が疑問視されていたが,第一次世界大戦後のドイツ経済の混乱状況の中で大規模公開会社における外資防衛策として位置づけられるようになり,その有効性が承認されるに至っ た。もっとも,そこで援用されている根拠は,基本的に「株主間契約は債務法的契約にすぎないから会社法のコントロールを受けない」という形式論にすぎなかった。ところが ,戦後になると,中小企業,ことに有限会社において社員間契約の利用が広がる。そのような社員間契約の利用の普及を背景に,BGH 一九六七年判決は,議決権拘束契約に...
xx 果
一 はじめに
株主間契約とは,株式会社の株主が会社の経営・株主権の行使などに関し締結する契約である
(定款も株主間契約の一種と言えるが,ここでは株主が定款外で締結する契約に限定する)。株主間契約の内容は非常に多様性に富んでおり,その全てを検討対象とすると議論の焦点が曖昧になる。そこで以下では,株主間契約の中でも重要性の高い議決権拘束契約(議決権の行使方法について締結される契約)をめぐる法規整を中心的に扱う。
株主間契約の重要性は近時増加しているが,従来のわが国における株主間契約,特に議決権拘束契約をめぐる議論状況を鑑みると,そこには次の四つの問題が残されているように思われる。それは,①株主間契約の多様な利用状況にもかかわらずその処理が一律的であること,②株主間契約という法形式の利用動機が明らかにされていないこと,③株主間契約をめぐる論点の相互的関連性が十分に意識されていないこと,④株主間契約をめぐる実質論につき十分な検討がなされていないこと,である。
このうち①の具体的内容は次の通りである。株主間契約の利用局面・形態は,公開会社を中心に企業結合・企業支配目的で利用される場合と,閉鎖会社において株主間の権限・利害調整のために利用される場合とに区分できる。前者については証券xxx・結合企業法・競争法等による後者とは異なった目的の規整がなされるので,本稿では閉鎖会社における株主間契約に焦点を絞る。さらに,閉鎖会社における株主間契約の利用についても一律に捉えることは適切でない。閉鎖会社において株主間契約が使われる典型的な局面としては,一方の極に大企業同士の合弁会社やヴェンチャー企業の場合,他方の極に小規模の同族企業の場合が考えられる。両者においては,当事者の属性に法的知識およびバーゲニングパワーという点で大きな差異があり,異なる法規整のあり方が要請される可能性がある。
以上のような問題関心から検討を進めるにあたり,本研究は,ドイツ法およびフランス法を検討対象として取り上げた。両国では近年急速に株主間契約をめぐる議論が活発化しているし,大陸法系の諸国での株主間契約の処理を見ることはわが国での解釈論を展開する際の参考になるからである。もちろん,アメリカにも株主間契約をめぐる議論の蓄積が多いが,その法規整の内容に関する先行業績は豊富なので,アメリカ法については法規整のあり方に対する基本的な考え方を援用することにする。
二 ドイツ法
まず,ドイツにおいて株主間契約が利用される動機について確認したい。ドイツ株式法は強行法規性を明示的にうたっているので,株主間契約の利用動機は強行規定の適用の回避にあるようにも考えられる。しかし,少なくとも今日のドイツにおいて株主間契約が利用される主要な場面は有限会社なので,有限会社における社員間契約の利用動機の方が重要である。
有限会社法においては,特に社員総会の議決方法についてxxな定款自治が認められているし,不真正定款要素という形での定款のアレンジも可能なので,会社法の強行法規性の回避が社員間契約の利用動機であるとは言い難い。むしろ,定款の修正変更には株主総会の特別決議および公証人による認証が必要になること,定款は商業登記所における公開の対象となること,が社員間契約との大きな違いである。従って,かかる手続コストの存在および社員間契約の秘密性の維持がドイツにおける社員間契約の利用動機と言えよう。
もっとも,かかる動機で利用される社員間契約といえども,その法規整は,株主間契約の利用をめぐる社会的・経済的背景に応じて変遷を経てきた。
戦前においては,当初は議決権行使の任意性というドグマに基づいて議決権拘束契約の有効性
が疑問視されていたが,第一次世界大戦後のドイツ経済の混乱状況の中で大規模公開会社における外資防衛策として位置づけられるようになり,その有効性が承認されるに至った。もっとも,そこで援用されている根拠は,基本的に「株主間契約は債務法的契約にすぎないから会社法のコントロールを受けない」という形式論にすぎなかった。ところが,戦後になると,中小企業,ことに有限会社において社員間契約の利用が広がる。そのような社員間契約の利用の普及を背景に,BGH xxx七年判決は,議決権拘束契約に基づく給付訴訟・強制執行(意思表示の擬制)を認め,その副産物として,原状回復請求の形の損害賠償請求も認められた。ここでは,社員間契約の普及という社会的背景が戦前からの形式論・ドグマに変容を迫ったことになる。
もっとも,この段階では,法人関係と社員間の契約関係との峻別という「分離原則」は強固に維持されており,契約違反の議決権行使に瑕疵はないと考えられていた。しかし,社員間契約の効力を拡張する動きは続き,BGH xxxx年判決・一九八六年判決がこれも変更した。そこでは,有限会社の全社員による合意に違反する社員総会決議の効力が,原状回復請求は迂遠な救済だという根拠により否定されている。両判決については賛否両論が激しく対立しているが,その議論から見えてくるものは次の二点である。
第一に,全社員による契約の場合には分離原則の意義は大きなものではないということである。そのような場合には,それに違反する社員総会決議に瑕疵を承認したとしても,それを支える解釈論は十分に成り立ち得るように考えられる。第二に,議決権拘束契約に結果的に定款と同等の効力を認めることの「副作用」についてである。この点をめぐる議論は二つの方向へ向かった。一つは,「社員
間契約は債務法的契約だから会社法の適用はない」という従来の命題を逆転させ,社員間契約にも会社法のルールを適用していく方向である。もう一つは,社員間契約と定款との違いは定款の公開性にあるとして,社員間契約に定款に準じた公開義務を課す方向である。これは社員間契約を不真正定款要素に近いものとして扱う結果になるが,そのような公開がなぜ必要なのか十分に明確にされておらず,商業登記を通じた会社情報の公開に大きな信頼を置くドイツ法に特有の議論と考えられる。
もっとも,その後の BGH xxxx年判決によって判例はこの第二の方向へと進んだかのようにも見える。同判決は,定款と異なる継続的な状態を形成する定款外のルール(定款潜脱)は,認証・登記という定款変更手続を経ない限り有効とは認められないと判示した。この判決の読み方は複数の可能性があり得るが,八三年・八六年判決がいずれもこの「継続的な状態」を形成する社員間契約だったとするならば,両判決はその限りで覆されたことになる。
三 フランス法
フランスについても株主間契約の利用動機の確認から始めたい。フランス会社法においても種々の規定を工夫すればかなりの定款自治が達成できる。例えば,種類株式の規定は,わが国よりもxxxに柔軟であり,株主総会における議決権を直接に増減するものを除けば,多様なもの(例えば一定数の取締役の選任権)を「種類」として設定できる。加えて,特別利益の規定・二倍議決権の規定・最高議決権の規定を利用すれば,実務において株主間契約に規定される事項の大部分は定款に組み込むことができると言われる。
しかし,それには次のコストがかかる。第一に,当事者によるさまざまなアレンジが可能だと言っても,そこには公序など一般条項による制約があり,アレンジの有効性の限界が明確になっていない。第二に,種類株式の規定や二倍議決権の規定に見られるように,完全な定款自治が認められているわけではない。このため,当事者は,有効性に疑問がある契約については定款ではなく株主間契約で規律しようと考えることになる。このようにな定款の利用に伴うコスト・不確実性の回避が株主間契約の利用動機と言える。
以上のように定款におけるアレンジの実現には不明確性がつきまとうが,株主間契約でも状況は変わらない。株主間契約の法規整(特に有効性)のあり方に対するフランスの学者の評価は「不明確」というもので一致している。例えば,議決権拘束契約については,議決権行使自由の原則その他の様々な会社法の強行的規定・原理が立ちはだかり,いかなる場合に有効な契約と認められるのかが確定できないという。しかし,実際に株主間契約が問題となっている裁判例を見ると,確かに一般論レベルでは有効性の基準は不明確だが,一定の事案類型,特に合弁会社のように株主間契約を利用する経済的合理性が強く認められるような場合においては,株主間契約(議決権拘束契約)の有効性がしばしば肯定されている。この意味で,ドイツ法同様,議決権行使の任意性といった抽象的な
ドグマは,株主間契約の閉鎖会社実務における必要性という社会的事情の前に次第に後退していると評価できよう。
しかし,かかる状態では国際的な競争にフランス会社法が勝ち残ることができないとして,簡易株式制会社(SAS)という会社制度が一九九四年に創設された。これは従来合弁会社実務で利用されていた株主間契約を定款の形で公認しようとしたものであるが,次の二点が興味深い。
第一に,SAS は当初,その利用主体が一定規模以上の会社に限定されていた。これは,SAS が合弁会社のために作られたという沿革の他,会社運営についてほとんど法律の規定のない SAS においては複雑な定款の起草が必要となるため,そのような会社でないと使いこなすことができないとの判断によるものであった。ただし,この制限は一九九九年改正によって廃止されている。第二に, SAS のもとでの株主間契約の役割が後退したことである。株主間契約の有効性については従前同様の不明確な基準が維持されているし,効力も相対効にとどまるとされている。これは,安定性や強い効力がほしければ定款に書けばよいのであり,定款に書かないことは不安定な株主間契約でよいという当事者の意図の現れだと考えられているためである。
なお,フランスでも株主間契約の公開が主張されることがある。これは,一つには証券xxxにお
ける情報開示の流れを受けたものだが,もう一つにはフランスの株主間契約の利用動機の「歪み」によるものだと考えられる。すなわち,株主間契約を利用する動機が違法無効と判断されることを回避するためにあるとすれば,株主間契約を利用したということは何かやましいところがあるのではないかという一種の推定が働く。そこで株主間契約を公開させようという発想が出てくるのであり,これもフランス法特有の事情に基づく主張と評価できよう。
四 検討
以上から,次のような指摘をすることができる。①株主間契約の規整は株主間契約の利用をめぐる社会的・経済的背景に強く影響されており,ドグマティッシュな命題は株主間契約の重要性の認識の普及につれ後退している,②株主間契約の有効性・効力などの論点は相互に関連している,③株主間契約の法規整のあり方は株主間契約の利用動機にも影響されている,④株主間契約の利用主体には「プロ」と一般人とがあり,両者で法規整を違えることには一定の合理性があり得る,⑤ドイツ・フランスにおいて主張されていた株主間契約の公開という議論はいずれも普遍性を持つとは言いがたい。以下では,これらの点を念頭に置きつつ,株主間契約をめぐる論点のうち特に重要と考えられる議決権拘束契約に違反した決議の効力(以下,特定的救済と呼ぶ)について考察したい。まず,議決権拘束契約に違反した決議に瑕疵を認めることが解釈論上可能かどうかを考察する。その際には次の点の検討が必要となる。それは,①分離原則・契約の相対効,②特定的救済を肯定した場合の会社法の規定との関係,③議決権行使の任意性というドグマ,④可能な法律構成,であ
る。
まず,分離原則・契約の相対効という原則が保護しようとするものは,基本的に契約外の第三者である。しかし,ドイツ法の展開が明らかにしたように,株主全員が契約当事者となっていて構成員の交代がない場合にまでそのような配慮をする必要は小さい。もちろん,そのような場合でも抽象的な第三者(会社の取引相手・将来の株主)への影響を考慮することはあり得る。しかし,前述したように,そのような抽象的な第三者の保護は必ずしも十分な実質的根拠に支えられたものとは言えない。次に,特定的救済を認めると「議決権拘束契約は債権的契約にすぎないから有効である」というロ ジックの裏側として,議決権拘束契約と会社法のさまざまな強行規定との関係が問題となってくる。例えば,議決権拘束契約で議決権の分配を組み替えた場合,一株一議決権ルールとの牴触が問題となりそうである。ドイツ法では,有限会社については定款自治が認められていたのでこれは問題にならなかった。しかし,わが国においても,ドイツ法同様,不真正定款要素という形での定款自治
が認められると考えれば,この点はクリアできる。
第三に,議決権行使の任意性というドグマについては,ドイツ・フランスいずれにおいても,その根拠が明確になっておらず,株主間契約の普及という社会的背景に応じてその説得力を失っている。わが国においても,株主間契約の社会的必要性が広く認識されている以上,根拠の不明確なかかる法理に依拠すべきではない。
最後の法律構成の点については,わが国の商法において可能な解釈論の一つとして,商法二四xxx項三号を活用することが考えられよう。
以上のように,解釈論として特定的救済を承認することは現行法下でも十分可能と考えるので,続いて機能的な検討を行いたい。その際には,株主間契約の利用主体について,前述したようにクラスを区別する(以下では暫定的に二つ)ことが有益であろう。クラス一は,契約関係の形成にあたって法曹専門家が関与し,法的ルールの状態についての知識やそれに基づいた将来に対するプランニング能力が十分に備わっていることが予想されるクラスであり,強力な交渉力をも有していることが少なくない。これに対しクラス二は,法的ルールのありようについて十分な知識を持っておらず,将来に対するプランニング能力も不十分なクラスであり,交渉力もわずかなことが多い。
まず,クラス一の当事者は,特定的救済が認められなくても自衛が可能である。法的な方法としては,定足数・多数決の修正,不真正定款要素,違約罰の設定などが考えられよう。さらに,非法的な方法として,関係継続から得られる将来の利益,名声,心理的抑止力などの利用も考えられる。ただ,これらの方法は,必ずしも柔軟なアレンジが実現できない,特定的救済に比べて迂遠な方法となってコストがかかる,といったデメリットがある。逆に,このクラスの当事者は,契約違反の議決権行使に瑕疵を認めたくないと考えるかもしれない。契約違反の議決権行使に瑕疵を認めることは,契約違反 行為をいっさい認めず,デッドロックが発生しかねないことを意味する。そのような事態を欲しない当事者は,当事者の関係が良好な間はコンセンサスで意思決定がなされるにしても,関係解消時には多数決ルールが適用されるという規律を好む可能性がある。このような当事者は,特定的救済のな
い規律として株主間契約を活用するので,株主間契約に定款と同じ効力を付与するとそのような株主間契約の利用方法が遮断されてしまう。
これに対し,クラス二の当事者については以上のような対応を期待しにくい。法的ルールのあり方について知らなければ他の手段を採ることは期待できないし,法的ルールは知っていても法的・非法的なサンクションの分配を適切になし得ないからである。では,なぜクラス二の当事者はそのような不完全なプランニングで不安を覚えないのだろうか。事前のアレンジの不完全性についての古典的な説明である「限定合理性」はこの場面での説得的な根拠にはなりにくい。なぜなら,株式買取価格や違約金の額の設定などと異なり,ここでは支配権の分配という単純かつ重要な事項が問題になっており,契約が「できない」という根拠ではなく,契約する「必要がない」という側から説明する方が説得的だからである。すると,契約する必要がないのは,契約に変わる一定の調整メカニズムがそこに存在しているからだと考えるべきではないか。
クラス二の当事者の契約行動がそのようなものであるとするなら,特定的救済の承認は不適切である可能性がある。なぜなら,契約違反が発生して訴訟が裁判所に持ち込まれたということは,調整メカニズムが破壊されて機能しなくなったことの徴憑といえる。しかるに,特定的救済を承認しても,従来会社の経営に関する多種多様な事項を調整していたメカニズムのごく一部が補完されるにすぎない。それでは,他の部分での紛争は継続し,訴訟が多発するかもしれない。アメリカ法でしばしば指摘されるように,そのような場合には関係の継続を目指すよりもxxな条件での関係解消を図るべきであろう。ただし,容易に利用可能な退出制度が創設されればこのデメリットは小さくなる。なお,特定的救済を否定すると契約違反の被害者の救済がなされないという問題があるかに見えるが,これは損害賠償を再考することで解決すべきである。すなわち,株主間契約によって維持されていた当事者の地位が,契約の明示の文言に加え,契約に伴う調整メカニズムによっても保障されていたということから出発し,それを損害賠償で回復させることを考えるのである。このような理解は奇抜に聞こえるかもしれないが,株式評価論の文脈ではむしろ共通理解となってきた発想である。とすれば,議決権拘束契約違反の際の損害賠償としては,このような二つの経済的な地位の差額(保有株式の価値から,契約違反後に株主が有する地位から得られる利益を除したもの)を基本的な賠償
額と考えるべきである。
以上を整理すると,特定的救済の承認のメリットとしては,クラス一の当事者の契約締結コストの節減があるのに対し,デメリットとしては,①クラス一の当事者から選択肢を奪う,②クラス二の当事者においてコストを発生させる,というものがある。問題はこのメリットをどこまで重視するかということである。現行法下でのアレンジコストを大きなものと見るならば特定的救済を承認することは有益であろうが,そうでなければ伝統的な通説にも合理性があったことになる。これに対し,現在進行中の会社法改正が実現すれば,メリット部分は小さくなり,伝統的通説に理由が出てくるけれども,デメリットの②も法改正によって解消されるのであれば,特定的救済の承認にも十分な合理性があると考える。