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最近の裁判例から
⑻−消防法規制の説明−
消防法の規制によって賃貸対象物件が事業目的として利用できないとする借主の訴えが棄却された事例
(東京地判 令 3・11・29 ウエストロー・ジャパン) 西崎 哲太郎
クリニックを開業する目的で事業用建物賃貸借契約を締結した借主が、消防法の規制により開業できないことが判明したとして、入居前に契約を解約して貸主に敷金返還や損害賠償を求めたが、契約に先立ち所轄消防署に対する事前の照会を怠ったことは借主側の重大な過失であるなどとして棄却された事例
(東京地裁 令和3年11月29日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
平成31年3月26日、医療法人X(原告)は、クリニックを開業する目的で貸主Y(被告・非宅建業者の法人)との間で10階建てビルの
8階部分204�48㎡について事業用賃貸借契約を締結し、敷金1175万円を含む1322万円の初期費用を支払った。
本件ビルの建築当時(平成3年)、10階の高さは31mを超えていることから、条例により10階部分についてスプリンクラーの設置義務があったが、1階から10階までの各階に設置されている屋内消火設備を維持することなどを条件に、10階部分のスプリンクラー設置を緩和する特例措置(東京都火災予防条例47条(基準の特例))を当時の本件ビル所有者が所轄消防署に申請して認められていた経緯があった。
しかし、Xが8階フロア全部にクリニックとして入居する場合には、面積割合の問題から本件ビルが複合用途防火対象物となって入居前と異なる規制が課せられることとなり、
その結果、関係法規に適合するようにするためには、①全館屋内消火栓設備に非常用電源設備(費用見積1300万円強)を設置するか、
②クリニックとして使用する範囲を10㎡程度減床して、当該10㎡に機能的にクリニックから独立した区画を設けることにより複合用途防火対象物に該当しないようにする必要があるということが本件契約締結後に判明した。令和元年6月20日、Xは、本件契約の目的 が達成できないとして、本フロアに入居する前に本件契約を解約する旨、Yに通知した。 Yは、同年7月19日、本件契約の特約であ る開始前解約条項に該当するとして、受領済の敷金等初期費用から違約金881万円を控除
した440万円余のみをXに返還した。
Xは、Yに対し、主位的に本件契約の原始的不能や錯誤無効、予備的に瑕疵担保責任や不法行為責任を主張し、未返還敷金881万円のほか、開業目的で支出した電子カルテや医師スタッフ人件費等、総額4113万円の支払いを求めて本件訴訟を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示して、Xの請求を棄却した。
[原始的不能及び錯誤無効について]
本件建物の屋内消火栓設備に非常電源を設置すれば条例47条の特例の適用を改めて受けることができるし、クリニックとしての面積を10㎡程度減床すれば、そもそも本件建物が複合用途防火対象物に該当することはなく、
本フロアをクリニックとして利用することができたのであるから、多額の費用が必要なことを考慮しても、本件契約締結時に本件契約が原始的に不能ということはできない。
また、Xが所轄消防署に照会をすれば、本件建物が条例47条の特例の適用がされている建物であることについて、また、用途変更に伴い条例47条の特例の適用を改めて受けるには相応の対応が必要となり得ることを容易に知り得たものと認められるから、本件契約を締結したことについて、仮に動機の錯誤があったとしても、本件契約の締結に先立ち、所轄消防署に対する事前の照会を怠ったことは、X側の重大な過失というべきである。
[瑕疵について]
本件契約締結時の状況に照らして、Xが本フロアにおいてクリニックを開業するという本件契約をした目的を達成することができなかったとは認められない。
[設置義務違反ないし告知義務違反について]消防法2条及び17条1項によれば、消防用
設備についての設置・維持義務を負う関係者は、所有者、管理者又は占有者をいうところ、所有者であるYと、本フロアに入居することにより占有者となるXのいずれが当該義務を負うかについては、その費用負担を含めて、本件契約上、明記されていない。
本件契約において、賃貸借の目的物の種類は事務所とされていること、使用目的については、Xの使途を義務付けるものであって、 Yに何らかの義務を負わせる規定とはなっていないことなどからすると、消防用設備等の設置義務ないしその費用を負担すべき者がYであるということを、本件契約の解釈として直ちに導き出すことは困難である。
本件においては、条例47条の特例の適用があり、用途変更を伴う場合には改めて特例の適用を受ける必要が生じることが特別の事情
であったことは認められるものの、当該事情について、敢えて賃貸人に調査義務を負わせることは相当ではなく、新たに服すべき法、令及び条例等の規制を満たすための費用を負担させることも相当ではない。
本件契約においては、本件建物が条例47条の特例の適用のある物件であったことを含めて賃借人が調査すべきであり、Yにおいて格別に告知義務があるということもできないし、屋内消火栓設備に非常電源を設置することが、唯一の方法であるという意味で、必要であったとか、義務であったとまではいうことができないことからすると、Yにおいて当該設備の設置が必要なことを告知すべき義務があったということもできない。
3 まとめ
消防法等の関係法令の規制は複雑で、借主事業者の使用目的や用途変更の結果、規制に抵触する場合が有り得る。
事業用賃貸物件を取り扱う媒介業者においては、契約前に借主に対して「借主の事業目的に適合するかどうかは、法令上の制限の有無を含めて、借主の責任と費用負担において建築士等の専門家に確認を行う必要がある」旨のアドバイスを行っておくことが重要と思われる。
本事例に類似する事案に、東京地判令元・
7・4 RETIO119-150、東京高判令3・ 9・
15 RETIO124-166があるので参考にされたい。
(調査研究部上席調整役)
最近の裁判例から
⑼−定期建物賃貸借契約の有効性−
定期建物賃貸借契約の再契約にあたり、契約開始日が契約締結日前であることで、38条書面の有効性が争われた事例
(東京地判 令 3 ・12・23 ウエストロー・ジャパン) 大嶺 優
貸主が、借主との間で再契約した賃貸借契約は、定期建物賃貸借であり、その期間満了により契約が終了したにもかかわらず、借主が建物を明け渡さないと主張し、借主は、契約期間の始期が契約締結日以前であり、38条書面の交付説明が契約始期後のため、定期建物賃貸借は有効に成立していないと主張し争われた事例で、貸主の、借主に対する建物の明渡し等の請求が認容された事例(東京地裁令和3年12月23日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
X(原告)は、平成22年6月15日、Y(被告:法人)との間で、Xの所有する建物(本件建物)につき、以下の内容の賃貸借契約(本件旧賃貸借契約)を締結し、Yに対し、本件建物を引き渡した。
・賃貸借期間 平成22年6月15日から平成28年6月14日まで
・賃料 月額50万円(別途消費税)を毎月末日限り翌月分を支払う。
・特約 本件旧賃貸借契約は,法38条に定める契約の更新のない定期建物賃貸借とする。
Xは、平成22年6月15日、Yに対し、本件旧賃貸借契約の締結に先立ち、本件旧賃貸借契約が更新のない定期建物賃貸借であることについて、その旨を記載した書面を交付した上で説明した。
Xは、当時の仲介会社が定期賃貸借契約の
終了通知をYに出すのを失念していたため、平成28年9月1日頃、Yに対し、本件旧賃貸借契約が同通知書の到達日から6か月を経過した後の平成29年3月14日をもって終了する旨通知した。
その後、XとYとの間においては、平成29年4月9日付けで、本件建物について、Xを賃貸人、Yを賃借人として、以下の内容の賃貸借契約(本件賃貸借契約)を締結した。
・賃貸借期間 平成29年3月15日から令和2年3月14日まで
・賃料 月額50万円(別途消費税)を毎月末日限り翌月分を支払う。
・特約 本件賃貸借契約は,法38条に定める契約の更新のない定期建物賃貸借とする。 ただし、賃貸借契約書及び、「借地借家法 第38条第2項の規定に基づく書面」(本件書面)の作成日は、平成29年4月11日となって
いる。
Xは、令和元年8月30日、Yに対し、本件賃貸借契約が令和2年3月14日をもって終了する旨を書面にて通知したが、Yは、本件契約書の作成日付及びYが本件書面の交付・説明を受けた日付はいずれも平成29年4月11日であり、本件賃貸借契約の始期である平成29年3月15日より後のことであるから、法38条
2項の「あらかじめ」との要件を満たさない、さらに、本件賃貸借契約は、本件契約書の作成日である平成29年4月9日以前に、YがXから電話で契約更新の申出を受け、これに同意した時点又はその後仲介会社Aから電話で
契約内容の説明を受け、これに同意した時点で成立したものであるから本件賃貸借契約は、法38条2項の要件を満たさない旨主張し、本件建物を占有しているため、Xは、Yに対し、建物明渡し及び損害金の支払を求める訴訟を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示し、Xの請求を全て認容した。
⑴ 法38条2項の「あらかじめ」との要件の充足性
法38条2項は、定期建物賃貸借に係る契約の締結に先立ち、賃貸人において、定期建物賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により終了することについて記載した書面を交付し、その旨を説明すべきものとしたと解するのが相当である。これに対し、Yは、法38条
2項の「あらかじめ」とは、賃貸借期間の始期に先立つことを指すと解すべきである旨主張するが、独自の見解であり、採用することができない。
本件賃貸借契約は、YにおいてXが署名押印した後の本件契約書を受領し、Yが本件契約書に記名押印をした時点で締結されたものと認めるのが相当であり、YがAから本件書面の交付を受けたのは、本件賃貸借契約の締結時点よりも前のこととなるから、法38条2項の「あらかじめ」との要件を満たすものと認められる。
⑵ 法38条2項所定の事項の「説明」の有無について
Yは、「借地借家法第38条第2項に基づく書面の交付と説明を受けました。」と記載された本件書面に記名押印をしているから、Yは、Aから、本件賃貸借契約は、更新がなく、期間の満了により賃貸借が終了することについて説明を受けたものと推認される。したが
って、Aは、Yに対し、電話で、本件書面を見るように求めた上で、本賃貸借契約は定期建物賃貸借契約であって更新がなく、3年間の契約期間の満了日をもって終了することを説明したものと認めるのが相当である。
そして、Yは、本件旧賃貸借契約以外にも定期賃貸借契約の締結に関与した経験がある。
以上によれば、本件賃貸借契約については、法38条2項所定の事項の「説明」があったものと認められ、本件賃貸借契約は、同条所定の定期建物賃貸借として有効に成立しているというべきである。
⑶ 結論
Yは、Xに対し、本件賃貸借契約の終了に基づき、本件建物を明け渡すべき義務を負うとともに、本件賃貸借契約に基づき、本件賃貸借契約が終了した日の翌日から本件建物の明渡し済みまで約定の賃料の倍額に相当する損害金として1か月当たり110万円を支払うべき義務を負う。
3 まとめ
定期建物賃貸借における要件として、貸主による借地借家法38条書面の交付説明義務があるが、説明の有無についてトラブルが散見される。本事案は、定期建物賃貸借の再契約であり、以前の契約満了日の翌日を再契約の始期としたため、再契約締結日が契約始期より後日付となった特殊な例であり、38条書面の交付説明は有効と判断されている。
ただし、定期建物賃貸借における法的要件については、厳格に判断される例も多いため、実務においては、法的要件の適正な運用に注意されたい。
(調査研究部調査役)
最近の裁判例から
⑽−コインランドリー営業と信頼関係破壊−
貸室でのコインランドリー営業に伴う無断改装工事及び振動・騒音への不十分な対応が信頼関係の破壊にあたるとされた事例
(東京地判 令 4・3・31 ウエストロー・ジャパン) 山本 正雄
コインランドリー営業の目的で建物1階を賃借した借主が、貸主に無断で排気口設置工事を行い、2階の住人への振動・騒音被害に対応しなかったことは、信頼関係の破壊にあたるとして、貸主による建物の明渡し及び約定違約金等の請求が認められた事例(東京地裁 令和4年3月31日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
貸主X(原告、個人)は、所有の軽量鉄骨
2階建て建物の1階部分について、不動産業者Aの媒介により、コインランドリー営業を目的とした借主Y(被告、税理士)との間で令和元年12月に賃貸借契約を締結した。
同契約では、期間2年、賃料は17�5万円で、現状変更について「賃借人が現状を変更しようとする時は、その内容、方法につき書面をあらかじめ賃貸人に提出し、書面による承諾を得る」こととなっていた。
Yは、コインランドリー機器の設置及び運営管理をB(法人)に全て委託していた。
Bは、本契約の半年前にYとは別の依頼で本物件を内見していたが、その際に、物件をコインランドリーとして使用するためには、既存の建物北側外壁の排気口を拡幅すると構造や排気上の問題があるので、東側外壁に新たに穴を開け排気口を設置するのがよいと考え、Aに照会していたが、Aは、図面を提出してもらった上でXに確認すると答えていた。(その後もBからの図面の提出はなかっ
た。)
なお、本契約と同日に建物1階部分のレイアウトがBからAに送付されていたが、そこには排気口の位置の記載はなかった。
令和2年1月、BはAに物件の内装工事の開始、北側外壁の排気口の利用などを記載したメールを送信した。それを聞いたXは、既に開いている穴を利用して吸排気口とするのは問題ないとBに回答した。
同年2月、コインランドリーは営業を開始した。建物2階を賃借していたCは、機器の振動・騒音に驚き、設置状況の確認をBに要請した。更に、東側外壁に設置された排気口から熱気、綿ゴミ、埃などの通路への排出が目立つようになり、Bに苦情を申し立てた。現場確認を行ったBは、機器の設置方法に問題はない、建物の構造上振動や騒音を完全になくすことは不可能として、機器の回転数を下げ、深夜営業を中止することを提案した。
これに対し、Xは、東側の排気口を北側に移すこと、東側外壁に排気口が開けられていて驚いたこと、振動・騒音は防止装置が付いていないことが問題であるとしたメールをBに送った。
同年5月、X、Y、A、Bによる話合いが行われ、その後も対応策が協議されたが、Y及びBの対応は、機器の回転数を下げる、24時間営業を18時間営業とする、排気口付近を週一回程度清掃をすることなどに留まり、これらの対応が実施された後にも状況は改善されず、Cからの苦情は継続した。
Xは、令和3年1月、Yの債務不履行による信頼関係の破壊を理由として本件契約を解除したと主張し、建物の明渡し、約定違約金
(賃料及び共益費の6ヶ月相当額105万円)等の支払いを求める本件訴訟を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示して、Xの請求を認容した。
(排気口の設置について) Yから委託を受けてAとの交渉等を行って
いたBは、契約で建物部分の内装工事等を行う場合には、あらかじめ工事内容等が分かる詳細を記載した書面をXに提出し、書面による承諾を得なければならないことを認識し、実際に工事内容の分かる資料の提出を求められたにもかかわらず、工事内容をXに伝えようとせず、書面によるXの承諾を得ていないばかりでなく、工事により建物東側外壁に穴を開けて排気口を壁の外側に設置することについて事前にXに承諾を得たと強弁し、Yはこれを前提に排気口の移設を求めるXの度々の要請を拒んでいることが認められる。
(振動・騒音について)
排気口が建物部分の東側外壁に設置されたため、排気口から排出される熱気、埃、ゴミ、臭いなどが、通路に排出され、その通路を通ってしか外に出られないCが迷惑を被っている旨を度々訴え、Xも度々改善を求めるも、 Y側は、回転数を下げたり清掃をしたり深夜営業を停止したり店内に注意書きをしたフィルターを設置したりするなどの対策を講じた旨述べるにとどまっていること、しかしながら、被害はその後も生じ続けていることが認められる。さらに、Cが建物部分内に設置されたコインランドリー機器の作動により生ずる振動や騒音によって日常生活に支障が生じていると度々訴え、Xも度々改善を求めるも、
設置に問題はない、建物の構造の問題であるとしてこれにも対応してきていないこと、ウォーターハンマーによる騒音の阻止に至っては対策を知りながらこれを現在までしていないことが認められる。
(結論)
Yは本件契約の条項違反行為(書面による Xの事前承諾を得ていなかったこと等)をしたのみならず、事前承諾を得たと虚偽の強弁を行っている上、Cの申出が度々なされたことに対し、相応の対応はしている、あとは建物の構造上の問題であるなどとして、効果が出るような対応をしないまま約7ヶ月を経過させたということができるから、令和2年11月頃(契約解除意思表示日)には、XとYの信頼関係は破壊していたということができる。従ってXがYに対してした契約の解除は有効である。
3 まとめ
最近時、街中の貸室に大型ドラム機器などを設置した無人型のコインランドリー店舗が目立つところであり、そのような貸室の、媒介等に関わる事業者、借主にとって参考になる事例と思われる。
コインランドリーに限らず、店舗等の借主は、営業のため改装工事等を行う場合には契約書の定めに沿った手続きを行うとともに、その営業に伴い隣接住民などへ騒音等の被害を生ずることがないよう十分に検討しておく必要がある。また、騒音等の被害が生じた場合には、貸主・関係者とも協議をして、可能な限りの対応を行っておかないと、信頼関係破壊による賃貸借契約の解除となる場合もあることを知っておきたい。
(調査研究部次長)
最近の裁判例から
⑾−無催告解除特約と自力救済−
借主に無断で内装や備品を撤去したことは自力救済であるとして、貸主に対する損害賠償請求が認められた事例
(東京地判 令 3・3・10 ウエストロー・ジャパン) 西崎 哲太郎
ラーメン店を営む借主が入院している間、賃料を2か月滞納したとして、未払賃料についての催告や賃貸借契約を解除する旨の意思表示をすることなく、貸主が無断で建物内の内装や造作、動産類を撤去したことは自力救済にあたるとして、借主からの損害賠償責任を一部認容した事例(東京地裁 令和3年3月10日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
Xは、平成9年6月頃から、敷金550万円を預託のうえ、Aよりビル1階の1室23㎡を借り受けてラーメン店を営んでいた。
本件賃貸借契約では、賃借人が2か月分以上賃料の支払を行ったときは、賃貸人は無催告解除できることとされていた。
本件物件は、Aの子であるY1が実態的に管理していた。
Xは、平成30年12月以降の賃料を支払わないまま、平成31年1月16日から2月21日までの間、心筋梗塞の治療のため入院した。
Y1は、Xが入院することは聞いていたものの、賃料を支払わないままラーメン店の営業をしなくなったことから、本件賃貸借契約は終了したものと考え、Xに未払賃料についての催告や本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をすることなく、本件建物内の内装や造作を取り外し、備品等の動産類を廃棄した。
これと前後して、Aは平成30年12月4日に死亡した。Aの相続人にはY1、Y2、Y3
(以下、「Yら」という。)がいたが、Y2、
Y3は本件物件の管理に関与していなかった。
Xは、退院後、Y1が店舗内の内装や造作を取り外し、備品等を廃棄するなどしたことにより損害を被ったと主張して、債務不履行又は不法行為に基づき、Yらに対し、損害賠償金640万円余の連帯支払を求めるとともに、敷金550万円の返還を求める本件訴訟を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示して、Xの請求を一部認容した。
[債務不履行又は不法行為の成否]
Y1がXに無断で本件建物の内装や造作を取り外し、備品等を廃棄してXの占有を排除することにより、Xが本件建物を使用することを妨げたことから、Yらは、Xに本件建物を使用収益させるべき賃貸人としての債務を履行しなかったというべきである(Y1については、前記の態様等に照らせば、自力救済としてXに対する不法行為も構成すると認められる。)。
Y1は、Xが本件建物の賃料を2か月分滞納したまま、所在が分からなくなったから、本件賃貸借契約は終了した旨主張する。
しかし、本件賃貸借契約において、2か月分以上の賃料の支払を怠ったときに無催告解除することができるとの規定があったとしても、当然に本件賃貸借契約が終了するものでないことはもちろん、賃貸人において、司法
手続を経ず、自ら実力を行使して賃借人の占有を排除することにより自己の権利を実現することは許されない(自力救済禁止の原則)から、Y1の主張は採用できない。
以上によれば、Yらは、本件行為について連帯して債務不履行責任を負い、これによって生じた損害を賠償すべきである。
[損害額]
ア 営業損害
Xが経営していたラーメン店においては、営業利益が上がっていたとは認められないから、営業損害を認めることはできない。
イ 営業再開費用
Xは、Yらに対し、取り外された内装、造作や廃棄された備品等の物的損害のほか、本件建物と同等の建物においてラーメン店の営業を再開するのに必要な費用のうち相当な範囲についての賠償を請求することができ、Xが被った損害として100万円を認める。
ウ 慰謝料
本件行為の態様、その他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、本件行為による慰謝料として30万円を認める。
なお、Y2及びY3は、Y1による行為に積極的に関与したものではないが、Yらの債務不履行により、Xがラーメン店を営業することができなくなるという重大な結果を招いたのであるから、Y2及びY3も前記慰謝料の支払義務を免れない。
[返還すべき敷金の額]
本件賃貸借契約は、本件行為により、平成 31年2月21日に履行不能により終了したものと認められ、Yらは敷金返還債務を負うところ、Xは平成30年12月1日以降の賃料を支払っていないのであるから、同日から平成31年
2月21日までの未払賃料53万円余に当然充当されるものと解される(最判平14・ 3・28民集56巻3号689頁)。
したがって、Yらは、Xに対し、これを控除した496万円余の敷金返還債務を負う。
Y1は、敷金から原状回復費用を控除すべき旨主張するが、本件賃貸借契約はY1が自力救済したことにより終了したのであって、このような場合にはXが原状回復義務を負うとは解されない。
3 まとめ
無催告解除特約の効力について、最判昭 43・11・21は、「契約を解除するに当たり催告をしなくてもあながち不合理とは認められないような事情が存する場合には無催告で解除権を行使することが許される旨を定めた約定であると解するのが相当」とする。
本事例においても裁判所は、賃料滞納による無催告解除の特約があったとしても、それで当然に賃貸借契約が終了するものではないと判示している。
したがって、貸主としては、証拠が残る形できちんと督促を行うなど慎重に対応することが求められる。
また、借主が滞納したまま行方が知れないなどの状況において、管理業者が貸主から対応方法の相談を受けた場合には、自力救済行為によって貸主に損害賠償責任が生じ得ることを説明し、賃貸借契約解除や建物明け渡しの提訴を行うなどの適正な法的措置を弁護士に依頼するよう助言することが必要である。
(調査研究部上席調整役)
最近の裁判例から
⑿−正当事由と立退料−
築50年超のアパートの立ち退きについて、家賃6か月分の立退料をもって貸主の正当事由が認められた事例
(東京地判 令 3・12・14 ウエストロー・ジャパン) 吉川 文堂
築50年超のアパートの貸主が、借主に対し、建物の老朽化、以前に賃貸契約が終了することに合意したことを正当事由として、立ち退きを求めた事案において、家賃6か月分の立退料を支払うことを補完的事由として立ち退きが認められた事例(東京地裁 令和3年12月14日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
Xの父は、平成12年8月、Yに対し、本件建物(昭和43年7月建築、2階建て木造アパート)を、賃貸期間同日から平成14年8月までとの約定で賃貸(賃料月額4万3千円、共益費2千円)し、本件建物を引き渡した。賃貸借契約は、2年ごとに4回更新され、平成 20年7月に最終の賃貸借契約書を締結し、それまでの契約書にはなかった特約条項として
「契約更新は今回限りとし、更新期間満了とともに賃貸借契約は終了する」と定めた。Yは、契約書記載の期間満了日である平成22年
8月より後も本件建物に居住し続けたため、本件賃貸借契約は、期間の定めのないものとなった。Yは、賃貸人から賃料と共益費の支払を拒絶されたため、平成22年9月以降、同年8月分以降の賃料と共益費を供託し続けていた。
その後、平成31年3月に、Xが本件アパートの所有権を相続した。
【本件アパート等について】
・Xは、平成29年10月、建築設計事務所に対し、本件アパートとその隣の建物を取り壊
して駐車場にした場合の設計図の作成を依頼し、8台の自動車を駐車した場合のレイアウト図を受領した。本件アパートと隣接する建物を解体する場合、Xは、これを支払うに十分な流動資産を保有している。
・Xは、令和2年8月、建築会社に対し、建築計画を依頼し、鉄筋コンクリート造5階建て12戸の計画を提案された。
・Xは、令和3年5月、一級建築士事務所に対し、本件アパートの耐震診断を依頼したところ、1階部分は倒壊する可能性が高い、
2階部分は倒壊する可能性があると診断された。主な原因は、耐力要素の不足であり、これを改善するためには、既存の壁を耐力壁仕様にすると同時に、耐力壁周りの接合補強を行ったり、屋根の桟瓦を金属板葺きに変更し、建物重量を軽減する方法を検討する必要がある報告を受けた。Xは、本件アパートの2階の共用廊下の床が落ちないように、下から支柱で支えるなどの応急的な手当てを行った。
【本件アパートの入居状況について】
・平成18年の時点において、満室であったが、平成31年3月からYのみ入居している
状況であった。
Xは、令和2年8月、Yに対し、本件賃貸借契約の解約を申し入れたが、Yが、本件建物の占有を続けたことから、令和3年3月、建物老朽化、建物利用状況(賃借人がYのみであるという状況が継続しており、収益性が著しく悪化していること)、予備的に立退料
として、賃料と共益費の合計額の6か月分に当たる27万円又は裁判所が相当と認める金額の立退料の支払を申し出ることによって、本件訴えを提起して、Yに対し、本件建物の明渡しを求めた。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示して、Xの請求を認めた。
(解約申入れの正当の事由の有無について)本件アパートは、建築から50年以上が経過
し、倒壊することも懸念される建物であることが認められる。また、本件アパートに入居している賃借人がYのみであるという状況が継続しており、収益性が著しく悪化していることも併せて検討すると、現時点では、Xが主張する低層マンションの建築の見通しは不透明であるものの、本件アパートと隣接する建物を解体して駐車場にすることによって、上記の問題点を解決することは十分な合理性があり、Xにおいてその計画を実行することができる資力を有していることも認められる。したがって、Xにおいては、明渡しを求める必要性が相当程度高いと認められる。
他方、Yは、30年以上にわたり、本件建物を住居として使用しており、70歳を超える高齢であることも併せ考えると、引き続き本件建物において居住を継続する必要性が高い。ただし、Yは、契約更新は今回限りとする旨の合意を含む平成20年7月付けの賃貸借契約書に署名押印しているところ、同契約書における賃貸期間の終期から10年以上も本件建物の使用を継続しているのであるから、引き続き本件建物において居住を継続する必要性は、相対的に低下していると認められる。
(結論)
以上のとおり、Xにおいて、本件建物の明渡しを求める必要性は相当程度高い。他方、
Yにおいて本件建物の使用を継続する必要性が相応に存する。したがって、Xの解約の申入れに直ちに正当の事由があるとまでは認め難いものの、本件建物の明渡しによって引越し等を余儀なくされるというYの不利益は、 Xがその不利益を一定程度補うに足りる立退料を支払うことによって補完することが可能であり、これにより、Xの解約の申入れに正当の事由が認められる。そして、立退料金額は、上記の認定及び本件の一切の事情を勘案すると、本件建物の1か月分賃料及び共益費の合計額6か月分(27万円)が相当である。
3 まとめ
本件は、建物の耐震性に問題がある建物について、立退料として家賃6か月分で立ち退きが認められた事案である。
借地借家法28条では、貸主による解約の申入れは、貸主及び借主が建物使用を必要とする事情の他、賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況、建物の現況、貸主が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の借主に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければすることができないと定められている。
本件と同様に、耐震性に問題があるとされたが、立退料の支払いによって正当事由が認められた事例として、(東京地判平25・1・ 15 RETIO91-80) があるので参考とされたい。
(調査研究部調査役)