メ デー 言語: Japanese出版者: 明治大学法律研究所公開日: 2019-01-31キーワード (Ja):キーワード (En):作成者: 椿, 寿夫メールアドレス:所属: URL http://hdl.handle.net/10291/19829
契約債権関係と主体の移転・変更(2)契約譲渡・契約加入その他における“総合的関連”考察
メ デー | 言語: Japanese 出版者: 明治大学法律研究所公開日: 2019-01-31 キーワード (Ja):キーワード (En):作成者: 椿, 寿夫メールアドレス: 所属: |
URL |
法律論叢第 91 巻第 1 号(2018.10)
【論 説】
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕
―― 契約譲渡・契約加入その他における“総合的関連”考察 ――
椿 寿 夫
目 次
A 序説
Ⅰ 採り上げる用語と制度
(1) はじめに (2) 制度の名称 (3) 関係者の表示
Ⅱ 制度の概観をめぐって
(1) 変遷と現況 (2) 本稿記述の仕方
B 諸制度自体の概観
Ⅰ 債権譲渡
(1) ドイツ法 (2) フランス法 (3) 日本法 (付録)英米法
Ⅱ 債務引受
(1) ドイツ法 (2) フランス法
〔以上 90 卷 6 号〕
(3) 日本法 (付録)ヨーロッパ契約法原則〔その 1〕
Ⅲ 更改と指図
(1) はじめに (2) フランス法 (3) 日本法
Ⅳ 契約譲渡と契約加入
(1) アプローチの仕方 (2) ドイツ法
〔以上本号〕
〔Ⅳ (3) のフランス法から後は次号掲載予定〕 C~(複数の検討課題)
〔略称記号〕 ≪①≫⇒債権譲渡、≪② a ≫⇒免責的債務引受、≪② b ≫⇒併存的債務引受、≪②≫⇒債務引受・債務譲渡、≪③ a ≫⇒債権者の交替による更改、
≪③ b ≫⇒債務者の交替による更改、≪④ a ≫⇒契約引受・契約譲渡・契約上の地位の譲渡、≪④ b ≫⇒契約加入・契約参加、≪⑤≫⇒指図
法律論叢 91 巻 1 号
B Ⅱ〔債務引受――続き〕
(3) 日本法
(ア) (a)今回の改正で、債務引受は、債権譲渡の次に第 5 節として 6 か条が新設された。かなりは在来既成の法的構成を成文化した内容であり、並べ方がこれまでとは逆に≪② b ≫を≪② a ≫の前に置いている。近時≪② b ≫が重視されているとかどこかに書いてあったが、序列変更そのものが何のためだったのか筆者には今一つ理解できず(在来、日・独ともこの順番の記述を見たことが無いように思うが?)、重要ならば前に動かす立法慣行でもあるのか否かもわからない。(b)昔の『判例民事法』だったかに、債権者 X と引受人 Z の契約で行われるものを「第 1 種債務引受」、引受人 Z と債務者 Y の契約によるものを「第 2 種債務引受」と呼ぶ評釈があった。表現が簡便なので、本稿でも以下“第1 種引受”“第2 種引受”と称することがある。(c)すでにお断りしてあるが、新法関係での文献引用は、原則として潮見『新債権総論』を用いる。また、注 4 所掲稿の脱稿後に出た河上正二の労作は、ここB Ⅱ 3 およびB Ⅳ 3 では紹介しないで、C 以下の議論に際して採り上げたい。他の多くの論考・著作もそのようにしたい。
(イ) ≪② b ≫は 2 か条の中で、(a)法定連帯とすることを明言し(新 470 条 1 項)、(b)第 1 種引受・第 2 種引受とも利用方式として認め(同条 2 項・3 項)、
(c)第 2 種の場合には第三者のための契約に拠らせる(同条 4 項)。また、(d)Zの抗弁および履行拒絶権も規定がある(新 471 条)。――ここではとりあえず(a)を中心にコメントしておく。
改正による新設までは、判例が特段の事情が無い限り≪② b ≫は連帯債務になると解するのに対し、学説の側では議論が種々あった(80) 。その当時を振り返ると、連帯債務における絶対的効力を生じる事由は連帯債務の債権強化方向にそぐわな
いが、わが民法の規定は債権の効力を弱める絶対効事由が多くて疑問だと評価されていた。他方、損害賠償につき複数の者が全額責任を負う場合は、被害者の保護が大切であり、その時点における連帯債務と解するのでは不十分だと評された。その
(80) 椿・注 3 所掲 472~3 頁参照。
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
上、連帯債務については 19 世紀のドイツで民法学界を文字通り二分する大論争があり、中心となる連帯は“共同連帯”という債務者間に共同の目的とか繋がりがあるとも言われた。ド民の成立によりこの議論は一気に消えたが、連帯二分論は残ったと言うべきか、再生したと言うべきか、少なくとも日本には入ってきた。そのような経緯があって、わが大審院も従業員の不法行為責任(民 709 条)につき雇い主も損害全額を賠償すべきであり(民 715 条)、彼らは連帯とはならない全額責任を負うとしていたが、その発想を学説は≪② b ≫へも持ち込んだ。いわゆる“不真正連帯債務”の議論であって、筆者も古い昔に遡るが、それらのうねりの渦中でうろうろしていた。今世紀に入ってからは、≪② b ≫と連帯・不真正連帯についての論考も出ている(81) 。
新法は、≪②≫を成文法化するとともに、≪② b ≫を連帯と規定したので(これを前述したように“法定連帯”と呼ぶ)、不真正連帯債務の観念はその個所では不要となった。従来、共同不法行為は 719 条に「各自が連帯して」とあるのを不真正連帯と読み替えるのが一般であったが、今やそこでも読み替えなくて済む。新法の連帯債務が請求・免除・時効という絶対効事由を削除したので在来の不真正連帯債務との差異は著しく減少し、求償権もすでに旧法当時の解釈により有無という極端な差が克服されて、両債務は大きく接近し、差異を問題とすべきほどではなくなったからである。
ついでに言えば、上記の使用者・被用者の不真正連帯の行方は、判定が今後になお残されており、おそらく近い将来に行われる法定債権法改正の際、他の場面と並べて個々の規定ごとに「連帯して」と条文化する解決も可能であるし、立法化せずとも“解釈連帯”の観念を英法のconstructive に倣って肯定すれば困りはしない(82) 。――もっとも、本稿の課題からは、ここまで問題としなくてよいが……。
(ウ) ≪② a ≫には 4 か条の規定が設けられた。筆者には、一見して「はてな?」と感じた点もあるので、それを中心に紹介しておこう。
(a)第 1 種引受は契約したX がY に通知をした時に「効力を生ずる」とあり
(81) 平林美紀「重畳的債務引受(併存的債務引受)に関する一考察」法政論集 201 号(2004) 363 頁以下。
(82) 椿「複数者が主体となる債権・債務の諸形態(中)」商事法務ポータル 2017/09/01 参照。
法律論叢 91 巻 1 号
(新 472 条 2 項)、第 2 種引受では Y・Z の契約と X の承諾に「よってもすることができる」(同条 3 項)。括弧内の表現をどう理解するかによって複数の態様が考えられる(⇒後述)。
(b)引受人の抗弁と履行拒絶権にも≪② b ≫の 471 条と同様の規定がある(472条の 2)。こういう場合には規定の仕方につき重複表現を避ける工夫はしないのか。審議を重ねるうちに或る個所が肥大して行ったという印象を新法における幾つかの個所で感じたが、筆者の好き嫌いに過ぎないだろうか。
(c)担保の移転については詳密に規定される(472 条の 4)。ここまで詳しく指示すべきか? 少しバランスを失する感じがするけれども、読者はどう思われるか。もちろん法規は美的感覚などよりも必要度と正確さが大切であろうが……。
(d)≪② a ≫の場合、Z は弁済しても Y に対し求償権を取得しない(新 472 条
の 3)。これは納得し難い。もともと求償権は公平を根拠に否定論から脱却してきたヨーロッパ諸国法の沿革がある。他人の債務を引き取って返済しようとしたのだから、Z には自身の債務とする意思があり、自身の債務を弁済しただけなのに、なぜ他人のY に尻を持って行かせるのか、という理屈が立法関係者の間で唱えられているのかもしれない。しかし、それは法律家に今なお見られる“形式論理の行き過ぎ”であり、≪② a ≫において制限も設けずに求償を否定(本条の書き方参照)すべきか。
場面として参考となるであろう多数当事者の債権・債務の史的発展を顧みるならば、それにおける法的注目は、その“対外関係”と“内部関係”のうちで、まずは前者であった。例えば、連帯債務論の展開途上にあっては、連帯債務と言えばその対外関係を指し、内部関係は組合や委任など他の制度の問題であるとされていた。むしろ、古い見解になるほど対外と対内の区別自体が、無かったか、あると認識されても法律論としては無視された。これに、「全額自己の債務として」という説明も含めて、こういう表現の持つべき射程範囲がやがて限定ないし明確化されてきたはずである。――このような推移を踏まえて言うと、新法の施行後、この条文がいつまでも無批判かつ無限定に適用され続けるべきものと解されるだろうか? 公平あるいは合理性という判断基準を持ち出せば、どう評価されるであろうか?
ここまで書いてきて潮見・新債総をながめたところ、私見と近いような見方ないし評価の仕方ではないかと思った。ただし、改めて詳細に読み直す時間がないた
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
め、この点は彼の見地に対する正確な判断であるか否か自信がない。あるいは、立案経過の中に説得力のある理由を発見できるかもしれない。
(エ) ≪②≫の“機能”をめぐって少し述べておこう。(a)外国でも指摘されているように、併存的債務引受は保証、なかでも連帯保証ときわめて近接する。今回の改正で保証法には多くの改正や新設が行われた。本稿では採り上げないが、責任の態様に限らず個別規定にもわたって“刷り合せ”がされなければならない。
(b)≪② b ≫が“担保としての機能”を持つ点は、まったく疑いが無い。この
場合には、第 2 種引受ではなく第 1 種の方式で行われるのが通例であろう。つまり、保証と同じくX とZ が契約当事者になる。そして、債務者のY は、保証の場合には何らかの意思的関与を認められるどころか、せいぜい保証契約の締結につき使者か代理人となるだけであり、ただ、意思に反してされた保証では、保証契約は有効であるけれども、新旧両法とも求償の範囲が現存利益に縮減される(新旧 462条)。これが≪② b ≫の場合は、どう変わるか、想起されたい。項目 C 以下で論じたいが、明快な説明が可能か予想しがたい。
(c)ところで、≪② b ≫は上記のように、第 2 種引受によることも明文で認められる。保証ならば、Y とZ 間の契約は保証委託であり、それをそのまま≪② b ≫に当てはめると、併存的債務引受の委託となるが、そうなればZ は改めてX と引受契約を締結するわけで、無駄な手間を重ねている。端的にY の離脱しない第 2種引受が行われたと構成してよいのではないか。これは“処分ないし移転のための機能”を認めるのであり、筆者がこれまでの論述の中で或る場面において併存的という言葉を避けて“非免責的”債務引受と言ってきたのは、この使い方を考えているのである。“債務承継のための機能”と名付ける見解があり(83) 、たぶん私見と同旨であろう。後述する。
(d)さらに、≪② b ≫の第 2 種引受は、前述(⇒イ c)したように、「第三者のための契約」に関する規定に従う、とわが新法で明定されている。そもそも第三者のための契約は、近現代における新たな権利・義務・制度の成立や展開を導き出す
(83) 遠藤研一郎「併存的債務引受」NBL799 号(2004)86 頁以下参照。ちなみに、この論考は、われわれが実施した共同作業“民法典に規定が無い概念・制度”の一つ(連載 18 番目)であり、「序論」は筆者が書いている(同誌 760 号)。
法律論叢 91 巻 1 号
際に大きく役立ったし、ド民の≪② b ≫もその一場面であった(⇒ 1 イb)。しかし、例えばド民の成立から百何十年経った今もなお新 470 条 4 項のような規定は立法として不可避であろうか?
(付録) ヨーロッパ契約法原則〔その 1〕
この法案は、序論の題目から借用すると、「EU 契約法のための基盤整備」を目的とし、「各国の裁判所および立法者のための指針」を提供するものであり、本稿では、前記Ⅰにおいて行った英米法と同じく、この付録での説明は債務引受の場面に限らないが、訳書(84) を見ていて気付いた点をごく簡単にピックアップして説明する。
第 11 章 債権譲渡
▼ 11:101 条……将来債権の譲渡や担保譲渡も含むが、証券債権は別の法律に譲る。
▼ 11:104 条……債権譲渡は書面・方式を必要としない。同条のコメントには、債務者Y への通知は「継続的な一連の金銭債権の譲渡を必要とする債権譲渡による現代の融資にとって有害」だとされ、「事柄の性質上、普通は、将来の債務者を譲渡時点で特定することはできない。さらに近時は、特にファクタリング取引において通知型融資から……非通知型融資への急速な転換がある。供給者X と顧客Y の間の関係が混乱することを防止し、譲受人Z のためにX に金銭債権の取立てを認めるためである。」と述べられている。
▼ 11:204 条……譲渡人 X が譲渡権を持つことなどを表明保証する。
▼ 11:301 条……譲禁特約が債権発生の基礎となっている契約によって行われた場合か、それ以外の契約違反があった場合には、譲渡が Y に対して効力を有しない。
▼ 11:303 条……債務者は、上記 301 条、302 条(Y の同意が無い債権譲渡は、合理的にみて彼に履行を求められないものであるかぎり、彼に対して無効)、307 条
(Y の抗弁および相殺権)、308 条の規定に従うほか、対象債権を合理的に特定して Z への履行を求める書面による通知をX またはZ から受け取った場合にのみZ に履行する義務を負う。
▼ 11:401 条……重複譲渡の場合には、譲渡通知の到達の先後で決めるのが原則だが、他の基準も規定される。
(84) ランド―他編・潮見佳男他監訳『ヨーロッパ契約法原則Ⅲ』51 頁以下・95 頁以下。
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
第 12 章 債務者の交替、契約の譲渡(85)
▼ 12:101 条……第三者 Z は、債権者 X と債務者 Y との同意にもとづき、Y を免責するものとしてY と交替することができる。コメントによれば、≪③更改≫は契約の置き換えであるのに対して、ここに言う交替は当該の契約は効力を維持し、債務者が交替する。また、交替における X の同意は、この条文で「交替の効果を発生させるのに不可欠であることを明示」されている。さらに、ノートとして、旧フ民においてテレ/シムレールらは≪②≫の考え方を発展させるが、マローリ―/エネスらは懐疑的(86) であったことも述べられる。このほか、指図に関する旧フ民 1275条(87) が「≪② b ≫の可能性を明示的に承認している」との記述もあるが、この点は新フ民の下でも意味がある(⇒後述)。
▼ 12:102 条……抗弁と担保。
▼ 12:201 条 1 項……≪④ a ≫の条文案だが、これに関する 4 頁弱のコメントとノートは、内容的にも法比較的にも抜群の教示を含む。ぜひとも参照されたい。解説は後述Ⅳ 4 で行う。条文は、こうである。すなわち、
「契約当事者の一方(X)は、第三者(Z)との間で、この第三者(Z)が彼(X)を契約当事者として交替させる合意をすることができる。この場合において交替は、契約の他方当事者(Y)の同意の結果として当初の当事者(X)がその義務から解放されるときにのみ効力を生じる。」
Ⅲ 更改と指図
(1) はじめに
この二つの制度は、すでに知られているように、国によって種々である。
(85) ドイツ語ではSchuldu¨ bernahme und Vertragsu¨ bertragung となっている。直訳すれば「債務引受および契約移転」。ドイツ文は zB. Schlze/ Zimmermann, Europa¨ isches Privatrecht, 5Aufl. 2016, SS. 648ff, 652.
(86) ただし、引用の仕方から見て、これはおそらく現補訂者となる前の版であろう(⇒後述 2
イc ⅱ)。
(87) 田中ほか・注 15 所掲 221 頁。条文は「債務者が債権者に対して義務を負う他の債務者を債権者に供与することを目的とする指図は、債権者が指図を為したる債務者を免責するの意思を明示したるに非ざる限り、更改の効力を生ずることなし。」と言う。
法律論叢 91 巻 1 号
(ア) まず≪③更改≫は、(a)ド民の直前まで続いた後期ドイツ普通法の時期にはもちろん論じられており、例えば最後を飾るヴィントシャイトのパンデクテン体系書(88) でも債権消滅原因の一つとして 20 頁を割いており、ドイツ語圏ではザクセン民法典・ドレスデン草案・スイス債務法(1881 年)に規定されていたが(89) 、ドイツ民法典(BGB)からは姿を消した。ただし、その後の解釈では、歴史的遺物だとする厳しい評価もあれば、止めを刺すほどでもない評価もある(90) 。
(b)日仏両民では制定法上の制度として存続しているが、今回の改正に際し、フ民では続いて述べるように二つを分離するとともに新設の位置(「債権・債務に関する取引」と題する<章>)へ移したのに対し、日民における位置の変化は気配も無かったのではあるまいか。
(イ) ≪⑤指図≫(⇒ A Ⅰ 2 カ)は、(a)旧フ民が更改の中で 2 か条を置いていたのと異なり、新フ民では≪③更改≫の制度に続く形で独立した。日民は債権関係の移転としての指図規定を当初より持っておらず、かなり昔に商法学者・上柳克郎が旧フ民を紹介している(91) 。(b)ド民は債務関係法第 7 章「個々の債務関係」の第 21 節において規定する(92) 。ヤウエルニック注釈書によれば、指図の経済的な目的は、財産的価値を或る第三者(被指図人)の給付によって間接に与えることにあり、BGB の指図はそのようなものとして“実際上の意義が無い”(93) 。
(2) フランス法
(ア) 注 4 所掲稿では、≪⑤≫が、上記のように日民の債権関係移転制度に直接の関係を持たないところから、それにはほとんど触れないで≪③≫に記述の重点
(88) Windscheid/ Kipp, Lehrbuch des Pandektenrechts Ⅱ, 2. Neud. 1906, S. 503ff.
(89) Meyer- Priyzl, aaO.(注 54 所掲)S. 2372.
(90) 注 4 所掲稿 198 頁。なお、ドイツにおける邦法を含む債務移転制度と更改の史的展開は、Meyer-Pritzl, aaO.(注 54 所掲)S. 2371ff に、novatio と固有法にまたがるきわめて簡明な記述がある。また、受験参考用と銘打ったStaudinger BGB, Eckpfeiler des Zivilrechts (2011) S.325 では、全体 1300 頁のうち半頁だが、有因更改と抽象的更改を対比する説明が行われている。
(91) 上柳克郎「フランス法における指図について」民商法雑誌 28 卷 1 号(1953)1 頁以下。
(92) もっとも、柚木・注 24 所掲 770 頁以下には、条文の翻訳があるだけで、コメントも無い。
(93) Jauernig/ Stadler, aaO.(注 66 所掲)S. 1289.
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
を置き、しかも旧フ民の≪③≫については、何となく持って回ったようなフルールらやべナバンのフランス教科書の説明に飽き足らない感じを抱き、わが国の私法学者・川上太郎による更改不要論の小気味よい切り方に惹かれた(94) 。ただ、その時点では川上解説のフ民に関する典拠が不明であったのに念を残した。そこで、今回は少し手を広げてみた。
(イ) (a)新フ民は、≪⑤≫を含めて 11 か条あった旧フ民≪③≫を、≪③≫が 7 か条と、≪⑤≫が 5 か条とに分別した。更改・指図および債務引受という副題を付けた紹介もすでにある(95) 。指図は、更改に続く独立の<款>となり、条文の数も一応ゼロから 5 となって、いわば昇格しているが、まずは更改から、その種類
(新 1329 条)および絶対効・相対効(新 1335 条)を除いて概観する。本稿では網羅した記述を行わない点はすでにお断りしたとおりである。
(b)更改の旧規定に無かったものは、新旧債務の有効性(新 1331 条)と債権者
の交替(新 1333 条)、修正は、冒頭規定(新 1329 条・旧 1271 条)・消滅効の範囲
(新 1334 条・旧 1278 条)および多数者における絶対効(新 1335 条・旧 1281 条)である(96) 。本稿の視座から注意を惹く規定を個別的に挙げると、(ⅰ)当事者の交替だけでなく、同一当事者間における債務の置き換え(つまり、本稿で採り上げる<主体の移転・変更>が無い場面に関する規定内容)も含まれている(新 1329条 2 項)。――新フ民における ope´ration という言葉の出生と成長の過程をまだ調べもしない段階で放言させてもらうと、この言葉は良く言えば包容力があり、よりきつい表現を使えば一種の「ぼやかし」ないし曖昧化ではないか。ただ、それはともかくとして、消滅原因を移転手段へ嵌め込む際の説得力を全否定までするのは、
例えば“制度の性質や本来の趣旨”と“制度の機能”との両立を認めてきた流れから見るとき、もはや困難ではないか?。(ⅱ)更改は推定されず、明確な更改意思が行為から帰結されなければならない(新 1330 条・旧 1273 条)。新旧で言い方が少し変わっている。――他人を巻き込んで主体を別人にするのだから、簡単かつ容易に制度を利用でき過ぎるようになってしまうのも評価として良くないが、この条
(94) 椿・注 4 所掲稿 198 頁。
(95) 荻村慎一郎・注 73 所掲参照。
(96) Daigre, Code compare´ et annote´ de la re´forme du droit des contrats, 2016, p.144~ 145。
法律論叢 91 巻 1 号
文は、“規定の趣旨”を“更改の機能縮小”に結び付けて今後新たな方向で使うことができぬでは無い。(ⅲ)債務者が入れ替わる≪③ b ≫は、旧債務者 Y の協力無しで行うことができる(新 1332 条)。債権者が交替する≪③ a ≫では、債務者の同意が必要であり、更改の第三者対抗は行為の日付による(新 1333 条)。
(c)(ⅰ)筆者が本稿のテーマにおいて探索したかった関心事項の一つは、前述したとおり、フランス文献における更改の“制度的評価”である。注釈民法(11)でのフ民関係は、≪②≫と≪④≫についてのみ、しかも、ごく簡単に略説しただけであった。注 4 所掲稿でもフ民は添え物でしかなかったが、当時欲しかった記述を今回は旧フ民文献の中に早々と見付けた。
(ⅱ)それはテレ/シムレール/レケットの比較的新しい旧フ民期の教科書である(97) 。その概要を言えば(<目的の変更>は本稿では除外する)、ローマ法における“債務紐帯の移転不許原則”――著名となっている表現を使えば“法鎖”観
――は、更改という法技術を生んだが、当初債務の消滅を含むのが障害と受け止められ、債権の譲渡性が承認されると、≪③ a ≫からその利点の基本が奪われた。
≪③ b ≫についても、近似する≪②≫を三者取引の枠内で債権者の同意を得る合意で認めるにいたった。
ここまでは、おそらく今や仏法以外でも更改を詳しく勉強している人ならば、その多くが賛否までは別として知っているであろう。その先が大切である。テレらは同個所の注(98) において、更改のテクニックが長所よりも“不都合・難点”を示しており、廃止してもよいという見解がある旨を述べている。この説を唱える“一定数の著作者”としてはリペール/ブーランジェ、マルティ/レノウら、べナバン、マロリー/エネスら、フランソワの名が挙がっていて、わが家の書架にもこれらの大半が以前よりすでにある。とすれば、これは筆者の不注意による見落としであった。さらにこの注記から憶測すると、仕組みの有用性に関しては肯定判例が多いのかも知れず、その調査も省略すべきではないにせよ、現今筆者の時間的余裕と探索能力を超える。のみならず、上に挙がっている学説がどの程度の位置を占め――とりわけ支持を受け――ているかにつき確言できる資料もまだ得られていない。残
(97) Voy. Terre´/ Simler/ Lequette, Droit civil Les obligations, 11e e´d. 2013,p p. 1459~ 1460,1352~1353.
(98) Voy. p. 1460 note 1.
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
念ながら本稿においては、新旧両法での発言があるマ/エ/ストッフェル=マ(ミュ)ンクとシムレール、および、若干の新法文献を紹介するに留める。
(ⅲ)前者(マ/エ/スト)の旧法期における第 6 版(99) には、更改の<節>の末
尾に“批判”と名付けられた小見出しがあって、“更改の無益性(Inutilite´)”と題した 10 行足らずの文章を掲載する。その冒頭に、更改は、無益な錯綜の一つになってきており、債務免除・和解・代物弁済・債権譲渡・指図などの(利益の)ために消すのが良い、とある。また末尾では、更改における当初の債務と続く債務との間をつなぐ紐帯・連携に言及しているが、その意味ははっきりと理解できなかった。新法版(100) では、“批判”という見出しは“変容”となっており、位置も記述の頭初部分へ移っているが、ドイツ法にも言及しながら(101) 、≪③ a ≫→≪①≫ならびに≪③ b ≫→≪②≫という移行現象を踏まえて、「更改制度はおよそ無益無用と信じられてきたにもかかわらず、今次のオルドナンスはそれを維持している。」と評する。
後者(シムレール)は、テレとの共著より後の新法注釈(102) で、共著における記述ほどきびしくは批判せず、更改に対応する他の制度との比較を行う。すなわち、≪①≫が≪③ a ≫を疎外の方向で減少させたように、≪②≫の認容も疑いなく
≪③ b ≫の利用を減らした。置き換える意思表示を要求することなどから、更改のコンセプトに頼るのは“実際上の有益性”が無い。――これらには、更改と旧債務消滅の結び付きや、関係者の関与状況が挙げられている。
(ⅳ)新フ民の解説から若干を紹介すれば、或る教科書(103) は、非常に利用さ
(99) M/ A/ Stoffel-Munck, op. cit.(注 27 所掲)6e´d. 2013, p. 656. (100) 8e´d. 2016, p. 691.
(101) 日常、ドイツ文献を使っているが、そこで感じたのは外国とりわけ隣にあるフランスの文献・資料を、挙げても良いのにと思われる場合に、引用しないという点である。法律には国境があるからか、自国の優位性・自負を強く意識したためか、実定法学と比較法学の間に厳然たる線が引かれているのかなど、手前勝手な憶測をしたりするが、時々少しだけ見ていたフランス文献も状況があまり変わらないのでは、と疑った。本稿〔1〕で挙げた「ドイツ法は」「英法は」という表現に出くわすと、理屈よりも力み返っているのではと感じたこともある。もっとも、最近の独仏両国の文献を眺めていて、少し変わったかなとも思う。――元より格別の証拠も無い妄想でしかないが、相互的な無視が変わったのであれば好ましい動きであろう。両国の地元相互に比較対比を行ってくれれ
ば第三国人からの調査は著しく助かる。
(102) Simler, op. sit.(注 33 所掲)p. 62 et s.
(103) Larribau-Terneyre, Droit civil Les obligations, 2017, p. 181.
法律論叢 91 巻 1 号
れていたローマ法起源の更改も、≪①≫が≪③ a ≫と入れ替わり、それが好評であったので、今日では“効用”を失っている。同様に、新法の出現するまで≪②≫は“実際上(pratiquement)”可能でなく、人々は≪③ b ≫に頼っており、むしろ、債務移転の間接態様――加えて更改の効果を伴う――である≪⑤ a 完全指図≫に依拠していた。新法は≪③≫を根底から修正しなかったけれども、より明快かつ統合的な判例と学説から明確化する。
≪①≫と≪③ a ≫に関しては、次のようにも言われる(104) 。≪③ a ≫は、その “実際的な効用”に疑いがあるにもかかわらず、依然として言及されている。≪①≫では債務者 Y の同意が不要である(新フ民 1321 条 4 項)のに対し、≪③ a ≫は Yの同意を必要とする(同 1333 条 1 項前段)三者契約であり、“簡便さ”が違う。
(ⅴ)ここで採り上げた諸見解が多数説か少数説かは現状ではわからないし、川上の主張をそれらで根拠づけるには筆者の今回利用した文献が若過ぎる。川上の記述はおそらく 1930 年台の終り頃に行われており、筆者が修行中(1950 年台半ば)に入手し参考としていたのはオーブリ/ロー・プラニオール/リペール・コラン/カピタンらを中心としていて、それらを改めて読み返すならば相当昔の状況まで知り得るであろうが、保管場所の事情から現在ここで直ちには引用できない。川上が誰にも依拠しないで自ら考え出したのかもしれないが、一般に外国法の本来客観的な記述に際してそのような個人的な意見をいきなり生まで打ちつけたりはしないであろうし、これ以上の探索はあきらめる。筆者としては、“機能の変遷による制度の消長”という視点からの観察が少なくとも個人の“孤立した独断ではなかった”ことも安心している。
〔補記〕ここまで書いた後、柴崎暁と雑談していて、「更改の機能縮小は逆だ」というふうの意見を聞いた。参考のため椿塾での報告を依頼し、レジュメ(フランス法における更改の実益とその存続< 1 >)が届いたが、彼の突発的事情による報告延期の――かつ、彼の報告方向等に由来する加筆はいっさい行わない――まま本稿を提出し、必要に応じ C 以下の記述において補充したい。
(ウ) (a)指図は、旧フ民においては更改に従属する発生原因であったが、更
(104) Chantepie/Latina, op. cit.(注 40 所掲)p. 765.
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
改から独立した新フ民でも、幾つかはっきりさせた点を除けば「改正による実質的修正は見つからない。」(105) とされる。本稿にも直接関わりがある制度ではないから、筆者の関心に従い二、三の事項だけ紹介する。なお、指図の三者関係をベナバンの教科書(106) から借用しておこう。
D(délégataire)債権者
(指図受取人)
X(délégant)当初の債務者
(指図人)
約束の原因:負債、恩恵ないし保証
Y(délégué)新債務者
(被指図人)
(b)べナバンは上の図の前頁(p.561)において、他人の債務を支払ってやる約束には、弁済の手段、贈与、与信あるいは保証といった幾つかの理由があるとし、また、図に続けて≪⑤≫は融資付きの不動産購入などで“重要な実益”があると言う。本稿でこれまで述べてきた個所においても、≪③≫から≪⑤≫への流れや、制定法がないため実は≪②≫を望む人が≪⑤≫を使う現象につき略言してきた。
≪⑤≫を残して≪③≫を消せという立法論も見た。
(c)本稿冒頭の制度名紹介で<完全指図>と<不完全指図>の区別が運用上あることは説明済みだが(⇒ A Ⅰ 2 カ)、昔の外国法典叢書において川上は“後者
(=≪⑤ b ≫)が多く行われている”と紹介している(107) 。新フ民はこれを成文化し(1338 条)、指図受取人 D の債務者である指図人 X がD から債務免責を受けない場合には、≪⑤≫は D に第 2 の債務者を与える(同条 1 項)、2 人のうちの 1 人がした弁済は返済された金額につき他方の責任を免れさせる(同 2 項)と定める。
弁済の絶対効を伴う“第2 の債務者”と言えば、連帯債務をまず連想するであろうが、旧フ民の当時、同一債権者 D に対して義務を負う債務者 Y を提供する≪⑤≫
(105) Deshayes/ Genicon/ Laithier, op. cit.(注 78 所掲)p. 683.
(106) Be´nabent, op. cit.(注 37 所掲)p.562.
(107) 注 15 所掲 222 頁。
法律論叢 91 巻 1 号
は、D がX を免責しないかぎり更改の効力を生じないとする旧 1275 条につき、ヨーロッパ契約法委員会の英人教授が、同条で≪② b ≫つまり「併存的債務引受の可能性を明示的に承認」(108) したものと理解した。前述のように、フ民は<併存的債務引受>とか<債務加入>といった観念や用語を法典上も解釈・運用上も採択しなかった。けれども、「(ⅰ)X がY にD への債務を負担させ、D がそれを承認す
る。」(新 1336 条 1 項)、「(ⅱ)Y は、特約がないかぎり、Y・X 間または X・D 間の抗弁を D に対抗できない。」(同条 2 項)、それに加えて、上記のとおり「(ⅲ)DがX を免責しないときは、D に第 2 の債務者を得させる。」という組み立ては、どういう表現の仕方であれ、あたかも“第2 種引受の形式における≪② b ≫”が行われたのと変わらない。否むしろ、旧フ民 1275 条の下でよりも明確に外国人グッド委員の上記指摘が妥当するのではないか。さらに、新日民の突然変異的な≪② b ≫優位との接近をも感じさせる。――C 以下の論述に際し、なるべく資料を発見して補充できるようにしたい。
(3) 日本法
(ア) 筆者は、連帯債務の総合判例研究において、債権総論の指南書としてきた我妻(これは書評依頼に始まる熟読の連続で今やボロボロに崩れている)と於保(同書のお手伝いは前述した)による否定的評価を前提にして旧 435 条を批判し(109) 、数年後の注民でも「更改制度は近代法の需要に適さない不便さが大き」く、「当事者の意思が特に明白な場合以外では、更改のごときは容易に肯定するべ
きかぎりではない。」と説示した大審院の非公式先例を支持し、更改認定へ傾斜する勝本説に反対した(110) 。
(イ) わが更改法は、6 か条あった旧規定がさらに 4 個に減っているが、残ったそれらも全部に修正の手が入った。(a)冒頭規定(513 条)は整序したもの。目的・債務者・債権者の 3 態容を改めて並べた。何となく旧フ民 1271 条を連想させ
(108) ランドーほか・注 84 所掲 99 頁。
(109) 椿『連帯債務』総合判例研究叢書・民法〔16〕(1960)52 頁。
(110) 前掲注民 440 頁ほか。
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
る。また、更改の歴史的な“泣き所”と言うべき消滅効果を条文へわざわざ持ち込んでもいる。(b)≪③ b ≫に関する 514 条の新 1 項は、旧規定と同じに、債権者 X と新たに債務者となるZ が契約当事者である。当初の債務者Y は、旧規定では彼の意思に反しては行えないとされていたが、新 1 項但書では、彼への通知を効力発生要件とする。Y の“意思”に対する尊重程度は低くなったわけである。(c)新 514 条 2 項によれば、Y と入れ替わった債務者Z はY に対して求償権を取得しない。≪② a ≫における 472 条の 3 と同様な新規制であり、同様な問題点があろう(⇒Ⅱ 3 ウd)。(d)≪③ a 債権者の交替による更改≫が、新 515 条 1 項として設けられた。しかも、珍しい“三面契約”である。(e)旧債務のための担保権を新債務へ移すのには、あらかじめまたは同時に更改契約の相手方や、≪③ a ≫では債務者 Y に対する意思表示によらなければならない(新 518 条 2 項)。消滅における担保物権の付従性を考慮しての新設である(111) 。
(ウ) わずか 6 か条しか無かった日民旧条文に、削除も含めてすべて何らかの手が入れられている。例えば、日民では、上述のとおり≪② a ≫が種類の最も徹底した契約形態でもって条文化されたが、フ民の下では、≪①≫が≪③ a ≫と立法的に並列する中で後者から前者への移行・推移が説かれてきた。このことをどのように理解・説明するか?。また、そもそも、≪③≫を≪②≫などと対比させて俎上に載せる場合に必要ないし適切なアプローチの仕方如何も問題となる(112) 。さらに、ここⅢ 2 における≪③ b ≫と≪⑤≫とりわけ≪⑤ b ≫との結合は、どういう名称が用いられるかを別にして、2 人の債務の“並列”的形態が実態として重要な機能および意義があることも考えさせるのではないか。
筆者は、フランス文献の一部をあれこれ探すことで或る法典上ないし運用上の法的解決が持つ実需の上での程度を推測することくらいしかできないが、前述のように、旧フ民下で≪②≫を利用したい仏人が、事前に知識として見聞した②の内容の契約形態が法典上の根拠を持たないため、更改さらに指図の或る形態に依拠してきた、という推測を読み出した。そして、その推測と英人学者の指摘を結びつけて、フ民においても“≪② b ≫の実態”があるのではと書いてみた。これが誤っていな
(111) 潮見・前掲新債総 337 頁参照。
(112) 一つの意見として荻村・注 73 所掲 214~5 頁参照。
法律論叢 91 巻 1 号
ければ、ド民の債務加入に相当する法状態がフ民の下でもあると判断するわけである。そして、この限りでは日・独・仏の“法的解決の同質あるいは近似という評価”に立つことが可能であろうし、3 国間における“優劣の比較”も行って差し支えなくなるのではないか。しかし他方、英米法では、債務の移転は更改に拠るほかが無いとされるから(⇒Ⅰ付録)、両国の関連領域を検討しても迂回ないし補填のための法手段が無いならば、最終的には、片や独・仏・日と、他方でこれらに対する英・米との直接的な優劣判定にまで帰着せざるを得まい。ただ、その際、わが契約法務において貿易額の最大相手国アメリカの法状況は従来十分な調査済みか?。より徹底的な検討を青木則幸に託したい所以である。この問題は≪④≫へも波及すると思われる。
Ⅳ 契約譲渡と契約加入
(1) アプローチの仕方
(ア) この論考で何度か出てきたとおり、筆者が本問とりわけ≪④≫につき執筆したのは、まず 1956 年の判例批評(指名によるもので自身の選択ではない)、次に 1965 年の注釈民法、さらに 2015 年の論究ジュリストであり、注民とジュリとの間には、昔なら日本人の一生に近い半世紀の時間差がある。民法学というごく狭いのぞき窓から世間を時折見てきただけの経験しか無いが、概念や制度の存在ないし推移をめぐる状況=一般を顧みると、全く種々様々である。それらの一斑をまとめる作業も年来行いたいと思いつつ、なかなか実現できないが、身の回りで種々生起している<取引>現象からさらに進んで“契約法”ないし“契約債権法”を抽出し、その“主体”論のうちで“約定・合意による移転・変動”に即して、なるべく広い範囲で全体像に接近して見ておこうとするのが本稿の目標になる。
(イ) まず、本稿のテーマにおいて筆者は、当該の法手段がどの程度の“実用性”とか“実需”があるかを考慮しようと考え、少し前の論究ジュリでも、「実需の程度」という見出しの下でド民につき少しだけ紹介した(113) 。一覧願えれば幸いだが、その作業はいざ探し始めると必ずしも簡単に見つけられるといった代ろも
(113) 注 4 所掲稿 202 頁。フ民については、野沢正充の研究に譲った。
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
のではない。教科書や論文の記述を追っていて、例えば≪④契約譲渡≫という法手段は実際にもよく使われていて云々という説明にしばしば出会うが、数量化できる場合は希少であろう。実用度が高いと言っても、法律論でそのことが改めて再説される場面は、あまり遭遇した経験が無い。立法がらみになれば話はちがって、こういう表現の頻度がより高くなるが、それとて統計の詳細な数字などを挙げ得る場合はごく限られていよう。例えば、夫婦財産契約の登記が当初から少数、むしろゼロが多いという程度の“稀”であることは周知されているが、これは登記限りの話であって、利用の実情如何についてはかつて大流行した実態調査でも行うくらいしか解答のための策を思いつかない。
本テーマを今回改めて採り上げた際、文献・資料で“制度の実用度”への言及を見つけると、目印を付けていたが、それらを組み合わせて、例えば「≪①≫の隆盛化とともに≪③ a ≫は利用されなくなったが、旧フ民の下では≪②≫の確実さにつき制定法の保障が無かったため、人は≪③更改≫さらに≪⑤指図≫を利用してきた。」という推論を行うのは可能であろう。しかし、筆者の眺めた文献の範囲ではそれらが“どれくらいの数ないし割合で使われていたか?”はもちろんわからない。19 世紀後半当時の権威ある学者からも歓迎された実務家デルブリュックの債務引受論は、たしか実際上の需要にも言及していたようだが、おそらく具体的な例示はあっても僅かにとどまっていたのではあるまいか。他国の過去とか実情なぞは文献に書かれている記述に従うしかない。
なお、民法“学”において実際あるいは実用度がどうかなぞを重視しなくてよいという批判もあり得るが、そういう内容の理論法学だけで足るとは思えない。筆者は、高度の哲学的な法理論(とりわけ、いわゆる法学方法論)あるいは外国法とわが国の実際・実務とを繋ぐ“実用民法学”の存在理由も大きいと考えているが、
「先進諸国における当面問題の或る概念・制度は、法律論として説得力があり母国においても有力だから、わが国へも導入すべきである。」と単純かつ明快に提案するだけで通るだろうか。われわれが外国の制度や学理を研究者として感心するだけでなく、もっと種々の素材をコネまわす作業が、とりわけ実定法では不可欠である。また、法理の方向転換が広く芽生える時には、高踏的あるいは抽象的な論じ方でまず始まることも少なくない。だが、それらが必ずしも適切な解決に到達できるとも限るまい。
法律論叢 91 巻 1 号
(ウ) 本稿の冒頭部分(A Ⅰ 1 ウ)では複数の“拙稿相互間の時間差”を問題にしている。また、3 年前の注 4 所掲稿(203 頁)では、最初の判例批評を行った 1956 年が「もはや戦後ではない」と経済白書に謳われ、また、住宅公団の賃借人募集の始められた時期であったと紹介している。これらは、いずれも経済の壊滅からの復活をめざす端緒的な現象を反映した文章であって、人々の多くは“買主である地位の売却”と聞けば未だ悪質ブローカーなどを連想したかもしれず、X・Y・Z間の合理的な利益調整を机上で工夫しようとする雰囲気は早すぎたのではあるまいか。多くの研究者にとり、そもそも法的保護に値する現象か否かに迷う論題であったかもしれず、また、その点の疑義が解消しても、契約上の地位の譲渡なぞは高度に人的(perso¨nlich)な行為として、契約の相手方が承諾しないかぎり効力を生じないのは当然の結論であり、彼らの取引は本来なら全員賛成で初めて成立する三面契約で行うべきものである。――於保・債総のこの部分を注民用に読み返してみて、師の構想に対し何となく、そして珍しく硬さと古さを感じたが、感想はともかく、上記の状況下において、「できる限り譲渡の許容性を広げるべし。」とか、当初契約の「相手方 Y の賛成は有効要件ではなく、対抗要件である。」とか、さらには、譲渡人 X と譲受人 Z がどうしてもこの取引を成功させたければ、「彼らに連帯的責任を負わせる代わりに Y の同意・承諾が不要な場合を認めたらどうか。」と主張しても
(いずれも筆者の提案)、一般に受け容れられる可能性はゼロに近かったであろう。さて、社会経済はその間も復興と展開を示す。1955 年から 2 年半続く神武景気
は、なべ底不況で少し足踏みしたが、1958 年以後、岩戸景気・オリンピック景気・いざなぎ景気(1965~1970 年)を経て、1968 年には GNP 世界第 2 位の座に躍り出た。――このくらい発展が継続すると、企業の資金需要も当然活発となり、融資回収の安全・確実は「人」への信頼に加えて「物」へのそれもが重視されるにいたった。そして、諸国は知らず少なくともわが国では担保主義の登場と全盛化現象が支配し(特に銀行法務において担保法理の大発展が続いた)、担保目的物も不動産から集合動産・流動動産、さらには権利とりわけごく普通の債権(いわゆる指名債権)、
それも債権群・流動債権群へと及んでいく。貸金債権や売掛債権の売却から再売却・転売の増大は“債権の流動化”とも呼ばれ、この推移の中で書いた諸稿を 1989年に有斐閣から『集合債権担保の研究』(114) という一書にまとめたが、この流動化
(114) 同書第 2 部「集合債権担保論」は「新しい金融取引と債権の担保化の展開」「将来の金
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
は≪①≫の利用場面を著しく拡大し、対象となる債権も純粋のものだけに止まらず
≪④≫にまで及んできたであろう。
そのように範囲も拡大されてくると、≪①≫の利用場面は従来よりずっと広がり、マ/エ/ストッフェル=マンクらの言う債権譲渡の“始原的=移転機能”のみならず、“弁済機能”および“担保機能”が公認を得る。しかし、裏側である≪②≫については、どのような下部構造上の推進理由があるのか。さらに、≪①≫と≪②≫がいわば合体した≪④≫の基礎は、どのように説明できるのか?。20 世紀半ば当時の民法理論や判例の発想を思い出すと、普通の(証券化されていない)金銭債権を物同様の経済的資産と意識するまでに成長していなかった。1956 年の拙稿はいわば合理的思考をはばかるところなく追究していて、当時の債権取引の実態や人々の意識を反映していなかったであろう。ドイツでもレーマンの見方は当時受容され難かったのではなかろうか?。
これに関連しての記憶がある。当時の或る研究会において、問題の判例研究を報告した際、誰だかがおよそ債務引受を内包する契約引受は当事者の一方が入れ替わるのであり、それ以外は考えられない、との意見を主張した。筆者は、そこまで窮屈に債権の人的性格にこだわらなくてもよいのではと答えたところ、そのような契約引受――本稿で言えば契約加入になる――は“あり得ない”“交替するから引受だ”と叱られた。もともと債務引受は債務者が入れ替わる方法として登場したが、次第に≪② a ≫だけでなく、非脱退的な≪② b ≫の態様も肯定されてきており(⇒
Ⅱ 1 ア)、なかでも広義の契約法をめぐる種々の言葉には、万世不変しかあり得な
いものが限られているのではないか。本稿で採り上げた用語にも、そのような例と言えそうなものがある。例えば更改における旧債権債務の“消滅効”も筆者に言わせると可変的な例に属する。しかし、「いい加減の思い付きだ」と葬られないためには相当な工夫と準備が求められ、うかつに切り出すと当方が傷を負う。書く余裕があれば、C あたりで少し意見を述べたい。
(エ) 本稿では、≪①債権譲渡≫および≪②債務引受≫の記述と同じに、この
銭債権の包括的譲渡担保と第三債務者の特定」「新しい集合債権担保論の基礎」「最近の金融取引と集合債権担保」「集合債権担保の諸問題」「リース料債権の集合担保」「集合債権担保判例の一斑」から成る。いずれも諸種の実用誌に掲載した論考である。
法律論叢 91 巻 1 号
≪④≫も独・仏・日の 3 カ国を主な紹介対象とする。英・米およびヨーロッパ法原則は、〔付録〕として軽く一言するに留めた。なお、≪④ a ≫と≪④ b ≫については、かなり昔より紹介しているが(115) 、とりわけ≪④ b ≫のほうはこれまで学説から全く無視されたままではないだろうか。
(オ) さらに、≪④ a ≫は、営業譲渡(商法 16 条以下)あるいは事業譲渡(会社法 21 条以下)と、個別的な権利・義務の譲渡との、いわば中間に位置する。そして、この≪④ a ≫を究明するには、一方で≪①≫および≪②≫と相関させて検討するのが必要であり、本稿ももちろんそのような視座に立つ。すでに古くから我妻栄にあってはそれが行われている(116) 。他方、包括度のより高い営業譲渡・事業譲渡との関連考察も行うべきであるが、少なくとも今回は商事法までは採り上げない。
(2) ドイツ法
(ア) (a)ドイツ法は、本問全体をめぐり元々その内容が或る意味で最も颯爽としていた。≪①≫では、債務者 Y が譲渡合意に介入するのを BGB よりもずっと前に撥ね退け(⇒Ⅰ 1 ア)、≪②≫では、少なくない人々の「借金の売却なぞがあり得るの?」という迷いを吹きとばして規律し(⇒Ⅱ 1 ア)、≪③≫は BGB 成立時期に少なくとも立法舞台からの退去を命じた(⇒Ⅲ 1 ア)。しかし、≪④≫になると条文化をしないで、解釈・運用に解決を委ねてきた。立法化が現今進行しているかどうかも、今回の滞在中、他事にかまけて調べるのを怠っていた。
(b)論考の出現状況を 2018 年春に入手したフィケンチャ―/ハイネマン・債務法の最新補訂版(117) で見たが、著作としては 2010 年に刊行されたクリムケの研
究(教授資格論文)(118) 以後は見あたらず、挙げられている個別論考も労働法関係が半ばではないかと思われる。
年代を遡ると、H・レ―マンが 1950 年に国際比較法大会で<契約譲渡>の報告
を行っており、エネクチェルスの体系書における彼の補訂作業は一つの学説史とも
(115) 注 3 所掲書 426 頁以下の随所に出てくる。
(116) 我妻・新訂債権総論(1964)580~581 頁参照。
(117) Fikentscher/Heinemann, Schuldrecht, 11Aufl. 2017, S. 759.
(118) Klimke, Die Vertragsu¨ bernahme, 2010.
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
称することができるかもしれない。
(イ) ドイツ法は、従前における執筆の折々に参照・紹介していて、できれば注民ならびに注 4 所掲稿と併読していただき、ここでの重複記述を避けたいところだが、前者は新法成立によってもはや絶版となっており、後者は雑誌の表紙に告知もなくて存在自体が当初より読者に通じていない可能性すら無きにしも非ずと推測されるので、重ねてでも知っておいていただくのが適切と愚考する部分に関し挿入略説しておきたい。C 以下においてさらに引用する個所・部分もあり得る。諸著書の具体的な内容概説は、後にそれぞれ分けて紹介する(⇒ウ~オ)。
(ウ) 表題とした二つの観念の“浸透”状況をなるべく新しい文献に拠りつつ眺めておこう。まず研究(ただし、挙示されている雑誌論考は見ていない)の概況は以下のようである。
(a)拙稿判例批評の当時には、H・レーマンが上でも述べたように 1950 年にロ
ンドンの国際比較学会で<契約の譲渡 (Abtretung v. Vertra¨ gen) >と題する報告を行っていたそうだが、筆者は彼がエネクチェルスの体系書(119) ――わが国で言えば我妻・民法講義に相当する著名な教科書――の補訂版(1958 年)で述べたものしか入手できていない。ちなみに、レーマンは 1930 年からこの教科書を補訂しているが、“≪④ a ≫と≪④ b ≫”という見出しを付けたのは、奇しくも筆者の私蔵するこの版(ただし入手したのは 1998 年のリプリント版)においてであったらしい。これは、もちろん筆者の判例批評より 2 年後の出版である。なお、ドイツ法の紹介で筆者も従来見落としていた邦語文献があった(120) 。≪④ a ≫から≪④ b ≫への転換を肯定する議論である。
(b)ピーパーの教授資格論文(121) は、この領域に関する研究の嚆矢とも評価されていて、論考の性質上、前記レーマン説の推移・分析・批判や、一体説と分解説など総論的課題についてはもちろん、継続的契約以外への概念拡大や、更改に対する評価など筆者が関心を抱く論点にも幅広く及んでおり、ドイツ普通法時代からの
(119) Enneccerus/ Lehmann, Recht der Schuldverha¨ ltnisse, 15Bearb. 1958.
(120) 柚木・注 24 所掲 308~9 頁。
(121) Pieper, Vertragsu¨ bernahme und Vertragsbeitritt, 1963.
法律論叢 91 巻 1 号
著名諸学説の分析も出てくる。拙稿注民とほぼ同時期の刊行だが、筆者自身この文献に接したのはかなり後日であった。今回開いて見ると、あちらこちらの記述をその時どきの需要に応じて何回か拾い読みしていた痕跡がある。
本書は、<(ⅰ)法律・実務・理論における契約関係への意思に基づく参入>
<(ⅱ)特別の法的問題としての契約関係参入><(ⅲ)一体的法律行為としての契約引受および契約加入>という 3 個の章から成るが、例えば第 1 章第 2 節<経済生活における契約への参入と判例によるその取扱い>なども魅力ある表題ではないだろうか。C 以下でこの方向の問題を採り上げることになれば、ゆっくり読みたい部分である。
(c)ネルら 2 人の分担共著・承継(122) には≪①≫≪④ a ≫≪②≫≪④ b ≫が副題とされる。このⅣ 2 の個所用に筆者の関心を惹いた見出し項目は、ざっと見たところでは<≪①≫における債務者保護><≪④≫――若い登場><≪④≫の実際的意義><≪④≫を法的に組み込むことへの考慮>などである。これらは概観においても略記しておく心算であったが、都合で C 以下へ送る。
(d)クリムケの契約引受論(123) は本文約 420 頁の大作であり、従来からの論点
も文献もおそらく網羅されていよう。15 頁に及ぶ“まとめ”も、各部・章ごとに折り目正しく整序されている。原則的にはC 以下において引用したい。なお、索引も見たが、≪④ b 契約加入≫は考察対象になっていないようである。参考までに部の表題は<(ⅰ)法的性質および他の制度との関係><(ⅱ)引受の成立と有効性>
<(ⅲ)引受後の主たる契約><(ⅳ)≪④ a ≫の基本行為>となっていて、同書は瞥見レベルでしかないけれども、“法的構成”論が中核対象のようにみえる。
(エ) 幾つかの注釈書において、本テーマへの対応を調べたところ、一般的に言って、意外に記述の分量が少ない。特に、≪④ b ≫にもう少し紙数を与えてよいのではと感じた。≪④≫は、現在の考え方では、≪①≫および≪②≫と峻別したりせず、両者を共に要素ないし基礎として構成するのが普通であり、二つそれぞれの基礎を整理した後で合成観念としての特徴だけを帰結すれば≪④≫としては十分だと解されているためかもしれないが、やはり≪①≫と≪②≫自体としての論点も
(122) No¨rr/ Scheyhing, Sukzessionen, 1983.
(123) 注 118 所掲。
契約債権関係と主体の移転・変更〔2〕(椿)
あるとともに、他方、統合体にはそれとしての独自的な問題があるのではないか。法理的に重要な課題であり、C 以下で改めて採り上げたい。
書物の例示に入ると、(a)パーラント注釈書(124) は、半頁だけを≪④≫に充てており、特に≪④ b ≫には 2 行しか割いていない。実務家向けとか実用的が同書の宣伝にあるので、1 冊に民法全部を収める文献ではあるが、簡素さに少々驚いた。
(b)シュタウディンガー注釈書(125) は、さすがにパーラントほどではなく 5 頁にわたっていて、≪④ a ≫では、(ⅰ)“実需”をこまかに挙げている、(ⅱ)全関与者の 3 者関係に言及する、(ⅲ)消費者保護規定(ド民 491 条以下)の適用も説明する、の諸点に注目しておきたい。≪④ b ≫の説明も細かくて参考となる。(c)ミュンヘン注釈書は、ロート(インスブルック大学教授)とキーニンガ―(ヴュルツブルク大学教授)(126) が≪①≫の、そしてビドリンスキー(127) が≪②≫の、それぞれを記述する中で、締約・効力・法的地位など諸文献にも共通する問題を主として法的構成の仕方の面から説明する。(d)エルマン注釈書(128) では、≪④ a ≫が
(ⅰ)実際上、≪② a ≫よりも重要である、(ⅱ)3 人の関与者全員の合意と共同が決定的である、(ⅲ)効果は、≪①≫と≪②≫の“慎重な結合”によって生じる、などと注意される。ただ、(ⅳ)≪④ b ≫は索引などからも見付からなかった。(e)ノモス注釈書(129) では取引実務における特別の鋳造の一つとして≪④ a・b ≫が説明される。同書によれば、非典型法律行為の一つであり、三面契約が通例だが、残留者の同意を伴う引受人・離脱者間の頻度がより高い。例の「売買は賃貸借を破ら
ない」場面などは“法定契約引受”と呼ばれる。
(オ) 上記(ウ)では主要研究書の、同(エ)では主要注釈書の紹介を行い、そこですでに≪④≫に関する内容のかなりは出てきている。読者は、ここで本稿を一時離れ、注民の指示個所から注 4 所掲稿(特に 201 頁以下)まで再度ざっと目を通してくだされば、概要は十分となるであろう。この個所では、議論の最初におけ
(124) Vgl. Palandt, aaO.(注 57)S. 625.
(125) 注 20 所掲 S. 142ff.
(126) 注 21 所掲 SS.2716f, 2764f.
(127) 注 21 所掲 S. 2836f.
(128) 注 22 所掲 S.1713f. (129) 注 56 所掲 S.1479~80.
法律論叢 91 巻 1 号
る本格的な牽引車になったと思われる解説を代表的体系書補訂版に施したレーマン(130) と、ハイネマンによる最新のフィケンチャー教科書補訂版(131) とをごく簡単に見ておく。
レーマンは、まず事業譲渡がさまざまの契約の付帯を必要とする事例から始まって、賃貸不動産の売却や動産質付きの債権の譲渡など諸事例に言及。Cessione del Contratto を設けたイタリア新法(当時)を紹介。処分説と契約説にも論及。≪④ b ≫では、ライヘルの“債務共同引受”の法的構成により、契約の相手方の不同意のため契約引受が効力を生じなくなるという結論を避止しようとする。――最後の問題に関しては、筆者の判例批評とおそらく同説であろうが、私見の刊行がより早い。ただ、当方の引用はドイツ普通法期の文献であった(おそらく当時の筆者は 19 世紀後半の連帯債務論の読解に取り込まれていた!?)。
ハイネマンは、初歩的事項に続いて、全体的権利義務の移転する諸場面を挙げるが、「企業またはその一部が他の保有者に移転される場合には、その保有者は、移転時に存する労働関係に基づく権利および義務を得または負う。」(1 項 1 文)という冒頭条項に始まる多面的な規定(ド民 613 条a)も掲示している。また、“一種の三面契約”であると説示する判例(BGHZ 44, 229, 231 など)に注目する。
≪④ b ≫においては、それがどういう場面であるかにつき説明が無いけれども、義務面では加入者が≪② b ≫に従い連帯債務者になり、権利面では 3 人全員の賛成が必要な加入契約によって、加入者が連帯債権者となるか合手債権者(132) となるかが決められる、どちらであっても、そこには≪①≫が存する、と述べる。
(カ) 以上見てきた範囲においても、契約・取引で≪④ a 契約引受≫や≪④ b契約加入≫が問題となる場面はかなり理解されたであろう。また、すでに注 4 所掲稿のⅢで、実需ならびに対象契約と題する二つの見出しの中でも相当数を例示した。本稿ではさらにシュタウディンガーで挙げられる諸場面の紹介も考えたが、C以下の詳論にゆずっておく。
(2018-05-19 本稿〔2〕記了)
(明治大学法学部元教授)
(130) 注 119 所掲 S. 349ff. (131) 注 117 所掲 S. 445.
(132) 合手債権については、椿・前掲注民 14 頁以下参照。