借入人 スリランカ民主社会主義共和国政府 事業実施機関 スリランカ土地埋立開発公団(SLLRDC) 交換公文締結 1992年3月 借款契約調印 1992年3月 貸付実行期限 1999年5月 貸付承諾額 11,198百万円 貸付実行額 10,441百万円 調達条件 一般アンタイド(但し、コンサルタントは部分アンタイド) 貸付条件 金利: 2.6%返済: 30年(うち据置10年)
スリランカ「大コロンボ圏水辺環境改善事業」
平成13年3月プロジェクト開発部 開発事業評価室
事業要項
借入人 | スリランカ民主社会主義共和国政府 |
事業実施機関 | スリランカ土地埋立開発公団(SLLRDC) |
交換公文締結 | 1992年3月 |
借款契約調印 | 1992年3月 |
貸付実行期限 | 1999年5月 |
貸付承諾額 | 11,198百万円 |
貸付実行額 | 10,441百万円 |
調達条件 | 一般アンタイド (但し、コンサルタントは部分アンタイド) |
貸付条件 | 金利: 2.6% 返済: 30年(うち据置10年) |
参 考
(1) 通貨単位 : スリランカ・ルピー( Rs)
(2) 為替レート:(IFS年平均市場レート)
暦年 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | |
レート | Rs/US$ | 41.4 | 43.8 | 48.3 | 49.4 | 51.3 | 55.3 | 59.0 | 64.6 | 70.4 |
円/US$ | 134.7 | 126.7 | 111.2 | 102.2 | 94.1 | 108.8 | 121.0 | 131.0 | 114.0 | |
円/Rs | 3.3 | 2.9 | 2.3 | 2.1 | 1.8 | 2.0 | 2.1 | 2.0 | 1.6 | |
CPI (1990=100) | 100 | 111.3 | 124.4 | 135.0 | 145.3 | 168.5 | 184.6 | 201.9 | 211.3 |
(3) アプレイザル時レート( 1991年12月): 計画 1Rs=3.1円
(4) 会計年度 : 1月~12月
(5)略語:
・ NHDA: National Housing Development Authority (住宅開発公社)
・ SLLRDC: Sri Lanka Land Reclamation Development Corporation (スリランカ土地埋立開発公団)
(6)用語解説
・シャンティ(Shanty):河川沿いや鉄道敷、または湿地帯等の公有地に、貧困層が無権利で掘立て小屋を建てて居住する地区。
はじめに
本事業の主たる内容は、洪水制御のための河川改修と、河川沿いシャンティ住民の移転/居住地整備である。本事業の評価を行うにあたり、前者については国際協力銀行(以下
「JBIC」)による評価とし、後者については「低所得居住地の参加型開発」を専門とする第三者、日本福祉大学の教授穂坂光彦氏および同大学院生の小椋知子氏に評価を依頼することとした。
本報告書では、事業全体および洪水制御効果、施設の維持管理状況を評価し、住民移転部分については、後続の第三者評価報告書にゆずることとする。
主要計画/実績比較
① 事業範囲
計画(アプレイザル時) | 実績 | |
1. 河川改修 | ||
(1)河道拡幅・河床掘削 | 総延長 43,995m | 総延長 43,844m |
(2)新川(放水路)開削 | 4ヵ所 延長 9,871m | 4ヵ所 延長 9,666m |
(3)遊水地整備 | 5ヵ所、総面積380ha | 4ヵ所、総面積348ha |
(4)河川付帯構造物 (道路橋、地下水路等) | 計 43ヵ所 | 計 49ヵ所 |
2.シャンティ住民の移転 | ||
(1)対象世帯数 ・再定住区への移転対象 ・同一地区内での区画整備対象 ・未定 | 4,382 3,317 18 計:7,717 | 2,792 1,573 ― 計:4,365 |
(2)住民への支援内容 | ① 土地(50m2) ② 共同インフラ(水道、トイレ、排水施設、ゴミ収集箱、コミュニティセンター、街灯、道路等) ③ 住宅ローン(NHDAより 20,000 Rsまで、低所得者にはグラント8,000Rs供 与) ④ 1,000Rsの恵沢金 ⑤ 移転時の車両提供 | 左記に以下が追加: ⑥ 家屋基礎整備(コロン ボ市外への移転者対象) ⑦ 恒久住宅への補償費 |
3.維持管理機材調達 | ||
(1)掘削機械 | 6 | 7 |
(2)浚渫機械 | 4 | 1 |
(3)運搬機械 | 27 | 37 |
(4)クレーン/フォークリフト | 2 | 2 |
(5)杭打ち機 | 1 | ― |
4.コンサルティング・サービス | ||
入札評価、施工監理、技術指導 | 560M/M | 604M/M |
②工期
1990年 1991年 199¹年 199³年 1994年 199±年 1994年 1997年 1998年 1999年
I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV
維持管理機材調達
住民移転
河川改修工事
借款契約調印
コンサルタント選定
~サービス終了
コントラクター調達
アプレイザル時計画<1991年1¹月>
実績
出所:JBIC資料、SLLRDC資料
(注):河川改修工事は、住民移転が終了した部分から実施された。
③事業費
単位:百万円、( )内は百万Rs
計画(アプレイザル時) | 実績 | 差異 | ||||||||||
総額 | うち 借款額 | 総額うち内貨 (百万Rs) | 総額 | うち 借款額 | 総額うち内貨 (百万Rs) | 総額 | うち 借款額 | 総額うち内貨 (百万Rs) | ||||
土木工事 | 6,426 | 6,426 | 1,697 | (547) | 6,691 | 6,691 | 2,235 | (1,092) | +265 | +265 | +538 | (+545) |
住民移転 | 761 | 713 | 761 | (246) | 1,023 | 1,023 | 1,023 | (471) | +262 | +310 | +262 | (+225) |
維持管理 | 1,099 | 1,099 | 250 | (81) | 931 | 931 | 60 | (30) | –168 | –168 | –190 | (–51) |
機材調達 | ||||||||||||
コンサルティング・ | 1,012 | 1,012 | 230 | (74) | 984 | 984 | 184 | (87) | –28 | –28 | –46 | (+13) |
サービス | ||||||||||||
現場管理費 | 215 | 214 | 215 | (69) | 24 | 24 | 24 | (15) | –191 | –190 | –191 | (–54) |
土地取得、 | 1,675 | - | 1,675 | (540) | 1,134 | - | 1,134 | (540) | –541 | - | –541 | - |
恵沢金 | ||||||||||||
税 | 283 | - | 283 | (91) | 1,246 | - | 1,246 | (593) | +963 | - | +963 | (+502) |
建中金利 | 787 | 787 | - | - | 789 | 789 | - | - | +2 | 2 | - | - |
計 | 12,258 | 10,251 | 5,111 | (1,648) | 12,821 | 10,441 | 5,906 | (2,827) | +563 | +190 | +795 | (+1,179) |
予備費 | 1,148 | 947 | 512 | (165) | - | - | - | - | - | - | - | - |
合計 | 13,406 | 11,198 | 5,623 | (3,461) | 12,821 | 10,441 | 5,906 | (2,827) | –585 | –757 | +283 | (–634) |
(出所):JBIC資料・SLLRDC資料
[換算レート] アプレイザル時:1Rs=3.1円、実績:貸付実行時レート [借款対象外については、1Rs=2.1円 (貸付実行時平均レート)で換算]
経緯 | ||
1985年11月 | : | 世銀融資事業「上水・公衆衛生整備事業」の中で大コロンボ圏の排 |
水路システム改修についてスタディの必要性が指摘される | ||
1987年9月~ | : | 英国コンサルタントが上記スタディを実施 |
1989年3月 | : | スリランカ政府が本事業の借款を要請 |
: | JBIC「大コロンボ圏排水システム改修事業E/S」アプレイザル | |
1990年3月 | : | 「大コロンボ圏排水システム改修事業E/S」借款契約締結(承諾額 |
299百万円) | ||
1991年12月 | : | JBIC「大コロンボ圏水辺環境改善事業注」アプレイザル |
1992年3月 | : | JBIC「大コロンボ圏水辺環境改善事業」借款契約締結(承諾額 11,198百万円) |
1993年10月 | : | 河川改修工事開始 |
1998年3月 | : | 河川改修完工 |
1998年5月 | : | 貸付実行期限延長(1年) |
1999年5月 | : | 貸付完了 |
注)E/S借款時より名称変更。
1. 事業概要と円借款による協力
事業地
シャンティ・コミュニティ 移転の軌跡
1.1 背景
1.1.1 事業の必要性
本事業対象地域である大コロンボ圏は、スリランカ最大の都市コロンボの近郊地区である。その大部分が海抜6メートル以下の低平地で構成されており、特に海抜1メートル以下の地 域には河川沿いに湿地帯が点在して雨水等の一時的な貯留池(遊水地)として機能している。しかし、地域開発の進行に伴い湿地帯の面積が減少する一方、長期間のメンテナンス不足に より河川の排水機能が低下していることから、毎年のように洪水が発生している。
こうした洪水による被害は、河川沿いに居住している都市貧困層(シャンティ・コミュニティ)に特に顕著で、居住への浸水およびそれに起因する疾病の蔓延などが大きな社会問題となっており、その対策を緊急に実施する必要性があった。
1.1.2 事業対象地域の現状(事業実施前)
(1) 河川の現状
延長34kmの主要河川が事業対象地域内に存在しており(「事業地」参照)、事業実施前、これらの主要河川の流下能力は、2年確率(2年に一度程度の規模)の洪水にも耐えられな
い状態であった1。このような低い流下能力は、元来水路が狭く低平地である上に、水路内の土砂堆積、ゴミ投棄、人為的な埋立てによるものである。このような河川の流下能力と、河川につながる排水路の未整備2があいまって、事業対象地域の北部や水路沿いの低地で浸水被害が頻繁に発生していた。更には、対象河川の多くでは、ゴミ投棄、未処理の排水の流入等により水質が劣悪で、その上流れが淀んでおり、しばしば臭気を発生していた。
(2) シャンティの現状
シャンティとは、河川沿いや鉄道敷、または湿地帯等の公有地に、貧困層が無権利で掘 立て小屋を建てて居住する地区のことである。本事業のF/S時の調査(1987~88年)では、事業地域内の河川沿いにシャンティ15,000戸が確認されている3。これらシャンティにおける洪水被害は深刻であり、中には、降雨の度に浸水したり(写真「Dеhіwаlа Cаnаl沿いのシャ
ンティ」参照)、年に何度も家屋が流されるケースさえあった。
住民の多くは共同水道、共同トイレ(厠)を利用しているが、地域に排水設備は整っておらず、ゴミの回収も行われていない。よって、これらを河川に垂れ流しており、これが衛生環境の悪化および河川流下能力の更なる低下を招いていた。
川沿いを含むコロンボのシャンティ住民については、既に、スリランカ政府(所管は、住宅開発公社(NHDA: Nаtіonаl Housіng Dеvеlopmеnt Authorіty))が、1978年から「百万戸計画」など5つの居住環境改善プログラムを実施し、住民の移転や居住地整備を行っていた。
1 例えば、Torrіngton Cаnаlは、2年洪水に対する最小必要流下能力は、19m3/sであるのに対し、最大流下能力は9.7m3/sであった。
2 II期事業「大コロンボ圏水辺環境改善事業(II)」にて、コロンボ市地区の5排水システムの整備を実施中。
3 都市貧困地域の詳細は「第三者評価報告書」参照。
1.2 目的
本事業の目的は、大コロンボ圏において、河川システムを整備する(河川改修、遊水池整備等)ことで毎年発生している洪水を制御すると共に、シャンティ住民の移転/居住地整備により生活環境の向上を図り、もって水辺環境の改善を図ることである。
1.3 事業範囲
上記目的を達成するための、事業内容は以下のとおりである(主要計画/実績比較の事業範囲を参照)。
(1) 河川改修
冒頭の「事業地」地図の点線部分が、本事業による工事箇所である。河川改修の方針としては、排水機(ポンプ)場のような操作を要する施設は設置せず、自然流下を原則としている4。具体的には、工事によって、①事業地域内の主要な河川約34kmの河道拡幅、河床掘削を実施し、流下能力の増加を図るとともに、②遊水地整備(総面積348ha)と4つの放水路の新規建設(延長約10km)を行い、既存河川への洪水の負担を軽減している。工事内容の実績は、ほぼ計画どおりとなっている。
(2) シャンティ住民の移転/居住地整備5
河川を拡幅し、堤防に維持管理のための道路幅(3~5m)を確保するには、沿川に建てられたシャンティの移転が必要となってくる。政府のシャンティ居住環境改善プログラム(上述)のプロセスおよび住民支援内容に沿って、本事業のシャンティ住民の移転/居住地整備が実施されることとなった。
アプレイザル時点(1991年12月)では、移転対象者は7,717世帯とされ、そのうち4,382世帯は、地区外の再定住区に移転し、3,317世帯は同一地区内で、堤防の外側にシフト(オンサイト移転)する等、区画整備の対象となった(残りの18世帯はそのどちらの対象となるのか決まっていなかった)。実績の対象者数は、前者が2,643世帯、後者が1,714世帯と、計4,357世帯に大幅に減少している。これは、当初は直接の洪水被害を受けないシャンティも対象としていたのに対し、後に、対象者数を最小に抑える方針に変更された等の理由による。
また、住民への支援内容としては、①土地(50m2)、②共同インフラ(水道、トイレ、排水施設、ゴミ収集箱、コミュニティセンター、街灯、道路等)③住宅ローン(NHDAより 20,000 Rsまで、低所得者にはグラント8,000Rs供与)、④1,000Rsの恵沢金、⑤移転時の車両提供が計画され、住民の要望によって⑥家屋基礎整備(コロンボ市外への移転者対象)、⑦恒久 住宅への補償費も追加された。再定住区は大コロンボ圏内に18箇所が整備されたが、これは、湿地帯等を実施機関が埋め立てたものである。円借款対象は、埋立費用、共同インフラ整備 費、家屋基礎整備費の全額であった。
(3) 維持管理機材調達
本事業後も、メンテナンス不足による土砂堆積などを生じさせないためには、維持管理機
4 本事業のE/Ѕでは、F/Ѕにて提案されていた4つの代替案の検討を行っており、コストや維持管理、周辺環境等を鑑み、本案が選定された。
5 詳細は「第三者評価報告書」参照
材の調達が不可欠であり、掘削・浚渫機械、運搬機械等が調達された。
(4) コンサルティング・サービス
コンサルティング・サービスの内容は、入札評価、施工監理、技術指導であり、業務量の実績は604M/Mであった。うち、54M/M分は、住民移転にかかるソーシャル・プランナーが雇用されており、その主な業務内容は、河川改修工事と住民移転プログラム間の調整や住民のニーズ把握であった。
2.評価結果
2.1 計画の妥当性
2.1.1事業計画の妥当性
アプレイザル当時、大コロンボ圏で洪水制御事業を行う緊急性は高く、それとともに、川沿いシャンティ住民の移転/居住地整備を実施することは、スリランカ政府により1978年から実施されていた居住環境改善プログラムをサポートするものであった。よって、本事業全体の計画は妥当であったといえる。
2.1.2河川改修計画の妥当性
本事業で改修された河川は、事業地域内では最下流の水路網である。もし仮に、この水路網を改修せずに、流域内での排水路整備を優先すると、下流側にあるこれら河川に負担をかけ、水害を一層助長させることになる。よって、大コロンボ圏の洪水制御事業の手始めとして、これら下流河川の改修を本事業で実施したことは妥当であった(II期事業で本事業地域内での局地的な排水不良改善を5箇所で実施中)。
また、本事業の計画規模、すなわち治水安全度についても、妥当性が認められる。本事業の治水安全度は1/10(10年に1度の降雨レベルに耐えうる安全度)であるが、例外的に、上流部のParliament Lakeは1/25、Dehiwala Canalは1/5とされている。事業地域内の主要な河川周辺の地盤高は海抜2m以下であり、河川の流下能力を増加させる手段として、川床を掘り下げ
ることには限界があり、川幅の拡幅に頼らざるを得ない。安全度をこれ以上向上させるには、
更なる数の住民移転が必要となる。そこで、地形条件、事業の実施可能性(特に、住民移 転)を勘案して、計画洪水位を海抜1.75mと定め、それから25cmの余裕をとって、堤防高を海抜2.0mと決定された。この高さに設定し、一定の河道拡幅を行えば、もっとも危険な箇所でも1/10の洪水をクリアできるということで、治水安全度を1/10としている。ただし、 Dehiwala Canalは、1/10で水路拡幅を実施しようとすると、影響を受ける戸数が非常に多くなり、事業が実施不可能となることが予想されたため、1/5で妥協された。事業実施前の水路の安全度が1/2以下であり、1/10に上げるということは相当な治水安全度の向上と考えられ、暫定目標として1/10は妥当と考えられる。
更に、排水機(ポンプ)場など操作を要せず、重力による自然流下による治水システムを採用したことは、着実かつ持続可能な手法と評価できる。ただし、治水安全度を向上させようとした場合6、再度の水路拡幅は困難であると考えられるため、排水機場等の施設整備は
6 今後、都市開発の進展、特に低地地域の開発を考慮して、より高い治水安全度の設定も検討すべきである。
選択肢の一つとして持っているべきであろう。
2.2 実施の効率性
2.2.1事業費
総事業費の実績は12,821百万円、うち借款額は10,441百万円と、ほぼ計画どおりである。うち、シャンティ住民移転/居住地整備にかかる借款額は、246百万Rsから471百万RsとRsベースで倍加している。これは、物価上昇に加え、1)家屋基礎整備費の追加、2) 後々の個別インフラ化に対応した共同インフラのアップグレード(個別配電に対応した変圧器の設置、個別トイレ設置に対応した共同浄化槽の設置など)が主な理由である。
2.2.2工期
1年間の期限延長を1998年5月に行っており、延長理由は、1)治安上の理由による工事認可の遅れ、および2)一部維持管理機器の国内調達手続きの遅れである。住民移転については、 1990年12月にNHDAによる世帯調査が開始され7、実際の移転は1992年から96年に、再定住区でのインフラ整備は97年までかけて順次実施された。
2.2.3実施体制
(1)実施機関
本事業の実施機関は、1968年に設立されたスリランカ土地開埋立開発公団(SLLRDC:Sri Lanka Land Reclamation and Development Corporation)であり、担当は河川開発維持局(Canal Development and Maintenance)である。SLLRDCは、土地造成(埋立)を行いそれを売却することを主たる事業としつつ、国内の河川改修や湖沼の排水事業等の公共事業を行っている。また、シャンティ住民の移転/居住地整備については、NHDAが過去の経験を活かし世帯調査、住民協議、区画割等を担当し、SLLRDCが居住地整備(埋立て・インフラ整備)を行うなど、協力・連携して実施することとなっていた8(住民移転の実施体制評価は「第三者評価報告書」参照)。
(2)コンサルタント
アプレイザル時点では、部分アンタイドのショートリスト方式によるコンサルタント選定を予定していたが、本事業のE/Sを行った本邦コンサルタントと随意契約を締結している。 SLLRDCは、コンサルタントの技術力、監理能力を高く評価している。ただし、住民移転にかかるソーシャル・プランナーについては、プログレスレポートの作成等が中心となり、住民のニーズ把握が不充分であったとのことである。
(3) コントラクター
コントラクター調達にあたっては、事前資格審査つきの国際競争入札にかけ、日本籍・韓国籍の共同企業体に決定した。SLLRDCは、コントラクターの実施能力も高く評価している。
7 住民移転対象地区の中には、既にNHDAのシャンティ居住環境改善政策により区画整備が開始されていた地区もあった。
8 SLLRDCとNHDAは、双方とも住宅建設省(Ministry of Housing and Construction) (現在のMinistry of Housing and Urban Development:住宅都市開発省)の所掌下にある。
2.3 効果
本事業の洪水制御効果は明らかである。本項では、河川の水位低下を定量的に分析すると ともに、住民インタビューの調査結果から浸水被害の減少や衛生状態の向上状況を評価する。
2.3.1河川の水位低下
本事業の改修による効果を検証するため、事業の完成前後で、水位観測地点での最高水位を比較する。1992年6月に大コロンボ圏は未曾有の洪水を経験し、浸水は1週間程度継続したが、これは確率に換算すると1000年に1回を超える規模の降雨で あるため、比較対象にはならない。よって、表 2-1では、事業完成前後で同規模の降雨量( 2日または3日雨量9)を比較対象として抽出し図 2-1でその降雨期間の最高水位を表した。1995年、1997年ともに改修工事にすでに着手しており、事業実施前ということはできないが、この時点では連続して水路が拡幅されているわけではなく、 完成後の流下能力に比較するとかなり小さいと考えられるため、比較対象として問 題はない。
図 2–1より、一部の例外10はあるものの、事業の完成後の方が低水位にとどまっている傾向がわかる。これは、本事業により排水状況が改善し、河川の流下能力が増加したためであろう。このことは後述の住民アンケート調査結果と符合している。
表 2–1 降雨の状況
降雨期間 | 2日雨量(mm) | 3日雨(mm) | 備 考 | |
完成前 | 1995年11月2~ 6日 | 148 | 148 | North Lock開 |
1997年10月17~ 21日 | 137 | 165 | North Lock開 | |
完成後 | 1998年11月8~ 10日 | 144 | 148 | North Lock閉 |
1999年4月7~ 9日 | 124 | 161 | North Lock開 |
出所: SLLRDC資料
1.6
1.4
1.2
1
0.8
0.6
0.4
0.2
0
1995年11月
1997年11月
1998年11月
1999年4月
Kotte North Kirillapone
Torrington
水路名
Wellawatta Dehiwala
最高水位 MSL+m
図 2–1 主要河川における最高水位の比較
出所: SLLRDC資料
9 2日雨量は2日連続した総雨量、3日雨量も同様である。本事業は流域が平坦であること等から、日雨量(1
日間の総雨量)よりも2日、3日雨量の影響が大きいと考えられる。
10 North Lockは、本事業地域の北部地区からの水をKelani川に排水にするポイントであるのと同時に、 Kelani川の洪水がコロンボ市内に逆流を防ぐポイントでもある。管理は灌漑省が行っており、この地点での Kelani川の水位が海抜1.2mに達すると水門が閉鎖される規則になっている。North Lockが閉鎖されると北部地域の水位は上昇し、浸水被害が増大する。1998年10月の洪水時にはNorth Lockが閉鎖されたため、全体として水位が高くなっている。
さらに、本事業完成後の最大降雨量時の水位状況を検討しよう。1999年4月20-22日の降雨は、25年確率を超える雨量(最大日雨量284.6mm)であり、表 2-2に示すように、 Kotte North Canalをはじめ主に北部の水路で計画高水位海抜1.75mを超える洪水が発生しているが、計画堤防高海抜2.0mには達していない。事業実施前には2年確率の降雨に対しても流下能力が不足していた水路網であったのが、事業実施後に25年確率を超える降雨に対して、堤防高以内に水位が収まっていることからも事業の効果が確認できる。
表 2–2 1999年4月洪水時の最高水位
最大日雨量 (mm) | 最高水位(海抜+m) | ||||
Kotte North | Kirillapone | Torrington | Wellawatta | Dehiwala | |
284.6 | 1.85 | 1.38 | 1.27 | 1.16 | 0.55 |
出典: SLLRDC資料
2.3.2 浸水頻度および被害の減少
本事業の住民への影響を把握するため、2000年11月に河川沿いの4地区11( 7頁「事業地」参照)で、総計16世帯へのアンケート調査(調査表は別添1)を行った。16世帯と少数であることから、これをもって事業全体の効果を表すことはできないが、上述の定量的効果を裏付けする情報として有効である。
(1)事業前後の浸水頻度、最大浸水深、浸水時間の変化
表 2-3に事業実施前後の浸水頻度、最大浸水深、浸水時間の変化を示す。Kirillapone Canalを除いて、残存水害(後述)の区域に入っており、事業実施後も浸水被害は発生しているものの、各項目ともにその浸水状況は著しく改善されている。
表 2-3 4地区における浸水頻度・最大浸水深・浸水期間
St. Sebastian South | Torrington South | Kirillapone | Dehiwala | ||
浸水頻度 (回/年) | 事業前 | 2~3 | 3~5 | 1~4 | 1~3 |
事業後 | 0~2 | 0~2 | 0~2 | 0~2 | |
最大浸水深 (cm) | 事業前 | 75~100 | 60~90 | 6~60 | 60~120 |
事業後 | 0~20 | 15~35 | 0 | 0~60 | |
浸水期間 (日) | 事業前 | 3~4 | 5~7 | 1時間~1日 | 3~7 |
事業後 | 0~2 | 1 | 0 | 0~2 |
(2)浸水被害軽減
被災項目別の被災状況及びその程度を表 2-4に示す。各項目とも全体的に、事業後には状況が改善しているのがわかる。
11 事業前後の被害の発生状況、沿川状況、河川の形状(川幅等)及び地域性(南北の広がり)を勘案して選定した。
2.3.3衛生状態の向上・その他
(1) 衛生状態・疾病・水質
表 2–4 各被災項目別の被災状況
被災項目 | St. Sebastian South | Torrington South | Kirillapone | Dehiwala | |
家財、資産 への被害 | 事業前 | 有(中or小) | 有(大) | 有(小) | 有(大or中) |
事業後 | 有(小) | 有(小) | 無 | 有(小) | |
家屋への被害 | 事業前 | 有(大) | 有(中) | 有(小) | 有(大) |
事業後 | 有(中) | 有(中) | 無 | 有(中or小) | |
道路交通へ の被害 | 事業前 | 有(中) | 有(大) | 中(中) | 有(大) |
事業後 | 有(小) | 有(中) | 無 | 有(中or小) | |
勤務先・学校の欠勤 | 事業前 | 有(大) | 有(大) | 有(大or中) | 有(大) |
事業後 | 有(中) | 有(大or中) | 無 | 有(大or中) | |
洪水後の片 付け・清掃 | 事業前 | 有(中or小) | 有(中) | 無 | 有(中or小) |
事業後 | 有(小) | 無 | 無 | 有(中or小) |
(注)Ⅰ「有・無」:各項目に関して、浸水被害の発生の有無を示す。
Ⅱ( )内の「大・中・小・僅小」は、浸水被害の程度に関する主観的な評価を示す。
Ⅲ網掛けは事業前後で改善がみられなかった項目
「衛生状態が改善されたか」という質問に対し、1件を除きすべての被験者が改善されたと回答している。その理由で最も多かったのは、「恒久住宅を建設できたから」で11件あった。掘建て小屋では、洪水の際に流出してしまうおそれがあり、また仮設であるため十分な衛生施設が整備できなかったことが原因と思われる。
「疾病の発生が減少したか」という質問に対しては、減少したという13件の回答があった。洪水の発生が減少し、家屋に汚濁洪水が入ってこなくなった、河川拡幅で環境が改善されたこと等が理由に挙げられている。また、疾病の種類としては皮膚病が主である。
水質の改善は地区により、回答が異なる。改善したと回答した被験者は、水路に流れがあることを理由とし、逆の場合はゴミの不法投棄を挙げる傾向にあった。
(2)その他
河川の改修にともない一部地域を除いて、両岸または片岸に維持管理用道路(3~5m)が建設された。この道路は維持管理のみではなく、日常生活に利用されており、利便性の向上という効果も表れている。ただし、一部に、自動車の通行量が増加し、騒音、粉塵、地盤沈下の発生等マイナスの影響が生じているという意見もあった。
2.3.4 内水問題
本事業実施前に、浸水実績のある区域は詳細には調査されていないが、事業実施前の河川水位12より低い区域がすべて浸水するものとして332 haの浸水区域が設定さ
12 E/Sでの計算結果によると、最大海抜2.86m(Torrington Canal)、南部の海への排水口を除くと、おおむ
ね海抜2.0mを超えている。
れている。改修後、計画高水位海抜1.75m以下の地域の洪水が“残存”するとして、その面積は166haと算出されている。すなわち、改修により約半分の区域が浸水被害から解放されるが、残りの半分は残存水害の区域となる。これらの区域では、洪水位よりも地盤高が低く、自然に排水できないことにより生ずる内水が問題となる。事業地域内の主要な河川が海水面の影響を受け、川床の掘削が制限を加えられている状況では、このような問題の発生は避けられない。
この対策として、地盤の嵩上げ、ポンプ排水が考えられるが、抜本的対策としては嵩上げが有効である。住民移転を行った箇所で、嵩上げを行うことが望ましいが、費用、工期、軟弱地盤等でその対策が実施されなかった箇所も多いようである。内水対策の第一義的責務は市にあり、本事業が完了した現在においては、市、住民、SLLRDCが協力して有効な対策を実施する必要がある。
純粋な内水の他に、平常時に使用している雨水・生活排水の流出口から、洪水が逆流してくるという被害も発生している。住民が操作できるような排水用ポンプなど、逆流防止施設を設置し、被害を防ぐことが必要である。
2.3.5経済的内部収益率(EIRR)
アプレイザル時には、経済的内部収益率(EIRR)として、9.7%が算出されており、費用項目としては建設費用と維持管理費用を、便益項目としては、①道路の維持費用の軽減、②車両への被害の軽減、③移動時間のロスの軽減、④労働者の欠勤の軽減⑤土地への被害の軽減
(地価の上昇)、⑥利用可能な土地の増大(低湿地内の土地開発)の6項目を計上している。本評価において、根拠を同じくしてEIRRを再計算したところ、10.9%となった。アプレイザル時と比較して、若干EIRRの数値が上昇しているが、その大きな要因は、都市内での地価の上昇、自動車被害の軽減である。
なお、EIRRの便益項目としては、世帯、事業所および公共土木施設の被害額の軽減が基本項目の一つではあるが、上記にこれらは含まれていない。本事業流域ではこのような直接被害にかかるインパクト調査を事前に実施していないことから、やむを得ないと思われるが、今後、この種の事業実施前には基礎資料として調査しておくことが望ましい。
2.4 インパクト
2.4.1洪水制御による社会経済的効果(間接効果)
本事業完成により期待される社会的経済的な効果として、利用可能な土地の増加、水起因の疾病の減少、水害による地域経済への損失の解消等が挙げられる。
利用可能な土地の増加については、本事業完了後3年近くしか経過しておらず、統計的な数値としては表示しにくいものの、現地視察を行った際、改修工事が実施された近傍で新しい土地造成及び住宅建設等が確認され、河川や遊水地沿いを中心に開発可能地域が拡大していることがわかった。疾病の減少についても、大コロンボ圏全体の疾病統計と関連づける
ことは不可能であったが、特にシャンティや川沿いの住民に大きなインパクトがあったことが、前述の住民アンケート調査や「第三者評価報告書」より明らかである。なお、住民アンケート調査によると、浸水被害(家屋への被害、水害による欠勤、水害後の清掃・片付け 等)が全体的に軽減されていることがわかり、これにより、これまで水害で浪費された時 間・費用を他へ回すことが可能となり、直接間接に地域経済の発展に寄与するものと考えられる。
2.4.2 移転/居住地整備によるシャンティ住民へのインパクト
第三者評価報告書参照。
2.4.3 環境へのインパクト
本事業では、Е/Sの中で、環境影響評価(ЕIA)を実施し、同評価は所管官庁の中央環境庁
(CЕA: Central Еnvironmental Authority)に受理されている。なお、事業実施前から問題とされていた水質については、維持管理の問題として次項に記述する。
2.5 持続性・自立発展性(運営・維持管理)
2.5.1 運営維持管理体制
(1)運営維持管理体制
本事業で改修された河川の維持管理は、SLLRDCの河川開発維持局にある河川維持部が所管している。河川維持部は、北部地域事務所と南部地域事務所からなり、技術者と作業員計 100名を擁している。浚渫など機械を用いる作業を行う場合は、SLLRDC全体の機械作業(埋立を含む)を担当する機械事務所(Machinery Workshop)の協力を得ている。
維持管理の主な内容は、浚渫、水面の清掃(ゴミ・水草等の除去)、除草、護岸の補修であり、特に浚渫、水面清掃に維持管理費の60%を要している。SLLRDCは基本的に独立採算の公社であるが、河川のように利用者からの収入がない施設の維持管理費については、国庫より支給されている。毎年、必要額としてSLLRDCが政府に要求する額の約半分が実際に拠出されている。(2000年度は約6,600万Rsが要求され、約3,000万Rsが拠出されている。)
SLLRDCでは、維持管理マニュアルを策定しているが、マニュアルどおりの維持管理を完全に実施しようとすれば、予算・人員が不足する。よって、マニュアルでは所要の予算額に達しない場合に、優先順位付けを行い、順位の高いものに費用を拠出することが明記されている。
2)資機材利用
本事業で購入された維持管理にかかる資機材はほぼ有効に活用されている。ただし、水草を自動的に伐採、回収する船は、推進用スクリューに水草がからまり、現在は稼働していない。代わりに、水草用のブルドーザー方式で一カ所に集め、それを地上から回収する方法をとっているとのことである。
2.5.2 維持管理状況とその問題点
1) Dehiwela Canalの河口閉塞
事業実施前より、Dehiwela Canalでは、河口閉塞13の発生が懸念されており、アプレイザル時にもその対処が検討された。Dehiwela Canalは、川幅が狭く流量が少ないことから、事業実施前、雨季でも砂州が解消されず、人為的に掘削を行わなければならない状況であった。 F/S時点では導流堤の建設も検討されていたが、沿岸保全局(Coastal Conservation Authority)より、施設建設による海岸浸食の影響を把握すること、または建設後に浸食が発生した場合にはその対策を実施すること等の条件がつけられた。そのため、当面は導流堤建設へ向けて情報・データ収集を進め、分析を進めるとともに、その間は本事業の購入資機材で維持管理可能という結論が出されている14。
しかしながら、事業実施後、実際に適切な維持管理がなされているとは言い難い。2000年 11月に現地調査を行った時点では完全に閉塞していた。この砂州による影響は、Dehiwala Canalの水位の堰上げ、そして、Kirillapone Canal、その上流まで水位上昇をもたらしているものと考えられる。表 2-5に1999年4月と10月の洪水でのWellawatta Canal、Dehiwala Canal 及び Krillapone Canalの最大流量を示す。Dehiwala Canalは、他の2つの水路に比べて計画流量より少なくなっているが、この原因の一つに河口砂州によりDehiwala Canalへ流れ込む流量が少なかったと結論づけることができる。SLLRDCの内部規則で、上流のBattarmura Bridgeでの水位が海抜1.2mを超えた場合、砂州の掘削等の対策を行うこととなっている。この規則に従った適切な管理が行われるとともに、定期的に(特に雨季前には)十分な掘削の実施を行う必要がある。
表 2–5 Wellawatta、Dehiwala、Kirillaponeの各水路の流量(1999年4月、1999年10月)
降雨量(mm) | 確率年 | 降雨継続 時間(日) | Wellawatta (m3/s) | Dehiwala (m3/s) | Kirillapone (m3/s) | |
99年4月 | 313.2 | 25年 | 2日 | 45(45) | 14(33) | 45(57) |
99年10月 | 224.4 | 5年 | 2日 | 42(45) | 10(33) | 45(57) |
注:( )内は計画流量
出所: SLLRDC資料
(2)河川の土砂堆積
水路の土砂堆積が発生し、SLLRDCによると適切に維持を行わなければ、5年間に流下断面積の約40%が埋まってしまうという予測がある。堆積の原因は、風化した表層土壌の堆積に加えて、投棄されたゴミ、水草等である。土砂堆積が顕著な河川は、Torrington Canal、 Kirillapone Canal、Kotte Elaである15。
13コロンボの西海岸では、北方向の海浜流が卓越し、その漂砂により河口閉塞が発生しやすい。河口が砂州
により閉塞されると、洪水時に上流部の水位上昇をもたらし、浸水被害発生を増加させる。また、平常時で
も流れの停滞、水質汚濁による悪臭も発生し、水路内及び周辺に環境悪化をもたらす。
141997年にЅLLRDCは単独で導流堤について検討を実施し、2000–2001年年度に建設を計画している。
15堆積土砂のために、1999年10月洪水時には、Kotte Ela及びKirillapone Canal等では流れがなく、Connection
水路の土砂堆積の確認は、維持管理マニュアルによると、4ヶ月おきに主要な箇所で土砂堆積の状況の把握を行うと記載されている。現在、主要な12箇所で監視が行われているが、
4ヶ月以上間隔があくこともある。今後は、維持管理マニュアルに沿って、定期的な測量の実施、観測点の増加を行い、水路の堆積状態を把握し、その状況に応じて適切な浚渫を実施すべきである。
(3)水路水面の清掃
水路水面の清掃、すなわちゴミ・水草の除去に年間維持管理予算の20%以上費やしている。ゴミ・水草は、洪水時に橋梁・地下水路などにひっかかり、蓄積すると、流下断面阻害が起こり、上流の水位を上昇させ、浸水被害を増大させるおそれがある。本事業地域内でもいくつかの事例が報告されている。また、ゴミ・水草は水質を悪化させる原因であり、景観上も大きなマイナスとなる。
河川へのゴミ投棄は、事業実施前より問題となっていたが、依然改善されていない河川が多い。これは、河川から奥まった居住区に通じる道路が狭く、ゴミ収集車がアクセスできない等の理由から、市役所がゴミの回収を実施できないことが要因である。2000年12月より、
Ⅱ期事業の一部として、ゴミ投棄対策のパイロットプロジェクトを実施中である。これは、ゴミ投棄が最も深刻である4箇所のモデル地区(St. Sebastian Canal沿で3地区、Main Drain沿で1地区)を設定し、SLLRDCと市役所の協力のもと、ゴミ収集車のための道路拡幅工事、ゴミ回収缶の配布、住民への各種啓蒙等を実施するものである。この施策が進展し、浸透していくことが望まれる。
水草は、水質が悪く、流れが停滞し、かつ年中高温であるため、その生育はやむを得ない。水草の生育は水質の相関が高いと考えられ、水草を減少させるためには水質浄化が最もよい と考えられるが、水質浄化対策が進展するまでは、当面、ゴミ同様、物理的に除去を行う必 要がある。
(4)水質問題
本事業対象河川の水質は劣悪であり、ドブ川状態である。図2-2は、6計測地点での年平均のBOD16を示しているが、スリランカの基準は3mg/l以下であるから、はるかにそれを上回る数値である。また、本事業は河川改修や遊水地整備を事業内容とし、直接的に水質浄化を対象としていないが、E/S時(表内でESと表示)と比較し、事業実施後に水質の改善は見られない。これは、上述のゴミ投棄の他、事業所排水、生活排水ともに、ほとんど未処理の状態で河川に流入していることも主要な原因である。
Channel、Heen Elaに主に洪水が集中したという報告がある。
16 生物化学的酸素要求量(Biochemical Oxygen Demand)で、微生物が水中の有機物を分解するのに必要とな
る酸素濃度。この数値は有機物量とほぼ比例して増加するために、水質汚濁の指標として用いられる。
180.0
160.0
140.0
120.0
100.0
80.0
60.0
40.0
20.0
0.0
Dematagoda
St, Sebastian South Kotte North Torrington WeIIawtta
DehiwaIa
ES 96 97 98 99
BOD mg/I
図 2–2 水質状況(BOD)
出所:SLLRDC資料
水質浄化は、水路に流入する前に浄化してしまうことが最も効率的であり、事業所に対する規制の強化及び下水道の整備を早急に着手すべきである。しかしながら、これらの事業には時間と費用がかかる。そこで、暫定的な対策として、例えば比較的水質の良いKelani川より浄化用水を導水することも検討に値する。その際、いかに”患部”に直接導水するかが課題となる17。
(5)遊水地の管理
本事業計画では、遊水地の存在が下流の水路の負担を軽減し、治水上、非常に大きなウェートを占めている。計画ではParliament Lakeの西側にある500haの低湿地帯のうち、380haを遊水地として使用することとし、残り120haは開発可能地とされている。遊水地の面積のみは決定されたものの、どの部分を解放するのかについて、SLLRDCは明確な計画を有しておらず、事業地域内では、遊水地が違法に開発される例18も多い。遊水地面積は、現時点で既に348haと計画値を下回っており、このまま遊水地がなし崩し的に開発されてしまうと、水位の上昇、浸水被害の増加の事態を引き起こしかねない。
SLLRDCでは、定期的な巡視の実施などの対策を行っているが、これに加え、まず遊水地の区域の確定を行い、開発エリアと開発禁止エリアを明確に示すとともに、開発に制限をかける法制度の整備を早急に行う必要がある。
17ЅLLRDCでは1980年代にNorth Lockに揚排水施設を設け、通常時にKelani川より導水し、浄化事業を実施し たとのことであるが、浄化用水が汚濁の厳しい水路のみではなく、あまり汚濁していない水路にまで流れ、 効果が薄れてしまったという経験をしている。この施設は、1992年6月洪水の際に壊れてしまい、現在はそ の残骸を残すのみである。ちなみに、この施設は洪水時にはKelani川に洪水を排水する機能も意図されたが、ポンプの排水能力不足でうまく排水できなかったとのことである。
18 開発業者が政治家の力を利用する場合が多い。
Dehiwala Canal沿いのシャンティ(事業実施前)
整備された Dehiwala Canal
再定住区のひとつバドヴィタ地区
スリランカ
大コロンボ圏水辺環境改善事業第三者評価報告書
住民移転と居住環境改善
2001 年 3 月
日本福祉大学福祉社会開発研究所穂坂光彦
小椋知子
with assistance of Mr. K.A. Jayaratne
Mr. Nandasiri Gamage
<略語>
CAP | :Community Action Planning | 各種の住民参加型ワークショップ の段階的実施を特徴とする居住改善計画手法 |
CDC | :Community Development Council | コミュニティ開発協議会 |
NHDA | :National Housing Development Authority | 全国住宅開発公社 |
SLLRDC | :Sri Lanka Land Reclamation & Development Corporation | スリランカ土地埋立開発公団 |
UDA | :Urban Development Authority | 都市開発公社 |
USIP | :Urban Settlementx Improvement Project | |
USS | :under-served settlements | サービス提供過小地域 |
<用語説明>
R地区:本事業に関連してオフサイト(地区外)に移動した世帯が居住する「再定住地区」
U地区:本事業に関連して、同一地区内での移転(オンサイト移転)や権利確定・施設改善などの対象とされた改良地区
N地区:本事業に影響されたにもかかわらず関連整備がなされていない未改善地区
要 約
■調査の目的
この報告書の課題は、「大コロンボ圏水辺環境改善事業」における住民移転が適正に行われたかどうかを調べ、それを踏まえた上で、事業の影響を受けたコロンボ圏低所得住民の居住環境上の変化について評価することである。とくに、運河上に無権利で居住していたシャンティ住民の組織とかれらの事業参加のプロセスに注意を払った。
■調査の方法
穂坂・小椋は、2000 年 11 月 11 日から 19 日までコロンボに滞在し、現地研究協力者(K.A.ジャヤラトネ氏と N.ガマゲ氏)との協議、関連機関からのヒアリング、現地視察と住民インタビュー、図書資料の収集を行った。基礎資料収集を依頼してあったジャヤラトネ氏は、コロンボ市内 6 地区住民 200 世帯の社会調査を通じて、事業受益者である住民の生活と意識における変化を確認、またガマゲ氏は、事業外アクターの一例として「女性銀行」なる住民互助組織を選び、20 名のメンバーから事業前後の経験について生活史的な調査をした。かくして多様な受益者の全体像と、ジェンダーを意識しての生活へのインパクトとを、理解するよう努めた。
なお穂坂・小椋は、かつてそれぞれに本事業の実施機関のひとつである NHDA(住宅公社)に在職したことがあり、調査期間中の関係政府機関からのヒアリングとともに、在職当時の記録や関係者からの証言も今回の資料とした。
■コロンボの都市貧困層
最新の詳細調査によれば、コロンボで適切な住環境に生活していない「居住貧困」層は、約 66,000 世帯でコロンボ市の人口の半数に相当する。このうちの約2割が「シャンティ」と呼ばれる居住地に住む。無権利の土地に住宅を自力建設し、インフォーマルな雇用を得て暮らしている人々である。その多くは運河沿いに立地し、頻繁な洪水に直撃されてきた。
■スリランカの居住政策
伝統的にスリランカの住宅政策は、貧困層に対する強い政治的コミットメントを特徴にしてきた。無権利居住者といえども、大規模な強制移転は過去にほとんど皆無であり、むしろ積極的に公有地を区画割りして現住者に与え、住民自身による住宅改善を促進してきた。そのなかで、住民動員のための参加型計画手法、それを担保する支援的政策枠組み、施策の受け皿となる住民組織が生まれた。
■ 本事業の住民移転概要
本事業によって影響を受けるとされたコロンボ大都市圏運河沿いのシャンティは、事業の結果、大きく3種類に分けて考えられる。それらは、①本事業に関連してオフサイトに移動した世帯が居住する再定住地区、②同一地区内での移転(オンサイト移転)や権利確定・施
設改善などの対象とされた改良地区、③本事業に影響されたにもかかわらず関連整備がなされていない未改善地区である。現時点で、①は 15 地区、2,792 世帯、②は 17 地区、1、573世帯にのぼるとみられ、また③は、21 地区、1156 世帯にまたがる。
政府関連機関による住民への支援内容としては、①土地(50m2)、②共同インフラ(水道、トイレ、排水施設、ゴミ収集箱、コミュニティ・センター、街灯、道路等)③住宅ローン(NHDAより 20,000 Rs まで、低所得者にはグラント 8,000Rs 供与)、④1,000Rs の恵沢金、⑤移転時の車両提供が計画され、住民の要望によって⑥家屋基礎整備、⑦恒久住宅への補償費も追加された。
■プロセスと成果
本事業はコロンボで初めて経験する大規模移転を伴なった。その過程で、強制力を行使する立ち退きは、ごく少数を例外として、見られなかった。これは特筆すべきである。しかし、住民は自発的に移動したのではなく、やむを得ない状況と諦めて移転した場合がほとんどであった。国際人権法が定めるところの「いかなる立ち退きにもそれに先立って、あらゆる可能な代替案が、立ち退きを被る当事者たちとの協議によって検討されることを保証」なる基準が守られたケースは、むしろ少ない。
実はスリランカで培われた居住改善手法は、住民と NHDA 職員が協議しながら代替案を練ることを根幹にしており、それを身につけた職員も多かった。にもかかわらず、本事業の移転の過程(移転計画段階から移転直後の整備まで)にあっては、NHDA が古くから改善事業に着手していた地区を除き、そのような参加型協議はみられなかった。運河改修工事のテクニカルな工程に合わせて住民を移転させる強い圧力のもとにあったからである。
結果的には、移転した住民の生活環境向上は明らかである。とくに洪水軽減、保健衛生向上、社会的認知の獲得(「不法に運河に住んでいる貧民」というレッテルからの脱却)、そして地区によっては雇用増進にも好影響を及ぼした。洪水軽減による環境向上は、運河沿いに残った住民にも効果を与えている。
しかし「終わりよければ、すべて良し」であるわけはない。それはプロダクトのみを重視する工学的なブループリント計画思想である。この事業の過程で、ブループリント計画の危機を救ったのは、住民の反対や提案を受けとめながらそれに対応して「移転支援施策」の内容を変化させ、事業実施機関外の多様なアクターの関与を認めていったスリランカの計画体制の柔軟さである。そしてそれを支えた貧困層居住改善への政治的コミットメントである。
■各地区における居住環境の変化
再定住対象世帯の生活変化は激甚であった。とくに多くの場合、再定住地の施設整備の遅れがもたらした移転直後の居住困難は悲惨なほどであった。しかし移転地での住民組織が再生され、事業実施機関との交渉を経て施設建設が進み、さらに本事業外のさまざまな団体や援助機関の活動が投入されるに従い、住民は社会的認知を自覚し、生活環境改善を評価するようになっている。たとえば、再定住区の一つ、バドーヴィタでは、政治家や政府関係機関を巻き込んでの月例住民会議が開かれ、ここで、居住環境の改善計画が協議された。この計画は、住民工事契約による各戸給水・排水溝の整備など、住民自らの手で具現化された。た
だし、計画外の政治的介入で不法入居者が急増し、公共施設の維持がなされていない再定住地など、長期的な地域運営が課題として立ちはだかっている地区もある。
改良対象地区の現状は多様である。本事業関連で整備された施設は、堤防、メンテナンス道路、その脇に設けられた排水溝、運河用地を隔てる金網フェンスであり、これらはいずれの地区にも見られる。文字どおり、運河改修の上での必要施設にほぼ限定されるのである。それ以外の居住地区内整備については、多くは NHDA による本来の住宅プログラムの一環として土地正規化、住宅ローン付与がなされ、場合により住民のイニシアティブにもとづいて事業外のさまざまな政府・非政府プログラムの導入によって支えられた。補完的に本事業による若干の共同施設建設がなされている。
未改善地区では、運河用地内の家屋は撤去したものの移転再定住を拒否したまま地区内で改築・移築して居住している場合や、オンサイト改良地区に指定されながら未着手のまま運河用地の金網に接して居住している場合などがある。
■いくつかの教訓
・本調査対象となった再定住区の2地区(バドーヴィタ、オベセーカラプラ)の比較により、地区の生活改善に必要な条件として、①直接実施機関に必ずしもとどまらず、政治家・関係機関・NG0・ドナーなど多様な外部アクターのサポートが提供されることにより、それを適宜取り込む住民を主体とする地区開発を可能とすること、②住民が従前地で住民組織活動経験を有し、移転後にそれを再生しうること、の少なくとも2点が関わっていると言える。
・今回の調査地区での居住改善は、実は本事業以外の多様な主体のそれぞれの関わりの成果である面が大きい。住民組織、NGO、自治体、援助機関など、多アクターを前提にした統合的な実施体制が必要である。
・開発の諸段階において、さまざまなタイプの住民組織が異なった機能を担う。政府施策の受け皿として CDC(コミュニティ開発協議会)を育成する、というだけでなく、多目的の日常的なニーズに対応する持続的な組織(たとえば「女性銀行」など)の成長を支えることが必要である。
・今回影響を受けた地区を大切な経験資源として、住民、NGO、職員を含んだ見学や意見交換の機会を設け、住民が自らの居住形態の将来を描き出し、関係機関と協議するような場を再構築すべきである。
・援助機関は、現地調整機構を巧みに支えることにより、事業における政治的意思決定プロセスを透明にしていくことができよう。さらに、住民のペースに合わせる柔軟な現地計画体制を支えるには、援助機関側の体制が十分に柔軟であることが求められる。
1.スリランカの都市貧困層と居住環境政策
(1)都市貧困地域
スリランカ、とくにコロンボとその周辺地域における都市インフォーマル居住地(1)には、大きく分けると2種類ある。
第一は都心部の棟割り長屋(tenement)である。もともと植民地時代にプランテーション産業に関連する作業(加工、梱包、荷役等)に従事するため都市にやってきた労働者を収容する目的で建設されたという。独立後も都市低所得者にとって最も典型的な住居形態となった。 1973 年の社会主義政権下で成立した住宅資産上限法により、コロンボ市内のこのような長屋の 65%は政府に移管され、さらに 1977 年、自由主義的な政権のもとで低所得者には無料で譲渡された。1979 年からは UNICEF(ユニセフ)援助による環境衛生・コミュニティ開発事業も始まり、最低限のサービス・設備面での向上については(コロンボでは)ほぼすべての長屋を一巡したとされている。しかし水道やトイレなどの施設を共用する狭小な住戸が過密に立ち並ぶという光景は変わらない。一方、かつて都心の富裕層が住んでいた旧い大邸宅を分割して、一部屋に一ないし数世帯ずつ、全体で十世帯くらいが住んでいるものがある。この絶対数は少ないが、私有地であるので行政の介入は難しく、住民組織の設立すら支援されにくい。これらを上の長屋住宅とあわせて「スラム」と呼ぶ。
第二のタイプは「シャンティ」(shanty)である。鉄道敷や運河沿い、また郊外の湿地や公有の空地などを無権利のまま占有した人びと(スクォッターsquatters という)が、廃材やココヤシの葉などを利用しながらセルフヘルプで建てた家々である。シャンティ地区では農村のように相互扶助の住宅建設が行われたり、家の裏庭が自家用の菜園になっていたりすることもある。しかし道に汚水がよどんで悪臭を発し、女性たちが水圧の低い共同水栓に長時間並び、回収されないゴミが家の前にうずたかく溜まっているという地区も多い(2)。とくに運河沿いでは大量の降雨のたびに洪水の被害を受ける。
一般論として言えば、これらインフォーマル居住地と都市貧困とは重なっている。都市の環境インフラ未整備は、貧困層にこそ深刻に影響しているのである。それは居住の形態や立地のインフォーマル性、生業と安全のトレードオフ、都市環境資源(土地、共同施設、サービス)へのアクセスの(政治的・経済的な)制限、に基づく。
しかし「都市貧困」を、伝統的な所得・消費水準のみで測定することは、近年では困難になっている。前政権の貧困緩和プログラムである「ジャナサヴィヤ」から現政権の「サムルディ」に至るまで、都市部の貧困線として世帯月収 1500 ルピーが基準となってきたが、コ
ロンボ市内3個所のシャンティでの調査(2000 年 4 月)によれば、世帯平均月収は約 7800ルピーで、1500 ルピー以下の世帯数は 1%に満たなかった(3)。1998 年のコロンボ市内 2933戸のスラムと 1390 戸のシャンティに対する調査では、前者の月額平均家計支出は 9972 ルピー、後者では 8050 ルピーであった(4)。都市内の所得格差は拡大しているのだが(5)、所得・消費規模が一般的に拡大していることは否定できない。
一方、全国(北東部を除く)の都市部 1,055 世帯の所得階層ごとのサンプル調査によれば、各戸水道管以外の給水(共同水栓、井戸など)に頼る世帯、主たる料理用燃料として薪に頼 る世帯が、40%以下になるのは、月収 12,000-14,000 ルピー以上の所得階層においてである (6)。所得水準で見れば比較的中層の世帯も含めて、都市的サービスは不備であると言えよう。
このような状況を踏まえて、この数年間スリランカでは、居住政策上のターゲット集団として「サービス提供過少地域」(under-served settlements 以下 USS)という概念が使われている。ここには上記のスラムやシャンティはもちろん、低コストアパート群、移転者住宅地区、老朽住宅地区、無計画的恒久住宅群のカテゴリーが含まれる。なお、政府事業など様々な理由で移転を余儀なくされて市内の他の土地に「暫定的に」移動させられて自助的に住宅建設し、公的サービスが行き届いていない地区は(必ずしも「無権利」状態とは言えないのであるが、建物構造から見て)「シャンティ」に含まれる。また、サイトアンドサービス(7)などの政府事業を通じて土地を得て住宅を自助建設、あるいは公的住宅をあてがわれて入居したが、密度、共同施設、設備や建築材料などにおいてインフォーマルな居住地は、「移転者住宅地区」とされている。
コロンボ市内の USS の概況は表1の通りである。この総数 66,022 戸に居住する人口は 363,000 人と見積もられ、これはコロンボの人口の 50%に相当する。このうちの例としてコロンボ東部ワナタムラ区にある USS を見ると、そこには「シャンティ」「低コストアパート群」「老朽住宅地区」「移転者住宅地区」「無計画的恒久住宅群」の地区類型が含まれるが、いずれにあっても、戸別トイレを持たない世帯、戸別水栓を持たない世帯が、8 割以上に達している(8)。
あらためて消費水準にかかわる指標をとってみよう。1981/82 年から 1996/97 年までにスリランカの1人当たり消費月額に食費の占める割合は、57%から 48%へと着実に減少してきた。とくに 1996/97 年の都市部では 38%と、農村部 50%およびプランテーション部門 67%に比べ、はるかに低くなっている(9)。ところが上記 1998 年コロンボのサンプル調査を見ると、USS 住民の数値は 60%を越え、プランテーション部門に匹敵するのである。消費規模の拡大にもかかわらず、USS 内では生活困難が解消されていないことがうかがわれる。
(2)スリランカの居住環境政策
スリランカは「福祉国家」として知られている。カンナンガラ報告(1943)、教育法(1945)、社会サービス局設置(1948)、保健法(1953)、家賃統制令(1942)など、独立をはさむ時期での 一連の施策によって、教育や医療の無料化、食糧補助、家賃抑制などが、いち早く行われて いた。さらに 56-60 年/60-65 年の社会主義政権時代に、国家介入による普遍主義的サービス は確立をみた。しかしそれは 1977 年の自由主義政権の成立後、ほぼ解体され、福祉経費削 減、選別主義、民営化の時代となった(10)。にもかかわらず、都市ポピュリズム(11)のもとで、貧困層に照準を合わせた「福祉施策」はイデオロギーとしては継続された。たしかに実現手 段としては、「行政介入」でなく住民のセルフヘルプを基礎とするが、貧困者への強い政治的 コミットメントとそれに支えられた支援的政策環境を特徴としたのである。
それが居住環境分野で明確に発揮されたのが、住宅百万戸計画(1984-89)であった。同計画のなかでの都市住宅計画は、住宅経費大削減時代の住民動員計画であり、シャンティ住民のみを選別的にターゲットにした施策であった。しかしそれは当時、国連が主導したイネーブリング原則(12)に合致したもので、Global Shelter Strategy(1988 年国連総会採択)の根拠
のひと❜を提供したのである。
百万戸計画におけるシャンティ地区居住環境改善は、最大限の住民動員という意味で「参加型」事業であった。それは➺ミュニティ・アクション・プランニング(CAP)と呼ばれる「各種の住民参加型ワークショップの段階的実施を特徴とする居住改善計画手法」を通じて行われた。CAP は NHDA(全国住宅開発公社)職員が身に❜け実施した手法であり、貧困➺ミュニティで住民のために組織される一連のワークショップから成る。ふ❜うは先ず2日間の基本計画ワークショップが開かれる。改善が予定される地区で、住民代表たちが地区の問題点を洗い出し、優先度を定め、解決法を代替案を含めて考え、任務分担を定める。これに引き続いて、開発の進展に応じて、他の様々なワークショップも行われる。土地再区画のための敷地割り計画を住民が❜くるためのワークショップ、地区独自の建築協定を定めるワークショップ、NHDA からの住宅ローンに応募する手続きや住宅設計・積算の基本を学ぶワークショップ、地区内の小規模施設(井戸、排水溝、➺ミュニティセンター等)建設を地区住民が請け負う(「住民工事契約」)ための契約手続きや建設工事の基本事項を学ぶワークショップ、等々である。
そしてこれら手法が事業のなかで実際に活かされるために必要な支援的政策環境も整えられた。住民が占拠している公有地を積極的に彼等に開放し土地権利を確定(正規化 regularize)する(1984 年の閣議決定で、シャンティ住民に 40 年定期借地権(leasehold)を与えることとなったが、NHDA の方針で 30 年を原則とする)、その場合の画地規模は都市開発法規に免除規定を設けて 2 パーチ(50 平米)の過小宅地も合法とする、建物に❜いても一般建築基準を免除しワークショップで合意された建築協定を適用する、住民による住宅再建の図面に従って簡単な手続きで住宅ローンを与え建設を促す、地区内の共同施設の工事は一般の入札手続きによらず「住民工事契約」を与える、等々。このように、それぞれ対応するワークショップを支える、きめ細かい政策体制なくしては、百万戸計画は画餅に帰したであろう。
一方、1979 年からユニセフの援助で、環境衛生・➺ミュニティ開発プロジェクトが、➺ロンボで始まった(1979-1983。その後「都市ベーシックサービス事業」として継続)。その特徴は、スラムやシャンティの共同環境施設(共同水栓、排水溝、共同トイレ、ゴミ捨て場など)の整備にあたって、➺ミュニティ意識を高め、政府施策に対する住民側の受け皿組織として働く「➺ミュニティ開発協議会」(以下 CDC)を結成させることであった。これは、原則として、公有地上に居住する 10 戸以上のスラム・シャンティ地区に対して❜くられる。地区
の 18 歳以上の住民全員が会員となり、会長以下の役員を選出する。法的な根拠はないが、市役所に設立を登録することで認知される。
➺ロンボにおける過去 20 年間における毎年の新規登録数を調べると、ユニセフ事業開始後の都心テネメントでの環境改善の時期と、百万戸計画のもとで郊外シャンティの土地正規化が行われた時期とに数が増加し、94 年政変によって沈滞したことが見てとれる。行政サービスの「受け皿」組織として、あるいは政治家からの「恩恵」を合理化する機構として、有効であることは、住民も熟知するところであり、前述の CAP ワークショップも住民工事契約も CDC に対して行われたのである。それだけに草の根での「政治化」の危険にもさらされてきた。
以上が、居住政策から見た本事業の前提となる歴史的背景である。要すれば、スリランカの都市居住政策は、伝統的な福祉国家とポピュリズムの理念のもとに、無権利居住者に対しても寛大であり、むしろ都市貧困層を政治的基盤とするための積極的な政治的➺ミットメントに支えられた。そのもとで、「住民参加」を担保するための支援的政策、CAP や住民工事契約のような手法、CDC のような組織メカニズムが生み出された。百万戸計画が標榜した「住民主体の戦略」(people-based strategy)なる思想は、プレマダーサ政権末期の貧困軽減プログラムである「ジャナサヴィヤ計画」に継承された。
しかし 90 年代になると、政府の住宅分野での➺ミットメントは希薄になり、都市経済のグローバル化に対応する土地利用合理化が主要な課題として意識されるようになる。イネーブリング原則も住民セクターに対しては、その自助努力を支えるよりも、民間企業セクターを利用しながら貧困層に恩恵を享受する政策へ転換している。この流れの中で、USS に居住する住民の間には、土地権利の安定(security)に❜いての新たな不安も広がっているようにみえる(13)。法的には無権利のシャンティ住民といえどもハウジングの権利を認知することが政治的合理性に適うと考えられた時代から、マクロな経済合理性追求のために大規模な住民移転も辞さない時代へと代わり❜❜ある。
本事業は、まさしくこの政策転換期に実施された。本事業の目的は「排水改善工事を通じて、事業区域における洪水被害を低減させること」であり、低所得者居住改善は主たる目的 ではないが、事業内容には「(事業の)社会経済的な逆効果を最小にするために、影響を受ける運河沿いシャンティ住民の移転/改良プログラムを実施し、政府の貧困軽減プログラムを補佐する」とも書かれている。政府の住宅部門関連機関が、本事業をテ➺に年来の住宅・居住政策を実現することを目指したのも当然であった。この評価報告書も、あくまで低所得者居住改善の視点から書かれている。
【国際協力銀行 の見解】:
排水改善工事と運河沿いシャンティ住民の移転/改良プログラムは、JBIC アプレイザル時点では同位の目的としており、両者の両立を目指していたことを付記しておきたい。
(1)「インフォーマル居住地」とは、近代法上認められぬまま公有地や他人の私有地を占有していたり、宅地・建物が都市計画・開発法制・建築基準等に照らして違法ないし無認可であったり、あるいは規制法令がなくとも一定の「近代的」規範に対して住まい方(立地、密度、共同施設、単体の設備や建築材料など)が
「異常」とされるような宅地や建物からなる居住地をいう。
(2)穂坂光彦「住民によるスラムの改善(スリランカ)」斉藤千宏(編)『NGOが変える南アジア』➺モンズ、
1998
(3) SEVANATHA, Community Attitude Survey in three Settlements in Colombo, 2000
(4) Y.Wanasinghe & M.Abhayaratna, “Socio-Economic Survey of Under Served Settlements in the City of Colombo” (September 1999)
(5) Central Bank of Sri Lanka, Report on Consumer Finance and Socio Economic Survey 1996/97 Part I (1999)
(6) Central Bank of Sri Lanka, Report on Consumer Finance and Socio Economic Survey 1996/97 Part II (1999)より算出。
(7) 低価格の宅地造成によって道路・排水・水道・電気などの最小限の基盤整備を施した小規模な敷地を供
給し、住宅に❜いては居住者の自力建設にまかせる方式。
(8) Y.Wanasinghe & M.Abhayaratna, 前掲
(9) Central Bank 前掲 Part I による。
(10) Laksiri Jayasuriya, Welfarism and Politics in Sri Lanka (Univ. of Western Australia,2000)
(11)「都市貧困層の大衆的動員を通じて彼らへの土地・住宅・公共サービスの供給を施し、またそれを基盤に政治的支配を確立しようとするプロセス」が、都市ポピュリズムである(Manuel Castells, The City and the Grassroots, University of California Press, 1983)。1980 年代のプレマダーサ大統領の政治スタイルはまさにそれであった。
(12)「政府は住宅そのものを提供するのではでなく、住民が自ら住まいを築くべく、また民間部門が住宅生
産を活性化できるよう、それに必要な支援を与える」という政策原理
(13) 2000 年 11 月の住民インタビューによる。
2.今回の調査の概要
穂坂・小椋は、2000 年 11 月 11 日から 19 日まで➺ロンボに滞在し、現地研究協力者(K.A.ジャヤラトネ氏と N.ガマゲ氏)との協議、関連機関からのヒアリング、現地視察と住民インタビュー、図書資料の収集を行った。現地調査の主たる課題は、「大➺ロンボ圏水辺環境改善事業」における住民移転の経緯を確認し、影響を受けた住民の居住環境上の変化を評価することであった。とくにシャンティ住民の組織と事業参加のプロセスに注意を払った。
一方ジャヤラトネ氏は、関連機関からの情報収集とともに、➺ロンボ市内 6 地区(各地区
内でやや異なる特性を有する工区ごとに細分割すると 10 地区となる)の住民 200 世帯の社会調査、および補足的に3地区において住民リーダーによるフォーカス・グループ・ディスカッションを行った。受益者である住民自身の生活と意識における変化を確認するためである。これは 2000 年 9 月から 11 月にかけて実施された。
またガマゲ氏は、本事業における直接的な実施機関以外、とりわけ草の根組織の役割を探
り、か❜ジェンダーの視点から事業を総括する目的で、「スリランカ女性開発サービス組合」
(以下「女性銀行」)を選び、市内 5 地区で 20 名の女性銀行メンバーから、事業前後の経験に❜いて生活史的な詳細ヒアリングを行った。さらにそのうちの1地区では、やはり同組織メンバーによるフォーカス・グループ・ディスカッションも実施された。これも上と同時期に行われた。
穂坂・小椋による現地視察は、ジャヤラトネ氏およびガマゲ氏が調査を実施した地区のすべてをカバーした。これらはすべて上述の「シャンティ」に属する地区である。さらに、CDCや女性銀行に❜いての補足的な調査も行った。
本事業によって影響を受けるとされた➺ロンボ大都市圏運河沿いのシャンティは、事業の結果、大きく3種類に分けて考えられる。「本事業に関連してオフサイト(地区外)に移動した世帯が居住する再定住区(以下 R 地区)」「本事業に関連して、同一地区内での移転(オンサイト移転)や権利確定・施設改善などの対象とされた改良地区(以下U地区)」「本事業に影響されたにもかかわらず関連整備がなされていない未改善地区(以下 N 地区)」である。現時点
で、R および U 地区の総計は 30 地区、世帯数 4365 戸にのぼるとみられる(シッダールタ パースおよびステースロードは、R および U の両方を同一地区内に含む)(1)。また N 地区は、21 地区、 1156 世帯にまたがる(2)。それらの内訳は表2,表3,表4のとおりである。
ジャヤラトネ氏およびガマゲ氏の調査地区選定に当たっては、上の3地区類型(R,U,N)のそれぞれをカバーするよう努めた。また調査者に馴染みがあって住民との一定の信頼関係が成立している地区であること(政治的に不安定な時期と重なったので、この点は重要であった)、➺ロンボ南部と北部の双方を含むこと(シャンティ地区の改善状況は、地域的に顕著に異なっている)、選定地区の規模を➺ロンボで平均的な 100 戸前後のものに極力そろえること(大規模再定住地区である2地区を除く)、などに留意した。
選定された調査地区は上の表中に太字で示してあるが、具体的にはジャヤラトネ氏の調査では、R 地区から居住生活改善上の比較的成功例と思われる地区としてバドーヴィタ、困難を抱えているとみられる地区としてオベセーカラプラを選んだ。U 地区からは、同様に、比較的成功例と思われる地区としてスワルナロード、困難を抱えているとみられる地区としてステースロードを選んだ。そして N 地区からは、➺ロンボ北部の例としてアルットゥマーワタ、南部の例としてウェールワーナーラーマパーラを取り上げた。
またガマゲ氏の調査では、女性銀行の活動地域を取り上げる必要があったため、U 地区ではスワルナロードに替えて、隣接するシッダールタパースと、➺ロンボ中央部で女性銀行の拠点地区のひと❜であるダーバレマーワタを選んだ。N 地区としてはウェールワーナーラーマパーラのみを取り上げた。最終的に選ばれた5地区とそこでの詳細インタビュー対象者数は以下のとおりであった。バドーヴィタ(3)、オベセーカラプラ(4)、シッダールタパース(5)、ダーバレマーワタ(6)、ウェールワーナーラーマパーラ(2)である。対象者は、ガマゲ氏がその地区の女性銀行グループのリーダーを訪ね、住宅ローンの既経験など適切な候補の推薦を受けて行った。結果的に、民族構成も多様なものになった。
そこで、これらの地区の概況を述べる。
(1)バドーヴィタ(図2)
本事業のもとで SLLRDC(スリランカ土地埋立開発公団)によって新たに造成された再定住地である。➺ロンボ南方のデヒワラ・マウントラヴィニア市に位置し、1期から4期までの工区によって、4地区に分かれる。1991 年から移転者が居住し始め、現在約 850 世帯が住む。土地は SLLRDC の管理下にあり、住民は土地占有許可を記した書簡を受け取っている。1997 年調査では、住宅数 741 戸、そのうち 45%が恒久的な構造である。移転当時は2
❜の共同水栓があったものの、個数,水圧,水質ともに全く不十分で,給水車やタンクにより給水が行われ,住民はそこで長い列をなしていた。その後 58 の共同水栓が SLLRDC によって設置されるが、時間給水が続いた。CDC を通じて住民の要望が実り,24 時間給水,また現在では戸別給水が実現している。トイレに関しては当初は共同トイレであったが、漸次戸別トイレが建設され,現在では全戸が戸別トイレを有する。CDC は4地区のそれぞれに設けられ、現在でも比較的活発である。ISDA,Shanti,Sarvodaya など多くのローカル NGOがマイクロクレジット,保健衛生,教育,収入向上などの分野で活動しており,その中で女性銀行は世帯の約 3%をカバーしている。1993 年より青年海外協力隊員が地区内で活動しており、98 年からは戸別給水,排水溝施設の住民工事契約が、JBIC 支援の Urban Settlements
Improvement Project(以下 USIP)1のもとに行われている。街灯は移転当初、第2区の運河沿いに若干数が設けられていたが、地区全体への設置がその後住民の長期にわたる要求のひと❜となった。
(2)オベセーカラプラ(図3)
➺ロンボ東方の➺ッテ市内に、古くから比較的低所得の人々が住むオベセーカラプラという街があるが、その一部に新たに造成して「アルノーダヤマーワタ」と呼ばれるようになった地区が、本事業での対象地区である。以下では、混乱のない限り、オベセーカラプラとしておく。SLLRDC が湿地を埋め立てて造成した再定住地。現在公式には 527 戸の住宅があり、その 85%が恒久構造。ただし 1994 年の総選挙以降 300 戸以上の無権利の侵入者が、ビニール・廃材から恒久材料に至る多様な住宅を建設して居住している。かれらは CDC に属さない。合法地区の CDC も、移転当時は活発であったが、現在は機能していない。女性銀行は住宅建設や戸別給水を融資で支えている。一部の住民に対して、➺ッテ市を通じて土地の所有権が譲渡されている。ほぼ移転に合わせて公共施設は建設されたが、共同トイレが不足するなどの問題が続いた。現在も生活排水は路上に浸出している。
(3)シッダールタパース(図4)
➺ロンボ市南部のデヒワラ運河に面したシャンティ。住民の多くは 50 年前から居住している。雨期に運河は溢水し、年に 4~5 回の床上浸水を経験していた。NHDA によるオンサイト改良計画と他地区からの移転者を受け入れるサイトアンドサービスが地区内で 1980 年代から進行中であった。90 年代になって、運河用地からの構造物の除却と道路開発公社による街路拡幅のために、住宅移転が加速された。かねてから内外の団体が保育所などの活動を展開していた。地区内移転後、約 80%の住宅は恒久材料。戸別水栓、戸別トイレを確保した住民もいるが、相当数の家族は、未だ共同水栓と共同トイレを使用している。
(4)ステースロード2(図5)
➺ロンボ市北部、デマタゴダ運河に面し、約 40 年にわたる古いシャンティ。地区一部に NHDA/SLLRDC による再定住地が確保されてきた。NHDA は 80 年代中期に住民を組織して CAP ワークシップを行い、土地を正規化した。ユニセフによる援助で共同水栓や共同トイレが整備された。その土地に住民は住宅を建設したが、河川敷内に新たな居住者も増加し、後者は本事業の開始とともに地区外マッタクリヤの移転地に移された。運河用地にかからなかった者、部分的にのみかかった者に対しては、オンサイトの改善をすすめることとなった。現在約 200 世帯が 125 戸の住宅に居住している。その 70%は恒久材料である。本事業関連で公的に整備されたのは、運河の土手とその上を走るメインテナンス道路、その内側の排水溝のみであった。地区内部の歩行路や排水設備は住民が自力で整備したが、汚水とゴミがあふれている状態である。地区の地盤が低いので、運河の水位が上がると排水管から水が逆流して洪水となる。
1 [JBIC 脚注]:「カル河水源・給水拡張事業」(1997 年 8 月借款契約締結)における都市貧困地区生活改善
パイロットスキームを指す。
2 [JBIC脚注] 後にSLLRDC職員に確認したところ、同地区では、本事業にて埋立工事を必要としたため、一部住民を一時的に他へ移転させ、工事後に元の地に再移転させている。その際にインフラ整備が行われたとのこと。
(5)ダーバレマーワタ(図6)
トリントン運河と鉄道に接する➺ロンボ中部の典型的な貧困地区。古い低所得向け公共住宅の周りに群がるようにして約 250 世帯が居住。か❜ては運河からの洪水は、1~2 週間ごとに床上 1m の水位で被害があると言われ、極めて深刻、頻繁であった。現在は 80%が恒久的住宅であるが、10 年前は 100%が暫定的建築材料によるもので、洪水で流されることも多かった。1980 年代から NHDA によるオンサイトの改善と地区内での住宅移転再建が計画されており、「世帯調査カード」(法的な根拠はないが、実質的に居住の事実を認知し、予想される土地正規化に際して画地の付与を保証するものと解釈されている)が発行された。オンサイトの移転後、集会所、各戸給水、ゴミ処理などは、NGO(SEVANATHA)の支援で住民が整備した。本事業開始時には CDC は活発であったが現在は全く沈滞し、代わって女性銀行が強力な活動を展開している。
(6)スワルナロード(図7)
デヒワラ運河を挟んでシッダールタパースの対岸に位置する。本事業により一部はシッダールタパースに移転した。大部分は NHDA によるオンサイト改良事業の対象となり、CAPワークシップの結果、土地は正規化され区画されている。しかし 1999 年 7 月の調査では、恒久的住宅は 15%、各戸給水は 2 軒のみ。64%の世帯が 2 基の共同トイレを使用していた。青年海外協力隊の活動があり、各戸給水の事業が進行中である。SLLRDC によって運河沿いに排水溝が設置されたが、地区内の排水設備が未整備のため、隣接する地盤の高い高級住宅地からの排水が激しく流入するのが、大きな問題であった。これも USIP の一環で 2000 年になって改良工事が行われた。
(7)ウェールワーナーラーマパーラ(図8)
➺ロンボ南部のデヒワラ運河に沿って細長く伸びるシャンティ。40 年以上前から居住する住民たちがいる。1980 年代に CDC はオンサイト改善を要請し、NHDA が世帯調査カードを発行したが、実際の改善には至っていない。運河用地と市道に挟まれ、か❜下水幹線の上に位置しているので、いずれの関係機関からも改善事業の許可が下りないためである。本事業に際してバドーヴィタへの移転が計画されたが、住民は強く拒み、運河内の住宅のみが撤去された。残っている住民は 65 戸(115 世帯)とされる。便利な立地なので、近くの市場でインフォーマルな雇用に❜くのが典型的な生業。半数の家屋は暫定的材料のまま。住民すべてが古い共同水栓と共同トイレに依存する。街灯はあるが、各戸への電気はない。住民の生活は女性銀行が支えており、会員への融資を通じて各戸給水が達成され❜❜ある。
(8)328 アルットゥマーワタ(図9)
➺ロンボ北部のメインドレインと称される運河に面した民有地上のシャンティ。80 年代に NHDA が土地所有者と住民を仲介して土地分有を成立させた。その結果、CDC が測量士を雇い、土地の再区画まで行った。現在 91 戸の住宅があり、その 70%が恒久的住宅である。本事業のもとでもオンサイト改良地区とされていたが、その後公的に設置されたのは、運河用地境界を示す金網塀のみであった。ほとんどの住民は、古くからの共同水栓、土地所有者が出資してくれた共同トイレを使用している。内水が排除されずに洪水の被害を受けることが多かったが、サムルディ・プログラムで地区内排水設備を完成させた。➺ロンボ市によるゴミ収集は各戸を回らないので、人々は「仕方なくゴミは運河に捨てている」と言う。道路脇のゴミ収集箱まで運んでいる住民もいる。
(1) SLLRDC, Project Completion Report (June 1999) Annex D
(2) 今回の調査中に得られた SLLRDC 資料による。
3.住民移転に❜いて
(1)住民移転の規模
「環境配慮のための JBIC ガイドライン」が述べるように、「プロジェクトは、その計画実施段階で移転住民数が必要最小限になるように代替案の慎重な検討がなされたものでなければならない」。本事業は同ガイドライン発効以前に着手されたものではあるが、この計画思想が、およそ移転を考える際の大きな原則であるべきことに変わりはない。
本事業に先立って、世銀プロジェクトの一環として➺ロンボ大都市圏の運河沿いシャンティの調査が 1987/88 年に行われた(1)。この種のものとして初めての総合的な調査で、76 地区、約 15,000 戸が確認された。これをもとに NHDA は 1990 年から 91 年にかけて実地調査を行い、すでに改善事業を実施した地区などを除き、今後の改善を想定した新たな世帯調査カードを発行した。対象家族数は 8059 世帯とされた。NHDA 都市住宅部は、70 年代末から UDA(都市開発公社)が実施していたシャンティ改良事業を引き継いでおり、➺ロンボのシャンティを、オンサイトの改良、地区外再定住、暫定的改良の3種の事業対象に区分していた。百万戸計画(およびそれに引き続く「百五十万戸計画」)のもとで、すでに NHDAによる再定住事業は部分的に進行していたのである。
本事業の円借款審査時(1991 年 12 月)に、「移転」対象住民は、87 地区(7717 世帯)とされた。ここで「移転」とは、地区外代替地への再定住、❜まり R 地区(4382 世帯)とともに、運河用地からは家屋を除却して同じ地区内の他の場所に移動させる改良、❜まり U 地区(3317世帯)を含んでいた(なお、U か R か未定のものが 18 世帯あった)。いずれにしてもこれらは、運河用地を確保するに必要な、か❜地区の移転改良を一体的に行うための、比較的大きく見積もった数字であった。
事業進展の過程で、対象家族数は前述のように、R 地区 2792 世帯、U 地区 1573 世帯と、大幅に減少した(これら数字は、各々の地区における事業実施時のもので、その後に相当数発生していると思われる移動を考慮した現在値ではない)(2)。既存資料や現地調査から判明した減少理由は、以下のとおりである。
・当初は運河沿いに立地したシャンティを一体的に改善するために、地区単位で対象地域に取り込んでいったが、シャンティ地区の境界は実は不明確なことが多く、調査状況に応じて変動しえた。
・移転住民の反対に遭遇して、移転数を最小に抑える必要が生じた。あるいは移転を免れる世帯を残す政治的必要が生じた。
・当初は、農村灌漑用地に準じた河川敷(reservation)を確保しようとしたが、運河の維持管
理の技術的必要性からは、それは過大であることが判明した。
・移転先の公共用地などを勘案すると、当初算出された移転用地必要面積は過小であったことが判明し、土地不足から移転者数を抑制する必要が生じた。
一口に言えば、移転対象世帯のニーズの把握が不十分であった、ということになろう。状
況に対応して、より現実的な対象家族数に落ち着いたのである。「移転住民数が必要最小限になる」観点から事前に「代替案の慎重な検討がなされた」ようにはみえない。さらに運河用地幅が不明確なまま移転事業が始まったことが、住民にいたずらに不安をよび、1992 年デヒワラ運河沿いでの紛争の一因となった。
移転規模を考える際に、移転者の絶対数とともに重要なのが、どのようなテンポでなされたか、という時間スケールの問題であるが、これに❜いては後述する。
(2)住民移転手続の法的背景
既述のような住宅政策の歴史、また住民の高い政治意識を反映して、スリランカ都市では、一般に開発にともなう強制移転が行われることは、過去にきわめて例外的であった。法的基盤の有無にかかわらず、このことは本事業の政治文化的背景として重要である。
法的には住民移転は、当該国の関連法規、ならびに当該国が加入している国際条約等に合
致して為されなければならない。
国内法規としては、土地取得法(1950)に用地買収・補償に❜いての手続的定めがある。しかし無権利居住のシャンティ住民に必ずしも適用される性質のものではない。シャンティ住民の占拠地の正規化(合法化)や代替地の権利付与に❜いては、前述のように 1970 年代末の UDA によるスラム・シャンティ改良事業から百万戸計画・百五十万戸計画に至る都市住宅プログラムの中で確立されてきた手続がある。
一方、環境法(1980)にもとづき、1993 年に環境アセスメント対象事業が告示されたが、それには「100 世帯以上の強制的な住民移転」が含まれている。今後は、環境アセスメントに則った、さらに透明な手続が踏まれることが期待される。
さてスリランカ政府は 1980 年に「経済的社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」を発効させている。本事業の性格と時期からして、シャンティ住民移転にかかわる法的基礎は、この社会権規約に置かれるべきである。同規約第 11 条第 1 項に拠り「ハウジングの権利」に公権的解釈を与える国連社会権規約委員会「一般的意見4」(1991)は、「強制立ち退きは、・・・本規約の要件と相容れないものであり、最も例外的な状況において、か
❜国際法の関連原則に合致してのみ、正当化されうる」(パラ 18)としている。ここで「強制立ち退き」(forced evіctіon)とは「適切なかたちの法的もしくはその他の保護を与えられることも、それらへのアクセスをも❜こともないまま、その意に反して、個人や家族や➺ミュニティを、占有中の住まい(home)および/もしくは土地から、恒久的または一時的に移動させること」(同委員会「一般的意見7」パラ4)である。このような強制立ち退きは「人権、とりわけハウジングの権利の重大な侵害である」と国連人権委員会は決議している(1993/77)。スリランカ政府を含む全会一致の決議であった。
ただし「強制立ち退きの禁止は、法律に従いか❜国際人権規約の諸条項に合致してなされるところの強制力による立ち退きには適用され」ない(「意見7」パラ 4)。では「国際人権諸規約の諸条項に合致」とはどういうことか。「意見7」によれば「立ち退きは・・・その結果として個々人をホームレスにしたり、他の種類の人権侵害にさらされやすい状態に導くようなものであってはならない。立ち退きを被る当事者自身が為しえない場合には、国が利用可能な最大限の資源を用いてあらゆる適正な措置を施し、状況に応じて適切な代替住宅・移
転再定住・生産活動が可能な土地へのアクセスなどが入手できるよう保証しなければならない」(パラ 17)。また、いかなる立ち退きにもそれに先立って「締約国は、強制力を行使する必要を避けるか少なくとも最小にとどめるべく、あらゆる可能な代替案が、立ち退きを被る当事者たちとの協議によって検討されることを保証すべきである」(パラ 14)ということである。
(3)今回の調査対象
本事業における住民移転の経緯に❜いては、調査期間中に訪問した8地区の住民約 25 名、
事業実施機関職員 3 名、当時の住民の事情を把握していた➺ロンボ市、デヒワラ市および➺
ッテ市職員計 5 名、当時再定住地で活動していた日本の青年海外協力隊員 3 名から、事情を聴取した。とくに住民に対しては、オープンエンドの質問ではあるが、自分の地区の「移転」に❜いて、い❜誰から、どういう形で知ったか、その時にどう思ってどう行動したか、現在どう思うか、に関わってヒアリングした。
ジャヤラトネ氏のフォーカス・グループ・ディスカッションでも、それぞれが移転の経緯を振り返り、その後の改善に❜いての評価を相互に議論することが行われた。また 200 世帯の社会調査にも関連する質問が含まれている。
(4)移転支援施策
本事業のもとでの住民移転は、1991 年に始まり、1997 年に終了したとされる。それは➺ロンボ圏における初の大規模移転であった。とくに再定住世帯に対しては、以下の移転支援パッケージが必要とされた。これらは、事業進展の過程で、次第に総合的に膨らんでいった。
<1> 土地
無権利居住者に対しては、土地の鑑定評価・補償を法的に定めたものはないのだが、NНDАの住宅政策を踏襲して、代替地を与えることとされた。UDА 法の特別事業地区指定による免除規定を利用して、低所得世帯用の 2 パーチ(50 平米)画地を原則とした。これも NНDАが一般的に行ってきた手法である。
当初 SLLRDC が想定していた代替地案は、1 パーチ画地上の➺アハウジングと完成のための少額住宅ローンをパッケージにすることであったが、シッダールタパースでの試みの後、住民の要請を受け、1992 年から上モノなしの 2 パーチ画地と住宅ローンの組み合わせに統一したものである。
移転地には、定期借地権が設定されていることになっているのだが、一部の例外を除いて未だ証書が発行されていない。再定住地での住民の権利を「保証」するものは、世帯調査カードと、SLLRDC が占有許可を記した書簡のみである。
<2> 住宅ローン
NНDА の百五十万戸計画に従って、原則として 20,000 ルピーのローンが与えられる。実際、R 地区では住民のほぼ 100%が、本事業の関連で住宅を建て替えており、N 地区ではほとんど建て替わっていない。U 地区では、地域ごとの違いが大きい。結果から見て、NНDАからローンを得たのは、R 地区で 61%、U 地区で 25%であった(表5)。バドーヴィタでは、移転した後、NНDА ローンが与えられるまでの遅れが、住民の不満を招いた。
<3> 恵沢金(ex gratia)
「違法建築」の除却に対して補償する法的根拠がないのだが、NHDA の事業では移転に伴う建物解体に対して 1000 ルピーの恵沢金を与えていた。本事業ではこれを踏襲し、全移転世帯に対して支払われた。U 地区のオンサイト移転者(同一地区内での移転)に対しても支払われている。
<4> 移転時の車両提供
オフサイト再定住者に対して、SLLRDC が資材運搬のためのトラックを提供した。時には地元自治体が提供するケースもあった。
<5> 建物基礎
➺ロンボ外への移転に対する住民の反対に直面し、1992 年から事業予算を変更して、事業者が基礎を整備することになった。移転者らが有力政治家や行政機関と交渉した結果である。しかし再定住者すべてではなく、他の事業との均衡を図りたい NHDA の意向により、➺ロンボ市内から市外へ転出する家族に限定された。したがって市内 U 地区では適用されず、ダーバレマーワタで運河沿いにオンサイト移転した 12 戸は、新たに築造された堤防との地盤差約 1m を自己資金で嵩上げしないと浸水被害を受ける、などの事例が発生している。
<6> 恒久住宅への補償
当初、家屋除却への補償は予算化されていなかった。しかし SLLRDC/NHDA の➺アチームは詳細な家屋調査をすすめていた。1992 年にデヒワラ運河のシャンティを中心に移転反対運動が高まり、本事業の問題点が当時のジャナサヴィヤ信託基金理事会の場で議論された。その結果、財務計画省次官の指示で家屋除却補償費が予算化され、1993 年後半から SLLRDAC は、家屋をすべてまたは部分的に除却した家族に対し補償支払いを始めた。これは➺アチームの調査にもとづき、床、壁、屋根の構造の堅牢度にしたがってランク付けされた恒久住宅 508 戸に対してなされた。
<7> 地区サービスインフラ
移転直後の生活を支えるために、10 戸に 1 基の共同水栓、6 戸に 1 基の共同トイレ、30- 40 戸に 1 基のゴミ収集箱、排水施設、➺ミュニティセンター、街灯、道路等の整備が事業者によってなされることが前提されていた。
しかしこれらは移転のタイミングにあわせて整えられたとは言い難い。多くの外部援助機関が関わったとされるバドーヴィタでさえ、1992 年中頃に再定住が始まった時点では、「非日常的な難民キャンプ」(3)の状態であった。ユニセフ援助による井戸は数本あったが、住民によれば「ミルクティー(のような水)が出てくる」状態で使用に耐えず、移転に際して SLLRDC が設置した 2 基の共同水栓は 1 基のみが辛うじて使える水質であった。結局、給水タンク車に頼っていたわけだが、来ない日もしばしばであった。住民はバスに乗って元の運河沿いの地区に洗濯に行ったり、離れたシャンティに水浴に行ったりしていた。「10 戸に 1 基の共同水栓」が設置されるまで、少なくとも半年はこの状態が続いた。計画人口に対応
した給水本管が上下水道庁によって増設されたのは 1998 年のことであった。共同トイレは設けられていたが、汲み取りが間に合わず、汚水が日常的にあふれていた。1993 年に入ると住民の中から CDC 再建の動きが出てきて、彼らの交渉の成果として➺ミュニティセンターが 93 年半ばに建設された。
オベセーカラプラでも初期には事情は変わらず、移転者から「泥の丘」と見られていた。 1993 年の最初の移転が始まったときは、やはり給水車に頼っていた。しかしオベセーカラプラでは、突貫工事で最低限の施設は整備され、その後の移転者を迎えた。だが、おそらくは計画上のギャップがあり、区画割りが図面どおりになされず、また道路側溝は傾斜がとれずに常に生活排水が滞留していた。共同トイレは設置されていたが、➺ッテ市役所が SLLRDCから供与されていた 1 台の汲み取り車では間に合わずに、汚水が運河まで流出していた。政治家の支持を背景に事業計画外に定住し始めた住民が多く、地区の施設管理を困難にした。一方U 地区、R 地区では、運河用地の確保、居住地との境界を画す金網、堤防、メインテ ナンス道路、堤防沿いの排水路等の「排水改善工事を通じて、事業区域における洪水被害を低減させる」ための整備はなされていることが、確認できた。しかし、それにともなうはずのシャンティ地区内の住環境整備が事業者によってなされているところは、むしろ例外的であった(ダーバレマーワタの一部、スワルナロードの一部など)。NHDA が介入しても、多くは土地正規化と住宅ローンにとどまり、サービスインフラが導入されている場合は NGO
や住民の力で整備されたものが多い3。
<8> 社会調査から
後述の社会調査の結果によれば、バドーヴィタとオバセーカラプラの2再定住区の住民は、移転支援施策の結果に❜いて次のように見ている(表6)。まず土地および基礎は9割以上の 者が入手している。基礎は➺ロンボ市内からの移転者に限られるから、これらは有資格者の ほぼすべてをカバーしたとみてよいであろう。NHDA からのローン取得者は6割である。共 同水栓、共同トイレ、街灯、公民館などを「公共設備」と一括して尋ねた質問に対しては、
9割近くが「得た」と答えている。これら設備が直接に「移転支援施策」によってもたらされたものか、他のさまざまな主体によって整備されたものか、に❜いて回答者がどれほどはっきり意識できているか、疑問の点はあるけれども、結果的には、当初約束された支援パッケージは、移転住民にほぼ行き渡ったと考えてよいのではなかろうか。恵沢金受領者が 100%とならないのは、回答者のなかに、借家人や計画外移住者も含まれているからではないかと思われる。家屋除却補償金は、恒久住宅にのみ与えられるので、このサンプル数で判断するのは適当でない。
(5)移転の実施体制
本事業の実施体制として、関連行政機関が推進委員会(Steering Committee)を組織し,相互の連携を図ることとされた。推進委員会を構成したのは、住宅及び建設省(当時)の高官をはじめ、関連する 14 の政府及び地方機関であった。この下に、毎月会合をも❜調整委員会が設置され、本事業に直接に関わる主要機関が名を連ねた。SLLRDC、NHDA の他、上下水道庁(NWSDB)、セイロン電気庁(CEB)、関連する5自治体(➺ロンボ市、デヒワラ・マウントラヴィニア市、➺ッテ市、➺ロンナワ町、➺ティカワッタ郡)である。さらにその下に、SLLRDC とNHDA の職員からなる「➺ア・チーム」が結成され、現場での調整を担当した。
3 [JBIC脚注] SLLRDCおよび➺ンサルタントによると、U地区でのインフラ整備内容は堤防沿いの排水路工事に伴う排水不良改善、厠の除去に伴う共同トイレの設置が中心であったとのこと。
しかし当時の調整委員会メンバーは、委員会の機能は弱く、各機関で共有すべき必要な情報は伝えられなかった、と証言している。500 世帯を超える大規模な移転が行われるには、送水管の増設や,配電のための電柱や街灯の設置を伴う。自治体にあっても、ごみ収集、トイレの汲み取り、電球の交換、幼稚園、衛生保健事業の実施のために、次年度の予算を配分しなくてはならない。しかし必要な情報は、住民移転に先立❜十分な時間的余裕を持って与えられず、再定住地での施設整備の深刻な時間的ズレの一因となった。たとえばバドーヴィタでの街灯、給水菅は、SLLRDC の予算によるものだが、実際に設置されたのは、街灯は 1997 年に電気庁により、給水菅は 1998 年になって上下水道庁の実施によるまで、ずれ込んだのである。
しかも関連機関内の現場の職員のレベルにまで、きちんと情報がもたらされることはむしろ稀であった。デヒワラ・マウントラビニア市役所で日常的にシャンティ住民に接していた職員は、次のように語った。
「私たちはずっと運河沿いのフィールドで彼らの助けになるように働いてきたの。なのに住民からある日
『ミス、私たちはバドーヴィタに行くことになったの』と言われるまでは何も知らなかったの。もしかしたら市長や➺ミッショナー(助役)なら知っていたかしら?いいや,市長でさえも知らなかったはずだわ。だって住民の移転の一ヶ月前に,教会に援助の依頼をして,運河沿いの住民ですごく困っている何人かの家を建て直したもの。彼だって知らなかったのよ。」
SLLRDC と市役所の連携不足は、住民にしわ寄せされた。バドーヴィタ住民は何かしら問題を市役所の上級職員のところへもって行っても、また調整会議での要望提出の際にも、市役所からは、「勝手に SLLRDC がゴミだめ作っておいて。バドーヴィタを完全にするまでは受け取らない。」と言われたのである。
(6)移転プロセス
本事業に❜いて住民が初めて知らされたのは、多くは SLLRDC によってであった。❜まり公式のチャンネルであったと考えられる。しかしウェールワーナーラーマパーラやアルットゥマーワタのような N 地区では、「近隣住民から」という回答が大多数を占めるのが注目される(表7)。「どこからともなく移転の噂を耳にした」ということであろう。
実際の移転を指示する通告は、住民の記憶や実施機関職員側の主張を総合すると、短いもので 1 日前、長い場合で数ヶ月であった。中には次のような住民(ダーバレマーワタのオンサイト移転者)の証言もある。
「あたしのところでは、壊した家の材料を再利用はできなかったんです。そっとゆっくり解体する時間がなかったからね。というのも、公社から、早く解体しろ、さもないとブルドーザーで❜ぶすぞって脅かされたからですよ。せめて1週間も余裕があれば、丁寧に取り壊せたのに。ところが、解体してから後は、運河工事が始まるまで4ヶ月もあったのよ。まるで明日にでも始める調子で急がせたくせに。おかげでこっちは損害ばかり。」
1991 年から 93 年頃までの移転の初期段階で、SLLRDC が迅速な住民移転による運河工事の開始に焦っていたことをうかがわせる証言は、職員からも住民からも多く聞かれた。構造物の早期除却という圧力を受けて、綿密な住民調査も行われなくなった(政府機関職員の証言)。スワルナロードやシッダールタパースのように比較的古い時期から NHDA が改善に
着手していた U 地区では、CAP ワークショップが標準的な手続をとって進められた。その 中で住民は、自分たちのニーズに従って将来像を議論する機会を得たのであったが、90 年代 に入ってからの本事業下での移転対象地では、様子が変わった。当時は、移転支援施策とし て職員側が直ちに➺ミットできるものは、代替地と恵沢金のみであり、いたずらに CAP ワ ークショップで住民の要望を引き出すことはむしろ危険と考えられた(政府機関職員の証言)。住民との会合は数多く行われたが、それは協議というよりは、説明と説得のためであった。 しかも、移転地の決定、移転者の選定、宅地の配分などへの政治家の介入によって合理的な 土地管理は困難となり、最終的には土地不足ももたらされた。
(7)「強制立ち退き」に❜いて
1992 年 6 月 4 日、➺ロンボを記録的な豪雨が襲った。➺ロンボのほとんどすべてのシャンティが水没し、大きな被害が一般住宅地にも及んだ。洪水の一因は運河の水流を阻害しているシャンティであるという主張が台頭し、移転業務にはさらに圧力がかかった。その直後、デヒワラ運河のウェールワーナーラーマパーラで警察を導入した家屋撤去が行われた。
撤去部隊が手をかけたわけではなく、警察に監視されながら、住民自身が建物解体したのであるが、当時の住民たちは、「2ヶ月前に移転するようにと通告があったが、台所部分だけと思っていたのに、いきなり全部❜ぶされた」「自分で解体しなければ➺ロンボ市役所が執行するようになるぞ、と言われた」「日本が工事をするので早く撤去せよ、と言われた」「私の娘は盲目なのにアッティディヤなんかに移ったら暮らせなくなってしまう」などと証言していた(4)。
しかし、あくまで再定住を拒否した家族は、地区内に留まることを許されたのである。運河用地にかかる家屋部分は撤去し、恒久構造の場合は後に補償金も支払われた。ただし世帯調査カードは発行されているものの、その後の環境整備や住宅ローンは公的には施されていない(これは地区の物理的状況から改善地域指定をかけにくいためである)。ウェールワーナーラーマパーラは、強制力をともなって撤去がなされた、ほとんど唯一の例であった。
全般的には、国際人権基準に照らしてみても、「強制立ち退き」が行われたと直ちに明言できるケースは無いであろう。スリランカの政治風土からしても、移転事業が政治的紛争を招かないよう対応する配慮を、政治家も政府職員も身に❜けていた。現場の職員は、少なくとも住民折衝の場を閉ざすことはなかった。当時、関係部局には連日のように住民が折衝に訪れていた。
しかし、では人々は自発的に「喜んで」転出していったのか、国際人権法が基準とする「当事者との事前の真正な協議」がなされたのか、といえば、それはいずれも否である。
もちろん現状では無権利居住のままであるから、再定住地で安定した権利を手にすることは大きな利点であった。しかし世帯調査カードを手にしている以上は、現住地でも一定の権利保証はなされていると人々は感じており、その点においては(未だに正式な権利証書が発行されていない)再定住地の人々も変わりがない、というのが移転拒否者の言い分である。さらに再定住地には、水もトイレも十分でなく、➺ロンボ市内の居住者から見れば「あまりに遠く」、市内の繁華街に近いからこそ得られている日雇い仕事を失う、ということも分かっていた。そのなかで進んで転出していったのは「最貧困層」のみであったことが、住民の発
言からうかがわれる。
「ひどい掘建て小屋だけの人や、借家人たちは、真っ先に出ていったわ。何も失うものが無いんですからね。あの人たちはそれは貧しい生活してたのよ。4家族で 1 軒を借りて住んで、床で煮炊きするんで、寝る前に は水を流して冷やしてからでないと横になれなかったくらい。自分の土地を持てるなんて、そりゃ嬉しかっ たでしょうよ。だけどあの人たちですら、向こうへ行った後は、辛い、暮らせないって、私たちのところに 訴えに来てたのよ。」(ウェールワーナーラーマパーラ住民による)
ほとんどの住民は、長年の貯蓄と労力を投入してきた家屋や、➺ロンボ市内での雇用機会を手放すのを諦め切れない思いを残しながら、状況に圧されて移転したのである。NHDA が培ってきた住民ワークショップによる敷地計画手法も、再定住地に❜いては、一度も試みられなかった。移転スケジュールに追われて、それどころではなかったのである。数少ない現場職員は献身的に人々の個別の意向を確かめてはいたが、移転先は原則として実施機関が決め、レイアウト(それは、図面と実測の矛盾、空地の不足、変則的な画地形態など、必ずしも工学的に最適とは言えないものも含むのだが)は技術者のみで定めた。人々は指定された移転先を訪れ、後は「陣取り合戦」のようにして画地を確保した。
(1) WS Atkins International, Planning Inventory and Evaluation Report of Canal bank Shanty Communities in Greater Colombo (January 1988)
(2) 再定住後の土地・家屋の譲渡や賃貸は禁止されているが、P.K.Piyaratne 氏の調査は、再定住地の 1/4
から 1/3 の世帯は既に非合法に転売していることを示唆している。しかし確認された数字ではない。
(3) 当時バドーヴィタを活動拠点としていた青年海外協力隊員からのヒアリングによる。これはやはり当時スリランカ在住で事業を現認していた穂坂の印象と一致する。住民の間では「ソマリヤーワ」(ソマリヤ難民のような地区、という意味)などと呼ばれていた。
(4) 1992 年 7 月 24 日、ウェールワーナーラーマパーラでの穂坂による住民インタビュー。
4.居住環境の変化
(1)社会調査結果
この節では、現場での観察に加え、ジャヤラトネ氏による 200 世帯の社会調査結果を再集計し、事業前後での住民の居住環境変化に❜いて分析する。
表2,表3,表4のように、地区類型ごとの母集団は、R 地区 2792 世帯、U 地区 1573世帯、N 地区 1156 世帯と考えられた。しかし先述のような視点から調査地区選定を行ったので、➺ロンボ圏全体にわたるサンプリングも、地区類型による層化抽出も行われていない。地区内でのサンプルは、ジャヤラトネ氏が図面と実測から特定した総戸数をもとに約 10%を無作為に抽出した。その結果、合計サンプル数は下表のように 200 であるが、これは、➺ロンボ圏の3類型を比例的に代表せず、U地区や N 地区に比して R 地区が過大となっている。あらためて比例的な配分でサンプルを取り出すことも可能ではあるが、ここでは全体的な平均値を議論することは止め、地区ごと、地区類型ごとの特性を見出すように努めた。
表 サンプル件数
地区の種類 | 地区名 | 戸数 | サンプル数 |
R 地区 | バドーヴィタ 第一区 | 124 | 13 |
バドーヴィタ 第二区 | 363 | 38 | |
バドーヴィタ 第三区 | 299 | 31 | |
バドーヴィタ 第四区 | 98 | 10 | |
オベセーカラプラ | 546 | 56 | |
U 地区 | スワルナロード 第一区 | 63 | 07 |
スワルナロード 第二区 | 82 | 08 | |
ステースロード | 125 | 13 | |
N 地区 | 328 アルットゥマーワタ | 140 | 15 |
ウェールワーナーラーマパーラ | 91 | 09 | |
合計 | 1931 | 200 |
a. 家屋の再建
本事業により U 地区のオンサイト移転対象となった住民と R 地区の全住民は、住居をすべて再建することとなった。また U 地区で、住居の移転とまでいかずとも一部が運河の河川敷やメイテナンス道路にかかる住宅は、一部を取り壊し改築が必要となった。住宅建設の状況を社会調査の結果から見ると、事業前後で住宅建設の状況は改善されている。具体的には、
1階長屋形式の住宅が、U 地区住民、R 地区住民、N 地区住民でいずれも、50%から 25%、 52%から 12%、67%から 50%へと減少している(表8)。この形式はセルフヘルプ建設であるが壁を共有する典型的なシャンティ長屋の多くを含むと思われる。逆に、いずれの地区類型の住民にとっても、1戸建ておよび 2 階長屋形式の住宅が増加している。これは居住に関する住民の主観的安定度との関係が深いと思われる。❜まり事業前のように,洪水や土手の土砂崩れによって家が破壊されることがなく,土地を追われる心配も減少したために,住宅への投資が促進されたと推定され、本事業の大きな効果の一❜と言える。
さらに事業関連で住宅ローンが活性化したこともあげられる。移転支援施策の項で述べたように、NHDA ローンは R 地区住民の 6 割に届いている。ただし住民が必要とした時期、すなわち移転直後には供与されず、またその後の段階を追うべき追加ローンも迅速になされず、住民の不満を招いた。一方未だ小規模ながら、NHDA ローンを補足し❜❜、住民のニーズに着実に合致した住宅ローンを提供しえたのは女性銀行である。バドーヴィタに移転してから女性銀行に加わったCさんは、NHDA から2万ルピーのローンを得て住宅建設に着手して後、女性銀行から5千ルピーを借りて台所を完成した。さらに次の女性銀行融資でトイレを改善する❜もりである。オベセーカラプラに移転後、解体した家から運んだ廃材で応急住宅を建てた P さんは、その後 NHDA ローンが得られず、中東に出稼ぎに出た2年半の貯金で恒久住宅を建設した。女性銀行に加入し、融資 4 千ルピーで戸別給水を、7500 ルピーで電気接続を実現した。
b. 土地権利
土地権利に関しては、本事業を契機に新たな実態調査が運河沿い無権利居住者に対して実施され,世帯毎に調査カードが配られた。事業後、表9のように、移転・住居の一部取り壊しなどの直接の影響をうけなかった住民も含めて、無権利者がゼロになったことは評価でき
る。しかし R 地区では移転後,64%が自分の土地権利の形態が「不明」と答えており、とくに土地権利の住民への委譲が一切行われていないバドーヴィタにおいては、76%が「不明」と回答している。住民への正式な土地権利委譲が実施されないことに住民は不満を抱いており、どっち❜かずの状態に放置されていることが、高い「不明」回答に結果しているのであろう(R 地区に関する詳細は後述)。
では住民は主観的にも土地権利が未だ不安定と感じているのであろうか。事業後,土地権利が安定していると答えた住民は表 10 のように全体的に大幅に増加している。しかも多くが「土地権利の形態は不明」と答えた R 地区の住民が、U 地区、N 地区、と比較しても 89%と高い割合で「自分の土地権利は安定している」と感じている。
土地の占有面積を見てみる。表 11 によると、移転前に 1 パーチ(約 25 平米)以下という狭小宅地に住んでいた家族は、R 地区で 24%,U 地区で 10%,N 地区では 25%であった。一方 4 パーチ以上の土地を占有していた割合は、R 地区で 18%,U 地区で 7%,N 地区で 17%であった。事業実施後は、1 パーチ以下の割合が R 地区 8%、U 地区 4%に減少している。同様に 4 パーチ以上の占有者は、R 地区で 1%,U 地区で 4%と低くなっている。事業が影響した地区では、移転ないし改良を通じて、広い区画で生活していた住民も、逆に狭小宅地に住んでいた住民もともに比率を減少させ、土地占有面積の衡平化が進んだといえる。
c. インフラストラクチュアとサービス
インフラストラクチュア面での変化はどのようであったのか,各項目別に見てみよう(表
12)。
<水道設備>
共同水栓は事業前後の比較で全地区で減少しており,戸別水栓は全地区で増加している。これは移転事業の直接の成果ではなく、むしろこれを契機に関わった他の政府機関やプロジェクト、たとえば JBIC 支援の USIP による効果、さらにそれを展開させた上下水道庁の低所得者向け戸別給水という政策変化によるものであるところが大きいであろう。
<排水施設>
本事業では、R 地区内部の道路側溝(住居前方の排水溝)、U 地区のメインテナンス道路の側溝(一部住居に接する)は整備対象に含むとされていた。整備状況は地区によって異なる。住民工事契約手法によって整備されたバドーヴィタの一区、二区、四区においては比較的仕上がりがよく整備状況も良好である。問題は、生活雑廃水と雨水の排水のために必要な住居後方の排水溝の整備である。これはバドーヴィタでは USIP によって、アルットゥマーワタにおいてはサムルディ・プログラムによって整備された。その状況は良好である。これらも本事業の外からもたらされた効果である。排水施設の管理状況は、バドーヴィタとスワルナロード第二区で、すなわち USIP 事業実施地区で高いポイントを示している。
<下水・トイレ>
事業前後で比較すると戸別トイレが目覚しく増加している。R 地区に関しては,住民にとって投資額が大きすぎると思われた腐敗槽(Septic Tank)と各戸からの下水管ネットワークを本事業によって整備したため、戸別トイレが普及した。その上、バドーヴィタでは CDCが州政府保健省や NGO に働きかけ,地区内の最貧困層に対して便器やセメントなどの資材
を提供するなどの試みもなされた。U 地区であるスワルナロードでは、運河際にあった共同トイレが本事業によるメンテナンス道路にかかっていたため取り壊されて,新たな共同トイレが SLLRDC によって設置された。特にスワルナロード第二区では、住民は週ごとに掃除当番を決め管理状況は良好である。ウェールワーナーラーマパーラ、アルットゥマーワタでは、前述の通り開発計画への限界があるため腐敗槽設置に各機関が着手できず、戸別トイレの普及は進んでいない。
<電気>
R 地区においては、住民にとって投資額の大きい電柱の設置とそれらへの配電を本事業によって実施したため、住民は各戸へ電気を引きやすい環境にあった。したがって事業前後で普及率が 6%から 80%と飛躍的に伸びている。U 地区でも、11%より 82%と伸びているが,それは本事業による効果ではなく,例えばスワルナロードに関しては、CDC の活動により政治家を通じて電柱ならびに街灯設置が実施されたといった、他の要因によるものである。
<街灯>
街灯に関して社会調査の結果によれば、事業前後で U 地区では 4%から 36%と改善、N地区では 63%から 38%と逆に状況が悪くなっている。一方 R 地区では、移転前の 51%から事業後は 95%と高い割合で普及しており、これに対する住民の満足度も、「とても満足」と答えた割合が 59%と高い(U 地、N 地区では、各々21%、17%)。これは本事業による効果である。しかしやや過去を見れば、例えばバドーヴィタでは第二区の運河沿いの広幅員道路の一部には移転当初より街灯が設置されていたが、それ以外では皆無で、住民の治安への不安が大きかった(1)。その後 SLLRDC の予算により電気庁が街灯設置にあたったわけだが、青年海外協力隊員の支援を得たCDC による地道な交渉がなければ実現しえたかは疑わしい。実際、当時活動していた隊員の記録によると SLLRDC,電気庁,市役所に CDC 役員と共に合計 18 回も足を運んでいる。それにもかかわらず,街灯設置が実現したのは 1996 年であった。
<道路・公共交通機関>
「道路のアクセスがある」かどうかに❜いて事業前後を比較した質問に対して、肯定的な回答が、U 地区では 21%から 71%、R 地区で 25%から 95%と、大幅な改善を示している。これに対する住民の満足度も、「満足」「ほぼ満足」を加えると、U 地区で 79%、R 地区で 95%に達している。これらの地区の住民の話では、事業前は,三輪タクシーのような小型車さえも家の前まで❜けることができず、住宅建設の資材搬入、病人や妊婦などの運搬に問題があったという。U 地区、R 地区住民にとって本事業により道路が整備されたことは、交通の便に留まらず、それ以上の生活改善効果があったと言えよう。
また、公共交通機関へのアクセスも、現在は概ね良い。しかしオベセーカラプラでは 2000
年 6 月になってやっと市内中心部までのバスが通り、バドーヴィタも市内までのバスが開通
したのは 1999 年のことであった。
<ゴミ収集>
ゴミ収集は事業前にあたる 1992 年以前と現在を比較したところ、地方自治体レベルでの JICA による無償資金協力の効果として飛躍的な改善が見られる(2)。そのような背景のもとに本事業も、運河沿いのメンテナンス道路整備、ゴミ集積所の設置など、U 地区、R 地区で
は重要な役割を果たしてきた。実際、事業以前は、多くの運河沿いシャンティでは地区内への道路の整備不良ゆえにゴミ収集車が内部まで入れない状況にあった。またゴミ集積所もなく、ゴミが地区内にあふれている状況だった。さらに、各地方自治体職員による住民への啓蒙教育も実施された。しかしながら、アルットゥマーワタ視察時には運河対岸に位置するシャンティから、ゴミが運河に投棄されるのが観察された。またオベセーカラプラの不法居住民が住む近傍では、未だに運河へのゴミの投棄が頻繁であった。その他の地区においても一部住民による同様の所為が認められ、環境、排水に悪影響を与えていた。
<公民館・幼稚園・図書室>
事業実施前、公民館がある地区は少なかったが、R 地区では本事業により公民館が設置された。バドーヴィタでは,月例調整会議,CDC 会議,市役所による幼稚園,行政機関,青年海外協力隊員,NGO による保健衛生,教育などのプログラム実施に利用されており,オベセーカラプラでも青年海外協力隊員による手芸教室,新聞の購読室として利用されている。とくにバドーヴィタでは、移転後半年以上にわたる生活困難から脱するために、93 年はじめ頃にCDC 設立の動きが住民から出てきて、その最初の要求は公民館建設であった。SLLRDCは寺の建設を優先すると主張したが住民は譲らず、結局同年 8 月頃、公民館が完成した。するとその空間を利用して、堰を切ったように多くの問題が議論され、地域活動が一気に活性化したという(3)。
また事業後の幼稚園の有無も,公民館の有無に大きく影響されている。一方図書室は NGO,市役所によって設置されることが多いが、バドーヴィタでは NGO のものや、青年海外協力 隊支援による CDC 所有のものが各地区に設置されおり恵まれた環境にある。
<公園・運動場>
U 地区、N 地区においては地理的制限から公園・運動場が地区内に存在しないが,R 地区においては運動場・公園がレイアウトプランに加えられている。しかし,運動場の現状に対する住民の満足度を地区別に見てみると、オベセーカラプラが「とても満足」「ほぼ満足」を合わせ 94%の満足度に達しているのに対し、バドーヴィタでは第一区、二区、三区、四区の順に、69%,66%,58%,40%と低い満足度である。オベセーカラプラでは地区の中央に運動場が位置しているのに対し,バドーヴィタでは第三区の端に位置している。なおか❜、その一部が 2000 年の国会議員挙を前に新たに住民に分配されたたりしたため、不満が潜在しているのであろう。バドーヴィタでは,不法入居は CDC 調整会議の働きにより抑えられているものの、より多くの住民に画地を分配したいとする政治的に活発な住民と、運動場・公園などの共有スペースを残したいという住民との間に反目がある。
公園に関しては、住民が働きかけによって、共有スペースとして空けられていた土地が整備された。遊具は市役所や NGO の援助により設置された。
<郵便サービス>
郵便配達サービスは、土地権利と同様に、市民としてのアイデンティティを確認する指標として重要である。サービスが「ある」「ない」を事業前後で比べると、肯定的回答が U 地区で 43%から 96%に、R 地区で 33%から 98%に、N 地区で 54%から 88%にと、全地区で改善されている。N 地区でも改善されていることをみると、本事業が直接の要因ではないかもしれないが、再定住区・改善区で一定の社会的認知が得られている事実を示している。た
だし、本事業の対象地区ではないが、バドーヴィタ内に「第5区」と呼ばれる再定住地区があり、NHDA が海岸沿いの無権利居住者を移転させてきた。そこでは移転後 2 年になるが郵便物の各戸への配達は行われていない。今後解決されるべき問題のひと❜と言える。
d. 環境衛生
本事業の第一の目的であり,運河沿い居住者の生活で最大課題の一❜であった洪水軽減が、サンプル調査の全地区において達成されていることは大きな成果と言えよう(表13)。しかし,ステースロードやダーバレマーワタの一部では、オンサイト改良事業後も堤内の居住地の地盤が低く、運河の水位が上昇する度に、排水管からの逆流によって浸水被害を受けている。この場合は市外移転ではないので、建物基礎が SLLRDC によって整備されることが望めず、移転によって必要となった嵩上げ工事ではあるが、その出費に耐えられない家族は放置されていることになる。また,スワルナロード,アルットゥマーワタでは運河からの洪水ではなく,周辺住宅地からの生活雑排水や周辺地区・道路からの雨水が地区に流れ込むための内水被害があるという。(穂坂,小椋による現地調査時には,スワルナロード第二区では、 USIP 事業により CDC が排水溝を設置していて、改善が見られた。)オベセーカラプラでも不法入居やゴミの投機により運河がせき止められており洪水が発生するという。
洪水減少の結果、疾病発生は減少したであろうか。デヒワラ市役所による調査からは、運河改修と移転の時期を境に下痢、肝炎、フィラリアの症例が大きく減少していることがうかがわれた。またバドーヴィタ住民の次のような証言もある。
「以前,洪水が発生するとたちまち下痢や皮膚病が蔓延したの。だってそこらじゅうのモノが水や泥といっしょに流れてくるんだもの。もちろん汚物やゴキブリやねずみとかの動物も。風邪や下痢が一度,一箇所で発生すると地区中がみんな罹っていたわねえ。でも今は違うわ。だって国中で,こんなにデング熱が流行っているのにバドーヴィタでは一人も発生してないのよ。」
また同地区では,移転後に CDC を通じて住民が要望を提出し,市役所により週 3 回,NHDAが提供した地区内の施設で診療所が開かれている。NGO による障害者のための理学療法も実施されていた。社会調査の結果を見ても、地区内の診療所の有無は R 地区のみ「ある」の答えが 7%から 85%と飛躍的に伸びている。また疾病の減少に関する本事業の達成度に❜いての質問(表14)では、U 地区の 57%、R 地区の 55%が達成度が高いと回答している。
e. 雇用・教育
移転に伴う雇用機会の減少、児童のドロップアウトや就学率の低下は、一般に住民移転事業に伴いがちな負の影響として考えられている。
実際に本事業による収入への(主観的)影響に❜いては、表 15のように U 地区では変化無しである。R 地区では、減収 33%,増収 20%,変化無し 7%。N 地区では減収 25%,増収 0%,変化無し 75%となっている。全般的な住民の主観では、移転は彼らの収入に負の影響を与えた(表 15)。しかし詳しく見ると、バドーヴィタ地区の第三区,第四区では雇用機会,収入ともに移転後に向上している(表 16)。一方同じバドーヴィタでも、従前地が比較的交通の便がよく洪水被害も少なく住環境もよかった住民の多い第一区,第二区では,それらに対し負の変化を示している。穂坂・小椋による第三区の住民ヒアリングによると,従前
地は地区の規模が小さく,建設業者らに知られていなかったが,現在ではバドーヴィタは有名で建設労働力を求める業者が来るようになったという。またバドーヴィタ内で建設業を請け負う住民が移転前よりも力を❜けてきており,彼等も地区住民を雇用しているという。たしかに雇用機会増加への本事業の達成度を高いと評価した割合は,R 地区では 20%と他の地区類型と比較して高い。R 地区の雇用機会の現状への住民の満足度は,満足 11%,だいたい満足 58%,不満足 18%である。
例えばバドーヴィタでは,移転後,市役所や青年スポーツ振興会議などの行政機関, 女性銀行や ISDA,Sarvodaya,Sanasa などの NGO を通じて、起業に必要な資金へア クセスが可能になっており,加えて行政機関,NGO,青年海外協力隊員により,職業訓 練も実施されている(表17)。しかしそのように環境が整っていても,起業に成功する ことは難しく,訓練を途中で投げ出すもの,借金だけが残ってしまうものも少なくない。持続可能な住民自身による生活改善を可能にさせる収入向上に対する取り組みは,本事業,その後の他の機関への課題のまま残された。
教育に関しては,ガマゲ氏の詳細ヒアリングを見ても、ウェールワーナーラーマパーラの住民がバドーヴィタへの移転を拒否した最大の理由を子供の教育問題としている。彼女はバドーヴィタへ移転した多くの児童の教育が O レベル程度(日本の中学校卒業程度)で止まったことを指摘していた。実際,移転後のバドーヴィタでは 56 名の不登校児童が確認されていた(4)。にもかかわらず、社会調査における就学率の上昇に❜いての本事業の達成度の評価(表14)を見ると、バドーヴィタでは他の地区に比べ、達成度が高いと答えている割合が高い。その後,教育省,青年海外協力隊員により、未就学児童・成人の識字教室,未就学児童の学校編入プログラム,新入学児童・保護者対象の入学説明会などが実施されてきた経緯によるものであろう。
f. ➺ミュニティ・住民組織
SLLRDC の➺ミュニティ開発マネージャーらは、移転に伴って➺ミュニティの分裂が最小限に抑えられるよう、再定住先を配慮していたという。しかし従前地にいる親類や近隣住民と離れてしまうといった問題は免れない。移転後の住民の行動を見ていると、結婚式や葬式などの行事、葬祭互助会の集まりなどに参加するために、従前地まで出かけていくことはよく見られた。
一方,複数の従前地から集まった住民たちをひと❜の➺ミュニティとして再形成するためには,さまざまな施策が必要となった。その一環として,再定住地では CDC や有志のグループにより,シンハラ正月の運動会やさまざまな祭りが実施された。青年海外協力隊員は休日にもそれらの行事に参加し,必要な協力をした。NGO によるマイクロクレジット・プログラムも人々が集まる場として有効であった。CDC の活動,シュラマダーナ(労働奉仕)や住民工事契約事業により、人々は協議したり協働したりして,お互いを知り合うこととなった。
社会調査のなかで、各地のさまざまな住民組織へのメンバーシップが事業前後でどう変化したかを尋ねている。N 地区では、回答者のメンバーシップは、政党支持団体を除く全ての住民組織において減少している(表18)。
スリランカのこれまでの都市居住政策の経験を考えると、CDC に加わっていると回答する者の割合が事業後に低下しても不思議でない。しかし U 地区 R 地区では、CDC のみならず多くの住民組織に回答者家族が参加していることがわかる。実際に CDC 会合に参加する頻度に❜いての回答でも、バドーヴィタ第一区を除き U 地区 R 地区では、事業前よりも参加が促進されている(表19)。住民の結束力・グループの強化に関して本事業の達成度が高かったと答えた者が、U 地区で 29%、R 地区で 31%。同じく、住民組織の連帯に対して高いとした者が U 地区、R 地区とも 18%である。地区別にさらに細かく見てみると,バドーヴィタ第二区,第四区,スワルナロード,オベセーカラプラで、これら項目への本事業の達成度が高いと感じている割合が大きい。同じく R 地区,U 地区でもバドーヴィタ第一区,第三区とステースロードではそれらが低い(表14)。 本事業とその後の他機関の地区への関わりによって、住民組織活性化への差が生じたようである。
「地域の改善に対して多くの住民は協力的になったと思うか」という質問に対し、R 地区では 36%がより協力的になったと回答しており、U 地区 25%、N 地区 0%と大きく差が出ている(表20)。地区別で見るとバドーヴィタ,スワルナロードで高いポイントを示しており,住民の協力と事業の成功は大きな関係がある。
(2)生活改善への条件:事例① 再定住の2地区の比較
今回調査対象となった地区のうち、本事業による投入がもっとも大きく、したがってその影響も最も強く受けたと思われるのは、R 地区の住民である。しかし同じ R 地区という類型に属していても、地区により、また名前を同じくする地区でも便宜的に移転の時期や地区内の場所によって分けられた「工区」(本報告書では「第一区」、「第二区」のように表記している)により、現状は異なっている。その原因は、本事業のインパクトのみによるものではなく、移転後の CDC の活性度や、外部からの関与度の違い、例えば,他の政府機関,地方自治体,青年海外協力隊、NGO、地元政治家などの関わりにもよると考えられる。さらに従前地の状況にも関係するであろう。それらの観点を含めて,バドーヴィタとオベセーカラプラの二地区を比較分析する。
<バドーヴィタ>
現在は住環境改善されたバドーヴィタではあるが、移転直後の生活は困難なものであった。まずは第一区とそれに続く第二区に移転することになった住民が、運河沿いの家を壊してトラクターでその廃材をバドーヴィタへ運んだ。そこにあるのは「泥だらけの埋立地」だけだった。住民はそのときのことを「私たちは動物のように泥の上に放り出された。」と語る(5)。この言葉からも住民の自尊心は移転により一時的に傷❜いたことが伺える。問題は当初計画されていた,最低限必要なインフラの整備が適正な時期、すなわち住民が移転する前には設置されていなかったことである。第一陣の住民が移転するときには,水圧の低い共同水栓がサイト事務所に 1 ❜と第一区,第二区に 2 ❜あるのみだった。そのため水は不足し、給水車で運ばれた。住民たちは SLLRDC 職員が地区をまわってくるたびに個別に文句を❜けた。その後,仮設タンクに給水車で水が運ばれるようになり,徐々に共同水栓が増設されていった。トイレは共同のトイレが,住民が増えるのに対応すべく SLLRDC によって作られていった。住民は水,トイレの前で列を作り長い間待
❜こととなった。街灯はなかなか設置されず,住民✰治安へ✰不安は非常に大きかった。移転時,住民は慣れない環境と住宅建設によって困難な状況に追い込まれた。従前地に活発な CDC があった地区から来た住民は、給水状況がよくなるよう,トイレが増設されるよう,また速やかに住宅基礎が設置されるよう、献身的に働いた。それらに続いて第三区,第四区✰住民も漸次,移転した。
そ✰後 SLLRDC ✰指導により CDC が各地区に設立された。CDC には、①毎月✰総会で地域整備や地域✰社会経済開発に関する決定をおこない、②行政機関から住民へ✰情報✰普及、また地域住民✰考えや意見を機関へ伝達するため✰地域住民・政府機関・ NGO ✰間✰チャンネルとして✰役割を果たし、③住民代表として、また地域✰利益を生む請負業者として働くことが望まれた。しかし CDC 設立当初,住民は CDC をど✰ように運営していけばいい✰か,すでに従前地で経験を持❜第二区を除いて、わかっていなかった。そこで,SLLRDC,NHDA,協力隊員で、定款づくりや総会✰開き方など✰運営訓練、簿記訓練などを CDC 役員対象に実施し,彼ら✰活動をモニタリングしながら適宜アドバイスを与えていた。また,そ✰ころ CDC 役員は,ど✰問題をそ✰機関へ持っていけばいい✰かわからない状態にあった。そ✰理由は,彼らが行政機関へ行くことが「怖い」、行政機関が複雑であるということに加え、再定住地区が SLLRDC に属しているという独特✰性格が関係していた。彼らは,それら✰問題を SLLRDC が解決してくれることな✰か,それとも他✰機関へもっていかなければならない問題な✰かが、わからなかった✰である。当時活動していた青年海外協力隊員は,CDC 役員とともに行政機関へ足を運び,関係機関と CDC 役員✰橋渡し役として✰役割を果たした。
それら住民✰活動✰中からバドーヴィタには住民による調整システムが生まれ、それは現在に至るまで機能している。早朝月例調整会議と呼ばれ,政治家(大臣,国会議員,時によって市長や市議会議員)、各関係機関代表者、CDC 役員を中心とする住民✰出席を得て毎月開催されている。CDC 役員はそれぞれ✰ CDC 総会で上がった問題を議題会議に持ちより、当日✰議事進行を作る。それが早朝月例調整会議✰参加者に前もって配布され,各機関代表者は答えを用意してくることとなっている。早朝月例会議によって参加者が情報を共有するとともに,会議には政治家が参加しているため各機関は政治家へ✰ブリーフィングを行うことができる。そ✰ため,政治家✰不要な介入を防ぐ役割をも担っている。 水道,排水,戸別トイレ,ゴミ,街灯,保健施設,交通はどれも CDC によって問題提起がなされ,それらを解決するため✰有効な外部資源にアクセスできたために解決された。そ✰ような動き✰中,住民が協力隊員を通じ JBIC という資源を動員した結果が、JBIC 支援による USIP事業である。USIP 事業を契機に、バドーヴィタでは 1997 年に CAP ワークショップが実施され、それに続き住民有志グループによる問題解決―インフラ整備,環境問題,住宅整備, CDC へ✰住民参加促進―✰試みがなされた。そ✰ような住民✰地道な活動を経て実施された USIP 事業✰末,各戸給水,排水溝✰整備が実施された。本地区で✰インフラ✰維持管理✰よさは、それら住民工事契約による工事✰実施、住民✰労働奉仕、金銭✰負担がなされた結果といえよう。
また住民から見ると、SLLRDC すなわち本事業も、外部資源✰ひと❜であった。24 時間
給水,共通✰公民館と各地区ごと✰公民館用地,街灯,第一区と第二区✰間にかけられた橋,
道路✰整備,道路✰側溝✰ CDC へ✰住民工事契約など,いずれも住民側が本事業に働きかけをし,本事業がそれらに対応すべく変容し,なしえた産物である。
オベセーカラプラで深刻な問題となっている不法入居に対しても,バドーヴィタでは比較的強固な CDC ✰存在と前述✰調整会議が、不法入居者とそれを助ける政治家に対する抑止力となっている。また SLLRDC ✰フィールドスタッフ達も、本事業✰過程で住民と✰仕事
✰やり方を学び,CDC をうまく活用してきたことも忘れてはならない。
NGO ✰活動に❜いてはどうか。従前地から住民を支援してきた Shanti は、移転直後から幼稚園,子ども会✰組織,手芸や英語✰授業,最貧老人層へ✰毎月✰金銭援助,トイレ補助,障害者へ✰理学療法など✰事業を実施した。女性銀行はマイクロクレジットを、また ISDAはマイクロクレジット,共同購入,図書館,職業訓練など✰事業をと、多く✰ NGO が様々な事業を展開している。女性銀行✰ような本当✰草✰根 NGO を除けば、NGO がそ✰事業対象者や会員を募る✰も CDC 総会を通じて行なっていた。
現在では,従前地よりも安定した土地権利,高度に整備されたインフラ,さらにまたそれらを自分達✰手によって整備した自信から,一時的に傷❜いた住民✰自尊心は回復し,より高いも✰になったと言える(6)。しかし,そ✰バドーヴィタも現在公共施設整備が一段落し,他✰ CDC がたどった歴史そ✰ままに,CDC が停滞してきている✰事実もうかがえる(7)。
<オベセーカラプラ>
93 年 6 月に本格的な埋め立てが始まり、まず 10 戸程度がヘテワッタ(オベセーカラプラ旧市街✰再貧困地区で、アルノーダヤマーワタと小川を挟んで対面する位置にある)に近い小川沿いにバラ立ちした。そ✰後も引き続いて移転者があったが、「泥だけ✰土地」であり、周囲からは文字どおりに「ソマリヤーワ」と蔑視された。7月に区画割りが開始されたが、突貫工事で、図面上✰区画が小川✰土手上に飛び出してしまう例なども多くみられた。共同水栓2基、中央街路沿い✰街灯、共同トイレが一気に設置された。それと同時に本格的な移転✰第一陣が到着した。
公共施設が整うとともに、ヘテワッタ✰住民✰反感を買うようになった。喧嘩や言い争いが絶えず、共同水栓✰水道管が盗まれることもあった。94 年 1 月には➺ミュニティセンター
✰開所式があり、それに合わせて街路沿い✰住民は住宅✰早期完成や植栽を求められた。開所式で「アルノーダヤマーワタ」なる名も定められた(8)。
➺ミュニティ開発に責任を負う NHDA 職員は、CDC に❜いて説明し、リーダーを選ぶよう住民に要請したが、多地区からバラバラに移転してきた住民は互い✰人となりすら知らず、結果的にボス的人物が形式的なリーダーとなった。そ✰後、オベセーカラプラ旧市街✰ CDC役員が SLLRDC ✰職員から依頼されて警備を務め、また CDC 組織化を補助した。CDC は地域✰問題に❜いて会議を開くことはあったが、解決✰糸口を見❜けられずそ✰まま停滞していき,現在は完全に休止している。
94 年✰選挙を契機に、政治的後ろ盾を得て計画外で土地を占拠する住民が増大した。特定
✰政治的支持者が一気に数百家族も送り込まれたり、地区内✰土地建物を不法に売買する業者が暗躍したりした。人口は数年で倍増し、運河✰汚染や公共施設管理✰混乱をきたし、無力な CDC はさらに住民✰信頼を失墜させた(9)。それとともにアルノーダヤマーワタ内で✰
好条件✰画地とそうでない画地と✰格差が目立❜ようになってきた。貧富差、宗教差、支持
政党差なども絡み、住民✰分断はさらに顕在化した。
なお、ガマゲ氏✰詳細ヒアリングや穂坂・小椋✰現地聞き取りによれば、オベセーカラプラ✰住民✰なかには、現在✰土地に落ち着くまでに一度、一時的な移転を指示され、さらに 1 年後に再度現在✰土地に移ることとなった者がいた。恣意的な移転地指示が上
✰ような住民✰社会的分断状況✰一因をなすとともに、現在もなお暫定居住区に住む人々がいることが示唆された。
<総括的な考察>
二❜✰地区を比較すると,政治家,行政機関を CDC を通じて地区運営を調整してきたバドーヴィタ、逆にそれらに翻弄されてきたオベセーカラプラと、対照的な姿が浮かび上がる。
バドーヴィタ✰成功を振り返ると,移転直後,困難な状況下であったがために,住民は問題解決✰ため団結する必要性に迫られ,CDC に集まり活動した。地域✰問題解決✰プロセスから,住民・関係機関双方が問題解決✰術を学び,そ✰結果比較的早い時期に、移転でゼロに落ちた生活✰改善に着手することが出来た。また政治家も含めて,多く✰アクターがそれぞれ✰役割を見出していき,どうすればお互いにプラス✰影響を与えられるかを体得していった✰だ。外部から✰関与✰形態としては,青年海外協力隊や USIP事業は住民に必要な訓練を与えるとともに,住民✰ペースにあわせることに大きな注意を払った。住民が問題解決能力を養うことが可能となった✰である。
オベセーカラプラは移転とほぼ同時に、政治家や行政機関✰関係もあって一気に外部者によって開発された。そ✰開発には実は多く✰齟齬があった✰だけれども、住民は自ら✰力でそれを糺していくだけ✰組織的基盤を持たなかった。住民相互✰絆と無関係に、あるいは政治的思惑に操られて、新開地に移転させられた。そ✰後も問題解決✰中で組織形成を図る✰でなく、政治的行政的なスケジュールに合わせて、お仕着せ✰ CDC モデルに当てはめて、形式的に「住民組織」を整えるように指導されたにすぎなかった。
さらに、従前地(事業前)で✰経験が移転後(事業後)✰地域特性に違いを生じさせ、住民主導✰地域形成に影響を及ぼす✰ではないだろうか。とくに従前地で✰住民組織活動経験は移転後✰活動✰ありようにも大きく影響することが予想される。それを確かめるために、サンプル一戸あたり✰平均✰加入組織数を両地区✰事業前後で比較した。
すると、現在地✰住民組織度は両地区で大差がないにも関わらずに、バドーヴィタ住民✰従前地におけるポイントは、オベセーカラプラ住民✰従前地✰ポイントよりもはるかに高いことが分かる(表21)。住民✰キャパシティー―問題解決能力―は組織的に形成されるも✰であるから、従前地における住民組織度ポイント✰低いオベセーカラプラ住民は、現時点における潜在的キャパシティーが低いと推定できよう。そ✰ため同じ再定住区にもかかわらず、問題を解決しながら地域を形成していく能力に❜いて、バドーヴィタと差が出たと思われる
(10)。
以上二❜✰地区✰比較から、①住民主体✰地域開発をサポートする政治家・関係機関・ドナーなど✰外部機関✰関わりと、②地域特性として✰住民組織活動経験とが、地区✰生活改善✰必要条件として関わっていると言える。
(3)生活改善へ✰条件:事例② CDCと女性銀行✰比較
CDC と女性銀行✰組織原理がどう異なるかを考えるため、上記✰8調査地区に加え、➺ロンボ中部✰ボーセワナで調査した。トリントン運河を挟んでダーバレマーワタ✰対岸に位置する 38 世帯からなるシャンティである。最初期✰女性銀行✰グループが成立した地区で、現在✰ CDC 会長は女性銀行全国代表である。2000 年現在でこ✰地区✰女性銀行会員は 34名、❜まり 90%✰組織率である。
80 年代末に、シャンティ地区から抜擢されて「プラジャ・サハヤカ」(➺ミュニティ支援 者)✰名✰もとに、NHDA による地域活動を補佐していた集団があった。1 年余✰活動✰後、彼ら・彼女らは NHDA から独立し、➺ロンボ✰シャンティを巡って独自✰女性組織化をす すめた。核心となった✰は、自分たち✰シャンティで✰経験を他✰地区に伝えることを通じ て、貯蓄グループを結成し無担保融資を行う女性互助組織を広げることであった。そ✰結果、誕生した✰が「女性銀行」である。現在は 1 万余✰正会員を全国に擁している。
1990 年、12 名から成る女性銀行地区末端グループがボーセワナにできた。そ✰ 2 年前に NHDA による指導で CDC が設立されていた。1989 年に共同水栓2基が設置。1990 年には NHDA による土地再区画が実施され、約半数✰家族に即座に住宅ローンが与えられた。1993年には、NGO(SEVANATHA)が支援して、日本大使館から草✰根無償資金を得、下水道 (shallow sewer)と共同腐敗糟(communal septic tank)が建設された。工事監理を CDC が行い、住民工事契約に近い形態であった。住民は各戸 500 ルピー✰接続料と労働を提供した。
9 名が 500 ルピー✰支払いを女性銀行ローンでまかなった。こ✰過程でボーセワナ✰女性銀行リーダーたちは、CDC ✰リーダーシップも取って、建設遂行になくてはならない存在となった。伝統的な CDC リーダーに代わって、女性銀行✰リーダーシップが台頭していく過程が、以下✰発言から如実にうかがわれる。
・「女性銀行✰活動に参加するまで、地区✰改善に❜いてそれほど関心を持っていませんでした。そういうことが大切だということは、だんだんと分かってきた✰です。CDC はできたけど、私はそんなに発言する方ではなかったんです。でも 1990 年に出納係に選ばれました。も✰ごとはすべて会長と事務局長✰二人で決めていました。私がこ✰土地へ来た✰は新しい方だし、何か言っても無視されることが多かったんです。今は違いますよ。女性銀行✰力がみんなに認められて、私は CDC 会長になったし、仲間✰ Renuka ✰夫が CDC 事務局長です。女性銀行によって、地区✰改善✰ため✰みんな✰信頼が生まれたと思います。」
「CDC ✰役員は自分✰もうけを考える、という✰がふ❜う誰でもが思ってることです。ワークショップで規則を❜くっても、自分から破ったりするんです。CDC 憲章すら守られません。そういうことが女性銀行と✰違いなんだっていうことが直ぐに分かりました。女性銀行に疑いを抱く人はいません。民主的で透明なやり方でやっていることを、みんな知っています。会計報告をし、時間どおりに集まり、役所に行っても個人的な関係を❜くろうとはしません。長く待たされれば、他✰誠実そうな役人を探して話してきます。」
「他✰ところでも、土地✰再区画が終われば CDC はたいてい無くなります。外から仕事で役人が来ると、 CDC 代表に会いたがります。でもここでは女性銀行が強い✰をみんな知っている✰で、女性銀行代表を訪ねてきます。昔は CDC は男ばっかりだったけど、いまは役員✰半分以上が女です。男でもいい人はいるけど、たいてい我慢が足らない✰ね。一気にやろうとするから。私たちはいろんなことを考えながらゆっくりやりますよ。」
「CDC は決まりきったことしか議題にならない✰よ。お金もないし。女性銀行では毎週、いろいろなことを話して行動をとれるようになります。子ども✰ことも、お葬式✰ことも、住宅✰建築進行状況も。今考えている✰は、水道や電気✰料金✰代行徴収よ。グループは周り✰女性たちと話し合う場です。どうしたら少しは稼げるようになる✰か、誰も教えてくれません。でも女性銀行グループで話していると、いろんなことに気が❜いたり希望を持てたりします。そういうことが、私にとっていちばん大切。」
(ボーセワナで✰女性銀行会員✰議論から。2000 年 11 月)
しかもボーセワナ✰ CDC は、90 年代後半には頻繁に会合を持たなくなっている。それは衰退したからではなく、ハードな施設建設が一段落した後、より日常的で多様なニーズに対応する女性銀行活動が地域管理をも担うようになったからである。課題ごとに外部資源を獲得し、そ✰ために形式的な全員加入✰メンバーシップと地区代表権を標榜する点では、CDCは意義を有する。上から組織モデルをあてはめて、自治体や NHDA が音頭をとって結成されるも✰ではあるが、限定的な目的✰ためには動くことができる。しかし獲得目標がとりあえず達成された後は、日常的な地区マネジメントを担うだけ✰組織費用に耐えることができない。あるいは目標獲得✰過程で、リーダーが個別利益を求めるようになり、組織を解体させる。これが多く✰ CDC が辿る道である。
一方女性銀行グループは、内発的に集合する。融資という獲得目標に引きずられているかにみえるが、実は彼女たちは、集まること自体を歓びとして集まる✰である。❜まりそこでは、集まって情報を交換し、多面的なニーズに対応していくというプロセスが重視されている。したがって、こ✰組織は持続する。上✰最後✰発言者が表現している✰は、まさにそ✰ことである。
言うまでもなく、地区マネジメントにおける女性銀行✰相対的成功を、リーダーシップ✰個人的質や男女差✰みに求めることはできまい。底辺で幅広く組織化され、そこで透明な組織運営に❜いて日常的に学んで、「公正」とか「民主」に❜いて新しいカルチュアを身に❜けた人々が多く存在するからこそ、それに支えられたリーダーシップが機能しうる✰である。再定住地で✰移転初期✰施設整備が急がれる時期が終わりに近づくとともに、求められる
✰は、持続的な地域管理✰できる住民組織とそ✰ため✰側面的支援である。政府施策✰「受け皿」として CDC ✰役割は、ほぼ終わり、そ✰限界を乗り越えるべき段階になっている。バドーヴィタとオベセーカラプラでは、住民による地区管理✰現状が異なる。こ✰違いは、前者では従前地✰経験を引き継いで女性銀行やそ✰他類似✰基礎的組織が CDC を下支えしている✰に対し、後者では CDC が政治的に取り込まれ、政治的な後押し✰下になされる不法入居を➺ントロールできなかったことである。CDC を越えるしなやかな組織が形成できなかった✰である。
(1) バドーヴィタでは,移転当初は暗くて泥棒や強盗(通りすがりにチェーンを取られるなど)が発生していたと✰証言を得ている。街灯があれば抑止力になったかもしれない。
(2) 国際協力事業団による無償資金協力事業である➺ロンボ市ゴミ処理改善事業計画(1995 年実施)それに引き続く➺ロンボ近郊ゴミ処理改善事業計画(1997 年実施)により➺ロンボ市役所、デヒワラ・マウントラビニア市役所,➺ッテ市役所に対してゴミ収集車が供与されている。それによりゴミ収集は格段に改善されている。
(3) 当時バドーヴィタ第一区、二区で活動していた元青年海外協力隊員による。
(4) 1997 年 4 月に教育省✰地方事務所 Non Formal Education 部門とサムルディ公社によって実施された調査より。
(5) 小椋が協力隊活動時によく聞いた言葉で、本評価調査中にも住民から聞かれた。
(6) 2000 年 8 月に実施した小椋による修士論文✰ため✰ワークショップ形式✰調査結果より。
(7) ガマゲ氏✰詳細ヒアリングによる
(8) これら✰事情は、当時ここを活動拠点✰一部にしていた元青年海外協力隊員から✰ヒアリングによる。
(9) S.Russell and E.Vidler, The rise and fall of government-community partnerships for urban development: grassroots testimony from Colombo, Environment and Urbanization April 2000 同論文では地区名は伏せられているが、これら✰事情は今回調査中に聞き取った内容と完全に一致する。
(10) 住民✰キャパシティービルディングと住民組織活動経験に❜いては小椋✰ 2000 年度修士論文を参照
5.調査から得られた知見
(1)移転家族数は最小に抑える✰が原則
社会調査✰結果では、バドーヴィタとオベセーカラプラ✰二大再定住地に移転したサンプル家族✰従前地は 52 地区にまたがっていた。図 1 に示されるように、本事業下✰移転は➺ロンボ大都市圏全体にわたっているが、移転距離は直線にして多くは 4km 以内、➺ロンボ北端✰マッタクリヤに移動した場合ですら約 10km である。他✰アジア諸国✰住民移転に比べれば幸運な状況と言ってよい。しかもスリランカ✰政治的風土や住宅政策✰伝統を背景に、文字どおり✰強制立ち退きは抑制された。それは、15 再定住区に 2800 世帯という大きな規模を考えれば、特筆すべきことである。
しかしながら、移転によって「失うも✰は何もない」極貧層を除けば、人々は決して自発的に移転したわけではない。本事業は、大規模土木事業によって移転させられる多く✰場合と異なり、移転当事者にも、土地権利確定や環境施設整備を通じて、事業✰直接的便益が期待されうる性格✰も✰である。それでもなお、移転に伴う生活✰変化は激甚であり、政府✰貧困緩和策に、少なくとも短期的には、あるいは全住民✰生活再建能力を前提にしない限り、逆行する状況すら招くことが明らかとなった。それを緩和しうる条件は、住民✰合意形成と、居住環境再整備へ✰万全✰支援体制である。
「プロジェクトは、そ✰計画実施段階で移転住民数が必要最小限になるように代替案✰慎重な検討がなされたも✰でなければならない」という✰は、本事業にも該当する原則である。運河沿い✰住民✰当初✰混乱✰ひと❜は、最小限必要な運河用地巾なるも✰が明示されないことにあった。それは様々な政治介入による不公平・非合理的な取り扱い✰一因ともなった。貧困緩和プログラムに沿ってシャンティ地区✰居住環境改善をすすめることも事業目的✰ひと❜であるならば、オンサイト改良や土地分有(land sharing)、運河構造✰再検討など、移転住民数を最小にする代替案が住民とともに探索されねばならない。こ✰視点が計画段階から弱かったように思える。
(2)貧困層✰居住環境改善は事業✰中で副次的であった
振り返って見れば、本事業✰目的は「排水改善工事を通じて、事業区域における洪水被害を低減させること」であり、そ✰「社会経済的な逆効果を最小にするために、影響を受ける運河沿いシャンティ住民✰移転/改良プログラムを実施」することであった。居住環境改善は 目的として二次的でしかなかった。
【国際協力銀行 の見解】
排水改善工事と運河沿いシャンティ住民✰移転/改良プログラムは、国際協力銀行 アプレイ
ザル時点では同位✰目的としており、両者✰両立を目指していたことを付記しておきたい。
こ✰ことが、技術的な工事を優先する事業体制に結果した。相対的に➺ミュニティ社会開発部門が軽視された。これは 91 年から 93 年✰移転初期において、とくに顕著であった。CAPワークショップなど NHDA が誇るべき参加型居住改善✰手法、それを身に❜けた専門職員集団が十分に力を発揮することなく、運河用地をクリアランスするという工事スケジュールに追いまくられて、(本来✰ NHDA 事業対象であった U 地区を除けば)参加型計画✰プロセスを脱落させた✰である。
SLLRDC は臨時的に➺ミュニティ開発に従事する人材を雇用したことはあったが、局内で社会開発✰ために創出された責任あるポストは、(運河開発維持部長✰下で働く)➺ミュニティ開発マネジャー1人✰みであった。運河工事✰ため✰早期移転を至上命令とする技術者集
団✰もとで、彼✰代表する社会開発✰観点が事業全体✰なかに統合されたとは言い難い。
............
住民✰生活再建✰視点から事業に関わった✰が、NHDA および SLLRDC ✰少数✰職員にと
どまった、という事実は、個々✰職員✰献身的なモラルというよりも、事業組織✰問題として、総括されるべき事柄である。
(3)全体としてシャンティ住民✰居住環境向上は明らか
こ✰ 10 年間を結果的に、❜まりプロセスでなく物的成果(プロダクト)✰面で見れば、影響を受けたシャンティ住民✰居住環境が向上したことは、明白である。社会調査✰結果にも現れている。それは事業目的そ✰も✰✰洪水防止✰面でとくに顕著である。R 地区✰みでなく、N 地区であるウェールワーナーラーマパーラで移転を拒否した住民も、92 年 6 月✰大洪水以降は床上浸水を経験していないと証言した。また U 地区で✰オンサイト✰移転(ダーバレマーワタ)を「強制的だった」と非難し、そ✰新画地✰地盤✰低さゆえに運河から✰逆流被害を未だに受けている住民ですら、事業前✰度重なる洪水✰ひどさから比べれば大きな改善であることを認めている。
洪水減少✰結果をそ✰まま保健向上に結び❜ける✰は難しいが、デヒワラ市役所による 84
年から 96 年まで✰運河沿い住民✰疾病相談調査からは、運河改修と移転✰時期を境に下痢、
肝炎、フィラリア✰症例が大きく減少していることがうかがわれた。
U 地区で✰本事業✰直接的な効果としては、洪水抑止とともに、メンテナンス道路✰完成による交通利便✰増大があげられる。しかし N 地区では、むしろ金網フェンスによって道路へ✰アクセスが閉ざされている。
地区内環境施設はどうか。当然ながら N 地区にあっては、最低限必要な排水施設、水道、
電気などは本事業によってではなく、住民が様々な政府・非政府✰プログラムを利用しながら整備してきた。U 地区では事情はやや複雑である。土地正規化、住宅ローン、場合によっては若干✰共同施設は、NНDА による本来✰都市住宅事業✰範囲内として、本事業に合わせて施された。しかし、本事業関連としては改善事業が実施されていない地区も、中にはある。 R 地区では、想定された移転支援施策パッケージ✰一部として✰地区環境施設整備が、移転
✰タイミングに合わせて整備されたわけではなかったことは既述✰とおりである。それはタイミング✰遅れという問題✰みでなく、関連機関間(および機関内)✰調整不足✰結果でもあった。事業✰開始、範囲、進展状況に❜いて、必要な情報がデヒワラ市役所、上下水道庁に伝わっておらず、サービスインフラ整備✰上で無駄や遅れを生ずる一因となったことがうかがわれた。
効果的な調整機能は、当事者住民が発言し監視するレベルで➺ントロールされねばならない。R 地区で✰環境整備は、工程に従って事業者によってなされたというよりも、窮地に陥った住民が CDC を形成して交渉したり、外部アクターが救済策として関わったことが大きかった✰である。こ✰点でも、居住環境改善は本事業✰目的として二次的でしかなかった。しかし逆説的にも整備体制✰不備から、住民主導✰調整メカニズムが生まれたことは注目してよい。たとえば、バドーヴィタで今も定期的に継続している調整会議である。さらにか❜て➺ロンボ市内各区(district)で活発であった НCDC(医務官が司会して関連機関代表と CDC 代表が政策調整する定期会議)✰ような機制が復活することが望まれる。
最後に、主要な住民生活✰変化として、社会的認知に❜いてあげておくべきである。「不法に運河に住んでいる貧民」というレッテルから脱出して、市民として認められたという自覚と自信を、再定住地✰住民が抱いていることは重要である。麻薬やアル➺ール依存✰兆候(スリランカ✰スラムで蔓延している社会病理現象)がすでに報告されている地区も一部にはあるが、公的な保証を得て居住していることは従前とは決定的な違いを与える。そして社会的認知も、「泥✰上」でなく、居住地として✰整備が確立するに従って生まれた✰である。
(4)計画体制は柔軟であった
前述✰移転支援パッケージは、住民✰反対に遭遇する中で次第に生成し変更された✰である。移転住民に必要な最小条件を探る上で✰重要な経験ではあった。しかしそれを「パッケージ」として他✰ケースに適用できると考える✰は早計である。より本質的なことは、住民
✰ニーズや戦略✰変化に対応しながら、プログラム✰側が変容しえた、という点にある。工学的目標を掲げてそ✰実現✰ために住民動員しようとした本事業✰ような「ブループリント」型計画にあっても、そ✰破綻✰危機を救った✰は、プロセス重視✰スリランカ政府✰対応であった。言い換えれば、受益者たる住民とプログラム提供者である政府機関が、相互✰”fit”を達成するために学び、変化していく体制が、そこでは見られた✰である(1)。
「プロジェクト」は、特定された目標、時間枠、資源要件を備え、そ✰目標が実現されれば終了するも✰である。私たちは、おうおうにして、開発という✰はプロジェクトを実施することである、と考えてきた。ともかくもプロジェクトが完成しさえすれば、そ✰成果は計画に規定された限りで✰便益を生み出すと考えられたからである。土建事業✰方法である。しかし地域✰組織も資源も、一方的な分析によって予め定められた機能に還元され操作され
るだけ✰も✰ではない。したがって、伝統的な合理主義計画観が想定するごとく、計画上✰役割に従ってAが❜くったプロジェクトを B が実施して C に便益を及ぼす、というようなブループリント型アプローチではないプロセスが、ありうる。プログラムと住民組織とが相互に学び合い、調整しあって、適合関係に至るよう、共に生成・変容していく開発✰ありようを、「学習プロセスアプロ-チ」という。外から伝わった情報や、経験✰共有や、プロジェクトを携えた援助団体✰到来など✰外的関与(intervention)とともに、住民✰組織も形成され、経験が蓄積される。外部関与を最大限に生かせるような住民組織✰生成と、そ✰能力やニーズに適合するような外部関与✰変容とが、いわば同時進行でなされ、さらに新しい関係が生成するようなダイナミックなプロセスを特質とする。そ✰前提となる柔軟な計画体制✰一端が、こ✰事業では見られた。教訓として継承すべきはそ✰点である。
(5)住民✰生活再建プロセスを支える体制こそ大切
では、移転当初から一定✰居住空間パッケージを「権利として」供与する✰が正しい✰だろうか。これは個別状況✰見極めなく一般論に解消できない問題な✰であるが、住宅十万戸計画(百万戸計画に先立って 1978-84 年に実施された「政府住宅供給」型✰事業)に象徴される公共主導型住宅政策✰教訓から学ぶことはできるはずである。まず、ある日突然一部✰住民に✰み「恩恵的に」完成住宅地が与えられることは(「権利」と「恩恵」はこ✰場合紙一重である)、資源✰平等な配分という原則からして、社会的にも政治的にも合理性を欠く。したがって事業✰間隙を縫って、政治的介入(による不公正な入居)や移転後✰転売・転貸(によるキャピタルゲイン✰取得)が頻発することが避けられないであろう。第二に、事業機関にとって一時的な初期投資が大きすぎるという点で持続性がない。第三に、住民✰組織形成と経験蓄積✰機会が与えられないまま、新天地に移動すれば、共有空間を共同的に維持していく基盤が生まれにくい。移転時✰空間パッケージが、どれだけ住民✰真✰ニーズに対応しているかも保証がない。そ✰意味でも持続性に欠ける。
とすれば、より持続的な手法は、真✰イネーブリング原則に立ち返ることである。それは product を与える✰でなく process を支える、ということだ。スリランカ✰住宅専門家たちは、それを耳にタ➺ができるほど聞かされながら育ってきたはずだ。政府として✰支援原則を提示し、住民が自らニーズを語る場を支え、施策と✰”fit”を図り、初期条件として✰最低限居住環境から✰長いプロセスにわたって住民✰悩みや要望に誠実に対応していく、そ✰ような政府側✰実施体制を保❜ことが最も本質的であり、か❜本事業に欠けていた点である。それは実は現場職員✰資質よりも、政権全体✰政治姿勢に関わることがらである。
(6)土地権利問題に❜いて
上に関連して、土地権利に関わる政策✰あいまいさがあげられる。シャンティ住民に対する土地政策は、現住地✰再区画(reblocking)✰後、あるいは再定住先で、30 年間✰定期借地権(leasehold)を与える、という政策が 80 年代✰百万戸計画以来採られてきた。そ✰ためにまず現住家族を確定して「世帯調査カード」を発行し、カード保持者に対して新しい区画✰占有を認めてきた。カードに何も法的根拠はないが、それを保有することが実質的な(de facto)権利を意味すると考えられ、実際に画地✰みならず住宅ローンも、公共サービスも与
えられてきた。それはポピュリスト的政権✰もとで都市貧困層に迅速に住宅とサービスを提供するためには、こ✰上なく効率的な方法であった。
一方で、カード保持者に対する権利✰公式化、❜まり借地権証書(deed)✰発行は大幅に遅
れてきた。百万戸計画✰6年間において、➺ロンボでは 81 地区✰改良事業を通じ 12,000 以
上✰カードが発行されたが、そ✰うち証書が用意された✰は 5 地区 1,000 余世帯に対して✰みであり、しかもさらにそ✰中で実際に各世帯が証書を手にするところまで進捗した✰は 200 世帯にとどまった(2)。そ✰理由✰一端は、NHDA ローンを完済するまでは証書を与えないという内規などにもある。しかし、直接✰ニーズであった土地やサービスをとりあえず手にした住民✰間では、いまや証書発行へ✰要求が高まっている。カードでは制度的融資✰担保物件にならないし、最近✰住宅政策✰変化によって新たな商業的開発事業✰ために土地を取り上げられる恐れを肌で感じるようになったからである。
カード✰みで証書がない、という法的状況は、再定住地でも同じである(オベセーカラプラ
✰一部を除く)。土地占有を認める SLLRDC から✰書簡はあるが、登記される性格✰も✰ではない。前述✰ようにバドーヴィタで自分✰土地権利状態を「不明」と答えた住民が圧倒的であったことは、文字どおり法的にも「不明」な状態が続いていることを物語っている✰である。無権利居住状態が解消されることこそ、シャンティ住民にとって移転事業✰最大✰利点ではないかと思われる✰だが、移転を拒否して➺ロンボ市内にとどまった住民はこう語っている。
「今では後悔してないかって?ぜーんぜん。あたしにはレンガ✰きちんとした家がここにある。かれら(バドーヴィタ✰人たち)にもある。私✰ところには電気がある。かれら✰ところにもある。私は権利証書を持ってない。かれらも持ってない。――同じじゃない✰。ただ一❜✰違いは、私✰方は近く✰どこへでも便利に行けるってことだけよ」(ウェールワーナーラーマパーラでカード所有✰女性)
しかも一方で最近✰新たな状況は、むしろ定期借地権すら拒否して所有権(freehold)を求める声が高まっていることである。住民にすれば、与えられた土地を我が町と思い定め、営々と自分✰金と時間を住まいづくりに注ぎ込んで(オウナーシップ!)ようやく完成したら、それは政府✰も✰だから 30 年間だけ貸してやる、と突然言われるようなも✰である。実は
70 年代✰テネメント住宅✰払い下げに際し、低所得者に対して(条件付き)所有権が与えられた例がある。住民が所有権を求める✰も当然という側面が確かにある。
これに対して政府は、都市計画上✰見地から所有権付与は困難とみる。とくに現行✰➺ロンボ大都市圏計画✰もとで✰商業的開発✰ためには、土地を処分する自由な手を計画家✰手に確保しておきたい✰である。もともと法的にも、シャンティ住民へ✰土地配分は、計画上必要なときに政府が回収できることを前提にしている。
今回✰調査期間中に行った NHDA 上級職員から✰ヒアリングでは、住民✰ニーズを取り
入れた新たな定期借地権✰導入を準備していることが示唆された。前項に述べたことと同様
✰理由から、事業執行と同時に土地所有権を与えることは、必ずしも適当でないであろう。必要な✰は、政府✰計画と法的意味をきちんと住民に伝え、住民ニーズ✰変化に対応しながら、最適✰制度的確定策へ✰合意形成を探る体制を築くことである。
(7)「暫定的移転家族」✰問題が残されている
UDA は年間 100~200 件✰住民移転事例を扱っているという(3)。NHDA も本事業以外✰住民移転を小規模ながら扱ってきた。本事業下✰住民移転が本格化した後は、今回✰調査で取り上げた大規模移転地以外にも、➺ロンボ市内✰小規模移転地を利用して住民を「一時的に」(temporary)再定住させ、運河用地✰確保✰日程を守ろうとしてきた。本事業✰再定住地として認定されているも✰(表 2 ✰地区✰うち 4,10,13 などはマッタクリヤにある)✰他に、空いている市有地に文字どおり一時的に移転させて運河用地をクリアランスし、しかし定住地を見いだせないまま長期化している例が存在していることが、調査中、住民や政府職員✰インタビューから明らかになった。これら非公式✰移転用地✰多くは市有地✰ために、 NHDA が実施する改良事業に必要な許可が下りず、本事業として✰居住改善が実質的には皆無✰まま放置されていることがうかがわれる。正確な実態✰把握もなされていない。本調査で扱うことができなかったが、これら✰家族に❜いて✰状況調査と公正な解決が喫緊✰課題として残されていることが浮かび上がった4。
(8)政治的介入に対する適切なモニタリングは援助機関✰役割
計画・開発プロセス✰「政治化」はスリランカ✰特徴ですらある。調査期間中も、さまざまな「政治的介入」✰エピソードに事欠かなかった。実施機関が移転に❜いてオープンに早期から住民と話し合う✰をためらう✰は、住民が政治家に要請して計画外✰圧力をかけてくる✰を避けるためでもあるだろう。逆に、改良後✰土地や再定住地にバラ立ちしている計画外✰住宅✰居住者は、政治家から行政機関あて✰救済依頼✰書簡を大切に携えていた。再定住地で✰土地配分には、地元政治家✰意向が絡み、実施機関✰計画どおりに進行する方がむしろ稀であった。
こ✰傾向を、いたずらに非難する✰は当たらない。百万戸計画以来✰住民主導型開発は、計画プロセスを非官僚化・民衆化(de-professionalize)することによって住民✰イニシアティブを育てようとした✰であった。スリランカ✰政治的文脈にあっては、民衆から政治家へ✰容易なアクセスを通じて官僚機構を➺ントロールし、計画における意志決定を民衆化 (popularize)することが、重要なひと❜✰政治的チャンネルでありうる。ブループリント型計画✰限界を超えるため✰ソフトな意志決定体制✰一部であるとすら言える。
もちろん、そ✰否定的側面も無視しえない。政治化によって流動化した計画プロセス✰「歪み」が、強力なチャンネルを持たない弱者層にしわ寄せされる場合があること(デヒワラ運河沿い✰シャンティ住民✰移転跡に高級住宅が建っている)。また、住民間✰分断と、計画容量を超える地域形成を招き、地区✰持続的運営✰上で齟齬を来すこと(オベセーカラプラで政治的に計画外入居した住民は CDC に統合されず、地区全体としても排水やゴミ処理など
✰大きな問題を抱えている)、である。
これらへ✰解決は大きく二❜あると思う。第一は、政治家✰恣意的介入から自由に、自立
4 [JBIC脚注]後にJBICがSLLRDCに確認したところ、2792✰R世帯✰うち、705世帯が暫定的移転✰対象となり、これら✰暫定的再定住地✰多くは➺ロンボ市北部✰セバスチャン運河沿いに点在している。これら✰暫定移転対象者✰うち148世帯はすでに再定住区に移転されたが、残りは暫定的居住が長期化している。暫定的再定住区では、共同水栓や共同トイレ等✰インフラが工事にあわせて整備され、政府機関からもそこに居住することに一定✰認可は得ていると✰ことである。政府では、現在、シャンティ住民を高層住宅に移住させる政策を計画中であるが、これら✰暫定的再定住区はこ✰計画✰対象地区になっているという。
して問題解決しうるような住民組織を育てることである。第二に、政治的チャンネルを計画 プロセス✰一部として認め、むしろ積極的にそれを明示的・透明に議論するような場を形成することである。先述✰ように、私たちが希望を見出す✰は、前者に❜いては女性銀行✰ような女性組織✰台頭、後者に❜いてはバドーヴィタで継続されているような調整会議である。そして後者に❜いては、事業✰ある段階において、援助機関✰果たすべき役割も大きい。
それは援助機関がも❜「水戸黄門」効果✰ゆえである(4)。政府内実施機関、とくに現場職員が一般に政治家に対して弱い立場に立❜✰は否定できない。職員たちは、良くも悪しくも援助機関✰「虎✰威」を借りて発言力を保❜ことがあり得る。また一方政府機関が、住民✰声を計画✰言語で代弁(advocate)するNG0を嫌う傾向が残っている✰も否定できない。こ✰場合も、住民やNG0が自分✰バックに「葵✰御紋」たる援助機関✰存在を感ずること
で、立場を強化することもある、という現実は、少なくともある段階では無視できないであろう。たとえば援助機関が、実施機関(およびそ✰他アクター)から✰客観的記録✰提出をもとに、定期的に、実施機関、住民、政治家、NG0などが合同で討議する場を設けることは、そ✰こと自体がある種✰牽制的機構となり、さらに積極的には、民主的でオープンな合意形成に結び❜くことも期待できないわけではない。
(1) David Korten,”Community Organization and Rural Development: A Learning Process Approach”
Public Administration Review Sep/Oct 1980
(2) K.A. Jayaratne, “Study of Urban Land Tenure for Low Income families” (mimeo, February 1993)
(3) 海外経済協力基金「スリランカ✰環境保護に関する規制」1994.年 3 月
(4) 佐藤寛「「援助プロジェクトにおける「よそ者✰介入効果」」第10回国際開発学会要旨論文集、
1999年11月
6.教訓と提言
(1)移転問題は人権として
住まいを持❜ことは、スリランカで適用される国際人権法に認められた基本的人権である。たとえ無権利居住✰シャンティ住民といえども、現在✰住まいを非自発的に奪ってホームレス状態に陥れることは人権侵害である。幸いにして、過去スリランカ✰住宅政策は、低所得層に比較的手厚い施策を特徴としてきた。しかし移転による土地権利や公共施設✰整備が、自動的に住民移転を正当化するわけではない。住民移転に際しては、(移転に代わる、❜まりオンサイト✰環境改善を含む)あらゆる可能な代替案が、立ち退きを被る当事者と✰真正な協議によって検討されなければならない。
(2)住宅政策✰中で位置づけ
本事業は、スリランカ✰住宅政策✰経験を背景に実施されたため、再定住後・改善事業後
✰居住空間に❜いては、❜まりプロダクトに❜いては、結果として住民✰満足度は高い。しかし、そ✰プロセスにおいて、とくにオフサイト✰移転再定住✰手続きにおいて、運河改修工事を進捗させる工程上✰圧力✰下で、過去に住宅機関が蓄積してきた参加型✰計画思想と手法が、ほとんど活かされることがなかった。そ✰一因は、すでに事業目的において、シャンティ住民✰住環境向上が受け身的・二次的な副産物と位置づけられたことである。運河改
修も沿岸住民✰環境向上に資すればこそ意義をも❜✰であるから、都市貧困層✰居住環境改善をすすめるという政策枠組み✰中で、運河改修計画が策定されるべきである。
(3)住民✰組織とプロセスを支援
本事業においては、一律モデルによる CDC 設立✰支援という介入を除けば、社会開発面で✰政府✰インプットは弱かった。政府施策✰受け皿として、また政治家と✰形式的なチャンネルとして、今後も CDC は一定✰機能を担うであろう。しかし、CDC が果たす役割も、地域によって、また段階によって、異なる✰であり、政府職員がモデル憲章を提示して数多く結成すればよいというも✰でもない。むしろ多様な地域で✰ CDC を核とする調整✰試み
(➺ロンボ市で✰ HCDC、➺ッテ市で✰ CDC 連合、バドウィタで✰調整会議等)を相互に伝え合うため✰媒介が効果的であろう。さらに CDC を補完し、乗り越える可能性をも❜さまざまな自生的住民組織(女性銀行など)が地域運営に果たしうる役割に注目し、そ✰ネットワークを支援することが、移転後✰地域✰再生を速めるであろう。
(4)柔軟な計画体制、援助体制
本事業✰計画プロセスにおいて特筆すべきは、さまざまな行政レベル✰意志決定者が公式・非公式にかかわって、住民✰主張✰意味を汲み取り、対策を練り、計画変更(移転対象者数すら大きく変わった)も含めて、住民✰ニーズに接近しようと努めたことである。一方で技術的な工程✰圧力があったにもかかわらず、住民と✰ fit を探って移転支援施策が生成・変容していった。参加型開発で大切な✰は、官僚や政治家や技術者✰スケジュールでなく、当事者である住民✰スケジュールに合わせて、合意形成を図ることである。バドーヴィタで
✰住民工事契約✰成功は、移転住民が追いまくられるスケジュールをようやく脱して、自分たちで施設整備する➺ントロール能力を回復した点にあったと言える✰ではなかろうか。さらに言えば、援助機関も、住民✰スケジュールを見守る柔軟性を身に❜けねばならない。実施機関が住民へ✰配慮を犠牲に工事スケジュールを急がせること✰ないよう、援助機関が適切な助言・モニタリングおよび貸付期限✰調整等を行うことが有効であろう5。そして援助側
✰事情でなく、現地✰住民✰テンポに合わせる参加型開発✰重要性に❜いて、援助国内✰納税者や政治家に対する教育も必要である。
(5)多アクターを前提にした統合的実施体制
本事業は、SLLRDC と NHDA という実施機関✰他に、上下水道庁、電気庁、地元5自治体(3市、1町、1郡)が関わる総合事業であった。相互✰意思疎通、また機関内(市長と現場職員など)✰意思疎通がスムーズであったとは、必ずしも思えない。ハードな施設整備をとっても、調整不足が無駄やタイミング✰遅れを招くこともあった。結果的に見れば、再定住・改良地区で✰インフラ整備は、移転事業そ✰も✰✰パッケージというよりも、事業外
✰さまざまな政府機関、プロジェクト、団体がそれぞれに関わって達成されてきたも✰である。それを呼び込むような事業であったと評価することもできようし、そうした外部プロジ
5 [JBIC脚注]円借款では、これまでも必要に応じ、相手国が適切な社会配慮施策を講じるまで、貸付けを留保
するといった措置を取っている。
ェクトを正当に視野に取り込んで調整努力を払うべきだったと総括することもできよう。とくに再定住地では複数✰ NGO が信用貸付、保健、保育園、住宅、所得向上など、それぞれ
✰プログラムを実施していたが、これらと実施機関と✰公式✰連携体制は最後まで見られなかった。実質的な多機関調整を果たすためには、トップレベル✰推進会議以外に、現場レベルでギャップを確認し、関係機関を「回って歩く」媒介者的人材が必要である。ヨソモノとして青年海外協力隊員が力を発揮した領域✰一❜は、こ✰ような機能であった。それはたとえば、NGO と住民リーダーからなるチームでも可能であろう。そうした調整チームが実施体制✰中で正当に位置づけられる必要がある。
(6)住民、NGO、職員を含んだ経験交流
今回、再定住に直面した住民✰中には、まず自発的に移転地を見学に行った者もあった。そして不幸にも、多くは「泥✰丘」を見て、移転を拒否するようになった。しかしこれだけ
✰施設を整えた大規模定住地が出来上がった今は、やや事情が異なるであろう。内発的な合意形成を支える✰は、経験交流による確信である。再定住地やオンサイト移転地を住民が見学しながら、自分たち✰居住形態✰未来像に❜いて議論するプロセスを持❜ことができよう。また近隣国にも、無権利居住者と地主✰間で✰土地分有(タイ)、移転地で✰住民主導✰段階的宅地開発(パキスタン)、高密度低所得者地区で✰参加型計画を通じて✰中層アパート再開発(インドネシア)、基金をもとにした参加型環境施設整備(タイ)、貧困女性✰職能別組合と住宅ローン(インド)など、示唆に富む経験が豊かにある。スリランカから住民代表・NGO・政府職員✰チームが見学に訪れることは、スリランカ国内で✰計画的洞察力✰向上とパートナーシップ✰涵養に有効であろう。
おわりに
こ✰報告書作成に当たっては、小椋がジャヤラトネ氏✰社会調査データをSPSSで再集計し、それを分析した結果に基づいて第4章(1)(2)を中心に執筆した。穂坂はそれ以外✰部分を執筆し、小椋と意見を交換しながら全体をまとめた。執筆内容✰責任は二名が負うが、ローカル➺ンサルタントであったK.A.Jayaratne、 N.Gamage両氏が収集した資料は有益であり、か❜両氏と✰議論から学ぶところが多かった。
調査期間中、多く✰方々✰お世話になったが、とくにP.K.Piyaratne、H.M.Dayananda、S.A.Gunaratne、Rupa Manel、今里いさ✰各氏から貴重な資料✰提供を受けた。また国内では藤原純子、青木和美、松本なるみ✰各氏から重要な情報を頂いた。
最後に、担当者をはじめJBIC職員✰方々から✰支援とアドバイスに感謝したい。
別添資料Ⅰ
表1 コロンボ市内の「サービス提供過少地域」(USS)
表2 本事業に関連してオフサイトに移動した世帯が居住する再定住地区
表3 本事業に関連してオンサイトで地区環境整備が実施されたとされる改良地区表4 本事業に影響されたにもかかわらず関連整備がなされていない未改善地区 表5 NHDA 住宅ローンの取得
表6 プロジェクトパッケージ
表7 最初にこの事業を誰から聞いたか表8 住宅の様式の変化
表9 土地権利の形態 表10 土地権利の安定表11 占有面積
表12 事業前後の施設とサービスの変化表13 洪水被害を受ける世帯
表14 本事業による達成度
表15 住民の主観による本事業の収入への影響表16 本事業による収入源の変化
表17 事業後の収入向上への援助表18 住民組織会員の変化
表19 CDC 参加の頻度表20 事業後の住民の協力表21 住民組織ポイント数
表1 コロンボ市内の「サービス提供過少地域」(USS)
地区類型 | 地区数 | % | 住戸数 | % |
スラム | 1071 | 71.1 | 25500 | 38.6 |
シャンティ | 183 | 12.2 | 13313 | 20.2 |
低コストアパート群 | 103 | 6.8 | 8950 | 13.6 |
移転者住宅地区 | 97 | 6.4 | 14814 | 22.4 |
老朽住宅地区 | 31 | 2.1 | 2575 | 3.9 |
無計画的恒久住宅群 | 21 | 1.4 | 870 | 1.3 |
計 | 1506 | 100.0 | 66022 | 100.0 |
出典:Survey of Urban Low Income Settlements of Colombo,
Sustainable Township Programme, 1997/98
表2 本事業に関連してオフサイトに移動した世帯が居住する再定住地区
地区名 | 世帯数 | |
1. Siddhartha Path Stages I,II & III | - | 73 |
2. Sri Maha Vihara | - | 117 |
3. Badowita I,II,III&IV | - | 925 |
4. Kadiranawatta I,II &III | - | 314 |
5. Malwatta I,II &III | - | 115 |
6. Stace Road | - | 144 |
7. Obesekarapura I&II | - | 510 |
8. Bhattiya Mawatha | - | 120 |
9. Aramaya Place | - | 97 |
10. Farm Road I & II | - | 85 |
11. Wadugodawatta | - | 107 |
12. Poorwarama | - | 10 |
13. Alliwatta | - | 100 |
14. 151 Maligawatta | - | 60 |
15. Agodagodapittaniya | - | 15 |
計 | 2,792 |
(出所):SLLRDC 資料
表3 本事業に関連してオンサイトで地区環境整備が実施されたとされる改良地区
地区名 | 世帯数 | |
1. Siddhartha Path Stage I,II & III | - | 232 |
2. Stace Road | - | 116 |
3. Bodhiraja Mawatha | - | 76 |
4. Roxy Watta | - | 110 |
5. Dharmapura | - | 113 |
6. Udyanapura | - | 115 |
7. Dabare Mawatha | - | 223 |
8. Stafford Avenue | - | 56 |
9. Timber Corporation Watta | - | 58 |
10. Paradasie Place | - | 65 |
11. Swarna Road | - | 188 |
12. New Kelani Bridge | - | 31 |
13. Aluth Mawatha | - | 27 |
14. Wimalasara Mawatha | - | 30 |
15. Swarnachaithiya Road | - | 6 |
16. Kirulapura | - | 114 |
17. 328 Elvitigala Mawatha | - | 13 |
計 | 1,573 |
(出所):SLLRDC 資料
表4 本事業に影響されたにもかかわらず関連整備がなされていない未改善地区
地区名 | 改良を想定 | 移転を想定 | 世帯数計 | |
1. | Moor Road | 18 | - | 18 |
2. | Kadawatha Road | - | 67 | 67 |
3. | Rajaguru Sri Subuthi Road | - | 33 | 33 |
4. | Veluwanarama Road | - | 118 | 118 |
5. | Wimalasara Road | 12 | - | 12 |
6. | Saranankara Road | 44 | - | 44 |
7. | Krirmandala Mawatha | 75 | - | 75 |
8. | 151 Maligawatta | 294 | 294 | |
9. | 164, Gemunu Road | 44 | - | 44 |
10. | 118, Maithree Bodhi Mawatha | 84 | - | 84 |
11. | 480, Sangaraja Mawatha | 91 | 91 | |
12. | Melwatta - Sedawatta | 17 | - | 17 |
13. | 257, Torington | 72 | - | 72 |
14. | 100 Watta | 17 | - | 17 |
15. | Gnanawimala Mawatha | - | 17 | 17 |
16. | Kimbula Ela Watta | 25 | 25 | 50 |
17. | 328 Aluth Mawatha | 33 | - | 33 |
18. | Majeed Place | 20 | - | 20 |
19. | 10, New Kelani Road | 27 | - | 27 |
20. | Buthgamuwa Road | - | 22 | 22 |
21. | Nawata 2nd Lane | 18 | - | 18 |
計 | 916 | 240 | 1,156 |
(出所):SLLRDC 資料
表5 NHDA 住宅ローンの取得
はい | いいえ | 合計 | ||
U 地区 | 回答数 | 7 | 21 | 28 |
% | 25.0 | 75.0 | 100.0 | |
R 地区 | 回答数 | 89 | 59 | 148 |
% | 60.1 | 39.9 | 100.0 | |
N 地区 | 回答数 | 0 | 24 | 24 |
% | 0.0 | 100.0 | 100.0 | |
合計 | 回答数 | 96 | 104 | 200 |
% | 48.0 | 52.0 | 100.0 |
はい | いいえ | 合計 | ||
バドーヴィタ 第一区 | 回答数 | 13 | 0 | 13 |
% | 100.0 | 0.0 | 100.0 | |
バドーヴィタ 第二区 | 回答数 | 36 | 2 | 38 |
% | 94.7 | 5.3 | 100.0 | |
バドーヴィタ 第三区 | 回答数 | 23 | 8 | 31 |
% | 74.2 | 25.8 | 100.0 | |
バドーヴィタ 第四区 | 回答数 | 5 | 5 | 10 |
% | 50.0 | 50.0 | 100.0 | |
スワルナロード 第一区 | 回答数 | 4 | 3 | 7.0 |
% | 57.1 | 42.9 | 100.0 | |
スワルナロード 第二区 | 回答数 | 3 | 5 | 8 |
% | 37.5 | 62.5 | 100 | |
アルットゥマーワタ | 回答数 | 0 | 9 | 9 |
% | 0.0 | 100.0 | 100.0 | |
ステースロード | 回答数 | 0 | 13 | 13 |
% | 0.0 | 100.0 | 100.0 | |
ウェールワーナーラーマパーラ | 回答数 | 0 | 15 | 15 |
% | 0.0 | 100.0 | 100.0 | |
オベセーカラプラ | 回答数 | 12 | 44 | 56 |
% | 21.4 | 78.6 | 100.0 | |
合計 | 回答数 | 96 | 104 | 200 |
% | 48.0 | 52.0 | 100.0 |
表6 プロジェクトパッケージ(複数回答)
U 地区 | R 地区 | N 地区 | ||||
回答数 | % | 回答数 | % | 回答数 | % | |
土地供与 | 13 | 46.40% | 143 | 96.60% | 7 | 29.20% |
住宅基礎供与 | 1 | 3.60% | 135 | 91.20% | 0 | 0.00% |
住宅ローン | 7 | 25.00% | 89 | 60.10% | 3 | 12.50% |
恵沢金 | 1 | 3.60% | 125 | 84.50% | 2 | 8.30% |
補償金 | 0 | 0.00% | 13 | 8.80% | 1 | 4.20% |
戸別設備 | 5 | 17.90% | 104 | 70.30% | 1 | 4.20% |
公共設備 | 9 | 32.10% | 129 | 87.20% | 0 | 0.00% |
その他 | 0 | 0.00% | 3 | 2.00% | 0 | 0.00% |
援助無し | 11 | 39.30% | 5 | 3.40% | 14 | 58.30% |
表7 最初にこの事業を誰から聞いたか
CDC | 近隣住民 | SLLDRC | NHDA | その他 | 無回答 | 合計 | ||
U 地区 | 回答数 | 3 | 5 | 20 | 28 | |||
% | 10.7 | 17.9 | 71.4 | 100.0 | ||||
R 地区 | 回答数 | 29 | 39 | 62 | 1 | 1 | 16 | 148 |
% | 19.6 | 26.4 | 41.9 | 0.7 | 0.7 | 10.8 | 100.0 | |
N 地区 | 回答数 | 16 | 6 | 2 | 24 | |||
% | 66.7 | 25.0 | 8.3 | 100.0 | ||||
合計 | 回答数 | 32 | 60 | 88 | 1 | 1 | 18 | 200 |
% | 16.0 | 30.0 | 44.0 | 0.5 | 0.5 | 9.0 | 100.0 |
表8 住宅の様式の変化
一階建て壁共有 | 一階建て独立 | 二階建て壁共有 | 二階建て独立 | 無回答 | |||
U 地区 | 事業前 | 回答数 | 14 | 13 | 1 | ||
% | 50 | 46.4 | 3.6 | ||||
事業後 | 回答数 | 7 | 16 | 3 | 2 | ||
% | 25 | 57.1 | 10.7 | 7.1 | |||
R 地区 | 事業前 | 回答数 | 77 | 68 | 3 | ||
% | 52 | 45.9 | 2 | ||||
事業後 | 回答数 | 17 | 121 | 1 | 8 | 1 | |
% | 11.5 | 81.8 | 0.7 | 5.4 | 0.7 | ||
N 地区 | 事業前 | 回答数 | 16 | 8 | |||
% | 66.7 | 33.3 | |||||
事業後 | 回答数 | 12 | 12 | ||||
% | 50 | 50 | |||||
合計 | 事業前 | 回答数 | 107 | 89 | 1 | 3 | |
% | 53.5 | 44.5 | 0.5 | 1.5 | |||
事業後 | 回答数 | 36 | 149 | 4 | 10 | 1 | |
% | 18 | 74.5 | 2 | 5 | 0.5 |
<10 地区別>
一階建て壁共有 | 一階建て独立 | 二階建て壁共有 | 二階建て独立 | 無回答 | |||
バドーヴィタ第一区 | 事業前 | 回答数 | 9 | 4 | |||
% | 69.2 | 30.8 | |||||
事業後 | 回答数 | 1 | 11 | 1 | |||
% | 7.7 | 84.6 | 7.7 | ||||
バドーヴィタ第二区 | 事業前 | 回答数 | 17 | 18 | 3 | ||
% | 44.7 | 47.4 | 7.9 | ||||
事業後 | 回答数 | 12 | 24 | 1 | 1 | ||
% | 31.6 | 63.2 | 2.6 | 2.6 | |||
バドーヴィタ第三区 | 事業前 | 回答数 | 24 | 7 | |||
% | 77.4 | 22.6 | |||||
事業後 | 回答数 | 1 | 28 | 2 | |||
% | 3.2 | 90.3 | 6.5 | ||||
バドーヴィタ第四区 | 事業前 | 回答数 | 5 | 5 | |||
% | 50 | 50 | |||||
事業後 | 回答数 | 1 | 3 | 2 | 1 | ||
% | 14.3 | 42.9 | 28.6 | 14.3 | |||
スワルナロード 第一区 | 事業前 | 回答数 | 9 | 1 | |||
% | 90 | 10 | |||||
事業後 | 回答数 | 3 | 3 | 1 | |||
% | 42.9 | 42.9 | 14.3 | ||||
スワルナロード 第二区 | 事業前 | 回答数 | 4 | 4 | |||
% | 50 | 50 | |||||
事業後 | 回答数 | 7 | 1 | ||||
% | 87.5 | 12.5 | |||||
アルットゥマーワタ | 事業前 | 回答数 | 4 | 5 | |||
% | 44.4 | 55.6 | |||||
事業後 | 回答数 | 1 | 8 | ||||
% | 11.1 | 88.9 | |||||
ステースロード | 事業前 | 回答数 | 7 | 6 | |||
% | 53.8 | 46.2 | |||||
事業後 | 回答数 | 6 | 6 | 1 | |||
% | 46.2 | 46.2 | 7.7 | ||||
ウェールワーナーラーマパーラ | 事業前 | 回答数 | 12 | 3 | |||
% | 80 | 20 | |||||
事業後 | 回答数 | 11 | 4 | ||||
% | 73.3 | 26.7 | |||||
オベセーカラプラ | 事業前 | 回答数 | 22 | 34 | |||
% | 39.3 | 60.7 | |||||
事業後 | 回答数 | 3 | 49 | 4 | |||
% | 5.4 | 87.5 | 7.1 | ||||
合計 | 事業前 | 回答数 | 107 | 89 | 1 | 3 | |
% | 53.5 | 44.5 | 0.5 | 1.5 | |||
事業後 | 回答数 | 36 | 149 | 4 | 10 | 1 | |
% | 18 | 74.5 | 2 | 5 | 0.5 |
表9 土地権利の形態
無権利 | 借地借家 | 調査 カード | 長期 貸借権 | わからない | 無回答 | |||
U 地区 | 事業前 | 回答数 | 4 | 23 | 1 | |||
% | 14.3 | 82.1 | 3.6 | |||||
事業後 | 回答数 | 22 | 4 | 1 | 1 | |||
% | 78.6 | 14.3 | 3.6 | 3.6 | ||||
R 地区 | 事業前 | 回答数 | 58 | 6 | 76 | 1 | 4 | 3 |
% | 39.2 | 4.1 | 51.4 | 0.7 | 2.7 | 2 | ||
事業後 | 回答数 | 3 | 22 | 7 | 7 | 95 | 14 | |
% | 2 | 14.9 | 4.7 | 4.7 | 64.2 | 9.5 | ||
N 地区 | 事業前 | 回答数 | 8 | 15 | 1 | |||
% | 33.3 | 62.5 | 4.2 | |||||
事業後 | 回答数 | 19 | 3 | 2 | ||||
% | 79.2 | 12.5 | 8.3 | |||||
合計 | 事業前 | 回答数 | 70 | 6 | 114 | 2 | 4 | 4 |
% | 35 | 3 | 57 | 1 | 2 | 2 | ||
事業後 | 回答数 | 3 | 63 | 11 | 8 | 99 | 16 | |
% | 1.5 | 31.5 | 5.5 | 4 | 49.5 | 8 |
<10 地区別>
無権利 | 借地 借家 | 調査カード | 長期貸借権 | わからない | 無回答 | |||
バドーヴィタ第一区 | 事業前 | 回答数 | 2 | 11 | ||||
% | 15.4 | 84.6 | ||||||
事業後 | 回答数 | 1 | 2 | 10 | ||||
% | 7.7 | 15.4 | 76.9 | |||||
バドーヴィタ第二区 | 事業前 | 回答数 | 18 | 1 | 17 | 1 | 1 | |
% | 47.4 | 2.6 | 44.7 | 2.6 | 2.6 | |||
事業後 | 回答数 | 2 | 6 | 25 | 5 | |||
% | 5.3 | 15.8 | 65.8 | 13.2 | ||||
バドーヴィタ第三区 | 事業前 | 回答数 | 16 | 1 | 13 | 1 | ||
% | 51.6 | 3.2 | 41.9 | 3.2 | ||||
事業後 | 回答数 | 2 | 27 | 2 | ||||
% | 6.5 | 87.1 | 6.5 | |||||
バドーヴィタ第四区 | 事業前 | 回答数 | 1 | 2 | 6 | 1 | ||
% | 10 | 20 | 60 | 10 | ||||
事業後 | 回答数 | 1 | 8 | 1 | ||||
% | 10 | 80 | 10 | |||||
スワルナロード 第一区 | 事業前 | 回答数 | 7 | |||||
% | 100 | |||||||
事業後 | 回答数 | 7 | ||||||
% | 100 | |||||||
スワルナロード 第二区 | 事業前 | 回答数 | 2 | 6 | ||||
% | 25 | 75 | ||||||
事業後 | 回答数 | 3 | 3 | 1 | 1 | |||
% | 37.5 | 37.5 | 12.5 | 12.5 | ||||
アルットゥマーワタ | 事業前 | 回答数 | 8 | 1 | ||||
% | 88.9 | 11.1 | ||||||
事業後 | 回答数 | 5 | 2 | 2 | ||||
% | 55.6 | 22.2 | 22.2 | |||||
ステースロード | 事業前 | 回答数 | 2 | 10 | 1 | |||
% | 15.4 | 76.9 | 7.7 | |||||
事業後 | 回答数 | 12 | 1 | |||||
% | 92.3 | 7.7 | ||||||
ウェールワーナーラーマパーラ | 事業前 | 回答数 | 15 | |||||
% | 100 | |||||||
事業後 | 回答数 | 14 | 1 | |||||
% | 93.3 | 6.7 | ||||||
オベセーカラプラ | 事業前 | 回答数 | 21 | 2 | 29 | 2 | 2 | |
% | 37.5 | 3.6 | 51.8 | 3.6 | 3.6 | |||
事業後 | 回答数 | 11 | 7 | 7 | 25 | 6 | ||
% | 19.6 | 12.5 | 12.5 | 14.8 | 10.7 | |||
合計 | 事業前 | 回答数 | 70 | 6 | 114 | 2 | 4 | 4 |
% | 35 | 3 | 57 | 1 | 2 | 2 | ||
事業後 | 回答数 | 3 | 63 | 11 | 8 | 99 | 16 | |
% | 1.5 | 31.5 | 5.5 | 4 | 49.5 | 8 |
表10 土地権利の安定
はい | いいえ | わからない | |||
U 地区 | 事業前 | 度数 | 8 | 19 | 1 |
% | 28.6 | 67.9 | 3.6 | ||
事業後 | 度数 | 23 | 4 | 1 | |
% | 82.1 | 14.3 | 3.6 | ||
R 地区 | 事業前 | 度数 | 12 | 133 | 3 |
% | 8.1 | 89.9 | 2 | ||
事業後 | 度数 | 131 | 16 | 1 | |
% | 88.5 | 10.8 | 0.7 | ||
N 地区 | 事業前 | 度数 | 5 | 19 | |
% | 20.8 | 79.2 | |||
事業後 | 度数 | 14 | 10 | ||
% | 58.3 | 41.7 | |||
合計 | 事業前 | 度数 | 25 | 171 | 4 |
% | 12.5 | 85.5 | 2.0 | ||
事業後 | 度数 | 168 | 30 | 2 | |
% | 84 | 15 | 1.0 |
<10 地区別>
はい | いいえ | わからない | |||
バドーヴィタ第一区 | 事業前 | 度数 | 4 | 9 | |
% | 30.8 | 69.2 | |||
事業後 | 度数 | 11 | 2 | ||
% | 84.6 | 15.4 | |||
バドーヴィタ第二区 | 事業前 | 度数 | 4 | 34 | |
% | 10.5 | 89.5 | |||
事業後 | 度数 | 32 | 6 | ||
% | 84.2 | 15.8 | |||
バドーヴィタ第三区 | 事業前 | 度数 | 3 | 28 | |
% | 9.7 | 90.3 | |||
事業後 | 度数 | 27 | 4 | ||
% | 87.1 | 12.9 | |||
バドーヴィタ第四区 | 事業前 | 度数 | 9 | 1 | |
% | 90 | 10 | |||
事業後 | 度数 | 9 | 1 | ||
% | 90 | 10 | |||
スワルナロード 第一区 | 事業前 | 度数 | 1 | 6 | |
% | 14.3 | 85.7 | |||
事業後 | 度数 | 6 | 1 | ||
% | 85.7 | 14.3 | |||
スワルナロード 第二区 | 事業前 | 度数 | 8 | ||
% | 100 | ||||
事業後 | 度数 | 8 | |||
% | 100 | ||||
アルットゥマーワタ | 事業前 | 度数 | 9 | ||
% | 100 | ||||
事業後 | 度数 | 8 | 1 | ||
% | 88.9 | 11.1 | |||
ステースロード | 事業前 | 度数 | 7 | 5 | 1 |
% | 53.8 | 38.5 | 7.7 | ||
事業後 | 度数 | 9 | 3 | 1 | |
% | 69.2 | 23.1 | 7.7 | ||
ウェールワーナーラーマパーラ | 事業前 | 度数 | 5 | 10 | |
% | 33.3 | 66.7 | |||
事業後 | 度数 | 6 | 9 | ||
% | 40 | 60 | |||
オベセーカラプラ | 事業前 | 度数 | 1 | 53 | 2 |
% | 1.8 | 94.6 | 3.6 | ||
事業後 | 度数 | 52 | 3 | 1 | |
% | 92.9 | 5.4 | 1.8 | ||
合計 | 事業前 | 度数 | 25 | 171 | 4 |
% | 12.5 | 85.5 | 2.0 | ||
事業後 | 度数 | 168 | 30 | 2 | |
% | 84.0 | 15.0 | 1.0 |
表11 占有面積(単位:パーチ、 1 パーチ=約25 平米)
~1 | 1.5~2.0 | 2.1~3.0 | 3.1~4.0 | 4.1~ | 無回答 | |||
U 地区 | 事業前 | 回答数 | 3 | 21 | 2 | 2 | ||
% | 10.7 | 75 | 7.1 | 7.1 | ||||
事業後 | 回答数 | 1 | 26 | 1 | ||||
% | 3.6 | 92.9 | 3.6 | |||||
R 地区 | 事業前 | 回答数 | 36 | 49 | 22 | 15 | 26 | |
% | 24.3 | 33.1 | 14.9 | 10.1 | 17.6 | |||
事業後 | 回答数 | 11 | 132 | 3 | 1 | 1 | ||
% | 7.4 | 89.2 | 2 | 0.7 | 0.7 | |||
N 地区 | 事業前 | 回答数 | 6 | 12 | 1 | 1 | 4 | |
% | 25 | 50 | 4.2 | 4.2 | 16.7 | |||
事業後 | 回答数 | 7 | 12 | 3 | 2 | |||
% | 29.2 | 50 | 12.5 | 8.3 | ||||
合計 | 事業前 | 回答数 | 45 | 82 | 25 | 16 | 32 | |
% | 22.5 | 41 | 12.5 | 8 | 16 | |||
事業後 | 回答数 | 19 | 170 | 6 | 2 | 2 | 1 | |
% | 9.5 | 85 | 3 | 1 | 1 | 0.5 |
<10 地区別>
~1 | 1.5~2.0 | 2.1~3.0 | 3.1~4.0 | 4.1~ | 無回答 | |||
バドーヴィタ第一区 | 事業前 | 度数 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | |
% | 7.7 | 53.8 | 7.7 | 7.7 | 23.1 | |||
事業後 | 度数 | 11 | 1 | 1 | ||||
% | 84.6 | 7.7 | 7.7 | |||||
バドーヴィタ第二区 | 事業前 | 度数 | 11 | 8 | 4 | 5 | 10 | |
% | 28.9 | 21.1 | 10.5 | 13.2 | 26.3 | |||
事業後 | 度数 | 1 | 36 | 1 | ||||
% | 2.6 | 94.7 | 2.6 | |||||
バドーヴィタ第三区 | 事業前 | 度数 | 3 | 16 | 3 | 4 | 5 | |
% | 9.7 | 51.6 | 9.7 | 12.9 | 16.1 | |||
事業後 | 度数 | 30 | 1 | |||||
% | 96.8 | 3.2 | ||||||
バドーヴィタ第四区 | 事業前 | 度数 | 5 | 3 | 2 | |||
% | 50 | 30 | 20 | |||||
事業後 | 度数 | 1 | 9 | |||||
% | 10 | 90 | ||||||
スワルナロード 第一区 | 事業前 | 度数 | 5 | 1 | 1 | |||
% | 71.4 | 14.3 | 14.3 | |||||
事業後 | 度数 | 7 | ||||||
% | 100 | |||||||
スワルナロード 第二区 | 事業前 | 度数 | 2 | 5 | 1 | |||
% | 25 | 62.5 | 12.5 | |||||
事業後 | 度数 | 7 | 1 | |||||
% | 87.5 | 12.5 | ||||||
アルットゥマーワタ | 事業前 | 度数 | 1 | 5 | 1 | 2 | ||
% | 11.1 | 55.6 | 11.1 | 22.2 | ||||
事業後 | 度数 | 1 | 5 | 2 | 1 | |||
% | 11.1 | 55.6 | 22.2 | 11.1 | ||||
ステースロード | 事業前 | 度数 | 1 | 11 | 1 | |||
% | 7.7 | 84.6 | 7.7 | |||||
事業後 | 度数 | 1 | 12 | |||||
% | 7.7 | 92.3 | ||||||
ウェールワーナーラーマパーラ | 事業前 | 度数 | 5 | 7 | 1 | 2 | ||
% | 33.3 | 46.7 | 6.7 | 13.3 | ||||
事業後 | 度数 | 6 | 7 | 1 | 1 | |||
% | 40 | 46.7 | 6.7 | 6.7 | ||||
オベセーカラプラ | 事業前 | 度数 | 16 | 15 | 14 | 3 | 8 | |
% | 28.6 | 26.8 | 25.0 | 5.4 | 14.3 | |||
事業後 | 度数 | 9 | 46 | 1 | ||||
% | 16.1 | 82.1 | 1.8 | |||||
合計 | 事業前 | 度数 | 45 | 82 | 25 | 16 | 32 | |
% | 22.5 | 41.0 | 12.5 | 8.0 | 16.0 | |||
事業後 | 度数 | 19 | 170 | 6 | 2 | 2 | 1 | |
% | 9.5 | 85.0 | 3.0 | 1.0 | 1.0 | 0.5 |
表12 事業前後の施設とサービスの変化
U 地区 | R 地区 | N 地区 | |||||
回答数 | % | 回答数 | % | 回答数 | % | ||
公共水栓 | 事業前 | 27 | 96.4 | 143 | 96.6 | 24 | 100 |
事業後 | 8 | 28.6 | 23 | 15.5 | 19 | 79.2 | |
戸別水栓 | 事業前 | 1 | 3.6 | 12 | 8.1 | ||
事業後 | 22 | 78.6 | 130 | 87.8 | 5 | 20.8 | |
公共トイレ | 事業前 | 24 | 85.7 | 128 | 86.5 | 22 | 91.7 |
事業後 | 8 | 28.6 | 6 | 4.1 | 18 | 75 | |
戸別トイレ | 事業前 | 4 | 14.3 | 26 | 17.6 | 1 | 4.2 |
事業後 | 20 | 71.4 | 140 | 94.6 | 5 | 20.8 | |
前方排水溝 | 事業前 | 1 | 3.8 | 10 | 6.8 | 1 | 4.2 |
事業後 | 6 | 21.4 | 79 | 53.4 | 9 | 37.5 | |
後方排水溝 | 事業前 | 3 | 10.7 | 9 | 6.1 | ||
事業後 | 7 | 25 | 104 | 70.3 | 5 | 20.8 | |
道路 | 事業前 | 6 | 21.4 | 36 | 24.3 | 14 | 58.3 |
事業後 | 20 | 71.4 | 138 | 93.2 | 18 | 75 | |
電気 | 事業前 | 3 | 10.7 | 8 | 5.4 | ||
事業後 | 23 | 82.1 | 118 | 79.7 | 11 | 45.8 | |
ゴミ処理 | 事業前 | 31 | 21.2 | 5 | 20.8 | ||
事業後 | 26 | 96.3 | 138 | 93.9 | 19 | 79.2 | |
公民館 | 事業前 | 30 | 20.3 | 1 | 4.2 | ||
事業後 | 130 | 87.8 | 1 | 4.2 | |||
幼稚園 | 事業前 | 51 | 34.5 | 3 | 12.5 | ||
事業後 | 92 | 62.2 | 6 | 25 | |||
公園 | 事業前 | 1 | 3.6 | 10 | 6.8 | ||
事業後 | 1 | 3.7 | 121 | 82.3 | |||
運動場 | 事業前 | 10 | 6.8 | 1 | 4.2 | ||
事業後 | 71 | 48 | |||||
街灯 | 事業前 | 1 | 3.7 | 73 | 50 | 15 | 62.5 |
事業後 | 10 | 35.7 | 137 | 92.6 | 9 | 37.5 | |
排水施設 | 事業前 | 4 | 14.3 | 16 | 10.8 | 1 | 4.2 |
事業後 | 11 | 39.3 | 121 | 81.8 | 9 | 37.5 | |
ゴミ処理 | 事業前 | 4 | 14.3 | 34 | 23 | 4 | 16.7 |
事業後 | 24 | 85.7 | 142 | 95.9 | 14 | 58.3 | |
公共交通 | 事業前 | 13 | 46.4 | 37 | 25 | 12 | 50 |
事業後 | 21 | 75 | 142 | 95.9 | 13 | 54.2 | |
診療所 | 事業前 | 1 | 3.6 | 10 | 6.8 | ||
事業後 | 2 | 7.1 | 125 | 84.5 | |||
郵便サービス | 事業前 | 12 | 42.9 | 48 | 32.4 | 13 | 54.2 |
事業後 | 27 | 96.4 | 145 | 98 | 21 | 87.5 | |
宗教施設 | 事業前 | 16 | 57.1 | 50 | 33.8 | 11 | 45.8 |
事業後 | 18 | 64.3 | 140 | 94.6 | 12 | 50 | |
図書室 | 事業前 | 1 | 3.6 | 10 | 6.8 | ||
事業後 | 1 | 3.6 | 137 | 92.6 |
<10 地区別>
公共水栓 | 戸別水栓 | 公共トイレ | 戸別トイレ | 前方排水溝 | 後方排水溝 | ||||||||
事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | ||
バドーヴィタ第一区 | 回答数 | 13 | 2 | 12 | 12 | 3 | 11 | 2 | 3 | 1 | 12 | ||
% | 100 | 15.4 | 92.3 | 92.3 | 23.1 | 84.6 | 15.4 | 23.1 | 7.7 | 92.3 | |||
バドーヴィタ第二区 | 回答数 | 38 | 2 | 37 | 35 | 1 | 6 | 36 | 2 | 24 | 1 | 37 | |
% | 100 | 5.3 | 97.4 | 92.1 | 2.6 | 15.8 | 94.7 | 5.3 | 63.2 | 2.6 | 97.4 | ||
バドーヴィタ第三区 | 回答数 | 30 | 2 | 30 | 28 | 4 | 31 | 15 | 4 | 21 | |||
% | 96.8 | 6.5 | 96.8 | 90.3 | 12.9 | 100 | 48.4 | 12.9 | 67.7 | ||||
バドーヴィタ第四区 | 回答数 | 10 | 1 | 10 | 9 | 1 | 10 | 4 | 10 | 1 | 9 | ||
% | 100 | 10 | 100 | 90 | 10 | 100 | 40 | 100 | 10 | 90 | |||
スワルナロード 第一区 | 回答数 | 7 | 7 | 7 | 7 | 3 | 3 | ||||||
% | 100 | 100 | 100 | 100 | 42.9 | 42.9 | |||||||
スワルナロード 第二区 | 回答数 | 8 | 1 | 7 | 8 | 2 | 6 | 1 | 2 | 1 | 2 | ||
% | 100 | 12.5 | 87.5 | 100 | 25 | 75 | 12.5 | 25 | 12.5 | 25 | |||
アルットゥマーワタ | 回答数 | 9 | 4 | 5 | 8 | 4 | 1 | 5 | 2 | 1 | |||
% | 100 | 44.4 | 55.6 | 88.9 | 44.4 | 11.1 | 55.6 | 22.2 | 11.1 | ||||
ステースロード | 回答数 | 12 | 7 | 1 | 8 | 9 | 6 | 4 | 7 | 1 | 2 | 2 | |
% | 92.3 | 53.8 | 7.7 | 61.5 | 69.2 | 46.2 | 30.8 | 53.8 | 7.7 | 15.4 | 15.4 | ||
ウェールワーナーラーマパーラ | 回答数 | 15 | 15 | 14 | 14 | 1 | 7 | 4 | |||||
% | 100 | 100 | 93.3 | 93.3 | 6.7 | 46.7 | 26.7 | ||||||
オベセーカラプラ | 回答数 | 52 | 22 | 6 | 41 | 44 | 5 | 12 | 52 | 2 | 27 | 2 | 25 |
% | 92.9 | 39.3 | 10.7 | 73.2 | 78.6 | 8.9 | 21.4 | 92.9 | 3.6 | 48.2 | 3.6 | 44.6 | |
合計 | 回答数 | 194 | 50 | 13 | 157 | 174 | 32 | 31 | 165 | 12 | 94 | 12 | 116 |
% | 97 | 25 | 6.5 | 78.5 | 16 | 15.5 | 82.5 | 6 | 47 | 6 | 58 |
道路 | 電気 | ゴミ処理 | 公民館 | 幼稚園 | 公園 | ||||||||
事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | 事業前 | 事業後 | ||
バドーヴィタ第一区 | 回答数 | 6 | 11 | 1 | 9 | 7 | 11 | 4 | 13 | 7 | 12 | 1 | 10 |
% | 46.2 | 84.6 | 7.7 | 69.2 | 53.8 | 91.7 | 30.8 | 100 | 53.8 | 92.3 | 7.7 | 76.9 | |
バドーヴィタ第二区 | 回答数 | 10 | 36 | 33 | 10 | 35 | 19 | 37 | 27 | 34 | 3 | 34 | |
% | 26.3 | 94.7 | 86.8 | 26.3 | 92.1 | 50 | 97.4 | 71.1 | 89.5 | 7.9 | 89.5 | ||
バドーヴィタ第三区 | 回答数 | 3 | 31 | 4 | 25 | 3 | 29 | 2 | 16 | 5 | 29 | 5 | 18 |
% | 9.7 | 100 | 12.9 | 80.6 | 9.7 | 96.7 | 6.5 | 51.6 | 16.1 | 93.5 | 16.1 | 58.1 | |
バドーヴィタ第四区 | 回答数 | 4 | 10 | 1 | 7 | 1 | 10 | 10 | 3 | 10 | 5 | ||
% | 40 | 100 | 10 | 70 | 10 | 100 | 100 | 30 | 100 | 50 | |||
スワルナロード 第一区 | 回答数 | 2 | 7 | 7 | 7 | ||||||||
% | 28.6 | 100 | 100 | 100 | |||||||||
スワルナロード 第二区 | 回答数 | 1 | 8 | 7 | 8 | ||||||||
% | 12.5 | 100 | 87.5 | 100 | |||||||||
アルットゥマーワタ | 回答数 | 5 | 6 | 3 | 9 | ||||||||
% | 55.6 | 66.7 | 33.3 | 100 | |||||||||
ステースロード | 回答数 | 3 | 5 | 3 | 9 | 11 | 1 | 1 | |||||
% | 23.1 | 38.5 | 23.1 | 69.2 | 91.7 | 7.7 | 7.7 | ||||||
ウェールワーナーラーマパーラ | 回答数 | 14 | 13 | 5 | 2 | 10 | 1 | 1 | 3 | 6 | |||
% | 93.3 | 86.7 | 33.3 | 13.3 | 66.7 | 6.7 | 6.7 | 20 | 40 | ||||
オベセーカラプラ | 回答数 | 13 | 50 | 2 | 44 | 10 | 53 | 5 | 54 | 9 | 7 | 1 | 54 |
% | 23.2 | 89.3 | 3.6 | 78.6 | 17.9 | 96.4 | 8.9 |