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季刊社会保障研究投稿規程
1. 本誌は社会保障に関する基礎的かつ総合的な研究成果の発表を目的とします。
2. 本誌は定期刊行物であり,1 年に 4 回(3 月,6 月,9 月,12 月)発行します。
3. 原稿の形式は社会保障に関する論文,研究ノート,判例研究・評釈,書評などとし,投稿者の学問分野は問いません。どなたでも投稿できます。ただし,本誌に投稿する論文等は,いずれも他に未投稿・未発表のものに限ります。
4. 投稿者は,審査用原稿 1 部とコピー 1 部,要旨 2 部,計 4 部を送付して下さい。
5. 採否については,編集委員会のレフェリー制により,指名されたレフェリーの意見に基づいて決定します。採用するものについては,レフェリーのコメントに基づき,投稿者に一部修正を求めることがあります。
なお,原稿は採否に関わらず返却しません。
6. 原稿執筆の様式は所定の執筆要項に従って下さい。
7. 掲載された論文等は,他の雑誌もしくは書籍または電子媒体等に収録する場合には,国立社会保障・人口問題研究所の許諾を受けることを必要とします。なお,掲載号の刊行後に,国立社会保障・人口問題研究所ホームページで論文等の全文を公開します。
8. 原稿の送り先,連絡先―― x 000‒0000 xxxxxxxxxx 0‒0‒0
xxxxxxx 0X
国立社会保障・人口問題研究所総務課業務係電話 03‒3595‒2984 FAX 03‒3591‒4816
季刊社会保障研究執筆要項
1. 原稿の長さは以下の限度内とします。
( 1 ) 論文:16, 000 字(図表を含む)。
( 2 ) 研究ノート:16, 000 字(図表を含む)。
( 3 ) 判例研究:12, 000 字。
( 4 ) 書評:6, 000 字。
なお,図表は 1 枚 200 文字に換算します。
2. 論文,研究ノート,判例研究・評釈,書評には英文題が必要となります。
3. 引用文献の形式は次のとおりとします。
( 1 ) 注を付す語の右肩に 1)2)……の注番号を入れ,全体で通し番号とし,後部に注を一括して掲載して下さい。。
( 2 ) 著書を引用する場合には,著者名,書名,出版社,出版年,引用頁を記載して下さい。
( 3 ) 論文を引用する場合には,著者名,題名,雑誌名,巻号,発行年,引用頁を記載して下さい。
( 4 ) 和書の場合には,書名・誌名に『 』,論文に「 」を付けて下さい。
4. 図表はそれぞれ通し番号を付し,表題を付けて下さい。1 図,1 表ごとに別紙にまとめ(出所を必ず明記),挿入箇所を論文右欄外に指定して下さい。
5. 原稿は横書きして下さい。ワードプロセッサーによる場合は A4 判 1 枚につき 1
行 40 字・30 行,横打ちして下さい。
Vol. 44 Spring 2009 No. 4
国立社会保障・人口問題研究所
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季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
研究の窓
硬直的なアプローチではなく,柔軟な発想による制度運営を
国立社会保障・人口問題研究所が 2008 年 8 月に開催した厚生政策セミナーは,「新しい社会保障の考え方を求めて―医療・介護等の分野へ,準市場・社会市場からのアプローチと検証―」をテーマとした。
今回こうしたテーマを取り上げた背景としては,最近の我が国における社会保障制度を巡る議論が,ともすれば,一方における規制緩和による市場原理の大幅な導入が制度の効率化を図り無駄をなくす最善の途であるとする主張と,他方における国民の生活を守るべき社会保障制度への市場原理の導入はなじまないという主張とのいわばイデオロギー論争という,あまり生産的とは思えない議論に陥りがちな状況に危惧を感じていたことがある。
すなわち,行政のやることは全て非効率的であり,しばしば組織存続のための仕事になりがちだという行政不信論により,民間市場による資源の効率的配分を重視し,「民間でできることはできるだけ民間に任せるべき」という主張が一方にあり,他方で,規制緩和を行い市場に任せる事は自由競争による弱肉強食の世界に国民を追いやるものであり,国の責任を放棄するものであるという立場から,市場原理を部分的にでも社会保障制度に導入すること自体が,制度の存立基盤を危うくするものだ,という主張がされる。
しかし,社会保障であれ何であれ,効率的に運営されることはあらゆる制度にとって必要であり,また,行政が提供するか,民間が提供するかによって,サービスの質が必ずしも決定されるわけでもない。要は,国民のニーズに適したサービスが適正かつ効率的に提供されるためには,どのような制度がふさわしいかという事が問題なのである。
また,いくら規制緩和といっても,国民の健康や生命を脅かす極度に質の悪いサービスの提供が,市場の競争で取捨選択されるからいずれなくなるだろうという楽観的な見方があったとしても,そのようなサービスを認めることは絶対に許されることではない。また,そのための行政による事前チェックが経済活動を阻害するという主張も必ずしも正当ではない。さらに,セイフティネットとしての生活保護制度や公的年金等の所得保障制度を全て民営化すべきとの主張も極論であろう。
「準市場(quasi‒market)論」は,英国において,国営医療制度「National Health Service」の改革の理論的バックボーンとして発展してきた経緯がある。この改革は,NHS を民営化しようというのではなく,その硬直的運営やサービスの質の低下を改善するために,例えば,一般医(GP)に NHS 予算の一部を持たせて,登録患者にサービスを提供する病院を選択して購入させることにより,NHS 病院の運営効率化とサービスの質の向上を図ろうとするものであり,その意味で, NHS 制度の基本は維持しながら,その運営効率化とサービスの質の向上を図ろうとする試みである。
また,最近我が国で主張されている「社会市場(social market)論」(いわばxxの準xxx)は,
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研 究 の 窓
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高度化・多様化している国民の福祉・保健ニーズに対応していくためには,民間の多様なサービス供給主体や多様な政策手段・財源を積極的に認め,公私の適切な組み合わせにより対応していくべきとの主張であり,その意味で,行政サービスか民間サービスかといった硬直的な公私二元論とは異なったアプローチの議論である。
我々としては,2008 年の厚生政策セミナーにおいて,公か私かといった硬直的議論でなく,これらの柔軟なアプローチによって,医療や介護といった,我が国社会保障制度における重要な問題について検討が深められることを期待した。
セミナーの場においては,基調講演者としてお招きした LSE のルグラン教授が,英国の NHS 改革の中心として活動されていたことや,現在の我が国において,医師不足や医療費抑制の問題が大きな問題として議論されている事から,主に医療を中心に議論は進んでいった。
ルグラン教授が,社会的に力のある人々の「声」のみが反映されやすい制度にならないためには,「選択と競争」を導入することが効果的であること,実際,NHS サービスや他国の例を見ても,裕福な人々よりも一般の人々の方が,サービスが選択できることを求めていること,などを主張されたことは印象的であった。基調講演者の一人であるxx所長が介護保険を例に展開された
「社会xxx」とは共通点も多く,今後,両者の交流による議論の発展が期待される。
また,OECD のシェーラー医療課長は,OECD 各国の医療費の伸びと医療費の財源構成とを比較して,民間部門のシェアが高いことが医療費の伸びを抑制することには必ずしも直結しておらず,例えばドイツでは国民の所得の多寡に応じて民間部門と社会保険とに役割分担を持たせていると指摘していたことも,示唆に富むものであった。
これらの基調講演を受けて,日本側のディスカッション参加者からは,日本の医療制度は,英国と異なり,多くの民間医療機関が存在し受診が容易であるという良い面があるが,他方で,医療機関の役割分担が不明確なために設備投資競争になりがちな面があることや,地域医療を担う家庭医の育成が急務であること等の意見が出された。
私としては,このセミナーのパネルディスカッションで司会役をさせていただき,2 つのことを再認識した。一つは,市場機能は,適切に導入・活用できれば,ニーズに対応した効率的な社会保障制度を実現する上で有力な武器となるが,そのための体制整備は不可欠であり,それがないと,逆に非効率になったり,弱者切り捨てになりかねないものであるということである。今一つは,その体制整備として重要なのは,十分で整理された情報の提供と,低所得者も含め市民の誰でもがサービスを利用し易い市民参加型環境作りである,ということである。
x x x
(xxxx・xxx 国立社会保障・人口問題研究所政策研究調整官)
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第 13 回厚生政策セミナー
テーマ 新しい社会保障の考え方を求めて
−−医療・介護等の分野へ,準市場・社会市場からのアプローチと検証−−
〈午前の部〉
基調講演 1 (ロンドンスクール・オブ・エコノミクス教授)xxxxx・xxxx
基調講演 2 (OECD 雇用・労働・社会問題局医療課長)xxxx・xxxxx
基調講演 3 …………………………………………………(国立社会保障・人口問題研究所所長)x x x x
〈午後の部〉
パネルディスカッション
パネリストのコメント……………………………………(一橋大学大学院経済学研究科教授)x x x x
(聖学院大学大学院人間福祉学研究科教授)x x x x
(読売新聞東京本社編集委員)南 砂
(国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長)x x 能 xx会:(国立社会保障・人口問題研究所政策研究調整官)x x x
ディスカッション xxxxx・xxxx,xxxx・xxxxx,xxxx,
xxxx,xxxx,南砂,xxxx,xxx(司会)
閉会挨拶……………………………………………………………………………………………………x x x
【 基 調 講 演 1 】
準xxxと医療制度改革
−−イギリスの経験からの展望−−
xxxxx・xxxx
ご紹介どうもありがとうございます。また,ご招待をいただいたことを感謝申し上げます。実は日本に来るのは 2 度目になります。最初の訪日はxx先生に報告の機会を与えていただくなどいろいろお世話になり,非常に楽しく過ごさせていただきました。今回は 2 度目の訪問になりますが,
やはり有意義な時を過ごさせていただいております。
現在私は日本社会のさまざまな側面,特に日本の医療制度について勉強をしております。医療,公衆衛生のアナリストの間では,日本の制度はほかの国の制度と比べてより良いという確信がある
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第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
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ようです。日本は国際的な基準に照らしてコストが非常に安く,複数の健康指標で見ても世界的にも素晴らしいといえます。医療制度がその一部を担っているのではないでしょうか。
日本の医療制度を見ていますと,いろいろ尊敬に値する,素晴らしい優れたところがあると思うのです。しかし,日本の国民にとっては必ずしもそうではなさそうだということが分かります。今日来ていらっしゃるかどうか分かりませんが,最近,医療経済研究機構の副理事長であるxx先生の論文を読ませていただきました。これによれば,日本の有権者の 6 割以上が,日本の医療制度について不満を覚えていたということです。さらに 7 割台の人が,いわゆる市民の意思決定における参加については非常に不満であるということのようです。不満の源となっているのは,例えば患者に選択権がないこと,あるいはサービスの質,あるいはケアの質の水準等々のようです。ですから,日本の国民の目からするならば,やはり心配になるような点が多々あるのかもしれません。だからこそ,どのように改革を進めるべきか,議論が行われているのでありましょう。
私からは,一般論として,医療制度の改革をどのように進めるべきかの示唆を与えられればと思っています。今日私がお話しすることの中に,日本の状況に当てはめて取り上げていただけるものがあれば幸いです。
さて,医療サービスの提供を行う上で最善の方法は何かという問題提起をしてみたいと思います。正確には,最善のということよりも,悪い状況を最小に抑えるためにはどうしたらいいのかということになります。ほとんどの医療制度というのはとても完璧とはいえません。やはりいろいろ欠陥や不完全なところが多々ありますから,その不完全な度合いをいかに最小限に抑えるかと言い換えた方がいいのかもしれません。
医療制度,医療サービスの提供といってもさま
ざまなモデルがあるかと思います。時間はあまりありませんが,簡単に医療制度改革の政治力学についても触れられればと思っております。私個人としても,イギリスにおける医療制度改革,医療保険改革等について,xxx政権のときにアドバイザーとして首相に諮問をした経験がありますので,教訓を学んでいただけるのではないかと思います。
さて,公的資金で賄う医療サービスの提供制度,例えば日本の制度もそうですし,あるいはイギリスの制度もそうですが,基本的に四つの方法・タイプがあるかと思います。分類しますと,まず「信頼型」。その反対にあるのが「不信型」。それから“Voice”,あえて言えば「民主制」あるいは「意見表明型」とよべるものです。最後に,
「選択と競争」です。
「選択と競争」というのは, いわゆる準市場
(quasi‒market)です。準市場は今回の会議のテーマにもなっているようですが,準市場というのは多くの場合政策的によい結果を導く方法で,言い方をかえれば悪い状況が最も少なくて済むやり方ではないかと私は思っています。介護についても,医療制度としても,準市場というのはお勧めできるのではないかと思っています。
それではそれぞれのタイプ(型)やモデルの長所,短所を整理してみたいと思います。そして,なぜ準市場がより優れているといえるのか,お話をしたいと思います。まず「信頼型」です。この
「信頼型」の制度の下では,政府が予算を決定し,予算を配分します。医師や看護師,あるいは経営者に対して予算を与えて使ってもらう。これは日本でも同じような状況だと思います。日本は出来高払い制度を採用しています。国民健康保険・健康保険組合制度があり,健康保険によって認定されたいろいろな治療法があります。ただ,制度的に個々の保険者によるチェックは行われていません。すなわち与えられた診療や治療法が適切だったのか,コスト効果が高いのかどうか,保険者の上部組織では部分的にチェックすることはあっても保険者自身でチェックする仕組みがあまりありません。したがって,請求を出してくる医
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師を信頼し,適切な治療をしてくれたと信頼する,信頼に基づいたシステムといえるでしょう。医療の現場では,信頼は非常に重要です。信頼 なくしては,いろいろなことがうまくいきません。したがって,医療制度を運営するに当たって長所もたくさんあります。例えば,モニタリングのコスト,監視コストがかからないということが挙げられます。信頼しているわけですからモニタリングは必要ない,監視する必要がないということになります。さらに医師のような専門職の方も気に入っています。信頼されることによって士気
も高まります。
ただし,問題もはらんでいます。特にモチベーション,動機という問題です。医師や医療スタッフなどのプロフェッショナルが持つ動機が利他的かどうかが問題になります。公益意識の高いプロフェッショナルは利己主義ではなく利他主義であるといわれますが,それでも問題があります。これについては後ほどまた詳しく述べたいと思います。制度を運営する人々は,利他的なプロフェッショナルは,いいことをやるということで,それで十分だと思いがちです。したがって,その外側にあるユーザー側のニーズ,どういう問題にぶつかっているのか,すなわち広く地域社会のニーズなどには思いが至らない傾向があります。人々を助けたいと考える一方で,患者がその権利を主張,要求してきます。このような患者,特にxxxxx・xxxxxxなどは,利他主義的な医師にとっては到底受け入れられないということになりがちです。
また,プロフェッショナルといえども必ずしも完全に利他主義とはいえません。やはりみんな少々は自己利益,利己的な部分があります。もちろん公益志向も高い,人のためになりたいと思っているわけですが,自らの自己利益を全く無視するというわけにはいきません。したがって,信頼という要素は難しい問題もはらんできます。例えばニーズに対応できないようなサービス,あるいは十分ではない質の悪いサービスといった問題です。サービスを提供する側,あるいはサービスを受ける側について,時にはサービスが過剰にな
る,無駄が生まれるという場合もあります。出来高払い制度ですと,過剰の治療という無駄が発生する状況もあります。報酬が上がる以上,過剰と思えるような治療もしてしまうという傾向も否めないからです。
イ ギ リ ス の 場 合,1948 年 に 最 初 の NHS
(National Health Service,国営医療制度または国民医療制度とよばれる制度)が設立されて以来, 80 年代まで 40 年間「信頼型」を試してきましたが,内部的にいろいろな問題が出てきました。待ち時間が長すぎる,十分にニーズに応えてくれない,または非常に無駄が多い,非効率な,あるいは効果的ではないサービスが提供されているといった問題,さらには不正がある,不xxである,不xxであるというような問題も出てきました。それについても後ほど触れてみたいと思います。そこで,イギリス政府は「信頼型」の制度はも はやうまくいかないと判断し,「不信型」,すなわち「信頼型」の全く反対に動くべきだとなりました。看護師や経営者や医師を信頼するのではなく,彼らにこうせよ,ああせよと,上意下達型でやることを考えました。すなわち目標を設定し,そして成果を管理するということです。これはロンドンスクール・オブ・エコノミクスにおいて,目標と恐怖の一連の仕組みであると呼ばれた悪評高いものであります。NHS の従業員は,いわば恐怖を持って,脅されて目標を達成しなければなりません。制度は次のように機能します。まずは数値目標を立て,その成果をモニタリングします。目標を達成した従業員には報酬を与えますが,目標が達成できなかったスタッフを解雇する
などのペナルティをかけます。
私自身はエコノミストです。エコノミストは,このような上から命令される制度が好みません。ただ首相府で働いていたとき,この制度は少なくとも短期的にはうまくいく場合もあるのだと気付きました。その例を挙げます。従来多くの患者が病院に入院するのを待っていました。ヘルニアの手術や白内障など,単純な手術なのに,2 ~ 3 年も待たされるという状況が見られました。多くの患者が単純な手術のために何年も待たなければな
% patients waiting > 12 months
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入院まで 12 ヶ月以上かかった患者の割合(%)
30%
25%
20%
イングランド
15% 北アイルランド
スコットランド
ウェールズ
10%
5%
0%
2000 2001 2002 2003 2004 2005
出典) Are improvements in targeted performance in the English NHS undermined by gaming: A case for new kinds of audit of performance data? Xxxx Xxxxx and Xxxxxxxxxxx Xxxx, British Medical Journal(近刊)より筆者作成。
図 1
らないのはよくないということで,12 カ月以上待たされることがあってはならないというように期限を区切りました。これにより,2003 年の半ばまでに,12 カ月を超えて待つ人がゼロになりました。つまり,ある程度,この目標はうまくいきました。このときかなり資金も投入しましたが,資金が投入された故にこういう結果が得られたわけではありません。現在イギリスには,イングランドの制度,スコットランドの制度,ウェールズの制度,北アイルランドの制度と,四つの独立した国民医療制度が存在します。したがって,イギリスといっても四つの制度と考えてください。ウェールズと北アイルランドとスコットランドについては,当初「不信型」を導入しませんでした。つまり「信頼型」を続けていました。その結果をお示しします。スコットランドでは,待ち時間が増えてしまいました。ウェールズも同様です。しかも,資金はイングランドよりも多く投入されていました。北アイルランドでも,ほとんどの場合で待ち時間が増えています。1 年以上待たされている患者も 25% にも上っていました。
その後,ウェールズと北アイルランドが目標と恐怖によって目標を達成させる,いわゆる成果管理型,「不信型」のシステムを導入しました。こ
の結果が(図 1)に示されています。またスコットランドは,別の目標を設定しました。例えば救急医療部門では,患者のうち 98% は,救急部門では 4 時間以内にきちんと処置されなければならないという目標を立てました。この目標を設定したときには,誰もこれが達成できるとは思っていませんでした。しかし,この期間に病院に来る患者の数が 25% 近く増えたにもかかわらず,これが達成できたのです(図 2)。
しかし私や政府の人間は,目標設定という方法は必ずしも正しくなく,問題が多すぎると考えました。例えば時間を短縮したとしても,十分な治療が与えられないといったような,さまざまなほかの重要な問題が無視されていることに問題がありました。また,医師や看護師や経営者といったプロフェッショナルの間では,意欲の低下,士気の低下ということが見られました。常に上から命令されることが士気の低下につながっていました。さらに主体性,革新が抑えられてしまいました。プロフェッショナルは,上からいろいろ言われることを嫌がります。しかしこのシステムにおいては,常に上から大量の命令が下ってきます。これによって彼らの意欲が失われてしまいます。革新を主張しよう,何か生み出そうとしても,そ
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A+E 部門における4 時間未満で治療を受けられた患者の割合(%)
100
80
60
%
40
20
0
Q2 Q3 Q4 Q1 Q2 Q3 Q4 Q1 Q2 Q3 Q4 Q1 Q2
2002/03
2003/04
2004/05
2005/06
+ 24% increase in A+E admittances
注) Q1,Q2,Q3,Q4 は各第 1 四半期,第 2 四半期,第 3 四半期,第 4 四半期を示す。
出典) Chief Executive’s Report on the NHS̶Statistical Supplement (December 2005) より筆者作成。
図 2
れが抑え込まれてしまったのです。
あるとき私はブレア首相と会議に臨み,救急部門における目標設定の話をしておりました。彼は目標が達成されたということで非常に喜んでいました。しかし,このような上からの命令,またはむちをバシバシと上からたたき続けるようなことをエンドレスに継続することによって成果を追求する必要があるのか,逆に患者や治療をする人々からボトムアップによってサービスの品質を高めることができるのではないのかということを話し合いました。言い換えますと,何かほかの方法でインセンティブをシステムの中に織り込み,自ら改良ができないのかということです。このとき私は,インセンティブをシステムの織り込む方法が二つあると回答しました。一つは“Voice”(民主制あるいは意見表明型),もう一つが「選択と競争」,あるいは準市場なのです。
まず“Voice”についてお話ししたいと思います。例えば,ある意味当然日本の制度でも起こっていることですが,サービスに満足していない人たちが必ず存在します。“Voice”という方法では,不満足な人たちはサービス提供者に不満をス
トレートに訴えます。これにはさまざまな方法があります。医師や経営者とインフォーマルな協議することができるかもしれません。場合によっては患者が自ら経営理事になることができます。また請願や署名のような公式の苦情申し立ての手段があるかもしれません。あるいは,選出されている地域の国会議員に訴えるという方法があるかもしれません。この“Voice”には,それによって品質を高める多くのメリットがあります。つまり,サービスに対して苦情を申し立てることで,提供している側は利用者からの不満を聞くこという形で,問題に対する情報が提供されます。
しかしデメリットもあります。時には実践の困難なものもあります。とりわけ患者の側に自信がない場合には,医師と話をすることは難しいものです。医師の方でも,ほかの人からの管理がなければ,患者が文句を言ったとしても,聞くインセンティブがないかもしれません。あるいは,平等ではないかもしれませんし,xxではないかもしれません。
なぜかといえば,意見表明では富裕な人が有利だからです。お金がある人たち,あるいは発言権
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がある人たち,自信を持って声を上げることができる人たち,こういうメカニズムを使うことができる富裕で元気な人たちが有利になってしまうのです。システムを自ら操作することができるという自信がある人が声を発信するのです。居住地を選ぶことができる,その場所を選ぶことができるお金を持っている,病院に近い所を選ぶことができるとか,住宅価格も払うことができるという人が有利になるのです。例えばイギリスの NHS のサービスの下でどういうサービスを求めているのか調査を行うことにより,次のことが分かりました。失業していて所得が低く,かつ学歴も高くない人は,職業を持っていて裕福な人に比べて,医療サービスの利用がニーズに対して少ないという状況がありました。日本とは違いまして,イギリスでは処方薬以外は自己負担の制度ありません。それにもかかわらず,裕福な人の方がシステムを効率的に利用できていました。例えば股関節の置換手術であるとか,GP(General Practitioner:家庭医またはかかりつけ医)にかかるということであったとしても,システムを変える方策は常にお金がある人の方が持っていたのです。したがって「信頼型」,あるいは「不信型」,“Voice”(民主制あるいは意見表明型),といった三つのモデルによって医療制度を運営するという方法には,いずれもそれぞれメリットとデメリットの両方があります。
では「選択と競争」,あるいは準市場はどうでしょうか。さまざまな選択の種類があります。例えばどこの病院に行こうか,どこの診療所に行こうかという選択が可能です。あるいは,どの治療を選ぼうか,いつ行こうかといったことも選択できます。ただし,今日私がお話ししますのは,プロバイダー,サービス提供者,すなわち病院の選択についてのみです。日本において,医療提供者は数多く存在しています。選ぶ余地があるということは大きなメリットです。またそれぞれの病院で何らかの余剰資金が発生した場合には,自らそれをキープさせてインセンティブを提供することで準市場が機能するわけです。
一方で,患者は提供者を選びます。ここが重要
です。つまり,お金は患者が選ぶところに付いていくのです。すなわち,より多くの患者さんを引き付けることができる医療施設は,結果的に多くの資金を得ることができるのです。ここには多くのメリットがあります。強いインセンティブが発生しますので,ニーズに対応しようと病院は考えますし,効率を高めようと考えるはずです。アメリカのデータを見てみますと,「選択と競争」はコストを下げ,提供されるサービスの品質を高める効果があり,またこれにより社会xxと平等も進むといわれています。つまりあまり富裕ではない人たちの権限が大きくなり,よりサービスを使うことができるようになるということです。サービスが気に入らないということであれば,その医師のところに行かず,ほかの医師を選択すればよくなるためです。さらにこれは,利他的な人と利己的な人の両方に有効です。例えば病院を経営している状況を考えます。利己的であれば,もうけたいから,そして,自分の仕事を失いたくないから病院をうまく経営しようと考えたかもしれません。しかし,患者さんのことを一番に考える利他的な経営者であったとしても,いいサービスを提供するためにはきちんと病院を経営する必要があります。したがって,準市場は良い病院運営に資することになります。
しかし,それでもデメリットがあります。選択肢や代替案が存在しなければならないことです。各国にいろいろな地方があって,なかなか選択肢の提供できないような地方もあるでしょう。それでも,代替的な選択肢が存在しなければなりません。結局,政策を正しく立案し,これらのデメリットを乗り越えることができるように考えることが重要なのです。また,こういうシステムは常に情報の問題を抱えています。サービスの品質についての情報がユーザーに提供されなければなりません。現在イギリスでは,各病院の外科手術による死亡率,例えば心臓外科医,心臓病に関する死亡率のデータが,実際に名前を出してリストアップされています。どれだけ効果が高いか,救命率,あるいは逆にどれだけ命を救うことができなかったかという指標のリストを公表しているので
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す。議論の余地はありますが,少なくとも患者さんが選択肢を考える際の情報になっています。このような情報開示が必要ですが,場合によっては,裕福でない人たちがその情報をうまく使うことができずにいます。
また準市場には取引コストが発生します。例えば提供されている価格を測らなければなりません。できるだけこれを低くしなければシステムは機能しません。しかし,「いいとこ取り(クリーム・スキンミング)」という危険性が必ずつきまといます。一番治療がしやすくて,病院にとってお金がかからない患者が選ばれてしまうという危険性です。これは,困っていない人たち,お金持ちの方が得をしてしまうという問題につながります。さらに,このマーケットにはリスクがあります。インセンティブが過剰診療につながる危険性です。過剰診療に関するコントロールがかかっていない場合,過剰な診療に関するコントロールがない場合には,リスクが発生しうることになります。
イギリスではプライマリーケアのシステムを持っています。患者は専門病院に直接かかることができません。まずは GP にかからなければならないことになっています。さらに,高等の病院に紹介しなければいけないかを決めるのは GP です。イギリスにはこのようなゲートキーパーシステムがあります。日本でも何らかのシステムを導入して,準市場をこういう形でコントロールができないか考えていることは承知しております。しかし既に患者がいきなり専門病院にかかることに慣れている場合,ゲートキーピングのシステムを途中から導入することは難しいものです。イギリスは以前からこのようなゲートキーピングの伝統があるという意味で幸運だといわざるを得ません。
ただし,できる方法は幾つかあります。例えば現在フランスで行われている実験の例です。自己負担の制度があるのであれば,まず家庭医にかかってから専門病院にかかると,自己負担が減る,場合によっては自己負担がゼロになります。一方で,初めから専門医にかかってしまった場合には自己負担が発生します。このように何らかのゲー
トキーピングでコントロールをかけることが必要なのです。
「いいとこ取り」についてはあまり詳しく言いませんが,取り組む方法はあります。例えば超過医療支出保険です。つまり,お金がかかる患者さんについては,国が資金を提供します。医師,看護師,病院経営者に対して,入院の裁量判断を与えないようにします。つまり自ら患者を選ぶ余地はなく,求めてきたすべての患者を受け入れなければならない方法です。あるいはインセンティブを提供することができます。一番扱いが難しい,コストがかかる患者を受け入れるインセンティブを提供し,その場合には価格を高く設定します。つまりハイリスクの患者さんについては高い診療報酬を与えその部分については超過医療支出保険から支払うのです。このシステムづくりは複雑ですが,不可能ではありません。
それでは,メリット,デメリットがどういうものであるか,その全般的な問い掛けを考えてみます。ありとあらゆる医療制度,どれを取ったとしても,先ほど紹介した「信頼型」か,あるいは
「不信型」か,“Voice”(民主制あるいは意見表明型),「選択と競争」の四つのモデルのどれかを組み合わせて使っているといえます。つまり,この中の一つだけに基づいているものはありません。医療改革では,ただ単に一つのシステムから別のシステムに変えるということではなく,この項目のバランスを変えることになります。例えば,もっと“Voice”や「選択と競争」を拡大して「不信型」のバランスを減らす,あるいは「信頼型」の部分を減らすといった方法です。
次に政治的な側面についてお話しします。イギリスで準市場を導入しようとしました。かつてイギリスは医療制度の分野で準市場を使うということを考えたことのない国でした。特にこの導入を考えていたときの政権が,あまり市場や準市場を好まないはずの社会民主主義的な政権であったことが,さらに導入を困難にしました。導入にあたっては,彼らが申し立てる意見に対応する必要がありました。例えば,国民が必要なのは良いサービスだけであり,選択肢は必要がないのだという
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声がありました。あるいは,平等やxxを求める,別の反対意見もありました。つまり,裕福な人が得をして,貧しい人たちには,残り物の落ちぶれた悪い病院しか残らないではないかという意見です。さらにもっと哲学的な反対意見もありました。「選択と競争」を導入すると, 利他的とか,人のためとか,公益というもともとの公共サービスの精神をある意味で傷つけるのではないかという意見です。また反対意見は政権のサポーターである社会民主主義的な人たちだけから出されたわけではありませんでした。一方で保守派,野党もいましたし,医療サービス分野で働いている医師や看護師,あるいは補助職員等がいました。さらには患者,つまりサービス利用者も,このモデルに対して違う考えを持っていました。
まず社会民主主義寄りの考えの人たちは,「信頼型」がいいと主張しました。基本的には信頼,信用ができるという考え方です。もともと医師や看護師などの専門職の中には,社会民主主義的な政治的立場を取っている人が多く,自らを利他的だと考えています。騎士,ナイトという言葉をあえて使いますが,専門職の人たちは,自分たちは利他的で人のために頑張っている,騎士のようなものだという自負があるのです。このような人たちが,「信頼型」は機能しないと思うとき,次善のモデルは“Voice”(民主制あるいは意見表明型)となります。さらに“Voice”だけでは無理だと考えるのであれば,次は「不信型」がよいと言いました。一方で「選択と競争」,つまり準市場は好きではありませんでした。その中でブレア前首相のアドバイザーをしていたわれわれは政府内部を説得しなければなりませんでした。
まず,人々は選択を望んでいないという議論があります。果たしてそうなのかどうかを聞き,面白いことが分かりました。特に「選択と競争」を求めていたのは,例えば男性より女性というように,力やお金をそれほど持っていない人たちだったのです。また社会階級で見ますと,経営者と専門家は,それほど「選択と競争」を望んでいませんでした。次に,所得,収入で見てみましょう。 1 万ポンドの年間所得を切る人たちの方が,お金
持ちと比べた場合に,「選択と競争」を強く望んでいました。学歴で見た場合にも,「選択と競争」を強く望んでいたのは学歴の低い人たちでした。ほかのサービス分野やほかの国の事例を見た場合も同じようなことが分かりました。
次はアメリカの例です。学校の「選択と競争」についての情報ですが,それほど富める人たちではない大半の人たちが「選択と競争」を求めていました。ニュージーランドでも同じことが分かっています。どこの学校に行くかという選択に関しても,準市場モデルのパワーを示しています。つまりお金を持っていない,貧しい人たちの方が
「選択と競争」を強く求めているということです。それでは,「国民が必要なのは良いサービスだ
けであり,選択肢は必要がない」という意見についてはどうでしょうか。「選択と競争」を求めているのか,それともサービスを求めているのかと聞きましたら,当然ながらみんないいサービスが欲しいと答えるわけです。しかし,これは間違った二分法です。例えば,普通のテレビと完璧なテレビ,どちらがほしいですかと聞けば,当然ながら完璧なテレビの方が欲しいと答えるわけです。この聞き方が問題です。「選択と競争」というのは,いいサービスを獲得するための方法なのです。きちんとしたインセンティブを提供することが,いいサービスにつながるのです。さらに,お金持ちの方が良い選択ができるという議論があります。これについて,ロンドンでの実験の結果をお示しします。今までは選択をすることができなかった人々に選択を許しました。その結果,貧しい人たちも,お金持ちと同じぐらいの頻度で同じような選択をしていました。つまり,貧しい人たちは選択をしない,という想定が間違っていることが分かりました。
次に,民間から公共サービスを提供することによって,公共サービスの精神が損なわれるという議論について考えてみましょう。これは非常に強い議論でありました。しかし,サービスを提供している人たちと一般の人たちとの認識の差が問題になるわけです。イギリスで一般の国民に,医療サービス,もしくは教育サービスも含む公共サー
396
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
イギリスの公共サービスについてどのような意識・印象をもっているかという問いへの回答率
官僚的 46%
腹立たしい思いをさせられたことがある
匿名での対応が多い
34%
32%
ハードワークをしている
対応がよくない責任をとってくれない
27%
25%
24%
友好的
21%
効率的 15%
誠意がある
11%
心が開かれている
7%
0%
10%
20%
30%
40%
50%
出典) MORI (2005) Survey of 2000 GB aged 18+ より筆者作成。
図 3
どのような人が最善とみなされるのかについての比較
サービスの運用コストが
効率的な人
55%
39%
よい質のサービスを
提供する人
51%
41%
Making sure that services go to people who need them most
21%
73%
0% 20% 40% 60% 80% 100%
出典) Public Responses to NHS Reform, John Xxxxxxx x Xrturo Alvarez, British Social Attitudes Survey 22nd Report (2005) より筆者作成。
民間企業政府部門
図 4
ビスに対してどういう言葉を思い浮かべるかと聞いてみました。公共サービスに関してオープンである,誠実であると考えていた人は,それぞれ
7% と 11% しかいませんでした。一方「官僚的,腹立たしい」という回答を見ますと,46%が官僚的と答えていますし,34% が腹立たしい
Spring ’09
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
397
と答えています。一般的に,いい言葉というのは下位に,悪い言葉は上位に出てきています。勤勉かどうかに関しては,公共サービスで仕事をしている人たちが勤勉だとはとらえられているようです。私自身も公共部門で仕事をしていますからうれしく思いますが,それ以外に関しては,公共サービス,公共部門は,そのまま維持しなければいけない,素晴らしいものを持っているというわけではないと感じられているようです(図 3)。また,公共サービスを民間企業から提供された場合にどういうふうに思うか,政府がお金を出すが,民間企業が提供するとした場合にどう考えるかと聞いてみました。日本はそういうような形ですね。民間企業も公共サービスを提供しています。イギリスで質問した場合には,多くの人たちが,全く構わない,喜んでそれを受け入れると答えています。政府の内部からも反対意見があったにもかかわらず,こういうような議論を活用することで,最終的にはこの変革を達成することができました(図 4)。
いい医療サービスが提供されていないと感じた場合には,どんなことができるのかということに関して,四つのモデルがありました。「信頼型」,
「不信型」,“Voice”( 民主制あるいは意見表明型),そして「選択と競争」,すなわち準市場です。医療サービスの提供においては,この準市場の方がよりよい成果をもたらしてくれるということが分かります。しかしながら,うまく機能するための制度設計をきちんとしなければいけません。
日本では準市場のようなものが既にあると思います。このシステムは既に非常にいいところがたくさんあるわけですが,より効率化を進めるために,よりニーズに応えるために,よりxxなサービスを提供するために改善の余地はあると思います。以上で報告を終了させていただきます。ご清聴どうもありがとうございました。
(Julixx. Xx Grand ロンドンスクール・オブ・
エコノミクス教授)
398
【 基 調 講 演 2 】
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 究 Vol. 44 No. 4
OECD 諸国における医療制度の多様性
ピーター・シェーラー
ルグラン先生と同じように,私も主催者に対し,ご招待をいただいたこと,そして非常に重要な議論に参加させていただいたことを感謝申し上げます。
医療制度を取り上げる会議ということですが,私か
らは,OECD 諸国における医療制度の幾つかのxx的な要素について国際比較してみたいと思います。また,どのような問題が起きているのかという現状と,問題に対処するためのさまざまな方法を模索したいと思います。
さて,OECD 諸国の医療保険制度は公的資金などさまざまな財源を基に賄っているわけですが,これを国際比較するのにあたって,主要な財源の種類(例えば社会保険),医療の質の在り方や医療保険制度の機能,そして,支出が時間の経過とともにどのように伸びてきているのかということを見ていきます。さらに公的部門,あるいは民間部門の医療費の支出について,総額,あるいはそれぞれの構成要因を分析します。
まず財源の規模です。ほとんどの OECD の国々では,公的資金で賄われる部分が大きくなっていますが,アメリカにおいては半分強の医療費について,民間資金で賄っているという点が大きな違いです。ただ,これについてはまた後ほど説明しますが,民間資金といってもその多くは,実は民間の医療保険,特に雇用主が主導する福利厚生としての保険制度によって賄われております。これは,社会保障制度の下での健康保険,すなわち医療保険制度との共通点が非常に多い制度で
す。民間資金で賄う部分が多いとはいっても,アメリカの一人当たりの医療費のうち公的資金を使った部分は,ノルウェーとルクセンブルクに次いで多くなっています。大半の OECD 諸国の一人当たり GDP 比で見ましても,やはり公的部門の医療費はアメリカの方がかなり大きくなっています。まだまだ大きな違いがあります。一人当たり GDP 比で見た場合,例えば日本の隣国である韓国などでは 6% という値になっています。一方高いところではイギリスが 8~9%, スイスが 11%,そしてアメリカが 15% ということで,一人当たり GDP 比で見た場合,国によって大きな開きがあります(図 1)。
次に財源の構成要素です。日本は,一人当たりの医療費の支出,あるいは GDP 比で見ると,ほかの国よりも低くなっています。しかしながら,日本の制度はヨーロッパの制度を模範としておりまして,社会保障制度で賄われている部分はほかのヨーロッパの国々などにも近くなっています。一方驚くべきことに,アメリカでは,医療費のうち社会保障制度で賄われる部分はかなり低くなっています。ただ,これは過小評価されている傾向があります。その理由として,OECD に提供されているデータの中には,一般財源の税収で賄われている部分が大きい,いわゆるメディケアの部分が入っていないという問題があります。つまり,アメリカにおいて公的部門の支出,医療費を賄っている部分は,社会保障制度を通じて入ってくる資金というよりは,一般財源の税収によって賄われている部分が大きいということです(図 2)。
さて,民間の側です。自主的に負担している部
GDP に対する比率(%)
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第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
399
医療保障の制度と財政方式との関係からみた医療支出の GDP に占める割合,2005 年
16. 0
14. 0
12. 0
10. 0 8. 0 6. 0 4. 0 2. 0 0. 0
全額公費負担全額民間
コストシェアリング除く利用者負担
(民間医療保険除く)会社負担
社会保険除く部分の公費負担非営利法人・団体負担
コストシェアリング(家計)その他
社会保険
家計の自己負担民間医療保険
財政方式別にみた GDP に占める医療支出の割合,2005 年
16. 0
14. 0
12. 0
10. 0 8. 0 6. 0 4. 0 2. 0 0. 0
全額公費負担全額民間
コストシェアリング除く利用者負担
(民間医療保険除く)会社負担
社会保険除く部分の公費負担非営利法人・団体負担
コストシェアリング(家計)その他
社会保険
家計の自己負担民間医療保険
GFP に対する比率(%)
トルコ
韓国
ポーランド
メキシコ
スロバキア
チェコ
ルクセンブルグ
日本
イギリス
アイルランド
フィンランド
スペイン
ハンガリー
オーストラリア
イタリア
ニュージーランド
ギリシャ
ノルウェー
スウェーデン
オランダ
アイスランド
デンマーク
カナダ
ポルトガル
オーストリア
ドイツ
ベルギー
フランス
スイス
アメリカ
図 3
オーストラリア
デンマーク
ニュージーランド
スウェーデン
ギリシャ
イギリス
イタリア
アイルランド
ポルトガル
カナダ
スペイン
フィンランド
ノルウェー
メキシコ
アメリカ
トルコ
韓国
アイスランド
ポーランド
オーストリア
スロバキア
スイス
ハンガリー
日本
ルクセンブルグ
オランダ
チェコ
ベルギー
ドイツ
フランス
図 2
分,つまり雇用主負担ですが,これが民間部門の医療費のかなりの部分を占めています。特にアメリカについてはこれが顕著です。アメリカにおい
て,自己負担,つまり直接に税引後の所得から支払われる医療費は,ほかの国よりは多くはありません。OECD の国々の中でも,例えば韓国やス
400
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
イスなどよりは低くなっています。日本の場合には全体からみればかなりの部分を占めてはいますが,数値としては大体 1% ぐらいと,かなり小さくなっています(図 3)。
今申し上げたことの重要性を見るに当たって,
「自己負担」について言及しておく必要があります。日本の場合,自己負担といっても,これは共同支払いであり一部負担にすぎません。すなわち社会保険における自己負担分というのは,ほんの一部にすぎないということになります。これはかなり異例のことであります。ルクセンブルクなどについては十分なデータはないわけですが,それ以外の国々について,いわゆる自己負担をさらに分解してみますと,共同支払いはかなり少なくなっています。こういった負担分のほとんどは,社会保険では全くカバーされていない部分になるのです。したがって,社会保険でカバーされている比率がかなり高くなっていることは,とくに日本の医療保障の特徴だといえます(図 4)。
GDP に対する比率(%)
次に,どういうケアや治療がこういった資金に
よってカバーされているのかということを説明したいと思います。入院患者の治療は,全体の医療サービスの提供においてかなり重要な部分を占めております。多くの国では,外来患者の治療,病院外のクリニックですとか,あるいは医者のオフィスなどで提供されるサービスは,実際に病院に入院して受ける治療とは違います。この絶対額の多くの部分,そして全体のアメリカの医療費の多くの部分で外来患者に割り当てられている部分は過大評価されています。これは報告上の手続きによるものです。それぞれの国別のデータで治療といったときに,例えば外科医が行う治療が,外科医の自分のオフィスで提供されるサービスなのか,それとも病院で提供されるサービスなのか,請求書の中ではきちんと区別されていないということがあります。病院の入院患者に対するサービスと,外来の患者に対するサービスがきちんと区別されていないという統計上の報告の違いによって,少し比率が過大評価されているかと思います。
家計の自己負担の割合が大きい国から(右から)並べた場合の,医療支出の財源構成(対 GDP 比)
16. 0
14. 0
12. 0
10. 0 8. 0 6. 0 4. 0 2. 0 0. 0
全額公費負担全額民間
コストシェアリング除く利用者負担
(民間医療保険除く)会社負担
社会保険除く部分の公費負担非営利法人・団体負担
コストシェアリング(家計)その他
社会保険
家計の自己負担民間医療保険
イギリス
ギリシャ
スウェーデン
ルクセンブルグ
オランダ
フランス
チェコ
アイルランド
トルコ
日本
ドイツ
デンマーク
カナダ
ノルウェー
ニュージーランド
オーストラリア
スロバキア
ポーランド
フィンランド
オーストリア
アイスランド
イタリア
スペイン
ハンガリー
アメリカ
ベルギー
韓国
ポルトガル
メキシコ
スイス
図 3
Spring ’09
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
401
対照的に日本の場合は,外来患者の比率は低くなっております。つまり,支出のかなりの部分が入院患者,すなわち病院内における治療や看護に充てられています。これに対して,病院外の介護,特に在宅ケアの部分は入っていません。医療費支出の中でも,他の OECD 諸国には入院患者や介護施設に入っているような患者へのケアが入院・在所日数でみた効率性が高い国々があるので,ほかの OECD 諸国などと比べると,日本の在院日数が長くなっています。日本の病院には,救急治療とか急性疾患に対する治療というよりも,OECD 平均よりも長期の介護のサービスを受けている入院患者が多くいます。ただ,絶対額ベースでは,長期の入院以外の部分は低くなっているので,日本の医療支出額が,OECD の他の国々と同様の水準にあるのだと思います(図 5)。医薬品の支出を対国民所得比で見ますと, OECD 諸国でかなり類似しています。一人当たりの国民所得が低い国,例えば韓国やハンガリーやチェコなどと,比較的豊かな国,ノルウェーや
オーストリア,アイスランドなどと比べても,それほど違いが見られませんが,日本ではやや高くなっています。さらにアメリカはかなり高くなっています。医薬品の支出は反比例の関係にあり,対 GDP 比では低所得国の方が高所得国よりも高い支出を行っているということがわかります。ほかの項目,例えば入院患者の治療や外来患者の治療などの GDP 比は低所得国より高所得国の方が高くなっていますが,医薬品だけは全く逆の状況が見られます。これは医療費支出を見た場合に大事な点であります。なぜならば,医薬品は全体の医療費の中でも近年重要性を増していますし,市場の特性から見ても,ほかの項目とは違うからです(図 7)。
GDP に対する比率(%)
ここで付け加えなければならないことがあります。医薬品の支出について,国によってそれほどばらつきがなかったということをお話ししましたが,これは同等の消費といった場合には必ずしもそうではありません。例えばフランスでは,医療費の支出でアメリカと比べてそれほど低くはあり
自己負担におけるコスト・シェアリングの重要性
4. 0
3. 5
3. 0
2. 5
2. 0
コスト・シェアリング
(家計)
1. 5
コスト・シェアリングを
1. 0 除く自己負担
0. 5
0. 0
(自己負担のうちコスト・シェアリングを区別できる国のみを図示した。)
スイス
韓国
ベルギー
スペイン
スロバキア
オーストラリア
日本
ルクセンブルグ
図 4
アメリカ・ドル(購買力平貨表示)
402
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
医薬品支出額をベースとする場合の機能別にみた医療支出額,2005 年
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
医薬品外来
その他医療 医療設備投資
デイケアを含む急性期医療在宅ケア
予防・健康増進
デイケアを含む長期医療・療養医療に必要な補助的サービス 医療行政・社会保険運営費用
機能別にみた医療支出額,2005 年
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
デイケアを含む急性期医療在宅ケア
その他の医療医療設備投資
デイケアを含む長期医療・療養医療に必要な補助的サービス 予防・健康増進
外来 医薬品
医療行政・社会保険運営費用
アメリカ・ドル(購買力平貨標)
メキシコ
ポーランド
スロバキア
韓国
ハンガリー
チェコ
ポルトガル
ニュージーランド
スペイン
日本
イタリア
フィンランド
オーストラリア
スウェーデン
デンマーク
ドイツ
フランス
ベルギー
アイスランド
カナダ
オーストリア
スイス
ルクセンブルグ
ノルウェー
アメリカ
図 5
ません。ところが,薬品の量の消費ということでは大体半分ぐらいになります(図 6)。ここで観察されるのが,いわゆる医薬品業界と市場でのマーケティングとの相関関係です。ほとんどの OECD 諸国では,消費者は社会保障制度の影響
図 6
メキシコ
ポーランド
スロバキア
韓国
ハンガリー
チェコ
ポルトガル
ニュージーランド
スペイン
日本
イタリア
フィンランド
オーストラリア
スウェーデン
デンマーク
ドイツ
フランス
ベルギー
アイスランド
カナダ
オーストリア
スイス
ルクセンブルグ
ノルウェー
アメリカ
を受けています。われわれは医薬品市場について詳細な報告書を出そうとしているところなのですが,この点が非常に重要です。
ここで私は,OECD 各国の特色の背景にどのような要因があるのかを見てみたいと思いました
Spring ’09
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
403
(図 7)。まず,医療費を一人当たり GDP で見た場合に,その相関関係を見てみます。一人当たり GDP が大きい場合には,一人当たり医療費も大きいのでないかという先入観があります。それは,この分析をする場合に,従来クロスセクションで見てきたからかもしれません。しかし,これをきちんと理解するためには,もっと詳しく見なければなりません。時系列的に見る必要があるのです。そこで,一人当たり医療費と一人当たり GDP を比べた場合,全体のコストのうち,どれだけの割合が公的資金,あるいは民間資金でカバーされているのかを時間を追って見なければなりません。
アメリカは医療費に占める民間資金の割合が最も大きい国です。公的資金以外の割合が大きい順に並べると,アメリカ,メキシコ,韓国となります。アメリカ以外は比較的低所得国であり,比較的一人当たりの医療費も小さい国といえます。オーストラリアもかなりの部分を任意の民間医療保険が占めています。カナダの場合,民間部門は急性治療やプライマリーケアからは外れていますが,医薬品はカナダの国民医療保険からは除外され,主として民間医療保険でカバーされていま
す。あるいは,それぞれ個人が加入して保険にかかっています。したがって,民間資金の占める割合が高くなっています。
例として 11 の国を国際比較してみました。まずアメリカです。アメリカの場合には,1980 年代,1990 年代の複数の時点において,大体一人当たりの GDP の伸び率と同じ程度に医療費の支出が伸びていった時期がありました。さらに,例えば 1970 年代末や 1990 年のころ, あるいは 2000~2001 年にかけても景気が落ち込み,GDPの伸び率が止まったりしたことがありましたが,医療費の支出は伸び続けました。このパターンは官民双方の資金に関して同じように見られます。 1 回だけ例外だったのが,1990 年代の初めです。このときには例えば日本のバブル経済崩かい後のように,経済的に厳しい時期だから医療費は抑えなければいけないということで,民間の資金が減っています。ただしほとんどの期間において,アメリカでは一般経済が減速したとしても医療費の支出は減らなかったということが繰り返し起こりました 。
GDP に占める比率(%)
このように経済が減速しても医療支出が増えていくというのは,どこの国でも見られることでは
機能別にみた医療支出(対 GDP 比)
16. 0
14. 0
12. 0
10. 0 8. 0 6. 0 4. 0 2. 0 0. 0
医薬品外来
その他医療サービス医療設備投資
デイケアを含む急性期医療在宅ケア
予防・健康増進
デイケアを含む長期医療・療養医療に必要な補助的サービス 医療行政・社会保険運営費用
韓国
ポーランド
メキシコ
チェコ
スロバキア
ルクセンブルグ
日本
フィンランド
スペイン
ハンガリー
オーストラリア
イタリア
ニュージーランド
ノルウェー
スウェーデン
デンマーク
アイスランド
カナダ
ポルトガル
オーストリア
ドイツ
ベルギー
フランス
スイス
アメリカ
図 7
404
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
ありません。メキシコはいわば対照的な国です。 1995 年に金融危機が起こったとき,経済危機と政府の予算制約に応じて民間の資金と公的な資金の両方が減少しました。ただし,2000~2002 年にかけて,アメリカの危機に反応して GDP の伸び率も停滞しましたが,このときは経済が減速しても,医療費の支出は公的資金も民間資金も増え続けました。
韓国に関しては,1997 年に金融危機が起こったときには官民双方の資金の支出の伸び率は減りましたし,絶対的に下落したのは公共部門の資金でした。ただし,その停滞にも例外があり,全体的に増え続けたときもあります。さらに支出が増えていく傾向もあり,GDP の伸び率よりも支出の伸び率が高くなっています。これは健康保険を 10 年前に全国民に普遍化しようとし,皆保険を目指していることが背景にあります。民間での支出は増えていますが,当然のことながら,これは一人当たり GDP が増えているためです。GDP も今見ている期間では 200% 以上の伸び率を記録しています。しかし,より最近では,公共部門の支出も GDP の伸び率を上回っています。
このようなパターンがほかの先進国でも見られます。スイスの例を紹介します。スイスは民間支出がかなり大きめですが,ほとんどが自己負担です。この 20 年間, 民間における支出の伸び率は,公的資金の伸び率よりは大きく,経済の減速に反応して変動しています。公的資金の支出については,強制的な公的保険加入があり,民間と競合していることから,こちらの方の支出の伸びは高いままです。
次にオーストラリアですが,これはアメリカに似ています。この 10 年間,公的部門,民間部門の両方で,GDP よりも高い伸び率を示しています。なお,この間オーストラリア経済の大きな減速はありませんでした。最後にあったのは 1990年の景気後退ですが,このときは,公的部門の支出はそれほど減速せず,横ばいでした。さらに,民間部門の支出はここ 20 年間非常に高い伸び率を続けております。景気後退があったときも全く減速しておりません。
カナダでは,1990 年代初頭に金融危機がありました。これにより,全体的な支出がかなり大幅に下がりました。特に医療部門における一人当たりの公的支出が下がりました。しかしながら,民間部門の支出に関しては,それほど大きく低下していません。民間支出の大きな部分はカナダの国民医療保険制度以外の部分,つまり医薬品などが占めています。
大きく支出が減速した国としてフィンランドが挙げられます。フィンランドは 1989 年から 1993年にかけて,非常に大きな景気後退がありました。これは旧ソ連の市場を失ったことによるものです。経済が建て直しを図り新しい市場に対応するのには,しばらく時間がかかりました。支出の減速が起きた時期は,フィンランドが健康保険制度の改革をしたときでした。このとき供給と財源,特にプライマリーヘルスケアの供給,および二次医療の財源を地方公共団体,市町村に移しました。財源は地方税から賄い,再配分をして,一人当たりの所得が低いところ,遠隔地などに対して財源を提供することが行われました。景気後退と財源変化の影響により,10 年ほど医療を賄う公的支出の伸びが GDP の伸びを下回る状態が続きました。一方,民間部門の医療支出は,同じ期間において GDP と同じぐらいの速度で伸び続けています。したがって,民間部門の支出が公的部門の支出の減速を埋め合わせた形になりますが, 5 年ほど前から,公的部門の支出も,GDP の伸
びにと同程度に伸び始めました。ここ 1 年間,民間部門の支出は少し落ち込んでいますが,全般的には GDP と同じぐらいの伸びを示しております。
民間部門が埋め合わせをしたもう一つの例がドイツです。これは非常に興味深い状況でありまして,公的保険の財源の使い方は,ほかの国々にとってもモデルになるのではないかと思われます。ドイツの場合,公的部門の支出は,統一前も統一後も,GDP と同じような伸びを示しています。その結果,全体的な支出は GDP と同じような伸びを示していますが,民間部門の支出は GDP よりも早く伸びています。東西の統一後は特にその
Spring ’09
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
405
傾向が強くなっています。なぜならば,ドイツの場合は所得の上位 10% に入る人々は民間支出で医療サービスを受けるという形になっていますので,当然ながらお金持ちの人たちの支出というのは平均よりも大きく伸びるためです。そこで,ドイツでは幾つか非常に厳しい措置が取られました。特に公的部門において,医療費の支出を抑制しようという試みが行われ,これが成功を収めてきました。つまり,財政負担,納税者に対しての負担,社会保険料の負担は横ばいに抑えられています。したがって,人口の大半の人たちと,それから民間保険を活用できる高所得層の間で医療機関や医療サービスへのアクセスに不一致が生じています。
フランスはその構造から見てドイツに似ていますが,公的部門の医療支出の抑制にはそれほど成功していません。1990 年代の初頭も伸びていますし,最近もまた伸びています。民間の部門の支出も,全体の支出のうち重要な部分を占めていますが,こちらの方の伸びは公的部門の伸びを抑制するまでには至っていません。したがって,医療支出の GDP に対する割合は伸び続けています。その結果,フランスの公的財政においては危機が生じています。
日本は,この 11 カ国の中で民間部門の医療支出の割合が最も低い国の一つであり,17% となっています。ドイツが 20~22% ぐらい,フランスも高くなっていますし,そのほかの国々ももっと高くなっています。公的部門の支出は一貫して成長を続けています。特に経済の停滞していた 1990 年代も伸び続けていました。したがって,一人当たりの GDP はそれほど伸びていなくても,医療費の支出は伸び続けていました。特に 1990 年代,GDP に対する医療費の占める割合は非常に高くなりました。民間の医療支出の方は 1985 年から数年間下がりましたが,最近は上がったり下がったりという変動を続けております。ここで,民間部門の支出は自己負担,共同支払いですので,拠出を高めるというような社会保険制度の変更が行われたことで,より多くの国民が共同支出をしなければならなくなりました。
イギリスにおいては,医療費の支出は,明らかな政治の変化を反映しています。1970 年から公的部門の支出は GDP と同じくらいの伸びを示してきました。しかし 1979 年以降,公的な支出の方が GDP よりも高く伸び続けるようになりました。 こ れ は 積 極 的 に NHS(National Health Service,国民医療制度)のキャパシティを高めようとした政策の結果です。例えば待ち時間を短縮しよう,もっと対応を良くしよう,よいサービスを提供しようという政策が取られました。民間部門の医療支出は,1970 年代停滞しましたが,その後 GDP の伸びを超えるスピードで,1997 年まで伸び続けました。イギリスの場合,民間の支出は医薬品などに関しては共同支払い,共同負担があるほか,NHS から提供される歯科の治療なども一部ありますが,これらは NHS に代わるものも多く,代替的なサービスへの需要が下がってきました。つまり,NHS のサービスが競争力を持つようになってきました。
今,いろいろなことを申し上げさせていただきましたが,OECD の国々が,よりxxxxのシステムに移行していくその能力が何によって決まってくるかは,どのような制度を受け継いできたか,それから国民の要望がどういうものであるかによって決まると思います。経済が停滞しているときにも十分な医療サービスを提供するべきというような要望が国民からあるかどうかということです。医療サービスは,経済にそれほど敏感に反応するものではありません。したがって,市場の力を導入するためには,競争と医療の質のバランスを保つなど医療制度に特有な目的と合致した制度設計をする必要があります。
ルグラン先生がおっしゃられましたように,これは市場からそのまま作られるものではありません。その一番強い証拠がアメリカの例です。民間部門において,医療支出は経済の減速に全く反応していません。医療の財源について,市場の力にさらに依存を強めるというのは誤った希望であります。アメリカはたくさん問題を抱えていることを認識しながらも,ほかの OECD 諸国と比べた場合,医療のサービスの供給は市場の力により強
406
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
く依存し続けています。しかし,全体的な経済状況に対しての反応度がより高いというわけではありません。したがって,今後も,国際比較などを含めたより緻密な検討をする必要があるでしょう。
医療制度の対応をより良くするためにはどうしたらいいのかという問いの前提として,国民が保証されたアクセスや十分な質を持った医療のサー
ビスを求めているということがあると思います。この点を強調して,このセミナーでの報告を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
(Pexxx Xxxxxxx XECD 雇用・労働・
社会問題局医療課長)
Spring ’09 第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
【 基 調 講 演 3 】
介護保険と日本経済
−−準市場・社会市場の考え方を踏まえて−−
407
x x x x
2005 年 4 月から国立社会保障・人口問題研究所の所長をつとめておりますxxxxxす。当研究所所長へ就任する前は,厚生労働省立の日本社会事業大学の教員を,学長 10 年間も含
め約 30 年やっておりまして,日本の介護保険制度の基本構想の立案とよりよい実施にむけての審議にも参加してきました。そこで,本日の厚生政策セミナーのテーマである
「新しい社会保障の考え方を求めて」について,ルグラン教授がイギリスの医療制度を題材に,シェーラー博士が OECD の医療・介護を題材に各々お話しされたので,私は日本の介護保険について「介護保険と日本経済」という題名でお話しさせていただきます。
私の話の柱は五つです。第 1 の柱は日本の高齢
化と介護サービスの現状について,第 2 の柱は私なりの社会市場(social market) の概念について,第 3 の柱は日本の介護保険について,第 4 の柱は介護サービスと日本経済の関係について,第 5 の柱はまとめです。
第 1 の柱は日本の高齢化と介護サービスの現状
についてです。まず資料 3‒1 をご覧下さい。日本は 2005 年以降,75 歳以上の人口比率で国際的に群を抜いた水準になりました。しかし資料 3‒2 を見るように,日本は OECD 基準の社会支出(社会保障給付費その他)あるいは国民負担率((税
+社会保障負担)÷GDP)が,アメリカに次いで低くなっています。もちろん 2000 年の介護保険
導入以来,資料 3‒3 のように,日本は高齢者政策
における介護サービス支出の比率が他国と比べ急激に高くなっています。
第 2 の柱は社会市場です。この概念は,1960年代後半にイギリスの R. ティトマスがマネタリストの M. フリードマンらに対抗して提唱したものです。その後は N. ギルバートの福祉資本主義論で発展させられています。社会市場は経済市場と比べて三つの特徴を持っています。
第 1 は,低所得者の存在など需要は必ずしも貨
幣的裏づけがないこと。第 2 は,供給は必ずしも
利潤を目的としていないこと。第 3 は, 需給
(DS)関係の調整は価格メカニズムではなく,ニーズ充足の原則で行なわれること,となります。これはルグラン教授らの言う準市場(quasi‒ market)よりやや広い概念ですので,よりxxの準市場と基本的にほぼ同義といってよいかと思います。
資料 3‒4 にみるように,私見では社会保障は社会市場の中心的存在ですが,現在では経済市場とも重なり合った領域(xxの準市場)となっています。いうまでもなく社会市場も経済市場も市場の一種です。各々の交換(社会的交換ないし経済的交換)が一定量,反復的に,一定の規則性で行なわれれば,各々社会市場ないし経済市場になります。
既に述べたように,「社会市場」には歴史的系譜があり,イギリスのティトマスからアメリカのギルバートへと発展してきましたが,やや実証分析に乏しいことなどから,今やルグラン教授の
「準市場」に取って代わられています。しかし後にふれるように,今後両者の新たな統合を図る必要があります。現在における社会市場と経済市場
408
国際比較の図1 各国の高齢化率(75 歳以上人口)の推移
%
25.0
20. 0
15. 0
10. 0
5. 0
日本 アメリカイギリスフランスドイツ
スウェーデンイタリア
デンマーク全世界 先進諸国
0. 0
1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020 2025 2030 2035 2040 2045 2050
資料) 国連, World Population Prospects: The 2006 Revision. Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
資料 3—1
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
実績 | 予測 |
資料 3—2
国際比較の図2 OECD基準の社会支出の国際比較
80%
70%
60%
50%
40%
30%
20%
10%
0%
日本
アメリカ イギリス ドイツ
フランス スウェーデン
Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
資料) 国立社会保障・人口問題研究所「平成 17 年度社会保障給付費」。
社会支出(対国民所得比) 社会支出(対国内総生産比)国民負担率(対国民所得比)
潜在的国民負担率(対国民所得比)
Spring ’09
資料 3—3
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
409
%
3. 0
国際比較の図3 高齢政策における「介護サービス」支出の推移
2. 5
2. 0
1. 5
1. 0
介護保険制度
(平成12年)
デンマークフランス ドイツ
イタリア日本
スウェーデンイギリス アメリカ
0. 5
0. 0
1980 1985 1990 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 年度
5年間隔
資料) OECD SOCX2007ed.よりOld Age, residensial care and homehelp serviceの対GDP比率。 Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
図表 1 社会保障の社会市場及び経済市場における位置(概念図)
社会市場
(社会的交換)
経済市場
(経済的交換)
混合市場(xxの準市場)
出典) 国立社会保障・人口問題研究所 xxxxx作成。
Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
社会保障
資料 3—4
410
資料 3—5
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
図表2 混合市場の類型(1~5)
経済市場
混合市場
(xxの準市場)
社会市場
類型 1 準市場(狭義)
類型 2 社会保険
類型 3 減税支出
類型 4 社会的資本
類型 5 その他
注) 但し減税支出を厳密には純粋の公共政策の領域と並んで純粋の社会市場に位置づけることもできる。出典) 国立社会保障・人口問題研究所 xxxx・xxxx x成。
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図表 3 介護サービスの位置づけ
医療サービス
福祉サービス
出典) 国立社会保障・人口問題研究所 xxxx作成。
Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
介護サービス
資料 3—6
の重複化は,資料 3‒5 のように,類型 1 の狭義の
準市場だけでなく,類型 2 の社会保険,類型 3 の
減税支出,類型 4 の社会的資本その他に拡大して
います。xxの準市場というべき混合市場は,類型 1 から類型 5 までのスペクトル構造をなしているのです。こうした新たな社会市場(ないし混合
Spring ’09
図表 4 日本における社会保障体系(マトリクス概念図)
注) 斜線部分は介護保険の派生を強調するためにおかれている。なおアンダーラインは介護保険がらみ。出典) 国立社会保障・人口問題研究所 xxxx作成。
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資料 3—7
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
411
手段 領域 | 社会扶助(social assistance) | 社会保険 (social insurance) | |
公的扶助 (public assistance) | その他 (other public services) | ||
所得保障 (income maintenace) | 生活保護(生活扶助等) | 授産施設 | 老齢年金雇用保険労災保険障害年金 |
医療保障 (medical care) | 生活保護(医療扶助)公衆衛生 | 公的医療 | 健康保険労災保険 |
福祉介護 (health and personal social service) | 生活保護(介護扶助) | 福祉サービス | 介護保険 (long-term care insurance) |
資料 3—8
図表5 介護給付の推移(総受給者数及び金額)
(単位:億円)
70, 000
60, 000
総給付費受給者数
317
337
(単位:万人)
400
354
350
287
50, 000
218
300
218
250
40, 000
184
200
30, 000
20, 000
41143
46576
50990
55594
57943 58743
150
100
10, 000
50
0
12 年度 13 年度 14 年度 15 年度 16 年度 17 年度
18 年度
0
出典) 厚生労働省『平成 18 年度介護保険事業状況報告(年報)』より国立社会保障・人口問題研究所 xxxx作成。
Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
32427
市場)の概念をふまえて,我が国の介護保険について次に検討する必要があります。
第 3 の柱として,日本の介護保険における介護サービスはどのように位置づけられるのか,が課題となります。我が国においては 2000 年の介護
保険法の施行より,第 1 に資料 3‒6 のように介護サービスが従来の医療サービスと福祉サービスの中間領域として位置づけられ,第 2 に,資料 3‒7
に見るように,狭義の準市場(類型 1)から社会保険(類型 2)へと編成替えされました。その結果,介護給付の推移は資料 3‒8 のように,総受給者数および金額の両面で急速な増大を見せています。近年における先進諸国の社会保障の新たな展開の特徴のうち,社会保障給付を受ける人々にとってより効率的で,身近かつ選択可能な方向として,地方分権化と民営化の二つが顕著ですが,我
412
図表 7 社会保障の受給モデル
社会市場(social market)
現金給付 benefit in cash
現物給付 benefit in kind
給付(benefit)
実現化
(social ニーズ充足 (social
供給 需要
顕在化
suply)
demand)
負担(burden)
経済市場(economic market)で充足されにくい社会的ニーズ
貨幣的ニーズ
(monetary needs)
非貨幣的ニーズ
(non-monetary needs)
D=f(N,ci)
S=g(R, ci) (ただし0≦ci<P)
プラスcharge/contribution
DS の調整は価格メカニズムでな く,ニーズ充足の原則(一部負担
(ci)を伴うことを含む)による。
社会経済構造
(socio-economic structure)
注)1) 矢印⇒は一方的作用(規定要因)を表し,矢印
は相互作用を表す。
2) burden には利用者負担(charge)を含む。(0≦ci<P)
出典) 拙著『市民参加の福祉計画』中央法規出版,1984 年、第 6 章の図を元に加筆修正。
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社会意識構造
(social consciousness structure)
社会ニーズ
社会資源
(social needs)
(social resources)
資料 3—9
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
図表 8 我が国の介護保険における社会市場と経済市場の関係(例示図)
消費市場
介護給付に基づく消費
労働市場
経 済 市 場
金融資本市場
中高年者
(被保険者)
保険料(段階別定額)
積立金
(介護基金)
国庫負担5%
介護給付財源
(保険料50%)
(要介護者)
受給者 利用者負担10% (市町村負担12. 5%)
保険者
税金(個人の払う税・企業の払う税)
介護給付財源
(公費負担50%)
政府部門
(給付への国庫負担 25%,都道府県負担 12. 5%)
混 合 市 場
社 会 市 場
出典) 国立社会保障・人口問題研究所 xxxx・xxxxx成。
資産運用
融資申込
運用収入
貸入れ
労働供給
税金(個人
の払う税)
賃金収入
高齢化・要介護化
資料 3—10
Spring ’09
図表10 社会保障と経済の一般的関係(概念図)
国民経済(NE)
社会保障財源
(SB)
(租税)
2. 6 兆円
(保険料)
2. 6 兆円
(利用料)
(2. 6 兆円)(2. 6 兆円)
社会保障
(SS)
5.2兆円
家計
(HA)
5.2兆円
(現金給付)
負担
(所得保障)
(社会サービス)
5. 2 兆円
給付 (1. 7 兆円)(サービス給付)
便益 2. 1 兆円(機会費用)
入院解消 2. 1 兆円
税 社会保険料(SI)
(MI)
就業 103 万人
(0.9兆円) (103万人)
行政(GA)
[国および地方]
企業等(EE)雇用誘発+104. 5 万人 (財貨・サービス)
乗数効果 33. 4 兆円
GDP(493. 6 兆円)
租税
(ET)
[企業] [団体]
租税(HT)
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注)1) 国および地方の経済活動は企業等(EE)に含まれ,また国家公務員および地方公務員の納税,社会保険料等は家計の内に区分している。
2) 企業等の財貨・サービスには資金運用(MI)など金融等が含まれる。
3) 発展途上国においては社会保障財源に ODE 資金などが含まれる。
4) 数字は出典第 8 章の介護保険(2003 年度)のものを指す。
出典) xxxx(2007)『社会保障と日本経済』慶應義塾大学出版会,59 頁の図 3‒1 を一部修正。
利用者負担(ci)
貯蓄
給与
労働
消費
運用
購入
供給
資料 3—11
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
413
国民経済(NE)
が国の介護保険はこの方向での典型例となっています。後者の民営化においては,訪問系サービスの訪問介護の第 1 位は営利企業(48. 9%),第 2位は社会福祉法人(30. 8%)となっています。社会福祉法人は日本に特有の民間公益法人です。なお,その他で営利法人がトップの座を占めているものは,「認知症対応型共同生活介護」(47. 3%)
「特定施設入所者生活介護」(76. 1%)「福祉用具貸与」(87. 1%)となっています。いずれにしても我が国の介護保険においてサービス提供の事業者は多様化されていますが,サービスの質は主として都道府県によって管理され,その上での品質競争が盛んになっています。
さて潜在的介護ニーズは供給体制との対応で介護需要に転化し,「社会市場」で提供される介護サービスを受け入れます。その様子は,資料 3‒9のようになります。また介護保険と市場との関係については,一方では社会市場との関係で,①世
代的な社会的交換と②政府部門からの移転という社会的交換が行われ,他方で経済市場との関係で,(1)介護給付が経済市場に存在する事業者から提供され,事業者は貨幣を受取るという形で,また(2)介護保険が消費市場,労働市場,金融資本市場の三つの経済市場と交差することで,経済的交換が行なわれます。その全体図を表すと,資料 3‒10 のように,壮大な社会経済的諸交換の絡み合いの様相が明らかとなります。
ここで第 4 の柱である介護サービスと日本経済の関係について述べてみたいと思います。結論を先取りすれば,社会保障の拡大は必ずしもちまたで叫ばれているような国民経済の成長の妨げとはなっていません。まず社会保障と経済との一般的関係については,資料 3‒11 のようになります。介護保険を含む社会保障は社会保障財源から負担を受け,家計に給付するという形を取っており,その間,財貨・サービスを購入したり,資産運用
414
資料 3—12
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
図表 11 介護保険の主な経済的機能(経済効果)
I‒1(a) 生活安定機能(効果) 2. 1 兆円(機会費用)
I セーフティネット機能 2. 1 兆円(入院解消) I‒2(b) 労働力保全機能(効果) (計算せず) I‒3(c) 所得再分配機能(効果) (計算せず)
II‒2(d) 雇用創出機能(効果)
II 需要拡大機能
II‒2(e) 生産誘発機能(効果)
III‒3(f) 資金循環機能(効果)
主としてヒト
103 万人 +104.5 万人
主としてモノ
+33.4 兆円
主としてカネ
5.2 兆円
出典) xxxx(2007)『社会保障と日本経済』慶應義塾大学出版会,61 頁の図 3 ‒2。 Copy-right T.Xxxxxxx XPSS 2008
したりします。また家計からは労働力が提供され,消費・貯蓄が行われるなどします。さらに社会保障財源には,企業等の事業主から租税および保険料(企業負担分)が,家計からは租税および保険料(家計負担分)が送付されます。ここでは単純化を図るため,介護保険の 1 割負担などといった利用料(charge)図示されています。この概念図に基づくと,年度額 5. 2 兆円の介護サービスをめぐって様々な経済効果が発生していることが明らかとなります(資料 3‒12)。
ここで社会保障の主な経済効果を介護保険を例にまとめてみます。すなわち,介護保険のために女子労働などが妨げられない機会費用が 2. 1 兆
円,社会的入院を防ぐ効果が 2. 1 兆円で,生活安
定機能は合計で 4. 2 兆円となります。また労働力保全効果や所得再分配効果もいくらか存在しますが,医療や年金と比べると小さいので捨象しています。さらに,雇用創出効果では,現在の 103 万人の介護部門の就業に加えて,産業連関効果から来る雇用創出が 104. 5 万人あり,生産誘発効果も
33. 4 兆円あります。資金循環効果も年金に比べれば小さいものの,最小限介護サービス部門の
5. 2 兆円分はあります。資料 3‒13 は介護部門の産業連関効果を詳しくみたものです。きわめて抽
象的,観念的に表現すれば,社会保障(例えば介護保険)により生ずる混合市場は資料 3‒14 のように経済市場を社会市場分(1+α)倍大きくしているように思われます。
最後に第 5 の柱として,まとめに入ります。21世紀に入り,我が国の介護保険が問題提起した方向性の意義はまことに大きいと考えます。例えば,少なくとも 7 点の意義をアトランダムですが指摘できます。①利用者の選択権の重視,②個人単位化,③市町村主義,④民営化の徹底,⑤社会保険と税方式の統合,⑥要介護認定の科学技術化,⑦ケアマネジメントの重視です。これらは,いわば 21 世紀型の社会保障システムとして介護保険が切り開いた新たな地平であるといえます。ここで追加的に, 利用者の負担( 利用料 charge)の社会経済的意味について説明します。負担がゼロ,あるいは小さいほど良く,給付は大きいほど良いという低所得者のみに配慮した旧来の社会保障的考え方は,ルグラン教授の指摘1)のとおり新たな社会保障の発展にとっては必ずしもプラスになりません。むしろ利用者全体あるいは国民にとってはマイナスとなることも考えられます。この問題に十分に理論的に言及するには,もはや時間的ゆとりはありませんが,社会市場にお
Spring ’09
図表 12 介護部門の産業連関効果の主要係数(2000 年 56 部門)
注)1)[④所得=消費の追加波及を含む生産誘発係数]は,(家計現実消費 / 総所得ベース)である。 2) 医療は国公立,公益法人等,医療法人等の 3 部門を筆者が便宜上単純平均した数値。
出典) 医療経済研究機構(2004)『医療と福祉の産業連関に関する分析研究報告書』の 10 頁。
(ただし,各数値の小数点以下 3 桁まで引用者が省略) Copy-right T.Kyogoku IPSS 2008
資料 3—13
第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
415
①内部乗数と外部乗数 | ②逆行列係数 (生産誘発係数)(列和) | ③雇用誘発係数(人 /100万円) | ④所得 = 消費の追加波及を含む生産誘発係数(列和) | ||||
内部乗数 | 外部乗数 | 総効果 | 追加係数 | 拡大総波及係数 | |||
介護(居宅) | 1. 167 | 1. 061 | 1. 235 | 1. 418 | 0. 248 | 2. 743 | 4. 233 |
介護(施設) | 1. 162 | 1. 084 | 1. 254 | 1. 485 | 0. 154 | 2. 711 | 4. 249 |
全産業平均 | 1. 477 | 1. 061 | 1. 563 | 1. 791 | 0. 095 | 2. 409 | 4. 067 |
(医療(単純平均))(注 2) | (1. 260) | (1. 142) | (1. 416) | (1. 754) | (0. 111) | (2. 686) | (4. 478) |
(公共事業) | (1. 067) | (1. 067) | (1. 528) | (1. 874) | (0. 099) | (2. 364) | (4. 090) |
内部乗数×外部乗数=総効果 (各産業グループごとの効果) | (産業グループによる効果) | 逆行列係数×雇用係数 | [逆行列](注 1)×[追加波及逆行列表]=[拡大逆行列] |
図表 13 社会市場・混合市場の効果(α効果とβ効果)
• 社会市場・混合市場・経済市場の重複領域(図①)と重層構造(図②)
混合市場
(⊃社会保障⊃介護)
• 重層構造に見られる相互影響の
(α効果とβ効果)の図解
拡張された経済市場:(1+α)×EIM+EM
社会市場(SM)
Copy-right T. Kyogoku IPSS 2008
経済市場
図①
社会市場
図②
資料 3—14
β効果 | 混合市場( IM) | 経済市場(EM) |
α効果 | ||
混合市場(IM) |
ける利用者負担(charge)は経済市場におけるコスト(cost) に対する対価としてのプライス
(price)とは厳密に区別されなければならないという点は指摘しておきます。その上で,利用者負担の諸機能を単に①財源調達の手段として捉えるのではなく,かつて K. ジャッジが述べたよう
に,くわえて②需要抑制(厳密には需要コントロール),③濫給防止,④シンボル効果(権利性の拡大等)の諸機能を重視しなければなりません。さらに⑤公費投入への国民的合意形成(いわば呼び水効果)の機能を付け加えたいと思います。社会保障において低所得者層への配慮をしなくて良
416
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
いということでは決してありませんが,我が国の経験でも介護保険法の場合はもちろん,その後の障害者自立支援法の場合でも明らかなように,低所得者への応能負担的配慮をキチンと行った上での「応益負担」の一部導入(1 割負担)という利用者負担の在り方は公費投入に大きな影響(いわば呼び水効果)を与えます。結果的には介護でも障害福祉でも利用者の原則 1 割負担によって公費は飛躍的に増大し,大幅に充実が図られました。利用者は急増しなお,我が国の介護保険に関し ては,近い将来解決しなくてはならない諸問題が存在します。第 1 に障害者施策への介護保険の適
用という介護保険の普遍化の課題,第 2 に介護人
材不足に対する積極的対応,第 3 に予防給付の段
階的縮小,第 4 に在宅医療と在宅介護の連携,第
5 に要介護認定の改善とケアマネジメントの改良などです。
なお最後になりますが,近い将来,シェーラー博士の国際比較研究などを積極的に取り入れる形で,ルグラン教授の準xxxと私の社会xxxとの融合化が実現することを強く希望していることを申し上げ,むすびとさせていただきます。
注
1)「もしサービスが公費によって提供され,無料だとしたら,サービスの需要をこのように抑制するインセンティブが存在しない。むしろ利用者は,サービスを濫用するようになるだろう。(中略)この“超過”需要を充足するために利用される資源は,他の目的に使用していればもっと多くの社会的便益を別のところにもたらしたはずのものである。こうして当該のサービスが過大に供給されることになる。その上,無料のサービスの場合には,利用者が自分のニーズの充足にとってより効率的,もしくはより適切なサービス供給者を探し求めるインセンティブが弱くなってしまう。利用者は,費用を負担しないのだから,最も経済的な供給者を探さなければならない理由がないわけである。その上,ただでサービスを受けられることで,サービス供給者に対して,あまり批判的でなくなり,要求も弱くなってしまう。そのために,非効率的,あるいは不適切な供給者が,存在し続けることになり,別のより良い方法で使うことができたはずの資源が浪費される。」(〔ジュリアン・ルグラン(2008)『公共政策と人間−社会保障制度の準市場改革』xxx晃監訳,聖学院 大 学 出 版 会,Julixx Xx Xxxxx(0003) Motivation, Agency and Public Policy: Knight & Knaves, Pawns & Queens. Oxford University Press. 翻訳 121~122 頁〕)
(きょうごく・たかのぶ 国立社会保障・
人口問題研究所所長)
Spring ’09 第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
【パネルディスカッション】
417
パネリストのコメント
xxxx,xxx晃,南 x,xxxx,xx x(司会)
司会 ただ今ご紹介いただきました,午後のパネルディスカッションの司会進行を務めさせていただきます国立社会保障・人口問題研究所のxxでございます。よろしくお願いいたします。
まず午前中は 3 人の基調講演者の方からそれぞれご講演をいただきました。最初はルグラン先生から,イギリスにおけるナショナル・ヘルス・サービスについての最近行われた改革についてお話をいただきました。「選択と競争」というキーワードや「準市場」というキーワードがありましたが,それについての考え方という点を主にお話をいただきました。2 番目にシェーラー先生から, OECD 加盟各国の医療制度の状況,それについての国際比較データを基にした各国の動向というお話をいただきました。3 番目は当研究所のxx所長から,わが国の介護保険制度につきまして,xx所長が最近提唱しております社会市場の考え方を基とした話,その評価と今後の課題ということでお話をいただきました。
午後はまず,4 人のパネリストの方々から順に,基調講演を踏まえたコメントを順に頂きたいと考えております。最初は一橋大学のxxxx,xが聖学院大学のxx先生,そして読売新聞編集委員の南先生,最後に当研究所のxx部長という 4 人の方です。その後で今度はパネリストの方,基調講演者の方に壇上に並んでいただきまして,
そこで基調講演者も加わっていただいて議論を深めていく。こういう形で考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
それではまず,パネリストからのコメントに入らせていただきたいと思います。
―医療統計の体系化の重要性―
x x x x
今日はこうした機会を与えていただきまして,どうもありがとうございます。一橋大学のxxxxします。英国の医療改革に関してはいろいろと今まで耳にしてまいりましたが,実際の政策立案にかかわったル
グラン先生のお話を聞くことができて,とても参考になりました。また,OECD のドクター・シェーラーのお話ですが,私自身,世界銀行に勤めていたことがありまして,今はアジアの医療制度の比較などをしておりますので,国際比較という視点から非常に参考になりました。xx所長のお話ですが,実際に介護保険制度の立案や施行にかかわった背景に関して直接お話を伺うことはとても貴重な機会でした。
私からは二つの視点ということで,直接なコメントというよりは,問題提起としてお話をしたいと思います。1 点目は日本の医療統計についてで
418
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
す。日本の医療政策,これは医療だけではなくて,政策一般にいえることだと思うのですが,どうしても政治的なプロセスが重要視されて,データに基づいた議論が今までされてこなかったのではないかと思います。今後,データに基づいた議論が重要になってくると思いますので,そのときにどのように医療統計の整備をしていくかという視点からお話をしたいと思います。2 点目が地方分権改革における社会保障制度のあり方です。何でも地方分権をすればいいというものでありませんが,1 億人以上の人口を抱える日本で,国が一括して見るというのは無理がありますし,一方でアメリカ式の保険者に激しい競争をさせるといったあり方もやはり日本にはなじまない。では,地方分権改革においてどのような社会保障制度を考えていくかという視点からお話ししたいと思います。
1 点目,医療・介護の統計ですが,日本の公的
統計制度は 60 年ぶりの大改正中です。2007 年 5月に統計法が全面的に改正されました。今まで日本の統計行政はとにかく分散的だということが指摘されてまいりました。例えば医療関係の統計ですと,総務省の統計局がすべてを把握しているわけではなく,厚生労働省や地方自治体が把握している統計も多いです。また,その統計行政に共通している問題として,作成者の都合が優先されがちで,理由者の利便性が軽視されてきているとか,統計の間に統一感がなく全体像がつかみにくいという問題点も指摘されてきました。また,これは最近非常に深刻になってきている問題ですが,行政費用が削減されている影響で,どうしても資源が不足して統計の質が低下しているということも指摘されてきました。
そこで,昨年 5 月に全面的に統計法が改正されました。これには二つの特徴が挙げられます。旧統計法の下では統計は統計調査,全数調査の場合もありますが,サンプリングサーベイによって作成されるものでした。それが改正された統計法の中では,統計調査によって作成されたものではなくて,本来の業務上の目的があって集められたレセプトや DPC データといったものをうまく活用
して統計を作成するということが掲げられています。そうすると本来の調査の負担が軽減されたり,新たな調査の必要がなくなったりするかもしれません。新しい統計法の 2 点目の特徴は,ミクロデータを政策評価に十分活用するような基盤整備をすることです。
現在の日本の医療介護の統計の問題として体系性の欠如が挙げられます。
お手元にある図(資料 4‒4)を見ていただくと細かい点が分かると思いますが,緑色のところがよく私たちが耳にします国民医療費といわれるものです。この大きな卵型のものが,2000 年だった と 思 い ま す が,OECD が SHA(System of Health Accounts)という国際標準の保健医療費の推計を始めましたが,そこに当たるものがこの大きなオレンジ色になります。国民医療費というのは,日本の公的医療保険でカバーされている医療費を把握するための体系立った推計値であるとは思いますが,特に最近増えてきた,公的な医療保険でカバーされていない部分に関しては,ほとんど把握ができないのではないかということが危惧されています。先ほどxx所長からの報告にありましたように,社会保障が国民経済に与える影響は年々大きくなってきていますので,分析に資するような統計体系になっているかというのは非常に関心のあるところです。
問題としてよく指摘される点は,国民医療費に含まれていない部分が年々増えてきているのではないかということです。この部分は, 日本が OECD に提出している SHA の中にも含まれていない点です。具体的にどういうものが含まれているかと申しますと,まずは自由診療部分です。特に歯科の自由診療部分は,日本の国民医療費にも含まれていませんし,OECD の医療費の中にも含まれていません。2 点目が特別料金で,この中には差額ベッド代であるとか,初診で紹介状を持っていかないときに支払う初診代などが含まれています。またこれは一部ですが,入院時の食事代の一部も医療費に含まれていません。さらに,現金給付の中には,例えば日本では帝王切開など公的保険の対象になりますと医療費に含まれます
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社会保障給付費
(医療分)
271, 537 億円
(※医療保険給付のうち,現金給付は含まない)
(※医療保険給付に含まれない公費負担医療,老人保健ヘルス事業等も含む)
高度先端および研究開発
2004 年
保険給付外の高度医療
保健医療関連部分
○医療機関への補助金,負担金,公的負担分投資等
高 度 先 x x 療
健康診査・人間ドック
現金給付(傷病手当金・埋葬料等)
あんま・鍼・灸 ・柔道整復大衆薬
入院基本料 特別料金
入院時
食事
費
標準
特別な材料に
療養 負担額 よる給食等
その他
歯科自由診療等
予約診療等
予防・健康管理サービス
○眼鏡・補聴器等
○衛生材料等
自己負担
国民医療費
321, 111 億円
在宅医療 看護
医療周辺サービス
○移送費(保険適用以外)
○救急業務費等
福祉・看護
:総保健医療支出
(推計値)範囲
:国民医療費の範囲
:医療保険給付の範囲
総保険医療支出(OECD)
400, 760 億円
(推計値)
介護保険における保健医療部分
○訪問看護
○介護老人保健施設サービス
○介護療養型医療施設サービス等
国民医療費の「間接部分」
○保険者等の事務経費
○民間生命保険の管理業務費等
生活サービス・
アメニティ等
療診・療治等
予防・健康増進等
資料 4—4
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注) 白い部分は、総保健医療支出に含まれない。(現金給付以外は概念としては含まれるが、データ制約等により、推計の対象外)出典 1) 厚生省、図 5‒2‒5。保険給付と国民医療費の関係(概念図)、135 頁(平成 7 年度版厚生白書)
出典 2) 財)医療経済研究機構、2004OECD の SHA 手法に基づく保険医療支出推計(平成 20 年 5 月刊行予定)
が,正常分娩の場合は公的な保険の対象になっていませんので,正常分娩にかかわる費用も国民医療費の中に含まれていません。一つの問題点として,国民医療費にも,OECD の推計にも含まれていない部分はどのぐらいの規模があるのか,年々増える傾向にあるのではないかということがあります。社会保障としてのデータを把握するには国民医療費は適切な推計値ですが,社会保険でカバーされていない医療費を把握するときに,別の推計値やデータが必要なのではないかということがいえると思います。
2 点目の問題として,この OECD の SHA の推計をするときに,公的な介護保険制度で定められた利用限度額を超えた場合については,介護保険で把握できていませんので含まれていません。つ
まり,公的な介護保険で定められた利用限度額までしか含まれていないということです。しかし実際には介護業者への支払いは発生していますので,どこかでそれを把握しなければなりません。次に産業データですが,例えば米国などでは大きなウエートを占めているといわれている医療機器,眼鏡ですとか,血圧計,体温計,大衆薬なども一部しか含まれていません。これは多分,経済産業省などの部署が業界団体からのデータを持っているのではないかと思いますが,今は異なる省庁からのデータを集約するということにはなっていないようです。
3 点目が民間医療保険です。民間医療保険に関しては,がん保険などの医療費支出が正確に把握できないので,管理費だけを計上していると聞い
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ています。先ほどドクター・シェーラーの中でプライベート・ファイナンシングのデータがありましたが,それがどこに相当するのかと考えますと,やはりこの民間保険の保険料と,自己負担分なのかなと思います。国際比較をするときに, OECD のデータとの整合性をどう合わせていくかというのは,研究者だけでなく,政策担当者なども常に頭を悩ますところではないかと思います。
次に,地方公共団体の単独事業です。健康診断や最近ですと子供の医療費の自己負担を無料化する,といったことが増えています。これらは総務省がある程度把握をしているのかもしれませんが,計測方法は詳しくはわかりません。また,確定申告における医療費控除なども,金額的には無視できないのではないかと思いますが,把握されておらず,この中には含まれておりません。
したがって,医療介護の統計を現状で考えていく場合,国民医療費の他にも,日本では正式な公的統計となっていない OECD の SHA も,基幹となる医療費統計として位置付けて,関連する統計を整備し直すことが重要なのではないかと思っております(資料 4‒4)。
2 点目の地方分権の話ですが,日本は非常に中央集権的な国だといわれています。よく私が好きで使う例なのですが,例えば保育所などでも,ほふく室という赤ちゃんがはいはいする部屋が必ずないといけないのですが,この面積は全国一律で一人当たり 3. 3m2 という最低基準が決まっています。これは 1947 年の児童福祉法で決められて
以来 60 年間全く変わっていません。保育所だけではなくて,老人施設や医療施設,医療機関などでも同様で,非常にきめ細かい最低基準が国で決められています。そういった中央集権の制度から地方分権を進めるということは非常に重要でありますし,地方にある程度権限や財源を移していくということは不可欠であるとは思うのですが,一方で,日本の地方自治体ほど多くの仕事をしている地方自治体はないのではないかということもいえると思います。例えば国民健康保険の保険者でもありますし,介護保険の保険者でもあります
し,生活保護の給付などもしています。この辺りはイギリスなどはかなり中央集権的にやっていると聞いていますので,単に地方分権を進めればいいというわけでもないであろうということになります。
最後に指摘したい点として,日本の医療制度の特徴として,フリーアクセスの下でxx性が達成されているといわれます。確かに給付のxx性というのは達成されたと思いますが,では負担のxx性はどうなのかと考えてみますと,医療保険に関しても,国民健康保険,組合健康保険,管掌健康保険とかなり負担が違ってきていますし,特に国保の間の保険料の格差はかなりあると思います。2005 年のデータですと,保険料が一番高い所は北海道の町で 12 万円近く,一番保険料が安
い村は沖縄の村で 2 万 2, 000 円というように,国
民健康保険料の負担が 5 倍以上あります。そうすると,今まで盛んに言われてきた給付のxx性は,ある程度達成されてきましたが,負担のxx性というのは実はあまり議論されていないだけでなく,既に保険料の負担にはかなり格差があるといえると思います。こうしたことをデータに基づいて一つ一つ丁寧に議論していくということが,医療政策を考える上で重要な点ではないかと思います。以上で私の報告を終わらせていただきます。
―医療・福祉の準市場改革―
x x x x
x日はこの会にお招きいただきまして, ありがとうございました。午前中の基調講演を踏まえまして, 私のコメントをさせていただきたいと思います。
xx先生のお話は, 準市場をどのように位置付けるかというお話,また,介護保険に関するお話だったと思います。ル
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グラン先生のお話は,準市場をどのように管理したらよいかということだったと思います。私は主としてルグラン先生へのレスポンスを中心にお話をさせていただきたいと思います。後でも申し上げたいと思いますが, 先生の 2003 年の著書
『Motivation agency and Public policy』を社人研の方々と一緒に翻訳いたしまして,よく読ませていただきましたので,今日は先生のお話がよく分かりました。
先生のお話の中で興味深い結果をここに拾い出してみました。「Choice を国民は望んでいるわけではない」「提供者の公・私には国民はこだわっていない」「人々は地域で良いケアを望んでいる」という結論に大変興味を持ちました。これについては後でまたお話をさせていただきます。
まず日本の医療制度の問題点,それをどのように私が考えるかということからお話をさせていただきます。2000 年,ルグラン先生が日本に最初に来られた私たちの大学のシンポジウムがありました。その中で日本の医療制度の話を聞かれたルグラン先生は「日本には準市場は昔からあったのですね」とおっしゃいました。確かに日本は終戦後はアメリカおよび WHO の指導で公立病院のネットワークを建設して医療制度の基本としようとしたのですが,経済が復興し,国民皆保険が実現して,1974 年に医療法 7 条 2 項の改正というものがありまして,むしろ公立病院を抑制して民間の病院を抑制しませんでした。つまり民間へのかじ切りをしたということです。そして,国民には医療施設の選択をする自由を保障しました。これは患者と医療施設の間にある市場(マーケット)が機能することによって,医療の質と効率が確保されるという前提でした。日本では当時「準市場」という理解はありませんでした。したがって,それを管理する手段を理解することもなかったわけです。そして今でも,仕組みの改革ということになると直ちに規制緩和という言葉が出てまいります。しかし,今日の「準市場」というお話は,いかに管理するか,規制するかという話だと思います。また,日本の政府は項目別出来高払い,の価格を操作することによって医療政策を実
行するということに大変頼ってまいりました。しかし,公定価格で資源の使い方,つまり分配をプロフェッショナルに任せるというシステムは,これはトラストモデルの典型ですが,市場ではありません。
患者と医療施設の間の市場は別様に機能したわけです。激しい非価格競争と,少しでも地域のより良い医療を実現しようというインセンティブが重なりまして,医療施設・設備に過剰な投資が行われてまいりました。そして,世界一の病床密度,世界一の医療機器の分布が実現しました。これは確かにメリットもあります。そのメリットとはアクセシビリティ,接近性が極めていいということです。しかし,デメリットも生じました。施設間の非価格競争から医療施設・設備への過剰な投資,これはいわば軍備拡張競争です。これは医療のコストが高くなるコスト・インフレーションの悪循環を起こしてまいりました。
一方,政府は医療費抑制のために項目別出来高払いの項目の単価を切り下げました。そうすると,医療施設は採算を取るためにはサービスのボリュームを増やさなければなりません。いわば薄利多売になったわけです。病院あるいは医療施設の最大のコストは人件費でありますので,人件費削減の要求は人員の削減につながりました。サービスの量を増やすということになりますと,多くの資源を使います。例えば薬剤,検査試薬,機器。その結果,せっかく医療に支払われたお金は医療施設に残らないで,医療の資源産業へ偏って分配されるようになりました。医療施設はあたかも糖尿病の状態です。つまり空腹感からたくさん食べますが,自分では利用できないので排泄せざるを得ない。こういう状態の中から合併症のような問題が生じてくるわけです。介護も行政サービスだったものを 2000 年から準xxxしました。この際,医療と別制度にしましたので,そこにコーディネーションの問題が生じました。そして,ケアシステム全体の効率が問題になっているわけです。
最近,日本では「医療崩壊」という言葉が流行しております。これはご存じのとおり,xxxx
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先生が書かれた『医療崩壊』という本のタイトルがもとです。その本質は何か。これは患者と医療提供者の間の信頼の崩壊です。その原因は何か。幾つもあると思いますが,その中の要素で今日のルグラン先生のお話との関連で申しますと, “Voice”です。つまり,ジャーナリズムが何か問題があると集中豪雨的な批判を行います。Queenの“Voice”を持った患者・家族の増加,これは大きな社会的なトレンドです。むしろこれは医療側がこの変化への対応が遅れたのではないかと思います。心の底では相変わらず「知らしむべからず。よらしむべし」と思っている可能性があります。それだけではなくて, 利他主義,altruisticな人は,患者は Pawn,つまり主体性がないということを望んでいると,先ほど先生がおっしゃったと思いますが,そういうことも関係していると思います。しかし,批判だけでは医療は崩壊します。なぜなら医療の本質は信頼関係だからです。また,財政再建のために医療費用の抑制で,大変自己犠牲的に忙しく働いている医師たち,あるいは医療従事者の間には,全く報われないという閉塞感がまん延していると思います。 今後は Queen と Knxxxx x良い協調関係,あるいは協働のインセンティブを構築していく必要性があるのではないかと思います。
具体的に課題を申し上げますと,過剰な設備,あるいは施設に対する投資の適正化,あるいは投資してしまったものをどうするかということですが,これは極めて困難が多いわけです。なぜならこれは市場原理によっては適正化が進みにくいからです。医療施設には規模の経済はないといわれており,地域独占性が強いという特徴があります。したがって,全体でも減ることはないし,また,地域差は減少しないと思います。複雑なシステム,医療はまさにその典型だと思いますが,インクレメンタル改革は駄目です。現在はどこにもビジョンがないままインクレメンタルな制度の改正,改定,手直しに終始しているように思いますので,今後はラディカルな改革が必要であると思います。
しかし,この「計画原理」でもない,つまり命
令と統制の原理でもなく,純粋に「市場原理」でもない準市場による改革ということをまじめに考えてみる必要があると思います。xxxxx生が
『季刊社会保障研究』の最新号の中でゼックハウザーという人たちの文献を引いて,規制による方法とインセンティブによる方法,これはイコール準市場だと思っていただければいいと思いますが,次のような場合には規制よりもインセンティブによる介入,つまり準市場による介入がいいということをおっしゃっています。すなわち供給者が非常に多い,生産物の構造が複雑である,生産物の種類が多い,医療はまさにこの典型だと思いますが,そしてその次,価格弾力性が高い。これは異論があるかもしれませんが,断面調査の国際比較研究では,GDP に対する価格弾力性は 1. 4です。したがいまして極めて弾力的です。費用と数量に関する情報の入手が困難で,介入反対の勢力が大きく,介入の目的が複雑であいまいであるような場合には,インセンティブによる介入,つまり準市場による介入がいいのだと言っております。これは大変示唆に富んだ観察だと思います。そして,ラディカルな改革として,まず資源配分を供給体制,つまり消費量による配分からニードによる資源配分へ変えなければならないと思います。そして,思い切った地方分権を行う必要があると思います。シームレスなケア,そして,そのためにはプライマリーケアのビジョンが重要です。
イギリスの改革につきましては,先ほどルグラン先生にお話しいただきましたが,私はxxxxx,ブレア両政権のこの改革が極めてラディカルであるということに,xx大変驚きを持って,興味を持って見ております。ただ,ルグラン先生もおっしゃったように,イギリスには GP というプライマリーケアの組織があったので,それを使って,GP ファンドホルダー,あるいはプライマリーケアトラスト,さらに福祉まで含めてケアトラストというものに期待しているわけです。これは民間組織でありまして,近い将来はイギリスのケアの国家の予算の 80% がこの民間組織に任されるだろうといわれています。つまり極めてラディ
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カルな地方分権です。ところが,日本はプライマリーケアの組織がありません。医療が予防や介護も行っています。わが国のシームレスで良質なケア,かつ効率的なケアを提供するシステムのビジョンが,いまだ不明です。
これは先ほど紹介しましたルグラン先生の本の中で,今,世界中で進められている公共政策の改革を理解するためには,この図が役立つということを言っていらっしゃいます。横軸が Knight,あるいは悪党かという人間理解,縦軸がその対象と な る 人 の 主 体 性, つ x x 最 も 力 の 強 い Queen,持たない Pawn と軸を設定しますと,昔の社会民主主義は第 3 象限,そして新自由主義の
改革は第 1 象限の右上に,そして,今現在の社会
民主主義の改革は第 1 象限の真ん中寄り,こういう形になると思います。
ところで,人々は何を望んでいるかということを考えてみましょう。ローカルな Good Care を望んでいるということですが,それでは Queenは Good Care を判断できるのでしょうか。あるいは,Queen はケアのショッピングを楽しむことは望んでいないかもしれません。Queen が Good Care を判断できない場合,支援をしてくれる Knight,あるいは執事が必要だということになるでしょう。しかし,イギリスのこの制度改革においても若干の懸念はあると私は思っております。それはプライマリーケアトラストの問題です。ケアトラストは,もしかしたら政府の医療抑制のエージェントにもなっている,つまりダブルエージェントなのではないかという問題です。二重スパイと言ってはちょっと言葉が悪いですが,両方のエージェントになっているのではないか,民間の大きな組織は官僚化しないだろうか, Knxxxx x変節しないだろうかという問題があります。あるいは地域が大きすぎる可能性があります。例えば 10 万人という数字は,日本では中都市です。住民の登録を変更するというようなチョイスを変えるという可能性が非常に少なくなります。これは Exit Power,つまりもしかしたら患者は自分の登録を外してしまうという力が弱くなることを意味しています。準市場における住民のこ
近年の公共政策改革をとらえる二つの軸
Queen
Third way Market socialism
Neo-liberalism
Knight
Knave
Socialdemocracy
pawn
出典) Juxxxx Xx Xxxxx (2003), Motivation, Agency and Public Policy, Oxford(xxら訳(2008)、「公共政策と人間:社会保障政策の準市場改革」聖学院大学出版会),p. 36
の“Voice”,つまり民主性が弱くなるということは,地域の良いケアのためには本当にいいのでしょうかということです。
日本の新しい医療・介護制度を求めて私が言いたい点は,まずビジョンが必要だということです。行き先が分からなければ,足元だけ見て太い道を歩んでいても行きたい所には行けません。単にホモエコノミクスというような効率を求めるだけではなくて,平等とか,xxとか,生きがいとか,そういう価値を含めてビジョンの中に組み込む必要があるでしょう。したがって,私は「公共哲学」が重要だと思っています。日本ではプライマリーケアの組織をつくる,建設するということが特に重要です。どうやって到達するかというと,私は「準市場」の認識を明確にすることであり,決して規制緩和だけではないと思います。準市場による政策の基礎は人間理解です。この準市場のいい点は,人間のモデル化をホモエコノミクスのような小さな狭いものではなくて,非常に幅広く人間を理解して,その上にインセンティブを設計していこうという点です。しかし,インセンティブの設計は決して現実にそのとおり動くという保証はありません。それには多くの積み重ねが
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必要です。積み重ねとして重要なのは実証的な研究でしょう。そのような研究が積み重ねられる必要があると思います。私はこれが新しい政策学になると思っております。以上です。
—メディアからの問題提起—
南 砂
ご紹介いただきました読売新聞の南でございます。本日はこのような専門性の非常に高い場に私を招んでいただきまして, 誠にありがとうございました。
日ごろ社会保障, 中でもとりわけ医療のことをテーマにしてまいりましたので,ルグラン先生とシェーラー先生のお話は大変興味深く伺わせていただきました。また,介護にかかわることもテーマにしてまいりましたので,xx先生のお話は,医療と介護が不可分であることを再認識する意味で,大変勉強になりました。私からは,時間の制限もございますので,大きく分けて二つのことを申し上げたいと思います。
まず一つは,今日のテーマである社会保障制度改革への新しい考え方ということで,ルグラン先生のお話しされた四つの選択肢,処方せんがあるというお話についてちょっと感じたことも含めてお話ししたいと思います。社会保障をxxxでどういうふうに運営していくのかということは,日本でもここ数年,大変過熱した議論がありました。特にxx改革と称するxx政権の下での 5 年余りにわたる議論の中で,社会保障や教育といえども聖域ではないのだということで,非常に厳しい改革を迫られてきたという経緯は皆さまもご存じのとおりであると思います。今日,ルグラン先生のお話の中で,とりわけ私が興味深く思いましたのは,信頼と不信,それに続けて“Voice”というところです。今,xx先生もおっしゃいまし
たが,ある時期私どもマスメディアも,医療は受ける者が選択すべきであるとか,患者が選択する医療が本来あるべき姿であるとか発言してまいりました。その結果医療を受ける側の意識が非常に高くなっていきました。また医療について当事者意識を持って考えるようになっていったという点も非常に良い点だと思います。しかし 1990 年代から後,選択,“Voice”というもののデメリット,つまり医療は声を上げられない人,選択できない人には最善のものが用意されないというような状況が出てきました。ルグラン先生がそれをまさに“Voice”の弊害ということでお話になったのを興味深く思いました。
私どもは読者に対して,アメリカの経済市場の原理は日本にはそぐわないとか,イギリスは国営の医療なので質向上が困難だとか,短絡的かつステレオタイプな表現で示してしまいます。しかし今日,ルグラン先生のお話を伺いますと,これだけの処方せんがある中で国民はどういう条件で,とれる政策が望ましいと考えているのかという,非常に丁寧な議論があって,「準市場」という概念がイギリスでうまく機能したということが非常によく分かりました。国民はどういう社会保障制度を望んでいるのか,市場の論理をどのように引用していくのか,導入するのかということについて,イギリスの例,それからシェーラー先生のお話にありましたように,OECD 加盟各国が多様な医療制度を取っているということも,日本の進路をどうしたらいいのかということを考えていくよすがになると思いました。
私が非常に危惧するのは,社会保障をめぐる議論が交錯している間,日本が経済的に減速しまして,日本社会が格差社会と呼ばれるような厳しい状況になっていることです。特に若者の雇用,就労の状況などが非常に難しくなってきています。社会保障というものはどういう形を取るのであれ,セーフティーネットということでなければなりません。社会保障のそういう役割を考えれば,今という時は,日本の国がいかにかじを切っていくのか,という非常に重大な極面にあるということを痛感します。
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シェーラー先生やルグラン先生にとって目新しい話かどうかは分かりませんが,最近の日本では,例えば支払い能力があっても給食費を払わないだとか,モラルが非常に低下してきているといったような,社会全体が抱えている大きな問題が暗雲のように垂れ込めております。そういう中で私たちは,本当にセーフティーネットを必要とする人々に,どのような社会保障サービスを提供していくのかということを考えることを迫られていると思います。
第 2 点ですが,日本の医療と介護が抱える問題を経済学の視点から申し上げたいと思います。幾つかの限られた視点になりますが,医療保険制度に関して申しますと,日本の医療制度は,xx先生がお話しされましたように,ある意味,「準市場」の概念で非常にきれいに運んでいた部分があったのだと思います。これには 1970 年代以降,医療の高度技術化により病院と診療所が提供する医療に大きな格差が生じたことと,未曾有の少子超高齢化が進行している,という 2 つの背景がありました。そういう中で,医療費に関していえば,国は 1980 年代から後,もう増加する要因しかないにもかかわらず,医療費抑制政策を取っていきました。ない袖は振れないという財政当局の悩みというのは分からないでもないのですが,増える要素しかなかった医療費を抑えてきたことは非常に大きな失政であったと思います。その中で一つの非常に大きな問題は,先ほどxx先生が民間の方へかじを切ったとおっしゃった部分です。国内にある病院が 9, 000 ぐらいのうち,6 割強は主体が民間です。民間は中小病院が多いので,病床数で言うと 5 割強です。非常に多くの部分を民間に委ねています。これは先ほどもお話がありましたように,主体がどうであれ,いいサービスであれば患者さん,国民はいいと考えていると思います。しかし,医療は公共である,医療資源は公共財であると言いながら,民間医療法人・病院が経営を考えないわけにはいきません。経営上の理由で,医療はどうしても重装備化していきます。端的な例が CT や MRI といった非常に高度な高額の機械を入れることです。これがそれぞれの病
院にとってのセールスポイントとなり,競争の一つの方法になっていきます。その結果,世界全体に存在する CT や MRI のかなりの部分が日本にあるというような状況が起こっています。CT でいえば 1 万人に 1 台くらいの割合です。これはイ
ギリスのやアメリカの 3 倍くらい,ヨーロッパ各国の 10 倍くらいの割合です。MRI についても同じような傾向で,あまり使わないような高額な医療機械を置いて,民間の医療施設がお互いに競い合っているわけです。そういう状況が果たして本当にいいことなのかどうかということを考えていく必要があるのではないかと思います。
それから,先ほどから出ているお話とも重なりますが,日本の医療制度は,医療を受ける側にとってはアクセスの自由さ,医療を提供する側にとっては自由標榜性や自由開業性という形で,両者に自由を保障しています。このことは,行き過ぎた自由は本当に自由なのかという問題を提起していると思います。医療保険制度についていえば,過度な自由を認めることが,場合によっては秩序の喪失をもたらすことにならないかという視点を持つ必要があるのではないか。この状況を私は非常に深刻に受け止めています。
最後に介護保険制度ですが,これは先進国ではドイツと日本にあります。日本はドイツをお手本にしてこの制度を 2000 年につくりましたが,創設の当時から,医療と介護の関係というものが議論されました。連携なのか,分担なのか,統合なのかといったようにいろいろな論争があり,さまざまな問題を抱えるに至っています。現在もっとも大きな問題のひとつは,介護の業界で働く方々をたくさん養成しているにもかかわらず,定着しないということです。どういう方法を取っていけば,よりやりがいのある仕事として介護の仕事に人が定着していくのかということを考えていかないと,制度があって人材なしということになりかねないと思います。また,介護と医療の連携という意味では,xx先生もおっしゃったのですが,これからの時代日本に迫られているのは在宅における医療と介護の連携であるにもかかわらず,現状の在宅サービスが貧困であるということ。介護
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をやっていらっしゃる専門の方からもこのことは頻繁に聞かれます。やはり日本の介護保険制度のサービスのあり方,根幹を問い直して,何が一番大事か,お年寄りが何を望んでいるかというところにぜひ注目して考えていただきたいと思います。
最後にもうひとつ,頻繁に聞かれる「介護予防」とか,「健康寿命」という言葉は,死ぬまで元気で自分で自立して生きる,そして最後まで QOL を保って生きるということを示しています。これ自体は素晴らしいことですし,理想的なことで,誰でもが願うことです。しかし年を取っていくということの現実は,これとは全く違うところにあります。この現実を見ず,理想を義務というふうに課して,お年を取った方に「いつまでも元気でいましょうね」と言ってリハビリをたくさんさせたりすることが果たして本当に望ましいことなのかどうか。そういった視点が今,非常に問われているのではないかと思います。介護保険制度は,医療より生活にかかわる問題ですので,より多くの人口を巻き込みます。私たちは本当に真剣に考えていく必要があると思います。
それも含めて経済学的なアプローチや,xxxといったことを専門家の方にぜひ緻密に研究していただき,国民にも発信していただき,みんなで考えていきたいと思っております。どうもありがとうございました。
―医療・介護サービスの新しい分析の意義と課題―
x x x x
今,ご紹介にあずかりました社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部のxxxxx申します。今日は先生たちのお話を伺いまして,これに対するコメントをお話しさせていただきたいと思います。既に
討論者の方から各先生のお話の内容の概要についてご報告がありましたので,私も簡単にどういう点に注目したのかということをお話しさせていただきたいと思います。そして,その後,シェーラー先生のお話で私が非常に関心を持ったところについてお話をさせていただきたいと思います。
ルグラン教授の報告では,まず理論的には準市場の視点から,政府予算・社会保障財源を活用した医療サービス提供における諸問題とその解決の方向性について議論なさったと思います。政府予算方式と出来高払い制の比較,それぞれにメリットデメリットがあるということでした。また,インセンティブの問題が非常に重要で,これは先ほどxx先生から計画なのか,介入なのか,もしも介入を採用するとすれば実際にはインセンティブを活用する介入の方法が必要であり,そのためには幾つかの条件があるということのお話がありました。具体的には,ルグラン先生は医師などの専門家のインセンティブがなぜ重要なのかということ,果たして医療制度というのは利他的な動機付けに依存することだけでうまくいくのかということをお話しなさったと思います。また,実際にインセンティブが働いて本当に医療がうまくいっているかどうか。これはやはり医療のパフォーマンスをどう計測するのかということと,経営管理が問題であろうということもお話しなさっていたと思います。パフォーマンスの計測というのは,シェーラー先生の医療費の国際比較やxx先生のコメントと同様に,医療の統計をそれぞれの国でどう整えていくのかということとも関係していると考えられます。特に経営管理の問題では,医療サービスの提供の当事者たちの声,ルグラン先生の用語そのままですと“Voice”,すなわちxx先生がお話になったところの民主制が重要であるということが指摘されました。それから選択と競争です。最後に,こういういろいろな課題に対してどう挑戦していくのかということで,一つの視点が社会民主的な課題への挑戦であるのではないかとお話ししていらっしゃいました。
順番は変わるのですが,xx先生の報告では,高齢化と介護費用に関する指標の国際比較という
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ものがありました。やはり日本の介護制度を正確に把握するためにはどうしてもデータの国際比較が必要だということで,これはシェーラー先生の医療支出の国際比較と同様に非常に重要なテーマだと考えられます。そして,社会市場,混合市場
(インコーポレーテッド・マーケット)の理論と準市場の理論の位置付けについてお話しなさいました。最終的には社会市場の理論と準市場の理論は統合していく,あるいは手と手を取り合って相互に発展させていくべきであろうというメッセージをお話ししていたと思います。それから,社会市場・準市場の理論から見た介護サービスの需給にかかわる諸問題の整理と分析です。さらに,経済市場とのかかわりを通じた介護保険の国民経済への影響が重要であろうとお話しになっていました。
ただ,これらの理論について考える場合,やはり理論の前提としての現実ということで,高齢化の進展の国別の相違はどうなっているのかを知ることが必要です。それから,今日データとしては具体的にはなかったのですが,高齢者の世帯構造・貯蓄構造などに見られる自助や共助の国別の相違,高齢者の地理的分布,これは人口密度の問題ともかかわると思います。やはり日本では医療の提供を都会でやるのか,それとも里山,農村部でやるのかで随分違いがあるだろうということで,高齢者の地理的分布,地域差,人口の分布という問題も非常に重要なのではないでしょうか。それから,南先生もお話しになっていましたが,高齢者の所得格差・資産格差などについてもいろいろと詳しく見ていく必要があるのではないかと思います。
また,国際比較をするとそれぞれの国で公費と民間の費用の割合が違っているということ,それからまた,同じ医療費の中でも外来医療費と入院医療費と薬剤医療費で国々によって違っているということがシェーラー先生からお話がありました。また,景気変動と医療費の伸びの関係も国々によって若干違うというお話があったわけですが,なぜそのようなことが起こるのでしょうか。社会市場・準市場との関係では,社会市場の大き
xx準市場の大きさがそれぞれの国によって違っているのかもしれないのですが,それならばなぜ経済市場と社会市場というものがお互いに重なり合って存在しているのかということを考える必要があるかもしれないということになります。
そこで,自分自身が経済学出身なので,経済学的になぜ二つの市場があって,それが重なり得るのか,重なり合ってそれが制度を維持しつつ発展していくのかということについて,何か理論的なバックグラウンドがあるのではないかと考えてみました。一つはゲーム論の応用として,制度的補完性というものがあります。少し難しくなるのですが,現実の世界においてはいろいろな制度をつくりましょうと,人々が約束をしたり,約束を破ったりします。このとき戦略のマッチングをできるだけ安い費用でやることを考えます。先ほどホモエコノミクスという言葉も出ましたように,やはり同じ制度をつくっていくなら安い費用でつくっていった方が効率的ということになります。戦略のマッチングをより低い取引費用で実現したいと思いますが,そうはいっても人々の行動するルールは慣習や道徳的規範にも影響されることになります。xx先生が経済哲学ということもまた必要だとおっしゃっていましたが,やはり道徳的規制などの影響も受けることになります。そうすると,人々がいろいろな制度をつくっていく,あるいは制度を維持していくためにゲームを繰り返していくことになります。これはゲームにおける補完的な戦略のルール化と見なすことができます。しかし人々は物の考え方も歴史的な背景も違っていて,複数の均衡が存在するかもしれません。制度体系の中で,互いが互いを強め合う要素とそれをもつ均衡だけが残っていきます。仮にそうでない均衡があったとしても,それは不安定なので長くは続かないからです。これが制度となり歴史となって残っていくというような考え方があります。したがって,社会市場や準市場というもの,あるいは社会市場と経済市場が重なっている混合市場,なぜそれが気が付かないうちにいつの間にかできてきたのかということを考えるとき,経済学的には,スタンフォード大学のxxxxx生が
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提唱して,幾つかの本も出されている比較制度分析で用いられている概念,制度的補完性という考え方を使うと説明していくことができるのではないかと思います。
次に,社会保険方式を中核とする日本の医療保険ですが,シェーラー先生に国際比較でたくさんのグラフを見せていただきました。なぜ各国で非常に多様な医療費の配分が見られるのかというと,それは政策手段は,それぞれの国がいずれも同じ割合で選択するとは限らないからです。先ほどxx先生が社会市場あるいは混合市場,xxの準市場,それぞれにおいて政策手段があるとお話しになっておられました。制度的なバックグラウンド,歴史的なバックグラウンド,価値観,道徳的規範の違いもあるので,その政策手段の選択が国々によって違ってきます。その結果,国々によって少しずつ違う様相の医療費の配分が見られるのではないかと思います。その中の一つが日本の姿だと思います。
ただ,これを改革していくためにはやはりインセンティブの問題が非常に重要です。インセンティブというのはお金で与えることも可能ですが,お金だけではどうにもならない人の気持ちという
資料 6—8
ものも大切にしなければいけない部分もあります。したがって“Voice”,民主制,人々の気持ちが,その制度を維持していく人,あるいは制度をつくる人のところに届かなければいけません。また患者さんの声を届けるのと同様に,患者さんを見守る看護婦さんやお医者さんやケアマネージャー,プロフェッショナルたちの声も患者さんに届かなければいけないし,また,お医者さんを管理する組織にも届かなければいけません。このように,インセンティブにはお金の面と気持ちの面と両方があるのではないかと思いました。
最後に,地域格差の問題,あるいは所得格差の問題で,日本の介護保険制度が実際に準市場になっている一つの証拠が見られると思います。皆さんご存じのように介護費用のうちの半分は公費が担っています。ここでグラフでは市町村 12.5%,都道府県 12.5%,国からの公費負担が 25%,介護保険財政の 50% が公費になっています。このように,準市場,あるいは混合市場というのは,私たちの身近なところにあるのだなということをあらためて意識した次第です。さらにOECD 諸国によってどういう違いがあるのかということを統計データを使って国際比較していくということ
第 2 号被保険者
(約 4, 300 万人)
保険料
医療保険の保険者
第 1 被保険者
(約 2, 600 万人)の保険料 19%
社会保険診療報酬支払基金
交付
31%
介護費用
給付費
市町村
12. 5%
都道府県(*)
12. 5%
国(*)
25%
調整交付金 5%
(平成 18~20 年)
利用者負担
(介護費用 ×10%)
(*)施設等給付の場合は、国 20%、都道府県 17.5%
出典) 健康長寿ネット xxxx://xxx.xxxxxx.xx.xx/xx/「介護」“介護保険財政”
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が重要かなと思います。特に OECD の医療統計は OECD ヘルスデータとして毎年更新されておりまして,また,その概要については OECD の東京センターのホームページで日本語でも見ることができますので,皆さん参照していただければ
と思います(資料 6‒8)。
以上,わが国の立場,そしてまた,OECD の国際比較という立場からコメントさせていただきました。どうもありがとうございました。
ディスカッション
ジュリアン・ルグラン,ピーター・シェーラー,
xxxx,xxxx,xxx晃,南 x,xxxx,xxx(x会)
司会 それでは,パネリストの方々に基調講演者の方々も加わっていただきまして議論を深めていきたいと思っております。
まず進め方です。円滑な進行という観点から,取りあえずは私から各先生方に質問するという形で進めてまいりたいと思います。その際には,本日のセミナーのパンフレットで「討論のポイン
ト」という事項があったかと思います。それを一つには参考にさせていきたいと思います。それからあと,先ほどまでの間に会場からご質問を多く頂いております。これらのご質問も踏まえまして質問をしていきたいと思います。なお,パネルディスカッションの時間は限られております。会場から頂きましたご質問をすべてご紹介することは
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できないということをあらかじめご了承いただきたいと思います。なお,各先生からご自分で発言をされたい,もしくはほかの先生に質問をされたいという話がございましたら,いつでも構いません,挙手いただければ私からその発言を求めるという形にしていきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。まず皮切りといたしましては,3 人の基調講演をされた方,それから,それぞれパネリストのコメントなどや,もしくは会場からの質問も出ております。そうしたものも踏まえましてコメントを頂ければと思います。
最初はルグラン先生です。実は会場から質問が入っております。準市場の定義に関しまして,
「準市場は選択と競争の代用なのか。『準』とあるので公的介入というものもそれに入っているのではないかと自分は理解していた。それから,イギリスの準市場はうまくいっているのだろうか」と。これに関しまして,もともとルグラン先生から NHS 改革の考え方ということに重点を置いてお話があったかと思いますが,それでは具体的にイギリスにおいてNHS 改革というのはどのような政策手段を取られたのかという点を伺いたいと思います。例えば聞くところによりますと,GPに登録患者の予算を持たせて,病院のサービス向上だと思いますが,そういったものをやってきたとか,もしくはプライマリーケアトラストというものを設けてやってきたとか,そういう話も聞いております。まずどのような手段を講じて,どの程度うまくいったのだろうか,もしくは問題が出てきたのだろうかということを具体的に話していただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
ルグラン どうもありがとうございます。質問を頂いたことを感謝いたします。
準市場の定義ですが,普通の市場とは三つの点で違います。第 1 に,一番重要な点ですが,お金は消費者,すなわち利用者から来るわけではなく,政府が資金を出すということです。したがって,人々が自らの資源を持って市場に参入するわけではありません。購買力が国家によって与えら
れたものだということです。次に 2 番目の点です。普通の市場ですと,いわゆる民間の利益を上げる法人があります。そして,自らの満足度,あるいは効用を極大化する利用者,消費者がいます。ところが準市場では,営利法人と非営利法人がいます。さらに,公益志向の高い利他的なもの,あるいは利己的なもの,あるいはその二つの混合体というものもあります。このように,非常に複雑な市場になっています。ここも普通の市場と大きく違うところです。3 つ目の違いは,情報の果たす役割です。ほとんどの市場は,市場が適切に機能するためにはしっかりとした情報が必要です。医療ではこの問題が常に付きまといます。消費者,すなわち利用者はしっかりとした情報を持ちません。したがって,代理人,エージェントが必要になります。代理人が利用者・消費者を助けていかなければなりません。
これは 2 番目の質問とも関連してきます。われわれが実際に何をやっているのか,いわゆる準市場においてイギリスで何をやったのか,何がうまくいったのかということですが,この代理人の問題は,情報という問題と絡めて議論されますが,患者に対し,例えば病院の方針のような大量の情報を提供するようになっております。例えば
「NHS の選択」というウェブサイトが作られております。例えば腰が悪くて何か手術が必要だということになり,ホームページを見たとします。そうすると,一番近い病院を紹介してもらえます。またどのぐらいの待ち時間かということも病院ごとに分かるようになっています。さらに,MRSAの感染率が病院ごとにどうなっているのかもわかります。やがては病院ごとの死亡率や,外科医の手術の成功率などの情報も提供したいと思っております。これは既に手に入る情報です。ホームページで「NHS Choice」というところに行けばこういう情報はすぐに手に入るようになっています。
また,確かに GP に対しては予算を与えております。そして,一定の資金を配分された予算の中で患者に成り代わって保有するという形です。 GP が実際に患者の代わりに病院の治療のために
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支出を行っていきます。したがって,どのような治療を選ぶのか,患者と共同で決定するということがよく見られます。そして,患者にはある程度の情報が与えられます。GP には賢くお金を使うというインセンティブが与えられています。先ほど申し上げたかと思うのですが,日本で抱え得る問題として,GP がゲートキーパーの役割も果たし,自らいろいろな面でコントロールを利かせてしまうことに伴う弊害があります。例えば病院への送致などについてGP がすべてコントロール権を握ってしまうというようなことです。
実際は,このような問題に対していろいろな改善が見られます。例えば待ち時間の改善については私の基調講演の中でも図をお示ししました。今でも改善は続いております。特に準市場の選択と競争の下ではさらに改良が進んでおります。もう一つの質問とも関連してくるのですが,貧困層と富裕層の格差という問題があります。確かに以前は中所得層より貧困層の方が待ち時間が長いという状況がありましたが,今では中間層と貧困層は同じような状況になってきております。さらに今,富裕層より貧困層の待ち時間の方が短くなってきているというように変わってきています。
最後にわれわれが直面している問題ですが,お金は選択の後を付いて回るということを先ほど申し上げました。したがって,すべてに価格を付けなければなりません。ところが,精神疾患や介護の分野でも価格設定の問題があります。後ほどまた時間があったらこの点について説明したいと思います。
司会 ありがとうございました。
それでは,次にシェーラー先生にご質問をしていきたいと思います。先ほどのシェーラー先生のお話の後半部分で,一人当たり保健医療支出と一人当たり GDP との比較のグラフがあったかと思います。非常に興味深く見させていただきました。各国,経済状況が非常に悪いときには特異な動きをすることもあるけれども,そこを何とか乗り越えればまたいい形が出てくるということが見えてきたのかなという気もしますが,お話の最後
のところで,各国それぞれに医療サービスについての目的といいますか,制度について国民がどのように考えているかというところが非常に重要だというお話があったかと思います。そこのところを,もう少しお話しいただければありがたいと思います。
シェーラー われわれの調査結果を見ますと,この点はまだ十分に分かっていないこともあると申し上げたいと思います。この調査を始めたときに,医療費の支出の伸び率は景気後退のときに下がるのではないかと思っていました。しかも,もともと民間への依存が大きいところではこの現象がより大きいのではないかと思っていたのですが,そういう証拠は出ませんでした。
医療費支出の伸びを景気後退のときに抑えることができた国は少なかったのですが,すべての国でそうなったわけではありません。どちらかと言えば,公的資金を多く使っている国で支出を抑えているところが多かったのです。したがって,なぜこうであるのかもっと調査が必要だと思います。その国の医療制度が原則として民間依存であったとしても,実際には連動していないようです。例えばアメリカがそうです。フランスのように公的資金に依存している度合いが高いところでも,ここ数年の伸び率は持続可能ではありません。将来を同じように外挿すると,GDP の 30~ 50% もの割合が医療費に充当されることになってしまいます。したがって,何によってこの支出が伸びているのかを理解する必要がありますし,各市場の中では民間支出への依存が大きいところを調査した上で理解する必要があります。例えばルグラン先生による公的制度との比較といったものとして行った分析結果をもっと調べる必要があると思います。
アメリカのシステムを考えてみますと,アメリカのガバナンスの一つの原則は信頼です。専門職に対する信頼が大前提としてありますが,それ以外にはあまり前提がありません。そういう意味では十分なケアが必要です。例えば製薬業界が提供する医薬品や医療デバイスは安心できるのか,き
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ちんと資格を持った人が実務を行っているのか,きちんと訓練を受けた資格を持った専門家が従事しているのかという注意が必要です。そして,この専門家が意思決定を行った後は,もはやその決定を覆すことはとても難しいのがアメリカの現状です。その結末を見てみると,いろいろな意味でうまくいっていないところがあります。例えばアメリカは OECD の加盟国の中で最も乳児死亡率が高くなっています。良くはなってはいるのですが,その改善の度合いがほかの OECD 加盟国には負けています。アメリカでどれだけの資源を乳児の医療のために使っているかを考えると,何かが間違っているのではないかと,アメリカの医療専門家がサービスを提供している方法で,特に最も脆弱な人たちへのサービスに問題があるのではないかと思わざるを得ません。その背景の力といった場合,神秘的なものとか,不思議な魔力ということではありません。そうではなく,マーケットをもっとよく理解する必要があります。もっと精査をした上で,どういうパフォーマンスであるのか,なぜそういうパフォーマンスであるのかを調べる必要があります。
グラフでは,各国ともどう取り組むべきであるか参考にしたかったのです。日本については二つのイシューがあるかと思います。一つは 2006 年のデータが使えなかったことです。ほとんどの OECD の加盟国については 2006 年のデータが入手可能でした。しかし日本のものだけ 2005 年し
かなかったので,比較のためにほかの国も 2005年を合わせて使わなければいけなかった。残念でした。もう一つの日本の問題です。これは興味深いパターンが経時的な日本の変化で見られたと思います。日本のデータで民間からの支出のアップダウンがあったと思いますが,その原因は今のところデータの欠けているところが問題だと思います。そのようなデータ不足に取り組んでシステムの評価を十分にできるようにしていただくことが重要だと思います。
司会 どうもありがとうございました。
それでは,基調講演の 3 人目,xx所長です。
これも会場の中からご質問がありました。一つは先ほど南先生からもお話がありましたが,介護に関してのマンパワーの問題が非常に深刻です。これについて「社会保障費抑制ということの問題はここにも影響しているのではないか」と質問されています。そうしたマンパワー不足についての認識と,どうすれば解決できるのかということを教えてほしいということです。あともう一つ,これはxxxxへのご質問だったのですが,介護に関するものなのでxx所長から併せてお願いします。「介護保険制度によって経営主体の民営化が進んできた。ただ,一方でなかなか採算が合わないということを理由として事業からの撤退が進んでいる。そうするとせっかく選択の幅を広げようと思ったのが狭くなってしまうというケースもあるではないだろうか。このような問題についてどう考えるか」。この 2 点です。よろしくお願いいたします。
xx まさに今の政治的な焦点でもあるのですが,大局的には,あるいは長期的には,介護サービスを必要とする高齢者が急増していきます。つまり需要が非常に大きくなってくるということは誰も否定はできないわけですが,それに対応する介護マンパワーが相対的に伸び悩んでいます。需給キャップが非常に大きくなっているので,市場経済に任せていけば自然に介護のサービスの単価も上がっていくのが普通ですが,これは政策市場
(いいかえると政策的社会市場)でありまして,介護報酬は基本的には国が決めていくという中で,2 回の介護報酬の抑制が結構大きな影響を与えたのではないかと思っています。今,介護報酬を平成 21 年度に向けて 3% アップの改善をしていこうという動きにありますので,少し情勢は変わっていくと思います。ただ,短期的には厳しいかもしれませんが,マスコミ関係者のxxxもいらっしゃいますから言いにくいのですが,今の当面の状況がずっと続くかのごとく言うのは間違いではないかと思います。つまり,必ず改善されていくと私は確信しております。何人かのマスコミ関係者の方に聞きますと,良かれと思って介護状
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況が厳しいということを書いたのだけれども,それが逆効果で,若い人たちが介護の方に行かなくなってしまったと言われています。これから慎重に記事を書かなくてはいけないということをxxの方から聞いておりますので,今後状況は変わっていくと思います。
基本的には,介護保険の場合は介護報酬単価というのが決め手であるということと,もう一つは労働分配率の問題です。近年,株式会社の場合は株主への配当ということを非常に重視する傾向にありますが,無理をしてでも高い配当を出すという傾向がなかったかどうかを見る必要があります。戦後の日本経済は労使協調で,厳しい中でも労働者の給料を上げていって経営者も頑張ってきたという歴史がありますが,近年やや経営者の考え方が少し違ってきたのではないかと思います。その意味で,労働分配率の改善を図るということももう一つ重要だと思います。
最後に,介護は生活の非常に大事な,特に終末期ということをとっても最も幸せの大事な鍵を握る部分ですので,こういう分野で働く人々の働く意義とか,働きがいとか,そういうことについてもう少し国民が関心を持っていただけるかどうかが重要です。3K の典型で,危険,汚い,きついの場のように受け止められている向きもありますが,これを改善して,介護の役割を国民みんなで大切に考えていくという,国民意識の改善というか,改革が必要だと思います。そのようなことにより,必ずいい方向には動いていくのではないかと思っています。
企業も一部不採算部門ということで撤退しているように,全体から見ますと確かに厳しい状況ですが,地域のお年寄りのために非常に効率的に活躍して一定の業績も上げている会社もあります。したがって,すべて全体に悪くなっているという指摘は正しくないと思います。訪問介護系統は厳しいわけですが,施設系統についてはそれほど悪くないわけです。何となく,介護部門は全体に不採算性部門だと取り上げられがちですが,現実を見ますと決してそんなことはないわけで,今いっときの厳しい状況はやがて変わっていくと思いま
す。今,季節で言うと冬の時代ですが,もうすぐ春が来ると思って,国民の声を上げていけば改善されるのではないかと思っています。
司会 どうもありがとうございました。
それでは,今度はパネリストの方にお話を聞かせていただければと思います。まずxxxxは最近,日本の医療に関して,フリーアクセス,いい点もあるけれども弊害もあり,そうした意味で家庭医とか総合医といったものをやはり育成していくべきだと主張されているものを読んだことがあります。そういった意味で,今回ルグラン先生のお話,考え方,先ほどのコメントを聞かれまして,いかがでしょうか。先ほどルグラン先生にご質問されたいこともあるということもあったようなので,この機会にお話をいただければと思います。
xx xxxxxxxxxx。家庭医に関しては,今回,会場の中にも専門の先生がいらっしゃいますので,ぜひ専門の先生のお話もお伺いしたいと思っています。ご質問の内容にもありましたが,日本の医療や介護においてどのように国民や住民の声を反映するかということが重要です。医療の中ではあまり議論されておりませんが,今,地方分権の議論をしている中で,私は地方議会のあり方を考える必要があると感じております。突然,地方議会と言うと驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが,日本の場合は給与従事者が議員になる場合に仕事を辞めなければなりませんので,どうしても建設業者ですとか高齢者といった方々が議会の中心になってしまって,そういった人たちの関心のある政策が主に議論されてきたように思います。アメリカなどでは,例えば学校の教員が夜間や平日に行われる議会に参加するということができます。すべての議員がそういったボランティアというか,日当払いのような形で参加するというのは無理かもしれませんが,日本でも,せめて半分ぐらいは給与従事者がかかわれるような制度になると,普通の生活をしている人たちが自分たちの暮らしの中で関心のあるテーマ,
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それはまさに医療や介護だと思うのですが,そういったことを地方議会で決めていくことができるようになると思います。
国民健康保険や介護保険は,地方自治体が保険者になっています。地方議会が政策決定機関でもありますので,これから地方分権化が進められる中で,そこでの議論は非常に重要であると思います。日本でも確か福島の矢祭町でしたでしょうか,日当払いにするところが出てきています。医療や介護において国民や住民の声を反映するということにおいて,地方がイニシアティブを取ってできることがあるのではないかという意味で,地方議会の改革が非常に大きいと思っております。パネリストの特権を生かして質問を先にしてい いということなので,非常に素朴な質問をさせて頂きます。ルグラン先生のご発表の中に,失業者や所得や学歴の低い人たちというのは,自己負担がゼロにもかかわらず,有職者,富裕層,高学歴層に比べて必要以下の保険サービスしか利用していないというものがありました。これは昔から不思議に思っておりまして,GP にかかるのに自己負担が無料でしたら,日本だったら GP に殺到してしまうのではないかと思います。以前イギリスの医療経済専門の人たちに質問しましたら,GPに行っても長く待たされるだけなので行かないのだということや,イギリス人は気軽に医療機関に行かないように教育されているというようなことを聞いたこともありますが,実際どうなのかということをルグラン先生にぜひお伺いしたいと思い
ます。以上でございます。
司会 それではルグラン先生,お願いいたします。
ルグラン 今,指摘された地方自治体の問題はまさに重要な問題でしょう。おっしゃるとおりだと思います。われわれも同じ問題を抱えております。報酬の制度,あるいは時間配分についても十分熟慮しなければならないと考えております。イギリスの場合,地方自治体に関しては,責任は地方自治体よりも国の方に移転されるケースが出て
きています。地方自治体に対する資金の多くも国から出ており,責任も国の方が負う形になってきています。私は逆に地方自治体にもっと移譲するべきだと思っております。例えば資金調達や制度への資金の投入も,もっと地方自治体に責任を任せるべきだと思っております。
それから GP に関する質問ですが,平均では, GP に訪れる頻度は通常年に 4 回ぐらいでしょうか。また GP の数も不足しています。これが一つの問題です。さらに,GP は患者さんたちに対して独占体として動きたがるという問題があります。すなわち自らの周りに境界線を引いて,患者の中でもその境界の外から来た患者を受け付けないといった形になっています。これを改善しようということで今,努力をしていますが,競争原理の導入,そして選択を患者に与えるということが考えられています。今,GP の数を増やそうという動きがあります。そして,GP の仕事のあり方も変えようとしています。すなわちまとめて大きな単位にするとか,あるいは民間の企業の参入も認めて GP のサービスを提供してもらおうといったようなことも検討されています。歴史的に見ていろいろな問題があったというのはそのとおりです。ただ,これを是正しようということで努力をしております。GP のメリット・デメリットについて評価を下すには,もう少し待つ必要があるかと思いますが。
司会 ルグラン先生,どうもありがとうございました。xxxx,xろしいですか。
xx xx。
司会 シェーラー先生。
シェーラー 追加してよろしいでしょうか。 OECD 加盟国について,ニーズに応じたアクセスがあるかどうか,市民が GP あるいは専門医にかかりたいときにかかることができるかを見ました。全体として GP にアクセスができるかどうかを見ると,これは平等もしくは所得が低い人の方
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のアクセスの方が多く,専門医へのアクセスの方が特に不平等だったということが分かりました。
司会 どうもありがとうございました。
それでは,xx先生,先ほどの話で一番最後の方でしたか,準市場の発想をきちんと取り入れたこと,それから地方分権ということも言われました。そこで Queen と Knigxx x間の信頼関係ということも言われました。先生のアイデアとしてもう少し具体的に,ではどういう形でやっていったらいいのだろうかということがもしありましたら教えてください。あともう一つ,会場からソーシャルキャピタルを生かした QOL の向上策が必要であり,「社会科学系の人とも連携していろいろと学際的にやっていかなければならないと思うのですが,どうでしょうか」というお話しがありました。ちょっと違う話が二つで申し訳ございませんが,お答えをいただければと思います。
xx 大きな問題ですが,私が発言した内容をもう一度申し上げますと,エージェント,あるいはゲートキーパーという機能が医療にはありません。介護は情報の非対称は少ないのにケアマネージャーがいて,医療には情報の非対称が大きいのにいないのです。これが非常に問題だと思っています。例えば在宅ケアを推進しようとしても,責任を持ってくれる人がいないと不安ですよね。そうすると,何かちょっとあると救急車に乗って病院の救急窓口に押し寄せるわけです。したがって,複雑なシステムというのは 1 カ所を直してもそう簡単に改善するわけではありません。もっと本質的によく考えていく必要があります。そのためには,例えばほかの国の政策などよく勉強して,こういう可能性もあるのだということをよく学んで,自分たちのビジョンを持つべきではないでしょうか。そのビジョンの中で重要なのは人々のケアをするエージェントが必要だということです。また,どこに期待したらいいかということですが,私は例えば在宅にいる人たちの健康問題に対して何らかの形で責任を持ってくれる人が存在しなければいけないと思っています。つまり不安
に対しては誰が責任を持つという形でしか解決できないと思っています。そう考えると,後期高齢者医療でちょっと失敗しましたが,緩い形でとにかく責任を持つという形をまずつくっていくということが必要なのではないかと思います。日本にはプライマリーケアという代理人がどうしても必要だと思っています。
さらに,地方議会の関係ですが,いつでもどこでも誰でも最高の医療を受けられるというのは難しいでしょう。巨額の投資をしてしまえばそれだけコストが掛かりますから,それだけ負担できないというのが問題になっているのではないかと思います。そうすると,ある程度の集中化が必要だと思っています。そういうものは,中央政府が決めることはできません。地域で主体的にそういうことを考えていく必要があります。これが地方自治の本旨で,これはむしろxx先生の方がご専門なのですが,地方自治というのは民主主義の学校で,特に費用と給付の関係を学ぶことが重要です。これは先生がどこかで書いていらっしゃったと思いますが,教科書的な事実です。そういうことを考えると,できるだけ地域の中でやる仕組みをつくっていくということが必要なのではないかと私は思っています。
司会 ありがとうございました。
では南先生,先ほど患者と医療関係者との信頼関係ということで,xx先生からジャーナリズムからの批判が相当あったという話もありました。先ほどからいろいろな話もあります。家庭医なり,もしくはそういったもの,患者,国民とドクター,医療関係者との信頼関係というのはどうもなかなかうまくいっていないという感じがあるかと思うのですが,どういう点でうまくいっていないのだろうかという点について,お考えはございますでしょうか。
南 非常に大きな質問だと思いますので,簡略に適当にお答えできるかどうかちょっと分からないのですが,私はマスメディアが発信する情報も含めて,情報が非常に大量になった今という時代に
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おける医療の難しさということを,まずご指摘したいと思います。情報が非常に多いということは結構なことではあるのですが,では国民がきちんと科学に基づいた健康教育を万全に受けているかといいますと,学校でも家庭でも社会でも,どれをとっても健康教育については全く不備な現状です。原因は多様であると思いますが,その不備を補うかのように,新聞や雑誌をはじめとするメディアのいろいろな健康情報があるというのが現状です。しかし,適正な教育をきちんと持っていない人が非常に大量の健康法なり健康食品なりの情報にさらされたときにどういうことが起こるかというのは推し量るべくもないことで,消費者と見なされて戦略的に広告にさらされるわけです。したがって,国民が原点に立ち返って考える必要があるということがいえると思います。
もう一つ,今更ですが,1980 年代に厚生労働省(当時の厚生省)で,真剣に家庭医というものをつくろうという議論がありました。このときに真摯な議論があったにもかかわらず,結局,医療提供者側に大変な反対があって駄目になり,ついには,家庭医という言葉すらいけないというような時期がありました。今それを私がここで申し上げても,もう昔の話という感じですが,今している議論は,20 年前にやっていたらどうだったのかということを,考える必要があると思います。イギリスについて,私たちは何度も新聞などで
「悪名高い NHS」と書きましたが,NHS を守ってきた地域の開業医の先生方に学ぶべきところは非常にたくさんあると思います。専門医がいい,高度な技術がいいという価値観自体が今問われているということではないでしょうか。マスメディアも国民も医療側も,専門医が素晴らしくて,地域で総合的に患者さんを診る医者がまるで素晴らしくないような誤った認識を持ちました。しかしこれは非常に大きな誤りであったということを,真摯に認めるところから始めないと,私どもは決して幸福にはなれないと思います。
司会 どうもありがとうございました。どうぞ。
シェーラー 私は今のコメントを聞かせていただいて興味を惹かれました。実はわれわれはトルコの医療制度のレビューを行っています。トルコ政府も抜本的に改革を進めたいということで,非常に強い反対に遭ってはいますが,新しい制度で家庭医を導入しようとしています。医師会から強い抵抗がありますが,唯一の方策として,質の高い医療を受けるには数に限りのある病院に競って行くしかないという制度を,家庭医を通して医療をあまねく提供しようという制度に変えようとしています。しかし,これは非常に高価につくだろうと思います。
司会 xx所長,どうぞ。
xx 今のxxxのご発言は大変重要なことです。基調講演では介護の話に限定しましたが,日本の医療は今,大きな転換点を迎えていて,病院医療中心から在宅医療重視へという動きになっていると思います。後期高齢者医療については説明不足もあって少し評判が悪かったのですが,あの中の心は,魂は,在宅医療をこれから進めていこうということだと思います。そういう点で,かつて家庭医を議論したときには,医療の大戦略の転換の中の家庭医という位置付けがないために,言葉は悪いですが,医師会その他の圧力で話が消えてしまいました。しかしこれからは在宅医を充実させていくということで,日本もイギリスのGPと専門医の関係に近いものに変えていかなくてはいけない時期に来ています。したがって,これからの議論ではだいぶ変わってくるのではないかと思います。
医学教育においても,専門医教育だけではなくて総合医の教育ということも今は言われておりますので,ちょうど今はその転換点であるということで,歴史をもう 1 回繰り返すことはできませんが,歴史的な反省に立ってみると,今の時期というのは非常に貴重な転換点だと思っております。
司会 ありがとうございました。
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第 13 回厚生政策セミナー:新しい社会保障の考え方を求めて
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それでは,xxx長に質問をさせていただきたいと思います。経済学を研究されているということで先ほどのお話がありました。これは私の勝手な理解かもしれませんが,ルグラン先生やxx所長のお話はいずれも社会保障制度であり,公的財源でやっている部分が大きいわけですが,それがしばしば官僚的,非効率的なものになってしまいます。そのため,それをどうやって利用者のニーズに適した効率的なものにしていくかということの工夫のお話ではないかと理解しております。こうした問題について,市場原理を入れればいいではないかということがよく言われるのですが,価格を基にした需給調整という話になってしまうと,社会保障制度の場合には問題があります。例えばイギリスの場合,NHS は無料のサービスです。日本の介護保険も公定価格です。そこで無理やり価格という形を導入してしまうと,今度は低所得者がサービスを受けられないという問題も出てきてしまいます。その意味でいくと,そのイギリスの NHS の改革も,日本の介護保険制度もそうだと思いますが,利用者,もしくは利用者の代理人,エージェントと,こうした形についてのサービスを選択できるようにして競争させる,というアイデアではないかと思います。経済学の観点から,学者としてのご意見をいただければと思います。
xx どうもありがとうございます。ミクロ経済学で考えると,基本的には価格メカニズムが資源をうまく配分できるということですので,医療・介護サービスも価格メカニズムでうまく資源を配分できるはずなのですが,なかなかそうはいかないという面があります。もちろん医療も,先ほどシェーラー先生の報告で国別に利用者負担が違っているという指摘もありましたし,xx先生からは,利用者負担が呼び水効果になって,それが医療・介護サービスへの公的資金の投入を増やすというお話もありました。したがって,市場原理主義だけではうまくいかないということを補うために公的資金が導入されて,国民のコンセンサスを得るために,それを利用する人にも一部負担して
もらうということになるのだと思います。
一部負担については,ではみんな同じがいいのか,それとも先ほどxxxxxがおっしゃったように低所得者のことも配慮すべきかといったら,これはxx先生がおっしゃったように経済哲学の問題にかかわるのかもしれませんが,個人的には低所得者に配慮した方がいいかなと思います。市場原理主義ではすべてが解決できないために,価格メカニズムを利用しつつ政府の公的資金を投入することがいいことだというのが私の考えです。ではこれをどういう理論で,どういう理念で説得するかというときに,やはり準市場,国際マーケットの理論や社会市場の理論は説得的なのではないかと思います。特にルグラン先生のご研究は日本語でも翻訳が出ているということなので,多くの方々がより深く勉強できるのではないかと思っています。
あともう一つお話ししたいことがあります。選択肢は誰が提供するのかというと,ここは政府が規制を与えることになります。別の言い方で言うならば,介入してある土俵を作ってあげるということになります。土俵の中のお相撲さんは,横綱になる者もいれば,関脇,前頭としてお相撲を取る人,いろいろなお相撲を取る人たちがいるのかもしれません。しかしそこは民間企業のみならず,NPO,あるいは財団や法人というように,プロバイダーとしてある一定水準以上の質を保つことのできる担い手をどんどん育成していくということが必要なのではないかと思います。そういう意味では,先ほど人材育成の話もありましたし,介護報酬をうまく調整して,若い人も働くインセンティブのあるような環境を整えていかなければいけないというお話ともつながります。また,サービスを提供する法人組織の問題と,その中で働く個々の一人一人の働き手の問題というように,いろいろと検討しなければいけないことがたくさんあると思います。今日午前中の基調講演でありました準市場の理論や社会市場の理論は,たくさんのメッセージ,あるいはたくさんの分析道具を持っているということが今回のセミナーで理解できたかと思います。今後私たちも勉強して
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いきたいと思っています。どうもありがとうございました。
司会 どうもありがとうございました。
それでは,次にルグラン先生,会場から出てきた質問で,イギリスのことに関して 2 点お答えをいただければありがたいと思います。一つは,イギリスで患者が病院を選択していくということは,必然的に競争に負ける病院が出てくることになると思います。それでは,そうした病院が廃止もしくは統合されることもあるでしょうが,そこに問題はないのだろうかというのが 1 点です。も
う 1 点は,イギリスでは医療費の高騰ということはあまり大きな問題とはなっていないのだろうか,あるいは大きな問題として取り上げられているのだろうかという質問です。この 2 点についてお聞きしたいという会場からのご質問がございましたので,お答えをいただければと思います。
ルグラン ありがとうございます。まず病院が統合されるかどうか,閉鎖されるかどうかという質問ですが,素晴らしい質問です。これは実際に問題になっています。ご存じのとおり病院の閉鎖は非常に難しいことです。準市場のシステムの中では,有名で立派な病院も財政面で危機に瀕する場合があります。そういった場合まず大事なのは,理由もなく救済されてはならないということです。前に 1 回,大手の病院が破綻しかけたときに政府が救済したということがありました。これにより,改善しなくても大丈夫だ,助けてもらえるのだということで,インセンティブが損なわれてしまいました。最終的には問題があったとしても政府からお金をたくさんもらえばいいのだとなってしまいます。したがって,それをやってはならないということです。準市場には規制当局が必要なのです。規制当局が,競争抑止的な行為がなかったかどうか,つまり病院が独占的な競争抑制的な振る舞いをしていなかったかどうかチェックする必要があります。また参入も監視しなければいけません。それから,失敗したときの撤退も管理しなければいけません。さらにこの規制当局は自
由な権限を与えられなければいけません。これが非常に重要です。この意思決定を政治のプロセスから切り離し,距離を置かなければ,適切な対応ができないといえます。
医療費の高騰の問題ですが,これはイギリスでは歴史的にそれほど大きな問題ではありません。なぜならば,抑制することに成功を収めてきたからです。ただ,最近医療費は高騰を始めていますので心配はしています。私が奨励して導入されてきている準市場のシステムには,医療費が上がる要因があります。幾つかの病院は,できるだけ患者を取って利益を得たいと考えるわけですが,このとき過剰診療に走る可能性があります。ほかの多くの国々もこの問題を抱えています。したがって私は熱心に GP が予算を管理するということを提唱してきました。もし予算を全部使い切れなかった場合には,直接自分のために使うことはできませんが,自分たちの施設改善や患者のために使うことが許されるのです。したがってコスト抑制のインセンティブがここで働くわけです。不必要に人々を病院に送り込まないということで,これは逆インセンティブといえるでしょう。もう一つ,病院側としては過剰診療をするインセンティブがありますが,GP の方はそれに逆行するインセンティブを持っています。これがうまくいくかどうかはまだ分からないのですが,これはやはり医療費を抑制する一つの鍵になると思います。
司会 どうもありがとうございました。これは私の記憶違いでなければ,ルグラン先生,イギリスは家庭医に予算を持たせるというのを一度確か廃止されて,また復活されたのではないかと思うのですが,これは正しいですか。
ルグラン そのとおりです。1997 年に労働党政権が始まる前の保守党政権がそういう制度を持っていました。GP に予算を与え,非常に成功したのです。病院への送致の件数も減りましたし,処方薬の支出も減りました。まさに私が期待したとおり,費用を抑制するという方向に動いたのです。ただ,残念ながら労働党政権になるやいな
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や,これが除去されてしまったわけです。その後,労働党政権が発展していく中で,この制度をなくしたことによってどういう問題が生み出されているのか気が付いてきました。そして,私がまた政府で働き始めたときに再び導入することができました。しかし悲しいことに,すでに熱意が失われてしまっていました。最初に始まったときには本当に GP でも熱心な GP が多かったのです。ところがその熱意が,いったん制度がなくなった間に失われてしまったのです。まだその問題を抱えております。もう一度導入を図って,さらにこれを推進していきたいと思っています。
司会 どうもありがとうございました。
それから,実はシェーラー先生に会場からまた質問が一つございます。先ほどの一人当たり GDP と医療費との分析に関してなのですが,その分析の中で,少子高齢化の影響はどのように出てきていると考えられるかというご質問です。
シェーラー 時間が経過するにつれて医療費の高騰は予測ができるはずです。高齢化があれば当然医療費は上がることが予想されます。現在総合的なインパクトを計算しようとしています。しかし先のことを予測するときに,年齢別の医療費の増大を予測することは間違っていると思います。今のところは一人当たり何ドル使っている,この人は 70 歳で今,何ドル使っているから,30 年後には高齢化が進むとこれは同じだけ増えるであろうと考えられるほど単純ではないのです。なぜかと言えば,その相関関係がまだはっきりしていないからです。ほとんどの医療における支出は,亡くなる 1 ~ 2 年前の時期に集中します。例えば 70
代では亡くならず 80 歳まで生きるのであれば,一番コストが掛かる時期も先送りになります。ただ,GDP が増えていなくても医療費の支出は 1
~2 年の間に大体 1% 増えていました。そこで直ちにこの医療費の支出をどうコントロールをするか,あるいはその増え方,加速の度合いをどうコントロールするかということは,高齢化とは関係がありません。むしろこれは医療マーケットの性
質を十分に理解していないことから出てくる問題です。確かに高齢化が進んでいくとより多くの資源を医療制度に投入する必要は出てきます。もちろん日本がなさっているように急性期医療の医療機関(acute care facility)が乱用されないようにしなければなりません。また社会的入院を野放しにしてはいけません。それによって医療制度自体も高齢化社会のニーズに適応させていく必要があるのです。ただ,そのような変化を起こしていく際にも,ほとんどの国であれば能力の範囲内でできるはずです。したがって,政府が直面している課題は,それ以外のところにあると思います。
司会 どうもありがとうございました。
xx所長にご質問をさせていただきたいと思います。先ほどからいろいろ地方分権の話,それから利用者の選択権のお話があります。最初の基調講演の中でxx所長が言われた中にもそうした点があったかと思います。介護に関しての利用者の選択,それから地方分権という形です。そこら辺について,もう少し詳しくお話をいただければと思いますが,いかがでしょうか。
xx 介護保険に関しましては,先ほど十分に触れられなかったのですが,日本の場合,ドイツの州単位と異なり基礎自治体の市町村主義を取っております。ただ,市町村で単独でやっているわけではなくて,例えば税においても国がその半分を持って,あとは都道府県と市町村で 4 分の 1 ずつを持ち合うということでやっていますが,権限としては市町村が責任を持ってやるという形になっています。
介護の場合はそれでいいのですが,問題は医療にあります。,後期高齢者医療は都道府県主義になりましたが,私は国民健康保険についても将来的には広域化,ないしはさらに都道府県単位でやっていくのが望ましいのではないかと思っています。私は医療計画などに携わったことがありますが,大きな病院というのは市町村主義ではあり得ないわけでありまして,ある一定の中心地域で病院が広域的役割を果たしています。そうすると,
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市町村主義でやっている国民健康保険というのはそれとフィットしないわけです。介護の場合はそれでいいのですが,医療では問題になります。だから,もちろん市町村の協力がなければできませんが,かなり広域的な病院については,ユニットとしては都道府県主義にしていくことが必要です。このことは,私は地方分権化に反しないと思います。国から地方へ権限を移譲していくということが地方分権化の基本的なことであって,それをさらに市町村にやれば何でも地方分権化が進むということではあり得ません。先ほどルグラン先生のお話にもありましたが,むしろ国民の声が反映できるような,“Voice”の問題をもっときめ細かく医療の制度のあり方に入れていくということが重要だと思います。各病院においてももっと住民の声が反映できる形にしていく。ただ,ユニットとして,小さければ小さいほどいいというようには考えていません。
もちろん,このことは病院医療を中心にして重装備の形の医療を進めればいいということではなく,病院医療と在宅医療の車の両輪をどうしていくのかを考える必要があります。今は病院の車が大きすぎ,在宅医療の車が小さすぎる状況です。したがって,在宅医療の車をもっと大きくして,車の両輪として真っすぐ進むようにしていく時期に来ているのではないかと思っております。
司会 どうもありがとうございました。xxx生,どうぞ。
xx xxxx所長のお話に私も全く同感で,医療に関しては都道府県単位という形で考えていくべきではないかと思っています。日本の医療費は,誰の負担になるのかという財政的な帰結が明らかではないというところに問題があると常々思っています。医療費の問題は深刻だとみんないろいろなところで感じてはいるのですが,今の制度ですと,自分たちの医療費を下げれば自分たちが支払う保険料や自治体の負担が下がるという仕組みになっていません。国保の仕組みでも,三位一体改革における数合わせと言えるのかもしれませ
んが,都道府県の負担が初めて導入されて,結果として都道府県が医療費の問題に真剣に取り組むインセンティブになったように思います。介護保険は,最初の設計から市町村と都道府県の役割が明確にされていましたが,医療保険制度も参考にするべきであると思います。
日本の医療制度を考えたときに,ファイナンスの方は診療報酬など公的な制度で非常に厳しく決められています。一方で供給側は自由標榜制であったり, 先ほどxxxがご指摘されたように MRI であるとか CT スキャンであるといった高額の医療機器が自由に導入されています。県内で高額の医療機器を適切に配置するとか,予防行動を実施するとか,医療機関を適正に配置するといった意味でも,やはり都道府県の役割は非常に大きいと思います。小さい県でしたら二つの県で協力するということもあると思います。
知事会などから大変反対の多いところですが,市町村ではあまりにも小さすぎますし,かといって国が一括にというわけにはいきませんので,私もやはり都道府県単位の役割であるべきだと考えています。リスクの分散といった保険の本来の役割を考えた上でも,都道府県の役割はこれからますます大きくなってくると思っています。
司会 どうもありがとうございました。xx先生,どうぞ。
xx 私は今のxxx生のお話と同じ意見です。最初に申し上げましたように,戦後,日本で公立病院のネットワークをつくろうという構想ができたとき,一番中心にはリージョナルホスピタル,広域病院を置こうということになりました。その単位は人口 100 万人でした。医学教育まで考える
と人口 100 万人ないと十分な症例が集まらないか
らです。現在の日本では大体 1 県 1 医科大学ですから,そこは実現しています。しかしその下の,さらにその下,ルーラルホスピタルと言っていた部分,特にプライマリーケアの部分が混乱しているというのが私の意見です。そして,市町村は無理です。私は鹿児島県で働いていたことがありま
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すので,離島の小さな村があるのを知っています。人口 2, 000 人といった小さな村が市町村のレ
ベルです。一方で横浜市は 300 万人ですが,これでは全市町村が同じことはできません。したがって,医療を市町村に下ろすということはできません。やはり県単位で考えるということが適当だと思います。重要なことは,ケアの領域からは道州制は出てこないということです。
司会 どうもありがとうございました。
ルグラン先生,ご質問させていただいてよろしいでしょうか。今,日本のパネリストから医療と,地方分権,住民の参加という話が出ました。イギリスの場合もともと医療は国営という形でやっておりますが,そこに対する住民の意見の反映,もしくは地方自治体との関係など,何か改革が進んでいる部分もあるのでしょうか。
ルグラン はい,あります。そして大きく失敗をしてきました。幾つか試みが行われました。システムの“Voice”,意見の反映,改善するための試みがたくさん行われました。いろいろな特別の例えば委員会や,評議会,フォーラムをつくって NHS に意見を反映させようという試みが行われたのですが,すべての試みが失敗しました。なぜならば,リタイアした医師であったり看護師であったりする人たちが場を支配してしまうからです。したがって,うまく機能しませんでした。そして,足を運んで会議に参加した人々,委員会に出た人たちは,いらいらして帰ってしまうのです。病院側もいらいらしてしまうということでした。ただ一つ,ある程度うまくいったケースがあります。それは,患者が病院の理事会のメンバーとなった場合です。病院によっては理事会の理事に患者も入れるということがありまして,これは割とうまくいったケースです。“Voice”よりも “choice”だという理由はそこにあります。それは,この“Voice”,意見を反映させる手段というものは,うまくつくるのはほとんど不可能だからです。医療提供者,例えば病院などが人々に対応を良くするということの効果を発揮させるのがな
かなか難しいという状況があります。一方, “choice”,選択の方が機能します。病院としては,患者からの声を聞かなかった場合には選択されないという意味では,非常に強い道具になるわけです。単に委員会があって,そこで声を聞くというよりはパワフルになるわけです。したがって,全体的に言えばやはり“choice”という道具,この“choice と competition”(選択と競争)の方が Voice よりもうまく機能するのだと思います。
司会 どうもありがとうございました。南先生,どうぞ。
南 私もルグラン先生に伺いたいと思ったことがあります。先ほど過剰診療のことをおっしゃいましたが,私は医療費を抑制するということを目的にすることはおかしいと思っています。高齢化し,医療が高度化する中で,抑制を目的化してしまっているような現状は本末転倒でないかと思うのです。ない袖は振れないという財政当局の気持ちも分からないでもないので,負担と給付ということはきちんと考えていかなければいけないことは当然です。しかし民間主体の病院が自分のところを重装備にして,競合し合って,医療の質で患者さんを取り合うということになります。これによりどうしても,非常に高価な機械を買えばそれを使用しなければならないということになります。使用せず置いておくことももったいないことですから。そうすると,例えば今,腎透析は医療費にして 1 兆円にもなりますが,そのようなものをドル箱にするような病院も出てくるわけです。そこのところでどういうチェック機構があるかというと,イギリスでは GP の方に予算を持っていただいて裁量にまかせていけるわけですね。それも一つの方法だとは思うのですが,日本の場合,すぐに GP 制度というわけにはいかないと思います。何かアイデアがあるものであれば教えていただきたいというのが一つです。
もう一つ伺いたいのですが,介護保険に関しては,2000 年に日本はドイツをお手本にして制度
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をつくりました。しかし先ほども申しましたように,医療と介護はどういう関係なのかということにいまだに答えは出ていません。非常に乱暴な言い方をすれば,医療というのは治すもので介護は支えるものだという言い方ができると思うのですが,そこはもう密接不可分だと思うのです。制度は別でもいいのですが,やはり何らかのコーディネートがなければ全くうまくいかないと思います。, ジュリアン・ルグラン先生のイギリスなり,ピーター・シェーラー先生のお住まいのフランスなどでは,介護の部分についてはどのようになっているのかを,簡単で結構なのですが,教えていただきたいと思います。
司会 それでは,ルグラン先生,よろしければお願いいたします。
ルグラン まず二つほど簡単にコメントしたいと思います。まず 1 点ですが,どのように医療費を抑制するのか,それから過剰診療ということでしたが,そして適切な技術をどう利用し,提供していくのかは,おっしゃるとおり非常に深刻な問題だと思います。イギリスの機関でまだ話題に上ってい な い の が,National Institute for Clinical Excellence,NICE(国立最適医療研究所)と呼ばれる機関です。NICE というのはエコノミストのグループ,専門家である経済学者のグループの集まりです。政府に認定されて,異なる治療,異なる医薬品,異なる技術のコストを算定するということを仕事としております。そして,この NICEには,一定のバリア,障壁が設けられています。このバリアとなる数値を超えると,かなりのコスト負担になるような仕組みになっています。またそのバリアは,効果の度合いによって変わってきます。ですから,コストが非能率的である,非効果的であるということになりますと,NHS はサービスの提供者に対して支払い,すなわち還付をしません。この制度は医療費抑制の非常に強力な武器,手段になっています。政治的にもいろいろと論争を呼んでおり,裁判所に訴えられたりもしています。例えば彼らはアルツハイマー薬への資
金負担を拒絶した,コスト効果がないと言っているとして訴えられたりしています。このようにいろいろと問題ははらんではいるものの,ほかの多くの国々も関心を寄せている制度です。日本でも検討される価値があるかもしれません。
繰り返しになりますが,介護については問題を抱えています。イギリスでも,医療と介護の間の連携は必ずしもうまくいっていません。ただし,二つほど革新的なお手本を申し上げることができると思います。一つのアイデアとして,例えばある高齢者が病院に入院しており,そろそろ退院する時期になっているとします。ところが,いわゆる社会保障の制度,社会的ケアの制度では,例えば老人ホームに空きがない,あるいは在宅ケアなどが得られないといったような問題にぶつかったとき,病院は社会的ケアサービス,社会福祉に対し,病院にとどまらせるコストを請求する権利が発生します。病院のコストはかなり高いわけですが,社会的ケア,社会福祉の側でも何らかの制度,サービスを提供しなければならないというインセンティブが働くわけです。日本でも高齢者がやはり長期に入院をさせられてしまっている,いわゆる社会的入院という問題があるということはよく承知しております。このように病院がいわゆる社会ケア,社会福祉の方に料金を請求する権利を持つということもいいアイデアかもしれません。
それから,既にこれは日本でも実行されているかもしれませんが,もう一つの工夫があります。高齢者にサービスを提供するのではなく,代わりにお金を与えるというものです。お金をどう使うかは,高齢者自らが決めることになります。前回日本に参りましたときに,社会保険制度との絡みで議論されていると伺いました。もし間違っているならば正していただきたいのですが,日本の制度で提案されたのは,高齢者がサービスを現金で買うというものでした。これは日本のフェミニストによって反対が出たとのことです。高齢者が現金をもらって娘たちと暮らすようになると聞きました。それが本当かどうか分かりませんが,もしそうだとするならば確かに問題でしょう。やはり
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お金を与えてそれで済ますというのは問題かもしれません。
司会 シェーラー先生,どうぞ。
シェーラー 少し距離を置いて発言をしなければなりません。フランスのことなのですが,あまりフランスのことをきちんと見てきたわけではないという言い訳をしたいと思います。フランスでは日本やイギリスと同じような問題を経験しています。フランスでも高齢化していく中で,より多くの人たちが療養型の治療を必要としています。ただ,フランスの場合は日本よりは問題ではないかもしれません。社会的入院は日本ほどではないと思います。病院もかなり高いコストが掛かりますのでコントロールも十分に掛かっていて,日本ほど在院日数は長くはありません。しかし,療養型の施設に入所した場合には財源のシステムが違っています。これまでのフランスの政府は,ドイツ型の介護保険制度を導入するとコミットしてきました。しかし今では日本のようなものを導入すると言っております。ここで先にお見せしたグラフを思い起こしていただくと,急性期治療のコストは全くコントロールができておらず,そのためフランスでは,納税者あるいは事業所に対して追加的な社会保障費を出して介護制度を上乗せすることができていない状態です。そういうことで行き詰まっていまして,フランスでは公的財源を増やしています。しかも,ニーズが必要な人たちには要介護の分類制度がありますし,重度の障害がある人,特に集中ケアが必要な人に関する分類はあります。ただ,資産テストもあります。フランスのナポレオン法典は一部のアジアの国々の法律と同じで,究極的には家族が責任を問われて,家族がお金を持っているのであれば給付はしないという精神があります。日本とは違うかもしれませんが,フランスの場合では市町村が当初は必要なニーズを提供します。家族がお金を持っており,貧窮していないのであれば,必要であれば裁判に訴えてでも,その支給を受けた人たちに対して, pension alimentaire という民間任意保険に加入せ
よと言われます。そして,市町村に償還するよう訴えることは可能です。これはもちろん社会的には大きな負担です。いきなり想定しなかったような高負担が掛かってくることもあります。しかし,なぜフランスの歴代の政権はドイツのような社会保障制度を導入ができていないのでしょうか。扶助のアプローチも取っているし,併せて,この際,お金を持っている家族にも依存しようというハイブリッドが続いてしまっているのです。多大なる努力が行われて在宅ケアは改善していますし,入所率をなるべく上げないようにしています。なぜかと言えば,そもそも入所は大変コストが掛かるからであって,その抑制の努力は行われているのですが,結局財源の問題が残っています。したがって,フランスでも十分な対応がまだできていないのが現状です。
司会 xx所長,どうぞ。
xx 先ほどxxxのコメントにちょっとあったのですが,若干訂正というか,実は 1993 年に当時の東京大学のxxxxxを中心に,私も含めて 10 人の高齢者介護・自立支援システム研究会というものがつくられました。そこで介護保険の基本構想が練られたわけです。起草委員長は私です。そのときに,ドイツの介護保険はまねしないということにしたのです。ドイツは州ごとにやっていますが,日本は市町村ごとにやっています。ミュニシパリティ(municipality),つまり住民に身近な基礎自治体でやるということです。もう一つは,ドイツは現金給付かサービス給付で選択できるのですが,日本の場合は,先ほどルグラン先生からもありましたが,いろいろな理由からサービス給付に限定しました。運用上,バウチャーなどを入浴サービスに使ったりしているところがありますが,基本は医療保険と同じようにサービス給付という形でスタートしました。今,順調に介護保険は進んでいますので,結果的にはそれで良かったのではないかと思っています。医療においては現金給付の形は恐らく一つも取られていないと思います。例えば生活保護の医療扶助について
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も,あくまでかかった医療についてお金を渡すということになっています。したがってわが国の場合,サービス給付に対する対価として介護保険からお金が払われるという形を取り発展しています。ただ,スタート時点において,介護保険と医療保険が二重給付を受けないようにということを強調しすぎてしまいました。在宅医療の推進という点では連携して地域で介護が必要な人,医療が必要な人が生活できるようにといった工夫がもっと必要だったのですが,これはこれからの課題だと思っております。
司会 どうもありがとうございました。どうぞ,xx先生。
xx このシンポジウムは新しいアプローチとして準市場がはたして妥当なのかどうかということが中心的なテーマだと思うのですが,やはり現実に引きずられて,現実の制度の話になってしまっています。もしまだ制度の改革をする場合に規制緩和ということを言うとすれば,それはルグラン先生の言い方をすれば,利己的人間の方向へ持っていくと効率化が進められる,質が向上するという,そういう議論だと思います。準市場というのはホモエコノミクスというような単純なモデル化はしません。もう少し人間の価値観とかを取り入れて政策を実行していこうということでありますから,私はケアの領域では非常にまっとうな,自然なアプローチだと思っています。
ただ,それにもいい面と同時に悪い面もあるかなと思います。ここからはルグラン先生に対する質問になるかもしれないのですが,準市場には弱さがあると思います。それは,モデル化できないから,どうなるかということの予想がつかないという点です。市場モデルだったらモデルを分析すると結果の想像がつきます。しかし準市場の人間のモチベーションは,果たして本当にそうなるのかどうかということが保証の限りではありません。例えば私はイギリスの制度改革の懸念として,プライマリーケアトラストとか,ケアトラストが官僚化するのではないかとか,政府のエージ
ェントになってしまうのではないかとか,あるいは今の状態だと Exit Power が失われて, 結局 “Voice”,民主制が弱まってしまうのではないかと思っています。これは結局はケアの質の悪化につながるのではないかと思います。このようなことを実証的に調べていかなければならないのではないかと思います。その辺の方法論について,準市場による政策の進め方には弱さもあるのではないかということをルグラン先生に質問としてみたいと思っています。
司会 ルグラン先生,お願いできますか。どうぞ。
ルグラン おっしゃるとおりです。確かに大きな問題が準市場には付きまといます。その幾つかについてはもう議論をしました。例えば情報の問題,さらには病院が失敗したらどうしたらいいのか。それから官僚主義の増強,それらの危険性はあると思います。もう一つ,今,実験をしているアイデアがあります。今,患者に現金を与えるという実験を始めております。特に長期療養している患者,例えば糖尿病の患者には十分な資金,例えば 1 年分の治療分を与えて,もちろんアドバイスは行われますが,必要な決定を自らしてもらいます。このことによって官僚主義をある程度避けられるのではないかと考えています。例えばプライマリーケアトラストなどの問題も避けられるのではないでしょうか。
いろいろと問題はありますし,私としても問題がないふりをするつもりはありません。基調講演の中で申し上げましたが,準市場は医療にかかわるすべての問題への完璧な答えにはなり得ません。しかし,すべてとは言いませんが,ほとんどのほかの方法と比べると,準市場モデルの方が問題は少なくて済むのではないかということを申し上げたいわけです。ただし,問題を克服する方策については,やはり検討すべきでありましょう。社人研の方で,そういう研究を進めていただけ ればと思います。今回の会議を主催していただきましたが,将来の取り組みとして,ぜひ社人研に
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もお願いしたいと思います。私の方も支援を惜しまないつもりです。
司会 どうもありがとうございました。
【閉会挨拶】
x x xxxそろ時間も終了の時間にまいりました。ま だ議論は尽きないところでございますが,よろしければ,私から最後のごあいさつを兼ねまして,簡単な今日の議論のまとめをさせていただければ
と思っております。
基調講演のシェーラー先生のお話にもございましたが,医療や介護につきましては,各国それぞれいろいろな伝統,いろいろな社会経済情勢の違いなどを反映していろいろな制度があります。
例えばイギリスでは先ほどから話がありますナショナル・ヘルス・サービス,これが無料の国営医療制度です。仕組みとしては現代でも国民の強い支持を受けているということを聞いております。他方,介護では,イギリスについては介護等の社会サービスは地方自治体が担ってきているという伝統があると聞いております。
これに対して日本では,医療は,先ほど話がありました,非営利民間の診療所及び病院が多く,いわゆるフリーアクセスの仕組みが通ってきたところがある。介護につきましては先ほどからお話が出ております介護保険の制度ができたということがあろうかと思います。
ただ,こうした制度の違いはあるにもかかわらず,やはり両国において社会保障制度改革の進め方ということについて共通の傾向といいますか,共通の理解ができるところがあるのではないかと思っております。
それを私なりに申し上げますと,一つは,医療・介護のサービスについて,画一的な提供ということではない,やはり利用者のニーズを踏まえて多様なサービスを利用しやすい形でということ
がまず第 1 にあるのではないか。第 2 に,それが過大な費用が掛かってしまっては制度としては運営できない。やはり効率的にそれが働く必要があるのではないか。この二つの点ということになるのかなと理解しております。
ただ,その方向を実現するときに,いわゆる市場原理主義という言い方が正しいのかどうか分かりませんが,ただ規制緩和というだけではうまくはいかない。やはり価格による需給調整は難しいという先ほどの話もありました。そうした意味では,やはりいろいろと工夫をしていかなければならない。そうしたときに,例えばイギリスでは先ほどから話がありましたように,GP にサービスの選択権を与える,もしくはご本人にサービスの情報を出して選択権を与えるということによってサービスの質の向上を図る,ルグラン先生によれば,選択と競争という形でのアイデアが出てきた部分があるのではないかと思っています。ただ,この選択と競争,準xxxのアイデアを実施していくときに,幾つか条件というか,これがなければうまく機能しないというものはやはりあるのだろうと思います。それが,恐らく私としては大きく考えると二つだと思っています。一つは,いわゆるアクセシビリティの問題,もう一つは,やはり選択を適正に行うことができるか,ということではないかと思っています。
まずアクセシビリティの関係では,当然,物理的な意味で利用できるものがなければいけないというサービス体制の整備の問題があるのですが,もう一つ,経済的な意味でもやはり利用ができなければいけない。利用料が高すぎてしまったりすると利用できなくなる。そうした意味でいくと,利用料負担への補助ですとか,先ほどもお話が出ていますバウチャーといったものもあるのではないかと思っています。
もう一つの点につきましては,先ほどxx先生のお話がありました,いわゆる医療や介護における情報の非対称性という問題があります。利用者自身が自分にとって,どのような治療や介護がいいのかというのはなかなか分からないところがある。これを克服して利用者が適切な選択をするこ
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とができるようにする。どんなサービスがあって,自分がどんな治療を受けることがいいのかということについての情報提供が行われることが不可欠である。これは非常に重要な点であるのではないかと思っています。
そうした意味では,先ほどから話がありました,家庭医,総合医などの,ゲートキーパー的な役割はやはり必要になってくるのではないかということです。そうしたゲートキーパーと専門的な医療を行う病院との連携が医療については必要となってくるのではないかということです。
それから,介護につきましては,これは特に今,日本の制度ではケアマネージャーという制度があります。これが,やはりその役割をきちんと果たしていくこと,そして,それを保険者たる市町村がサポートしていくということが必要であろう,そういったことと思っています。
それから,あともう一つは,こうしたきちんとしたサービスが提供できるためには,先ほどから地方分権の話がありますが,やはり国民に対する情報開示がきちんとなされて適正な意見が反映されるという部分がなければいけないのではないかと思っております。特に医療の場合には専門性が高いということがあります。これは日本だけの問題ではなく,各国どこでも恐らくお悩みになっているかと思いますが,これはやはり大きな課題であるのかなと。こうした形の話が全体としてはあったのかなと私としては理解しているところです。
このような主張,先進諸国における社会改革の
方向について,先ほどルグラン先生からお話もございましたように,私ども社会保障・人口問題研究所におきましても,今後,さらにいろいろな研究を進めていくことができればと思っております。
本日は長時間にわたりましたが,このセミナーをこれで閉じたいと思います。このセミナーにご参加いただきまして,皆さま,どうもありがとうございました(拍手)。基調講演をしていただきました先生方,それからパネリストを務めていただいた先生方に対しまして,皆さま,拍手をよろしくお願いしたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。
(Julixx Xx Xxxnd ロンドンスクール・オブ・
エコノミクス教授)
(Peter Scherer OECD 雇用・労働・
社会問題局医療課長)
(きょうごく・たかのぶ 国立社会保障・
人口問題研究所所長)
(いい・まさこ 一橋大学国際・
公共政策大学院教授)
(ぐんじ・あつあき 聖学院大学大学院
人間福祉学研究科教授)
(みなみ・まさご 読売新聞東京本社編集委員)
(かねこ・よしひろ 国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長)
(にしやま・ゆたか 国立社会保障・人口問題
研究所政策研究調整官)
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夫の家事育児参加と出産行動 | |||
小 | 葉 | x | x |
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概 要
本稿では,夫の家事育児協力の要因について,日本家族社会学会の「家族についての全国調査, 2004」の個票データを用いた計量分析を行い,労働市場における夫婦間の比較優位,労働市場での活動に関連する夫の時間制約,性別役割分担意識の効果が,互いにどのような影響を及ぼしているのかについて分析を行った。推定結果からは以下のことが明らかとなった。第 1 に,夫の家事育児に対する全般的な協力は,世帯所得,妻の就業状態等の各種の変数をコントロールした場合においても,「子どもをもう一人持ちたい」とする希望にプラスの影響を与えている。第 2 に,夫の全般的な家事育児協力の規定要因に関しては,夫婦間の労働市場における比較優位(夫婦間の賃金格差)が影響を与えている。一方で,育児協力に重点をおいた変数については,夫の労働時間や通勤時間など,労働における様々な時間制約がマイナスの影響を与えている可能性が示された。男性についての育児休業取得の推進など時間制約を緩和する政策は,夫の家事育児協力を引き上げるという点で有効な施策であると言える。
I はじめに
わが国は近年,人口構造の急激な変化に直面しており,とりわけ少子化への対策が重要な政策課
題として議論されている。厚生労働省の「平成
19 年人口動態統計( 確定数) の概況」による
と,2007 年の合計特殊出生率は 1. 34 であり,
2006 年の 1. 32 と比べていくぶん持ちなおしたものの,依然として低い水準が続いている。アメリカ,ドイツ,フランス,スウェーデンなど,他の主要先進国との比較で言えば,90 年代前半の出生率は,日本と同様にどの国も減少傾向にあった。しかし,近年フランスやスウェーデンなどいくつかの国では,出生率が上昇に転じるなど,特徴的な動きが見られている(図 1)。
90 年代前半において,先進国で出生率が減少してきた理由としてはさまざまな要因が考えられるが,とりわけ女性の労働市場への参加が進む中で,出産・育児に伴う機会費用が増大した点が,重要な原因として指摘されてきた。理論面では Galox xxx Weil〔0996〕などの分析があり,実証面では,xx〔1996〕,xx〔1999〕などにおいて,女性の賃金上昇が,出産・育児の機会費用を高め,出産確率を低めている可能性が報告されている。ところが,女性の労働参加率が拡大を続け,男女間賃金格差が縮小する中で,90 年代半ば以降には,むしろ出生率が上昇に転じる国がいくつか現れ始めた。Sleebos〔2003〕は,このような国々の特徴として,女性が仕事と出産・育児を両立できるような環境を充実させている点を指摘しており,Apps and Rees〔0004〕や Martínez and Iza〔2004〕らの研究でも,保育サービスの整備されている地域において,女性の労働参加率
アメリカドイツ フランス
スウェーデン日本
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2. 20
合計特殊出生率
2. 00
1. 80
1. 60
1. 40
1. 20
1985
1987
1989
1991
1993
1995
1997
1999
2001
2003
2005
1. 00
出生率の推移
暦年
出所) 国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集 2008」。
図 1 合計特殊出生率の推移
と出生率の間の負の関係が見られなくなる,といった主張が理論的な分析に基づいて報告された。また,日本においても,xx〔0000〕やxx・大日〔1999〕は,保育サービスの存在が出生率に正の影響を与えることを指摘しており,xx・xx
〔2003〕は,妻が育児休業制度の存在する企業に勤めている家計においては,第xx出産確率が 20% 程度上昇することを示している。
ところで,仕事と育児の両立にむけた環境整備に対する政府・企業・地域等の支援とあわせて重要と考えられるのが,妻にとってもっとも身近な存在といえる夫の協力であろう。夫の家事育児への協力の程度が夫婦の追加予定子ども数に対して与える影響を論じた代表的な分析としては,xx
〔2005,2006〕,xx〔0006〕が挙げられる。xx
〔2006〕では,ミクロデータをもとにして,夫の家計内生産活動(家事や子どもの遊び相手になる,など)が夫婦の追加予定子ども数に有意にプラスの影響を与える点を実証している。また,理論的な分析として,Becker モデルを応用したxx〔2007〕があり,男女間賃金格差が縮小し,男女間の育児時間の代替可能性が高まるケースにおいては,女性の労働供給,男性の育児参加,子どもに対する需要の 3 変数の増加がともに達成される可能性が高い点を示している。このように,夫の家計内生産活動が,追加予定子ども数に与える影響に注目が集まる中で,改めて,どのような制
約が夫の家計内生産活動の障害となっているかを検証することは有意義であると考えられる。
夫の家事育児参加の規定要因としてまず挙げられるのは,Beckxx〔0965〕を先駆とする家計内分業のメカニズムの理論で指摘される,労働市場における夫婦間の比較優位,すなわち男女間賃金格差であろう。労働市場において未だ男女間賃金格差が存在する現状を所与とするならば,単位時間あたりでより多く稼げる夫が市場での労働を中心に行い,妻が家事育児労働を中心に行うことは,少なくとも経済学的には合理的な分業の形態と言える。
夫の家事育児参加の決定要因を分析した,xx
〔2002〕,xx〔2006〕などの研究においても,夫の労働時間や通勤時間,性別役割分業意識の有無などの変数とともに,夫婦間の収入や学歴の差がさまざまなケースで大きな効果を生じている点が示されている。しかしながら,女性の労働力参加が進み,男女間賃金格差が縮小傾向にある中で,わが国では未だ男性の家事育児参加が低い水準にとどまっている。そこには,夫の労働時間についての強い下限制約があることや,「夫は働き、妻は家庭を守る」といった性別役割分担意識に夫のみならず妻の方も縛られている,といったわが国独特の問題があるかもしれない。このような外生的あるいは精神的な制約が夫の家事育児参加を妨げているとするならば,それらの制約を緩和する
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夫の家事育児参加と出産行動
449
ことで,夫の家事育児参加を促進し,しいては出生率を改善できる余地があるかも知れない。
そこで,本稿では,夫の家事・育児協力の要因について個票データを用いた計量分析を行い,労働市場における夫婦間の比較優位,労働市場での活動に関連する夫の時間制約,性別役割分業意識の効果が,互いにどのような影響を及ぼしているのかについて分析する。
本稿の構成は以下の通りである。まず,第 II章では,夫の家事育児協力が「子どもを持つことに対する希望」に与える影響について個票データを用いて分析する。本稿では,家事育児協力に関連する各種の変数の総合的な効果をより詳細に抽出するため,主成分分析の手法に基づいて推定された変数を使用した分析を行う。第III 章では,家計にとっての最適な家事育児分担と労働市場における夫婦間賃金格差の関係について,夫の家事育児協力が実際にはどのような要因で決定されているのかをデータを用いて分析する。第 IV 章は本稿の分析によって得られた結果をまとめる。
II 夫の家事育児協力と出産行動
1 データ
本稿では,データセットとして,日本家族社会学会全国家族調査委員会による「家族についての全国調査,2004」を用いる。当該データセットは本稿で議論したい夫の家事育児協力に関する変数について,「食事の準備」「食事の片付け」「買い物」「洗濯」「掃除」「子どもと遊ぶ」「子どもの世話」など,細かく分類されている点が特徴である1)。また,各家計内労働に対する夫の協力の有無だけでなく,一週間あたりで見て,夫が何回,妻が何回その家事労働を行っているのかという情報が含まれており,家事育児協力についての詳しい指標化が可能である。調査対象は 28 歳から 77
歳までの男女で,全サンプル数は 6, 302 人である。ただし,本稿においては出産行動の分析を行うため,既婚者でありかつ,妻の年齢が出産可能年齢(15 歳以上,49 歳以下:合計特殊出生率の定義に準拠)であるサンプルに分析対象を限定す
る。さらに,説明変数や被説明変数に「夫の育児協力」の変数を用いるために,子どもが一人以上いる家計に限定したサンプル(n=1, 405)を用いた分析を行った。また,夫婦間賃金格差を説明変数に用いる場合には,共働き家計にさらに限定したサンプル(n=591)を用いた。
2 推定手法
最初に,xx〔0006〕と同様,夫の家事育児協力が出産行動に与える影響について分析を行う。本調査には,「子供を追加的に持ちたいと思う希望」について尋ねている設問があり,この設問に対する回答結果を分析に用いることとする2)。具体的には,「問 24 子供を(もう一人)欲しいと思いますか」に対する回答を被説明変数とし,夫の家事育児協力の程度を示す変数である「食事の準備」「食事の片付け」「買い物」「洗濯」「掃除」
「子どもと遊ぶ」「子どもの世話」の効果について,計量的な手法に基づいて検証する。ここで,
「子どもを(もう一人)持つことに対する希望」の質問に対する回答は,「絶対ほしくない」「あまりほしくない」「どちらとも言えない」「ほしい」
「絶対にほしい」の 5 段階の選択肢であるため,
本推定では,この 5 段階の選択肢に対して,-2,
-1,0,1,2 をそれぞれ当てはめて被説明変数とし,順序プロビット推定によってパラメータを推定する。また,夫の家事育児協力に関する変数に加えて,妻の就業の有無に関するダミー変数,妻の年齢,妻の年齢の二乗,妻の学歴に関するダミー変数,既存の子どもの数,父母同居,祖父母同居の有無に関するダミー変数,世帯所得をコントロール変数として使用する。これらの変数の記述統計量は表 1 のとおりである。夫の家事育児協力変数については,夫の週あたり家事育児回数を夫婦の週あたり家事育児回数(合計値)で除した値として定義する。図 2 は,夫婦間の家事育児労働について,週あたりの平均負担回数を表したものである。夫の家事負担は週に一回程度,育児負担は週に二回程度と低く,家事育児労働の多くの部分を依然として女性が負担していることがわかる。
450
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 究
表 1 記述統計
x x
単 位
妻が出産可能年齢であり子供が一人以上いる家計(n = 1405)
標準偏差
Vol. 44 No. 4
子供xxxxx欲しい | 5 段階ダミー(- 2,2) | -0. 298 | 1. 224 |
妻:就業中 | ダミー | 0. 511 | 0. 500 |
妻:年齢 | 歳 | 36. 93 | 5. 34 |
妻:学歴 | 4 段階ダミー(1,4) | 2. 717 | 0. 721 |
既存の子供の数 | ダミー | 1. 976 | 0. 749 |
父母同居 | ダミー | 0. 241 | 0. 428 |
祖父母同居 | ダミー | 0. 016 | 0. 012 |
世帯所得 | 百万円 | 3. 41 | 3. 38 |
解答者が女性 | ダミー | 0. 585 | 0. 493 |
妻が出産可能年齢であり子供が一人以上いる共働き家計(n = 591)
夫婦賃金格差 | 対数差分 | 1. 010 | 0. 830 |
夫婦学歴格差 | 対数差分 | 0. 072 | 0. 350 |
夫:労働時間 | 時間 | 10. 063 | 1. 917 |
夫:通勤時間 | 時間 | 0. 553 | 0. 450 |
妻:労働+通勤時間 | 時間 | 6. 796 | 2. 457 |
家庭は女性(Yes) | 5 段階ダミー(- 2,2) | -0. 663 | 1. 338 |
育児は女性(Yes) | 5 段階ダミー(- 2,2) | 0. 219 | 1. 491 |
食事の用意食事の後片付け
買い物洗濯掃除
夫 妻
子供と遊ぶ子供の世話
週あたり(回数)
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
注) 使用データ:「家族についての全国調査,2004」。全サンプル:妻が出産可能年齢である家計,「子供と遊ぶ」「子供の世話」については,妻が出産可能年齢であり一人以上の子供を有する家計。
図 2 夫婦間の家事育児分担
3 主成分の抽出
ところで,家事育児協力を表す変数については,各変数間の相関係数が高い点に注意する必要がある。表 2 に,夫の家事育児協力変数間の相関
行列を示したが,「食事の準備」と「食事の片付け」などは、セットで行っている側面があり,相関係数は . 518 とかなり高い値となっている。このような場合,説明変数間の多重共線性により重
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夫の家事育児参加と出産行動
表 2 夫の家事育児協力変数間の相関行列
451
相関係数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | |
1 | 食事の準備 | 1. 000 | ||||||
2 | 食事の後片付け | 0. 518 | 1. 000 | |||||
3 | 買い物 | 0. 445 | 0. 404 | 1. 000 | ||||
4 | 洗濯 | 0. 426 | 0. 453 | 0. 336 | 1. 000 | |||
5 | 掃除 | 0. 382 | 0. 427 | 0. 374 | 0. 506 | 1. 000 | ||
6 | 子供と遊ぶ | 0. 172 | 0. 147 | 0. 212 | 0. 118 | 0. 203 | 1. 000 | |
7 | 子供の世話 | 0. 343 | 0. 329 | 0. 349 | 0. 336 | 0. 365 | 0. 406 | 1. 000 |
要な効果を見逃す危険があるので,各変数を総合した新たな変数を作成することが望ましい。本稿では一般的かつ統計理論に基づく手法である,主成分分析の手法を用いて,変数の加重和を作成し,家事育児協力変数とした。
主成分分析では,各変数の加重和により,互いに独立な新しい説明変数が定義される。具体的に
k k =1 k
は,K 個の変数 x から新変数z = K λ* x kを作
成するときのウエイト λ*k を次のように設定する。
K
第二,第三主成分が順に定義される。定義から明らかなように主成分の個数は高々 K 個であり4),互いに独立である。
表 3 には,第一から第七主成分が,元変数のどのような加重和によって構成されているかが示されている。第一主成分は全ての変数についてほぼ等しく正のウエイトが割り当てられており「家事育児全般に対する協力」を表していると解釈できる。この成分を本稿では「レベル成分」と呼ぶことにする。また,第二主成分は育児関連の変数に正のウエイトが割り当てられており,その他の家事関連の変数は負のウエイトが割り当てられてい
k
λ* = arg max V (z ) s.t.
λ k
λ 2 = 1
k
k =1
る。この成分を「育児成分」と呼ぶことにする。主成分の重要性は対応する固有値によって計られ
ウエイト λk は新変数 z の分散 V(z)を最大化するように設定される。これはできるだけ多くの情報を元変数 x から抽出するための措置であり3),このようにして得られた z は第一主成分と定義される。その後,元変数 x から第一主成分の影響を除いた残差について同様の操作を繰り返し,以下
るが,分析においてよく用いられる基準は,固有値 1 以上基準である。この基準に基づくと,第三主成分以下の重要性は低いと考えられるため,推定結果の解釈においては「レベル成分」と「育児成分」の係数を中心に見ていくこととする。
表 3 負荷行列
主成分 | |||||||
x | x | 三 | 四 | 五 | 六 | 七 | |
負荷行列 | レベル | 育児 | |||||
食事の準備 | 0. 412 | -0. 191 | -0. 394 | 0. 386 | 0. 012 | 0. 393 | -0. 579 |
食事の後片付け | 0. 413 | -0. 257 | -0. 161 | 0. 455 | 0. 165 | -0. 590 | 0. 394 |
買い物 | 0. 383 | -0. 018 | -0. 562 | -0. 694 | 0. 003 | 0. 050 | 0. 233 |
洗濯 | 0. 399 | -0. 275 | 0. 484 | 0. 027 | -0. 056 | 0. 571 | 0. 449 |
掃除 | 0. 405 | -0. 110 | 0. 505 | -0. 369 | 0. 289 | -0. 335 | -0. 487 |
子供と遊ぶ | 0. 232 | 0. 782 | 0. 012 | 0. 150 | 0. 523 | 0. 158 | 0. 117 |
子供の世話 | 0. 370 | 0. 445 | 0. 117 | 0. 061 | -0. 783 | -0. 177 | -0. 059 |
固有値 | 2. 059 | 1. 066 | 0. 725 | 0. 596 | 0. 542 | 0. 485 | 0. 461 |
452
順序プロビット分析
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 究
表 4 「子供xxxxx欲しい」の要因分析
Vol. 44 No. 4
子供xxxxx欲しい | ||||
全サンプル | 回答者が男性 | 回答者が女性 | ||
(夫の家事育児協力:主成分) | ||||
一 「レベル」 | 0. 055 | 0. 054 | 0. 057 | 0. 052 |
[3. 38]*** | [3. 32]*** | [2. 19]** | [2. 40]** | |
二 「育児」 | 0. 074 | 0. 071 | 0. 170 | -0. 005 |
[2. 68]*** | [2. 57]** | [4. 04]*** | [0. 13] | |
三 | 0. 017 | |||
[0. 51] | ||||
四 | -0. 019 | |||
[0. 53] | ||||
五 | -0. 080 | |||
[1. 92]* | ||||
六 | -0. 063 | |||
[1. 51] | ||||
七 | -0. 023 | |||
[0. 54] | ||||
妻:就業中 | -0. 030 | -0. 040 | -0. 020 | -0. 057 |
[0. 48] | [0. 65] | [0. 21] | [0. 63] | |
妻:年齢 | -0. 136 | -0. 145 | -0. 003 | -0. 333 |
[1. 77]* | [1. 90]* | [0. 03] | [2. 88]*** | |
妻:年齢×年齢 | 0. 001 | 0. 001 | -0. 001 | 0. 004 |
[1. 14] | [1. 22] | [0. 49] | [2. 42]** | |
妻:学歴(中卒) | ||||
高卒 | 0. 175 | 0. 183 | 0. 356 | 0. 118 |
[0. 87] | [0. 90] | [1. 28] | [0. 42] | |
短大卒 | 0. 266 | 0. 285 | 0. 614 | 0. 129 |
[1. 33] | [1. 42] | [2. 18]** | [0. 46] | |
大卒 | 0. 213 | 0. 231 | 0. 478 | 0. 093 |
[1. 02] | [1. 10] | [1. 62] | [0. 32] | |
既存の子供の数 | -0. 545 | -0. 549 | -0. 657 | -0. 482 |
[12. 12]*** | [12. 18]*** | [8. 66]*** | [8. 57]*** | |
父母同居 | 0. 041 | 0. 039 | 0. 091 | -0. 001 |
[0. 58] | [0. 55] | [0. 83] | [0. 01] | |
祖父母同居 | -0. 074 | -0. 058 | -0. 334 | 0. 090 |
[0. 36] | [0. 28] | [0. 89] | [0. 39] | |
世帯所得 | 0. 005 | 0. 006 | 0. 007 | 0. 004 |
[0. 34] | [0. 37] | [0. 27] | [0. 18] | |
回答者が女性 | -0. 202 | -0. 191 | ||
[1. 99]** | [1. 89]* | |||
サンプル数 疑似決定係数 | 1, 405 0. 10 | 1, 405 0. 10 | 584 0. 11 | 821 0. 08 |
注) 括弧内は z 値の絶対値。有意水準:*10%,**5%,***1%。全サンプル:妻が出産可能年齢であり子供が一人以上いる家計。
4 推定結果
表 4 では,「子どもを(もう一人)持つことに対する希望」を被説明変数とし,説明変数について,夫の家事育児協力に関する主成分変数を採用
して順序プロビット推定を行った結果を示した。子どもを持つ既婚者全体をサンプルにしたケースとともに,解答者の性別でサンプルを分けた推定も行っている。以下ではこれらを全体サンプル,
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夫の家事育児参加と出産行動
453
夫サンプル,妻サンプルと呼ぶことにする。
表 4 を参照すると,全ての場合において,家事育児への全般的な協力を表す「レベル成分」がプラスに有意であった。すなわち,夫の家事育児への全般的な協力が「子どもxxxxx欲しい」と答える確率を有意に引き上げることが示された。また,子どもを持つ既婚者全体のサンプルと夫サンプルにおいては「育児成分」についてもプラスに有意である。夫が子どもの世話に熱心であるほど「子どもxxxxx欲しい」と答える確率が高いという結果であり,xx〔0006〕とも整合的といえる。なお,妻サンプルに限定すると「育児成分」が有意とならない理由としては,育児成分の構成において家事関連の変数のウエイトが全てマイナスであることが関係していると思われる。また,妻の就労の影響についてみると,いずれのサンプルにおいても,係数はマイナスであるが有意ではなかった。すなわち,既存の子どもの数や妻の年齢,世帯所得等の変数をコントロールした場合,妻の就労それ自体は「子どもを持つことに対する希望」に有意な影響は与えていない。なお,夫の育児協力の多寡によって,妻サンプルの妻就業ダミーの係数に大きな変化が見られるかを別に確認したが,大きな変化は見られなかった。夫の家事育児協力は妻の仕事と育児の両立を可能にすることを通じて「子どもを持つことに対する希望」に影響することも考えられるが,そのことを示す結果は得られなかった。夫の家事育児協力は妻の就業状態にかかわらず「子どもを持つことに
もの数を少なくするケースが存在する。これら双方の効果があるがゆえに,本稿で使用したデータでは,上記のような推定結果が得られたと考えられる。
以上の点をまとめると,夫の家事育児への協力は「子どもを持つことに対する希望」に,プラスの効果を与えていることが示唆される。また「子どもxxxxx欲しい」と思うことは,実際に子どもを産むことに対しても影響を与えていると考えられ,夫の家事育児への全般的な協力が進めば,出生率の引き上げに対しても一定の効果があると考えられる。
III 夫の家事育児協力を規定する要因
前章までの分析により,夫の家事育児協力が出生率の上昇に一定の効果を持つことがわかった。では,夫の家事育児協力はどのような要因によって決まるのだろうか。
家庭内と家庭外(労働市場)への夫婦の労働配分を議論するモデルは Beckxx〔0965〕,Willxx
〔1973〕や Gronau〔1976〕の家庭内生産関数を用いた先駆的研究以来,多くの議論がなされているが,夫の家事育児協力を規定する要因としてまず挙げられるのは,労働市場における比較優位,すなわち男女間賃金格差であろう。男女間賃金格差と家計内家事育児分担の関係は,次のような簡単な家計分業モデルを用いて説明することができる。
対する希望」を直接高めていると考えられる。 また,世帯所得に関しては「子どもを持つことに
max
n M ,n F ,h M ,h F
u = c + s + v(lM , lF ), (1)
1
対する希望」に対して明瞭な関係は観察されなか
s.t. c = wM n M + wF n F , (2)
った。所得の上昇が「子どもを持つことに対する
s = f (h
, h ) = ( hρ + ρ
(3)
希望」へ与える効果については,プラスとマイナ
M F M
hF ) ρ ,
スの両方の側面があることが,過去の先行研究でも論じられてきた。所得の上昇により,より多くの子どもを養えるという所得効果の存在は, Galox xxx Weil〔0996〕で論じられているが,その一方で,Willis〔1973〕が理論的に示したように,子どもの数と子どもの質の代替的関係にある場合には,家計所得の増大が,均衡における子ど
lM = 1 − n M − hM , (4)
lF = 1 − n F − hF . (5)
(1)は家計の効用関数である。家計の効用は消費 c, 家計内労働から得られるサービス s, 夫
(添字 M)と妻(添字 F)の余暇 l から構成される。v は夫婦の余暇から得られる効用を表し, v1,v2 >0,v11,v22 <0 を仮定する。(2) は予算
454
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
制約であり,wM,wF をそれぞれ夫と妻の賃金, nM,nF をそれぞれ夫と妻の労働時間として,労働市場で得た所得は全額消費される。(3) は, hM,hF をそれぞれ夫と妻の家計内労働時間とした家計内生産関数でありCES 型(ρ∈(-∞,1 )を仮定する。(4)(5)はそれぞれ夫と妻の時間制約である。
この問題が内点解をもつならば,一階の条件より,直ちに男女間賃金格差と男女間の家計内労働比率の関係が次のように表される。
− σ
を考えるためには,家計内労働分担比率が男女間賃金格差のみで説明できるのか,またそうでないとすれば何が夫の家事育児協力を妨げているのかを議論することが極めて重要である。
1 推定方法
本節では夫の家事育児参加の規定要因についてデータを用いた計量分析を行う。被説明変数には,夫の家事育児参加を表す各変数(夫の週あたり家事育児協力回数を夫婦の週あたり家事育児回数(合計値)で除した値)や,それらの諸変数か
hM = wM
hF wF
. (6)
ら抽出された主成分を使用する。また,説明変数としては,以下の 3 つのグループを考える。第x
xxx,σ ≡
1
1− ρ
である。以上より,夫婦間の
に,男女間の労働市場における比較優位性を表す
家計内労働分担比率と市場における賃金格差の間には負の関係があることがわかる。男女間賃金格差が大きいほど,夫が市場で働いた方が単位時間あたりで多く稼ぐことができるので,夫の家計内労働分担比率は低下する。また,この単純なモデルでは,夫婦間の家計内労働分担比率は,労働市場における男女間賃金格差のみで決まる。
わが国を含む多くの先進諸国において,男女間賃金格差が縮小傾向にあることはよく知られた事実である。このとき,上述のモデルによれば,夫の家事育児協力は進むはずであるが,図 2 で見たように,わが国の夫の家事育児協力は未だ非常に低い水準にとどまっている。この理由として,モデルでは考慮しなかった外部要因,たとえば夫が
正社員として勤務しているために,労働時間 nMに下限制約が存在していること,あるいは,「家事や育児は女性がやるべき」といった性別役割分担意識が,夫の家事育児協力を妨げていることが考えられる。
男女間賃金格差のみが家計内労働分担比率を規定しているのであれば,夫の家事育児協力を促進するには男女間賃金格差を縮小させる政策が有効である。また,女性の高学歴化が進み,労働市場での経験の蓄積もあって,男女間賃金格差は実際に縮小の方向に向かっている。しかしその他の要因が夫の家事育児協力に影響を与えているとするならば,必要な政策も異なってくる。有効な政策
変数として,夫婦間賃金格差,夫婦間学歴格差の 2 つの変数を用いる。ここで,夫婦間賃金格差は,夫の賃金と妻の賃金の対数差分として算出され,夫婦間学歴格差は,夫の修学年数と妻の修学年数の対数差分として算出される。調査票は,最終学歴を「高卒」「大卒」といった選択肢で回答させる形式であるが,ここでの修学年数とは,例えば「高卒」という回答については,小中高あわせて 12 年間修学していたものとして,12 という数値を当てはめたものである。これらの変数は,前節のモデルで示したように,夫が,家事育児協力を行う場合の機会費用を考慮した変数であり,これらの変数の数値が高いほど,家事育児協力が少なくなる方向へ動くと考えられる。第二に,時間制約を表す変数として,就業形態ダミーの 2 変数(xx雇用ダミー,自営業ダミー)と夫の労働時間,夫の通勤時間を用いる。第三に,性別役割分担意識を表す変数として,性別役割分担に関連する設問項目の回答結果を用いる。調査票では,
「仕事は男性、家庭は女性」「育児は女性」といった設問に対して,「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」「どちらともいえない」「どちらかといえばそう思う」「そう思う」という選択肢が設けられている。分析では,これらの選択肢に-2,-1,0,1,2 の数値を当てはめ,説明変数に加えることとする。
なお,被説明変数である,夫の家事育児参加を
夫の家事育児参加と出産行動
455
xxxxx分析
表 5 夫の家事育児参加の規定要因
主成分 | 家事協力 | 育児協力 | |||||||
レ ベ ル | 育 児 | 食事準備 | 食事片付 | 買 い 物 | 洗 濯 | 掃 除 | 遊 ぶ | 世 話 | |
(比較優位)夫婦賃金格差 夫婦学歴格差 | -0. 353 [3. 53]*** 0. 154 [0. 69] | -0. 032 [0. 61] -0. 058 [0. 49] | -0. 049 [1. 74]* -0. 034 [0. 54] | -0. 048 [1. 79]* 0. 013 [0. 22] | -0. 018 [0. 88] 0. 033 [0. 72] | -0. 076 [1. 80]* 0. 057 [0. 57] | -0. 061 [2. 19]** -0. 006 [0. 09] | -0. 026 [1. 72]* 0. 009 [0. 25] | -0. 049 [2. 79]*** -0. 008 [0. 21] |
(時間的余裕) | |||||||||
夫:xx雇用 | 0. 142 | 0. 384 | 0. 046 | 0. 190 | -0. 041 | -0. 011 | -0. 055 | 0. 110 | 0. 126 |
[0. 22] | [1. 13] | [0. 25] | [0. 97] | [0. 32] | [0. 04] | [0. 32] | [1. 12] | [1. 09] | |
夫:自営業 | 0. 405 | 0. 345 | 0. 167 | 0. 267 | 0. 012 | -0. 022 | -0. 132 | 0. 117 | 0. 158 |
[0. 61] | [0. 98] | [0. 90] | [1. 34] | [0. 09] | [0. 08] | [0. 74] | [1. 16] | [1. 33] | |
夫:労働時間 | -0. 116 | -0. 040 | -0. 035 | -0. 017 | -0. 014 | -0. 031 | -0. 009 | -0. 016 | -0. 021 |
[2. 84]*** | [1. 81]* | [3. 01]*** | [1. 56] | [1. 67]* | [1. 77]* | [0. 80] | [2. 53]** | [3. 00]*** | |
夫:通勤時間 | 0. 057 | -0. 358 | 0. 053 | 0. 038 | 0. 063 | 0. 093 | 0. 046 | -0. 082 | -0. 057 |
[0. 32] | [3. 80]*** | [1. 08] | [0. 80] | [1. 79]* | [1. 23] | [0. 93] | [3. 07]*** | [1. 80]* | |
妻:労働+通勤時間 | 0. 189 | -0. 023 | 0. 035 | 0. 031 | 0. 020 | 0. 085 | 0. 040 | 0. 007 | 0. 017 |
[5. 79]*** | [1. 32] | [3. 74]*** | [3. 41]*** | [2. 97]*** | [5. 57]*** | [4. 29]*** | [1. 39] | [2. 91]*** | |
(性別役割分担意識)家庭は女性 育児は女性 | -0. 107 [1. 73]* -0. 033 [0. 57] | 0. 016 [0. 47] -0. 060 [1. 98]** | -0. 071 [3. 71]*** 0. 003 [0. 21] | -0. 048 [2. 74]*** 0. 016 [1. 02] | -0. 017 [1. 34] -0. 010 [0. 84] | -0. 010 [0. 36] 0. 009 [0. 36] | -0. 017 [0. 97] -0. 006 [0. 38] | -0. 001 [0. 13] -0. 009 [1. 10] | -0. 015 [1. 37] -0. 026 [2. 63]*** |
定数項 | -0. 142 [0. 19] | 0. 442 [1. 13] | -0. 244 [1. 16] | -0. 404 [1. 87]* | 0. 027 [0. 18] | -0. 753 [2. 38]** | -0. 217 [1. 08] | 0. 390 [3. 50]*** | 0. 120 [0. 92] |
サンプル数 疑似決定係数 | 591 0. 03 | 591 0. 02 | 591 0. 04 | 591 0. 04 | 591 0. 02 | 591 0. 07 | 591 0. 04 | 591 0. 08 | 591 0. 09 |
注) 括弧内は z 値の絶対値。有意水準:*10%,**5%,***1%
全サンプル:妻が出産可能年齢であり子供が一人以上いる共働き家計。
Spring ’09
456
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
表す変数群について,図 2 からも読み取れるように,値がゼロのデータが相当数存在している。この場合,計量モデルとして通常のOLS を適用すると真の傾きよりゼロに偏ったものとなる問題が生じるため,これらの分析では,xxxxx推定を行って上記の問題に対処する。
表 5 は,上記の計量分析の推定結果をまとめたものである。推定結果を参照すると,多くの場合,夫婦間の賃金格差は,夫の家事育児参加に有意にマイナスの影響を与えている。これは理論モデルと整合的な結果といえる。妻と比べて夫の賃金が高いほど,夫が家計内労働を行う機会費用が大きいために,夫は家計内労働を行わない。ただし,いくつかの場合には,夫婦間の賃金格差は説明力を持っていない。例えば,育児協力を表す主成分を説明変数とした場合には,夫婦間の賃金格差は説明力を持たず,夫の育児協力に有意にマイナスの影響を与えているのは夫の時間制約や,性別役割分担意識を表す変数となっている。夫が育児に協力しないのは,男女間賃金格差による比較優位が原因ではなく,時間制約または「育児は女性が行うべき」といった性別役割分担意識が原因であることが示唆されている。
時間制約が有意にマイナスであることから,男性についても育児休業の取得を促進するなど,夫の時間制約を緩和する政策が,夫の家事育児参加を促進するためには有効と考えられる。しかし,性別役割分担意識に関係する変数の多くも有意にマイナスであるため,時間制約緩和政策の有効性が,家庭が持つ性別役割分担意識による影響を受けないかどうかについて,より詳細に検証する必要がある。例えば「育児は女性が行うべき」といった性別役割分担意識が夫の育児協力を妨げている場合,たとえ時間制約が緩和されたとしても,自身のポリシーに反するとして夫が育児に協力しない可能性が考えられる。この場合は,時間制約の緩和とともに,性別役割分担に対する意識改革も必要ということになろう。この点について次節で検討する。
表 6 時間制約緩和政策の有効性
xxxxx分析
レベル成分 | 育児成分 | |
(比較優位) | ||
夫婦収入格差 | -0. 340 | -0. 074 |
[3. 46]*** | [1. 39] | |
夫婦学歴格差 | 0. 162 | -0. 075 |
[0. 72] | [0. 63] | |
(時間的余裕) | ||
夫:xx雇用 | 0. 139 | 0. 374 |
[0. 21] | [1. 09] | |
夫:自営業 | 0. 370 | 0. 391 |
[0. 56] | [1. 11] | |
妻:労働+通勤時間 | 0. 190 | -0. 020 |
[5. 81]*** | [1. 14] | |
家庭は女性(Yes) | ||
夫:労働+通勤時間 | -0. 119 | |
[2. 99]*** | ||
家庭は女性(No) | ||
夫:労働+通勤時間 | -0. 098 | |
[2. 46]** | ||
育児は女性(Yes) | ||
夫:労働+通勤時間 | -0. 064 | |
[2. 92]*** | ||
育児は女性(No) | ||
夫:労働+通勤時間 | -0. 056 | |
[2. 63]*** | ||
(性別役割分担意識) | ||
家庭は女性 | 0. 003 | |
[0. 10] | ||
育児は女性 | -0. 048 | |
[0. 86] | ||
定数項 | -0. 102 | 0. 490 |
[0. 14] | [1. 24] | |
サンプル数 | 591 | 591 |
疑似決定係数 | 0. 03 | 0. 01 |
注) 括弧内は z 値の絶対値。有意水準:*10%,**5%,*
**1%。
全サンプル:妻が出産可能年齢であり子供が一人以上いる共働き家計。
2 制約が育児協力に与える効果
本節では,性別役割分担意識に関する変数と時間制約変数のクロス項を説明変数に追加した分析を新たに行う。具体的には「家庭は女性が守るべき」および「育児は女性が行うべき」という設問に対して,回答者が「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」を選択している場合とそう
Spring ’09
夫の家事育児参加と出産行動
457
ではない場合について,係数ダミーを利用した場合分けを行い,時間制約変数が家事育児協力に与える影響について係数が異なるかどうかを確認した。
これらの推定結果は表 6 に示される。推定結果を見ると,性別役割分担意識の有無にかかわらず,夫の時間制約の係数はほとんど異ならない。全ての場合において,係数はマイナスで有意であり,時間制約の緩和によって夫の家事育児協力が促進されることが示唆されている。係数の絶対値を比較して判断するならば,むしろ回答者が「家庭は女性が守るべき」または「育児は女性が行うべき」という意識を持っている場合の方が,時間制約が夫の家事育児協力を妨げている傾向にある。このことは「家庭は女性が守るべき」または
「育児は女性が行うべき」と考えている家庭においてこそ,時間制約が緩和されれば,夫の家事育児協力により高い効果が現れる可能性を示唆している。
この解釈として「夫が家庭の時間を確保することが困難であるから」といった現状認識が背景としてあるがゆえに「家事育児は女性が行うべき」と答えている回答者が相当数いる可能性が考えられる。夫の厳しい時間制約が「家事育児は女性が行うべき」という性別役割分担意識の形成と,実際に女性の家事育児分担が高まるという事実の両方に影響を与えていた可能性がある。上記の推定結果から判断するならば,夫の育児休業取得の促進など,夫の労働時間に対する下限制約を緩和する政策は,世帯における現状の性別役割分担意識の有無に関わらず,有効であると考えられる。
IV まとめ
(第一主成分)は,各種の変数をコントロールした場合においても,「子どもをもう一人持ちたい」とする希望にプラスの影響を与えている。第 2 に,夫の全般的な家事育児協力の規定要因に関しては,簡単な理論モデルで示されるように,夫婦間の労働市場における比較優位(夫婦間の賃金格差)が一定の影響を与えている。一方で,育児協力(第二主成分)については,むしろ,夫の労働時間や通勤時間など,労働におけるさまざまな時間制約がマイナスの影響を与えている可能性が示された。
厚生労働省「平成 19 年度女性雇用管理基本調査」によると,在職中に出産した者または配偶者が出産した者に占める育児休業取得者の割合(育児休業取得率)は,女性の 88. 5% に対して,男性は 0. 57% と相当低位にとどまっている。男性の育児休業取得率が低いもっとも大きな理由は,夫の収入が家計を支えている家庭が大半の中で,夫が育児休業をとることが,家計の圧迫につながるためであると考えられる〔xx,2006〕。したがって,男性およびその家庭のニーズにより即した制度とするため,短期の育児休業にはより手厚い所得補償を用意する,育児休業を分割して取得することを認めるなど,個々の実情にあわせた公的支援がより一層整備されることが望まれる。
今後,男性の育児休業取得の促進など,夫の労働供給に対する下限制約を緩和する政策がさらに進展することにより,夫の家事育児に対する協力が進み,出生率にも一定の正の影響を及ぼすことが期待される5)。
(平成 20 年 5 月投稿受理)
(平成 20 年 12 月採用決定)
本稿では,夫の家事育児参加が出産に対する意識にどのような影響を与えるのか,また夫の家事育児参加がどのような要因によって決まるのかについて,大規模なミクロデータをもとにして検証を行った。本稿の実証分析により得られた結果は,要約すると以下の通りである。
第 1 に,夫の家事育児に対する全般的な協力
謝辞
本稿の作成にあたり,xxxxxx(神戸大学),xxxx准教授(神戸大学),xxxxxx
(神戸大学)より有益なコメントをいただいた。記して感謝申し上げたい。
本稿の分析にあたっては,東京大学社会科学研究所附属日本社会研究情報センターSSJ データアーカイブから「家族についての全国調査,2004
458
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
(日本家族社会学会全国家族調査委員会)」の個票データの提供を受けました。記して感謝いたします。
注
1) 家事育児労働の項目名は,本稿では一部省略して記述している。省略した項目名と実際の質問項目名との対応は次の通り,「買い物:食料品や日用品の買い物」「掃除:そうじ(部屋,風呂,トイレなど)」「子供と遊ぶ:子どもと遊ぶこと」「子供の世話:子どもの身の回りの世話」。
2) 分析の被説明変数は家計に「子どもxxxxx欲しいかどうか」という希望を問うているが,このことは「実際に子どもを生むかどうか」とは別次元の問題であるといえる。しかし
ながら,xx〔0006〕の分析にも見られるよう
Vol. 106, No. 4, pp. 745‒763.
Beckxx, X. X. (0065) “A Theory of the Allocation of Time,” Economic Journal, Vol. 75, No. 299, pp. 493‒
517.
Galox, X. xxx D. Weil (0096) “The Gender Gap, Fertility and Grouth,” American Economic Review, Vol. 86, No. 3, pp. 374‒383.
Gronxx, X. (0076) “Leisure, Home Production and Work‒The Theory of The Allocation of Time Revisited.” NBER Working Paper No. 137.
Martxxxx, X. and A. Iza (2004) “Skill Premium Effects on Fertility and Female Labor Force Supply,” Journal of Population Economics, Vol. 17, pp. 1‒16.
Sleexxx, X. X. (0003) “Low Fertility Rates in OECD Countries: Facts and Policy Responces.” OECD Social, Employment and Migration Working Papers No. 15.
Willxx, X. X. (0073) “A New Approach to the Economic
に,子どもを持つことへの予定ないし希望は実際に子どもを産むために必要な条件の 1 つと考えられる。また,意識変数を被説明変数にする問題を回避するために,第xx出生確率や第二子出生確率を被説明変数とする場合には「子どもがいるから夫が家事育児を手伝っている」という逆の因果関係を排除する必要が生じるという問題がある。そのため、本稿では上記の変数を被説明変数として使用した。
3) たとえば数学と英語の試験結果の加重和から,学力という新しい指標を作成するとき,数学の試験結果が全員同じ点数であったならば,数学の試験結果からは学力についてなんの情報も得ることができない。主成分分析ではこのような場合,数学の試験結果にウエイトをおかず,分散が大きい英語の試験結果にウエイトをおいて学力という新しい指標を作成する。
4) 主成分分析は K 次元空間上の点(x ,x ,...,
Theory of Fertility Behavior,” Journal of Political Economy, Vol. 81, pp. S14‒S64.
xxxx(0000)「出産,結婚および労働市場の計量分析」,『人口問題研究』,第 56 巻,第 1 号, pp. 38‒60。
xxxx(0007)「男性の育児参加は少子化対策として有効なのか?」,『人口学研究』,第 41 巻, pp. 9‒21。
xxxxx(0996)「出生率の推移と女子の社会進出」,『大阪大学経済学』,第 45 巻,pp. 65‒74。 xxxxx・x日xx(1999)「保育政策が出産の
意志決定と就業に与える影響」,『季刊社会保障研究』,第 35 巻,第 2 号,pp. 192‒207。
xxxxx・xxxx(0003)「出産と育児の両立を目指して―結婚・就業選択と既婚・就業女性に対する育児休業制度の効果を中心に」,『季刊社会保障研究』,第 39 巻,第 1 号,pp. 43‒54。
xxxx(0999)「育児のコストと出生力」,xx
x 0 0 誠(編)『家族政策および労働政策が出生力およ
K)を新たに設定した座標軸に射影することに
等しい。K 次元空間上の点は高々 K 個の座標により完全に記述することができる。
5) 表 4 と表 5 では,対象サンプルが異なっているために,ここでの議論は限定的なものであるが,サンプル数をそろえて(共働きサンプルに限定して)分析した場合にも表 4 の結果は大きく異ならなかった。すなわち,共働きサンプルに限定した場合,「時間制約の緩和は夫の家事育児協力を促進し」さらに「夫の家事育児協力は子どもをもう一人持ちたいという希望を高める」と言える。
x x x x
Apps, P. and R. Rees (0004) “Fertility, Taxation and Family Policy,” Scandinavian Journal of Economics,
び人口に及ぼす影響に関する研究』,厚生科学研究費研究報告書(H10‒政策‒032),pp. 137‒166。 xx(x並)xx(0006)「夫の家計内生産活動が夫婦の追加予定子供数へ及ぼす影響」,『人口学
研究』,第 38 巻,pp. 21‒40。
xxxx(0002)「父親の育児参加促進策の方向性」,国立社会保障・人口問題研究所(編)『少子社会の子育て支援 』, 東京大学出版会, pp. 313‒330。
――――(2005)「男性の家事・育児参加と女性の就業促進」,xxxx(x)『現代女性の労働・結婚・子育て』,ミネルヴァ書房,第 4 章。
――――(2006)「男性の育児休業取得はなぜ進まないか―求められる日本男性のニーズに合った制度への変更」。Life Design Report‒Watching,
Spring ’09
夫の家事育児参加と出産行動
459
第一生命経済研究所。
xxxx(2006)「家計の時間配分行動と父親の育児参加」,『季刊社会保障研究』,第 42 巻,第 2号,pp. 149‒164。
(こば・たけし 神戸大学学術推進研究員)
(やすおか・まさや 北九州市立大学准教授)
(うらかわ・くにお 九州大学講師)
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 究 Vol. 44 No. 4
460
人工透析患者における外来受診行動についての分析
x | x | x | x |
x | x | x | x |
x x xxx
x 要
慢性腎不全で人工透析を受けている患者の人工透析部分での自己負担上限額は,上位所得者は 2
万円,それ以外の所得者は 1 万円となっており,自己負担額の上限は設定されている。しかし,人工透析以外の医療サービスについては,上限額の設定は行われているわけではなく , 自己負担率を負担する必要がある。人工透析部分の医療サービスについては,生命に直接関係するため,所得に関係のない必需品であるといえるが,人工透析以外の医療サービスについては,所得階層によって財の性質が異なり,受診行動に違いが生じている可能性がある。そこで本稿では,上記の問題を検討するため,人工透析を受診している患者の所得と受診行動の関係を明らかにすることを目的として,人工透析の自己負担限度額が所得に関係なく 1 万円だった時期の人工透析患者を対象として,レセプトデータを用いた分析を行う。ただし,分析上の問題として,人工透析以外での医療機関への受診については,1 カ月間に 1 度も受診しない個人がかなりの割合を占めていた。そのため本研究では,xxの整数値をとる count data モデルを用い,人工透析以外での外来受診が一度もなかった患者も含め,さらに,外来受診の有無と,その後の受診の決定が分離したHurdle Negative Binominal Model(HNBM)を用いて分析を行った。分析結果より,以下が明らかとなった。人工
透析患者全体では,住民税非課税世帯,住民税課税世帯,上位所得者と所得階層が上がっていくほど,人工透析以外での外来受診の確率は高くなり,受診回数も多くなる傾向にある。加えて,65歳未満で上位所得者に属する人工透析患者が人工透析以外で外来受診する確率は他の患者よりも
50. 5% ポイント高く,受診回数も 1. 572 回多くなっている。
I はじめに
厚生労働省は医療費適正化の観点から,平成 17 年の医療法改正において,高額療養費の基準額(自己負担限度額)の見直しを行った。この改正を受けて 2006 年 10 月より,慢性腎不全で人工透析を受けている患者のうち,70 歳未満で所得の多い者の自己負担限度額は 1 万円から 2 万円に引き上げられた。
人工透析に要する医療費というのは,外来の場合で 1 日 4 時間・週 3 回前後の透析を受けて月平
均 35 万円程度であり,インシュリン注射やエリスロポエチン注射等で生じる医療費の加算があると 50 万円程度になるとされている1)。加えて,病状は長期間にわたって持続するので,全体としての医療費は非常に高額なものになる。そのため,国の財政的な負担は非常に大きく,医療保険財政が悪化している現在の状況を考えると,患者の所得に応じて相応の負担を強いるという今回の改正の主旨は納得のいくものである。
Spring ’09
人工透析患者における外来受診行動についての分析
461
700
600
500
400
人
300
200
100
0
0 2 4 6 8 10 12 14 16 1 8 20 23 27 31
受診回数
出所) 筆者作成。
図 1 人工透析患者の人工透析外での受診回数
ただし,人工透析を受けている患者は,当然ながら人工透析以外の医療サービスも受診する。上記のように,人工透析を受けている患者は週 3 回前後の透析治療が必要となってくるため,人工透析部分の受診回数を増減させるのは生命に関わることになる。それに比べれば,人工透析以外での医療機関への受診については,患者の意思で,医療機関への受診が決定されている余地が大きいと考えられる。
このような考え方に従うならば,人工透析を受けている患者において,人工透析部分の医療サービスについては所得に関係なく必需品であるといえるが,人工透析以外の医療サービスについては,所得階層によって財の性質が異なり,受診行動の違いが生じている可能性がある。
そこで本稿では,上記の問題を検討するため,人工透析を受診している患者の所得と受診行動の関係を明らかにすることを目的として,人工透析の自己負担限度額が所得に関係なく 1 万円だった時期の人工透析患者を対象として,レセプトデータを用いた分析を行う。人工透析患者における人工透析以外の部分での患者の受診行動と所得の関
係を実証的に分析した研究というのは,筆者が知る限り行われていない2)。
ただし,患者の受診行動を分析するにあたって,受診しなかった患者をどのように扱うかという問題がある。図 1 は本稿で用いたレセプトデータから得られた,人工透析患者における人工透析以外での医療機関への外来受診回数を示しているが,人工透析以外での医療機関への外来受診については,ある期間に一度も受診しない個人がかなりの割合を占めていることが確認できる。これらの患者を除いて分析をすることは,受診回数が 0の患者を適切に取り扱うことができていない。そのため本稿では,xxの整数値をとるcount dataモデルを用い,人工透析以外での外来受診が一度もなかった患者も含め,さらに,外来受診の有無と, その後の受診の決定が分離した Hurdle Negative Binominal Model(HNBM)を用いて分析を行う。
近年,日本でも HNBM を用いた分析は行われてきており,1997 年の医療保険制度の改定による 外 来 受 診 の 変 化 を 分 析 し た 吉 田・ x x
〔2000〕,これに加えて自己負担率の弾力性を議論
462
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
した Yoshxxx xxx Xxxxxx〔0002〕,1997 年の医療保険制度の改定による歯科の外来受診の変化を分
Pr [y ]= f1(0)
2
Pr [y ]= 1− f1 (0) × f ( y)
if y = 0,
if y ≥ 1.
析したxx・xx〔0004〕,老人保健制度適用による外来受診の変化を分析したxx〔2004〕, 1999 年の老人保健適用者への外来薬剤費一部負担無料化の効果を分析したxx・xx〔2005〕などがある。
以下,II で推定モデルについて説明し,III でデータの作成方法を示す。IV では HNBM による
1− f2 (0)
i
1
として求められる。そして,yi, x x 1, ・・・, N を被説明変数となる count data,xi ~K×1 を説明変数のベクトルとすると,この HNBM の確率密度関数は以下のように表すことができる。受診するか否かを示す,2 値選択部分は通常 f1 (0) = (1+ exp( x' β ))−1 と logit モデルにて特定化される。他
分析結果の解釈を行い,V で本稿のまとめと課題に触れる。
方,受診後の 0 で truncate された部分については NBM を仮定し,
Γ( y +ψ )
⎡⎛ λ +ψ ⎞
⎤−1
f ( y | x , y > 0) = i 2,i ⎮⎮ 2,i 2,i ⎮ −1⎮
II 推定モデル
医療経済学において HNBM を用いる利点は,
2 i i i
2,i
⎛ λ ⎞yi
Γ(ψ
2,i )Γ( yi + 1)
⎮⎣⎮⎝
ψ 2,i
⎠⎮ ⎮⎦
× ⎮ λ +ψ ⎮
異なった意思決定が混在するモデルに対応できる
⎝ 2,i 2,i ⎠
こ と に あ る。Pohlxxxxx xxx Ulrixx〔0995〕 や
とする。λ2,i = exp(x' β 2 ),ψ
2,i
−1 k
= α λ
2,i
である。ただ
i
Gerdxxxx〔0997〕が主張しているように,受診するかしないかを決定する段階においては,患者の意思が大きく影響しているといえるが,その後の受診回数については,医師の及ぼす影響といった,患者自身の意思以外の要因も強く働いているといえる。したがって,受診するかどうかという意思決定と何日受診するかという意思決定は独立した行動として捉える必要がある。
し, β1 , β 2 ~ K ×1 はパラメーターベクトルであり,α は Negative Binominal モデルの係数である。 そ し て,k=1 の と き を Hurdle Negative Binominal 1 Model(HNB1),k=0 の と き を Hurdle Negative Binominal 2 Model(HNB2) と呼ぶ。
また,HNBM における被説明変数 yi の平均,分散については以下のようになる。
HNBM とは,観測されるデータにおいて 0 の頻度が Negative Binominal Model(NBM) と比
較して非常に高い点に注目したモデルであり,0
E( y
| x ) = (1 − f1 (0)) × λ
i i
(1 − f 2 (0))
(1− f (0))
2,i
の頻度が高くなるのは,0‒1 の部分と 1 以上の部
V ( yi | xi ) =
1
(1− f2 (0))
分では異なったデータ発生過程に対応しているた
・⎡λ
+α λ 2−k + ⎛1− (1− f1 (0)) ⎞λ 2 ⎤
めと考える。そのため,上記の独立した意思決定
⎮ 2,i
2,i
2,i
⎮ (1− f (0)) ⎮
2,i ⎮
の問題に対応できる分析手法であり,principal‒ ⎣
agent 仮説を近似するモデルとみなされることも
⎝ 2 ⎠ ⎦
ある3)。
本稿の HNBM では,医療機関で受診するか否かという 0 か 1 かの選択に関しては f1 という累積分布関数に従い,そして一度受診した後に何日受診するかは 0 で truncate された f2 という密度関数に従うと仮定する。したがって,HNBM の分布は,
III データの説明
本稿で用いたデータは,A 県下のある市町村の協力によって得ることができた,国民健康保険診療報酬明細書(レセプト)および被保険者本人マスタ(5 万人以下), 被保険者家族マスタである。レセプトデータは,医療機関が保険者に対して医療費の請求を行う際に発生するデータであ
Spring ’09
人工透析患者における外来受診行動についての分析
463
り,被保険者本人マスタは,保険者が被保険者の加入情報をまとめたデータ,被保険者家族マスタは本人マスタを家族ごとにまとめたマスタである。両者を用いることで,ある年月の被保険者の受診回数(受診回数 0 を含む)を正確に把握することができる。なおデータとして用いた A 県下のある市町村は,県庁所在地の近隣にあり,総人口 10 万人以下,高齢者化率は全国平均を下回っている。そのため,結果についての解釈には,一定の留意は必要である。
データ期間は 2004 年 4 月から 2006 年 8 月までのため,人工透析にかかる上位所得世帯への自己負担限度額の引き上げが行われる前のものである。レセプトには, 個人 ID 番号・世帯 ID 番号・生年月日・年齢・性別・診療区分・受診(受療)年月・決定点数・受診(受療)日数(受診実日数)・自己負担額・ICD10 コード(ただし各年 5 月のみ)などが記載されている。被保険者本人マスタには, 個人 ID 番号・世帯 ID 番号・続柄・性別・生年月日などが記載されている。被保険者家族マスタには,世帯 ID 番号・住民税課税状況(当年,前年,前々年)・老人保健住民税課税状況(当年・前年・前々年)などが記載されている。
本稿の分析対象である慢性腎不全で人工透析を受けている患者のレセプト特定化については,xx・ 林・ xx・ xx〔0004〕 に則り, 以下の
(1)~(5)の手順にしたがった。また,人工透析以外の月単位での外来受診部分のレセプトについては,以下の(6)~(9)の手順にしたがって特定した。
(1) 腎不全に関する疾病コード(code: 1402)を有する,主病名の把握できる 5 月の患者のレセプトを抽出する
(2) 疾病コード(code:1402)を有する患者の被保険者 ID を確認し,その ID の患者の全レセプトを抽出する
(3)(2)で抽出されたデータのうち,診療実日数が 8 日以上のデータを抽出する
(4) 人工透析の診療報酬点数は 1960 点であるため,(3)で抽出したレセプトのうち,こ
の数字以下の点数しか算定されていない患者のレセプトを除く
(5) 人工透析患者は毎月定期的に人工透析を受ける必要があるため,上記の(3)(4)の条件を満たすレセプトのうち,連続 10 カ月以上受診していた患者のレセプトを抽出し,これらのレセプトを人工透析部分のレセプトとする
(6)(2)で抽出された全レセプトから,(5)で人工透析を受けていると特定された患者の全レセプトを抽出する
(7)(6)で抽出されたレセプトから,人工透析部分のレセプトを除く
(8) 本稿の目的は人工透析患者の人工透析以外での外来受診と所得の関係を分析することにあるため,(7)で得られたレセプトから入院があった月のレセプトを除外する
(9)(8)で得られたレセプトを患者ごとに月単位で集計し,その集計したものを人工透析以外での外来受診部分のレセプトとする
最後に,マスタデータを利用して,上記の手順で得られた人工透析以外で医療機関へ受診した患者のレセプトと,その患者の世帯所得とを一致させる必要がある。そのため,レセプトに記載されている患者の個人 ID 番号と被保険者本人マスタに記載されている個人 ID 番号を一致させ,人工透析を受けていると特定された患者の世帯ID 番号を確認する。そして,その世帯 ID 番号と被保険者家族マスタの世帯 ID 番号を一致させることで,人工透析患者の世帯所得を確認した。
IV 推定結果
1 記述統計量
表 1 は,III で記した手順から得られた人工透析を受けている患者全員,その人工透析を受けている患者全員から 65 歳未満を抽出したグループ,65 歳以上を抽出したグループの記述統計量を示している。65 歳で人工透析患者を分類したのは,高齢者と高齢者以外の人工透析患者の所得と受診回数の関係を比較するためである4)。
464
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 究
表 1 記述統計量
Vol. 44 No. 4
全サンプル | 65 歳未満 | 65 歳以上 | |||||||||||
x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 x | x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 x | x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 大 | ||
所得 | 住民税非課税世帯 | 0.332 | 0.471 | 0 | 1 | 0.395 | 0.489 | 0 | 1 | 0.278 | 0.448 | 0 | 1 |
住民税課税世帯 | 0.609 | 0.488 | 0 | 1 | 0.543 | 0.498 | 0 | 1 | 0.664 | 0.473 | 0 | 1 | |
上位所得世帯 | 0.060 | 0.237 | 0 | 1 | 0.062 | 0.241 | 0 | 1 | 0.058 | 0.234 | 0 | 1 | |
外来受診回数 | 人工透析 | 12.976 | 0.806 | 9 | 15 | 13.031 | 0.696 | 9 | 15 | 12.929 | 0.885 | 9 | 15 |
人工透析以外 | 2.864 | 3.925 | 0 | 31 | 3.196 | 4.173 | 0 | 24 | 2.582 | 3.682 | 0 | 31 | |
人工透析以外の受診回数 0 の割合 | 0.390 (39.0%) | 0.488 (632 人) | 0 | 1 | 0.380 (38.0%) | 0.486 (283 人) | 0 | 1 | 0.397 (39.7%) | 0.490 (349 人) | 0 | 1 | |
外来医療費 | 人工透析 人工透析以外 | 416,123.600 26,530.810 | 54,403.750 46,589.270 | 254,930 0 | 717,470 604,820 | 425,578.500 27,075.530 | 48,316.840 42,208.160 | 270,090 0 | 619,770 436,460 | 408,111.600 26,069.220 | 57,902.980 50,021.600 | 254,930 0 | 717,470 604,820 |
自己負担率 | 1 割 2 割 3 割 | 0.519 0.011 0.470 | 0.500 0.105 0.499 | 0 0 0 | 1 1 1 | 0.004 0.996 | 0.063 0.063 | 0 0 | 1 1 | 0.956 0.021 0.024 | 0.206 0.142 0.153 | 0 0 0 | 1 1 1 |
性別ダミー(男=1) | 0.742 | 0.438 | 0 | 1 | 0.640 | 0.480 | 0 | 1 | 0.828 | 0.378 | 0 | 1 | |
年齢 | 60 歳未満 | 0.301 | 0.459 | 0 | 1 | 0.657 | 0.475 | 0 | 1 | ||||
60~64 歳 | 0.157 | 0.364 | 0 | 1 | 0.343 | 0.475 | 0 | 1 | |||||
65~69 歳 | 0.298 | 0.458 | 0 | 1 | 0.551 | 0.498 | 0 | 1 | |||||
70~74 歳 | 0.131 | 0.338 | 0 | 1 | 0.243 | 0.429 | 0 | 1 | |||||
75 歳以上 | 0.112 | 0.315 | 0 | 1 | 0.206 | 0.405 | 0 | 1 | |||||
季節ダミー | 1~3 月 | 0.314 | 0.464 | 0 | 1 | 0.309 | 0.462 | 0 | 1 | 0.318 | 0.466 | 0 | 1 |
4~6 月 | 0.268 | 0.443 | 0 | 1 | 0.262 | 0.440 | 0 | 1 | 0.273 | 0.446 | 0 | 1 | |
7~9 月 | 0.206 | 0.404 | 0 | 1 | 0.214 | 0.410 | 0 | 1 | 0.199 | 0.400 | 0 | 1 | |
10~12 月 | 0.212 | 0.409 | 0 | 1 | 0.215 | 0.411 | 0 | 1 | 0.210 | 0.407 | 0 | 1 | |
サンプル数 | 1,622 | 744 | 878 |
通院日数 0 を除いた記述統計量
全サンプル | 65 歳未満 | 65 歳以上 | |||||||||||
x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 x | x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 x | x x | 標準偏差 | 最 小 | 最 大 | ||
外来受診回数 | 人工透析 人工透析以外 | 12.962 4.692 | 0.832 4.083 | 9 1 | 15 31 | 13.028 5.158 | 0.723 4.240 | 9 1 | 15 24 | 12.904 4.285 | 0.913 3.899 | 9 1 | 15 31 |
外来医療費 | 人工透析 人工透析以外 | 417,277.700 43,467.650 | 58,949.560 53,109.910 | 255,000 000 | 000,470 604,820 | 420,532.300 43,696.730 | 47,977.570 46,364.700 | 270,090 700 | 595,890 436,460 | 414,441.600 43,268.010 | 66,980.850 58,399.340 | 255,000 000 | 000,470 604,820 |
自己負担率 | 1 割 2 割 3 割 | 0.502 0.014 0.484 | 0.500 0.118 0.500 | 0 0 0 | 1 1 1 | 0.007 0.993 | 0.080 0.080 | 0 0 | 1 1 | 0.934 0.026 0.040 | 0.249 0.161 0.195 | 0 0 0 | 1 1 1 |
性別ダミー(男=1) | 0.753 | 0.432 | 0 | 1 | 0.625 | 0.485 | 0 | 1 | 0.864 | 0.343 | 0 | 1 | |
サンプル数 | 990 | 461 | 529 |
注)1) サンプルユニットは,月単位で集計された数値を用いている。
2) 上位所得世帯は課税所得額 145 万円以上。出所) 筆者作成。
本稿の目的は,人工透析を受けている患者の所得と外来受診の関係を分析することにあるため,自己負担率が同じ患者を対象にしたほうが,より精緻な分析が行えると考えられる5)。そのため, 65 歳を基準に患者を 2 つのグループに分類した 6)7)8)。
まず,人工透析患者における人工透析部分での受診回数についてみていくと,受診回数の平均は
12. 976 日で 12‒15 日の患者が全体の 95% 以上を占めている。そして,65 歳未満と 65 歳以上を比較しても,それぞれ 13. 031 日,12. 929 日になっており,人工透析部分での受診回数については, 65 歳未満の患者と 65 歳以上の患者の差はほとんどないといえる。医療費の平均についても,全患者で 41 万 6, 124 円,65 歳未満のグループで 42万 5, 579 円,65 歳以上のグループで 40 万 8, 112
Spring ’09
人工透析患者における外来受診行動についての分析
465
円と若干の違いはあるが,xx・林・xx・xx
〔2004〕が示した金額に近い数値になっている。また,所得階層別にみた受診回数を示す表 2 に注目しても,特に所得階層が高くなるほど,受診回数が多くなるといった傾向は認められない。
次に,人工透析患者における人工透析以外での外来受診(および受診回数 0 を除いた場合)についてみていく。1 カ月あたりの平均受診回数は,全患者を対象にしたケースで 2. 864(4. 692)日,65 歳 未 満 を 対 象 に し た ケ ー ス で 3. 196
(5. 158) 日,65 歳以上を対象にしたケースで
2. 582(4. 285)日になっており,65 歳以上の患
者の平均受診回数の方が少なくなっている。また,1 カ月間に人工透析以外で外来受診をしなかった,受診回数 0 の患者については,それぞれ 632 人,283 人,349 人, 比 率 で は 39. 0%,
38. 0%,39. 7% になっており,受診回数 0 の患者が非常に多いことが確認できる。
所得階層別に受診回数を示した,表 2 の人工透
析以外の受診回数(および受診回数 0 を除いた場合)に注目すると,全患者をサンプルに用いたケースでは,低位所得者層に該当する住民税非課税世帯で平均 2. 015(4. 185)日,中位所得者層に該当する住民税課税世帯で平均 3. 116(4. 617)
表 2 世帯所得別の外来受診回数記述統計量
全サンプル | 全サンプル(受診回数 0 を除く) | |||||
外来受診回数 | 外来受診回数 | |||||
所得階層 | 人工透析 | 人工透析以外 | 人工透析以外の受診回数 0 の割合 | 人工透析以外の受診回数 0 の人数 | 人工透析 | 人工透析以外 |
住民税非課税世帯 | 13. 043 (0. 592) | 2. 015 (3. 144) | 0. 519 (0. 500) | 279 人 | 13. 012 (0. 662) | 4. 185 (3. 384) |
住民税課税世帯 | 12. 927 (0. 915) | 3. 116 (3. 837) | 0. 325 (0. 469) | 321 人 | 12. 925 (0. 903) | 4. 617 (3. 857) |
上位所得世帯 | 13. 103 (0. 586) | 5. 010 (6. 661) | 0. 330 (0. 473) | 32 人 | 13. 138 (0. 634) | 7. 477 (6. 915) |
65 歳未満 | 65 歳未満(受診回数 0 を除く) | |||||
外来受診回数 | 外来受診回数 | |||||
所得階層 | 人工透析 | 人工透析以外 | 人工透析以外の受診回数 0 の割合 | 人工透析以外の受診回数 0 の人数 | 人工透析 | 人工透析以外 |
住民税非課税世帯 | 13. 044 (0. 556) | 2. 643 (3. 605) | 0. 473 (0. 500) | 139 人 | 13. 077 (0. 541) | 5. 013 (3. 573) |
住民税課税世帯 | 13. 000 (0. 788) | 2. 881 (3. 458) | 0. 344 (0. 476) | 139 人 | 12. 966 (0. 813) | 4. 392 (3. 404) |
上位所得世帯 | 13. 217 (0. 629) | 9. 500 (7. 232) | 0. 109 (0. 315) | 5 人 | 13. 244 (0. 663) | 10. 659 (6. 796) |
65 歳以上 | 65 歳以上(受診回数 0 を除く) | |||||
外来受診回数 | 外来受診回数 | |||||
所得階層 | 人工透析 | 人工透析以外 | 人工透析以外の受診回数 0 の割合 | 人工透析以外の受診回数 0 の人数 | 人工透析 | 人工透析以外 |
住民税非課税世帯 | 13. 041 | 1. 258 | 0. 574 | 140 人 | 13. 077 | 5. 013 |
(0. 634) | (2. 263) | (0. 496) | (0. 541) | (3. 573) | ||
住民税課税世帯 | 12. 877 | 3. 278 | 0. 312 | 182 人 | 12. 966 | 4. 392 |
(0. 991) | (4. 073) | (0. 464) | (0. 813) | (3.404) | ||
上位所得世帯 | 13. 000 | 0. 961 | 0. 529 | 27 人 | 13. 244 | 10. 659 |
(0. 529) | (1. 685) | (0. 504) | (0. 663) | (6. 796) |
注) 表の値は平均値,括弧内は標準偏差を表す。出所) 筆者作成。
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季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
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日,上位所得層に該当する上位所得世帯で平均
5. 010(7. 477)日と,世帯所得が上昇するにつれて患者の平均受診回数は増加している。65 歳未満のグループについては,住民税非課税世帯と住民税課税世帯に属する人工透析患者の間では,平均受診回数に大きな違いはないが,上位所得世帯に属する人工透析患者の平均受診回数については
9. 500(10. 659)日と非常に大きな数値を示している。それに対して,65 歳以上のグループでは,住民税非課税世帯に属する人工透析患者は
1. 258(5. 013)日,住民税課税世帯に属する人工透析患者は 3. 278(4. 392)日となっており,住民税非課税世帯に属する人工透析患者よりも住民税課税世帯に属する人工透析患者のほうが多く外来受診していることが確認できる。ただし,上位所得世帯に属する人工透析患者における外来受診回数の平均は,最も少ない数値である 0. 961 日を示している9)。
2 HNBM による推定結果
表 3 は HNB1,HNB2 による推定結果を示している。本稿の推定において,所得については「住民税非課税世帯」,自己負担率は「1 割」,性別は
「女性」,年齢は「60 歳未満」を基準としているので,推定されたダミー変数の係数は,この基準からの乖離を示していることになる。また,表の各 モ デ ル 左 側 の hurdle 部 分 に つ い て は, HNB1,HNB2 で同じ結果となるため,それぞれ一括して記載している。ただし,HNB1 と HNB2の対数尤度を比較すると,全てのモデルにおいて HNB2 の対数尤度のほうが高い数値となっているので,以下では HNB2 の推定結果について解釈を行っていく。
まずは 1 段階目の意思決定を示す hurdle 部分についてみていく。この段階での意思決定は,患者が医療機関へ受診するかしないかという事象を表し,正の値であれば医療機関へ受診する確率が高くなる。全患者を対象としたモデル I をみると,住民税課税世帯ダミー,上位所得世帯ダミーともに正で有意な数値が得られている。したがって,住民税非課税世帯に属する人工透析患者より
も,住民税課税世帯や上位所得世帯に属する人工透析患者のほうが,人工透析以外で医療機関へ受診する確率が高いといえる。
65 歳未満で自己負担率が 3 割の患者を対象としたモデル II の hurdle 部分については,住民税課税世帯ダミー,上位所得世帯ダミーともに正で有意な数値が得られている。それに対して,65歳以上で自己負担率が 1 割の患者を対象としたモデル III の hurdle 部分については,住民税課税世帯ダミー,上位所得世帯ダミーともに正の数値が得られているが,上位所得世帯ダミーについては統計的には有意な数値は得られていない。
このような結果となった理由として,65 歳以上の患者を対象としたモデル III の上位所得世帯の属するサンプルが少数しか得られなかったことが影響していると考えられる。この点を確認するためには,他地域のレセプトデータを用いるか,より長期間のレセプトデータを得て,データセットを拡大させる必要がある。
次に,2 段階目の意思決定を示す NB 部分についてみていく。この段階での意思決定は,患者が医療機関に何回受診したかを示しており,正の値をとるほど受診回数が多くなることを意味している10)。モデル I についてみてみると,住民税課税世帯ダミー,上位所得世帯ダミーで正かつ有意な数値が得られている。したがって,住民税非課税世帯に属する人工透析患者よりも,住民税課税世帯や上位所得世帯に属する人工透析患者のほうが,人工透析以外で医療機関へ受診する日数が多いことが示された。
モデル II,III の NB 部分についてみていくと,モデル II では,住民税課税世帯ダミーが負の値をとっており,住民税課税世帯に属する人工透析患者のほうが,住民税非課税世帯に属する人工透析患者よりも受診回数が少ないという結果となった。ただし,統計的に有意な数値は得られていないため,その減少は限定的なものといえる。上位所得世帯ダミーについては,正かつ有意な数値となっている。
一方,モデル III については,住民税課税世帯では正かつ統計的に有意な数値が得られているの
人工透析患者における外来受診行動についての分析
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表 3 推定結果
モデル I(全サンプル) | モデル II(65 歳未満) | モデル III(65 歳以上) | |||||||
hurdle | HNB1 | HNB2 | hurdle | HNB1 | HNB2 | hurdle | HNB1 | HNB2 | |
NB | NB | NB | NB | NB | NB | ||||
定数項 住民税課税世帯ダミー上位所得世帯ダミー | -1. 910 *** (0. 670) 0. 807 *** (0. 114) 0. 861 *** (0. 583) 1. 122 * (0. 583) 1. 602 ** (0. 651) 0. 187 (0. 125) 0. 634 *** (0. 175) 1. 631 ** (0. 656) 1. 441 ** (0. 675) 1. 462 ** (0. 679) 1622 | 1. 630 *** (0. 321) 0. 268 *** (0. 099) 0. 602 *** (0. 145) 0. 243 (0. 347) -0. 417 (0. 294) 0. 180 ** (0. 098) -0. 086 (0. 120) -0. 822 *** (0. 300) -0. 777 ** (0. 329) -0. 634 (0. 324) 2. 934 *** (0. 090) -3425. 084 | 1. 306 *** (0. 272) 0. 335 *** (0. 084) 1. 077 *** (0. 162) 0. 526 (0. 278) -0. 494 (0. 241) 0. 456 * (0. 093) 0. 174 (0. 104) -0. 834 *** (0. 246) -0. 669 ** (0. 268) -0. 638 ** (0. 270) 0. 708 *** (0. 102) -3408. 604 | -0. 198 (0. 239) 0. 448 *** (0. 161) 2. 276 *** (0. 497) | 1. 433 *** (0. 158) -0. 251 ** (0. 128) 0. 794 *** (0. 137) | 1. 044 *** (0. 181) -0. 002 (0. 107) 1. 265 *** (0. 202) | -0. 510 ** (0. 243) 1. 139 *** (0. 170) 0. 080 (0. 324) | -0. 131 (0. 361) 1. 178 *** (0. 303) -9. 501 (58. 217) | 0. 110 (0. 186) 0. 797 *** (0. 130) -0. 464 (0. 289) |
自己負担率ダミー(2 割) | |||||||||
自己負担率ダミー(3 割) | |||||||||
男性ダミー 60 歳以上 65 歳未満ダミー | 0. 202 (0. 174) 0. 748 *** (0. 179) | -0. 053 (0. 109) 0. 132 (0. 120) | 0. 365 *** (0. 123) 0. 234 ** (0. 102) | 0. 310 * (0. 193) | 0. 568 *** (0. 214) | 0. 582 *** (0. 142) | |||
65 歳以上 70 歳未満xxx | |||||||||
70 歳以上 75 歳未満xxx 75 歳以上xxx α 対数尤度 サンプル数 | 741 | 2. 604 *** (0. 132) -1604. 811 | 0. 537 *** (0. 141) -1597. 189 | -0. 339 * (0. 182) -0. 358 * (0. 194) 839 | -0. 074 (0. 129) 0. 071 (0. 123) 2. 321 *** (0. 126) -1650. 480 | 0. 126 (0. 109) 0. 107 (0. 111) 0. 574 *** (0. 148) -1649. 451 |
注)1) ***は 1% 有意水準,**は 5% 有意水準,*は 10% 有意水準で係数が 0 という帰無仮説が棄却されることを示している。 2) 上段は係数,下段括弧内は標準誤差を示している。
3) HNB モデルの hurdle 部分は HNB1 と HNB2 で共通のため,一括して記載している。
4) α は NB モデルの係数を示している。
5) 上記の説明変数以外に,季節を示すダミー変数も加えて推定を行った。
467
6) モデル III の年齢xxxのベースは 65~70 歳xxxとなっている。出所) 筆者作成。
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に対して,上位所得世帯ダミーについては負になっている。ただし,このダミー変数についても統計的に有意な数値は得られていないため,減少の影響は限定的といえる11)。
モデル II の住民税課税世帯ダミーで有意な数値が得られなかった理由は,65 歳以下の人工透析患者においては,人工透析以外の医療サービスを受診する必要性が低い患者が多い可能性が考えられる。表 2 の記述等計量からも確認できたように,住民税非課税世帯の平均的な月の受診回数が
2. 643 日に対して,住民税課税世帯では 2. 881 日となっている。ただし,同じ年齢層に属する上位所得者については,9. 500 日とずば抜けて大きい数値が得られている。上記の仮説に基づくならば,上位所得層についても大きな違いは生じないはずである。そのような結果が得られなかった理由としては,上位所得層が過剰に受診している可能性が考えられるが,本稿で用いたデータからこの点を明らかにすることができない。モデル IIIの上位所得世帯ダミーについても,hurdle 部分と同様の理由が影響していると考えられる。
その他の注目すべき点として年齢xxxがある。モデル I における hurdle 部分での年齢を示すダミー変数に注目すると,全ての変数で正の値で統計的にも有意な数値が得られている。これは,60 歳未満の人工透析患者と比較して,全ての年齢層において人工透析以外で外来受診する確率が高いことを示しており,高齢者ほど医療機関で受診しているという,一般的な認識と合致する結果になっている。
しかし,モデル I における NB 部分の年齢を示すダミー変数では,65 歳以上 70 歳未満xxx, 70 歳以上 75 歳未満ダミー,75 歳以上ダミーで負
かつ有意な数値となっている。これは 60 歳未満の人工透析患者と比較して受診回数が少ないことを示しており,年齢が高い人のほうが医療機関への受診回数が多くなるという,一般的な認識とは異なった結果になっている。hurdle 部分の結果と併せると,年齢が高い人工透析患者のほうが,人工透析以外で医療機関へ受診する確率は大きいが,受診回数については短くなっているといえ
る。このような結果となった理由として,以下の
2 つのケースを考えることができる。
第 1 は,高齢者自身で受診を控えているケースである。前述の通り,人工透析を受けている患者は,月に 12‒15 日程度,週にすると 3 日前後,医療機関へ受診している。そのため,人工透析以外で医療機関へ通うことが体力的に困難となり,自ら受診を控えた結果,受診回数が 60 歳未満の人工透析患者よりも少なくなっている可能性が考えられる。
第 2 は,高齢者本人としては医療機関で診察を受けたいが,医療機関へのアクセスが困難なため,受診回数が減少しているケースである。加齢とともに体力が落ちてきているならば,高齢者ほど医療機関で受診する機会は多くなるはずである。本稿の推定結果でも,医療機関で受診する確率については高齢者の方が高くなっている。しかし,高齢者が医療機関へアクセスするには,家族等の援助が必要になってくるケースが多い。そのため,一度受診した後の受診については,高齢者自らの意思や医師の意思以外にも,家族等の意思が強く働き,その結果,受診後の受診回数が減少してしまっている可能性が考えられる。このような状況においては,高齢者が適切に医療機関へアクセスできるような環境を構築していく必要があるといえる。
ただし,65 歳以上の患者を対象としたモデル III では,モデル I とは異なった結果が得られており,このカテゴリーでは年齢が上がるにつれて受診する確率は低下している。受診後の受診回数についてはプラスの係数となっており,年齢の高い患者の受診回数のほうが長くなる傾向にある。しかし,これらについては統計的に有意な数値はえられていないため,その影響は限定的といえる。つまり,65 歳以上の患者のついては,年齢が受診後の受診回数に及ぼす影響は限定的といえるが,受診するか否かについては,年齢が上がるほど受診確率が低下するという結果となっている。
年齢が高い患者の受診確率が低下する理由としては,上記と同様に,①自ら受診を控えているケ
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人工透析患者における外来受診行動についての分析
表 4 限界効果
469
モデル I(全体) | モデル II(65 歳未満) | モデル III(65 歳以上) | ||||
hurdle | NB2 | hurdle | NB2 | hurdle | NB2 | |
住民税課税世帯ダミー上位所得世帯ダミー | 0. 185 0. 198 | 0. 486 1. 564 | 0. 099 0. 505 | -0. 003 1. 572 | 0. 256 0. 018 | 0. 564 -0. 328 |
出所) 筆者作成。
ース,②医療機関へのアクセスが困難になっているケースの両ケースの可能性が考えられる。65歳以上の患者の年齢と受診回数の間に統計的に有意な関係が認められなかったことの解釈については現時点では不明であり,今後の課題としたい。
3 限界効果
モデル I,II,III における所得の違いが受診回数に与える影響を比較するため,各モデルの住民税課税世帯ダミー,上位所得世帯ダミーの限界効果を計算した。各モデルの計算結果は表 4 に示している。推定式が非線形のため評価点によって数値は異なるが,本稿では各モデルのサンプル平均で限界効果を計算している。
モデル I の限界効果についてみていくと,住民税非課税世帯に属する人工透析患者と比較して,住民税課税世帯に属する人工透析患者,上位所得世帯に属する人工透析患者が外来受診する確率は,それぞれ 18. 5% ポイント,19. 8% ポイント高くなっており,受診回数も 0. 486 回,1. 564 回多くなっている。したがって,サンプル全体でみると,上位所得世帯に属する人工透析患者の受診確率は最も高く,受診回数も最も多くなっていることが確認できる。
次に,モデル II・III の限界効果についてみていくと,モデル II の住民税課税世帯に属する人工透析患者の受診確率は 9. 9% ポイント高くなっているが,受診回数については-0. 003 回の減少になっている。ただし,受診回数については統計的に有意な数値が得られていないため,その減少は限定的である。また,上位所得世帯に属する人工透析患者については,受診確率は 50. 5% ポイント高く,受診回数は 1. 572 回多くなっている。この年齢・所得階層に属する患者数は非常に限ら
れているため,その点を留意しておく必要はあるが,65 歳未満の上位所得世帯の人工透析以外での受診確率は非常に高く,受診回数も著しく多くなっている。モデルIII については,住民税課税世帯ダミーの受診確率は 25. 6% ポイント高く,受診回数は 0. 564 回多くなっている。上位所得世帯ダミーについては,受診確率は 1. 8% ポイント高いが,受診回数については 0. 33 回の減少となっている。ただし,モデル II の住民税課税世帯と同様,上位所得世帯については統計的に有意な数値が得られていないため,この増加および減少も限定的である。
V 結 語
本稿では,人工透析患者における所得と人工透析以外での外来受診の関係について,レセプトデータを用いて分析を行った。本稿の分析より以下の 3 点が明らかとなった。
1 人工透析患者全体では,住民税非課税世帯,住民税課税世帯,上位所得世帯と所得階層が上がっていくほど,人工透析以外での外来受診の確率は高くなり,受診回数も多くなる。
2 人工透析患者全体では,住民税非課税世帯に属する人工透析患者と比較して,住民税課税世帯に属する人工透析患者,上位所得世帯に属する人工透析患者が外来受診する確率は,それぞれ 18. 5% ポイント,19. 8% ポイント高くなっており,受診回数も 0. 486 回,
1. 564 回多くなっている。
3 65 歳未満で上位所得世帯に属する人工透析患者が,人工透析以外で外来受診する確率お
470
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
よび受診回数はずば抜けて大きく,65 歳未満の住民税非課税世帯の患者よりも 50. 5% ポイント高く,受診回数も 1. 572 回多くなって
いる。 謝辞
(平成 20 年 2 月投稿受理)
(平成 20 年 12 月採用決定)
モデル I の推定結果に従うと,人工透析患者においては,所得の高い人工透析患者ほど,人工透析以外で外来受診する確率は大きくなり,受診後の受診回数も多くなる傾向にあることが明らかとなった。ただし,自己負担率が同じ人工透析患者を対象としてグループ化を行った,モデル II,IIIの一部においては,上記を支持する結果は得られておらず,上記のような関係が全ての年齢階層において当てはまるといえない。
最後に今後の課題について述べる。今回の分析に用いたレセプトデータより,住民税非課税世帯に属する患者と住民税課税世帯・上位所得世帯に属する患者との間に,外来受診をする確率,その後の受診回数に違いがあることは明らかにできた。
しかし,データの制約上,患者の健康状態等を把握できないため,①低所得者の受診回数が適切で,高所得者ほど人工透析以外での外来受診部分でモラルハザードが生じているのか,②高所得者の受診回数が適切で,低所得者は人工透析部分での自己負担分が生活を圧迫し,適切な受診を受けられない状況にあるのか,という問題については,本稿では明らかにできていない。
また,モデル II,III の上位所得世帯について十分なサンプル数が確保できなかったこともあり,カテゴリーを分割したモデルII,III ではモデル I と整合的な推定結果が得られたとはいえない。この点については,今後さらにデータセットを整備していくことで解決していきたい。
慢性腎不全による人工透析は,糖尿病を通じて発症しているケースが多いため,合併症の管理を必要とされる疾病といえる。合併症の発症を管理していくには,適切な診療を日常的に受ける必要があるため,人工透析患者の適切な受診を確保できるよう,所得や年齢に応じた自己負担限度額を設定していく必要があるといえる。
本稿は,厚生労働省長寿医療研究委託費 18 公‒ 7(xx研究者:xxxxx)による研究成果の一部である。本研究を実施するにあたり,国民健康保険の保険者および審査支払い機関の協力を仰ぐことができた。ここにあらためて感謝したい。なお,本稿は筆者らの個人的な意見であり,国立長寿医療センターおよび厚生労働省,科学技術政策研究所を代表するものではない。当然のことながら,本稿に含まれる一切の誤謬の責は筆者らのみに帰すものである。また,本稿の作成に際し,本誌匿名レフェリーの方々より,大変有益な助言をいただいた。記して,感謝申し上げたい。
注
1) xx・x・xx・xx〔2004〕の 114 ページを参照。
2) 腎不全患者および人工透析患者の医療費の問題を扱った先行研究として,xx〔1983〕,xx・x・xx・xx〔2004〕, xx〔2005〕を挙げることができる。しかし,これら先行研究の目的は,腎不全患者の医療費における地域格差を検証することにあり,所得と外来受診行動については分析が行われていない。
3) 患者の受診行動を分析した近年の論文では, HNBM よりも FMM(Finite Mixture Model)のほうが高いパフォーマンスを示すという結果が多数発表されている。日本においてもxx
〔2004〕,xx・xx〔2005〕において FMM を用いた分析が行われている。ただし,FMM については,経済学的な解釈が困難という問題が残っている。本稿においても FMM による分析を行ったが,推定結果の解釈が困難だったため, 推定結果は掲載しなかった。HNBM と FMM の そ れ ぞ れ の 優 位 点 に つ い て は Xxxxxxxxxx〔2003〕を参照するとよい。
4) 本稿で用いた所得区分の定義は以下の通りである。老人保健適用者は,一定以上所得者(課税所得額 145 万円以上),低所得者 II(課税所得額 145 万円未満かつ世帯全員が住民税非課税),低所得者 I(低所得者 II かつ世帯所得一定水準以下),一般(それ以外)。老人保健非適用者は, 上位所得者( 課税所得額 145 万円以上),低所得者(住民税非課税),一般となる。
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人工透析患者における外来受診行動についての分析
471
老人保健適用者と非適用者が混在するので,低所得 II と低所得 I をまとめ, 住民税非課税世帯,住民税課税世帯,上位所得世帯の 3 区分とした(世帯としたのは世帯所得で区分されることによる)。所得区分は全ての被保険者に記載されており,その所得区分の平均値を使用した
(所得は月ごとに変動するため)。
5) 上位所得世帯である人工透析患者の自己負担分は,70 歳を基準にして,70 歳未満が 2 万円,70 歳以上が 1 万円に設定されている(高額所得者については 2 割負担)。そのため,70 歳を基準にしてサンプルを分類することが考えられる。しかし,一定の障害のある者に対しては,65 歳以上から老人保健制度による自己負担率 1 割の適用が認められており,本稿で用いたレセプトデータから得られた 65 歳から 70 歳の人工透析患者についても,多くがこの一定の障害のある人に認定され,老人保健制度が適用されていると考えられる。
6) 70 歳を基準にサンプルを分割し,70 歳未満のグループ,70 歳以上のグループでそれぞれ HNB モデルを用いて分析を行った。推定結果については,65 歳を基準にサンプルを分割したケースと大きな違いはなかった。
7) HNBM による分析を行う際には,65 歳未満の患者については,対象となる 744 人のうち自己負担率が 1 割だった 3 人,65 歳以上のグループについては,対象となる 878 人のうち自己負担率が 2 割だった 18 人,3 割だった 21 人を,サンプルから除外した。したがって,モデル IIとモデル III のサンプル数の合計とモデルI のサンプル数とは異なった数値となる。
8) 65 歳未満のグループに 1 割負担の患者もサンプルに含めて,説明変数に自己負担率ダミーを加えたケース,65 歳以上のグループに 2 割,3割負担の患者もサンプルに含めて,説明変数に自己負担率ダミーを加えたケースについても,それぞれ HNB モデルにて分析を行った。しかし,自己負担率ダミーの係数・標準誤差が著しく大きな値をとり,正確な分析が行えなかった。
9) レセプトデータに記載されている医療費には,人工透析以外で利用した医療サービス分も含まれている。そのため,医療費全体(人工透析部分での医療費+人工透析以外の部分での医療費)についての議論を行う必要がある。そのため,本稿においても,所得が全医療費および全受診回数に与える影響について検証するために回帰分析を行った。しかし,所得による有意性は認められなかったので,本文には記載しなかった。
10) 本稿では,患者の 1 月当たりの全医療機関で
の受診回数を集計している。そのため,2 つの医療機関へそれぞれ 1 日ずつ受診した時の受診回数は 2 回になっている。
11) 患者を 65 歳で分割したモデル II,III については,統計的に有意な数値が得られなかった所得層や係数がマイナスの値を示す所得層が存在している。これはサンプルを分割したことによって,上位所得世帯に該当する患者が少なくなっていることが影響していると考えられる。そのため,モデル II,III において,住民税課税世帯ダミーと上位所得世帯ダミーの代わりに,これら 2 つの変数を統合したダミー変数を用いて HNB2 による推定を行い,住民税非課税世帯に属する患者との比較を行った。しかし,推定結果に大きな違いは認められなかった。
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長寿政策・在宅医療研究部長寿医療経済研究室 室員)
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社 会 保 障 法 判 例
x x x
厚生年金基金による老齢年金給付の減額に同意しない受給者の年金減額が有効とされた事例(りそな企業年金基金・りそな銀行(退職年金)事件)
東京地方裁判所平成 20 年 3 月 26 日判決(平成 17 年(ワ)第 12995号退職年金額確認等請求事件)『労働判例』965 号 51 頁,『労働経済判例速報』2007 号 3 頁)
I 事実の概要
1 被告 Y1 は, 平成 15 年 3 月に D 銀行と A 銀行が合併して発足した銀行であり, 訴外 S 銀行,持株会社であるR ホールディングス等とRグループを形成している。Y1 を含めた R グループに属する銀行等が設立事業所となって,平成 15 年 3 月に D 銀行厚生年金基金,A 銀行厚生年金基金及び K 銀行厚生年金基金が統合され,R厚生年金基金(これら各基金をまとめて「本件各基金」といい,R 厚生年金基金を「R 基金」という)が設立された。
原告である 11 名(以下「X ら」という。亡 Hの訴訟承継人である X8 を含む)は,従前 Y1 やその前身たる D 銀行や A 銀行,さらには A 銀行の前身たる Z 銀行に使用されていた者であり,D銀行厚生年金基金,A 銀行厚生年金基金,Z 銀行厚生年金基金など R 基金の前身である厚生年金基金から老齢年金給付を受けていたが,現在はいずれも R 基金から前記給付を受給している者である。
2 R 基金は,厚生年金保険法(以下「厚年法」
という)上の老齢厚生年金の給付を政府に代わって行う部分である「代行部分」に若干の上乗せ加算が付加された「基本部分」と,基本部分と区分された上乗せ加算となる「加算部分」からなる
「加算型」と呼ばれる給付類型を採用している。
3
(1)Y1 の経営が悪化したことにより,R ホールディングスと R 基金は,代行の返上,加入員につき加算年金の一部の廃止並びに受給者及び受給待期者(以下「受給者等」という)の老齢年金給付の支給額の減額を柱とする基金制度の改革策を実施することとした。
このうち受給者等に対する老齢年金給付の減額措置については,加算年金を対象として,いわゆるキャッシュ・バランス・プラン類似の仕組みを採用することとし,年 5. 5 ~ 8. 0% に固定していた給付利率を 3. 5% と設定して再計算する等といった仕組みのもの(以下「本件減額」という)と定められた。これにより, 年金額は平均で約
13. 2%,最大約 21. 8% 程度引き下げられることとなった。
(2)平成 15 年 8 月,X xxは,受給者等全員に対し,給付額の見直しについての考え方や,同
474
季 刊 ・ 社 会 保 障 研 x
Vol. 44 No. 4
基金の状況等について情報提供や説明を希望する事項などにつき選択肢形式で構成されたアンケート文書を送付して,受給者等からの意見を求め,上記アンケートの結果の報告と同基金の現状や本件減額等に関する説明会を主要都市で,平成 15
年 10 月,同年 12 月,平成 16 年 1 月に行った。
平成 16 年 1 月,R 基金は,すべての受給者等に対し,本件減額につき賛同を求める旨及び賛同する場合には,添付の同意書面にその旨を記して同基金に送付することを求める旨の「加算年金制度見直しに関するご賛同のお願い」と題する文書を発したところ,受給者等総数 1 万 5, 766 人のう
ちの 1 万 2, 613 人(約 80%)から,本件減額に賛同する旨の同意書が提出された。しかし,X らはいずれも,この同意書面を提出しなかった。
(3) 平成 16 年 4 月 23 日,R 基金の代議員会
は,規約の変更を決議した。R 基金は,平成 16
年 4 月 30 日付けで,厚生労働大臣に対し,上記
規約変更につき認可を求める申請をし,平成 16
年 7 月 28 日,厚生労働大臣が当該規約変更を認可した(以下「本件認可」という)ことから,R基金は規約の変更を行った(以下「本件規約変更」という)。
(4)以上の経緯を経て,R 基金は,X らを含めた受給者等に対し,本件規約変更に基づき再計算した老齢年金給付の支給額を通知し(以下「本件通知」という),平成 16 年 8 月 1 日以降,R 基金は,X らに対し,変更された額の老齢年金給付を支給することとした。
(5)平成 17 年 10 月に,R 基金は,確定給付企
業年金法 112 条 1 項により企業年金基金へ移行し,その権利及び義務は被告Y2 企業年金基金に承継された。R 基金が支給していた額を Y2 も支給している。
4 X らは,① Y2 に対して,老齢年金給付を支
よる変更前の給付額による老齢年金給付を受給する権利を有することの確認,(b)本件減額による変更前の老齢年金給付の支給額と本件減額後に実際に支給された同年金給付との差額等の金員の支払,及び(c)本件減額による変更前の給付額の老齢年金給付の支払を請求した。X8 は,亡 Hから相続した本件減額前の老齢年金給付の支給額と本件減額後に実際に支給された同年金給付との差額等の支払を請求した(本判決の事実関係の詳細については,〔xxx 2006,p. 25 以下〕)。
II 判旨
X らの請求はいずれも棄却。
1 年金支給契約の成立の可否
(1)「厚生年金基金が支給する老齢年金給付の仕組みにつき,厚年法が,政府が支給する厚生年金の給付と同様の仕組みを採用していることからすると,同法は,厚生年金基金が行う裁定についても,社会保険庁長官が行う裁定と同様,権利の発生要件の存否や金額等を公権的に確認するという効力を付与したものと解するのが相当である。してみると,厚生年金基金がする上記裁定は,行政事件訴訟法(以下「行訴法」という)3 条 2 項所定の行政庁の処分たる性格を有するといえるから,行政処分たる裁定を求める『請求』とこれに対する『裁定』とを,契約の申込み,承諾と観念する余地はないというほかない」。
(ママ)
(2)「厚年法及び本件各基金が定める規約には,基本年金と加算年金とを別個の年金給付と構成しているとみられる定めは見当たらず,むしろ,基本年金も加算年金も共に公的給付としての性格を有する老齢年金給付の構成要素にすぎない」。
給する旨の年金支給契約(主位的請求)又は公法上の年金受給権(予備的請求)に基づく年金受給権に基づき,② Y1 に対して,X らと各勤務先であった銀行との間の労働契約に基づき,次のような請求の訴訟を提起した。
すなわち,X8 を除く X らは,(a)本件減額に
(3)「X 等と本件各基金との年金支給契約の成立を前提とする X らの主位的請求は,年金支給契約なるものの成立が認められない以上,その余の点について判断するまでもなく理由がない」。
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社 会 保 障 法 判 例
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2 規約変更による年金支給額の不利益変更の可否
「厚生年金基金が支給する老齢年金給付は,厚年法による保険給付(老齢厚生年金)と同様,事後の社会・経済的な情勢に応じて,その支給額が変動することが想定されているとみるのが相当であ」る。「そうだとすると,厚生年金基金は,厚年法所定の手続に従って規約を変更することにより,受給者等の年金給付支給額を変更することができるといえる」。
3 本件規約変更による X らの年金支給額の減額の有効性
(1)「受給者等に対する年金給付の支給額も
『保険給付に関する処分』により具体的に発生・変動すると解される(厚年法 33 条,35 条,厚年法施行規則 82 条 1 項参照)。したがって,本件減額も,本件規約変更それ自体からその効力が生じるのではなく,R 基金が同変更に基づいて再計算をして金額を確認した上で,その結果(変更額)を X らに通知すること(本件通知)により発生すると解すべきこととなる」。
(2) そうすると,「X らの Y2 に対する( 予備的)請求は,本件通知が無効であることを前提として,老齢年金給付の支給額の確認,差額の支給等を求める公法上の当事者訴訟(行訴法 4 条後段)と構成することができる」。
(3)老齢年金給付の受給者「への支給額を減額する旨の規約変更については,厚生労働大臣が,かかる規約変更の相当性・合理性の有無……を審査・判断することを想定しているとみるのが相当であり,……してみると,本件規約変更の相当性・合理性の有無の判断も,本件認可の瑕疵の有無の問題に収斂するというべきであり,かつ」,これを上記の(2)で「判示した X らの Y2 に対する(予備的)請求の理解に投影させるならば,その争点の実質は,本件認可に無効となるような瑕疵があるか否かという問題であると理解すべきこととなる」。
(4)「厚生労働大臣がする認可がそのxxな裁量に委ねられているとしても,支給額を減額する
規約の変更については,これが社会通念に照らして是認するに足りる程度の合理性を有することが確認されるべきであるから,厚生労働大臣の認可の判断に,重要な事実・事情についての判断が欠け,また,その評価が著しく不相当であるといった事情が認められる場合には,その認可は厚生労働大臣に委ねられた裁量を逸脱・濫用する重大な瑕疵があるものとして無効になると解するのが相当である」。
(5)「本件認可は,本件通達の定め,特に,別紙 2 の第三,7 所定の基準( 以下『本件認可基準』という)によりされたと考えられるところ,同基準は,①『基金の存続のため受給者等の年金の引下げが真にやむを得ないと認められる場合』という,支給額の減額に高度の必要性が認められ,②受給者等の選択により老齢年金給付の最低積立基準額相当の一時金を受給し得る措置を講じ,かつ,③受給者等に十分な情報提供が保障されていること,以上を前提として,④受給者等による 3 分の 2 以上の同意を得るという手続的な要件を課すことにより,その是非の判断を利害関係者間の合意に委ねたものとみることができる。そして,その内容・枠組みは,厚生年金基金の設立企業,当該厚生年金基金,その加入員及び受給者等といった支給額の減額をめぐる利害関係者の利害状況を適切・妥当に調整し得るものとして相当なものと評価でき,X らもその基準が相当であることについて,特段争っていないところである。してみると,本件認可が無効であるか否かの判断も,本件認可基準に依拠して検討するのが相当である」。
(ママ)
(6)「以上によれば,本件認可には,本件認可基準に照らしても,その効力を無効とするほどの瑕疵があったとはいえないから,本件認可が無効であるということはできない」。「以上の次第で,本件認可が無効であるとはいえないから,本件規約変更及びこれに基づく本件通知により」,本件各基金による「裁定で決定された X 等の老齢年金給付の額は……減額されたこととなる」。
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4 労働契約に基づく Y1 の老齢年金給付支給義務の存否
「R 基金の老齢年金給付は厚生年金保険制度の
一つとして,厚生年金基金制度の枠組みにより給
(ママ)
付されるものであって,その支給根拠は,X 等とその使用者である D 銀行,K 銀行,A 銀行,Y1との労働契約にあるものではない。したがって, X らと Y1 銀行(X10 との関係では直接の使用者であり,その余の原告らとの関係では,同人らの使用者の権利義務を承継した者となる)との間で,老齢年金給付に関する法律関係が生じると解すべき根拠はない。よって,その余の点について判断するまでもなく,X らの Y1 銀行に対する請求はいずれも理由がない。」
III 解説
結論に賛成。判旨の一部に疑問がある。
1 はじめに
本件訴訟は,厚生年金基金(以下「基金」という)の受給者等が,老齢年金給付が減額されたために,基金及び元事業主を相手取って,減額された老齢年金給付額と従前受給していた給付額との差額の支給等を求めて提起されたものである。
本判決は,基金の裁定は,それが加算部分に対するものであっても,年金支給契約によるものではなく,行政処分である旨をまず判示し,規約の変更による年金支給額の減額をそもそも行うことができるか否かについて論じている。その上で,本件における規約の変更は元従業員である受給者に対して効力を有するかを述べ,規約変更の相当性・合理性の判断は,厚生労働大臣の認可の相当性・合理性で判断し,本件における給付減額が結論としては合理的であると述べている。
その後で,元事業主である Y1 が老齢年金給付支給義務を労働契約上負うか否かについて判断し,当該給付は基金が支給する義務を負っているのであり,元事業主は,労働契約xxx義務を負っているものではない旨判示している。
2 本判決の意義
近年,企業年金の給付減額に関する裁判例が増えているが,これまでの裁判例の多くは自社年金についてであった。そのような中で,本件は基金の給付減額が初めて争われた事例である。
以上のほか,本判決は,第 1 に本件認可基準に
基づく給付減額を有効とし,第 2 に基本部分だけでなく加算部分についても,基金による給付の根拠は行政処分性を有する裁定にあるとし,第 3 に基金による受給者等に対する通知に処分性を認め,第 4 に基金の規約の意義について初めて判断
し,第 5 に老齢年金給付は基金が支給するものであるから,事業主は,労働契約上,当該給付を支給する義務を負うものではない旨判断した点に意義が認められるであろう。
3 年金支給契約の成否
厚年法上,基金は老齢年金給付について裁定する(厚年 134 条 以下,単に条文番号のみを記載する場合は厚年法の条文である)こととされているが,X らは R 基金との間に年金支給契約が締結される旨主張しているのであるから,R 基金がなす裁定がいかなる法的性質を有するかが問題となる。
さらに,X らは,かりに基金による裁定が行政処分性を有するとしても,それは基本部分のみに妥当するものであり,加算部分は,基金との間に年金支給契約が締結される旨主張し,その点につき本判決は判断を下している。
以下,本判決の判示に従って解説する。
(1) 裁定の法的性質
本判決は,厚年法の規定から基金がなす裁定について契約性を否定し,処分性を肯定した(上記 II 判旨 1(1 )。その根拠として本判決は次の理由を挙げた。第 1 に年金給付及び一時金については基金が裁定する旨の規定(134 条)は,厚生年金本体における社会保険庁長官による裁定(33条)と同様のものであるという点である。第 2 に厚生年金本体については,給付に関して不服がある場合には,社会保険審査官及び社会保険審査会
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に審査請求することができ(90 条),また訴訟については審査請求前置主義が採用されている(91条の 3)が,これら審査請求,再審査請求及び審査請求前置主義に関する規定は基金が支給する給付についても準用されている(169 条)という点である。
このように,処分性の有無を判断するに際し,本判決ではこれら 2 つを考慮して,基金による裁定の処分性を認めている。従来の裁判例では,不服申立制度の存在やその他特別の法的仕組みなどを考慮して処分性が判断されているが〔xx 2005,p. 110〕,本判決ではこうした流れと軌を一にし,厚生年金本体と基金がなす老齢年金給付との関係や不服申立制度の存在を考慮して,判断がなされている。こういった判断の方法は従来の処分性に関する裁判例で用いられているものであり,妥当といえるであろう。
(2) 裁定に処分性が認められるとして,それは基本部分だけでなく,加算部分にも当てはまるか
基金は,老齢年金給付の支給を行う(130 条)のであるが,(1)で述べたように,本判決は,基金がなす加算部分についても,行政処分たる性格を有する裁定によって基金と受給者等との間に年金を支給するという法律関係が成立すると述べている。これに対し,基金は老齢厚生年金を代行する基本部分と基金独自に給付設計を行う加算部分とを給付するのであるから,基本部分については行政処分によるが,加算部分については基金と受給者等との間に年金支給契約が締結されるとする説〔xx 2006,p. 42,xx・xx 2007,p. 16〕がある。
そもそも基本部分及び加算部分という文言は法令xxてくることはなく,通達である厚生年金基金設立認可基準取扱要領(平 1・3・29 企年発第 23 号・年数発第 4 号)によって,基本部分及び加算部分という文言が用いられている。そのため,本判決のように,法令上は明示されていないために,「老齢年金給付」という文言に,基本部分と加算部分のそのいずれもが入ると解釈するこ
ともできる1)。
評者は,次の 3 つの点から老齢年金給付には基本部分と加算部分のいずれもが入ると考えている。第 1 にどちらの給付も同一の基金が支給する年金給付であり〔xx 2005,p. 104〕,第 2 に上記取扱要領は厚年法の解釈基準として,行政庁が基金の支給する給付について妥当と考えているものを規定しているのであるのであるから,一応尊重すべきものといえ,第 3 に厚生年金基金令 23
条 3 号には「加算額」という文言が用いられているが,同条は加算型の老齢年金給付の算定方法に関する規定である2)といった点である。
また,かりに X らが主張するように,老齢年金給付の基本部分と加算部分の性質が異なるということを前提に考えた場合,基金と受給者等との関係が,基本部分については行政処分,加算部分については年金支給契約というように,基金が行う「裁定」という同一の行為でありながら,基本部分か加算部分かという年金の性質によって,裁定の法的性質が異なるのは妥当でないといえる。この点からも本判決の判示は妥当といえるだろう。
4 規約変更による老齢年金給付支給額の不利益変更の可否
厚生年金本体については年金額の改定に関する規定(2 条の 2)があるが,老齢年金給付についてはこういった規定は存在しないために,事後に支給額を変更することができるかが問題となる。この点につき,本判決は,第 1 に厚生年金本体における不服申立制度を準用( 上記II 判旨 1
(1 )しており,第 2 に「老齢厚生年金に係る運用業務の主要部分の遂行を,公法人たる厚生年金基金に委託するものと解することができ(厚生年金基金側の視点からは『代行』ということになる)」るのであり,第 3 に「厚年法は保険給付の支給額が事後の社会・経済的な情勢に応じて変動
(増・減額)することを想定している」ことを挙げて,老齢年金給付支給額を事後に減額しうることを認めている。このように,厚生年金本体には年金額の変動に関する規定があり,当該規定は,
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厚生年金本体を代行する基金が支給する老齢年金給付についても当然適用されうるという論理構成である。
では,これら厚生年金本体に関する規定を基金が支給する給付にも当てはめるという本判決の判断枠組みは果たして妥当なのだろうか。厚生年金本体と基金が支給する給付との関係を考えてみると,厚生年金本体と同様の性質を有するのは基本部分のうちの代行部分だけであり,基金独自の給付設計による加算部分は厚生年金本体とは関係がない。それゆえ,本判決が,基金の支給する給付と厚生年金本体とが同様の性質があると考えて示した上記 3 つの理由のすべてが,本件で問題となっている加算部分の減額についての根拠とするのは妥当ではないと考えられるからである。
本判決は,上記 3 つの点を述べた後に,第 1 に厚年法は,変更しうる規約の内容の範囲につきなんら制限していないのであり,また第 2 に本件認可基準が受給者等の給付減額をなす際の要件を定めていることから,規約変更によって給付額を不利益に変更しうると述べている。
評者は,基金の支給する給付につき不利益変更をなしうる際の理由として,上記 2 つの点を本判決が挙げたのは妥当と考えている。そもそも厚年法は,事業主と加入員から選出される代議員からなる代議員会が規約の変更につき議決する(118条 1 項 1 号)こととしているのであるから,規約の変更によって給付を減額すべきか,またどの程度減額すべきかについて,まずは基金内部で決定すべき問題ととらえているといえるだろう。その上で,厚生労働大臣が変更された規約の内容につき認可する(115 条 2 項)こととしており,その際には,本件認可基準が示した要件を満たしているかを判断するのである。厚年法の基金に関するこれらの規定及び上記したように,加算部分は厚生年金本体とは関係のない基金独自の給付であり,本件で問題とされていたのは加算部分の減額なのであるから,本判決は,評者が前段落で掲げた 2 つの理由のみを述べればよかったと考えられるのである。
なお,本判決は明示していないが,判決を読む
限り,加算部分だけでなく,基本部分も減額されうるように読める。しかしながら,本件は加算部分の給付減額が問題となった事例であり,また,代行部分については厚生年金本体の給付を基金が国に代わって行っているのであるから,規約の変更によって減額することができるものと解釈するべきではないだろう。
このように考えると,本判決はあくまで加算部分の給付減額をなしうると述べた事例であり,その限りで妥当なものであると解される。
5 本件規約変更による原告らの年金支給額の減額の有効性
本判決は,X らに対する給付減額の可否について,本件規約変更,厚生労働大臣による規約変更の認可及び本件減額の関係について述べており,その後で,本件規約変更の相当性・合理性について判断している。
まず,本判決は,老齢年金給付の支給につき,受給権の発生及び給付額は裁定を含む行政処分により発生するとし,本件減額も本件規約変更ではなく,R 基金が当該変更によって年金額を再計算し,その結果を X らに通知することによって発生するとしている(上記 II 判旨 3(1 )。
その際に,本判決は,33 条,35 条及び施行規則 82 条を引用しながら,老齢年金給付の支給の仕組みについて論を進めている。これら規定は,厚生年金本体に関する規定であるから,老齢年金給付について直接根拠となる規定ではない。33条を引用したのは,厚生年金本体の裁定を行うのは社会保険庁長官であり,それと同様の性質を有する老齢年金給付の裁定を行うのは基金であると述べるためであると考えられる。
35 条は,厚生年金本体の給付の裁定又は改正する際の端数処理の規定であるから,この規定を処分性の根拠とするのは妥当でないといわざるをえない。加えて,施行規則 82 条は,厚生年金本体の給付について社会保険庁長官等が処分を行ったときには,請求者又は受給権者に通知する旨の規定である。本判決は,この規定を本件通知の処分性を認める際の根拠としていると考えられる
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が,厚生年金本体の代行を行っているのが基金であるから,基金が支給する給付についても厚生年金本体と同様に考えることができるという考えから同条を引用したと考えられよう。
このように,本判決は,本件通知に処分性を認めているのであるが,これは基金による裁定が外部に表示されないために,外部に表示される通知に処分性を認めたのではないかと考えることができる。
こうした判断に続き,本件規約変更の相当性・合理性に関する判断を行っているが,その判断は厚生労働大臣による規約変更の認可に瑕疵があるか否かの問題に収斂するとし,本判決は,厚生労働大臣が規約変更を認可する際に,当該認可につき,相当性・合理性が認められる必要があり,その裁量権に逸脱・濫用があったか否か判断している。
本判決は,本件認可につき,相当性・合理性が認められる必要があると述べるが,この相当性・合理性という要件は,これまでの自社年金の受給者減額に関する裁判例で裁判所が減額の有効性を判断する際に用いてきた要件と同様のものといえる3)。したがって,本判決は従来の企業年金の裁判例の判断枠組みを踏襲したものといえるだろう。ただし,自社年金の事例と異なり,老齢年金給付の減額に際しては厚生労働大臣の認可という行為が介在しており,厚生労働大臣が,本件認可基準に基づき規約変更の認可を行うのである。そのため,本判決は,本件認可基準が妥当か否か判断した後に,厚生労働大臣が,本件認可基準が示した 4 要件を考慮して規約変更を認可したかを判断している。
そもそも,本判決が指摘するように,115 条 2項は厚生労働大臣が規約変更の認可を行うか否かにつき,なんら制限を設けておらず,この点からいえば,厚年法が,本件認可につき厚生労働大臣のxxな裁量に委ねたものと考えることができる。ただし,その裁量も無制約のものではなく,本件認可基準が示した 4 要件を満たすか否かを事実関係から判断するというものに制限されると本判決は考えているといえるだろう。というのは,
その後の判示で,本件認可基準を妥当なものであるとし,その枠組みにしたがって 4 要件が充足されているか判断しているからである。
また,「本件認可が,無効であるとはいえないから」,X らの老齢年金給付は減額されると述べているが,これは,115 条 2 項の「認可を受けなければ,規約変更の効果は生じない」という規定から導かれているといえよう〔同旨,嵩 2008,
p. 171〕。これに対し,認可がなされるだけでは規約変更が有効となるとはいえないとする考え
〔 x x 2004,p. 14, 花 見 2006,p. 73〕 も あ るが,本判決はこうした考え方を採用せず,規約変更が有効であれば,X らのような受給者等にも規約変更の効果が及ぶと解し,認可と規約変更の問題を直結させているといえるだろう。
なお,本件認可基準が示す第 1 の要件である
「基金の存続のため受給者等の年金の引下げが真にやむを得ないと認められる場合」については,本判決が示した前掲 I 事実の概要 3(1)の事情を考慮すれば,本判決の判断は妥当なものであるといえるだろう。この点が,本件と NTT グループ企業(年金規約変更不承認処分)事件4)とで,結論を分けた点であるといえる。
6 労働契約に基づく元事業主の老齢年金給付支給義務の存否
X らは元事業主である Y1 に対し,労働契約に基づく老齢年金給付支給義務から当該年金給付の支給を求めている。これに対し,本判決は,「R基金の老齢年金給付は厚生年金保険制度の一つとして,厚生年金基金制度の枠組みにより給付されるものであ」るとして,労働契約に基づくY1 の上記義務を認めなかった。
これまで元事業主の老齢年金給付支給義務の存否が争われた事例としては,xx・S 社(取立債権請求)事件(東京地判平成 14・2・28 労判 826号 24 頁),D 社・S 社(取立債権請求)事件(東京地判平成 14・2・28 労判 826 号 34 頁),TWRホールディングス事件(大阪地判平成 16・6・16労経速 1886 号 3 頁)及びxx電気事件(大阪地判平成 17・6・22 労判 901 号 70 頁)が存在する
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が,元事業主に当該義務がある旨を述べた裁判例は存在しない5)。
そもそも労働契約は,使用者の賃金支払義務と労働者の労務提供義務(民法 623 条,労働契約法
6 条(以下「労契」という )からなるのであるが〔xx 2008,pp. 9-10〕,判例,法令及び労働契約上の条項によって,労使双方に上記以外の義務が課されることがある(例えば,安全配慮義務
(労契 5 条),厚生年金の被保険者資格届出義務
(27 条),不正競争防止法に基づく秘密保持義務及び労働契約に基づく競業避止義務など)。
法令上,事業主に何らかの義務が課され,当該義務違反が同時に労働契約違反となることは考えられるが6),老齢年金給付支給義務を負っているのは基金であり(130 条), 事業主には, 法令上,当該支給義務がないのは明らかである。それゆえ,本判決が,労働契約上,元事業主である Y1 には当該支給義務はない旨述べ,老齢年金給付は「厚生年金制度の 1 つとして,厚生年金基金制度の枠組みで実施される」と判示した本判決の判断は妥当なものといえるだろう7)。
IV おわりに
本判決の射程について述べておきたい。本判決は,基金の加算部分の受給者減額に関する判断が問題となったものであるから,基金による裁定に行政処分性があり,当該裁定によって年金支給という法律関係が発生するという判示部分については,他の企業年金制度に及ぶと解すべきではなかろう。
しかしながら,代行部分を有しないが,基金と同様に,法人格を有し,事業主ではない第三者である企業年金基金が給付を行う基金型の確定給付企業年金については,本件における論理構造(規約変更による老齢年金給付支給額の不利益変更及び労働契約に基づく元事業主の老齢年金給付支給義務に関する判示部分)は参考になると考えられよう。
注
1) この点について参考となる事例として,基金の解散に際し,老齢年金給付の支払義務を当該基金は免れると定める 146 条の解釈が問題とされたテザック厚生年金基金事件がある。当該事件では,受給権者らは,同条が定める「老齢年金給付」には加算部分は含まれることはないとし,解散するに際し,加算部分支給義務に代わる加算部分相当の清算金の支払義務を当該基金は負うと主張した。この主張に対し,1 審判決
( 大阪地判平成 16・7・28 労判 880 号 89 頁)は,同条を「基金が支給義務を免れる年金の種類について特段の制限を加えておらず」,「原資に応じて異なる取扱いをすることを予定しているとは認められない」として,同条が定める老齢年金給付には,基本部分はもとより,加算部分も含まれるとした。控訴審判決(大阪高判平成 17・5・20 労判 896 号 12 頁)も,1 審判決を引用し,同様の判断を行っている。
2) 同条は「老齢年金給付の額の算定方法は,次の各号のいずれかに該当するものでなければならない」と規定している。
3) 自社年金に関する裁判例では,就業規則の不利益変更の法理を類推適用又は参照することが多い。こうした裁判例で示された要件を本事例でも採用していると考えられる。
4) 本件は,規約型確定給付企業年金の実施主体である事業主からなるグループ企業が給付減額を行うために,厚生労働大臣による規約変更の承認の申請を行ったが,厚生労働大臣が規約変更を承認しない処分を行ったため,当該処分の取消を求めた事例である。
1 審判決(東京地判平成 19・10・19 労判 948号 5 頁)及び控訴審判決(東京高判平成 20・ 7・9 労判 964 号 5 頁)ともに,当該グループ企業では多額の経常利益が計上されているなどとして,いずれも訴えは棄却された。
5) ただし,xx電気事件では,基金が支給する加算部分の受給権と元事業主による労働契約上の配慮義務が問題となっているのであるから,本件や他の事例とは論点が異なるといえよう。
6) 事業主による健康保険及び厚生年金の被保険者資格の届出義務違反に対し,労働契約違反に基づく損害賠償請求を認めたxx工業事件(奈良地判平成 18・9・15 労判 925 号 53 頁) があるが,事業主には健康保険法 48 条及び厚年法 27 条により前記義務が課されている。
そのため,法律上,事業主には当該届出義務が課されている上記事件と本事例とを同様に考えるのは妥当ではなかろう。
7) ただし,退職金規程から内枠方式が採用されていると考えることができる場合には,基金が
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給付減額を行った部分につき,(元)事業主が当該減額部分相当額を支給する義務を負うと解することができる場合もある(詳しくは,〔xx 2005,pp. 106-107〕)。
引 用 文 献
xxxxx(2006)「りそな事件」『労働法律旬報』1620 号。
xxx(2005)『行政法 II 第 4 版』有斐閣。
xxxx・xxxx(2007)「厚生年金基金における加算部分減額の法的検討」(本件鑑定意見書)。 嵩xxx(2008)「確定給付企業年金の規約変更についての厚生労働大臣による不承認処分の取消 xx訴えが棄却された事例」『判例評論』598 号
(『判例時報』2018 号)。
xxx(2008)『労働法』日本評論社。
xxx(2005)「企業年金の減額・廃止をめぐる最近の判例動向」『季刊労働法』211 号。
xxxx(2006)「厚生年金基金制度の性質をめぐる法的問題点」『労働法律旬報』1620 号。
xxx(2006)「企業年金給付減額・打切りの法理」『ジュリスト』1309 号。
xxxx(2004)「企業年金の労働法的考察」『日本労働法学会誌』104 号。
(ねぎし・ただし 上智大学特別研究員)