の
152万5210円が未払退職金である。
(イ) 原告Bの旧賃金規程による月額賃金は合計26万9200円であり,新賃金規程に基づいて現に支払われた賃金は22万円であるから,その差額の2万920
0円が1か月当たりの未払賃金である。
また,原告Bの旧賃金規程による退職金額は102万9418円であり,新賃金規程に基づいて現に支払われた退職金額は30万1203円であるから,その差額の
72万8215円が未払退職金である。イ 被告の主張
原告Aに対する新賃金規程に基づく賃金の支給額は,通勤手当9990円を含めると月額30万4990円である。
旧賃金規程に基づく場合は,原告Aに対する賃金の支給額は,月額56万1150円であるが,所得税等が控除されるために実際の差引支給額は月額45万5756円である。
仮に,被告が原告Aに対して旧賃金規程に基づいて賃金を支払わなければならないとすれば,被告の原告Aに対する現実の支給不足額は,旧賃金規程に基づく上記差引支給月額45万5756円と新賃金規程に基づく通勤手当9990円を含む既払月額30万4990円の差額である月額18万0766円である。
第3 判断
1 争点②(本件改定の必要性,合理性が認められるか)から判断することとする。
(1) 前記争いのない事実に,甲17,24,26,乙40,41,証人J,同G,原告A本人及び後掲証拠並びに弁論の全趣旨を総合すれば,以下のとおりの事実を認めることができる。
ア 被告は,名古屋ボストン美術館の運営等海外との芸術文化交流に関する事業その他文化の振興に関する事業を行うことにより,愛知県内における国際的芸術文化交流の進展及び地方文化の振興に寄与することを目的として,平成7年11月27日に設立許可を受けて成立した財団法人であり,その資産は,基本財産,経営安定化基金及び運用財産の3種からなり(甲2),基本財産は4億円,経営安定化基金は名古屋市及び愛知県が提供した30億円,運用財産は企業による寄付金を後年度分も含めて44億円として,設立されたものである。
イ 被告の主要事業は,平成11年4月17日に開館した名古屋ボストン美術館の運営であるが,同美術館の入場者数について計画どおりの達成ができず,企画展・常設展の合計入場者数は,平成11年度(平成11年4月1日から平成12年3月
31日まで。以下,年度というときは,いずれも4月1日から翌年の3月31日までをいう。)は111万人以上(乙4の10)であったものが,平成12年度には約27万6000人(乙6の11),平成13年度には約26万8000人(ただし,平成14年3月21日現在。乙7の11)にまで減少した。
そして,名古屋ボストン美術館の開館以来,4年間で1回の常設展と8回の企画展を行ったが(乙3の8,5の12,6の11,7の11,8の9,8の10),1
5億円の赤字を発生させた。例えば,平成13年度の場合,被告の事業収入が1億
7879万4000円であったのに対し,支出の大部分を占める美術館事業費が8億7310万6000円であった(乙8の11)。
また,低金利による資金の運用難もあり,設立以来赤字が続き,累積損失が拡大していった。
被告の平成12年度末(実質開業後2年間)までの当初計画比実績は,入場者数の伸び悩みなどで事業収入がマイナス5億円,低金利により運用収入がマイナス5億円,寄付金収入を除く収入合計で10億円の計画未達成であったのに対し,支出 は,展覧会場制作支出,展覧会運営支出,展覧会支援支出などで計画より6億円強の支払超過となっており,その結果,収入・支出合計では,16億円の当初計画比悪化となっていた。
その結果,被告の収支は,平成12年度末の時点で,約4億2810万円(1万円未満切り捨て。以下同様)の赤字となっており,平成12年度末の時点での次期繰越金は,44億円から7億6135万円にまで減少していた(乙6の13)。
ウ 本件基本契約によれば,名古屋ボストン美術館開館の平成11年4月17日から5年目である平成16年4月17日の最も直前に終了する企画展の終了日に同契約を終了させることができ,その場合には,その終了日から遅くとも3年前である平成13年4月ころまでに書面による通知をする必要があった。
被告の第12回理事会が平成13年3月26日に開催されたが,本件基本契約を継続する場合には,被告が本件基本契約に基づいて米国ボストン美術館に多額の追加寄付をする必要があり,本件基本契約の継続問題は被告にとっての死活問題ともいうべき重要な問題であったので,上記第12回理事会において同問題と次期平成1
3年度の予算等が審議された(乙5の1ないし18)。
上記予算案(乙5の15)によれば,平成13年度も約4億5387万円の赤字が見込まれ,平成13年度末の被告の次期繰越金は2億4272万円にまで減少する見込みであり,被告の保有資金が平成13年度末又は遅くとも平成14年度中ころまでには枯渇してしまうことが予想された。
被告事務局は,理事会に対し,本件基本契約を開館後6年目以降も5年間にわたり継続したい旨,本件基本契約を継続する場合には,昨今の厳しい財政状況により,被告の収支の改善に努めてもなお多額の資金不足が発生する見込みがある一方,継続しない場合には,愛知県,名古屋市,名古屋商工会議所など関係諸団体のほか,支援企業,来館者等の期待を裏切ることになるほか,名古屋ボストン美術館が所在する名古屋市xx地区の再開発プロジェクトへの影響や,愛知万博前の名古屋ボストン美術館の閉館による影響など,多方面に多大の影響を与える旨,もう5年継続する場合には,総額33億円程度の新たな寄付募集が必要であること,上記寄付募集の内訳として理事企業で総額の85パーセント強を,残りを評議員企業等他の支援企業で負担いただきたいと考えていること,寄付募集開始時期は平成14年度としたいことなどにつき説明した。出席理事からは,本件基本契約の継続は必要であるが,被告として一層の集客努力を行うこと,日本人の好みにあった展覧会を開催すること,常設展の在り方の検討などについて,要望や意見が述べられ,質疑応答の後,本件基本契約を平成16年度から5年間継続する旨の決議がされた(乙5の
1,5の8)。
エ 被告は,本件基本契約を少なくとも平成20年度末まで存続させる方針を決定したので,その方針に基づき,平成13年11月に,平成20年度末まで本件基本契約が存続する場合の被告の収支の状況について,旧シュミレーションを行った
(乙10)。
被告は,旧シュミレーションにおいて,前記のような被告の財政状況を踏まえ,これに今後の被告の経営努力を加味し,例えば,平成13年度から平成20年度までの入場者数を,年平均31万8000人から27万9000人に下方修正し,ま た,運用利回りを毎年5パーセントから平成13,14年度を年1パーセント,平成15年度を年2パーセント,平成16年度を年3パーセントに下方修正し,さらに,経費を,支出合計べースで平成11,12年度の平均額に対し,平成13年度から平成20年度までを平均年2億円あて削減する旨の下方修正をした。経費の削減については,被告が少なくともこの程度の経営努力を行わなければ,追加寄付について支援企業の理解が得られないとの判断があったからであった。
上記の下方修正をした計画を基に旧シュミレーションを行った結果,平成20年度までの被告の累計資金不足額が31億4196万1000円である旨算出され(乙
10),その結果は,第12回理事会で事務局が説明した約33億円の追加寄付額の必要性を裏付けるものであった。
そこで,被告は,この旧シュミレーションの結果を基に,支援企業に対する追加寄付要請額を33億円とする旨の目標設定をし,また,前記のとおり,平成13年度末には,被告の資金繰りが極度に悪化し,資金がほぼ枯渇することが予測されていたので,被告事務局は,これを回避するために,平成14年度から実施する予定の
33億円の追加寄付の募集を,理事会決定に先だって繰り上げ実施することにし て,平成13年度末ころから,理事企業をはじめとする支援企業に対する働き掛けを始めた。そして,平成14年3月22日の第14回理事会において,33億円の寄付金を募集する旨の決議が正式になされた(乙7の1ないし5)。
オ しかし,名古屋経済は,そのころからどん底の状況にあり,被告の追加寄付募集の働き掛けに対し,支援企業の反応は極めて厳しいものであり,最後の寄付であることが条件であること,被告のコスト削減等の経営努力が不十分であること等の意見が表明された。
また,被告の主要支援企業であり,被告が追加寄付募集額33億円のうちの85パーセントの寄付を求めている主要理事企業5社(中部電力株式会社,東海旅客鉄道株式会社,トヨタ自動車株式会社,名古屋鉄道株式会社,株式会社UFJ銀行) は,被告の上記寄付募集の働き掛けに対し,平成14年2月22日,①資金協力は今後いかなる事情が生じようとも今回限りとすること,②名古屋ボストン美術館 は,①を前提として更なる経営努力を行い,平成20年度の本件基本契約継続期間の終了までは名古屋ボストン美術館の営業を継続すること,③本件基本契約継続期間の終了後の名古屋ボストン美術館の取扱いについては,①を前提として,今後,遅くとも米国ボストン美術館への回答期限までに,いかなる方策が最良の方策であ
るかを速やかに検討することを条件として,寄付に応募する旨の申入れをした。これに対し,被告は,上記5社の支援を仰ぐために,平成14年3月8日に,上記5社に対し,寄付についての上記条件を応諾する旨の回答をした(乙14)。
その結果,被告は,平成20年度末までの間,上記の追加寄付以外は支援企業からの寄付をあてにすることができなくなったが,最終的に31億円強の追加寄付の応諾があった。
そして,旧シュミレーションの結果によれば,平成20年度までの被告の累計資金不足額は31億4196万1000円であるから,これが追加寄付で賄われれば平成20年までの被告の存続が可能と見込まれており,被告は,平成14年4月1 日,学芸員1名を増員した。
カ 追加寄付募集の繰上実施の結果,被告は,平成13年度に23億5800万円の追加寄付を受けることができ,そのほかに3736万円の寄付があり,寄付合計額は23億9536万円となったが,平成13年度末の次期繰越金は24億914
9万2000円にすぎなかった(乙8の12)。したがって,上記追加寄付がなければ,平成14年度の早期に資金が枯渇してしまうおそれがあった。
そして,支援企業の被告に対する追加寄付は,これをもって最終の寄付とするというものであったので,被告としては,今回の追加寄付を最後に少なくとも平成20年度末まで自力で存続しなければならないことになった。
また,平成14年7月1日にC理事長が被告の理事長に就任したが(乙8の1), C理事長から,旧シュミレーションの試算について,極めて甘いものであるとの指摘があった。
そこで,被告としては,現在の態勢で本当に大丈夫なのか,旧シュミレーションどおりになるのか,再度検証する必要に迫られ,平成14年7月以降,旧シュミレーションを見直すこととし,再度,平成20年度までの被告の収支状況について新シュミレーションを行い(乙11),新旧のシュミレーションの結果を比較した(乙
12)。
新シュミレーションにおいては,その前提として,入場者数について,旧シュミレーションが年平均27万9000人であったものを,現状の入場者数が計画に比べて大幅に未達成であり,その傾向が今後も続く見込みであることから,年平均21万8000人に下方修正し,また,運用利回りについて,旧シュミレーションで は,平成15年度を年2パーセント,平成16年度以降を年3パーセントで計算していたが,低金利の状態が今後も継続し,予定の運用利回りを確保することが極めて困難であることから,すべて年1パーセントに下方修正した。
新シュミレーションの結果によれば,被告が33億円の追加寄付金を得ても,それまでの状態のままでは,平成20年度末までに更に約10億円の資金不足が生じ,平成20年度末までの存続が危ぶまれることになった。
そのため,被告としては,上記資金不足に対処するために,これまで以上の入場者数の増加,個人・法人会員の増強等の事業収入の増大,経費の大幅な削減や経費支出の効率化等の更なる自助努力をする必要を感じた。
キ 被告の経営xxxな懸念であったのは,本件基本契約に基づく米国ボストン美術館に対する寄付金の過大な負担であった。
そこで,被告のC理事長,D事務局長及び当時の被告事業第2部長であったXの3名は,平成14年9月,訪米し,米国ボストン美術館との交渉を開始した。交渉の目的は,米国ボストン美術館に対し,率直に被告の経営危機についての現状を報告することにより,相互理解を深め,信頼関係の一層の構築を図り,それを踏まえ て,被告の経営危機に対する対策の提案をし,併せて被告がこれから行う組織改革等の自助努力についての説明をして,被告に対する協力を要請することであり,本件基本契約の改定について具体的な提案を行った(乙21,22)。ただし,その提案をすることについて,館長や学芸部員が事前に相談を受けたことはなかった。上記交渉の中で,米国ボストン美術館は,被告の厳しい経営危機を初めて理解し,被告に対して,被告の人件費の節減,組織の一元化及び効率化等,被告の抜本的な経営の刷新について言及し,コスト削減のためには,米国ボストン美術館の支援の下で被告の学芸員を1名にして他の学芸員を解雇してもよいのではという厳しい意見も出された。
米国ボストン美術館との交渉の結果,米国ボストン美術館は,平成14年12月,被告の提案に対し,①第2回以降の常設展を取りやめることを認めること(この取りやめの結果,常設展1回当たり18万ドルの米国ボストン美術館に対する寄付及び年間約7000万円の経費の各削減が見込めることになった。),②企画展を既
に予定されていた「金の輝き」から日本人になじみの深いテーマの「アメリカ近代絵画」へ変更すること,③展覧会作品の搬出・搬入の分割回数の削減と準備期間の短縮は,随時努力すること,④被告と米国ボストン美術館が協議をすることを要する展覧会経費の当初見積金額比の割合を現在の20パーセントから10パーセントへ圧縮することを認めること,⑤米国ボストン美術館が名古屋ボストン美術館に派遣するクーリエの日当の引下げとその航空運賃をビジネスクラスからエコノミークラスへ変更することを認めること(日当は,1人1日当たり2万5000円から2万円に削減され,1人1回30万円程度削減されることになった。),⑥図録の簡素化(分かりやすく,買いやすいものへ)を認めること,⑦展示室温度設定を摂氏
24度から26度に引き上げることによる光熱費の削減を認めることを回答した
(乙32)。
結局,米国ボストン美術館は,本件基本契約にあった,被告のボストン美術館に対する寄付金について,平成7年12月以降にアメリカ労働省が公表するボストン市の消費者物価指数(又はその他両者が合意する指数)による物価上昇を反映するため調整されるものとするインフレ条項の見直し提案については,寄付金に関する基本条項であり,現状では実現が困難であると回答し,見直しをするとしても次回の契約更新時の平成21年以降のことであるるとの態度であったが,それ以外の被告の提案はすべて受け入れた。そして,これにより,5億円程度のコスト削減が見込まれることになった。また,米国ボストン美術館は,被告の窮状について理解を示し,被告に対し,新たな協力の申出をしてきた。例えば,米国ボストン美術館の紹介により,フィデリディ財団を被告の理事に招へいし,被告の経営基盤の安定化に協力してもらうことになり,平成15年度上期の「ボストンに愛された印象派」展では,フィデリディ財団が50万ドルを特別協賛した。また,常設展終了後の展示場の活用についても,被告以外の団体の経費負担を前提に協力の申出があった。 ク 被告としては,被告が経営を改善することができなかった原因について,被告の組織機構が展覧会を企画して資金を使用するライン(館長・学芸部長ライン)と資金を集めて管理をするライン(事務局長ライン)とにしゅん別されていることが大きく影響しているものと考えた。
そこで,被告は,被告の組織機構改革を実行することとし,館長のライン下にあった学芸部を廃し,企画部,広報部,総務部の3部体制とし,これをすべて事務局長のライン下に置き,学芸員は企画部と広報部に分散配置し,展覧会企画から支払管理までを事務局長に集中する組織にし,また,渉外役を任命し,継続的に寄付金募集,法人賛助会員募集等の業務に専念できる体制とすることとして(乙23ないし
25),平成14年10月8日の幹部会議でその組織改編について通告した。
原告Aは,学芸部が解体された体制では学芸の専門家としての責任をもった仕事ができないと考え,平成14年10月8日,被告に対し,平成15年2月末で退職する旨の届を出すとともに,平成14年10月11日付けで,被告に対し,学芸部の解体を容認することはできない旨の意見書(甲25)を提出し,他の学芸部員も,被告のD事務局長による説明会の場で,学芸部解体に抗議するなどした。
しかし,被告は,平成14年11月1日から,上記のとおりの被告の組織機構改革を実施し,これに伴い,学芸部長であった原告Aは,事務局長付部長としての管理役に配置換えとなり,職務内容も管理職としての総合職から一般職に近い状態となった。
名古屋ボストン美術館の館長であったIは,被告の組織機構改革に同意できないとして,平成15年1月1日付けで辞任し(甲13,18),その後任の館長は,評議員兼務で非常勤ということになった。
原告Bは,平成14年11月1日に一方的に広報部への配置換えを命ぜられ,学芸部が解体された以上,名古屋ボストン美術館ではもはや学芸員として責任をもった仕事ができないと考え,平成15年3月31日付けで被告を退職することとした。ケ 被告には,平成15年1月1日現在で,16名の職員が在籍していたが,その
16名の職員のうち原告ら5名のみが,被告が雇用している職員であり,被告の就業規則及び就業規則に基づく賃金規程の適用を受ける対象者であって,残り11名の職員は,うち4名が人材派遣会社から派遣されている職員であり,残り7名は,被告の理事が所属している支援企業等の職員としての身分を有し,支援企業等がその職員の人件費を負担していた。
したがって,被告を再建させるには,再建に向けての被告の自助努力について支援企業の理解を得ることが必要であり,被告の自助努力としては,コスト削減が大きな柱となるものであって,現に支援企業は,前記追加寄付に当たって,被告がコス
トの削減をすることを条件としていた。
被告としては,被告の職員の給与が賃金規程により毎年自動的に昇給する仕組みとなっていたため,その給与水準が被告の支援企業の平均給与水準より高額となっ て,アンバランスを生じており,かかる状況においては支援企業の理解を得ることはできないから,コスト削減のためには人件費の削減も例外とすることはできないと考えた。
ただし,被告の賃金規程が適用される5名の学芸員全員の人件費合計が被告の支出総額に占める割合は3パーセント程度にすぎず,その人件費の削減による経営改善効果は数字的には大きなものでなかった。
コ 被告は,賃金規程を改定することとし,旧賃金規程を平成15年1月1日から変更することを内容とする「賃金規程(案)」(甲5)及び「退職金規程(案)」
(甲6)を作成した。
そして,被告のD事務局長は,平成14年11月27日,賃金規程の適用を受ける原告ら5名の職員全員に対し,上記両案並びに各職員の月額賃金額を記載した書面
(甲8,29)及び退職金の計算方法の変更について記載した書面(甲9)を配布して,個別に説明し,賃金及び退職金の変更に承諾するよう求め,具体的賃金額の記載のない白紙の承諾書用紙(甲7,30)を交付してこれに押印するよう求め た。
これに対し,原告らは,平成13年度及び平成14年度の賞与の0.4か月分の減額並びに定期昇給率を賃金規程の2分の1に抑えるという人件費の削減に協力してきたが,その際には時間をかけた協議があり,妥協点について話し合った上でこれに応じたものであったが,上記のD事務局長の承諾要求は一方的なものであり,その説明に納得できなかったことから,承諾書の提出に応じなかった。そして,原告 Aは,翌28日,弁護士に相談した。同日の夕刻,原告らは,再び被告に1人ずつ呼び出され,D事務局長から,再度承諾を求められたが,納得できる理由が示されなかったためこれを拒否したところ,「理事長が承諾書に判を押さなければ解雇すると言っている。」,「今日中に解雇の通知を出すことになる。」,「1か月前に解雇通知を予告すれば解雇できるのだ。」などと言われた。
原告Aの依頼を受けた弁護士は,同原告の代理人として,翌29日,被告に対し,賃金規程の不利益変更は,無効であり,違法性が顕著であるなどと通告した(甲1
0)。これに対し,被告は,代理人弁護士により,平成14年12月3日付けで,賃金規程の改定に違法性はなく,理解,協力願いたいとする回答を行った(甲1
1)。
サ その後,被告は,原告らの同意が得られないまま,上記「賃金規程(案)」及び「退職金規程(案)」を統合した新賃金規程(甲12)を定め,平成15年1月
1日から新賃金規程を適用することとして,本件改定を行った。
本件改定の際,被告としては,賃金規程の改定は,就業規則そのものの改定と異なり,被告の寄附行為(甲2)第37条第5項に定める,理事会の議決を経て理事長が定める事務局の組織及び運営に関する事項には該当しないとして,被告理事会の議決を経ずに,被告理事長において,新賃金規程を作成した。そして,被告理事会には事後的にその報告がされた(乙9の1,9の23,9の24)。
本件改定による旧賃金規程と新賃金規程の変更箇所は,別紙「賃金規程の変更事項にかかる新旧対照表」記載のとおりであり,本給については,旧賃金規程の「学 歴・職歴・経験・技能・年齢」の記載が削除され,また,職員ごとに個別具体的事情を勘案して本給を定めることとして,旧賃金規程の職員本給表が削除され,新たな職員本給表は作成されなかった。
そして,新賃金規程には,案の段階ではなかった特則として,一定の償却ルールに従って,月額2万円の調整手当を支給するとの定めがされた。
シ 被告は,本件改定に当たって,役職定年制の考え方と退職金の在職年数による削減率の設定の考え方を採り入れた。
被告が採り入れた役職定年制の基本的考え方とは,定年延長に伴う人事の停滞を防止することであるが,かかる制度が導入された契機は,ワークシェアリングや経営危機打開のための組織活性化を目的とする発想によるものであるととらえ,経営危機にあるなかで雇用を確保するために,賃金体系を柔軟化し,世代間の移行による組織の活性化を図るものであるとして,旧賃金規程の年功序列型の賃金体系を廃止した。そして,被告としては,旧賃金規程において退職金の算定基準日を満56歳誕生日の前日と定めており,56歳誕生日以前と以後の給与との間に差額があると見るのが自然であり,56歳以降の本給に係る賃金規程について当初から脱漏があ
ったと考えられるとして,55歳を超えた職員については,管理職から外し,仕事の軽減をすることを前提として,本給を60パーセント減額することとした。
ただし,被告においては,設立当初から60歳定年制が採られており(甲3),旧賃金規程(甲4)は,第22条において,定年退職者の退職金について,満56歳の誕生日の前日の算定基礎額(本給の60パーセント)に勤続年数に応じた退職手当支給月数を乗じて得た金額とする旨規定していたものの,満55歳を超えた月以降の本給が減額になるとするxxの規定はなかった。
また,退職金規程の在職年数による削減率の設定とは,その企業の相応の業務レベルヘ達するのには時間が必要であり,職員が早期退職をする場合に企業に対する貢献度を低く評価し,一定期間以上長期に在職した職員の企業に対する貢献度を高く評価する考え方によるものであった。そして,自己都合退職か否かにより被告にとっての不利益が異なることから,退職事由により支給基準を変えることとした。 ス 原告Aの月額賃金は,平成14年10月時点で,通勤手当を除くと,本給47万5600円,役職手当5万7560円,住宅手当5000円,研修手当1万30
00円の合計55万1160円であり,原告Bの月額賃金は,平成14年10月時点で,通勤手当を除くと,本給25万1200円,住宅手当5000円,研修手当
1万3000円の合計26万9200円であった。
また,旧賃金規程に基づいて計算すれば,原告Aが平成15年2月28日に退職したことによる退職金額は218万0151円であり,原告Bが平成15年3月31日に退職したことによる退職金額は102万9418円であった。
しかし,被告は,本件改定に基づき,原告Aの本給について,平成14年度版「愛知のモデル賃金」(乙27)を参考にして,他の職員の賃金との均衡xxx標準賃金を40万円と算定し,原告Aの年齢が55歳を超えていたことから,標準賃金の
60パーセントである24万円とし,原告Bの本給は21万円とした。
その結果,平成15年1月以降に原告Aが受け取った賃金月額は,通勤手当を除くと,本給24万円,役職手当3万円,資格手当5000円,調整手当2万円の合計
29万5000円であり,原告Bが受け取った賃金月額は,通勤手当を除くと,本給21万円,役職手当5000円,資格手当5000円,調整手当2万円の合計2
4万円であった。
また,退職金についても,本件改定による本給の減額と事項都合退職の場合の支給基準の変更によって,原告Aが平成15年3月28日に被告から受領した退職金は
65万4941円であり,原告Bが平成15年4月30日に被告から受領した退職金は30万1203円であった。
(2)ア 新たな就業規則の作成又は変更によって労働者の既得の権利を奪い,労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは,原則として許されない。しかし,労働条件の集合的処理,特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって,当該規則条項が合理的なものである限り,個々の労働者において,これに同意しないことを理由として,その適用を拒むことは許されない。そして,当該規則条項が合理的なものであるとは,当該就業規則の作成又は変更が,その必要性及び内容の両面からみて,それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても,なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有するものであることをいい,特に,賃金,退職金など労働者にとって重要な権利,労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については,当該条項が,そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において,その効力を生ずるものというべきである。上記の合理性の有無
は,具体的には,就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度,使用者側の変更の必要性の内容・程度,変更後の就業規則の内容自体の相当性,代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況,労働組合等との交渉の経緯,他の労働組合又は他の従業員の対応,同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである。
そして,企業においては,社会情勢や当該企業を取り巻く経営環境等の変化に伴 い,企業体質の改善や経営の一層の効率化,合理化をする必要に迫られ,その結 果,賃金の低下を含む労働条件の変更をせざるを得ない事態となることがあることはいうまでもなく,そのような就業規則の変更も,やむを得ない合理的なものとしてその効力を認めるべきときもあり得るところである。特に,当該企業の存続自体が危ぶまれたり,経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況にあるときは,労働条件の変更による人件費抑制の必要性が極度に高い上,労働者の被る不
利益という観点からみても,失職したときのことを思えばなお受忍すべきものと判断せざるを得ないことがあるので,各事情の総合考慮の結果次第では,変更の合理性があると評価することができる場合があるといわなければならない(最高裁平成
12年9月7日判決・民集54巻7号2075頁参照)。
イ 前記認定のとおり,本件改定により原告らが被った不利益は,原告Aの場合 は,通勤手当を除いた月額賃金が,旧賃金規程では合計55万1160円であったものが,新賃金規程では合計29万5000円と46パーセント以上減額になり,退職金が,旧賃金規程では218万0151円であったものが,新賃金規程では6
5万4941円と70パーセント近い減額になり,原告Bの場合は,通勤手当を除いた月額賃金が,旧賃金規程では合計26万9200円であったものが,新賃金規程では合計24万円と10.8パーセント以上減額になり,退職金が,旧賃金規程では102万9418円であったものが,新賃金規程では30万1203円と70パーセント以上減額になったというものである。
したがって,本件改定は,原告らの賃金及び退職金の減額に直結するものであり,その減額率も高く,労働者の賃金請求権という最も基本的かつ重要な権利に関し実質的かつ重大な不利益を及ぼすものといわざるを得ない。
そうすると,本件改定が就業規則の変更によるものであるとしても,それが原告らに対して効力を有するためには,本件改定が上記のような不利益を労働者である原告らに法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものといえなければならない。
ウ 前記認定のとおり,被告は,本件改定により,本給については,旧賃金規程の
「学歴・職歴・経験・技能・年齢」の記載を削除し,また,職員ごとに個別具体的事情を勘案して本給を定めることとして,旧賃金規程の職員本給表を削除し,具体的な賃金額算定の根拠となる新たな職員本給表を作成することなく,平成14年度版「愛知のモデル賃金」を参考に,原告Aの本給は40万円,原告Bの本給は21万円と算定し,さらに,役職定年制の考え方を採り入れて,原告Aの年齢が55歳を超えていたことから,上記賃金額の60パーセントである24万円としたものである。
しかし,前記認定のとおり月額5000円の資格手当が別途支払われるとしても,学芸員としての専門資格を有する原告らの本給額について,平成14年度版「愛知のモデル賃金」を参考にして,被告において一方的にその額を定めるということ は,いかなる賃金モデルを参考にしたのかも明らかでなく,直ちに合理性を肯定することは困難である。
また,被告が役職定年制の考え方を採り入れたとすることについては,前記認定のとおり,被告は設立当初から60歳定年制を採っていたものであり,旧賃金規程に満55歳を超えた月以降の本給が減額になるとするxxの規定はなかったのであ る。そうすると,旧賃金規程において退職金の算定基準日を満56歳の誕生日の前日と定めていたからといって,そのことから,xxの規定がないにもかかわらず,満56歳の誕生日以前と以後とで給与に差額があるのが当然ということはできず,満55歳を超えた月以降の本給を減額することについて,旧賃金規程に当初から脱漏があったとする被告の見解は,到底採用することができない。
したがって,満55歳を超えた月以降も旧賃金規程に従った所定の賃金を得られるということは,原告Aにとって,単なる期待にとどまるものではなく,労働条件の一部となっていたものといわざるを得ない。
そうすると,当初から60歳定年制を採っていた被告が,定年延長等の新たな利益をもたらすこともないまま,満55歳を超えた職員について,一方的に本給を60パーセントに減額するということは,その合理性を肯定することは困難である。 これに対し,被告は,上記減額について,管理職から外し,仕事の軽減をすることが前提となる旨主張する。しかし,上記のような多大な賃金の減額を伴う配置転換については,人事権の行使であるからといって,当然に有効なものと断ずることはできず,しかも,前記認定のとおり,原告Aの配置換え後の肩書は事務局長付部長としての管理役であって,管理職としての部長の職にあることに変わりはないのであるから,配置転換による職務内容の軽減があるからといって,そのことから直ちに賃金を60パーセントにまで減額する合理性が基礎づけられるということはできない。
エ なお,前記認定のとおり,新賃金規程には,特則として,一定の償却ルールに従って,月額2万円の調整手当を支給するとの規定が設けられている。しかし,この調整手当を加算しても,旧賃金規程と新賃金規程による賃金額の差は前記認定の
とおりであるから,本件改定に伴う不利益性の代償措置として調整手当が果たす機能は甚だ不十分といわざるを得ない。
オ さらに,前記認定のとおり,被告は,退職金について,早期退職する職員と一定期間以上長期に在職した職員とで企業に対する貢献度の違いがあるとし,また,自己都合退職か否かにより,企業が受ける不利益に違いがあるとして,支給基準を変えたものである。
新たに退職金制度を創設する場合には,そのような支給基準の設定に相応の合理性があるということはできるとしても,既に旧賃金規程の具体的な算定基準に基づき既得権化していた退職金について,約70パーセントもの減額を一方的にもたらす不利益変更については,被告主張の上記のような制度理由のみでその合理性を基礎づけることは困難である。殊に,原告Aの場合は,前記認定のとおり,既に退職届を提出した後に,本件改定により退職金額が一方的に減額されたものであって,その不合理性は顕著というべきである。
カ そして,本件改定の際の手続経過についてみても,前記認定のとおり,被告 は,賃金規程の改定は,就業規則そのものの改定と異なり,被告理事会の議決は不要であるとして,被告理事長において,新賃金規程を作成し,本件改定後に被告理事会に報告したものである。
しかし,被告は,賃金規程は就業規則の一部を構成すると主張しているのであるから,就業規則そのものの改定には被告理事会の議決が必要であるが,賃金規程の改定には被告理事会の議決が不要であるとする根拠は明確でなく,被告の広報部長の証人Gも,その根拠について全く不合理な証言しかしていない。
そして,前記認定のとおり,被告のD事務局長は,本件改定に当たり,賃金規程の適用を受ける原告ら5名の学芸員全員に対し,個別的に賃金及び退職金の変更に承諾するよう求め,これに応じない原告らに対しては,承諾しなければ解雇される旨述べ,原告Aの代理人弁護士から抗議の通告をされたが,被告は,更に交渉を継続することによって話合い等で解決しようとすることなく,本件改定を一方的に実施したものである。
以上の本件改定の手続経過や交渉経緯からも,本件改定による不利益変更の合理性欠如がうかがわれるというべきである。
キ そこで,本件改定当時,被告の存続自体が危ぶまれたり,経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況にあったか否かについて,判断することとす る。
前記認定のとおり,平成13年11月,被告が平成20年度末まで本件基本契約を存続させる場合の収支状況について,旧シュミレーションを行った結果,平成20年度までの被告の累計資金不足額は31億4196万1000円である旨算出されたことから,被告は,追加寄付要請額を33億円とする旨の目標設定をし,平成1
3年度末ころから,支援企業に対し寄付募集の働き掛けを始め,平成14年3月2
2日の第14回理事会において,33億円の追加寄付を募集する旨の決議が正式にされたものである。そして,上記31億4196万1000円の累計資金不足額が賄われれば平成20年までの被告の存続が可能と見込まれたところ,平成14年3月ころの支援企業からの回答の結果,上記追加寄付以外の寄付はあてにできなくなったが,31億円強の追加寄付のめどがたち,被告は,平成14年4月1日,学芸員1名を増員したものである。
そうすると,平成14年4月の時点で,被告の存続自体が危ぶまれたり,経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況にあったということはできない。 その後,前記認定のとおり,平成14年7月1日に就任したC理事長から,旧シュミレーションの試算が極めて甘いものであるとの指摘があり,各予測数値について下方修正をした新シュミレーションを行ったところ,33億円の追加寄付金を得ても,それまでの状態のままでは,平成20年度末までに更に約10億円の資金不足が生じ,被告の平成20年度末までの存続が危ぶまれるとの結果が出たことから,被告は,事業収入の増大,経費の大幅な削減等の更なる自助努力の必要を感じたものである。
そして,被告は,経営を改善することができなかった原因は被告の組織機構にあると考え,平成14年11月1日から,その組織機構改革を実施し,また,被告の経営上の重大な懸念は,本件基本契約に基づく米国ボストン美術館に対する寄付金の過大な負担であったことから,平成14年9月ころから,本件基本契約の見直しを働き掛け,その結果,平成14年12月にはインフレ条項の見直し以外の提案をすべて受け入れてもらい,5億円程度のコスト削減を見込むことができたものであ
る。
以上によれば,新シュミレーションにおいて採用された下方修正された各予測数値が合理性を有するものであったとしても,従前の被告の経営状況のままでは平成2
0年度末までに約10億円の資金不足が生じると予測されたにすぎず,一方で,被告の経営上の最大の懸案である本件基本契約の見直しが受け入れられたことによ り,5億円程度のコスト削減が見込まれ,また,被告が経営改善できなかった原因と考えた被告の組織機構の改革も実施したのであるから,平成15年1月1日の本件改定の当時において,被告の存続自体が危ぶまれたり,経営危機による雇用調整が予想されるなどといった差し迫った状況にあったということはできない。
そして,前記認定のとおり,被告の賃金規程が適用される5名の学芸員全員の人件費合計が被告の支出総額に占める割合は3パーセント程度にすぎず,その人件費の削減による経営改善効果は数字的には大きなものではなかったから,本件改定による賃金減額によって経費の削減を図るということは,そのこと自体によって,被告の存続の危機や雇用調整の危機を回避しようというものではなく,支援企業に対し自助努力の姿勢を示すためのものにすぎなかったものというべきである。
結局,本件改定は,被告の存続自体が危ぶまれたり,経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況下において,差し迫った必要性に基づいて行われたものということはできないものである。
ク 以上によれば,本件改定は,これが就業規則の変更によるものであるとして も,合理性があるということはできず,争点①(本件改定は手続的に有効か)について判断するまでもなく,原告らに対する関係で新賃金規程は無効といわざるを得ない。
2 争点③(本件改定が無効の場合の未払賃金等の額)について
被告は,所得税等を控除した旧賃金規程に基づく実際の差引支給額と通勤手当を含む既払額との差額が未払賃金となると主張するが,未払賃金については,源泉徴収による所得税等の控除をした後の額でなく,これを含んだ額を請求できるものと解すべきであり,また,甲14,15によれば,旧賃金規程と新賃金規程による通勤手当は同額の実費支給と認められるから,差額賃金の算定としては,旧賃金規程による通勤手当を除いた賃金額から新賃金規程に基づいて現に支払われた通勤手当を除いた賃金額を差し引けばよいというべきである。
そうすると,原告Aは,被告に対し,平成15年1月分の未払賃金25万6160円(旧賃金規程による通勤手当を除いた月額賃金合計55万1160円-新賃金規程に基づいて現に支払われた通勤手当を除いた賃金29万5000円)及びこれに対する弁済期の翌日である平成15年1月25日から同年2月28日まで民法所定の年5分の,原告Aが被告を退職した日の翌日である同年3月1日から支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律所定の年14.6パーセントの各割合による遅延損害金,同年2月分の未払賃金25万6160円(計算式は同年1月分に同じ)及びこれに対する弁済期の翌日である同年2月25日から同年2月28日まで民法所定の年5分の,原告Aが被告を退職した日の翌日である同年3月1日から支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律所定の年14.6パーセントの各割合による遅延損害金,未払退職金152万5210円(旧賃金規程による退職金額218万0151円-新賃金規程に基づいて現に支払われた退職金額65万4941円)及びこれに対する弁済期の翌日である同年3月29日から支払済みまで民法所定の年5分の各割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
また,原告Bは,被告に対し,平成15年1月分の未払賃金2万9200円(旧賃金規程による通勤手当を除いた月額賃金合計26万9200円-新賃金規程に基づいて現に支払われた通勤手当を除いた月額賃金合計24万円)及びこれに対する弁済期の翌日である平成15年1月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金,同年2月分の未払賃金2万9200円(計算式は同年1月分に同じ)及びこれに対する弁済期の翌日である同年2月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金,同年3月分の未払賃金2万9200円(計算式は同年1月分に同じ)及びこれに対する弁済期の翌日である同年3月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金,未払退職金72万82
15円(旧賃金規程による退職金額102万9418円-新賃金規程に基づいて現に支払われた退職金額30万1203円)及びこれに対する弁済期の翌日である同年5月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
第4 結論
以上によれば,原告らの請求は,すべて理由があるから認容することとし,主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第1部
裁判官 xxxx
(別紙省略)