「サルゴフリー方式賃貸契約」は、今日のイランにあって最も一般的なタイプの店舗の賃貸契約である。「サルゴフリー方式賃貸契約」では、賃貸人は「サルゴフリー(sar -qoflī)」と呼ばれる店舗の用益権を賃借人に売却し、その後は店舗の所有権を手放さないまま、賃借人から硬直的な水準の賃貸料を受け取るに過ぎない形式上の所有権 者となる。したがってこの大いに制限された所有権の価格はやはり硬直的な水準にとどまる。その一方で、賃借人に売却された用益権の価格はあたかも地価そのもののごとく店...
<博士学位請求論文要旨>
イランにおける
「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の分析
-慣行・法・制度への歴史的アプローチ-
一橋大学大学院経済学研究科経済史・地域経済専攻
岩﨑葉子
1.論文の目的と構成
本論文の目的は、イランの商業地に普及する「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の実態を明らかにし、それが確立された過程を、当事者による一連の選択の帰結として時系列的に捉えつつ、解明することにある。
「サルゴフリー方式賃貸契約」は、今日のイランにあって最も一般的なタイプの店舗の賃貸契約である。「サルゴフリー方式賃貸契約」では、賃貸人は「サルゴフリー(sar-qoflī)」と呼ばれる店舗の用益権を賃借人に売却し、その後は店舗の所有権を手放さないまま、賃借人から硬直的な水準の賃貸料を受け取るに過ぎない形式上の所有権者となる。したがってこの大いに制限された所有権の価格はやはり硬直的な水準にとどまる。その一方で、賃借人に売却された用益権の価格はあたかも地価そのもののごとく店舗の集客力に応じて自在に変動する。「サルゴフリー方式賃貸契約」の制度設計上のきわだつ特徴は、所有権価格と用益権価格とがこのような関係にある点に見出されるが、この他にも、賃借人によるサルゴフリーの転売が許されている点や、その売買価格が「時価」として評価される点など、多くの興味深い性質が備わっている。
この一見珍奇な契約形態は、なぜかくも広範な普及をみたのか。本論文ではあくまでも歴史的な事実と契合させつつ、制度をとりまく環境や条件の可変性と、それが当事者の選択に与える影響とを重視するアプローチを通じて、ひとつの制度が経済学的観点からいかなる存立根拠を有するかという問題に迫ろうとするものである。
本論文では、サルゴフリーに関連する統計・数値データの圧倒的な欠如という研究上の困難を克服するために、フィールド・ワークによる聞き取り調査を通じて収集した質的デ
ータと、関連史料すなわち法令集や議会議事録の吟味とを組み合わせるという方法論を用いて、制度の歴史的な変容を辿った。
本論文の構成は以下のとおりである。序論
1. はじめに
2. 「サルゴフリー方式賃貸契約」をめぐる先行研究
3. データ解題
第1章 「サルゴフリー方式賃貸契約」
1. 「サルゴフリー方式賃貸契約」のあらまし
2. 「サルゴフリー方式賃貸契約」の特徴
3. 制度設計と賃貸人の選択
第2章 「サルゴフリー方式賃貸契約」をめぐる法制度
1. 賃貸人・賃借人関係法
2. 「サルゴフリー方式賃貸契約」と法の諸規定
3. 「営業権」の登場とサルゴフリー第3章 歴史のなかのサルゴフリー
1. 1938 年当時のサルゴフリー授受慣行
2. 1959 年当時のサルゴフリー授受慣行
第4章 「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の形成
1. 「営業権」以前のサルゴフリー
2. かつてのサルゴフリーをめぐる陳述
3. サルゴフリーの変質
第5章 イスラーム革命と「サルゴフリー方式賃貸契約」
1. イスラーム革命と法制度の見直し
2. 1997 年の賃貸人・賃借人関係法改正
3. 「サルゴフリー方式賃貸契約」をめぐる賃貸人の選択
4. 齟齬の要因結論
1. 制度の変容過程
2. 選択をめぐる問い
2.各章の概要
第1章「サルゴフリー方式賃貸契約」
「1.『サルゴフリー方式賃貸契約』のあらまし」では、フィールド・ワークを通じて得られた情報をもとに今日の「サルゴフリー方式賃貸契約」制度を詳解する。「サルゴフリー方式賃貸契約」では、賃貸人は賃貸する店舗の所有権を手放さず、契約開始当初に「サルゴフリー」と呼ばれる用益権だけを賃借人に売却し、その後は少額の賃貸料を受け取り続ける。賃貸人の所有権は大幅に制限される一方、賃借人は事実上、当該店舗の恒久的な占有・使用の権利を得る。賃借人が店舗から撤退する際には、サルゴフリーを転売することができ、次の入居者がこれを購入する。この際、原則として次の賃借人は元の賃借人と類似の業種に就くことが求められる。これはすなわちサルゴフリーの転売によって、元の賃借人がその営業活動を通じて培った「商売上の信用・名声の価値」を含めた店舗の用益権が譲渡されるものと理解されているためである。転売に伴って賃借人が交替する場合には、賃貸人はこれを認知し賃貸契約を結び直す。仮に賃貸人が新たな賃借人をなんらかの理由で拒否する場合には、賃貸人自らが元の賃借人からサルゴフリーを買い戻しこれを補償しなければならない。ちなみにサルゴフリーの価格は、店舗を囲繞する環境や営業実績などその「集客力」を反映する変動性の価格である。
「2.『サルゴフリー方式賃貸契約』の特徴」では、店舗の用益権価格(サルゴフリー価格)と所有権価格との関係に着目する。不動産市場においてこの二者は必ずしも動勢を一にせず、賃借人に売却された用益権価格はあたかも地価そのもののごとく店舗の集客力に応じて自在に変動する一方で、所有権価格は硬直的な水準にとどまる。と言うのも、所有権価格を決定する月額賃貸料水準は改定率の上限をもって法的に規制されているからである。したがって当該地(店舗)の生産性(集客力)水準の変動はひとり用益権価格にのみ反映する。これが「サルゴフリー方式賃貸契約」の制度上のきわだつ特徴である。
「3.制度設計と賃貸人の選択」では、かかる制度が広範な普及を見るに至った背景をめぐって問題提起を行う。今日のイランでは「サルゴフリー方式賃貸契約」のほかにも、用益権(サルゴフリー)譲渡を伴わない賃貸契約である「ハーリー(khālī)方式」や、店舗の完全所有権(用益権と所有権とを併せた権利)を売却する「メルキー(melkī)方式」など、店舗所有者にとっての資産運用上のいくつかの選択肢が存在する。ところが現実には圧倒的多数の店舗が「サルゴフリー方式賃貸契約」によって賃貸されているのはいかな
る事情によるのか。とりわけ、商業地に店舗を所有する賃貸人にとって、サルゴフリーを売却したのちに少額の月額賃貸料でもって店舗を賃貸するのと、店舗の完全所有権をまるごと売却してしまうのとでは、予想利用収益という観点からはさしたる違いはないと考えられる。なぜ賃貸人は店舗の完全所有権をではなく、その予想利用収益の大部分を占める用益権を売却して、ほとんど市場価値を失った店舗の所有権をあえて手元に残すという選択を優先してきたのか、という問いがここに提起される。
第2章「サルゴフリー方式賃貸契約」をめぐる法制度
この問いをうけて「サルゴフリー方式賃貸契約」の歴史的形成プロセスの分析へうつる。今日の「サルゴフリー方式賃貸契約」制度を法的に支えているのは、主として 1977 年制定の賃貸人・賃借人関係法(以下、1977 年関係法)の諸規定である。「1.賃貸人・賃借人関係法」ではイランにおける不動産賃貸借に関連する諸法規の小史を概観し、次いで「2.
『サルゴフリー方式賃貸契約』と法の諸規定」では、現行の法規と「サルゴフリー方式賃貸契約」の運用実態とを対応させつつ、店舗の賃借人の権利の根拠となる法的な枠組みについて詳解する。
さらに「3.『営業権』の登場とサルゴフリー」では、法律上賃借人の権利として認められている「営業権(haqq-e kasb o pīshe o tejārat)」が、店舗賃貸借の現場ではそのままサルゴフリーと読み替えられることによって、「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の根幹が支えられていることを指摘する。
「営業権」条項は、1960 年に制定されたマーレキ(土地・建物の所有者の意)・賃借人関係法(以下、1960 年関係法)において初めて登場したが、その権利概念の骨格をなす
「商売上の信用・名声の価値」という考え方は、第二次世界大戦期にイランの財務長官を務めた米国人ミルズポー博士の定めた限時法、ミルズポー諸権限法に附された執行規則(運用上のガイドラインを示す法規)によってイランへもたらされたものであった。1943 年に制定された同執行規則第9条には「賃貸人は賃借人の信用・名声の価値に対して、不動産鑑定士が定める額を賃借人に支払う義務を有する」旨が定められていた。
これより以前のイランの法文上には「商売上の信用・名声の価値」に対する明確な権利概念は見いだされない。しかしながらこの事実をもって、「商売上の信用・名声の価値」という考え方が外来のものであり、かつ「サルゴフリー賃貸契約」制度の起源そのものであるかのように断じるのは早計である。と言うのも、イランには少なくとも 1930 年代から
すでに「サルゴフリー」と呼ばれる賃借人の権利が存在したからである。
第3章 歴史の中のサルゴフリー
「サルゴフリー」と呼ばれる権利が過去に存在した事実は先行研究において指摘されているものの、その歴史的な実体については明らかにされてこなかった。そこで第3章では、ミルズポー諸権限法執行規則以前からイランに存在したサルゴフリーとはいかなる権利であったのかを探る。その手がかりとして、賃貸人・賃借人関係法の前身法である賃貸料調整法(1938 年制定)の法案提出時の議会の議事録を用い、そこでの審議内容を吟味した。議会での法案の提出責任者や代議士による討議の模様をつぶさに検討していくと、当時 のイランで「サルゴフリー」と呼ばれていたものはじつは今日のサルゴフリーとは異なり、賃借人どうしの間でインフォーマルに授受されていた権利金の一種であった事実が浮かび
上がる。
例えば 1938 年の第 11 議会では、提出された賃貸料調整法案に関する説明を施した司法大臣が、当時からすでに、繁華な場所にある店舗の賃借人が入れ替わる際に彼らの間で
「サルゴフリー」という名目の金銭が授受される慣行があったことを示すような発言をしている。このときの議会議事録からは、ほかにも、1938 年当時のイランにおける店舗の賃貸借にまつわる慣行として、正規の賃借人が非正規の賃借人にしばしば店舗を(より高額で)「又貸し」していたことや、「サルゴフリー」をはじめ様々な名称で呼ばれる権利金の授受とともに店舗の(事実上の)賃借人が入れ替わっても、マーレキ(賃貸人)と新たな契約が結び直されることはほとんどなかった事実などが読み取れる。すなわち当時のサルゴフリーのやりとりはあくまでも店舗を使用する賃借人どうしの間の慣行であり、賃貸人はこの慣行の埒外にあったのである。
さらに、ミルズポー諸権限法執行規則制定から「営業権」が登場するまでの時期におけるサルゴフリーの実体を知るため、1960 年関係法の法案提出時の審議内容をも併せて吟味した。1959 年の第 19 議会では 1960 年関係法法案中の「営業権」条項に異を唱える議員の発言が相次いでいる。これらに対する提案者である法務省次官による説明からは、 1959 年時点でもあいかわらず店舗ではその賃借人が、賃貸人であるマーレキの形式的関与なしに次の賃借人に店舗を明け渡すことがあり得たこと、また賃貸人と賃借人との契約関係は今日のように書面をもって随時更新されてはおらず、当事者の名義のみならず、その契約期間についても賃貸契約書が形骸化していたらしいことが窺われる。一方で、ある
議員はこの当時すでに始まっていた、(ときとして所有権価格を凌駕するほどの)サルゴフリー価格の高騰を指摘している。
賃借人どうしの間で事実上随意にサルゴフリーの移転が行われたという点では、1959年時点のサルゴフリー授受慣行は 1938 年時点のそれと大きく異ならない。一方で、1959年の時点ではサルゴフリー価格が店舗の所有権価格よりも高額となる事例が出現していたことが窺われる。
第4章 「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の形成
議事録の検討から導き出された旧来のサルゴフリーのあり方を踏まえつつ、ミルズポー諸権限法執行規則がいかに「サルゴフリー方式賃貸契約」の制度形成の端緒となったかを論じる。
「1.『営業権』以前のサルゴフリー」では、以下の点を指摘する。第一は、1938 年時点で賃借人どうしの間に授受されていたサルゴフリーはすでに、賃借人の営業期間、賃借人自身の名声、店舗の設備などに応じて価格変動をみる「営業権」のあり方に近いものであったと考えられることである。何となれば、もとよりサルゴフリーを支払ってある店舗に入居したいと申し出る第二の賃借人は、今現在の賃借人がどの程度繁盛しているか、どのくらい顧客を持っているかを見、総合的にその店舗の集客力を計算して、まさしく「営業権」条項に掲げられたような諸々の要素を加味したサルゴフリーを支払っていたはずだからである。第二は、1959 年にはすでに賃借人に帰属するいわば店舗を用益する権利であるサルゴフリー価格が、賃貸人に帰属する店舗の所有権の価格よりも、不動産市場において高く評価されるようになりつつあったことである。
これらの事実をさらに裏付けるために、「2.かつてのサルゴフリーをめぐる陳述」で、 1950 年代半ばと 1960 年代半ばのそれぞれの時期に関して、当時の不動産賃貸借慣行を知る立場にあったバーザール商人の証言を吟味する。それによれば、賃借人が賃貸人に断りなく店舗を譲り渡し、その見返りにサルゴフリーの名目でいくばくかの金銭を受け取るのが当時の慣例であった。また賃貸人は賃借人たちの間でそうしたやり取りがあることを知りながらも黙認し、さしたる関与を差し挟まなかった。同時に、いずれの時期においても商業地のサルゴフリー価格は今日のそれと比較して著しく少額であり、賃貸人にとって顧慮すべきような高額には達していなかった。一方で、ふたつの時期で違いの見える部分もある。1950 年代半ばには、サルゴフリーはあくまでも賃借人どうしの間でやり取りされ
るべき金銭であったのに対し、1960 年代半ばには、賃貸人は契約の当初に第一の賃借人から(少額ではあるものの)サルゴフリーの代価を得るようになっていた。
「3.サルゴフリーの変質」ではかかる経緯をふまえ、「サルゴフリー方式賃貸契約」制度の形成過程を分析する。旧来のサルゴフリーの性質の一部と、1943 年のミルズポー諸権限法執行規則における「賃借人の信用・名声の価値」という考え方とはきわめて近いものであった。そのため 1960 年関係法の条文上の「営業権」が店舗賃貸借の現場においてはサルゴフリーと読み替えられることになった。ただしそれまで店舗の賃借人は、後続の第二・第三の賃借人候補に対してのみ、自身の働きの結果得られる店舗の集客力の代価をサルゴフリーとして要求していたのに対し、ミルズポー諸権限法執行規則は、「賃借人の信用・名声の価値」はあくまでも賃貸人が賃借人に対して支払うべきものであると規定した。すなわちミルズポー諸権限法執行規則がサルゴフリーをめぐる制度全体に与えた真の影響は、サルゴフリーの補償責任が賃貸人にまで拡大された点にあったと言える。したがって 1960 年関係法の「営業権」とは、旧来のサルゴフリーとミルズポー諸権限法執行規則との融合が生んだ、まったく新たな権利にほかならない。
これ以後、従来賃借人が自由に行っていたサルゴフリーの移転にはあらたに賃貸人の同意を必要とするようになった。一方、賃貸人は「営業権」すなわちサルゴフリーの補償責任を負うこととなった。サルゴフリー価格が常に上昇傾向を示す中にあってこの事態は、賃貸人にとって、ひとたび店舗を賃貸すればそれを取り戻すことはもはや容易でなくなったことを意味した。この変化を背景として、「営業権」はあくまでも賃借人の営業の結果生じると想定されているにも拘わらず、賃貸人は契約当初に自身が賃借人からサルゴフリーの代価を得て事実上失われるであろう所有権の価値をあらかじめ確保するようになり、賃貸人のこの予防策がひとつの慣行として次第に一般化したものと考えられる。かくしてミルズポー諸権限法執行規則の制定から長い時間をかけて、賃貸人が契約当初に店舗の完全所有権価格に近い額のサルゴフリーを売却した上、その後も恒久的に少額の月額賃貸料を得続けるという、一見珍奇な今日の「サルゴフリー方式賃貸契約」制度が形成された。
第5章 イスラーム革命と「サルゴフリー方式賃貸契約」
旧来のサルゴフリーと「営業権」というふたつの異質な存在は、制度形成の過程で両者の齟齬による幾多の社会的軋轢を生んだ。齟齬とはすなわち、「賃借人の信用・名声の金銭的価値に対する賃貸人の補償責任」という考え方が旧来のサルゴフリー授受慣行にはなか
ったという点にある。そのため、契約開始後に賃借人の努力によってゼロから生じた「営業権」をはたして賃貸人が補償しなければならないか否かをめぐって賃貸人・賃借人間の係争が頻発し、この問題に対する裁判所の判断も動揺した。
「1.イスラーム革命と法制度の見直し」では、1979 年の革命ののち、この賃借人固有の権利である「営業権」をめぐるイスラーム法学上の議論がにわかに活発化した事実に注目する。このときの議論の焦点はまさしくこの賃貸人のサルゴフリー補償責任にあった。イスラーム法学者らは、賃借人に認められる本来の権利は、契約が有効である期間中に限り当該店舗を占有・使用する権利であり、したがって契約期間の満了したあとに、いかなる理由であれ賃貸人の意思に反してそこを占有し続けることは違法であると主張し、「サルゴフリー方式賃貸契約」の孕む「違法性」を指摘した。
「2.1997 年の賃貸人・賃借人関係法改正」では、1997 年の第 5 イスラーム議会において実現した賃貸人・賃借人関係法の改正について論じる。このとき制定された賃貸人・賃借人関係法(以下、1997 年関係法)の営業用物件規定からは、「営業権」の語が完全に削除され、代わりに「サルゴフリー」の語が用いられた。改正法は 1977 年関係法とは対照的に、契約期間が満了している場合は店舗のサルゴフリーに対する賃貸人の補償責任は生じないとし、契約期間の満了をもって賃借人はすべての権利を失うことになった。これと並んで、契約の当初に賃貸人がサルゴフリーという名目の金銭を受け取っていない場合は、やはり店舗のサルゴフリーに対する賃貸人の補償責任は生じない、とされた。これは、
「営業権」の規定によって事実上賃貸人の了解する契約条件とは無関係に発生し得るとみなされていた「賃借人の信用・名声の価値」と、その代価である「営業権」を賃貸人が補償する責任とに制限を設けたものである。すなわち改正法においては、契約期間の遵守と契約に先立つ賃貸人によるサルゴフリー(の代価)の受領とが、「サルゴフリー方式賃貸契約」が成立する必須の要件とされたのである。
以上のような経緯を論じたのち、「3.『サルゴフリー方式賃貸契約』をめぐる賃貸人の選択」では、「サルゴフリー方式」にかえて、はたしてより多くの賃貸人が「ハーリー方式」を選択するようになったか否かを検証する。筆者のフィールド調査によれば 1997 年法改
正によって店舗不動産の運用方法としてあらたに「ハーリー方式」が賃貸人の事実上の選
、、、
択肢に加えられることになったにも拘わらず、新規にこれが選択される例はきわめて限ら
れている。改正法下の不動産市場においても「サルゴフリー方式賃貸契約」は賃貸人によって最も選ばれやすい契約形態であると言える。
「4.齟齬の要因」では、旧来のサルゴフリーのあり方と、ミルズポー諸権限法を契機に導入された「営業権」的価値概念との間に存在した齟齬が何に起因するものかを考察する。これは端的には、西欧近代法における所有権概念とイスラーム法におけるそれとの齟齬に由来すると考えられる。西欧近代法における所有権は「物に対する直接完全な支配権」として位置づけられ、使用・収益・処分という明確に峻別された三権能が合一して成立する権利である。一方イスラーム法においては、アイン(「物自体」の意)とマンファア(「使用によって物から引き出される一時的な利益」の意)の各々に対して所有権が成立し、それぞれが別個の客体として所有権の目的となる。マンファアの所有権すなわちイスラーム法における用益権の範囲はもとより曖昧であり、あくまでも一定の契約上の権利としてのみ成立する。かつてサルゴフリー授受慣行の埒外にあった賃貸人はすなわち店舗におけるアインの所有者であり、サルゴフリーを自由に売買した賃借人はそのマンファアの所有者であった。旧来のサルゴフリー授受慣行に窺われたような賃貸人・賃借人関係はイランにおける用益権の上述のようなきわめて柔軟なあり方から派生したものではなかったかと推測される。
結論
以上のように、サルゴフリーが「店舗の賃借人が、次にその店舗を使いたいと希望する賃借人から受け取る一種の権利金」であった先行期ののち、1960 年関係法の「営業権」登場によって、サルゴフリーの補償責任範囲が賃借人から所有者である賃貸人にまで拡大された。これはサルゴフリーが賃貸人の関与しないインフォーマルな権利金に過ぎなかった先行期とは大いに異なる新条件の出現であり、制度全体にとって劇的な変異であった。従来、賃貸人は賃借人からサルゴフリーの代価を請求される立場になかったものが、「営業権」条項によって、契約当初になんらの合意がなくとも賃貸人もまたこれを補償すべきとする法的な判断が下され始めたからである。この変異をうけ、ひとびとは次第にその行動様式の変更を迫られていったものと考えられる。次第に補償責任範囲の曖昧な通常の賃貸契約は敬遠されるようになり、賃貸人が当初からサルゴフリー授受に関与するようになった。新条件の出現とそれに続く混乱、賃貸人の学習とあらたな慣行の定着という一連の変容の時期はいわば適応期とも呼び得よう。サルゴフリーの授受が賃借人間のインフォーマルな慣行であった時代は過ぎ去り、幾多の係争を経て、賃貸契約の当初に第一の賃借人と賃貸人との間でサルゴフリーの売買を行い、そののち賃借人が次々とサルゴフリーを転売する
という「サルゴフリー方式賃貸契約」制度が成立したものと考えられる。このような経緯に鑑みれば、「営業権」の誕生はまさに今日の「サルゴフリー方式賃貸契約」制度が形成される重要な契機であった。「営業権」導入からおよそ 40 年後のテヘランでは、店舗の大部分が「サルゴフリー方式賃貸契約」によって占有・使用されるに至った。
本論文の冒頭の「なぜイランでは『サルゴフリー方式賃貸契約』が趨勢を占めているのか」という問いに立ち返ろう。賃貸人はなぜ完全所有権を売却せず、「サルゴフリー方式賃貸契約」を選択してきたのか。本論の議論に照らせば、賃貸人が最も確実な資産運用の方途として店舗を賃貸するという明快な選択を行い続けた結果、「営業権」の誕生という特異な経緯の下で「サルゴフリー方式賃貸契約」が生まれ趨勢となった、という制度形成の過程を見て取ることができる。制度が確立していくその過程において、サルゴフリー価格が次第に完全所有権価格に近似するほどの水準に達し、結果として店舗の完全所有権売却と
「サルゴフリー方式賃貸契約」とが賃貸人にとって同等の選択肢となった。したがって、くだんの問いの前提となる、賃貸人が完全所有権売却か「サルゴフリー方式賃貸契約」かという選択に迫られた結果として今日の状況が現出している、という想定そのものが、歴史的事実から乖離していることが明らかとなる。これは経済制度分析において、目下観察され得る事象だけを取り上げて要素分解的な説明を施すことが、おうおうにして的を射た議論へ繋がらないものであることを示唆している。とりわけその制度の存立根拠を考えるとき、時空を超越した(すなわちその歴史を無視した)演繹的な議論はしばしば無意味であることを、「サルゴフリー方式賃貸契約」の事例は我々に教えるものである。