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資 料
個別報告要旨(二〇二一xx〇月九日)
⑴ 第一部会
ア 「委任契約における受任者の指図遵守義務
│ 弁護士との委任契約における依頼者の指示を中心に」
信州大学准教授 x x x
─ 2 ─
受任者は原則として指図遵守義務を負う一方で、委任者の指図を受けることなく裁量をもって委任事務を処理することは委任の本質に適うといわれている。委任契約の中でも受任者の裁量が最も重視されるのが、弁護士との委任契約である。依頼者が明確に弁護士の裁量を限定する指示を行った場合に弁護士がこれを指図として遵守する義務を負うことは認められているが、依頼者は常に初めから明確な指示を行うわけではない。そこで裁判例には、弁護士がxx依頼者の指示に反する措置をとった場合でも、指示の不明確さを理由に依頼者の指示は指図ではないとすることで依頼者の指示に反する弁護士の裁量を基礎づけるものが見られる。また、裁判例には弁護士の依頼者意思確認義務を認めるものが見られるが、弁護士が裁量の枠内で依頼者の意向を顧慮すべきことを前提とした意思確認に過ぎず、必ずしも指図遵守義務と結び付いた依頼者意思確認義務を明らかにするものではない。本報告では、弁護士との委任契約を素材として、指図遵守義務と裁量との関係を考察する。弁護士との委任契約においても指図は委任者意思を給付 内容に反映させる手段として重要である。依頼者の指示が弁護士の裁量を限定する趣旨か否かが明らかでない場合には、指図遵守義務と結び付いた依頼者意思確認義務を基礎づける必要があるのではないか。従来、弁護士のxxな裁量は、受任者が裁量をもって委任事務を処理することは委任の本質に適うとする理論と、弁護士が依頼者から指図を受けることは弁護士独立の原則と緊張関係にあるとする理解により支えられてきたと考えられる。本
報告は、この二つの理論を通じて依頼者の指示に反する弁護士の裁量を基礎づけることの正当性について考察する。
弁護士との委任契約では、①依頼者の利益に決定的な影響を与える事項と②訴訟手続における法技術的な事項(準備書面作成の際の法的構成の選択など)とを区別して検討する必要がある。①の事項については、弁護士が指図遵守義務を負うことを前提に、依頼者の指示が不明確な場合の弁護士の依頼者意思確認義務を基礎づける必要があるのではないか。受任者の裁量に関する理論や弁護士独立の原則は依頼者意思の確認を不要とする根拠とはならないのではないか。他方、②の事項については、依頼者が訴訟期日において実現の見込みのない主張を行うように指示した場合を想定しつつ、依頼者意思の反映と訴訟手続の適正な進行とをどのように調整するかを明らかにする必要がある。本報告ではこうした考察を行う。
参考文献
xxx「委任契約における受任者の指図遵守義務(一)(二・完) │ 弁護士との委任契約における依頼者の指示に着目して │ 」民商法雑誌一五五巻三号五五頁以下、四号六三頁以下(以上、二〇xxx)
イ 「契約責任決定規範の多元性
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│ アメリカ契約法における
の発見を端緒として」
富山大学講師 x x x
わが国の契約法学においては、契約違反に基づく損害賠償責任の正当化根拠を「契約の拘束力」に求める見解が有力となっている。そこでは、帰責根拠は債務者が契約において約束したことを履行しないことに求められる。近年の債権法改正作業においてもこのような立場を採用することが検討されたが、結果として改正後民法四一xxx項ただし書は、契約責任の免責事由について「契約その他の債務の発生原因」とともに「取引上の社会通念」によって判断されると規定している。「取引上の社会通念」の内容や、「契約」との関係性については学説上議論が続いている状況である。
fault
一方、伝統的に厳格責任主義を採用するアメリカ契約法学においては、近年、契約法における の役割を見出そうとする議論が盛んになってい
る。特に、締結時に契約内容のすべてを決定するのではなく、ある程度長期にわたる契約期間の中で状況に応じて契約内容を詰めていくような事案で
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は、債務者が契約内容に反したことにとどまらない規範的要素( )が帰責根拠として機能していることが指摘されている。また、経済学的側面か
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ら、契約責任の決定、さらには損害賠償額の調整にあたって債権者の をも考慮すべきであることが説かれている。
─ 3 ─
債務者が契約に違反すればそのことをもってただちに契約責任が発生するとする責任判断構造は、形式的であるがゆえに迅速かつ安定した運用をもたらし得る。しかし一方で、そのような処理を文字通り徹底すれば、個々の具体的事案の妥当性への配慮に欠ける可能性は否定できない。伝統的に厳格責任主義に立つとされてきたアメリカ契約法においてでさえ、実際の運用では契約違反にとどまらない規範的な帰責根拠が考慮されているとの指摘があることは、合意を重視する立場を貫徹することの困難の証左であろう。
このように考えてくると、当事者の合意にとどまらない規範的要素が契約責任を決定するとして、それは具体的にどのようなものか、また、どのような契約類型においてかを問うことがヨリ重要になる。上記の問いに答えることは、「取引上の社会通念」概念が妥当する範囲を示し、「契約」と「取引上の社会通念」との関係性を明確にするための一助となろう。
fault
そこで本報告では、厳格責任主義を採用しながらも契約責任決定規範としての を積極的に評価する近時のアメリカ契約法学の整理・紹介を通
じ、契約責任を決定する規範的要素と、そうした規範的要素が妥当すべき具体的一場面を確定することを試みる。
参考文献
fault
xxx「契約責任決定規範の多元性 │ アメリカ契約法における
の発見を端緒として │ (一)〜(四・完)」北大法学論集六xxx号一頁以下(二〇xx
年)、七一xx号四三六頁以下、七二xx号二七〇頁以下、三号[刊行予定](以上、二〇二一年)
ウ 「人格権の処分についての本人の承諾の法的意義
│ フランス法との比較法的考察」
xx大学専任講師 x x x x
近年、スマートフォンやSNSの普及に伴って、肖像、氏名、音声、プライバシーに関する情報といった人格属性の客体の処分について本人が何らかの承諾を与える場面が増加している。たとえば、SNSに掲載する目的でスマートフォンを用いて他人の写真を撮影する場合や、一般人が企業の広報活動において自己の写真や動画をホームページに掲載することに承諾を与える場合などである。こうした場合について、本人の承諾及び契約の法的評価に関して、客体が人格的価値に関わるという特殊性を反映した基礎理論を構築することが重要な課題となろう。
─ 4 ─
このような関心から、本報告においては、第一に、フランス法では、人格権について財産権とは異なる独自の規律を設けようとする試みがあることに着目する。具体的には、不法行為や契約において、肖像、氏名、音声、私生活といった人格属性の客体の処分に関する本人の同意の有無や範囲を評価するときには、本人の意思的関与を重視するべきだとの規律が構築されている。さらに、人格属性の客体の利用に関する契約については、人格の尊重という理念から、契約の拘束力を緩和しようとする議論がある。たとえば、肖像の利用に関する契約は、損害賠償を支払うことで、本人による契約の撤回を認めるべきであると論じられている。これは、契約の客体の性質に着目することで、契約の拘束力に対して再考を迫る試みである。第二に、フランス法では、人格権概念を用いて考察することにいかなる意味が見出されているのかについても検討したい。
以上を踏まえて、日本法において、「人格の尊重」という理念が本人の承諾の法的評価においてどのように反映されるべきなのか、さらに、その承諾によって契約が成立している場合には、契約の拘束力を緩和する余地があるのかどうかについて考察したい。そのうえで、生命・身体と財産との関係において人格を位置づけることで、民法における人格権の位置づけについても示唆を得たいと考えている。
参考文献
xxxx「人格権侵害における被害者の承諾に関する基礎的考察 │ フランスにおける人格権保護法理の把握に向けて │ 」法学政治学論究xx八号六三頁以下
(二〇xx年)、同「人格権侵害における被害者の承諾の判断枠組 │ フランス法における人格権の保護法理との比較 │ 」法学政治学論究xx九号四〇七頁以下
(二〇xx年)、同「フランス法における違法行為の停止 │ 人格権の保護法理の構築に向けて │ 」法学政治学論究xx〇号二七五頁以下(二〇xxx)、同「フランス著作xxにおける撤回権 │ 人格権と契約の拘束力に関する分析のために │ 」法学政治学論究xx四号xx頁以下(二〇二〇年)、同「人格属性の客体に関する利用契約の任意解除権 │ フランス法における氏・肖像の利用契約の撤回可能性を巡る議論との比較(一・未完) │ 」xx法学六四xx号一頁以下[刊行予定](二〇二一年)
エ 「事実的基礎としての意思とその法的構成
│ サレイユ民法学における法学的なもの」
東北大学准教授 x x x x
人間の社会について、民法学は、「権利義務関係」としてそれを把握し、その主体たる「人」、客体たる「物」、発生原因たる「行為」、といった基本概念を用いてそれに考察を加えてきた。本報告では、このうち「人」すなわち法主体の概念及び「行為」すなわち法行為の概念について考察すべく、
Xxxxxxx Xxxxxxxxx
サレイユ( )の民法学がそれをどのように構成しているかということを検討する。
─ 5 ─
まず、法主体の概念については、特に二〇〇六年の公益法人制度改革や二〇一五年の最高裁判決が、その再検討を促しており、法行為の概念については、特に近時の契約法学説や二〇一七年の債権法改正が、その考察の重要性を高めていると思われるところ、サレイユの法人論や法律行為論を検討することは、法主体論や法行為論一般の観点からも、従来の日本の法主体論や法行為論を検討するという観点からも、法主体や法行為の概念について考察するために有益であると思われる。しかるに、従来の日本民法学において、法人本質論は久しく低調であり、サレイユの法人論の全体的・内在的な理解も十分に示されていないように思われる。また、xxxxの法律行為論についての理解は一面的・部分的であったと考えられ、サレイユの法律行為論は、契約を中心とする法律行為における意思の意義についての従来の議論に位置付けを与えるとともに異なる見方をもたらすものであると思われる。そこで、本報告では、主としてサレイユ民法学のテクストの内在的な検討を行い、第一に、サレイユの民法学がどのように法主体の概念を構成しているかを示すとともに、第二に、サレイユの民法学がどのように法行為の概念を構成しているかを示す。
さらに、法主体論と法行為論とは、事実の世界を法の世界へと媒介する概念を扱うものとして共通し、権利概念の二つの側面を扱うものとして連続し、意思の概念を扱う点において共通すると考えられるところ、サレイユの法主体論と法行為論とを検討することは、それぞれのテクストに同一の著者名が付されていることから、二つの議論空間の連関を考察するために有効な手段であると考えられる。そこで本報告では、法主体論と法行為論とに共通するxxxxという一人の著者を仮設し、両者を関連付けて考察する。具体的には、右の二つの各論を踏まえた総論として、第三に、法主体概念の構成と法行為概念の構成とに共通して見られる特徴として、意思の概念が事実的な基礎に基づきつつ法的に構成されたものであることを示すとともに、そのことの位置付けや意義を、隣接諸学と区別された法学の方法という観点からサレイユの法学方法論と対比することを通じて示す。
参考文献
xxxx「事実的基礎としての意思とその法的構成 │ サレイユ民法学における法学的なもの(一)〜(一〇・完)」法学協会雑誌xx七巻九号一六四四頁以下、一〇号xx六五頁以下、xx号二一〇六頁以下、xx号二二二八頁以下(以上、二〇二〇年)、xxxx二号四三九頁以下、三号六三〇頁以下、四号七一五頁以下、五号九三七頁以下、六号一〇六九頁以下、七号xx六三頁以下(以上、二〇二一年)
オ 「ドイツ売買論の現在 │ 判例・学説・立法の三位一体」
xx大学教授 x x x x
一 はじめに
本報告は、xxxxx・xxxxxxxとの二〇年にわたる共同研究の成果である、xx『ドイツ売買論集』(信山社、二〇二一年)に依拠するものである。そこでは、売買に関し、わが国では知られていなかった幾つもの論点を(わが国の新債権法解釈に敷衍する形でも)紹介したが、その中から、なるべく多くの論点を報告したい。たとえば、 │
二 特定物売買と種類売買との区別
書店やスーパーマーケットのようなセルフサービスの商店で客が商品をレジへ持って行って結んだ契約は、特定物売買か種類売買か。三 異なる物の給付保持
フォルクスワーゲンを売却したのに誤ってBMWを引き渡してしまったときは、買主はBMWを保持できるか否か。四 買主自身の瑕疵修補
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買主は、購入した新車のエンジンが故障していたため、第三者に修理させたが、その後に売主に修理費用を求償できるか否か。五 代物給付における使用利益返還
買主は、購入したオーブンのホウロウが剥がれていたため、代物給付を受けたが、欠陥オーブンの返還の際に、使用利益相当額も返還しなければならないか。
六 目的物取付け後の追完
タイルを購入して自宅の浴室に敷き詰めた後に、タイルが変色して欠陥品であることが判明した。買主は売主に対してタイルの代物給付に加えて①欠陥タイルを剥がす費用と②代物タイルを敷く費用を請求できるか否か。
七 おわりに
新法の欠点を学説が発見したり、裁判実務で思いも寄らない事案が現れたり、欧州裁判所の判断に司法・立法が影響されたり、幾多のドラマが債務法改正後の二〇年を彩った。そして、夥しい論点を判例・学説・立法が三位一体となって解決してゆく中で、ドイツ売買論は、債務法改正自体の水準をxxxに凌駕する発展を遂げたのである。わが国の新債権法の売買論が国際水準に達するかどうか、これからの二〇年が勝負だろう。
参考文献
xxxx『ドイツ売買論集』(信山社、二〇二一年)
⑵ 第二部会
ア 「フランスにおける信託的補充指定の歴史的考察」
神戸学院大学准教授 x x xxx
近時展開されている後継ぎ遺贈の有効性に関する議論は、単に後継ぎ遺贈の有用性に止まらず、遺言によってなしうる行為の限界に関する議論など、xx的な論点を提起している。このような議論の重要性は否定できないが、後継ぎ遺贈の無効説が通説的見解とされる現状に鑑みると、後継ぎ遺贈によって生じうる問題点を正確に認識することが求められる。しかしながら、日本の後継ぎ遺贈に関する判決はごく少数であるため(最判昭和五八年三月xx日判例時報一〇七五号xx五頁等)、現実における後継ぎ遺贈を把握し、後継ぎ遺贈から生じうる問題点を把握することは困難である。
したがって、後継ぎ遺贈に類似する処分方法を有する外国法を観察することには意味がある。かかる観点から、フランスにおける「信託的補充指定」
(信託的継伝処分)は重要な検討対象となりえる。ところが、フランスにおける現代の信託的補充指定を検討することも容易ではない。なぜなら、信託的補充指定は長きにわたり原則として禁止されていたため、そもそも信託的補充指定の概念を把握すること自体が困難だからである。
─ 7 ─
実際、フランスでは、フランス革命期に信託的補充指定が禁止されており、xx〇四年制定の民法典においても、信託的補充指定の禁止原則は維持され、若干の例外が認められるにすぎなかった。この状態は、二〇〇六年のフランス相続法改正によって信託的補充指定の禁止原則が緩和されるまで継続する。かかる状態において議論される信託的補充指定の定義は、禁止された結果無効とされるべき対象の外縁を画するものであるため、信託的補充指定の概念を把握するための手段としては適切でない可能性がある。したがって、フランス民法典制定後を前提にする限り、信託的補充指定そのものについて理解し、信託的補充指定から生じる問題点を理解することは困難である。
そこで、本研究では、フランス革命前の信託的補充指定が許容された地域における、信託的補充指定を取り上げる。これによって、信託的補充指定そのものを理解し、信託的補充指定によって生じる問題点を把握することを目指す。
参考文献
xxxxx「フランスにおける信託的な贈与・遺贈の現代的展開(一)〜(二・完) │ 『段階的継伝負担xx与』・『残存物継伝負担xx与』と相続法上の公序 │ 」民商法雑誌xx九巻四・五号四六六頁以下、xx九xx号六〇七頁以下(以上、二〇〇九年)、同「フランスにおける信託的補充指定の歴史的考察(一)
〜(五・完)」神戸学院法学四三巻三号六六九頁以下、四四xx号九五頁以下、四四巻二号四四一頁以下(以上、二〇一四年)、四五xx号xx七頁以下(二〇一五年)、四六xx号一頁以下(二〇一六年)
イ 「フランスにおける共有物の使用及び管理に関する規律の形成」
名古屋大学准教授 x x x x
日本の民法典は、第二編「物権」第三章「所有権」の下に、第三節「共有」というひとまとまりの規定群を置く。中でも、共有物の使用(二四九条)及び管理(二xx条、二五二条)に関する規定は、あらゆる「共有」に適用されると一般に理解されている。他方で、「共有」が生じる局面やそこでの考慮事情は、多種多様であると考えられる。本報告は、このような「共有」の多様性にもかかわらず、その使用及び管理の問題を統一的に捉えることが、そもそも/いかにして可能か、を検討する端緒をフランス法に求める。
フランス法は、民法典の規定中に共有に関する一般規定を持たない、という顕著な特色を有する。もっとも、だからといってフランス法(学)がお
indivision
よそ共有の観念を持たないわけではない。現在のフランス民法典八一五条以下に規定されている《 》は、共有に対応すると考えて差し支えな
─ 8 ─
いような定義を、講学上与えられている。そして、そこに含まれる使用や管理に関する規律は、日本における「共有」の規定と類比しうるものである。しかるに、民法典に共有の一般規定が存在しないにもかかわらず、いつから/いかにしてフランス法は、共有物の使用や管理に関する規律ともみなしうるものを構想することができたのか。本報告は、この課題に取り組むことを通じて、「共有」の一般規定としての使用及び管理に関する規定の存在が所与となっている日本法を相対化し、ひいては冒頭の問題意識への見通しを与えることを目指す。
「所有権」の体系の下で共有の問題を独自の領域として記述し、その中で共有物の使用及び管理の規律について系統的に論じたのは、xxxx中葉のオブリー=ローの体系書である。前述の法典の形式にもかかわらずそれが可能だったのは、次の三つの法学的蓄積が作用したからだといえる。第一に、
quasi-contrat de communauté
民法典成立前に著されたポティエの「共同関係準契約( )」論である。第二に、民法典のうち、相続、組合、役権の各章に配
された諸規定と、それぞれの解釈論とである。第三に、民法典成立後に著され、xxxxxxxが翻訳の対象とした、xxxxxによるフランス法教科書が採った枠組みである。
以上のようなフランス法の分節と統合の動態を分析することで、共有物の使用及び管理に関する規律の多元的な基盤を解明し、その一般性と多元性とを調和させるための方途を探りたい。
参考文献
xxxx「『共有』物の使用及び管理に関する規律とその多元性 │ フランス法の展開を素材として(一)〜(四)」法学協会雑誌xx七巻三号一頁以下、五号五九頁以下、七号九〇頁以下、八号一頁以下(以上、二〇二〇年)、xxxx九号[刊行予定](二〇二一年)
ウ 「時効援用権の理論構成に関する比較法的検討
ayant cause
│ フランス法における《
》概念の意義に照らして」
岡山大学専任講師 嶋 津 元
判例によると、ある権利義務に時効が完成した場合、当該時効によって直接利益を受ける者(直接受益者)が時効援用権を有する。しかし、当該直接受益者の意義は判然とせず、具体的帰結に疑義が呈される裁判例も存する。そこで、時効援用権者の範囲画定基準を定式化することが学説の重要な課題とされてきたが、ある重要な学説史の展開が見落とされてきた。
ayant cause
その一端となるのが、旧民法が、時効の完成した権利義務の直接の当事者の《 》に対して時効援用権を認めており、その中には現在の判
ayant cause
例が時効援用権を否定しているところの一般債権者や後順位抵当権者が含まれていたという事実である。確かに≪ 》概念は権利義務の譲受
ayant cause
人を意味する承継人概念と同視されるのが通例であるが、債務者から何らの権利義務も譲り受けていない一般債権者が債務者の《位置付けられていること等に照らすと、両概念は異なる概念であると考えられる。
》として
ayant cause
では、《 》概念はどのような概念なのか。例えば一般債権者について考えてみると、その債権回収可能性は債務者の資産の変動と連動する
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が、債務者の資産は債務者の行動、つまり、新たに権利を得たり義務を負ったりするという行動によって変動する。この意味において一般債権者は債
ayant cause
務者の行動に依存した利害を有している。《 》概念は、まさに右のような利害の依存関係を法的な関係性として掬い上げ、その利害の保護を
志向する概念である。フランス法において一般債権者が有するとされる時効援用権は、右の利害の依存関係の保護の一つとして位置付けられ、その他の時効援用権者が有するとされる時効援用権も同様の構造を有する。
opposable
右のような思考様式では、ある権利義務α の存在は他の権利義務βの当事者にとっても同様に存在するものとして認識される、つまり《 》
(対抗可能)であることが前提とされている。そうであるからこそ、α の当事者とβの当事者との間の利害の依存関係が特別な意味を持つわけである。しかし日本法においては、α における時効の効果の発生はβの存否を判断するための論理的前提として観念されているに過ぎないという指摘があるよ うに、フランス法と同様の思考様式が妥当しているかどうか、不明な点が残る。本報告では、右の思考様式の違いが時効援用権者の範囲画定の問題に与える影響を検討したい。
参考文献
ayant cause
嶋津元「時効援用権の理論構成に関する比較法的検討 │ フランス法における《
》概念の意義に照らして(一)〜(四・完)」法学協会雑誌一三七巻
二号三六頁以下、四号六三頁以下、六号八七頁以下、七号一六三頁以下(以上、二〇二〇年)
エ 「肖像の商業的利用を目的とする契約の規律」
関西大学准教授 隈 元 利 佳
肖像の商業的価値の法的把握は、二つの局面に分けて考えることができる。一つ目が、契約関係にない者による無断利用からの不法行為法上の保護の局面である。これについては、平成二四年に最高裁がパブリシティ権を承認し、その侵害判断基準を示したことによって判例法理が確立した。二つ目に、肖像の商業的価値を契約に基づいて利用する局面がある。この具体例としては、スポーツ選手とその所属球団との間で、選手のパブリシティ権について、独占的利用を許諾する契約が締結される場合がある。また、あるスポーツ選手を広告塔として起用したい企業が、当該スポーツ選手との間で肖像の利用を許諾する契約を結ぶ場合もある。このような契約における肖像本人の典型例として、他には芸能人やアイドル等が考えられる。しかし、無名人らの肖像写真によって構成されたカレンダーを、肖像本人に対価を払った上で販売することも、契約に基づく肖像の商業的利用と捉え得る。これらの例を含んだ、肖像の商業的利用を目的とする契約という領域が、本報告の検討対象である。この領域は、パブリシティ権の問題として典型的に想起される事例群よりも広いと報告者は考える。
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肖像の商業的利用を目的とする契約においては、たとえば当事者間において、過度に包括的な利用態様を定めた契約内容の有効性に関する紛争等が生じ得る。しかし、このような契約に関する規範を示した最高裁判決は未だないため、契約の規律は確立しているとはいいがたい。肖像権及びパブリシティ権は明文規定を有さないため、現状では、民法九〇条等による法律行為一般・契約一般を対象とする規範によることとなる。しかし、人格属性である肖像が問題となっているという契約の特徴を踏まえれば、契約一般に妥当するものよりも介入的な規律が求められるのではないか。そこで、本報告においては、肖像の商業的利用を目的とする契約に固有の規律のあり方を考察する。その際、肖像にまつわる多様な契約のうち、どの範囲の契約を、固有の規律を必要とする契約として括るのかという点に留意する。特に、パブリシティ権概念の中核である顧客吸引力は、固有の規律を基礎づける要素となるのか、ということに注目する。
本報告は、日本と異なり既にこの種の問題についての判例法理が存在するフランスを比較法の対象とする。ただ、フランスは、日本のパブリシティ権に相当する権利は判例法上承認せず、肖像権概念によって肖像の商業的利用に対する規律を行う。本報告では、フランスのこのような特徴に由来する幅広い問題類型から示唆を得ることを試みる。
参考文献
隈元利佳「肖像商業利用における契約法上の規律 │ フランス法の検討による序論的考察 │ 」関西大学法学論集七〇巻四号九三六頁以下(二〇二〇年)
オ 「債権関係における当事者の交代と旧当事者間における契約の効力
│ 債権譲渡を中心として」
名古屋学院大学准教授 山 岡 航
債権譲渡や契約上の地位の移転(民法五三九条の二)がなされると、債権関係における当事者の地位が、譲渡人のもとであったのと同一の状態で譲受人へ譲渡される。譲渡された法的地位は、従前の当事者間の事情、とりわけ法的地位の発生原因である契約との関係をなくさない。このことは、債権関係における当事者の交替という側面からは、旧当事者間における契約等の効力が新当事者へ及ぶということを意味する。しかし、その効力の及ぶ範囲や根拠は十分に明らかにされていないように思われる。
譲渡された債権の債務者は、一定の要件のもとで、譲渡人との契約にもとづく抗弁を譲受人に対して主張できる(民法四六八条一項)。この限りで旧当事者間の契約の効力が新当事者へ及ぶことになる。このことは、債権は譲渡人が有していた状態のまま、すなわち同一性を保って移転すること、および債権譲渡に関与できない債務者を害してはならないことから説明される。しかし、これら二つの根拠の関係、さらに前者のいう同一性の内容や射程は判然としない。
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他方、債権のみの譲受人は、譲り受けた債権の発生原因である契約の法定解除権を取得しないと解されている。この点では、旧当事者間における契約の効力は新当事者へは及ばない。ここには、法定解除権は契約当事者の地位にある者にのみ帰属するという理解がある。もっとも、この場面では債権譲渡が契約にもとづく地位の分裂をもたらしており、結論にかかわらず、契約当事者の地位との結合のみでは十分な論拠になるとは言いがたい。
本報告では、以上の問題意識から、債権関係における当事者の交替に際して旧当事者間における契約の効力が新当事者へいかに及ぶのかについて考察の端緒を開くべく、ドイツ法を参照し、個別の問題を検討する。もちろん、ここで問題となる契約の効力は多様であり、各々についての考察の結果は普遍性を有するとは限らない。しかし、新当事者への契約の効力という共通の位置づけのもとで、帰結に影響を及ぼす要因を明らかにし、検討のための視座を探ることはなお可能であり、また意味を有すると考える。
具体的には、債務者の関与がないままで行われるために関係者の利害が顕在化する債権譲渡の場面を対象とする。そのうえで、この特徴が表れやすく、かつ当事者の交替をもたらす諸制度の間で結論が異なるとされてきた問題として、右で挙げた債務者の抗弁の一つである相殺の抗弁(民法四六九条)の帰趨と、譲受人による譲渡人の法定解除権の取得の有無との二つの問題を取り上げる。
参考文献
山岡航「契約上の地位の移転と相殺の抗弁 │ 地位の移転にともなう不利益に関する一考察 │ 」同志社法学六七巻一号一五七頁以下(二〇一五年)、「契約上の地位の移転と解除権 │ 契約当事者概念を視野に入れて │ (一)〜(二・完)」名古屋学院大学論集社会科学篇五六巻四号一七頁以下、五七巻一号一二三頁以下
(以上、二〇二〇年)
カ 「費用賠償の二元的構造と遅滞責任」
中京大学准教授 上 田 貴 彦
契約債務の履行を信頼して支出していた債権者の費用が債務者の不履行によって無駄になった場合、債権者は、債務者に対して費用の賠償を求め、支出前の状態への原状回復を受けることができるか。当然に肯認されるように思える命題だが、履行利益賠償を中心に据えた伝統的な損害賠償理論からは、その真偽は必ずしも自明ではない。伝統的理解によれば、有効な契約債務の不履行(給付義務違反)に基づく民法四一五条の損害賠償は、履行利益の賠償である。契約の無効・取消し事例においては、いわゆる信頼利益の賠償としての無駄になった費用の賠償が認められてきたが、履行利益の賠償請求が可能である有効な契約債務の不履行においては、そこに信頼利益賠償を持ち出す意味はないと考えられてきた。しかしながら、右費用は、債務不履行がなくてもおこなわれていた債権者による自発的財産流出であるから、債務不履行を起点として契約の実現方向に向けた因果関係の中で利益状態の差として把握することができない。そこに履行利益賠償を中心に据えた伝統的パラダイムの限界がある。賠償を肯認すべきだとしても、契約の実現とは反対方向の損害賠償を契約拘束力からどのように正当化するか。そのための理論が求められる。
─
12 ─
そのスキームを思考する上で不可避の課題が解除との関係である。費用の賠償が契約の清算方向に向けられたものであるとすれば、それは解除とセットでのみ認められる損害賠償なのか。それとも契約を維持したままで請求可能なケースも想定して理論設計すべきか。両者の関係を紐解く一つの糸口が、遅滞責任としての費用の賠償に見つかる。これまでも費用賠償を扱った研究はあったが、念頭に置かれていたのは契約が終局的に実現されないケースであった。だが、履行遅滞または追完可能な契約不適合事例における費用の挫折に目を向けると、履行請求権と両立する費用賠償の可能性とその特異性が見えてくる。
他方、ドイツでも、これと同様の問題について、債務法現代化以前から判例法理と学説の蓄積が見られた。さらに債務法現代化によって費用賠償が条文化され、それによって障害は解消されたかのように思われた。ところが、遅滞責任としての費用賠償の可否をめぐっては、むしろ改正後になって学説の対立を招いている。その議論から見えてくる本質的課題とは何か。
本報告では、主に遅滞責任としての費用賠償に関するドイツの議論の考察を通して、日本法における理論化の端緒と今後の課題を探りたい。
参考文献
上田貴彦「遅滞責任としての費用賠償の可否とその特異性 │ 契約の巻戻しを目的としない原状回復的損害賠償 │ 」中京法学五四巻三=四号合併号四七頁以下
(二〇二〇年)、同「ドイツ給付障害法における費用賠償制度の概観 │ 契約利益賠償論の再構築を見据えて │ 」同志社法学三一〇号一二七頁以下(二〇〇六年)
⑶ 第三部会
ア 「株主代表訴訟の終了制度」
東京都立大学准教授 顧 丹 丹
日米を含む多くの国・法域では株主代表訴訟の一般的な有用性(主として取締役等の任務懈怠に対する抑止機能)とともに、その効率性に係る問題点(株主代表訴訟による取締役等への規律付けと株主の会社経営への不適切な介入とのトレード・オフの問題)が共通して認識されている。しかし、如何なる形で前者の機能を活用するとともに、後者の問題点に対応するかは国・法域あるいは時代によって異なり、株主代表訴訟制度を構成する法的ルールは多様化している。各国の株主代表訴訟の制度設計にみられる相違は法制度の経路依存性のほかに、コーポレート・ガバナンス・システムを構成する各制度間の機能的補完性、より具体的にはその構成要素の一つとしての株主代表訴訟の機能と位置付けにも関係すると考えられる。
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日本の株主代表訴訟制度は米国の当該制度をモデルとしながらも、異なる制度設計を採用しており、両国のコーポレート・ガバナンス・システムにおいて株主代表訴訟が果たしている機能およびその位置づけは異なる可能性がある。現行制度の合理性と効率性を評価するためには、コーポレート・ガバナンス改革の動向を踏まえて株主代表訴訟の機能と位置付けをより明確にする必要があろう。
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とりわけ株主代表訴訟の終了をめぐる諸制度に着目すると、現行制度は特に次の点において米国法との差異が顕著である。まず、提訴段階では定型的に定められた提訴要件さえ満たしていれば、個々の株主による訴訟提起が会社の利益を害する場合であっても、会社はそれを阻止することができない制度設計(会社法八四七条一項―三項)となっている。次に、会社の合併・株式交換等組織再編行為により従前の会社における株主の資格を失う者に対して、例外的に株主代表訴訟の原告適格を認めるための制度(会社法八四七条の二・八五一条)があるものの、これも形式的要件のみが定められており、代表訴訟逃れの目的の有無といった個別事案に即した実質的な判断を要しない制度設計となっている。加えて、和解により株主代表訴訟が終了する場合に、特殊な訴訟構造に由来する原告・被告の馴れ合いによる和解の問題に対応するために、訴訟上の和解に対する異議権が会社に留保されている(会社法八五〇条一項―三項)ものの、この異議権を実質的ならしめるためのルールは存在しない。現行制度にある合理性をどのように説明でき、また効率性において問題がないかは本研究の主な問題意識である。
本研究は以上の問題意識に基づき、日米における株主代表訴訟の利用実態を踏まえその機能と位置付けを検討したうえで、株主代表訴訟の終了をめぐる法的ルールを対象として制度の機能分析を重視した比較法的検討を行う。
参考文献
顧丹丹『株主代表訴訟の終了制度』(成文堂、二〇一八年)、同「代表訴訟の社会的効用と早期終了制度」法律時報九三巻九号一六頁以下(二〇二一年)
イ 「中国における親会社の支配力行使に伴う責任に関する一考察
│ 日本法、アメリカ法との比較を通じて」
SBI大学院大学准教授 盧 暁 斐
企業結合法制において、親子会社に利益衝突が生じた場合にどのように子会社とその少数派株主の利益を保護するかは最も重要な課題である。本報告は、子会社少数派株主保護の観点から、伝統的な会社法を修正する方向で、親会社の子会社に対する支配力行使に伴う責任のあり方を考察するものである。本報告は、主に①親会社の不当な支配力により生じる子会社に対する損害賠償責任規制、および②親子会社間の利益相反取引の公正を確保する承認手続と実質的な公正基準について、アメリカ法、日本法との比較を通じて、中国法における妥当な法規制を検討する。
アメリカ法(主にデラウェア州法)では、かかる問題は判例法上の支配株主の信認義務により対処され、親子会社間の利益相反取引には厳格な「完全な公正」基準が適用されているが、裁判所の自由裁量範囲が広く、支配株主の認定範囲、信認義務の適用対象、そして親子会社間取引の公正の判断基準等は必ずしも明確ではない。
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日本法では、親会社の子会社に対する責任について従来から活発的に論じられてきたものの立法上の進展が遅い。近時、グループガバナンスに関するソフトローの発展を背景に、子会社少数株主の利益保護の重要性が再び認識された。そこで、従来の学説上の議論を踏まえ、アメリカ法を参考しながら、親会社の責任規制の立法論と親子会社間取引の公正に関する判断基準を検討する。
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中国では、親会社の子会社に対する不当な支配力行使については、明文化された支配株主の責任規制によって対処されている。しかし、かかる規制には理論的な根拠の曖昧さや責任要件等の不明確により、子会社少数派株主の利益保護に十分ではない。アメリカ法と日本法の検討を通して、中国での親会社の不当な支配力行使により生じる親会社、親会社取締役、子会社取締役の子会社に対する損害賠償責任を具体的に分析し、次のように主張する。かかる責任の理論的な根拠としては、支配株主の信認義務よりも、不法行為責任という解釈論が現行法と整合的である。また、グループ経営を配慮しつつ、親会社の責任規制の実効性を高めるために、当該責任を過失責任としつつ、無過失の立証を親会社に負わせるという構成が妥当である。他方、親子会社間取引の公正性を保つため、独立性のある承認による法的効果を明確にし、実質的な公正基準として、独立当事者間取引基準を明文化せずに司法解釈である程度の範囲を画定すべきである。このような検討は、日本法上の親会社の責任規制の構築にも示唆を与えると考える。
参考文献
盧暁斐「中国における親会社の責任に関する法規制と問題点 │ 親子会社間利益相反取引を主として │ 」SBI大学院大学紀要七号一四七頁以下(二〇一九年)
ウ 「会社における当事者自治の可能性と限界
│ ドイツにおける人的結びつきの強い会社を中心として」
北海道大学准教授 三 宅 新
人的会社において当事者自治はどこまで認められるか。ドイツ法における、①会社形態の選択、②定款の内容、③議決権行使、④自己決定権から示唆を得て検討する。
① 会社設立者は、会社形態の選択が自由であり、それは適用ルールの選択を意味する。しかしドイツでは、株式法を嫌って公開人的会社が用いられたため、裁判所はそこに株式法を準用した。さらに、裁判所が特定の会社形態を宛がう法形式強制の法理がある。このように、会社形態の選択による特定のルールの適用は、必ずしも保護されない。
② 総論として、会社と社員の立場の違いから、裁判所が定款内容に介入する内容規制の法理がある。各論として、まず調査権は、有限会社社員には強行法規的に与えられていながら、合資会社の有限責任社員には制限的にしか与えられていないため、合資会社に有限会社法の類推適用が主張されている。次に退社権は、法定の解散告知権の排除が認められない反面、除名条項や補償条項の創設が認められている。以上より、約款のように、定款における交渉の余地が解釈に反映したり、全体的な事情から強行法規の柔軟な解釈がなされたりしている。
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③ 議決権行使には、社員の誠実義務から裁判所が干渉し得るところ、派生して賛成等を裁判所が強制する同意義務という法理が登場する。さらに、予め多数決の内容を定款に定めなければならない特定性の原理という法理が人的会社で用いられている。このように、社員の権利は、文言上認められている形式的な範囲を超えて存在している。
④ 社員個人に関しては、代理権者にその決定内容に関する判断を完全に委ねることはできないことが確立している。他方で社員総会に関しては、固有の決定権を放棄することは認められないが、自己機関制度は人的会社でも絶対的に維持されるべきものとは考えられていない。このように、放棄できない自己決定権という視点が影響を及ぼしている。
ここから日本法における提言が導かれる。まず会社形態の選択に関しては、持分会社が濫用的に使われた場合、株式会社の規律を準用し得る。次に、定款については、そこに約款法理が用いられる解釈論が考えられ、具体的な内容としても、調査権に関しては、持分会社の広くなった定款自治が組合契約にも当てはまり、退社権に関しては、やむを得ない場合の組合の退社権は強行的とする判例に拘わらず、払戻しに猶予を与える等の柔軟な解釈も採り得る。議決権行使の局面では、解散判決の要件を満たす場合に同意義務による事態の解決を導くべき場面がある。最後に、自己決定権の立場から、議決権行使を半永久的に他人に委ねて自らの決定権を放棄する議決権信託は認められない反面、専門性や効率化のために第三者機関を認める立法論の余地がある。
参考文献
三宅新「会社における当事者自治の可能性と限界 │ ドイツにおける人的結びつきの強い会社を中心として(一)〜(六・完)」法学協会雑誌一三六巻一二号二六五五頁以下(以上、二〇一九年)、一三七巻一号一〇五頁以下、二号一三七頁以下、三号四六二頁以下、四号五一五頁以下、五号六三九頁以下(以上、二〇二〇年)
エ 「金融機関の融資局面における情報提供義務
│ 社債管理者の抱える複数義務の衝突・利益相反的局面への対応」
日本大学准教授 鬼 頭 俊 泰
本報告は、錯綜する利害関係人間において金融機関が置かれている立場を、デフォルト前後による規律の切り分けや規律対象となる利益相反が明確に規定されていない社債管理者が置かれている状況を手掛かりとして、金融機関の負う民事責任という観点から分析する。
会社法は、社債発行会社に貸付債権を有する金融機関を社債管理者の欠格事由と規定していないことから、社債管理者となったメインバンクは当該地位を利用して入手した情報をもとに社債権者よりも先に「抜け駆け回収」することが可能となる。つまり、貸付債権を有する社債管理者は、社債権者と借入人でもある社債発行会社との間で潜在的利益相反関係に立つこととなる。
会社法上、社債管理者は社債権者に対して、会社法所定の各種権限(七〇五条)および約定権限を適切に行使しなければならない善管注意義務(七
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〇四条二項)や、社債権者を公平に扱い、自己または第三者の利益と社債権者の利益が相反する場合に自己または第三者の利益を優先してはならないとする誠実義務(同条一項)を負っている。一方、社債管理者である金融機関が社債発行会社に貸し付けをしている場合には社債発行会社に対して守秘義務も負っているため、社債管理者は潜在的利益相反性を有するとともに、錯綜する利害関係人に対する複数義務の間でも衝突が発生することとなる。潜在的利益相反性を有し、多数の利害関係者に対する複数義務が衝突している状況は、シンジケート・ローンにおけるアレンジャーにおいても発生しており、社債管理者の負う責任を検討するにあたって有用である。
本報告では、まず社債管理者制度創設に当たって模範とした米国信託証書法を紹介する。同法は、社債発行会社によるデフォルト前後で規律を切り分け、原則としてデフォルト前に受託会社が社債発行会社に対して貸付を行うことは利益相反に当たらず、デフォルト後では社債発行会社の債権者となることが利益相反にあたるとして受託会社に就任することを禁じている。次に、シンジケート・ローンにおけるアレンジャーの情報提供義務という問題を取り上げ、社債管理者と同様に潜在的利益相反関係にある状況下で複数義務が衝突している局面を分析する。そして、社債制度においてどのような場合に金融機関が法的義務を負担すべきなのか、あるいは負担する必要がないのか、そしてどのような法律構成によってそれを具体化すべきなのか、判断枠組みを提示しようとするものである。
参考文献
鬼頭俊泰「金融機関の融資局面における情報提供義務に関する一考察」日本法学八〇巻一号三九頁以下(二〇一四年)、同「イギリスにおけるシンジケート・ローン │ 日本法との比較を手掛かりに │ 」日本法学八一巻四号一七五頁以下(二〇一六年)
⑷ 第四部会
ア 「株主総会決議の積極的確認」
近畿大学教授 藤 嶋 肇
本報告は、株主総会において瑕疵ある「否決の決議」が行われた場合に株主の利益を保護する手段としての「積極的決議確認の訴え」について、ドイツ法上の議論を参照して、我が国会社法の解釈上も当該訴えが実現可能であることとその法的性質を明らかにするものである。
ドイツ株式法における積極的決議確認の訴えとは、違法に否決された株主総会の決議に対する取消しの訴えに法的な決議の結果を補充するものと解されている。明文の規定はなく、解釈によって認められることに異論はない。
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ドイツ株式法上の株主総会の瑕疵ある決議に対する取消しの訴え(ドイツ株式法二四六条)と無効確認の訴え(ドイツ株式法二四九条)は、いずれも決議の無効を裁判を通じて宣言することに向けられている。つまり争われている瑕疵ある株主総会決議が否決の決議の場合、取消しおよび無効確認の訴えが認容されたとしても、瑕疵がなかったならば成立したであろう決議の成立は認められない。瑕疵ある否決の決議が取り消されたならば、確かに新たに当該事項について決議をする余地は生ずる。しかし、①当初の決議の時点における多数派が、再び決議が行われる時点でなお多数派を維持しているとは限らないこと、②改めて同一内容の株主総会決議が行われたとしても、決議の効力が当初の決議の時点には遡及しないという点から、株主に対する法的保護の欠缺が生じる。そこで、株主の法的保護の欠落を埋めるために、取消しの訴えと積極的決議確認の訴えが結び付けられることとなったのである。
積極的決議確認の訴えの法的性質については、ドイツ民事訴訟法二五六条にもかかわらず、形成の訴えと解するのが判例・多数説である。その理由として、積極的確認の訴えは、すでに存する法律関係の確認ではなく総会議長に告知された決議の内容的変更を伴うものであるから形成的効力を有するということ、また、決議取消しの訴えとの緊密な関係から、原告の法的保護がより容易な方法で可能なこと、さらに、提訴の要件等を類推することにより法的安定性を守ることができることが挙げられている。
我が国において、判例はある議案を否決する株主総会等の決議の取消しを請求する訴えは不適法であると解する。しかし、ドイツと同様、瑕疵ある否決の決議に対しありうべき決議の成立の確認を認める必要性は存すると考える。また、積極的決議確認が認められるならば、早期確定・第三者保護の必要性はあり、株主総会決議取消しの訴えの規定の類推適用の基礎は存する。
以上を踏まえ、本報告では現行法上許容されている紛争解決方法との利害得失を比較しつつ、瑕疵ある否決の決議に際してありうべき決議の成立の確認を裁判上求めることができる根拠を明らかにする。
参考文献
藤嶋肇「ドイツ株式法上の積極的決議確認の訴え」近畿大学法学六七巻三・四号一六三頁以下(二〇二〇年)
イ 「合併差止めの要件の検討 │ ドイツ法の展開から」
立命館大学准教授 木 原 彩 夏
合併差止制度における差止請求の要件は、略式合併以外の合併においては、合併が法令又は定款に違反し、かつ株主が不利益を受けるおそれがあることである(会社法七八四条の二、七九六条の二、八〇五条の二)。但し、これらの要件の具体的な適用において、いかなる場合に合併差止めを認めるべきか、という点が明確にされているとは言い難い。
Freigabeverfahren
本報告では、わが国における合併差止めの要件を検討する上での素材として、ドイツにおける登記許容手続( )とそれをめぐる議論
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を取り上げる。ドイツにおいては、合併登記の申請の際に、合併承認決議の瑕疵を争う訴えが係属中でないことを表明しなければならないという制度となっている。これにより、合併承認決議の瑕疵を争う訴えが提起されていれば、合併の登記ができないこととなる。しかし、この制度を濫用する株主があらわれたため、例外的に裁判所が合併を登記することができるか否かを判断する手続に関する規定が設けられた。この手続を登記許容手続という。この登記許容手続においては、合併承認決議の瑕疵を争う訴えが不適法であるか又は当該訴えに明らかに理由がない場合のほか、合併承認決議に係る法律違反が特別に重大であるときを除き、合併を実行できないことによる会社の不利益が、(合併承認決議の瑕疵を争う訴訟の原告である)株主の不利益を上回るといえる場合にも、合併の登記をすることが認められる(後者のルールを定めた規定は利益衡量条項と呼ばれる)。しかし、合併承認決議に瑕疵がある場合であっても、会社の不利益と原告株主の不利益とを比較衡量して合併の実行を認めるか否かを判断する、という利益衡量条項は、その導入時から条項自体の当否も含めて激しい議論を巻き起こした。その後も、とりわけ利益衡量の具体的なあり方をめぐる議論が展開されている。
本報告では、ドイツ法の制度及び議論から導き出される示唆をもとに、わが国の合併差止めの要件の具体的な適用についての検討を試みる。
参考文献
木原彩夏「合併差止めと株主の保護・合併実行の利益(一)〜(六・完)」法學論叢一八三巻五号六八頁以下、一八四巻三号五四頁以下(以上、二〇一八年)、一八五巻四号八二頁以下、六号八四頁以下、一八六巻二号七五頁以下(以上、二〇一九年)、一八六巻四号二七頁以下(二〇二〇年)
ウ 「会社法三五〇条の制度趣旨に関する一考察」
熊本大学准教授 髙 木 康 衣
会社法三五〇条は、平成一七年七月二六日に公布された「会社法」(平成一七年法律第八六号)において、改正前商法二六一条三項・七八条二項、平成一八年改正前民法四四条一項、旧有限会社法三二条に由来するものとして明文化された。
会社法三五〇条の運用状況について、損害を生じさせた行為態様別に検討した場合、代表者の行為が会社に対する任務懈怠ともなる場合と、純然たる第三者に対する不法行為である場合との区分によれば、前者は会社法四二九条責任と重なりあう問題として日本システム技術事件判決以降議論されている。
また、損害を受けた第三者の類型別に概観すると、取引の相手方、消費者、従業員、役員、投資家、株主と多岐に渡るところ、株主が第三者である場合に同条の適用が認められるかが会社法上重要な問題となる。この点、同条が報償責任であるとの通説的見解に立ち、株主は同条による救済の対象とはならないとの見解も存在する。
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しかし、改正前民法四四条の趣旨を示す民法第一議案四六条一項に関する資料等からは、同条を法人の代表者がその職務を行うにつき第三者に与えた損害に対する法人責任を認め、個別の被害者の救済を図ろうとしたものと考えられる。会社法三五〇条も同じく個別の被害者救済のために、法人以外の全ての第三者に対する法人責任を認める趣旨の規定であるとすれば、株主を第三者として含めるべきかの検討にあたっても、対象となる第三者については原則として株主を含むものの、例外的に制限される場合もあると解することが望ましいのではないか。全ての株主を第三者から排除することとなれば、支配株主による少数株主への悪質な権利侵害事案においても同条の適用が否定されることになる。他方、株主による責任追及を無制限に認め、株主に対する払い戻しの禁止という原則に抵触することで全体的な債権者保護の機能が弱められることも妥当ではない。
本報告は、改正前民法四四条の制定時における同条の制度趣旨を参考に、近時の会社法三五〇条についての事例の分析から同条の限界を考えつつ、同条を会社責任の主要な根拠規定として位置づけようとするものである。
参考文献
髙木康衣「会社法三五〇条の責任 │ 債権者別にみた運用事例と令和元年改正との関係について」砂田太士・久保寛展・高橋公忠・片木晴彦・德本穣編『企業法の改正課題』一九七頁以下(法律文化社、二〇二一年)、同「中小企業におけるパワハラ・セクハラと会社法三五〇条の適用」水島郁子・山下眞弘編『中小企業の法務と理論労働法と会社法の連携』三一六頁以下(中央経済社、二〇一八年)、同「会社法三五〇条における「代表者」の意味」丸山秀平・中島弘雅・南保勝美・福島洋尚編『永井和之先生古稀記念論文集■企業法学の論理と体系』四二三頁以下(中央経済社、二〇一六年)
エ 「準共有株式についての権利の行使に関する規律」
大阪市立大学准教授 仲 卓 真
本報告は、株式が準共有されている場合における当該株式についての権利の行使に関する規律について検討するものである。
いわゆる同族会社においては、その大株主が死亡して相続が開始すると、その株式が遺産分割までの間、複数の共同相続人によって準共有されることがあり、ときにはその株式についての権利の行使に関して共同相続人間で争いが生じることもある。そして、その争いは、会社ひいてはその従業員や取引先等の利害関係者にも大きな影響を及ぼしうる。このような場面が、株式が準共有される場面のうち特に問題が生じやすいものとして現在一般的に想定されている。
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会社法一〇六条は、準共有されている株式についての権利の行使を規律しており、このような事案にも適用される。しかし、そもそも会社法一〇六条が何のために設けられた規定であるのかは十分には明らかにされていない。従来、会社法一〇六条の目的として挙げられてきたのは、会社の事務処理上の便宜という目的であり、これは、本条の解釈論の根拠としてもしばしば援用されている。しかし、その会社の事務処理上の便宜が具体的に何を指すのかは明らかではない。その結果として、学説は説得的な解釈論や立法論を提示することができず、裁判所もこの規定を形式的に適用せざるを得なくなっている。そこで、本報告では、その解釈論や立法論を提示するための前提となる会社法一〇六条の目的を明らかにすることを試みる。
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また、会社法一〇六条自体は、前述のような株式が共同相続される事案以外にも適用されるものであるが、実際に問題が生じやすいのは、株式が共同相続される場面である。判例や学説も、そのような場面の紛争をどのように処理するのかに腐心してきた。例えば、一部の裁判例や学説は、権利行使者の指定に関する規律として多数決説を採用した上で、その指定の手続への準共有者全員の参加の機会もしくは協議を保障すること、または、一定の議題について準共有者全員の同意を要求することによって、「妥当な解決」を図ろうとしている。しかし、これらの規律が円滑な事業承継を実現するために望ましいのか、他により望ましい規律が存在するのかについては十分には検討されてこなかった。そこで、本報告では、このような点について検討し、その中で、各準共有者による不統一行使の主張を認めるという規律について検討を行う。
参考文献
仲卓真『準共有株式についての権利の行使に関する規律 │ 事業承継の場面を中心に』(商事法務、二〇一九年)
オ 「日仏の比較からみた暗号資産の法的位置づけ」
西南学院大学准教授 原 謙 一
トークンとは、情報の暗号化技術、暗号化した情報を送信する通信技術(ピアツーピア)及び送信された情報をネットワーク上に記録する技術(ブロックチェーン)などで実現される。これらの技術によって、ある者がインターネット上にトークンの保有者と記録されることで、その保有が承認され、そこに財産的な価値が見いだされる。このトークンは決済利用のほか、投資対象となる場合も多く、近時は一定の権限を表章する利用方法にも大きな注目が集まっている。
以上のような決済利用を想定する資金決済法上の定義によれば、トークンを暗号資産と呼ぶことになる(同法二条五項、旧名称は仮想通貨)。また、トークンが投資対象となる場合、金融商品取引法の規制を受ける有価証券の側面もある(同法二条三項)。このように、トークンは多様な利用が可能な無体の技術的複合であり、前記のような業法による規律がなされるものの、すべてのトークンがあらゆる法律の領域で明確に規律されたわけではない。特に、トークンが私法領域でどのような法的性質と理解され、どう扱われるべきかという問題はいまだに議論がなされている。本報告は、トークンについての業法上の名称にならって、これを「暗号資産」と称し、前記の問題につき検討をするものである。
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この問題点に関する下級審裁判例では、「暗号資産」が少なくとも所有権の対象とならないと指摘されている。また、学説は、「暗号資産」に対して財産権を承認する立場のほか、これに財産権を明確に認めない立場(ここには財産権を完全に否定するものだけでなく、合意を重視することで財産権の存在を必ずしも前面に置かない理論構成を試みるものも含む)まであり、一致を見ていない。そこで、無体の財を物権法的な規律に取り込むフランス法を参照し、以上の問題に関する議論状況を辿ることで、そこで展開されてきた「暗号資産」に対するアプローチを分析・検討し、今後、日本の私法の中で「暗号資産」をどのように位置づけるべきかという方向性を絞り込むことが本報告の目的である。
このような新たな財に関する検討は、その財へ一貫性ある理論的な背景を与えることで、実務上の問題解決の指針となるという現実的な利益を生じるだけでなく、私法領域において今後登場し得る新たな財をいかに法的に規律し、位置づけていくのか(法の世界に登場して間もない財が、その意義を失わず社会に定着した場合、それに対して法がどのように応接すべきなのか)という手がかりを与えるものと考える。
参考文献
原謙一「仮想通貨(暗号通貨)の法的性質決定及び法的処遇 │ ビットコインを中心として │ 」横浜法学二七巻二号七九頁以下(二〇一八年)、同「日仏の比較における暗号資産の法的位置づけに関する今後の方向性」横浜法学三〇巻一号[刊行予定](二〇二一年)
カ 「共同担保概念の民法上の意義
patrimoine
│ フランスにおける資産(
)概念をめぐる議論を通じた考察」
神戸大学准教授 瀬戸口 祐 基
民法学上、金銭執行の対象となりうる債務者の総財産を「共同担保」と呼ぶことがある。この表現は旧民法債権担保編一条に由来するものであり、同条の下では、共同担保概念は、ひとりの法主体に帰属するあらゆる財産が同人に帰属するあらゆる債務のために金銭執行の対象となりうるという規律(以下「共同担保に関する規律」という。)を含意するものであった。同条に対応する規定は現行民法の下では存在しないが、この共同担保に関する規律自体は現在も妥当するものとして受けとめられている。
旧民法債権担保編一条はフランス法に由来するものであり、もととなったフランス民法典二二八四条(旧二〇九二条)及び二二八五条(旧二〇九三
patrimoine
条)も同内容の規律を定めている。そして、フランスでは、この規律は、一九世紀に形成された「資産(活発な議論の対象となってきた。
)」という講学上の概念との関係で、
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そこではとりわけ、ある法主体に帰属する一部の財産が同人に帰属する一部の債務のためにのみ金銭執行の対象となりうるような、共同担保に関する規律によっては直接には説明できない局面を、この規律との関係でどのように位置づけるべきかが論じられてきた。近時も、こうした局面を新たに
fiducie
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認める制度として、二〇〇七年に信託制度に相当するフィデュシ( )制度が、二〇一〇年に個人事業者の有限責任を法人化を要せずして実現す
EIRL
るための制度である有限責任個人事業者(なっている。
)制度が、それぞれ導入されたことに伴い、これらの制度と共同担保に関する規律との関係が問題と
そうした中、共同担保に関する規律を民法上の原則として位置付けたうえで、フィデュシ制度や有限責任個人事業者制度のようなものをこの原則に対する例外を認めるものとして位置付けるのが、一般的な理解となっている。こうした理解が共有されている背景には、共同担保に関する規律が、種々の例外の下での特別な規律が及ばない限りは一般的に適用されるものであること、そしてそのためもあって、相続の場面をはじめとして法体系上様々な場面において前提とされていることがあると考えられる。
本報告では、フランスにおける資産概念をめぐる議論を検討することを通じて、フランス民法の下での共同担保に関する規律の右のような原則性を明らかにし、日本民法の下で同様の規律を含意する共同担保概念の意義についての示唆を得ることを目指す。
参考文献
patrimoine
瀬戸口祐基「共同担保概念の民法上の意義 │ フランスにおける資産(
)概念をめぐる議論を通じた考察(一)〜(六・完)」法学協会雑誌一三五巻一
号一頁以下、三号四〇三頁以下、五号一〇三〇頁以下、七号一五九九頁以下、九号二〇九七頁以下、一一号二五五一頁以下(以上、二〇一八年)