Contract
xxx 300 年王国の野望
xxxx 日本経済新聞記者
(xxxを支える面々)
創業期を支えた 10 人の恩人 「当時の肩書」 と 「ソフトバンクとの関係」xxx x(シャープ専務)~ 孫が学生時代に開発した電子翻訳機と契約
孫が初めて受け取った契約金 1 億円浄x xx(xx電機社長)~実績のない孫との大型取引を決断 xx xx(同上営業本部長)無名の孫を見出し大型取引の橋渡しxx xx(ハドソン社長)~ 展示会で出会った孫と弟・xを繋ぐxx x (同上専務) 社長の兄に独断でソフトを独占供給
xxxxx(第一勧業銀行麴町支店長)~実績のない孫に 1 億円無担保
・最優遇のプライムレート融資に奔走xx x(東京旭屋書店常務)~出版のイロハを教え、業界のxxを紹介
xx xx(内外データーサービス営業部長)~孫が勝負をかけた大阪エレクトロニク
スショーで最初の出展者xx xx(朝日新聞論説委員)~政財界の大物を孫と引き合わせる
xx xx(NEC副社長)~大赤字の雑誌の広告費を半分負担等側面支援
{ 第xx再起動 } 二度目の買収
アームの売上年 2 千億円未満なるも世界中に流通するスマホの 90%以上はアームの回路技術が使われていた、2016 年7月 18 日3、3 兆円でソフトバンクは買収を発表、又 30 年後には時価総額 200 兆円にすると。
2000 年 6 月半ばアーム買収の検討に着手、この時は 2 兆円近い金額でボーダフォン日本法人を買収したばかり、孫の発想の参考はロックフェラーが設立したスタンダード・オイル社が米国の石油業界を支配するプラットフォーマーとなりxxだけでなく、その他運搬手段であるパイプライン等輸送網の建設まで手掛けた事、アームも半導体産業を回路設計という形で裏から牛耳るプラットフォーマーになりうると。
2015 年秋買収したスプリントの再建出口がようやく見えてきた頃、アームが毎年開く技術会議の講演でセキュリティ技術を全てのプロフェッサーに搭載していくと発表、孫はこのマニアックなニュースを 「アームは本気でIOTに挑むつもりだ」 と解釈した、あらゆるものがネットに繋がるIOT時代ではいかなる産業もサイバー攻撃のリスクに常にさらされ、その為に先手を取って対策を講じると宣言したとxは受け取りいよいよ決意を固めた、2013 年にはxxxxがアームのCEOに就任、 P 1
2015 年にはロンドンで孫は昼食を共にした、2016 年シリコンバレーの孫の自宅に招き 3時間に及ぶデイナーの席で 「IOTの重要さを認識しているならもっとガンガン投資して今こそ攻めるべきでないか」 との問いかけに 「我々は上場企業だ、なかなか市場に理解して貰えない」 と、市場に理解されないならソフトバンクが良き理解者となればよい、やるなら今だと判断しアームの会長スチュアート•チェンバースと会うこととした。
アームの会長との交渉では上場を続けて短期的な収益しか関心のない市場を相手にするよりソフトバンクの参加で長期的なビジョンのもと戦うべきであり、世界中のほとんどの半導体大手メーカーを顧客として抱えるアームにとって中立性は避けて通れない、ソフトバンクはアームと取引がないから中立性は保てる、更にアームはエンジニア集団であり拠点で働くエンジニアを 5 年以内に 2 倍にすると約束、最終的にアームの株価に 43%上乗せで決着、日本企業による買収としては過去最大となった。
「50 年先の布石」 3 兆3千億円もの巨費を投じておきながら既存企業とは何の関係もないと云いきる、ではなぜ 「IOTにアーム」 なのか、スマホだけでなく自動車•家電•住宅•工場•トラックで運ばれる膨大な数の荷物、それだけでなくありとあらゆる身の回りのものにセンサーが取り付けられるだろう 「今後20年でアームの半導体は地球上に1兆個ばらまかれることに•••」 とxは予言する。
{ 第二章300年王国 } 理解されない「異次元経営」300年成長し続ける企業に
~xxxxxを超える~xxxが1932年に開いた第一回創業記念式で有名な 「水道哲学」 を披露、豊かな社会を作る使命達成の時期を ①建設時代10年 ②活動時代10年 ③社会への貢献時代5年~併せて25年を一節としてこれを10節繰り返す250年計画を集まった社員の前で語った、その時の様子は 「会場はxxx興奮のるつぼと化し社員全員の所信発表が始まり思わず壇上に駆け上がる者が続出した」 と
300年計画は工業化より情報化の方が人類にとって大きな変革の波と云うことになりxxxより自分の方が与えられたチャンスが大きいから越えなければならないとの決意がにじんでいるようだ。
2000年2月に20万円に迫ったソフトバンクの株価は米国発ITバブル崩壊で2002年1
0月株式分割の影響もxxxx円を切るまで急降下したがNTTに挑戦状をたたきつけたブロードバンド参入、日本史上最大の M&A で果たした携帯電話への挑戦へと走り始めた。ソフトバンクの2009年6月の第29回株主総会で孫は 「次の30年間のビジョンを発表」 この当時も株価は暴落したままだった、1年後のお披露目の場では300年先の世界まで語り始めた。
「 短文披露サイトのツイッター 」 2009年12月24日アカウント名 「xxxxxxx」 はすぐに名物となった、30年ビジョンへの意見募集フォロアーの中で 「人生の中で最も悲しい事は21%のフォロアーが死であると」 ならば300年先には人の寿命を200歳にしたいと孫は真顔でそう語った、丁度300年前には産業革命が起こり P 2
機械により人間の生き方が変わった、パラダイムシフトが起こった、機械によるビッグバンがあった、これから300年間で本当の意味での情報ビッグバンが起こるのではないかと、何が生まれるかと云うと学習コンピューターが生まれ人口知能を持った脳型コンピューターを掲載したロボットが一般化しているだろう、優しさ•愛情の部分を持った脳型コンピューターを広めて行きたいと。
「 300王国に欠かせない群戦略 」 出資先グループは既に800社、ゆくゆくは5千社に
~俺の夢に乗れ~2009年6月当時の社員数は1700人のソフトバンクが3000人を採用軌道に乗り始めたヤフーBB 事業を広げる為、リクルートのコンサルをしていたxx(この時点で子会社の社長内定)に孫社長が会いたいと~xxは話の中でしっかりとした教育体制を取ればリスクではなく次世代のリーダーを育てるチャンスになると伝えたところそれだけやりたいならソフトバンクに移ってこい! すっぱり断ったが後日秘書から何度も電話があり、しぶしぶ会ったところ300年後の世界はどうなると思っているか?と、今の世の中はおかしいと思わないか?と、それを変えることが出来るのは官僚?政治家?••ビジネスでは! それができる経営者は?~孫さんかもしれません~そうだ俺が変える~お前をやっと見つけた! うちのグループ800社をお前に預ける、俺は世界を変える、お前が俺の夢に乗れ!! この言葉がxxの心をわしずかみにした!~即答でハイ乗ります! と
「 サウジの若き実力者 」 2013年に父xxxxが国王に即位、30歳で国防相と王宮府長官•国王特別顧問となったxxxxx•xx•xxxx副皇太子•経済開発
評議会議長の顔も持ち 「サウジ•ビジョン2030年」 が世界のエコノミストの間で話題となった、石油依存からの脱却を宣言した。
この若き改革者と孫が2016年9月に会談、意気投合、孫はいきなり 「1兆ドルプレゼントします」 をかました~総額10兆円のファンド創設に乗らないかと、ソフトバンクは199
9年持ち株会社に移行、その後の17年間の内部収益率は44%を記録し圧倒的な投資実績がある、アーム買収は今後20年間で1兆個もの半導体を世界中にばらまき、これから得られる膨大なデータを分析していけば何が映るか•••神はあたかも最高の贈り物を与える事になるかも•••と、 2016年10月サウジにて今後5年間でソフトバンクが250億ドル•サウジが450億ドル残りは他から出資を募ることで合意。
{ 第三章~旗揚げ~創業•目指すはロックフェラー }
1981年資本金の8割も投入して勝負をかけた大阪エレクトロニクスショーでの出展はブースこそに賑ったが成約なしで追い詰められていた孫の会社に大阪のxx電機•xxから電話が入った、大阪に来て欲しいとの要請にも旅費がなく多忙との理由で断った、xxの報告でただ者ではないとの話に興味を持った社長の浄弘は東京で日本ソフトバンクの孫と会う手筈となった。 P 4
面談で孫は案内された巨大なコンピューター店をソフトで一杯にするから独占でやらしてくださいと~大よそ1万本、命懸けで受注を決めた、1982年初めころに第一勧業銀行xxx支店長に面会し1億円の融資を申し込み無担保しかも金利は最も条件の良いプライムレートという無茶な要求だった、支店長は話を聞く内に何とかまとめたいと思い得意先のxx電機に日本ソフトバンクのウラを取り、更にシャープの佐々木専務と付き合いがあると聞かされてウラ取りにシャープの経理部長に連絡、それを知った佐々木専務は自分が保証するから融資してやってくださいと、このことを銀行の頭取に報告したところ、無担保等申し出条件通りで直ぐに融資を決めなさいと、101歳になったxxxxxこの電話の事を今も覚えていた。
xxxxx来るものを拒まず、彼に教えを乞うた若手企業者は数知れない、あのxxxx・xxxxもその一人だ、そんなxxxが孫に対して 「この若者の踏み台になってもいいと思った」 とまで言う~それはね…可愛いからだよと
{ 第四章 危機~余命5年 }
日本ソフトバンクは急速な成長曲線で創業の1981年9月から実質1年で売上高20億円翌年も45億円、1982xxの健康診断で慢性肝炎•酷い数値ですぐに入院してください、そうでなければ命の保てる保証は出来ないほど悪化していた、当時慢性肝炎は不治の病で実質的な余命宣言だった 「物欲なんて全くなくなった家も車も洋服もいらない、ただただ命だけが欲しい生まれたばかりの娘の笑顔をもう少し見ていたい」 と
孫の病状を気にかけていたのが恩人の佐々木で以前から 「誰か金融に強い人を紹介してください」 と依頼していた、丁度佐々木は日本警備保障(現セコム)xx副社長
(元xx証券のエリートとして知れた人物)と食事する機会があり孫を誘った、年齢は孫 より27歳も上 「日本ソフトバンクをお願いします」 と孫はxxに会うたびに言い続けた。
1983年4月xxは日本ソフトバンクの社長に就任、孫は25歳の若さで会長になった。
~xxxxが社長になってから何かにつけて規則•規則の一点張りで何も進みません、何とかしてくださいと社員たちの直訴、過剰としか思えない交際費を使って銀座で豪遊、運転手付きの高級車はxxにとっては当たり前の感覚でも零細企業からたたき上げの社員たちは納得しない、一方のxxも社員達を任用せず幹部級を次々とスカウトして、創業期からの仲間が一人又一人と会社を去っていった。
~再び手に取った 「xxが行く」 は病室で無為の時を過ごす孫に心境の変化、多読の孫にとって人生に於いて決定的な影響を与えられた 「xxは31歳の若さで兇刃に倒れる、最後の5年位で本当の大仕事をしている、5年あれば世の中を変える位の大仕事ができる、xxのように燃え尽きてやる」 と病室に大量の本を持ち込み、おおよそ3千冊も読破、2年近くの歳月の後、父 xxからの電話 「これでお前の病気が治るかもしれんぞ!」 と~効果は激甚で3月17日に治療を始め5月連休明けには正常な数値となり退院。 P 5
~みやうっちゃん~退院早々の7月xxxが孫のもとを訪れてきた、日本能率協会で働いていて当時34歳、xxの誘いで転職してくると、xxはあっという瞬間に孫に惚れ込んだ、二人の役割は絶妙となった。
xが現場復帰して1年半後の1986年初めの臨時総会で(xxxとも事前に相談の上)xxを解任した。
~ソフトウイング事件~孫が名実ともにトップに返り咲いた1986年商品部が独立を画策日経新聞によるとパソコンソフト市場規模500億円、内直販を除いた5割のシエアを日本ソフトバンクが握っていた、商品仕入れ部門の社員がごっそりやめて新会社を設立、裏で手を引く人物がアスキーのxxx、過去二度全面対決してきた因縁の人物で日本ソフトバンクから引き抜いた幹部を中心にソフトウイングという競合会社を設立ソフトウエアの作り手コナミとシステムソフト三井物産の強大な五社連合、日本ソフトバンクの粗利益は一気に半減の窮地に、スッポリ抜けた商品部の調達部門にはxxを起用、孫とxxが選んだのは「先ず基本にxxにコスト管理を徹底」と云う正攻法だった、思考錯誤の上「日次管理」を取り入れた。
経営の基本に立ち返り足腰をもう一度鍛え直した、奇策なしの成功法で根気よく戦った結果1993年ソフトウイングは経営が悪化して他社に買収された。
~同志的結合は金銭的結合より強いと孫は良く語る、この言葉を授けた人物こそ孫の大恩人のxxxx、志を共有すると共に十分な見返りの提供との反省からxxの発案で1980年代後半にいち早くストックオプションを導入した。
~1990年にソフトバンクと社名を変え世界に通用する企業への脱皮を目指し、1994年株式を店頭公開、この際の主幹事であるxx證券の担当者だったxxxxを孫は財務担当として迎え入れた、xxは銀行に頼らず社債・増資など含め東証一部上場までに5千億円近い資金を資本市場から調達~怒涛のM&A 攻勢が始まった、1994年11月米フジ・デービスから展示会部門を200万ドルで買収、1995年4月世界最大のコンピューター展示会 「コムデックス」を8億ドルで買収、同年1月米ヤフーに出資、後に追加も合わせて1億ドル強
1996年2月米ジフ・デービスから出版部門を18億ドルで買収、同年9月メモリーボンドの米キングストン・テクノロジーを15億8百万ドルで買収、同年
12月豪の会社と共同で全国朝日放送の株式21、4% 417、5億円で取得
2008年9月日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)をオリックスと共同で買収
(ソフトバンクは48、87%約490億円)
~結論から先に言うと米ヤフー以外はほぼ全部が失敗、損切で売却、ブロードバンド事業を起こして NTT にケンカを売り、その資金を捻出して全てを投げうって新しい波に向かった、後にアームを3、3兆円かけて買収した際はアリババの一部とゲーム会社への投資金を売る事となった。
~トランプ会談のxx(いきなり後日談)~ P 6
2016年12月6日トランプタワーで次期大統領に決まっていたトランプと電撃会談「xxは素晴らしい男だ」と一時間ほどの会談後に居並ぶ報道陣に語った、孫はxxxxの懐に飛び込む細かい気配り、そして500億ドルの投資と5万人の雇用創出だった。
~xxxxxの助言~1987年7月孫は初めてシアトルに飛んだ、パソコン界の巨人マイクロソフトのビルゲイツに会う為に、新しく立ち上げる雑誌 THE・ COMPUTER 創刊号の目玉記事として単独インタビューの席でxxxxxは孫に
「君は PCWEEK を読んでいる?毎号読んだ方がいい」と、その後 PCWEEK を発行する部門を売りに出すと聞きつけ入札に参加するも入札の前日に他社に攫われてしまった、その翌朝出版がダメなら先ず展示部門と思い直してxx・xxxxの展示部門を買収、結果出版部門も手に入れることになった。
~1995年買収したジフ・デービス社長から「ヤフーと云う面白い会社がある」と、まだヤフーは5~6人の会社、に出資して日本に持ち込みソフトバンクの成 長に欠かせないエンジンを得た。
{ 第五章 集う一騎当千の「同志」たち }
~カリスマxxx・富士銀行副頭取だったxx、東大閥と云われた中で香川大学出身のxxは異色、ニューヨーク支店長を歴任、債券相場で1996年xxは他のディラーが売りに走るのを横目に買いまくり巨額の利益を上げた、1998年富士銀行副頭取だったxxがxxxx銀行の会長に送り込まれ就任初日の演説にxx(13年勤続)は衝撃を受けた、更に驚いたのはある日渉外から帰るとxxが自分の席に座っていて話しかけてきた、その後xxxx銀行を退職していたがxxに伴われて孫社長に会った、xはxxの顔を一目見るなり「なるほど良い目をしていますね採りましょう」と、2000年6月ソフトバンクに移籍。財務責任者にされたxxに自信はなかったもののソフトバンクの直面している異変には直ぐに気づいた。
~悪魔の代弁者~2001年広島マツダからソフトバンクの門をたたいたxxxx(41歳)がxxと同じ財務担当、xxは着任早々にネットバブル崩壊にあえぐ米国現状視察に出た、そこで投資先の現状は正にボロボロ帰国早々にソロバンをはじくとこのまま放置すると1千億円の損失が出る、先ず銀行出身のxxに相談すると 「大丈夫ストレートに言いなさい」 と、米国ベンチャーの投資先には孫がかなりな思い込みを持っていると聞かされていたが意を決して孫の前に出てこのまま投資先から手を引かないと1千億円の損失になると得意の差の分析を交えてありのまま伝えた、xxの書いたサマリーをジーと見ながら、ようやく一言 「よう損したな」 孫は新参者の意見をそのまま取り入れ直ぐ対策を講じるよう命じた 「退却は攻めるより10倍難しい•退却はトップしか判断できない」 が孫の経営哲学。 P 7
~名古屋で終わる気か~xxxxの携帯に2001年6月見知らぬ番号から携帯に着信がありソフトバンクの孫です名古屋で新幹線に乗って頂けませんか?席は押さえてありますと、xxが経営する 「名古屋めたりっく通信」 を買収したいというソフトバンクからの打診は二回とも断っていたが孫社長直々の電話でもあり指定された車両に乗ると孫は一両まるごと押さえていた、孫の隣に座る男•xxは新しく始めたブロードバンド事業の技術を任されていると、孫が聞いてきたのはxxの予想に反して極めて技術的なことだった、東京迄の一時間半余りそんな話に終始したのみで孫は 「じゃあ」 と云って去ってしまった、その日の夜、xxの秘書に孫の秘書から東京で夕食を共にできないかと電話が入った、xが指定した日時に高級旅館 「吉兆」 の個室では孫が一人でノートを手に待っていた、話は又 ADSL の技術的な詳細から始まり孫はメモを取りながら 「そうか」 「なるほど」 といちいち相槌を打ちペンを走らせる、二人の話は自然とお互いの人生観に 「君は何のために仕事をやっているんだ」 との問いに 「100年残せるような生きた証を残したい」 と、それから孫は300年王国建設への野望を熱く語り 「男だったらもっと大きいことをやらんか俺と一緒に~君は名古屋で終わる気か?」 と、xxは孫に口説き落とされて 「名古屋めたりっく通信」 はソフトバンクに売却し仏教学科出身の異色の技術者xxが孫の軍団に加わった。
~マッドサイエンティスト~新幹線の中で孫と並んで待っていた、孫をして 「天才」 と言わしめた正真正銘の技術者xxxxx、1960年生れ孫より3歳年下、子供の頃からコンピューター大好きで東大工学部に入り受験し直して京大医学部に移り医師免許も取得4年生になると UNIX 専門のソフトハウスを始めた、孫の米国出張に同行して欲しいと云われカルフォルニアに同行、その後10年新人工知能研究に没頭、その後帝京大学で教鞭を執っていたがある勉強会で孫と出会い合間に孫の仕事を手伝っていたが2000年になって 「そっちを止めてこっちに来い」 と誘われた、このxxが考案したフル IP(インターネットによる通信手段)それこそが孫が大勝負をかけることになるブロードバンドの基本設計となる、果たしてこの 技術で巨艦 NTT に立ち向かえるのか社内では完全に 「反対」 で纏まったが孫は押し切り 「もういい俺はxxと心中する!」
~胴元になる~盟友の名はxxxxx(情報通信企業フォーバル創業者)二人は若い頃から家族ぐるみの付き合い 「xxxxx今度うちで ADSL をやるよ」 「また一緒にやろうよ」 という孫にxxxは即答した 「うん、やろう」 15年前に云った孫の言葉が蘇る 「xxxxx見ていてくれよ、xxx必ず俺は胴元になって見せるから」 二人で日本の通信網に革命を起こしてやろうと挑み敗れた•••1985年xxx率いる新日本工販(フォーバルの前身)の課長がxxxと云う面白い社長に会ってみませんかと、この時孫は28歳でxxxより3歳年下、xxxxxには共通点があった、xxxは5歳の時に交通事故に合い医師から残念ですがお子さんはもう助かりませんと、命はとりとめたものの足の骨はぐちゃぐちゃに砕けていた、もう歩くことはあきらめるように言われたがxxx少年はそう思わなかった、小学校高学年で松葉杖もいらなくなっていた。 P 8
深夜のファミレスでの密会は1年に及び2人は遂に 「NCC•BOX」 を発明した、これを自宅の電話回線に取り付けると、どの会社の回線が一番安いか瞬時に選び利用者は煩わしい4桁のダイヤルを回さなくて済む 「これで NTT の独占に風穴を開けてやる」 と一気に百万個発注30億円以上の費用が二人の肩にズッシリ、目指したのはベンチャーの雄京セラ本社、xxxxと共に第二電電を立ち上げたxxxxと20人程の役員を前にプレゼン、xxは開口一番 「それナンボや?50万個うちで買う、但しウチだけに売れ」 と 「売れません、第二電電の回線が消費者に選ばれた分だけロイヤリティを払ってほしい」 と 話は平行線のまま延々と続き多勢に無勢、二人はついに折れてしまった。みじめだねxxxxx、やっぱりおかしいよ、そうだね明日契約書を返して貰おう
~xxxxx怒り~翌朝早々二人は京セラ本社を訪れ契約の破棄を申し出、xxは激怒•••一時間近くにも及んだが今度はxxが折れた、二人はこの後他の第二電電にも売り込み無料で配る奇策も実現、初年度だけで十分な利益を得た、しかし NTT の巨大独占を崩したとはとても言えない、孫はxxxに 「xxx俺は必ず胴元になる」 と
(注)
本著は557頁の長編且つ内容豊富でとても纏めきれませんでした~次回続編あり~