年月日 詳細内容 平成 15 年6 月 23 日 A とB が婚姻。その後 2 人の子供をもうけた。 平成 18 年4 月 17 日 A とB は共働きをせざるを得ない経済状況であることに加え,過去 2 回の出産がいずれも帝王切開によるものであったことから,今後は子供を作らないこととし,Aは断種手術をうけるため,H クリニックを受診。I 医師より断種治療の説明を受けた。なお, 術前の説明内容は, 術式,手術に要する時間,避妊術として 100 パーセント確実なものではなく,術後に妊娠する可能性も...
同意書を差し入れた患者以外の者に対する医師の説明義務
― 夫婦間の信頼関係侵害に対する金銭的評価 ―
メディカルオンライン医療裁判研究会
【概要】
患者 A が,H クリニックにおいて,精管結紮術による断種手術を受けたところ,その手術後において,A の妻であるB がA の子を妊娠したことから,同治療に関する施術上の過失および説明義務違反を理由として,A,Bらそれぞれが,債務不履行または不法行為に基づく損害賠償を請求した事案
キーワード: 断種手術,精管結紮術,説明義務,損害賠償判決日:仙台地裁平成 22 年 9 月 30 日
結論:請求棄却
が確認されたため,産婦人科を受診したところ,妊娠 7 ヶ月であ ることが判明。 | |
3 月ころ | A,B はH クリニックを訪れ,I 医師に対して,B が妊娠したことについての説明を求めたところ,I医師は,A,B らに対して,その子供は 99.9 パーセント A の子供ではないといった趣旨の発言をした。 B は,A から不貞の疑いをかけられ暴言・暴行をうけることとなったため,自らの潔白を証明するた めに出産を決意。 |
5 月 12 日 | I 医師は A,B らに対し,出産費用及び今後の生活費として 100 万円を支払った。 |
6 月 11 日 | B が第 3 子を出産。 |
6 月 19 日 | I 医師は A,B らに対して,出産 費用相当額として 18 万 9000 円を支払った。 |
7 月 23 日 | DNA 鑑定の結果,第 3 子が,AとB の子供であることが確認され た。 |
8 月 4 日 | DNA 鑑定の結果を受け,I 医師は A,B らに対して,200 万円を 支払った。 |
【事実経過】
年月日 | 詳細内容 |
平成 15 年 6 月 23 日 | A とB が婚姻。 その後 2 人の子供をもうけた。 |
平成 18 年 4 月 17 日 | A とB は共働きをせざるを得ない経済状況であることに加え,過去 2 回の出産がいずれも帝王切開によるものであったことから,今後は子供を作らないこととし,Aは断種手術をうけるため,H クリニックを受診。I 医師より断種治療の説明を受けた。 なお, 術前の説明内容は, 術式,手術に要する時間,避妊術として 100 パーセント確実なものではなく,術後に妊娠する可能性もわずかにあること,精液検査を実施して残存精子がないことを確認した後でなければ妊娠しないとはいえないことを説明(裁判 所の認定事実)。 |
4 月 20 日 | A とB は,H クリニックを受診。断種治療の説明を共に受け,精管結紮術の実施に同意をした。 同日,手術を実施。 |
平成 20 年 2 月ころ | B において,腰痛と発熱の症状 |
【争点】
1. 診療契約当事者ではない B が,H クリニックに対して損賠賠償請求を行いうるのか否か
2. 本件手術が医学的に見て,不適切な(債務不履行,不法行為)ものであったのか否か。
3. 本件手術前後の説明義務違反,妊娠発覚後の説明義務違反の有無
4. 損害額
【裁判所の判断】
1. B が,H クリニックに対して損害賠償請求を行いうるのか
本判決は,診療契約については,A とH クリニックを当事者であるとして,本件手術に関する B の法的地位については,子供を生むか生まないかの選択は,男女間のライフスタイルを決定する上で重要な意味を持ち,男女それぞれの自己決定権が尊重されるべきであること,本件手術を行うことで,子供が生まれなくなる可能性が高く家族計画に及ぼす影響が極めて大きいことなどの理由から,本件手術を実施するのか否か,またそれが適切に実施されるのか否かについては,実際に手術を受ける男性のみならず,その手術に対する同意を通じて関与が認められた配偶者(届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様な関系にあるものも含む)も法的保護に値する利益を有するとの判断を示し,診療契約の当事者ではない B に関しても,損害賠償を請求しうる地位を有するとした。
2. 本件手術が医学的にみて不適切なものであったか否か
A に対する手術については,精管結紮術として医療水準に従った最善の治療を行っていると認定,また精管結紮術によっても残存する妊孕力が残存するというメカニズムについては,それを防止するためにどのような措置を講じるべきかは医学的に明らかではなく,H クリニックのように個人で開業している病院
や診療所では,妊孕力の発生を防止することは困難であり,B の妊娠という結果を回避することは不可能であったとして,本件手術に関し,H クリニックは債務不履行責任,不法行為責任を負わないとした。
3. 手術の際の説明義務違反,妊娠発覚後の説明義務違反の有無
(1) 手術前後の説明義務について
医師は,診療契約に基づき,特段の事情のない限り,患者に対し,実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失,予後などについて説明すべき付随義務を負うとした最高裁判所判例(平成 13
年11 月27 日第三小法廷)を引用,避妊手術を受けるのか否かは,QOL ないし家族計画の実現に向けた自己決定権行使の一環としての性質があるとし,そのため,避妊手術を実施に際しては,患者がその自己決定権の行使を正しく行使できる程度に説明を尽くすべきであると示した。
そして,本件においては,術前に,術式,手術に要する時間,避妊術として 100 パーセント確実なものではなく,術後に妊娠する可能性もわずかにあること,精液検査を実施して残存精子がないことを確認した後でなければ妊娠しないとはいえないことを説明した点について,本件手術の内容・危険性及び術後における妊娠の可能性などについて一応の情報を提供したものということができると評価したが,A, B において,本件手術をうければ妊娠しなくなる等の認識を有していたが,その認識を有するに至った経緯も不合理ではないとし,本件手術によっても精管が再開通するメカニズム,精液検査を受けなかった場合における妊娠のリスクについては,具体的に説明がなされていないと認定,抽象的な説明にとどまらず,妊娠のリスクについて原告らが相当程度具体的に認識できる程度に説明を尽くす必要があった というべきであるとして,この点において H クリニックには債務不履行,不法行為上の過失があるとした。
(2) 妊娠発覚後の説明義務について
I医師は,Bの妊娠が発覚した時点において,Aとの性交渉によって B が妊娠する可能性が 99.9 パーセントありえないといった説明をしているところ,本件手術によっても妊娠の可能性があること,具体的には,どのようなメカニズムによって妊娠に至るのかという点について十分な説明を尽くし,A,B らが当該妊娠の結果に関し,考えられる原因を踏まえて今後の対応や基本的な生活設計などについて自ら決定できるよう配慮すべきであったがそれがなされていないと認定。
この点において,H クリニックには,債務不履行,不法行為上の過失があるとした。
4. 損害について
術前に十分は説明を受けていたとしても,A が本件手術を受けていた可能性は少なからず認められるとして,手術前後の説明義務違反と,A、B らの婚姻生活の平穏侵害という損害との因果関係は否定したが,妊娠発覚後の説明義務違反については,夫婦関係の信頼への侵害の限度では相当因果関係があると認め,その損害を慰謝する金額として A,B 共に 150 万円が相当とした。
もっとも,既にX xxxxxが,A,B らに対して,平成20 年5 月12 日に 100 万円,平成20 年6 月19
日に 18 万 1520 円,平成 20 年 8 月 4 日には 200万円を支払っていることから,認定された損害の金額A,B 各 150 万円の総額 300 万円については賠償済みであるとして,A,B らの請求を棄却した。
【コメント】
1. はじめに
本判決は,手術前後の説明義務違反,妊娠発覚後の説明義務違反を認めた上で,妊娠発覚後の説明義務違反と夫婦関係の信頼への侵害との因果関係を認めたものであるが,
① 診療契約当事者以外の者との関係にお
いても,契約責任としての債務不履行責任を認めた点
② 夫婦間の信頼への侵害の金銭的評価についてA,B 各 150 万円とした点
に本判決の特徴があるいえる。
2. 診療契約当事者以外の者との関係において債務不履行責任を認めた点について
本判決は,本件手術に関する同意書を差し入れた診療契約当事者外の者との関係で,医師の説明義務違反すなわち契約上の責任を認めている。
しかし,本判決は,医療機関が,同意書を入れた者に対して例外なく契約上の責任を負うことまで認めたものではなく,夫婦の人生設計に関し多大な影響を及ぼすという精管結紮術の特殊性に鑑みて,診療契約当事者以外の者についても,診療契約上の説明義務対象として認めたに過ぎないことに注意しなければならない。
実際の診療現場において,患者以外の第三者に同意書の提出を求めるケースとしては,患者が未xxであり,そもそも単独では有効な診療契約を締結し得ない場合や,患者自身が明確な意思表示をなし得ない状態にある場合が挙げられる。
このような場合には,そもそも,患者本人が治療内容の説明を適切に理解し,治療行為を受けるのか否かを適切に判断できない以上,同意書を差し入れた患者以外の第三者や,患者の家族に対する十分な説明が必要となるであろうことは容易に想定できるところである。
しかし,本件は,そうしたケースでないにもかかわらず,手術を受けることにより,手術を受ける者の配偶者の人生設計に与える影響を考慮し,医療機関に対して,その配偶者に対する契約上の説明責任を認めた点で,治療行為に関する説明義務の履行対象を拡大することにより,その範囲を不明瞭にしてしまうとも思われる。
しかし,少なくとも本件では,手術が他方配偶者の
人生設計に影響するところが大きいとの認識が I 医師にあったからこそ,I医師も術前説明の場にB を同席させ,手術の同意書の提出を求めたと考えられ,そうであるならば,B に対する説明の必要性は,I 医師も認識していた,または認識しえたといえ,結論として,診療契約上の当事者以外であるB との関係においても,H xxxxx(I 医師)に診療契約上の説明義務を認めたことは妥当であるといえる。
3. 夫婦間の信頼への侵害の対価を A,B 各 150
万円とした点について
本件判決は,結論としては,妊娠発覚後における I 医師の説明義務違反により,夫婦間の信頼が侵害されたとして,その損害額を,A,B 各 150 万円と評価したものである。
夫婦間の信頼関係の侵害に対し,どのように金銭的な評価を加えるのかは,形式的な基準があるわけではなく,あくまでも事案全体の経緯を総合的に判断して決められるべき極めて難しい問題である。
本件では,妊娠発覚後,I 医師が,A との性交渉によってB が妊娠する可能性が 99.9 パーセントありえないと説明したことにより,B は A から不貞の疑惑を欠けられたのみならず,暴言を浴びせられ,また暴行を受けるに至っており,これらの事実からは, A がこのような行動に出た際の A の内面,また一方的に A からこのような仕打ちを受けたB の内心を察するに,I 医師の説明により,夫婦間の信頼が著しく侵害されたと想像することはできるが,夫婦間において,本件と類似の事態が発生した場合,多くの夫婦が同様の経過をたどるのか,すなわち,夫が妻に対し,暴言を浴びせ,暴力を振るうのかと考えた場合,必ずしもそうではないであろう。
そうであるにもかかわらず,本件において,夫婦間の信頼の侵害について,各 150 万円,合計 300万円とした点で,その金銭的な評価としては過大であるように感じるが,この点に関しては,本件では訴訟継続前の段階において,既にI 医師から,A,B に
対して合計 318 万 9000 円が支払われていたことが大きく影響したものと考えられる。
すなわち,少なくとも,精管結紮術を受けたにもかかわらず B が妊娠をしたこと知った上で(後に, DNA 鑑定で親子関係が確認されたことも知ることになる),H クリニックは,A,Bに対し,任意で合計318万9000 円をA,B に支払っており,H クリニックにおいても,本件手術結果に関するA およびB との紛争を解決するための賠償金として,同額程度の負担は覚悟していたと考えられ,裁判所も,同額をもって当事者間の紛争を解決するのが妥当との価値判断を行い,それゆえに,これ以上の支払いを新たに命じることなく,既払金により,損害の賠償は履行されているとの判断を示したものと推測できるところである。
【参考文献】
裁判所ウェブサイト
【メディカルオンラインの関連文献】