X(原告)は所有する建物(本件建物)について、仲介会社Aを介して、宝石等の販売を使用目的にするとしたY(被告)と、賃貸借契約締結に向けて交渉していた。
最近の裁判例から
⑾−賃貸借契約の成立−
賃貸借契約は口頭で成立したとして、受領した鍵で建物を占有する賃借希望者に対する、建物明渡請求が認められた事例
(東京地判 令 2・10・7 ウエストロー・ジャパン) 笹谷 直生
賃貸借契約書締結前に、諸費用を支払い、受領した鍵で、建物を占有する賃借希望者に対し、建物所有者が、建物の明渡等を求めた事案において、占有者主張の口頭での契約成立を否定し、その訴えを認めた事例(東京地裁 令和2年10月7日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
X(原告)は所有する建物(本件建物)について、仲介会社Aを介して、宝石等の販売を使用目的にするとしたY(被告)と、賃貸借契約締結に向けて交渉していた。
令和元年11月上旬、Yは本件建物の賃借の申入れをした。
令和元年12月中旬、Aは、「見本」との記載がある令和元年12月5日付けの請求書(本件請求書)と貸主欄に署名押印のない本件建物の賃貸借契約書(本件賃貸借契約書)を、 Yに交付し、本件賃貸借契約書にYの捺印を求めた。本件請求書には、請求金額として 1220万円(本件建物の令和2年1月分の賃料
110万円、保証金及び仲介手数料1110万円)が記載されていた。
令和元年12月13日、Yは、本件請求書の記載に従い、Aを通じて、Xに対し1220万円を支払った。
またXは、Yの知人に内部を見せたいとの依頼により、本件建物の鍵をYに渡した。
その翌週、Xは鍵の返還を求めたが、Yは本件建物の内部の寸法を測る準備があるなど
として、これに応じず本件建物を占有し続けた。
ところが、その後、令和元年12月26日、Xは、Yが本件建物に神社を設営し宗教的な行為を行う旨のチラシを配っていることを知り、本件建物を宝石販売等に使用するとした Yの説明に不信感を持ったことから、Yに、本件建物の賃貸借契約を締結しない旨を伝え、令和2年1月9日、Xは、Yから受領していた前記の1220万円を返還した。
しかし、Yは鍵を返還せず、建物賃貸借契約は既に成立しているとして、建物の占有をし続けたことから、XはYに対し、所有権に基づく明渡し及びYの占有開始日である令和元年12月26日から本件建物の明渡しまで月 110万円の損害金を求める本件訴訟を提起した。
また、令和2年7月29日、Xは予備的に貸貸借契約が口頭により成立していたとしても、Yは約7か月もの長期間にわたり賃料を全く支払っていないなど、Yの背信性が著しいとして、賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
これに対して、Yは、Aから賃貸借契約書
(Xの署名押印のないもの)を受領し、請求に応じて賃料及び保証金等を、Aを通じてXに支払い、鍵を受領することにより本件建物の引渡しを受けたのであるから、本件建物につき賃貸借契約が口頭により成立し、この賃貸借契約に基づいて本件建物を占有しているとして、これを争った。
2 判決の要旨
裁判所は、次のとおり判示し、Xの請求を認容した。
Yは、遅くとも令和元年12月14日までには、 XとYとの間に本件建物につき賃料月額110万円、期間を令和2年1月1日から令和4年 12月31日とする賃貸借契約が口頭により成立したと主張する。
そこで検討するに、認定事実によれば、令和元年11月にはXとYがAを介して本件建物の賃貸借契約の締結に向けて交渉していたこと、YがAから交付された本件請求書の記載に従い令和元年12月13日に1220万円を支払ったこと、12月半ば頃までにAが本件賃貸借契約書をYに交付し、その後Yが本件賃貸借契約書に記名押印して返送したこと、令和元年 12月13日頃にYが本件建物の鍵を受領し令和元年12月26日以降本件建物を占有していることが認められ、これらの事実を総合すると、少なくとも令和元年11月半ば頃までは、Aと Yは、Yが本件建物をXから賃借することを前提に諸々の手続を進めていたことが認められる。
しかし他方、Yに交付された本件請求書には「見本」との記載があったこと、Xは、本件賃貸借契約書に署名押印しておらず、かえって令和元年12月26日には本件建物の賃貸借契約を締結しない旨を被告に伝えたこと、XはYが本件請求書の記載に従って支払った 1220万円を令和2年1月9日に返還したことが認められる。
そうすると、XがYとの間で本件建物の賃貸借契約を締結する旨の意思表示をするに至ったと認めるには足りないといわざるを得ず、XY間での賃貸借契約の成立は認められない。
仮に、令和元年12月14日までにXとYとの
間に本件建物につき賃貸借契約が成立した旨のYの主張を前提とするとしても、Yは、本件建物の占有を開始した令和元年12月26日から現在までの約7か月もの長期間にわたりXに対し本件建物の賃料を全く支払っていないのであるから、上記賃貸借契約は、Xによる解除の意思表示により令和2年7月29日に終了したと認められる。
よって、本件建物につき賃借権を有する旨のYの主張は採用することができないから、 Xの本件建物の所有権に基づく本件建物の明渡請求は理由がある。
また、本件建物の賃料相当損害金は、前提事実のとおり、少なくとも1か月当たり110万円であることが認められるから、Yによる本件建物の占有開始の日である令和元年12月 26日から同建物の明渡済みまで1か月110万円の割合による損害金の支払請求も理由がある。
以上によれば、Xの請求はいずれも理由があるからこれを認容する
3 まとめ
本件のように、契約締結前において、鍵を賃借希望者に渡し、建物を占有されてしまうと、貸主が契約をしていないとして、建物の明渡し、鍵の返還を求めても、賃借希望者が応じない場合、貸主は、本件のように裁判をせざるを得ないことになる。
このようなトラブルを避けるために、媒介業者や貸主としては、賃貸借契約書への署名押印→諸費用の授受→鍵の授受の手順を再確認し、契約の成立前には、鍵の引渡しを行うことがないように留意すべきと思われる。
(調査研究部調査役)
最近の裁判例から
⑿−賃貸保証契約における保証免責特約−
解除事由があるのに貸主が解除しない時、保証会社の債務は消滅するとの特約が信義則により一部否認された事例
(東京地判 令 2・1・16 ウエストロー・ジャパン) 室岡 彰
共有持分1/ 2を所有する賃貸人が、賃借人の不払賃料全額を保証会社に請求したところ、保証会社は、賃貸人が契約解除を請求しなかったことは保証の免責条項にあたるとして、支払いをしなかったため、賃貸人が提訴し、原審では不払賃料全額の1/ 2のみの請求を認容したため、保証会社、賃貸人とも控訴した事案において、免責事由の発生前に生じた保証まで免責とすることは信義則に反する一方、賃料債権は分割債権であるとして、原判決が相当とされた事例(東京地裁 令和 2年1月16日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
平成25年10月、賃貸住宅を持分1/ 2ずつで共有する賃貸人Y(一審原告・被控訴人)とB(Yと併せて「Yら」)は、賃借人A(訴外)との間で、賃料63000円/月で賃貸借契約を締結し、以後2回、契約更新した。
同日、Yは、保証会社X(一審被告・控訴人)との間で、賃貸借契約に基づくAのYらに対する債務をXが連帯保証する内容の賃貸保証契約も締結した。
なお、同契約には、保証金は月額賃料相当額の24か月分を限度額とすることが定められ、また、第17条(免責条項)には、賃借人に賃貸借契約等上の信頼関係を破壊するに足りる賃料不払等があるにも拘わらず賃貸人が、賃貸借契約等を解除せず、または建物明渡請求訴訟を提起しない場合は、保証金は支払われず、また同時に委託契約上の一切の責
務が消滅するものとし、Xが既に事故処理を行っていたときでも、遡及的に保証を消滅するとの約定があった。
賃貸借契約締結後、Aは、平成27年11月分、平成29年6月分、7月分及び9月ないし11月分の賃料6か月分を支払わず、平成29年11月 1日時点での未払賃料は378000円に達したが、Yらは、同年11月末日までに、賃貸借契約を解除せず、Aに対し、建物の明渡請求訴訟を提起しなかった。
Xは、Yに対し、平成29年12月4日付で、賃貸保証契約の免責要件に基づき全額免責とすること、今後、賃貸保証契約上の一切の保証が発生しないことを通知したため、Yが、 Xに連帯保証契約に基づく保証債務履行請求権として、315000円の支払を求め提訴した。
原審は、Yの保証債務履行請求債権が可分債権であるとして、Yの請求のうち、157500円の支払いを求める限度で認容したが、Xは、これを不服として控訴し、Yも棄却された部分を不服として附帯控訴した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示し、原判決を相 当とし、Ⅹの控訴、Yの付帯控訴を棄却した。数人の債権者が不動産を賃貸する場合にお いて、賃料債権が金銭債権であるとき、金銭債権はその性質上可分であるから、当該賃料債権について当事者の意思表示により不可分債権又は連帯債権とされない限り、民法第 427条により当然に分割されて、各債権者は
分割単独債権を取得すると解するのが相当である(最一判 平17・9・8 民集59巻7号1931)。本件において、Yらの間で、賃料債権を不 可分債権又は連帯債権とする意思表示があることを認める証拠はないことから、Yは、Bと等しい割合で分割された賃料債権を取得し、Yの保証債務履行請求債権もその限度で
生じると解するのが相当である。
Xは、平成29年1月から10か月の間に16回、 Aとの面談を試み、連絡文書をAの玄関ドアに挟み込むなどもしたが、Aから連絡はなく、 Aが賃料を支払不払いがやむを得ないといえるだけの事情は認められない。
Aには、賃料を継続的に支払い、賃貸借契約を継続する誠実な態度が認められないから、平成29年11月1日時点で、Aに「信頼関係を破壊するに足りる賃料不払等がある」と認めるのが相当である。しかし、YはAに対し、賃貸借契約を解除したり、明渡請求訴訟を提起したりした事実を認める証拠はないから、遅くとも同年11月末日の時点で本件免責事由が生じたと認めることができる。
本件免責条項が定める免責要件は、賃借人について信頼関係を破壊する程度の賃料の不払があったという事実であるが、これは、賃貸借契約及び保証契約の各成立後に生じる後発的な事由である。
賃借人の債務の保証は、継続性のある賃貸借契約から発生する債務を保証するものであって保証契約自体も継続的であるから、契約成立後に生じた事由を理由として保証人が保証責任を免れるのは、当該事由が発生した後から将来に向かってその効力が生じるのが原則であって、特段の事情がない限り、既に発生している債務についてまで免責の効果が及ぶことはないと解するのが相当である。
Xは、本件免責条項に基づき、Yらに通知がされた平成29年12月4日の翌日から生ずる
Aの債務については保証の責任を免除されるとしても、同日までに生じた債務についての責任まで免責を主張することは、信義則に反し許されないと解するのが相当である。
Aは、平成29年12月4日時点で、386129円の賃料支払債務を負っており、Xは、同額の支払義務をYらに対し負うが、Yらの保証債務履行請求権は分割債権となるから、Yは、その1/ 2について単独で債権を取得するところ、Yは、不可分債権だとして、315000円の限度で請求しているから、結局、Yは、Xに対し、157500円の保証債務履行請求債権を有し、同額の支払を求める限度で理由がある。
3 まとめ
賃貸保証会社の賃貸保証契約書には、一般的に保証の免責条項があるが、賃貸保証を事業として行う賃貸保証会社に比して、賃貸人は、免責となる事実や免責事由とならないための手続き等に関し、一般的に熟知しているわけではない。
まして、本件のように、免責事由が発生した場合、同事由発生前の滞納賃料等についても、保証会社の保証が免責されるといった内容であれば、保証会社から賃貸人に対する十分な説明をすることが必要と考えられる。
賃貸人が一定期間内に賃料滞納を保証会社に通知しなかった場合には保証会社は免責されるとの免責条項について争った事案で、保証会社が賃貸人に免責事由の存在や内容を説明していなかったことなどから、信義則ないし衡平の観念に基づき、免責の範囲を4割に限定した事例(名古屋地裁 H24・5・31 RETIO 90-154)もあるので、参考とされたい。
(調査研究部調査役)
最近の裁判例から
⒀−建物不具合と一部賃料不払い−
借主の建物不具合等を理由とした一部賃料の支払拒絶が債務不履行とされ、貸主の契約解除が認められた事例
(東京地判 令 2・1・31 ウエストロージャパン) 大野 晃子
借主が、建物不具合等を理由に一方的に賃料を減額して支払うことから、貸主が賃貸借契約の解除及び建物明渡しを求めた事案において、建物には借主の使用収益が妨げられるほどの不具合は認められないとして、貸主の請求を認めた事例。(東京地裁 令和2年1月 31日判決 ウエストロージャパン)
1 事案の概要
平成29年11月30日、貸主X(原告)は、借主Y(被告)との間で本件建物の賃貸借契約を締結し、同日引渡した。
期間:平成29年11月30日から2年間賃料等:賃料92,000円/共益費3,000円
支払方法:毎月27日迄に翌月分を支払う Yは、平成30年10月、管理会社に対し、建
物の不具合等について、次のような苦情を申し立てた。①2階の床音が騒がしい。②ベランダからの雨漏りが激しく、洗濯物を干せない。③キッチンの壁のタイルのつなぎ目やベランダから洋室への壁の隙間から虫が侵入する。④風呂やトイレの換気扇が機能しない。
⑤風呂場の蛇口やシャワー口から水が漏れる。⑥便座が故障する。
これらのYの苦情に対し、管理会社は次のような対応を行った。
①2階床音:Yから苦情があった翌日に、2階入居者に対して生活音に配慮を求める注意文書を送付した。
③隙間不具合:現地調査を行い、Yの苦情に該当する事象は認められなかったが、キッチ
ン壁とタイルのつなぎ目にコーキング補修を行った。
④換気扇不具合:現地調査の結果、Yの苦情に該当する事象は認められなかった。
⑥便座不具合:現地調査の結果、Yの苦情に該当する事象は認められなかった。便座に留め具の取付工事を行った。
これらの苦情を申し立てた以降、Yは賃料の支払いが遅れるようになった。
平成31年4月、XはYに対して、滞納賃料 28万5,000円を同年4月10日までに支払うよう催告し、支払いがない場合は賃貸借契約を解除する旨を通知した。この滞納賃料は数か月遅れで支払われたが、この後も賃料の滞納は続いた。
令和元年11月、XはYに対して、滞納賃料 65万5,000円を同年12月13日までに支払うよう催告し、支払いがない場合は賃貸借契約を解除する旨を通知した。しかし、その後も滞納賃料は支払われなかったことから、XはYに対して、賃貸借契約の解除、本件建物の明渡しを求める本件訴訟を提起した。
Yは賃料滞納の理由として、本件建物は老朽化しており、不具合が多く、設定されている賃料は高額であり、半額が相当である。契約期間満了までの賃料は支払済のため、滞納賃料はないと主張した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のとおり判示し、Xの請求を容認した。
⑴ Yの主張する不具合等について Yの建物の不具合等により、使用収益を妨
げられた割合に応じて賃料の支払いを拒んだのであり、違法ではないとの主張について検討する。
①2階床音:これを認める的確な証拠はなく、 Yは、管理会社が2階入居者に注意文書を送付した平成30年10月以降も本件建物を使用収益する一方、さらに苦情を申し立てたといった事情は認められない。
②ベランダ雨漏り:仮に、ベランダ雨漏りにより、Yの本件建物の使用収益が妨げられていたとしても、その箇所はベランダの天井部分にすぎず、また、Yが苦情を申し立て続けていたといった事情も認められないことから、使用収益が妨げられた程度はごく限定的なものと言うべきである。
③隙間不具合:Yの苦情を受け、管理会社が平成30年10月にキッチンの壁タイルつなぎ目にコーキング補修を行ったことが認められるが、Yはその後も本件建物を使用収益する一方、虫の侵入についてさらに苦情を申し立てたといった事情は認められず、また、Yが提出する写真を見ても、虫の類は全く写っていない。
④換気扇不具合:Xは、Yの苦情により管理会社が平成30年10月に現地調査を行ったが、相当する事象は認められなかったと主張しているように、不具合の存在を認める証拠はなく、Yが不具合について苦情を申し立て続けていたといった事情も認められない。
⑤蛇口等漏水:これを認める証拠はなく、Yが蛇口からの漏水について苦情を申し立て続けていたといった事情も認められない。
また、Yは本件建物を使用収益する一方、蛇口等の漏水は風呂場のシャワー口から水が漏れるということにすぎないのであり、本件建物の使用収益を妨げるほどのものとは認め
られない。
⑥便座不具合:これを認める証拠はなく、管理会社は、Yの苦情により平成30年10月23日に便座の留め具の取付工事を行い、Yはその後も本件建物を使用収益する一方、便座の故障についてさらに苦情を申し立てたといった事情は認められない。
以上のとおり、Yは本件建物に居住しているところ、本件建物にはYの使用収益を妨げるほどの不具合が存在するとは認められないことから、Yが賃料の支払いを拒むことは、その全額について違法をいうべきである。
⑵ 結論
以上により、Yの賃料不払いを理由とする、 Xの本件賃貸借契約の解除、本件建物の明渡しを容認する。
3 まとめ
設備の不具合等を理由に、借主が賃料を一部減額して支払いたいとする相談が当機構に寄せられることがあるが、借主が一方的に減額した賃料の支払いは、本件のように契約解除の要因となることがあるので注意が必要である。
本件同様に、建物の不具合等を理由とする借主の賃料未払いにより、貸主の契約解除・建物明渡しが認められた例として、ネズミの出没を理由とする一方的な賃料の減額支払い
( 東京地判 平21・1・28 RETIO79-116)、エアコン不具合を理由とする賃料不払い(東京地判 平26・8・5 RETIO98-134)、騒音・振動被害を理由とする賃料の減額支払い(東京地判平26・9・2 RETIO98-132)、雨漏りを理由とする賃料不払い(東京地判 平30・1・25 RETIO 114-118)等がある。
(調査研究部調査役)
最近の裁判例から
⒁−定期建物賃貸借契約−
店舗賃貸借にも良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特措法附則3条が適用されるとの主張が棄却された事例
(東京地判 令 2・12・24 ウエストロー・ジャパン) 室岡 彰
平成10年に締結した建物賃貸借契約を終了させ、新たに定期建物賃貸借契約を締結した店舗賃貸借に関し、賃貸人が契約の終了及び建物の明け渡しを求めたのに対し、賃借人が
「良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特措法附則3条」の趣旨は、賃借人が自己に不利益なことを理解せぬままに定期賃貸借に移行することの防止にあり、店舗賃貸借にも同条が適用されると主張した事案において、同条は、事業用の賃貸借契約には適用又は類推適用されないとして、賃貸人の請求が認容された事例(東京地裁 令和2年12月24日判決ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
平成10年2月17日、海鮮丼店を営む法人Y
(被告)は、a場外市場に存する建物の所有者Bから賃借している法人A(訴外)との間で、普通建物賃貸借契約を締結し、その後、平成17年3月頃には、「店舗一時賃貸借契約書」と題する書面に、平成28年2月には「定期建物賃貸借契約書」と題する書面に記名押印し契約を締結し、その後、1年ごとに同様のひな型の契約書を締結した。
平成31年2月、Yは、Aとの間で、以下の約定により、本件建物の定期建物賃貸借契約
(本契約)を締結し、また、Aと、Yの実質的な経営者Y1(被告)との間で、Y1が本契約から生じるYの一切の債務を連帯保証する旨の契約が書面により締結された。
期間:平成31年2月18日から1年間
賃料:月額28万円(除消費税) 契約の更新をしないことの合意:
AとYは、a市場の移転計画があったことから、本件建物を定期建物賃貸借の目的とし、期間満了をもって賃貸借契約が終了し、契約の更新をしないことを合意した。
通知期間:Aは、期間満了の6か月前までに、Yに対し、期間満了により賃貸借契約が終了する旨を書面により通知する。ただし、Aが通知期間の経過後、期間満了により賃貸借が終了する旨の通知をした場合は、その通知日から6か月を経過した日に賃貸借契約は終了する。
損害金:Yが明渡しを遅滞した場合、賃貸借契約が解除され又は消滅した日の翌日から賃料倍額相当の損害金を支払う。
なお、Aは、Yに対し、契約書とは別に、契約を更新をしない旨を記載した説明書(別個書面)を交付して説明した。
令和元年11月、X(原告)は、本件建物を Aから譲り受け、賃貸人の地位を承継した。同年12月25日、Xは、Yに対し、本契約を 更新せず、令和2年6月末日をもって終了する旨を書面により通知し、その後、令和2年
6月末日を経過したため、Xは、Yに対し、本件建物の明渡しを求めるとともに、Yに対し不法行為(不法占有)に基づく損害賠償として、Y1に対し連帯保証契約に基づく保証債務の履行として、本契約終了日の翌日(令和2年7月1日)から本件建物の明渡済みま
で約定による56万円/月の割合による損害金を連帯して支払うことを求めた。
Yは、Xの請求に対し次のとおり主張した。
① 平成17年の店舗一時賃貸借契約も、平成 28年の定期建物賃貸借契約書も、普通賃貸借契約が更新されたものであり、解約申入れに必要な正当事由はないから、賃貸借契約は終了していない。
② 良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法附則3条(特措法附則3条)で、平成12年3月1日より前の住居用賃貸借契約には借地借家法38条の規定が適用されないとの趣旨は、賃借人が自己に不利益なことを理解せぬままに定期賃貸借に移行することの防止にある。
本件での契約書の記名押印者は、実質的な経営者でない形式的な代表者にすぎないから、双方が契約内容を十分に理解していなかったというべきであり、特措法附則3条により、借地借家法38条は適用されない。
Yの主張に対し、Xが裁判を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のように判示し、Xの請求を認容した。
Yらは、本契約が契約の更新をしないことの合意を欠く普通賃貸借契約であると主張するが、本契約においては、契約書において契約の更新がないこととする旨が定められており、かつ、別個書面にも期間満了により契約が終了すること及び更新がないことが明記されており、Yはその説明を受けて理解し承諾する旨の「受領書・承諾書」を賃貸人側に差し入れている。
これら各書証上の記載は、更新がないことが容易に理解できるものであって、借地借家法38条の方式に欠けるところはないから、契約の更新をしないことの合意に効力がないと
のYらの主張は採用できない。
そして、賃貸人側の説明内容は、結果として再契約がされてきたなどの過去の契約の経過や、Y側の押印者が法的知識に乏しかった可能性があることを前提としても、事業者であるYに対する説明として十分なものであったと認められる。また、Yらは、特措法附則 3条を根拠に、本契約には借地借家法38条が適用されない旨を主張するが、同条は、「居住の用に供する建物の賃貸借」に関する規定であって、商用スペースである本件建物に関する賃貸借契約に適用又は類推適用されるものではなく、Yらの主張は独自の見解をいうもので採用できない。
以上によれば、Xの請求はいずれも理由がある。
3 まとめ
普通建物賃貸借契約のうち、良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法附則3条の適用により、借地借家法第38条(定期建物賃貸借)が適用されない契約は、同条の施行日(平成12年3月1日)より前に締結された住居用建物の賃貸借契約であり、本裁判で、賃借人の主張は独自の見解として採用できないとされたものである
他方、住居用の賃貸借契約においては、賃貸人が、賃借人と立退き交渉を行い、隣接する貸主所有建物に転居して貰った上で、定期建物賃貸借契約を交わしたとして、賃借人に建物明渡しを求めた事案において、定期賃貸借契約とは言えないとして請求が棄却された事例(東京地裁 H26・11・20 RETIO100-136)もあるので、参考とされたい。
(調査研究部調査役)
最近の裁判例から
⒂−ハウスクリーニング特約−
ハウスクリーニング特約、フリーレント特約の開始日設定等が無効であるとした、賃借人の主張が棄却された事例
(東京地判 令 2・9・23 ウエストロー・ジャパン) 山本 正雄
賃貸マンションの賃借人が、①ハウスクリーニング特約、②フリーレント特約の開始日の設定、③賃貸入居者総合保険への強制加入は無効であるとして、賃貸人に対して敷金の返還及び損害賠償を請求したが、賃借人の請求には理由がないとして、棄却された事例(東京地裁 令和2年9月23日判決 棄却 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
平成29年2月、賃貸人Y(被告・不動産業者)の所有する賃貸マンションの1室を賃借することにした賃借人Ⅹ(原告・個人)は、賃貸借契約書(本件契約書)を、媒介業者Aを通じて郵送で受け取り、署名押印してAに返送した。
<本件契約書特約事項の概要>
⑴ 本件クリーニング特約
①入居の期間、契約終了理由、貸室の汚損の程度及び原因の如何に拘わらず、以下の算出方法により算出された貸室及び附属部分のハウスクリーニング費用(床、壁、天井、建具、水廻り及び設備機器等の清掃費用を含む。)、並びにエアコンのクリーニング費用(壁掛けエアコン1台あたり金1万円)を、Xが全額負担する。
②貸室、附属部分及びエアコンの汚損が著しい場合には各クリーニング費用が増額される場合があることをXは予め了承する。
(費用の算出方法)
・貸室面積35㎡未満の場合、一律3万5千円
・貸室面積35㎡以上の場合、面積×1,000円
⑵ 本件フリーレント特約 Yは、平成29年2月11日から同年3月10日
までをフリーレント期間とし、当該期間にかかるXの賃料の支払義務を免除する。
Xは、賃貸借契約の締結に際して、賃貸入居者総合保険に加入し、保険料を支払ったが、数日後にクーリングオフ規定に基づき保険契約を取り消した。
Yは、敷金等から、ハウスクリーニング費用及びエアコンクリーニング費用、計4 万 8,600円を控除した残金を返還したが、Xはこれを不満として、
①本件クリーニング特約は対面で説明を受けておらず、明確な合意はあったとはいえない。また、賃借人の利益を一方的に害するもので消費者契約法に基づき無効である。
②本件フリーレント特約は、対面で説明を受けておらず、YがXの入居可能日の提案を受け入れず一方的に開始日を設定したため、Yは6日分の賃料を不当利得している。
③Yが指定する入居者総合保険への加入を強 制したため、Xは振込手数料等の損害を被った。などと主張し、7万4千円余の敷金返還及
び損害賠償を求める訴訟を提起した。
2 判決の要旨
裁判所は、次のとおり判示し、Xの請求を棄却した。
(クリーニング特約の有効性)
建物の賃借人に通常の使用に伴う損耗につ
いての原状回復義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。(最二判 平17・12・16)。
これを本件についてみるに、契約書の特約事項として、入居の期間、契約終了理由、貸室の汚損の程度及び原因の如何にかかわらず、ハウスクリーニング費用、並びにエアコンクリーニング費用を、Xが全額負担することが明記されている。その算出方法もハウスクリーニング費用、エアコンクリーニング費用についてそれぞれ明記されており、いずれの算出方法及び額も一義的かつ明確である。 Xは、宅地建物取引士から特約についての 説明を受けていないから明確な合意はなかったと主張する。しかし、取引士による説明がなかったからといって、直ちに賃貸借契約や本件クリーニング特約についての明確な合意
がないというものではない。
本件クリーニング特約では、クリーニング代の賃借人負担や、部屋の広さやエアコンの台数に応じた負担額の算出方法が明確に定められており、賃借人の負担額を一定額とすることは、通常損耗等の補修の要否やその費用の額をめぐる紛争を防止するといった観点から不合理なものとはいえないし、あらかじめ定められた本件の負担額は、実際の見積額や社会通念に照らして相応な額である。そうすると、本件特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであるということはできず、消費者契約法10条に基づき無効と言うことはできない。
(フリーレント特約の有効性)
フリーレント特約の内容は一義的かつ明確であり、フリーレントの開始日と終了日について明確な合意があったものと認めるのが相当である。Xは契約の締結に先立ち入居可能日についてYと一定の交渉をしており、契約書どおりのフリーレント期間とすることについて了承していたものと認めるのが相当である。また、宅地建物取引業法違反や説明義務違反等により本件フリーレント特約が無効になる余地もない。
(保険契約の加入強制)
賃貸物件を保障対象とする保険の選択について、賃借人の自由に委ねるとすれば、賃貸人の資産である賃貸物件について十分な保険を掛けられず、賃貸人の利益を害する恐れもあり、賃貸人が保険会社を指定することにも一定の合理性があるというべきである。
3 まとめ
当機構の電話相談においても賃貸住宅の原状回復をめぐっては多数の相談が寄せられ、クリーニング特約についても照会の多いところである。
本件に関連して、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」では、参考裁判例として、「賃借人がハウスクリーニング代を負担するとの特約を有効と認めた事例」(東京地判平21・5・21)があり、さらに、消費者契約法との関係では、「ハウスクリーニング特約・鍵交換特約が有効に成立しており、消費者契約法10条違反でもなく、有効とされた事例」(東京地判平21・9・18、RETIO 78-134)もあるので、参考にされたい。
(調査研究部次長)
最近の裁判例から
⒃−迷惑行為−
マンションの集合郵便受にチラシを投函した行為が、不法行為を構成するとした慰謝料支払い請求が棄却された事例
(東京地判 令 2・2・27 ウエストロー・ジャパン) 笹谷 直生
マンション1階の集合郵便受に、チラシ1枚が投函されたことについて、1階部分への立入禁止の表示及びチラシ投函拒否の表示に反する行為であって、不法行為を構成するとして、慰謝料10万円等の支払い求めた事案において、その訴えを棄却した事例(東京地裁令和2年2月27日判決 ウエストロー・ジャパン)
1 事案の概要
X(第一審原告・個人)の居住するaマンション(本件マンション)は、3階建てのマンションであり、敷地部分と前面通路との間に塀等による仕切りはない。本件マンションは、玄関部分と階段部分からなる棟と住居として使用される住居棟に分かれており、玄関階段棟の入り口には、ガラス製の透明な扉が設置され、「関係者以外立入禁止」との札が貼付されている。玄関部分には、各居住者が使用する集合郵便受が設置されており、Xの郵便受には、「チラシお断り!」「チラシを入れた企業の製品等は絶対に購入しません!チラシを入れた政党・候補者には絶対に投票しません!」「チラシ投入、即、不法侵入で刑事告発!&精神的被害に対する賠償請求!」
「チラシ投入業者との裁判結果 謝罪及び解決金10,000円受領で和解」とのステッカーが貼付されている。
Y(第一審被告・政治団体)は、平成30年 11月27日頃、本件マンションの集合郵便受に、 b市議会議員cの活動等を紹介する内容のY
作成のチラシ(本件チラシ)を投函した。 Xは、Yのかかる行為が、不法行為にあた
り損害を被ったとし、第一審での敗訴を受け、本件を提訴した。
(Xの主張)
本件マンションのエントランスがある玄関階段棟と外部の空間には障壁となるガラス扉が設けられている一方、住居棟と玄関階段棟との間には何ら障壁はなく、これらは一体不可分である。ガラス扉には「関係者以外立入禁止」の表示がなされており、関係者以外の者がガラス扉を超えて建物内に侵入することは、刑法130条前段の罪に当たる。ガラス扉は通常施錠されていないが、居住者及び関係者の利便のためであり、関係者以外の立入りを容認しているわけではない。政治的主張を記したチラシ等の投函のために立ち入ることは不法侵入に該当する。
Xは、不法侵入を伴うチラシ投函行為に対し、極めて強い不快感等を覚えており、たとえ1枚のチラシといえども許容できない精神状態にある。そのため、Xの郵便受にはチラシ投函拒否の意思表示をしている。Yは、Xの意思に反する投函行為を行ったものであり、その加害の意図は明白である。
(Yの主張)
本件チラシを投函したYは、施錠されていないガラス扉を開けて平穏にエントランスホールに入ったのであり、物理的障壁を突破し
たわけではない。本件チラシの内容も、b市議会議員であるcの市議会議員としてのこれまでの活動や政策課題についての意見などを b市民に説明し、真摯に訴える内容が記載されたものであり、目的自体正当である。上記のとおり、エントランスホールに立ち入った程度であって、最高裁の判例で建造物侵入罪の成立を認めた事案とは異なる。
2 判決の要旨
裁判所は、次のとおり判示し、Xの請求を棄却した。
本件チラシをXの郵便受に投函した行為は、明示的に示された本件マンションの管理組合の意向及びXの意思に反する行為であるが、そのような意向ないし意思に反する行為であるからといって、直ちに違法であるということはできず、当該行為が違法になるか否かについては、その行為の態様が、社会通念上一般に許容される受忍限度を超える侵害をもたらすものであるか否かによって判断すべきである。
これを本件についてみるに、本件マンションの敷地部分と前面通路との間に塀等による仕切りはなく、本件マンションの玄関階段棟の入り口のガラス扉も施錠されてはいない。本件マンションの玄関部分に設置してある集合郵便受に投函するためには、玄関部分に立ち入ることは必要であるが、本件マンションが玄関階段棟と住居棟に分かれていることからすれば、現実に住民が居住する住居棟内に立ち入る必要はない。配布された本件チラシは、一見して市議会議員の活動報告等の文書であることが分かるものであって、紙1枚にすぎず、詳細を確認せずに廃棄することも容易な文書である。以上のとおり、本件チラシの投函行為は、物理的な強制力を用いたものではなく、立ち入った程度も住民が居住する
区域ではなく玄関部分のみであって、配布された本件チラシの内容・分量も上記の程度であることに鑑みると、一般的に受ける不利益の程度も、社会的に受忍し得る限度を超えるものではないと認定するのが相当である。Xは、本件チラシの投函行為が、建造物侵入罪を構成すると主張するが、建造物侵入罪の成立を認めた最高裁の判例の事案とは、建造物への立入りの態様が異なる。Xの主張は採用することができない。
したがって、本件チラシの投函行為は、不法行為を構成しない。
3 まとめ
郵便受けへのチラシ投函は、日常見受けられる行為であるが、不必要な情報であることが多く、一種の迷惑行為とも言えなくもない。
「チラシお断り」とされた郵便受けへのチラシ投函に関する裁判例について、不法行為の成立が否定された事例としては、本件裁判例(一回一枚の投函、社会的な受忍限度を超えていない)のほか、東京地判 平27・12・2ウエストロー・ジャパン(チラシ投函により、慰謝料を発生させるほどの住居の平穏が害されたとは認められない)が、一方、不法行為の成立が認められた事例としては、東京地判平22・3・17 ウエストロー・ジャパン(チラシ投函に関して訴訟となり投函はしないとして和解したが、再度投函をしたことについて、 10万円の慰謝料が認容)が見られる。
不動産業者においても、チラシ投函は有力な営業ツールであると思われるが、「チラシお断り」と拒否が示されている郵便受けへの投函は、トラブルとなり得るものであり、慎むべきであろう。
(調査研究部調査役)