9) 東京地方裁判所民事部プラクティス委員会第二小委員会 「遺言無効確認請求事件を巡る諸問題」 判タ1380号11頁 (2012年)。 主な判決例として,東京高判平成21年8月6日判タ1320号228頁, 同平成22年7月15日同1336号241頁, 高知地判平成24年3月29日同1385号225頁, 東京地判平成24年7月6日 LEX / DB25495590, 同平成24年12月27日 LEX / DB25498698, 東京
神戸学院法学第47巻第 2・3 号 (2018年 3 月)
保険金受取人変更時における保険契約者の意思能力の有無
x X x x
1. はじめに
保険契約者になろうとする者が, 自己を被保険者, 第三者を保険金受取人とする第三者のためにする生命保険契約 (保険法42条) を締結した後, 当該保険契約の保険期間が進行中に, 保険契約者として保険金受取人を変更することがある。 この受取人変更について, 保険契約者が疾病または傷害等により入院または自宅療養中に受取人変更の手続をした結果, この者が死亡した後, 受取人が変更されたとする新規の保険金受取人が保険者に対して保険金の支払を請求したり, 変更されてはいないとする当初の保険金受取人との間で保険金の帰属先について争いが生じることがある。 この問題に関する判決例を概観すれば, 保険契約者 (兼被保険者) が受取人を変更したとされる場合, 正常な判断に基づいて受取人変更をしたのか否か, 受取人変更手続が適正になされたか否かが争われている。 つまり, これらの場合, 受取人変更が保険契約者 (兼被保険者) の死亡する直前になされており, 保険契約者が受取人を変更する時点において, この者に受取人変更を行うことについて意思能力があったのか否かが問題とされている。
本稿では, 民法上の意思能力に着目しながら, 受取人変更という法律行為について, 保険契約者にどの程度の意思能力が必要かということを
(1)
検討する。
2. 民法上の意思能力
(1) 意思能力の意義等
意思能力について, 行為者が自己の行為の法的な結果, つまり, それによって自己の権利・義務が変動することを認識・判断できる能力であ
(2)
ると解されている。 意思能力の有無については, 一般的に, おおよそ7歳から10歳の子供の知的判断能力であると考えられている。 もっとも,
行為の法的な意味を理解する能力は, 行為の種類・内容によって, とり
(3)
わけ行為の複雑性・重大性の程度によって違ってくるとされ, 個々の行
(4)
為者ごとに個別的に判断される。 また, 意思能力のない者がした行為を法的に有効として扱うことは適当でないので, 法律にはxxの規定はな
いが, これを無効とするのが判例 (大判明治38年5月11日民録11輯706
(5)
頁)・通説である。 ただし, 平成29 (2017) 年5月6日に国会で可決成立し, 6月2日に公布された民法 (平成29年法律44号) 3条の2では,
「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは, その法律行為は, 無効とする。」 と明示されており, 法律の規定に
(1) xxxx・保険事例研レポ291号13頁 (2015年) を参照。
(2) xxxx=xXxxx 『新版 注釈民法 (1) 総則 (1) [改訂版]』 274頁 (有斐閣・2002年) (xxxxx), xxxx 『民法総則講義』 108頁 (有斐閣・2005年), xxx 『民法概論1 (民法総則) [第4版]』 21頁 (有斐閣・2008年), 内ℝ貴 『民法Ⅰ (第4版) 総則・物権総論』 103頁 (東京大学出版会・2008年), xxxx=xxxx 『民法総則 [第8版]』 30頁 (弘文堂・2010年), xxxx 『民法講義Ⅰ 総則 [第3版]』 36頁 (有斐閣・2011年), xxxx 『新基本民法1 総則編 基本原則と基本概念の法』 209頁 (有斐閣・2017年)。
(3) xx・前掲注(2)21頁, xx=xx・前掲注(2)30頁, xx・前掲注 (2)36頁。
(4) xx・前掲注(2)108頁。
(5) xx・前掲注(2)108頁, xx=xx・前掲注(2)30頁。
明示されることとなった。
(2) 意思能力有無の判断基準
行為者において意思能力があるか否かを判断する基準について, 意思能力の欠缺を巡る数多くの裁判例を検討した上で次のように考える見解がある。 すなわち, 「意思能力の有無の判断にあたっては, まず, 当該行為一般に必要な精神能力の程度を考慮した上で, 当該行為者がその能力を有していたか否かを決することになる。」 基本的に 「精神上に障害の存否・内容・程度を認定した上で, 意思能力の有無の判断がなされている。 そして, その判断にあたっては, 医学上の評価を参考にすることはもとより, 行為者の年齢, 行為の前後の言動や状況, 行為の動機・理由, 行為に至る経緯, 行為の内容・難易度, 行為の効果の軽重, 行為の意味についての理解の程度, 行為時の状況等が子細に検討され, 判断材料として考慮されている。 これらの要素は, 精神上の障害の存否・内容・程度を示す事実であるとともに, 当該行為に必要な判断能力の程度を決し, 当該行為者にその能力が備わっていたとみて, 法定効果を帰属させることが適当か否かの法的判断を行うための判断要素になっている」。
「また, 当該行為の理由が合理的に説明可能であり, 対価の均衡等がとれていることなど, 当該行為が客観的にみて理性的であるかどうかも,判断の際の考慮事由になっていると考えられるが, こうした事由は, 意思能力が存在することの一徴候になり得るとともに, 精神障害者であるからといって, 『合理的な取引』 まで無効にするものではないということであり, 意思能力の判定基準に, 『不合理な取引』 により障害者が不利益を受ける程度・内容, すなわち, 本人保護の必要性が入らざるを得ないことを示しているものでもある。」 「各裁判例の多くは, 高齢者等の財産をめぐる関係者間の利害の対立が背景にあると思われ, 事案に応じて, 高齢者等を保護するか, 取引の相手方を保護するかの判断が模索されているといえる。 そして, 概ね, 高齢者等本人に有利であると思われる取引は, 取引の効力が認められているのに対し, 当該取引を有効にす
ると当該本人に不利になると思われる事案では, その多くが取引の効力
(6)
を否定されている」 としている。
さらに, 同じく数多くの裁判例を検討している見解によれば, 「実際の運用上は, 客観的な判断能力, 精神的能力の程度の他, 取引の動機,背景, 経緯, 取引の内容, 種類, 性質, 取引当事者の関係, 取引の際の
(7)
状況等の事情が考慮され, 意思能力の有無が判断されている」 ともされ
(8)
ている。
(3) 遺言における意思能力の有無に関する判断基準
遺言無効確認請求事件の審理においても, 遺言者の意思能力 (遺言能力 [民法963条]) の有無が問題となる。 この場合, ①遺言時における遺言者の精神上の障がいの存否, 内容および程度, ②遺言内容それ自体の複雑性, ③遺言の動機・理由, 遺言者と相続人または受遺者との人的関係・交際状況, 遺言に至る経緯の諸事情等が総合的に考慮されるとされ
(9)
る。 遺言無効確認請求事件は, 遺言によって財産を取得する受贈者と相続により財産を取得する相続との間の紛争であり, 遺言者が生前に行った意思表示を巡る争いである。 受取人変更は, 当初受取人に指定された
(6) xxxx 「意思能力の欠缺をめぐる裁判例と問題点」 判タ1146号96頁 (2004年)。
(7) 升ℝ純 『高齢者を悩ませる法律問題』 64頁 (判例時報社・1998年)。 (8) 主な判決例として, 多少, 古いものであるが, 最判昭和29年6月11日
民集8巻6号1055頁, 東京地判昭和35年4月15日法曹新聞153号11頁, xx地判昭和39年11月17xxx集15巻11号2749頁, 東京高判昭和48年5月8日判時708号36頁, 札幌地判昭和53年10月31日判タ377号126頁, 仙台高判昭和56年1月20日同436号165頁等。
(9) 東京地方裁判所民事部プラクティス委員会第二小委員会 「遺言無効確認請求事件を巡る諸問題」 判タ1380号11頁 (2012年)。 主な判決例として,東京高判平成21年8月6日判タ1320号228頁, 同平成22年7月15日同1336号241頁, 高知地判平成24年3月29日同1385号225頁, 東京地判平成24年7月6日 LEX / DB25495590, 同平成24年12月27日 LEX / DB25498698, 東京
高判平成25年3月6日判時2193号12頁, 東京地判平成25年4月1日同2192号92頁等。
者と受取人の変更があったとされることによって新たに指定された者との間において生ずる死亡保険金の帰属に関する紛争であり, 通常, 受取人変更を行った保険契約者が生前に行った意思表示を巡る争いである。以上のことから, 遺言無効確認請求事件と受取人変更とはこれらの点において共通するので, 遺言無効確認請求事件における遺言者の遺言能力の有無に関する判断基準も, 受取人変更における保険契約者の意思能力
(10)
の有無に関する判断基準を検討する場合に参考となろう。
(4) 小括
行為者の行為が有効であるか否かを判断する場合, 行為者において,その行為時に, 意思能力があったか否かを判断することになる。 意思能力とは, 民法上, 行為者について, 自己の行為によって自己の権利・義務が変動することを認識・判断できる能力であると解されている。
行為者において意思能力の有無を判断する場合, 民法上, 行為者自身の認識あるいは判断する能力の他, 行為者が行った行為について, 行為者の動機等の主観的な局面, および, 行為の内容・当事者・状況等の客観的な局面を総合的に判断しているようである。 この場合, 医的評価を行った結果, 行為者の意思能力の有無が明らかな場合には, 他の要素を検討するまでもなく, 行為者の行為が有効か無効か判断されることにな
ろうが, 総合的な判断をするのは, 医的評価だけでは意思能力の有無の
(11)
判断が難しい場合であると考えられる。 総合的な判断をする場合, その要素となる行為者の認識・判断する能力については, 医的評価に基づき,行為者の年齢・言動, あるいは精神上の障がいを含む行為者の病状等を見ながら判断することになろう。 そして, 行為者の主観的な局面においては, 行為者について, 行為に関する動機・理由, 行為の意味についての理解の程度を見る必要があろう。 客観的な局面においては, 行為に至る経緯, 行為の内容 (種類・難易度・効果の軽重等), 行為に関する当
(10) xx・前掲注(1)15頁。
(11) xxxxx 「判批」 共済と保険55巻1号169頁 (2013年)。
事者の関係, 行為時の状況等が重要な要素となろう。
これら民法上の分析結果をまとめると, ①医的評価に基づく行為者の病状等 (行為者の年齢・言動, 精神上の障がいを含む行為者の病状等),
②行為の性質・内容 (種類・難易度・効果の軽重等), ③行為がなされ
るに至った経緯・状況 (行為に関する当事者の関係, 行為時の状況等)
(12)
を総合的に考慮し, 行為者の意思能力の有無を判断しているようである。
3. 保険金受取人変更時における保険契約者の意思能力の有無に関する判断基準
(1) 保険金受取人の変更手続
保険法によれば, 保険契約者は, 保険事故が発生するまでは, 受取人変更ができるとされている (保険法43条1項)。 このように, 保険契約者は, 保険事故 (給付事由) の発生前であれば, いつでも受取人を変更
(13)
できることが原則とされており, 法律上, 受取人の変更権は留保されて
(14)
いる。
受取人変更は, 保険者に対する意思表示によってするとされている (同2項)。 これは, 一方で保険契約者の意思を尊重しつつ, 他方で, 保険関係者 (保険金請求権の譲受人, 差押債権者等) の法的安定性を図るために, 意思表示の相手方を保険者に限定するものであり, その結果,たとえば, 死期の迫った保険契約者が近親者に対して受取人変更の意思表示をした場合, 改正前商法では受取人変更の効果が生じたが, 保険法
(15)
の下では, 変更の効果は生じないことになる。 その限りにおいて, 受取
(12) xxx 「判批」 保険事例研レポ282号7頁 (2014年), 桜沢・前掲注 (1)16頁。
(13) xxxx=xxxx編 『保険法解説-生命保険・傷害疾病定額保険』 301頁 (有斐閣・2010年) (xxxxx)。
(14) 受取人変更権の留保について, xxxx 『保険法』 495頁~496頁 (有斐閣・2005年)。
(15) xx=xx・前掲注(12)303頁 (xx筆)。 最判昭和62年10月29日民集
人変更時における保険契約者の意思能力の有無に関して検討するにあたっては, 保険契約者に死期が迫っている場合の受取人変更手続の妥当性については, 受取人変更の効力を保険者への通知にかからしめている保険法43条2項の規定に基づき判断しなければならないと考える。
保険者に対する意思表示は, 通知が保険者に到達したときは, 当該通知を発した時に遡ってその効力を生ずるが, 到達前に行われた保険給付の効力を妨げない (同3項)。 つまり, 保険契約者の意思を尊重する見
地から, 到達主義 (民法97条1項) の例外として, 効力の発生時期を遡
(16)
らせている。 この結果, 旧受取人に支払われた保険金は不当利得になるので, 新受取人は旧受取人に対して不当利得返還請求権を行使することができる (民法703条)。
死亡保険契約の受取人の変更は, 被保険者の同意がなければ, その効力は生じない (保険法45条)。 もっとも, 自己の死亡の保険契約におい
て受取人を変更できるのは被保険者である保険契約者であるから, 受取
(17)
人変更に際しては必然的に被保険者の同意があることになる。
(2) 意思能力のない者による保険金受取人変更の意思表示の効力
保険契約者が受取人を変更するにあたって意思能力を必要とされ, これを有することなく受取人を変更した場合, 当該変更は無効となると解されるが, このような法的効果がもたらされる理由について考えてみる。
意思能力のない者の法律行為を無効とするという効果をもたらす理由について, 民法においては, 一般的に, 私的自治の原則に基づき, 各人みずからの行為によって自己を拘束する具体的規範を形成しうることを認めるが, それは自己の正常な意思活動に基づく行為によることを前提とし (個人意思自治の原則), さらに, 意思能力の十分でない者は, 十分な考慮なしに自己の不利益となる契約等を締結することに至ることも
41巻7号1527頁。
(16) xx=xx・前掲注(12)304頁 (xx筆)。
(17) xx=xx・前掲注(12)328頁 (xxxx筆)。
ありうるから, この者の締結した契約を無効として扱うことが, この者の財産の滅失ないし義務の負担を不当に生じせしめることを防止して,
(18)
この者を保護する政策的目的を果たしうることもあると理解されている。第三者のためにする生命保険において, 受取人変更の際に, 保険契約 者が十分な意思能力を有することなくその意思を表示した場合, 受取人変更の効力を判断するために重要な視点といえる保険契約者の合理的意思に合致しない結果がもたらされることもありうる。 つまり, 保険契約者は受取人変更の意思表示がもたらす法的効果を十分に認識できない状態であることから, 自分が考えていない者が受取人となってしまうなど,変更内容が保険契約者の意思とは異なる結果がもたらされることになりうる。 それゆえに, 保険契約者が意思能力を十分に有することなく受取人変更を行った場合, 当該変更は無効となると解される理由については,保険契約者自身に不利益な結果がもたらされるとまでは言えず, さらに,保険契約者の財産の滅失ないし義務の負担を不当に生じせしめることを防止するとまでも言えないが, 確かに, 受取人変更においても, 私的自治の原則に基づき, 保険契約者自身の行為によって自己を拘束する具体的規範を形成しうることは認められ, それは, 保険契約者の意思とは異なる可能性のある効果がもたらされることを防ぐことによって, この者の利益を保護することにあると考える。 さらに, 保険契約者の真意においては受取人の変更を希望していたが, 保険契約者が変更の意思を表示する際には十分な意思能力を有しておらず, 変更が認められなかった場合には, 保険契約の当事者 (保険者, 保険契約者) および関係者 (保険金受取人, 保険金請求権の譲受人, 差押債権者等) における法的安定性
を確保することもまた理由とされるのではないかと解する。
(18) xx=石ℝ・前掲注(2)274頁~275頁 (xxx)。
(3) 保険金受取人変更時における保険契約者の意思能力の有無に関する主な判決例
(19)
【1】浦和地判平成3年9月18日
<事実の概要>
Aは, 昭和41年4月5日にⅩ (原告) と婚姻し, Bが生まれたが, 昭和54年6月25日に協議離婚し, 昭和56年12月19日にY1 (被告) と婚姻し, 2人の子をもうけた。 Aは, xと離婚するにあたり, 親権者として Bを引取って養育し, Xには慰謝料等を支払い, これによって昭和56年 12月頃にはⅩとの間には離婚に伴う財産上の問題も解決していた。
Aは, Y2 生命保険会社 (被告) との間で, 昭和45年9月16日, 生命保険契約 (被保険者A, 保険金受取人Ⅹ) を, 昭和48年9月13日, 生命保険契約等 (被保険者A, 保険金受取人Ⅹ) を締結し, 保険料を支払った。
Aは, 昭和62年10月, 直腸癌でC大学附属病院で手術を受け, 昭和63年2月末に退院し, D病院に通院治療を受けていたが, 6月7日に同病院に緊急入院し, 8月13日に直腸癌で死亡した。
Aの病状が悪化し余命いくばくもないと分った母Eは, 8月11日, 受取人がⅩになっていることから, 受取人名義をY1 に変更することをY2に連絡した。 Y2 は, 担当者FをD病院に派遣した。 Fは, 同日午前10時35分頃, 病室において, ベッドに横臥し, 酸素マスクを装着している Aに対し, 「保険契約に加入しているか, 受取人はⅩとなっているか,受取人をY1 に変えたいか」 を質問し, Aはその都度頷いた。 Fは, Aが受取人をⅩからY1 に変更する意思を表示したものと判断したが, 後に問題が生じないようにするために, 午前11時20分頃, 病室で, 主治医 G立会の上, まず, 同医師が, 「Aさん, Gです。 分かりますか」 との質問をし, 次いで, Fが, 「Y2 に加入の保険がありますね, 受取人はⅩ
(19) 文研生命保険判例集6巻382頁。 判批:x x・文研保険事例研レポ 85号1頁 (1993年)。
になっていますね, 受取人をY1 に変えたいのですね」 との質問を, G医師に大丈夫かどうか確認しながら行なったところ, Aはいずれも顎を引いて領いた。 Fは, Aには受取人をⅩからY1 に変更する意思があるとの確認がとれたとして, 午前11時55分頃病室に来たY1 に, Ⅹの両親,弟立合のもとでAの代筆者として受取人をY1 とする受取人変更書を書いてもらった。
看護記録における当時のAの意識状態等は, 8月10日午前9時30分,ベルタゾン 30 mg を点滴で受けた, 8月11日, 午前6時頃には意識朦朧状態であったが, 午前8時には呼名反応があり, 午前10時にも発声はなかったが呼名反応があり, 呼吸の乱れもなかった。 午前10時15分にセルシン 10 mg が投薬された。 正午には入眠中で呼名反応はなかったが, 午後2時には呼名反応があり針で刺すと痛みを感じていたし, 左手をあげたりしていた, 8月12日の午前6時には名前を呼ぶとはっきりした声で返答があった, というものであった。
Aの死後, xは, 受取人として, Y2 に対して1,384万円余りの支払を求め, Y1 に対しても, Y2 が昭和63年9月2日に支払った保険金等 1,384万円余りの支払を求めた。 Yらは, Aが, Y2 に対し, 昭和63年8月11日, 受取人をY1 に変更する旨の意思表示をしたと主張したのに対して, Ⅹは, Aの意思表示は, 意思能力を有していない状態で行われたものであるから, 無効であると主張した。
<判旨>請求棄却。
Aは, 「Ⅹに対し慰謝料等の支払いを完了した時点以降は, 本件生命保険契約における保険金受取人をⅩのままにしておく積極的意思があったものとは考えられないところ, 前記変更手続が行われた時点において,右保険金受取人の変更の意味を判断するだけの意思能力を有しており, その意思に従って保険金受取人をⅩからY1に変更する意思表示をした
ものであることが認められる。」
(20)
【2】大阪地判平成13年3月21日
<事実の概要>
X (原告) の姉Aは, 平成3年10月1日, Y生命保険会社 (被告) との間で, 被保険者B (母), 保険金受取人Aとする生命保険契約を締結した。 平成8年9月5日, 本件保険契約の契約者・満期保険金受取人が Bに, 死亡保険金受取人がXに変更された。 平成12年2月7日, 本件保険契約の死亡保険金受取人をCに変更 (本件変更) する旨の変更届出書がYに提出され, 2月22日, 受取人はCに変更された。 この時, Bは,脳梗塞で倒れ, D病院に入院中であり, 自ら署名を行うことが困難であった。
Bは, 平成12年1月6日, 脳梗塞で倒れ, 午後11時頃, D病院に救急搬送された。 初診時の意識はxxであり, 医師や看護婦の質問に正答し,指示に従うことができたが, 正常時に比べると若干反応が鈍い状態にあった。 上肢に強い右片麻痺と言語障がいが, 頭部 CT では左側頭部から前頭部にかけて脳梗塞が認められた。 39度の発熱があり, 全身倦怠感を訴えていた。 Bは, 肝硬変および糖尿病を患い, 通院加療中であった。 1月8日には, ろれつに難はあるがゆっくり看護婦の質問に正答した。 9日にも, 日付以外の質問には正答し, 12日には, ゆっくりとではあるが,看護婦や同室者と会話をした。 14日には, 看護婦に対し, 肝機能が悪く普段から熱は37度以下になったことがない旨述べた。 15日, 病状が悪化し, 「私の父さんどこに行ったの」 「助けて」 「しんどい」 「吐く」 などとうなり声を上げていたが, 「少しましになった。」 と述べるようになった。しかし, 同日午後2時頃から, 指示には従うものの呼名や揺さぶりには反応が鈍く, 傾眠傾向となり, 脾梗塞であると診断された。 16日も, 病状はよくならず, 「何でこんなにしんどいの。 生きてるのか死んでるのか分からない」 「気持ち悪い, おなか痛い」 と述べていたが, 夜には, Cと談笑することもあった。 しかし, 17日朝から, 看護婦の質問に生返
(20) 判タ1087号195頁。
事をするようになったり, 19日には, 氏名の問には正答したが, 生年月日は答えない状況になった。 22日からは, 呼名に応じず, 意味のある発語のない状態が28日頃まで継続した。 30日, 看護婦の呼名で開眼し, 指示に従える状態になった。 31日には, 看護婦に対し 「しんどいな」 とはっきりした発声もあり, Cとの会話はスムーズなように見えた。 しかし, 翌2月1日には, 氏名を答えることができず, 2日には, 氏名, 年齢, 生年月日は言えたが, 他の質問には答えることができなかった。 他方で,同日, 「おいしい, おいしい, 生き返ったよう」 「だいぶん体が楽です」 と看護婦に述べ, 点滴中止を伝えられると嬉しそうな表情であった。 2月5日頃からは, 脾梗塞に対する治療が奏効し, 発熱もなく笑顔も見られ, 車椅子で散歩をすることもあり, Cと面会中笑い声を上げる姿が見られたり, 面会者や看護婦らとも支障なく会話をしていた。 13日には, Cと外出し, 帰院後, 喜んだ様子で看護婦に返答していた。 しかし, 6日には, 看護婦から言われていないにも関わらず, Cに対し, 看護婦から帰ってもいいと言われたと述べたり, 12日には, 氏名を忘れて泣き出すことがあった。 16日, 腹痛を訴え, 胆石, 胆のう炎と診断され, 腹水穿刺が行われた。 この日から, 全身状態は悪化し, 18日, 右胸水貯留も認められ, 内科に転科した。 その後, 自力で食事ができなくなり, 27日には昏睡状態に陥って, 28日に肝不全で死亡した。
治療にあたっていた脳神経外科E医師は, Bは, 病状が安定しなかった入院直後から2月4日頃まで, および, 病状が回復した5日から15日の間, 「脳梗塞の影響で, 高度な判断を下すことは困難であった」, 「保険の契約などの高度な判断を要する事項については十分に理解し返答することは困難であった」, 2月16日以降死亡までは, 意識障がいで自分の考えを述べることは困難であったとの意見書を作成している。 E医師は, 意見書の趣旨について, Bは大脳の左側頭葉と頭頂部にかけて脳梗塞があり, この部分に梗塞を生じた場合の端的な症状は記憶障がいであり, 最近のことを覚えていないという近接記憶障がいが起こり, それが
元で日時, 場所, 自分が置かれている状況を正確に把握できない状態になり, それが原因で見当識障がい, すなわち, 時間, 場所が正確に言えない状態になっていたと供述している。 さらに, Bは, D病院に入院中,看護婦と身内の者とを識別できたが, 身近にいた身内の者に受取人を変更するとの判断は, 相手の言った言葉の意味やそれによりどういう効果が起こるのかという判断をする前提となる記憶がないために, 不可能であると供述している。
平成12年2月7日の本件変更手続の際, Yの営業職員Fは, 保険金受取人名義変更書をBに見せながら, 「受取人はXとなっているが, これをCさんに変えていいですね」 「息子さんでなくていいのですね」 「世話になっているCさんにしていいのですか」 と質問し, これに対し, Bは
「はい」 と返答したが, 自ら受取人変更を行うこととなった経緯等を述べることはなかった。
Xは, Yに対し, 平成12年3月2日, Bの死亡を理由として, 本件保険契約に基づく保険金の支払を求めた。 Yは, 3月7日, Cに対し, 本件保険金4,562,556円を支払った。
<判旨>一部認容, 一部棄却。
争点 (1) (本件変更手続においてなされたBの意思表示が, 意思能
(21)
力を欠いた状態でなされたものであるか否か) について
Bは, 平成12 「年2月1日から同月12日にかけて, 自己の氏名等が答えられないなどの症状を示し, また, 看護婦が退院してもいいと告げていないにも関わらず, そのように言われたとCに告げているところ, E
(21) 争点 (2) (YのCに対する本件保険金の支払は, 債権の準占有者に対する支払として有効か) について, 裁判所は, Fには, Bの意思能力を十分に確認しないまま変更手続を行ったとの過失があると認められ, 同過失の下になされた変更手続により受取人となったCに対する保険金の支払についても, YがCを債権者であると信じたことにつき過失があると言わざるを得ない, したがって, YがCに対して行った本件保険金の支払は,有効な弁済とは認められないと判示している。
医師の供述によれば, Bのこれらの症状は, 脳梗塞により, 近接記憶障害や見当識障害が起こったものであると解される。」
「E医師が, Bには, 保険金受取人を変更するという判断の前提となる事実の記憶を保持する能力がなく, その状態において受取人変更の意思表示が行われたとしても, それは当該意思表示の効果を認識した正常な意思表示ではないとの趣旨の供述をしており, 同医師の供述を排斥すべき理由はない。」 「本件変更手続におけるBの意思表示が, Fの確認的な質問に対する肯定の返答のみであったことも, Bに保険金受取人の変更という判断をするに十分な意思能力が欠如していたと解することに合致する。
したがって, 本件変更手続においてなされたBの意思表示は, 意思無能力により無効と解さざるを得ない。」
「ア Yは, Fが, Bの意思能力を確認するためD病院に電話を架け,電話に出たE医師から, Bの話は信頼できると聞いたと主張するところ」, F作成の証拠には, 「Yの主張に沿う記載があり, Fもこれに沿う供述をする。
しかしながら, Fの供述によっても, E医師との会話は5分ないし10分程度の簡単なものであったのであり, この中で, E医師に確認を求める旨を説明し, Bの意思能力についての確認を得るのは困難であ」 り,
「E医師は, 保険会社から, Bと話はできるかとの質問を受けたが, 意思能力についての質問は受けていないと陳述していること」 からすると,
「Fの供述及び同人作成の文書の内容については信用性について疑問がある。
したがって, E医師の意見を理由として, Bに意思能力があったとするYの主張は採用できない。」
イ 「Yは, Bが本件保険契約に入院給付金の特約が付されていないことについて残念がっていたこと及び平成12年2月18日, 電話でFと会話した際, 本件変更手続と保険証券再発行の手続を覚えており, 『悪いで
すね, よろしくお願いします』 と述べたと主張し, Fはこれに沿う供述等をする。
しかしながら, 前者は, Bから具体的に言葉が発せられたのではなく, FがBの態度をそのように受け取ったに留まるし, 2月18日の電話での会話については, Bの病状が同月16日から急激に悪化していたことに照らすと, 疑問が残る。
したがって, これらによっても, 本件変更手続におけるBの意思表示が有効になされたと認めることはできない」。
本件変更手続は無効であり, Bが死亡した平成12年2月28日において
も, 受取人はXであった。
(22)
【3】東京地判平成19年2月23日
<事実の概要>
Aは, 平成15年11月1日, BがY生命保険会社 (被告兼相手方。 脱退被告) との間で締結していた団体保険の被保険者になった。 本件保険契約では死亡保険金受取人の指定がないが, 約款によれば, 指定がない場合, 被保険者の配偶者が第1順位の死亡保険金受取人に指定されていたものとされる。
Aは, Bの加入会社Cに勤務していたが, 平成15年6月3日, 左下腹部痛を訴え, 23日, D大学横浜市北部病院において, 小腸腫瘍に対する空腸部分切除術およびS状結腸切除術を受けた。 平成16年5月上旬, 下腹部痛が出現したため, 20日, 精査目的でD大病院に再入院し, 小腸腫瘍再発との診断を受け, 6月1日, 退院した。 14日, 加療目的でD大病院に再々入院して, 15日, 開腹手術を受けたが, 小腸腫瘍が再発しており, 根治手術は不可能との診断を受け, 放射線化学療法を受けることとなった。 7月14日から腫瘍による疼痛が増強し, モルヒネ系製剤 (オプソ), 合成麻薬 (デュロテップパッチ) 少量の投与を受けることとなっ
(22) 2007WLJPCA02238014。
たが, 疼痛の増強を見たため, 8月5日から, 塩酸モルヒネの使用が開始された。 治療は奏功せず, 20日死亡した。
Aは, D大病院に入院中の平成16年7月27日頃, 死亡保険金受取人を妻Ⅹ (原告兼相手方兼反訴原告) から母Z (参加人兼反訴被告) に変更したい旨を通知し, Yにおいて, 変更年月日が平成16年8月1日とされた。 Ⅹは, 受取人として, Yに保険金等の支払を求めたのに対し, Zにおいて, 受取人は, 変更手続の結果, Zであるとして, Ⅹとの間で保険金請求権がZに属することの確認を求めるとともに, Yに対し保険金等の支払を求めて当事者参加申立事件を提起したところ, YがⅩおよびZを被供託者として保険金を弁済供託したため, XおよびZにおいて, 自分が供託金還付請求権を有することの確認を求める請求に訴えを変更するとともに, Ⅹにおいて, Zとの間で同様の確認を求める反訴請求事件を提起する一方, Yにおいて, ⅩおよびZの承諾を得て本件訴訟から脱
退した。
(23)
<判旨>請求棄却。
Aは, 平成16年7月14日から腫瘍による疼痛が増強し, モルヒネ系製剤, 合成麻薬少量の投与を受けることとなり, 「疼痛の増強を見たため,同年8月5日から, 塩酸モルヒネの使用が開始され」, 「鎮痛剤・鎮静剤等の薬剤が投与されるなどしていたため, 会話の最中に入眠したり, ろれつが回らなくなるようなことがあり, 着替え等に介助を要する状態となったことなどが認められ」, D大病院の主治医 「E医師は, Aの判断力, 筆記能力について, 同月13日以降, 判読できるような文字の記述は極めて困難といわざるを得ず」, 「重要な案件に関する正常な判断能力は,同月15日, 同月16日以降は完全に失われたと断定する旨の鑑定意見書」 を提出している。
(23) 争点 (1) (本件通知書のA作成部分の真否) について, 裁判所は,受取人変更に関するYへの通知書は, Aの意思に基づき真正に成立したものと認められると判示している。
「しかしながら, ろれつが回らなくなり, 着替え等に介助を要する状態となったとしても, これにより, 判断能力がないとはいえない」 し,
「F生保リサーチセンターの担当業務員が関係者に面談し」 た報告書によると, Aの意思能力の有無等に関して, Aの上司Gは, 「『平成16年7月23日の前後については, 私自身が見舞いに行っていたが, 意思能力はありました。 正常にコミュニケーションは取れていた。 同年8月18日ころにも, 見舞いに行っていたが, 意思能力はありました。』 旨述べ」, Zは 「『平成16年7月23日と同月末ころ及び同年8月14日から同月15日までと同月18日, 意思能力はありました。 意思能力がありと判断したのは,受け答えは正常であり, 思考能力も正常で, 精神的異常もなしとのことで, これらの条件が揃っていたと理解している。』 旨述べ」, 「Eも, 平成16年7月23日時点については, 『Aは, 当時, 入院加療中であり, 放射線照射の継続的治療を施行していたが, 病状としては寝たきりの状態でもなく, 一日中睡眠状態でもなく, 私とは病棟で何回か会話していたが, 普通の病人と同様の状態でした。 意思能力の有無については, 私は精神科医ではないので, 正式な判断基準の持ち合わせはないが, 会話中の受け答えは正常であり, 思考能力も健常人並で, 精神的異常もありませんでした。 これらを総合的に判断するとしたら, 意思能力はあったと言えます。』 旨述べ, 同年8月18日時点については, 『死亡2日前であり,一日中ベッド上で横になっていたが, 多少衰弱気味であるも, 寝たきり状態ではなかった。 つまり, ベッドから離れて色々な用を足していた。 意思能力については, 同年7月23日とほぼ同様であり, この日も, 私とは何度か会話を交わしたが, 意識はしっかりしていて, 受け答えも正常でした。 ですから, 意思能力について特に問題があったとは思えない。』旨述べていること」, Aの看護記録や診療経過記録にも 「同年8月16日のAの状況については, 『シカゴの友人と談笑できたことを喜んでいる』」
「同月17日のAの状況については, 『ナースステーションに母訪れ, 「さっきAが突然泣き出してしまって」 「私たちが看病のために体を壊さない
か心配しているし, 本人も, なんでこんなに苦しまなければならないのかって泣いてました。」 母親も困惑した様子で相談される。 訪室時には本人落ち着き取り戻している。』」 「『シーツ交換施行。 本人提案にてストレッチャーに移動し交換。 移動にはロールボード使用せず, 自力で横移動する。」 「会社の面会者あり, 談話されている。』」 「『呂律まわらず。 意思疎通は良好。』」 「『疼痛に変わりなく, 「フラッシュしようか」 と自己にてフラッシュ行う。』」 「『「お腹はって痛いんだよ」 と訴えあり。』」 「などと, また, 同月18日のAの状況については, 『 「昨日ちょっとやっただけだよ。」 酸素はいらないといい, 自ら外す。』」 「『本人の希望もあり,医師に確認しグリペック注入可となる。』」 「『「普通のリズムに戻したいんだ。」 夜間に疼痛増強し, 昼夜逆転している。 できるだけ昼は起きていたいと訴える。』」 「『御本人・付き添いの方と相談しモルヒネ U p』」,
「『採血を昨日, 今日としていないことを本人が気にされているため, 相
談して明日は採血する事とした。』」 「と各記載されており, 上記供述内容を裏付けるものとなっていること, Aは, 同月16日から同月18日までの間, アメリカから見舞いにきていた知人に対して, 駅への道順を説明したり, 観光を勧めるなどし, 訪日最終日の同月18日には, Aは数秒間だけ目を覚ましてはまた眠るといったことを繰り返す状態であったものの, 2, 3度知人に気付き, 微笑みかけて知人の名前を呼んだほか, 知人が別れを告げたときも, 知人に気付いて微笑み, 『じゃあ』 と告げるなどしていたこと」 「などにかんがみると, Ⅹの前記供述部分やE医師の前記鑑定意見書における見解は, たやすく採用することができないし, Aが, 本件通知書を作成した当時, それに必要とされる程度の意思能力を欠いていたものとまでは認め難い。」
(24)
【4】東京地判平成21年10月14日
<事実の概要>
(24) 2009WLJPCA10148006。
Aは, B生命保険会社との間で, 内縁の妻Ⅹ (原告) を保険金受取人とする生命保険契約を締結していたが, 平成13年7月1日, 受取人を妹 Y (被告) と変更して本件保険契約を締結した。 Aは, その後, Yに,受取人をYとした旨を伝え, その理由につき, Ⅹに渡すと使われると説明していた。
Aは, 平成14年3月中旬頃, 嘔吐等の症状を来し, 医師に肝障害を指摘され, 4月8日, C病院に入院したが, 12日, D大病院に転院した。
Ⅹは, その後, Aに, 受取人をYからⅩに変更するよう求めていたが, Aはこれを拒否していた。 Ⅹは, 30日, Bの営業職員Eに, Aの親族が上京するのでD大病院に行ってほしい旨依頼し, Eは, 5月7日, Aに初めて面会し, 受取人をYからⅩに変更することの諾否を確認したが, Aは, 変更する必要がないと回答した上, Yの氏の記載を訂正する書面に署名し, 8日, 押印した。 ⅩとEは, Yに対し, 同日頃, 同病院の待合室で, Ⅹに本件保険契約の保険金を全額渡すこと, Yはこれに異議がないことを記載した書面に署名押印を求めたが, Yはこれを拒否した。 Eは, 9日, Aに面会し, 受取人変更の諾否を確認したが, Aはその必要はない旨を返答した。 その後, Ⅹも, 受取人変更を求めたが, Aはこれを断っていた。
Yは, 20日朝, Aのもとに看病に行ったが, Aは, 酸素吸入をし, 苦しい苦しいと言っており, Yが一方的に話すことに返事をしている状態であったが, その日は自宅に戻った。
その後, Ⅹ, EおよびBの営業職員Fは, Aを訪れ, Eが, Aに, 受取人をⅩに変更してよいか尋ね, Aは, 「はい」 と答え, 名義変更請求書に氏名を記載した。 その際, Aは, ベッドから起き上がることができず, Eが, 名義変更請求書の用紙を挟んだバインダーをAの頭上にかざし, 押し上げるようにして記入した。 Fは, その時, Aが大変苦しそうにしていた様子から, Aの意思能力に疑問を持ち, 午後3時30分頃, Yに電話をかけ, Aの様子がおかしかった, 書類を本社に提出するが通ら
ないと思う旨述べた。
Aは, D大病院に入院した当初は, 意識は清明で, 精神神経症状は認められなかったが, 平成14年5月2日以降, 肝機能低下の所見が見られるようになり, 14日には, 傾眠がちになり, 15日には, 引っ越しの予定はないのに, 「引っ越しどうしようかな」 などと話すようになり, 消化管出血も出現した。 診療記録中, 同日の箇所には, 「#1肝性脳症」 「少し脳症ススんでいる」 「傾眠傾向」 「失見当識あり」 と記載されている。 Aは, 同月17日, 「だるい。 食欲ない」 と訴え, 18日の診療記録には
(25)
「傾眠傾向」 「従命入る」 と記載され, 反応が鈍くなり, 羽ばたき振戦が
+となった旨記載されている。 担当医師は, 同日, Ⅹに対し, 肝不全による凝固異常等を原因とする消化管出血を起こしており, 意識状態も悪化していること, 状態は非常に悪く, 数日で急変し, 死亡ということも考えられることを説明した。
Aは, 19日, 羽ばたき振戦が+で, 倦怠感+または++で, 傾眠がちとなった。 20日, 黄疸, 腹水, 手足の浮腫が顕著となり, 羽ばたき振戦が+で, 倦怠感で体を動かせない状態となった。 同日の血液検査では,肝性脳症の進行に関連する血液凝固時間および血中アンモニア濃度の数
値の悪化が認められた。 21日, 羽ばたき振戦が++となり, 呼吸苦を訴
(26)
え, 意識レベルも低下し, 26日, 劇症肝炎により死亡した。 Aが死亡したので, Yは受取人であるとしてBに保険金の支払を請求
し, Ⅹは, 受取人変更により受取人になったとしてBに保険金の支払を
(25) 従命とは, 判決文によれば, 医師が 「目を開けて」 などと指示することに患者が従えるか否かの検査をいう。
(26) 劇症肝炎とは, 判決文によれば, 肝細胞の広範な壊死により急激な肝不全症状 (肝萎縮, 黄疸, 消化管出血など) が現れる病態をいい, 診断基準では, 肝炎発症後8週間以内に急激な肝機能障害により肝性脳症Ⅱ度以上を来し, プロトロンビン時間 (PT) 40%以下を示すものと定義されており, 症状としては, 肝性脳症 (肝性昏睡) と呼ばれる意識障害が発生する。
請求したが, Bは, 平成14年6月29日, 真の債権者を確知できないとし,これを供託原因として, ⅩまたはYを被供託者として, 保険金等を供託した。
<判旨>請求棄却。
「Aは, D大病院に入院した後も, 本件保険契約の保険金受取人をYのままとする意思であったところ, 平成14年5月20日, 上記保険金受取人をⅩに変更する意思表示をしたものであるが, Aは, D大病院に入院した後, 肝性脳症の症状が現れ, 平成14年5月18日には, 意識状態も悪化し, 状態は非常に悪いとして, 担当医師が, Ⅹに, 数日で急変し, 死亡ということも考えられることを説明する状態に至っていたところ, 本件名義変更の意思表示は, その2日後である同月20日にされたものであり,」 「Aの当日の病状にかんがみると, Aは, 上記名義変更の意思表示をした当時, 自己の行為の結果を判断する能力のない状態にあり, 意思能力を欠如していたものと認められる。
そうすると, Aがした本件保険契約の保険金受取人をYからⅩに変更
する意思表示は無効であり, Yが, 本件保険契約の保険金請求権を有しているものというべきである。」
(27)
【5】大分地判平成23年10月27日
<事実の概要>
AとBは, 婚姻時, Aには前妻との間の子Ⅹ (原告) が, Bには前夫との間の子Z (被告補助参加人) がいた。 その後, ⅩはBとの間で養子縁組をした。
Bは, 旧郵政省簡易保険局長Y (被告) との間で, 被保険者B, 保険金受取人Aとする2件の簡易保険契約を締結した。 前者については, 生存保険金として, 平成7年11月13日に40万円, 平成17年11月15日に60万円がBに支払われている。 Aは平成19年8月27日死亡し, 本件受取人は,
(27) 2013WLJPCA12128003。 判批:有馬由実子・共済と保険55巻1号166頁 (2013年), 長瀬博・保険事例研レポ282号1頁 (2014年)。
平成20年5月1日, Ⅹに変更された。
BはⅩと同居していたが, 平成20年6月, Ⅹ宅を出てZと生活することになった。 Ⅹは, 7月から9月頃にかけて, BやZに対して, 脅迫まがいの文書を送ったり, B, ZおよびC (Zの夫) が暴力団と深い関係がある等を記載した文書を不動産会社等に送付した。 Bらは, 平成21年
1月7日, Ⅹの行為につき刑事告訴し, 2月, Ⅹおよびその妻に対し名 誉毀損を理由とする損害賠償請求訴訟を提起した。 6月12日, ⅩらとBらは, ⅩがBらに対し損害賠償金を支払うことなどを内容とする和解をした。 Bは, 7月15日, Ⅹとの離縁届に署名押印し, 同月21日離縁した。 Bは, 平成21年7月16日, 本件保険契約の受取人をⅩからZに変更す
る手続を行った。 Bは, 平成22年1月9日, 死亡した。
Bは, 平成20年7月4日から12月25日まで, D医院に通院した。 7月
4日, パーキンソン病およびアルツハイマー型認知症と診断され, 長谷
(28)
川式スケールの結果は18点であった。 カルテには, 「認知症症状 介護保険証の紛失 団体旅行の日付を忘れる 火の不始末」, 「判断力の低下。店番 客との応対が困難。 通帳を無くした」, 「記銘力障害:中」 等の記載がある。 8月19日付けおよび10月7日付け 「主治医意見書」 では, 7月, 9月の長谷川式スケールの結果が12点であったとされ, 「一見もっともらしい会話は見られるが, 内容の伴わない作話であることが多い」 等とされている。 Bは, 平成20年12月24日および平成21年4月8日に, E神経内科クリニックを受診した。 12月24日の長谷川式スケールの結果は15点であり, 4月8日付け診療情報提供書では, パーキンソン病と認知症があげられている。
Bは, 平成21年1月3日, F病院に入院したが, 8日にG病院に転院し, 7月10日まで入院した。 G病院のカルテの入院当日の傷病名欄には,
(28) 長谷川式スケールは, 長谷川式簡易知能評価スケールといい, 認知症のスクーリニング目的で使用されている検査である。 長瀬・前掲注(27)5頁を参照。
アルツハイマー型痴呆症と記載され, 治療薬アリセプトが投与されている。 4月27日, BのⅩに対する刑事告訴を受けて, 警察がBの事情聴取を行ったが, 報告書では, Bの病状につき 「事情聴取にあっては, 全く出来ないことはないが, 呂律が廻りにくく, 意識レベルが多少低いことからコンタクトが非常に取りにくい状態である」 「問いかけの意味等が理解出来ない状態であり, 事情聴取出来なかった」 とされ, 6月17日付け 「病状・ADL 等状態」 の書面では, 長谷川式スケールの結果が24点であり, 「コミュニケーション可能, 呂律廻りにくさあり」 とされ, 7月8日付け診療情報提供書では, 6月の長谷川式スケールの結果が18点であったこと, アルツハイマー型認知症でありアリセプトを投与中であること等が記載されている。 7月10日付け 「転院時看護要約」 では,
「意思疎通」 について, 「自立○」, 「発語不明瞭だが問題なし」 とされている。
Bは, 7月10日, H病院に入院した。 同病院では, 認知症との診断はなされておらず, 長谷川式スケールも実施されていない。 同日付け 「日常生活動作 (ADL) 調査表」 では, 「意思疎通」 は 「普通に疎通」, 「認知症」 は 「問題行動:無」, 「認知度」 は 「正常」 とされている。 7月24日付け 「リハビリテーション総合実施計画書」 では, 「コミュニケーション」 につき, 「理解度あり ゆっくりであるが発語あり」 とされ, I市の調査員が作成した11月10日付け介護認定調査票では, 「意思の伝達 ほとんど不可」, 「毎日の日課を理解 できない」, 「生年月日をいう で
きない」, 「短期記憶 できない」 等とされている。
(29)
<判旨>請求棄却。
平成20年7月4日の長谷川式スケールの結果が18点, 7月及び9月の結果が12点, 12月24日の結果が15点であること, 「同年7月ころ, Bには, 火の不始末, 判断力の低下, 物忘れ等の症状がみられたこと, 平成
(29) 控訴審判決 (福岡高判平成24年5月29日) について, 長瀬・前掲注 (27)10頁。
21年4月27日に行われた警察によるBの事情聴取の報告書において事情聴取ができなかったとされていること, 平成21年7月8日時点で, 医師が, Bはアルツハイマー型認知症であると考えていたこと, 同年11月10日時点で, Bについて意思の伝達がほとんどできないとされていることなどからすれば, 本件変更手続がなされたころの時点において, Bの意思能力は相当程度低下していたものといえる。」
しかしながら, 「火の不始末, 判断力の低下等の指摘がなされたのは,本件変更手続より半年以上前のD医院通院中のことである。」 「本件変更手続より前に行われた長谷川式スケールで最も認知症の重症度が高い12点との結果が出たのは, 本件変更手続の約10か月も前に行われた検査でのことであって, その他の結果はいずれも15点ないし18点で, その重症度は 『中程度の認知症』 から 『軽度の認知症』 にとどまっている上, 本件変更手続の直近である約1か月前に行われた検査では18点ないし24点の結果が出ており, その重症度は 『中程度の認知症』 から 『軽度の認知症』 の程度ないし 『正常』 の程度にとどまっている」。 「変更手続が行われた平成21年7月ころは, 当時Bが入院していたG病院, H病院のいずれにおいても, Bの症状につき」, 「発語の難があるものの意思疎通は正常ないし可能とされており, その後, 意思の伝達がほとんどできないとされたのは, 本件変更手続から約4か月も後になされたI市による調査でのことである。」 「7月10日以降Bの治療を担当した医師は, 同年10月末まではBの意識レベルは清明で, 他者とのコミュニケーションも確立されて判断能力も十分に存在していたとしており, 同見解は, 上記Bの病状に照らしても納得がいく」。
「本件変更手続が行われた平成21年7月ころのBの症状をみても, Bが意思無能力であったことについて相応の疑問が残るものである上,」
「Ⅹが, Aの死後, BがAから相続して居住していた不動産を廉価でⅩに売却させ, その代金を支払わないまま平成20年6月にBをその居宅から追い出し, 以後は, ZがBを引き取って面倒をみていたこと」, 「Ⅹが,
Bに対し, 執拗に脅迫や誹誘中傷行為を行い, これによりⅩは刑事処分を受け, BやZはⅩに対して民事訴訟を提起したこと」, 「BがⅩとの離縁届に署名押印し, その翌日に本件変更手続が取られたことが認められる。 このように, BとXとが, 本件変更手続前から, 法的紛争に発展するまでの激しい対立関係にあったことからすれば, Bにおいて, 保険金受取人をXからZに変更しようと考えるのは極めて合理的で納得が」 いく。 「保険金受取の変更という行為の性質をみても, 当該行為の意味内容は単純であり, 一般に, 一定程度の理解力の低下がみられても, その意味内容を理解することは比較的容易なものということができる。」
「本件変更手続がなされたころのBの病状に加え, 本件変更手続がなされるに至った経緯, 本件変更手続きの性質も考慮すれば, 本件変更手続についてBが意思無能力であったとは認められない。」
[1] 証拠によれば, 「Bは, 郵便局員Jの問い掛けに続いてなされたZの再度の問い掛けに対しては, 少なくともうなずいて応答したというのであり, BがJの問い掛けに対して直接応答しなかったことが, Bの理解能力の低下・欠如に起因するものかどうかは必ずしも明らかでない。」 [2] 「警察が作成した報告書では, Bについて, 『問いかけの意味等が理解出来ない状態であり, 事情聴取出来なかった。』 とされているが, 他方で, 『事情聴取にあっては, 全く出来ないことはないが, 呂律が廻りにくく, 意識レベルが 「多少低い」 ことからコンタクトが非常に取りにくい状態である。』 とされ, 意識レベルは 『多少低い』 とされているに過ぎず,」 「報告書が本件変更手続の3か月近く前に作成されたものであることも考慮すれば, 上記報告書も, Bの意思無能力を的確に根拠付けるものとは評価できない。」 [3] Ⅹの主張のとおり, 「意思疎通の可否が必ずしも意思能力の有無に直結しないと言い得たとしても, 少なくとも, 意思疎通の可否は意思能力の有無を判断する際の1つの資料にはなるということができ, 意思疎通の可否のほか, 本件変更手続に至る経緯等の前記諸事情も併せ考えれば, Ⅹの主張が前記結論を覆すもの
ではない。」
(30)
【6】東京地判平成25年12月12日
<事実の概要>
Ⅹ (原告) の姉Aは, 平成4年, Y生命保険会社 (被告) との間で, 被保険者A (当時はA1), 死亡保険金受取人Ⅹとする2つの保険契約を締結した。 AとZ (補助参加人) は, 平成18年12月28日に婚姻した。 平成22年5月11日付けで, Yに対し, A名義で, 本件各受取人をZに変更する旨の受取人変更請求が行われた。 Aが5月19日に死亡したので, 9月1日, Yは, Zからの請求に基づき, Zに保険金等を支払った。 Ⅹは, Yに対し, 平成23年8月1日, 保険金等の支払を求めたが, Yは応じなかった。
AとZは, 平成13年頃から同居した。 当時, ZはCと婚姻中であった。平成20年9月27日, Aは, Yに対し, 本件各保険契約につき, 結婚を理由に, 契約者および被保険者の名義をA1 からAに変更する手続を行い,届出印の改印手続も行った。
平成22年2月下旬, Aが, 胆管癌であること, 余命3ないし6か月であること, 抗癌剤治療も不可能であることが判明した。 Aは, 自宅で療養を行うことを希望したため, Zは, Aが死亡するまで, 入浴サービスや訪問介護サービスを利用したほかは, 食事の世話, 排泄の介助を含む Aの日常の世話をほぼすべて一人で行った。 3月12日, Aを診察していたDクリニックのE医師は, Aにつき, 肝臓の腫大や腹水の貯留を認め, Zに対しその旨を告げた。 4月16日, E医師は, Aの通院が困難になってきたことから往診を開始した。 4月21日から, Aは, 麻薬貼付剤 (ヂエロチップ MT パッチ) の使用を開始した。 E医師は, 4月23日, 26日, 27日, 5月4日, 7日, 14日, 18日に往診し, 5月4日, 7日, 14日, 18日には入浴サービスが実施された。 5月14日の診察の際, Aのバ
(30) 2013WLJPCA12128003, LEX / DB25516919。 判批:桜沢・前掲注(1) 10頁, 天野康弘・共済と保険691号28頁 (2016年)。
イタルサイン (血圧, 脈拍, 動脈血酸素飽和度) に特に異常はなかった。平成22年3月頃以降, ZはⅩに対して以下のようなファクスを送信し た。 Ⅹは, 見舞いのためにAの自宅を訪問することはあったが, Aの介
護を申し出ることはなく, その意思もなかった。
①平成22年4月11日
「4/10 (土) 夜中2時, 自分でタクシー手配 タクシー来た。 気配で気付き Stop。 花の教室に行くという。 真暗で断念させた。」
②平成22年4月14日
「今西瓜賞味中 ごはん食べますかと聞いたが今日はでかけることないので急がないと云っています。」 「Aさんケ一夕イしてなんとなく風呂の件云ってもらえませんか 13日間風呂なしです。」
③平成22年4月14日
「昨日の約束全然覚えていない。 紙に書いてないから (今日デイサービスに行くことを) 今日はどうしても行きたくないとのことです。」
④平成22年4月17日
「本人起きて少し食べました。 FさんとGデパートで3時に約束したので困っています駐車場から 700 m 以上 up down あり連れて行く方法が?お風呂も入ると云っています。」
⑤平成22年4月17日
「風呂沸きましたがもちろん入るハズなく今, 寝ました。」
⑥平成22年5月10日
「せんたくも1日4回はしますあと食事支度, 食事介護, 水分補給,便の始末, 紙パンツパッドの処理, 便器消毒, お尻のソージ, 調剤薬局買い物, 教室 (花, 水墨, 絵手紙関係者応対), せんたくの取り入れ ETC 今日はモルの交換日なので苦しそうです。」
⑦平成22年5月10日
「Aさんこの2週間完全に24時間眠ったままですというか苦痛がひどくて眠らされています従って便も尿も Bed からの移動全くできず毎日
角力を取っています, もちろん液体食事もスプーン移し箸移しですケ一夕イ, トイレ, 車イスも買いましたが殆ど役立つことはありません, それでも“Ⅹ”さんの名はよく呼んでいますよ。 昨日はHさんも呼んでいました。 トイレも早い時は30~1時間, 今は30分以上目は離せません。」
<判旨>請求棄却。
争点 (1) (本件受取人変更請求がAの意思に基づくものであるか否か) について
ア 「受取人名義変更請求書の届出印押印欄の印影は, Aが, 自ら行った改印手続の際に届け出た印影と同一であること, 本件受取人変更請求に際しては, 本件受取人名義変更請求書と共に本件契約にかかる保険証券が郵送によりYに提出されたこと, Aは, 平成22年2月に胆管癌で余命」 が判明して以降, 「自宅で療養を行うことを希望し, 死亡時に至るまで, 主として夫であるZにより, 食事の世話, 排泄の介助を含む日常の身の回りの世話を受けていた経緯があり, 本件受取人変更請求は, Aが, 本件各保険契約の受取人を」 「Zに変更することを内容とするものであることが認められ, これらの事情と, 本件において, Zが, 平成22年5月11日に本件受取人名義変更請求書にAが署名押印した際の様子を具体的に述べていることからして, 本件受取人変更請求がAの意思にもとづくものであると認めることが相当である。」
イ 「受取人名義変更請求書の作成日付である平成22年5月11日は, 結果的にはAの死亡日」 「の8日前であり, 当時, Aが麻薬貼付剤を使用していたことや, 同月10日にZがⅩに送信したファクスに 『Aさんこの
2週間完全に24時間眠ったままですというか苦痛がひどくて眠らされています』 等と記載されて」 おり, 「Iも証人として, 同月10日にAの自宅を訪問して散髪を行った際のAの様子につき, 目を閉じていることが多く話しかけてもほとんど反応がなかった旨を証言している。
しかしながら他方, Zが上記ファクスの表現につき, Aがまどろむことが多かったことをオーバーに表現してⅩの手助けを期待したものであ
る旨主張しているだけでなく」, E医師も 「Aが, 平成22年5月14日までは間違いなく同医師の質問に答えていた, 署名の意味を理解したり, 筆記することもできた, 薬は少量なので24時間眠ったままということはない, 座位の保持もできた等と証言しているのであって, これら各証言等の内容を総合的に考慮すれば, 本件受取人名義変更請求書の作成当時, Aがその署名を行うのに必要な判断力や体力がなかったとまでは言え」 ない。
ウ 「Aは, 胆管癌であることが判明して以降死亡時まで」, 自宅で, Zにより日常の身の回りの世話を受けており, 「ZからⅩへ送信されたファクスの内容からも, むしろZがAに対し献身的な介護を行っている様子が窺われるのであって」, 「AがZの介護に素直に従わない態度をとることがあったとしても, AとZの夫婦関係が険悪であったとまでは言い難く, 他にこれを認めるに足りる証拠もない。」
エ 本件受取人名義変更請求書の署名の筆跡と 「A自身が記載した本件各保険契約の締結時の申込書あるいは平成20年9月27日の名義変更手続の際の名義変更請求書とを比較対照してみても, 『A』 の文字の筆順が異なっている点を除けば, 似ているとも似ていないとも言え, Zが主張するようなAの署名の状況 (ZがZの手の上に手を重ね筆圧が加わるように介助した旨) にも照らせば, 本件受取人名義変更請求書の署名が直ちにAによるものではないとは断定できないし,」 「『A』 の文字の筆順が異なっている点も, これだけをもって直ちに上記アの認定を覆すに足りるものとはいえない。
オ 以上によれば, 本件受取人変更請求はAの意思にもとづくものであると認められる。」
争点 (2) (本件受取人変更請求当時のAの意思能力) について
「本件受取人名義変更請求書の作成当時, Aがその署名を行うのに必要な判断力を有していなかったとまでは言えないことは上記 (1) イにおいて述べたとおりであ」 る。
(4) 保険金受取人変更時における保険契約者の意思能力の有無に関する判断基準
(ア) 民法上の判断基準の受取人変更へのあてはめ
民法上の意思能力有無の判断基準に関する分析結果をまとめると, ①医的評価に基づく行為者の病状等 (行為者の年齢・言動, 精神上の障がいを含む行為者の病状等), ②行為の性質・内容 (種類・理解の難易度・効果の軽重等), ③行為がなされるに至った経緯・状況 (行為に関する当事者の関係, 行為時の状況等) を総合的に考慮し, 行為者の意思能力
(31)
の有無を判断している。
民法上の判断基準を受取人変更にあてはめてみると, 次のようになろ
(32)
う。 まず, (i) 医的評価に基づく保険契約者の病状等があげられる。受取人変更の意思を表示したとされる保険契約者につき, 医師による評価に基づいて, 年齢・言動, 精神上の障がいの有無, 障がいがあったと
される場合のその内容および程度などが考慮されるべきであろう。 そもそも, 受取人変更の効力が争われるのは, 被保険者である保険契約者が死亡した結果, 受取人変更があったとされる前または後の受取人が, 保険会社に対して死亡保険金の支払を請求したり, 受取人変更があったとされる前の受取人が後の受取人に対して, あるいは後ろの受取人が前の受取人に対して, 死亡保険金相当額につき不当利得として返還請求する場合が多いとされる。 ただ, この時点では, 受取人変更を行ったとされ
る保険契約者は死亡しており, この者の医学評価については, カルテや
(33)
看護記録等から判断せざるを得ない。
つぎに, ( ) 受取人変更手続の性質および内容があげられる。 保険契約上, 保険契約者において, 受取人変更という行為の意義および効果
(31) 長瀬・前掲注(27)7頁, 桜沢・前掲注(1)16頁。
(32) 長瀬・前掲注(27)7頁, 桜沢・前掲注(1)16頁, 天野・前掲注(30)32頁~33頁。
(33) 有馬・前掲注(27)170頁。
を理解したうえで変更手続を行うことが必要であることから, 変更手続の複雑性の程度, およびそれに関連して, 保険契約者が変更手続を理解する難易度が考慮されるべきであろう。 この場合, 売買契約などのように, 当該契約の成立要件として当事者の合意を必要とする契約とは異なり, 受取人変更は保険契約者の一方的意思表示によって効力を生ずると
(34)
いう解釈が, 変更手続の複雑性を考慮する場合において, 他の契約との違いを導き出すのではないかと考える。
そして, ( ) 受取人変更手続がなされるに至った経緯および状況があげられる。 この場合, 受取人変更という行為に関する当事者 (保険契約者・保険者) および関係者 (保険金請求権の譲受人, 差押債権者等)の間柄を考慮しながら, そもそも保険契約者が受取人変更を希望していたか否かを含め, 受取人変更手続が, 第三者が納得できる経過を辿ったか否か (自然性), 合理的かつ適法になされたか否か (合理性・適法性)等が考慮されるべきであろう。
これら3つの判断基準に従って, 保険契約者の受取人変更における意思能力の有無が判断され, その結果, 受取人変更の有無が決められることになると解する。
(イ) 受取人変更における保険契約者の意思能力有無に関する具体的な
判断要素
(!) 医的評価に基づく保険契約者の病状等
【1】では, 保険契約者は, 直腸癌の手術を受け, 通院治療していたが, 8か月後, 緊急入院し, 6日後に直腸癌で死亡した。 死亡の2日前に受取変更の手続をした際, ベッドに横臥し, 酸素マスクを装着しながら, 保険会社の担当者の質問に顎を引いて返答していた。 看護記録によると, 死亡の3日前に点滴を受け, 2日前の午前中には意識朦朧状態の後, 呼名反応があり, 投薬がなされ, 午後には呼名反応があり, 手を上
(34) 最判昭和62年10月29日民集41巻7号1527頁, 山下・前掲注(14)496頁
~497頁。
げたりしており, 死亡前日には, 呼名反応があったとされる。 これらのことから, 保険契約者について, ①入院時における点滴・投薬などの治療状況, ②外部からの呼び掛けに対する反応などの意識状態, ③横臥していたとするなどの変更手続時の態度等が判断要素として見て取れる。
【2】では, 保険契約者は, 脳梗塞で入院し, 上肢に麻痺と言語障がいがあり, 左側頭部から前頭部にかけて脳梗塞が認められた。 ろれつに難があるが, 看護師と会話をし, 入院から10日後, 指示には従うが傾眠傾向となり, 脾梗塞と診断された。 その後, 呼名反応はなく, 意味のある発語のない状態が継続したものの, 治療が奏効し, 発熱もなく, 面会者や看護師と会話をしていた。 入院から1か月半後, 全身状態は悪化し,右胸水貯留も認められ, 昏睡状態に陥って, 肝不全で死亡した。 本判決では, 治療にあたっていた脳神経外科医の意見書および供述の内容が裁判所の判断に影響しているといえる。 それによると, 保険契約者は, 治療が奏効して病状が回復した後も, 脳梗塞の影響で高度な判断を下すことは困難であったこと, 保険契約などの高度な判断を要する事項については十分に理解し返答することは困難であったこと, 死亡までは意識障がいにより自分の考えを述べることは困難であったこと等が認定されている。 また, 医師によれば, 保険契約者には, 脳梗塞により, 近接記憶障がいが起こり, 日時, 場所, 自分が置かれている状況を正確に把握できない状態になり, それが原因で時間, 場所が正確に言えない状態になっていたこと, 受取人を身近にいた身内の者に変更するとの判断は, 相手の言葉の意味やそれによりどういう効果が起こるのかという判断をする前提となる記憶がないために, 不可能であることなどの供述がなされている。 これらのことから, 裁判所は,【1】と同じく, 判断要素として,保険契約者について, ①入院時における治療状況, ②外部への反応などの意識状態を示しているが, 医師が, 保険契約者は保険契約などの高度な判断を要する事項については十分に理解し返答することは困難であったと供述していることから, ④保険契約者が正しく判断し, 意思を正確
に伝えられる状態にあることも判断基準としているといえる。 受取人変更という法律行為が高度な判断を必要とするか否かについては後述するとして, 裁判所は, 保険契約者の意思能力の有無を検討するに際して,医師の意見書や供述に基づく判断も行っていることから, これら意見書等は意思能力有無の判断において重要な要素であるといえる。
【3】では, 保険契約者は, 小腸腫瘍の手術を受け, 放射線化学療法を受けていたが, 死亡する1か月ほど前から疼痛が増強したので投薬を続けたものの治療は奏功せず, 死亡した。 このように, 保険契約者は,死亡する1ヶ月ほど前から始めた投薬のため, 会話中に入眠したり, ろれつが回らなくなるようなことがあり, 介助を必要としたり, 医師の鑑定意見書によれば, 判読できる文字の記述は困難といわざるを得ず, 重要な案件に関する正常な判断能力は, 死亡する1週間ほど前には完全に失われたと断定されている。 その一方で, ろれつが回らなくなり, 介助状態となったとしても, これにより, 判断能力がないとはいえないとさ
れている。 このように, 本件では, 保険契約者の意思能力を肯定する方
(35)
向に働く事実とこれを否定する方向に働く事実とが混在するが, 受取人変更手続が行われたのは, 疼痛の増強に対する投薬が始まった日の10日前であり, その時の保険契約者の意識状態は衰えているものの, 受取人変更手続において判断できる状態にあること, 保険会社の関係者が作成した報告書では, 保険契約者の受け答えは正常であったと記載されていることなどからして, 裁判所は受取人変更を認めているといえる。 当然のことながら, ⑤意思能力の有無の判断時期は受取人変更手続時であり,その時の保険契約者の状態をみて意思能力の有無を判断することになろう。
【4】では, 保険契約者は, 肝障害を指摘され, 入院したところ, 当初は, 意識は清明であったが, 1か月ほどして, 肝機能低下がみられる
(35) 有馬・前掲注(27)170頁。
ようになり, 消化管出血も出現した。 この頃, 保険契約者に対して受取人変更の意思を確認したが, 保険契約者は変更を拒否している。 その後,傾眠がちになり, 予定がないのに引っ越しの話などをしていた。 死亡の
8日前, 担当医師は, 家族に対し, 状態は非常に悪く, 数日で急変し, 死亡も考えられることを説明し, その後, 受取人変更の手続が行われた。容態は次第に悪化し, 血液検査では, 肝性脳症の進行に関連する血液凝固時間および血中アンモニア濃度の数値の悪化が認められ, 呼吸苦を訴え, 意識レベルが低下し, 劇症肝炎により死亡した。 本件では, 裁判所は受取人変更の効果を否定しているが, その際, ①入院時における治療状況, ②保険契約者の意識状態, ④保険契約者が正しく判断し, その意思を正確に伝えることのできる状態にあること, ⑤意思能力の有無の判断時期に基づいて判断しているといえる。
【5】では, 保険契約者の意思能力を肯定する方向に働く事実とこれを否定する方向に働く事実とが混在するが, ⑤意思能力の有無の判断時期を重視した判断をしているといえる。 つまり, 保険契約者は, 当初, パーキンソン病およびアルツハイマー型認知症と診断され, 半年後, 入院したところ, アルツハイマー型痴呆症と診断され, 投薬治療を受けた。その頃, 刑事告訴があったことによる事情聴取の結果, 報告書では, 保険契約者の病状につき, ろれつが廻りにくく, 意識レベルが低いことからコンタクトが非常に取りにくい状態であり, 問いかけの意味等が理解できない状態であり, 事情聴取できなかったとされている。 この頃, 受取人変更手続がなされている。 その後, 転院し, 4か月後になされた介護認定調査票には, 意思の伝達がほとんどできないなどと記載されている。 しかし, 裁判所は, 変更手続がなされた頃は, 入院した2つの病院のいずれにおいても, 症状につき, 発語の難があるものの意思疎通は正常ないし可能とされており, 意思の伝達がほとんどできないとされたのは, 変更手続から約4か月も後になされた調査でのことであると認定し,変更手続が行われた頃に担当した医師は, その後2か月ほどの間は, 意
識レベルは清明で, 他者とのコミュニケーションも確立されて判断能力も十分に存在していたと判示して, 保険契約者について意思能力を認めている。
【6】では, 保険契約者の意思能力を肯定する方向に働く事実とこれを否定する方向に働く事実とが混在するが, ⑤意思能力の有無の判断時期を重視した判断をしているといえる。 つまり, 保険契約者は, 胆管癌であること, 余命3ないし6か月であること, 抗癌剤治療も不可能であることが判明し, 自宅療養を希望したため, 夫が世話をした。 1か月半後, 通院が困難となったので, 医師は往診を開始し, 7回行った。 夫が保険契約者の妹に対して様子を記載したファクスには, 「この2週間完全に24時間眠ったままですというか苦痛がひどくて眠らされています」等と記載されており, 保険契約者の自宅で散髪を行った者によれば, 目を閉じていることが多く話しかけても反応がなかったとされる。 これに対して, 裁判所は, ファクスの表現につき, 保険契約者の状態をオーバーに表現して妹の手助けを期待したものであり, 往診した医師も, 保険契約者が, 受取人変更の頃までは医師の質問に答えていた, 署名の意味を理解したり, 筆記することもできた, 薬は少量なので24時間眠ったままということはない, 座位の保持もできたなどと証言しており, これら証言等を総合的に考慮すれば, 受取人名義変更請求書の作成当時, 署名を行うのに必要な判断力や体力がなかったとまではいえないと判示して,保険契約者について意思能力を認めている。
保険契約者の意思能力の有無を判断する場合の3つの基準のうち,
(i) 医的評価に基づく保険契約者の病状等に関して, 裁判例の中で判断要素を探ってみると, ①保険契約者の入院時における治療状況, ②保険契約者の意識状態, ③保険契約者の変更手続時の態度, ④保険契約者が正しく判断し, その意思を正確に伝えることのできる状態にあること,
⑤意思能力の有無の判断時期を判断要素にしていると考える。 このうち,
(36)
⑤は, 受取人変更の表示行為の時点を判断時期とするが, 3つの判断基
準に共通する要素であり, 意思能力の有無を判断する場合には⑤の基礎とすることになるといえる。
( ) 受取人変更手続の性質・内容
2つ目の判断基準として, 受取人変更手続の性質および内容があげられる。 保険契約者において受取人変更という行為の意義および効果を理解したうえで変更手続を行うことが必要なことから, 変更手続の複雑性の程度, およびそれに関連して, 保険契約者が変更手続を理解する難易度が考慮されるべきであろう。
生命保険契約では, 保険契約の締結時において, 保険申込人の申込と保険者になる者による承諾により当該契約は成立する (保険法2条1号)。確かに, 保険契約は, 売買契約などと比べれば, 契約内容が複雑なことが多いので, 保険契約を締結する場合, 保険申込人には高度な判断能力
を必要とすることから, 保険申込人は当該契約の内容を理解したうえで,
(37)
申込をすることになるし, 理解することが望ましい。
これに対して, 受取人変更では, 保険契約者は, 保険者に対する意思表示によって受取人を変更することができるとされており (保険法43条
2項), その意思表示は, 保険者の承諾を必要としない一方的意思表示であると解されている。 それゆえに, 表意者である保険契約者の意思能力の有無を判断する場合, 合意にあたり高度な判断力を必要とする契約における当事者の意思能力のレベル, あるいは, 保険契約締結時の保険申込人の意思能力のレベルを求める必要はないのではないかと考える。というのは, まず, 受取人の変更においては, 保険契約者につき, 相手方との交渉や駆け引きなどを経て成立する不動産の売買や保証契約のよ
うに, 比較的高度な知識あるいは判断力を要求されるものではないと解
(38)
されるからである。 つぎに, 受取人の変更は, 保険者についてみれば,
(36) 竹 ・前掲注(19)3頁。
(37) 有馬・前掲注(27)171頁。
(38) 竹 ・前掲注(19)4頁, 天野・前掲注(30)33頁。
保険金を支払うのか否か, 誰に保険金を支払うことになるのかを明らかにする行為であり, 保険契約者についてみれば, 誰に保険金を受け取らせたいと考えているのかを明らかにする行為であることから, その目的を容易に理解して行うことのできる行為であると解される。 さらに, 表意者保護についていえば, 受取人変更では表意者である保険契約者はすでに死亡していることから, この者の保護に馴染むものではないであろうし, また, 受取人変更では, 変更手続により, 保険契約者が表意者として新たな責任を負う場面はないから, この点でも表意者保護は妥当するものではないうえに, 相手方である保険者にとっても, 保険金を誰に支払うのかという問題であるから, 取引安定の観点からの相手方保護と
(39)
いうことも妥当しないのではないかと考えられるからである。 それゆえに,【5】においても判示されているように, 保険契約者について, 受取人変更は高度な判断力あるいは知識が要求されるほどの難しい行為とはいえず, たとえこの者において理解力の低下がみられても, 誰に, いくらの保険金を支払うことになるのかという, 受取人変更の意味内容を理解することは比較的容易なものであり, 意思能力のレベルは厳しく求める必要はないと考える。
( ) 受取人変更手続がなされるに至った経緯・状況
受取人変更手続がなされるに至った経緯および状況が3つ目の判断基準としてあげられるが, この場合, 保険契約者が受取人変更を希望していたか否かを含め, 受取人変更手続が, 第三者が納得できる経過を辿ったか否か, 合理的かつ適法になされたか否か等が考慮されるべきであろう。
保険法上, 保険契約者は, 保険事故発生までに受取人変更をすることが可能であり (保険法43条1項), 変更は, 保険者に対する意思表示によってするものとされ (同2項), 意思表示は, 保険者に到達しなけれ
(39) 天野・前掲注(30)32頁。
ばならない (同3項)。 したがって, 受取人変更の手続は, 保険契約者の意思能力の有無を問う前に, 保険法に示された要件を充足しておかなければならないことになる。
この3つ目の判断基準を考える場合, 保険契約者の内面の意思・受取人変更手続を行う場合の状態, および変更手続の適法性を検討しなければならないと考える。 というのは, 保険契約者に意思能力があったとしても, 受取人変更請求書が第三者により無断で作成された場合もあれば,
契約者が受取人変更請求書を作成したとしても, 保険契約者には意思能
(40)
力がなかった場合もあるからとされるように, 保険契約者の持つ意思, つまり, この者の主観的な判断を必要とする場面として, 保険契約者が,受取人変更に先立って, またはその時に受取人変更の意思があったか否かが重要なポイントとなろうし, 客観的に判断できる場面として, 保険契約者の受取人変更時における状態だけでなく, 受取人変更手続の妥当性ないし適法性をみる必要があると考えるからである。
【1】では, 元の妻に対して慰謝料等の支払を完了した時点以降は受取人をそのままにしておく積極的意思があったものとは考えられないという点を, 受取人変更を認める理由の1つにしている。
【2】では, 保険会社の営業職員と担当医師との会話について, 会話の時間が保険契約者の意思能力を確認するには十分とは言えないこと,担当医師は意思能力の有無について質問を受けていないことからして,裁判所は, 営業職員の供述および文書の内容について信用性を疑問視しており, それが変更手続の無効を判断する要素となっている。
【5】では, 保険契約者の病状に加え, 変更手続の経緯および性質をも考慮すれば, 保険契約者が意思無能力であったとは認められないとしている。 すなわち, 裁判所は, 消極的な肯定ではあるが, 保険契約者が警察の事情聴取を受けた際の応対状況, 報告書が変更手続の3か月近く
(40) 天野・前掲注(30)31頁。
前に作成されたものであることを考慮すれば, 報告書が保険契約者の意思無能力を的確に根拠付けるものとは評価できないとしている。
【6】では, 受取人変更の手続について, 受取人名義変更請求書の届出印押印欄の印影は, 保険契約者が行った改印手続の際に届け出た印影と同一であること, 受取人変更請求に際しては, 受取人名義変更請求書とともに保険証券が郵送により保険会社に提出されたことが認定されている。 そして, 受取人変更前後の保険契約者の状況について, 保険契約者は, 余命3ないし6カ月であることが判明して以降, 自宅での療養を望み, 主として夫が身の回りの世話をしていた経緯があり, 受取人変更請求は, 保険契約者が, 受取人を夫に変更することを内容とするものであることが認められ, 夫が受取人名義変更請求書に保険契約者が署名押印した際の様子を具体的に述べていることからして, 受取人変更請求が保険契約者の意思に基づくものであると認めている。
これらが具体的な判断要素になると考える。 この他に, 裁判例を概観すれば, 受取人変更を行うにあたり保険会社の担当者を呼ぶ際に, 保険契約者が他人の手助けがあってもよいと考えられる。
4. おわりにかえて
保険金受取人変更時における保険契約者の意思能力の有無について検討したが, その判断基準として, (i) 医的評価に基づく保険契約者の病状等, ( ) 受取人変更手続の性質および内容, ( ) 受取人変更手続がなされるに至った経緯および状況があげられる。 受取人変更を行ったとされる保険契約者について, 変更手続を行った時点において, これら
3つの判断基準としながら総合的な考慮を経て意思能力の有無が決定される。
意思能力の有無が問題となるのは, 受取人変更を行ったとされる保険契約者が死亡した場合であることから, さらに, 意思能力の有無の判断には医的評価を必要とすることから, 保険契約者について変更当時の状
況を観察することは容易ではないというところがある。 それゆえに, 保険契約者には意思能力があったとして, 変更後の受取人に保険金を支払った場合, 爾後, 変更手続に関する裁判が提起され, その結果, 受取人変更が無効とされ, 保険者の判断が間違っていたという事態も生じる可能性がある。 このような場合, 民法478条により債権の準占有者に対する弁済の成立によって保険者が二重弁済することの危険から守ることも考
(41)
えられる。 しかし, 同条により保険者が免責とされる可能性は, 意思能力という法制度が意思表示者の利益を保護しようとするものであること
からも, 容易であるとはいえないし, 保険者が保険金を供託することも
(42)
容易には認められないと指摘される。 そうであるならば, 裁判例におけるように, 高齢者または入院患者等の保険契約者が受取人の変更を希望する場合には, 変更時点における保険契約者の意思能力の有無を確認す
るなどの調査を詳細に行っておく必要があろう。 また, 保険金請求訴訟
(43)
において裁判所の判断に委ねることになるのではないかと考える。
(41) 天野・前掲注(30)32頁。
(42) 山下友信 「コメント」 保険事例研レポ282号11頁 (2014年)。
(43) 山下・前掲注(42)11頁。